2021/12/23 - 2021/12/23
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ちふゆさん
2021年12月23日(木)3時過ぎ、古くからの友人とのいもぼう平野屋本家での食事を終えて、久しぶりに清水寺に行ってみようという話になり、まずは円山公園に隣接する八坂神社を抜けて行く。お参りするより円山公園への抜け道として数えられないほど通らせていただいている神社。
八坂神社は京都四条通の東端に鎮座する神社で、二十二社の一つに位置づけられる。二十二社とは、平安時代から国家の重大事に朝廷から神前への供物を受けた22の名社で、都のあった京都を中心に、主に関西地方に集中している。格式順に上七社・中七社・下八社に分類されており、八坂神社は下八社の一つ。
祇園さんや八坂さんとも呼ばれ、夏の祇園祭の胴元でもあり、地元の氏神としての信仰を集めているが、観光地としても多くの人が訪れる。正月三が日の初詣の参拝者数は近年では約100万人と京都府下では伏見稲荷大社に次ぐ2位。大晦日から元旦に掛けてのおけら参りは有名。私も一度もらいに行ったことがある。
主祭神は素戔嗚尊(すさのをのみこと)とその妻の櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)にその8人の子供の総称である八柱御子神(やはしらのみこがみ)。ただし、明治維新の神仏分離以前は牛頭天王(ごずてんのう)、頗梨采女(はりさいにょ)、八王子だった。牛頭天王は日本の神仏習合の神で、釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされる。素戔嗚尊と同神ともされており、頗梨采女はその妻、八王子は8人の子供なので、呼び方が変わっただけとも云える。
創建に関しては2つの説がある。飛鳥時代の656年に朝鮮半島からの渡来人が神様をお祀りしたのが始まりというものと平安時代の876年に南都(奈良)の僧が当地にお堂を建立したことに始まるというもの。祇園社は釈迦の時代にインドにあった仏教施設の祇園精舎から取られた。祇園はその場所が王子だったジェータ(Jeta、祇陀)太子の所有する林園だったことから来ている。
877年の疫病流行に際してこの神社に祈りが捧げられたことで流行が止まったことが発展の契機とされている。995年には王城鎮護の社として尊崇された二十一社(のち二十二社)に数えられた。
祇園祭は869年に各地で疫病が流行した際に神泉苑で行われた御霊会を起源とするが、970年頃からこの神社の祭礼として毎年行われるようになった。
934年に感神院が建立され神仏習合が進み、名称も祇園社のほかに祇園感神院と呼ばれるようになった。1070年には感神院は鴨川の西岸の広大の地域を境内として認められ、朝廷権力からの「不入権」を承認された。
室町時代の1384年に足利義満は、祇園社を比叡山延暦寺から分離させた。以降、祇園祭は経済的に力をつけていた京の町衆により行われるようになり、現在に至っている。
戦国時代の1590年に、豊臣秀吉が母の大政所の病気平癒を当社に祈願し、多宝塔を再建して1万石を寄進した。江戸時代に入り、1654年に徳川家綱により本殿が再建される。
明治維新の神仏分離で感神院は廃寺とされる。それに伴い名称も「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」から「八坂神社」へ改められた。飛鳥時代からこの辺りは愛宕(おたぎ)郡八坂郷と呼ばれており、その名に由来するようだ。現在は地名としては八坂上町などの町名としてだけ残る。
八坂は8つの坂があったからと云う説もあるが、後付けじゃないかな。坂の多い土地なので比喩として八坂になったとか、この辺りで人々に災いをなす霊魂を鎮める祭りが行われており、それを意味する「安息処」が変じたと云う説の方がしっくりする。
平野屋本家のすぐ南にある東北門から境内に入る。入ってすぐ右手には重文の日吉社。江戸後期の建立でご利益は方除け。そして2012年建立の刃物供養の刃物神社とこれも重文の五社(八幡社、竈神社、風神社、天神社、水神社)。五社は1927年(昭和2年)の建立でご利益は諸願成就。すべて末社。
日吉社の正面の道を南に進む。本殿と道を挟んであるのが美御前社(うつくしごぜんしゃ)。これも末社で、戦国時代の1591年の建立で重文。祭神(多岐理比売命、多岐津比売命、市杵島比売命)が容姿端麗であったとの言い伝えから美容の神として信仰が篤く、女性の参詣が多い。社前に湧き出るご神水「美容水」を肌に数滴つけると身も心も綺麗になるという言い伝えがある。
その奥には2020年6月に103歳で亡くなった俳人協会副会長も務められた後藤比奈夫氏の代表句の碑。「東山回して鉾を回しけり」。1977年に祇園祭の山鉾が巨体を左右に揺らしながら辻を回る光景を詠んだ句(下の写真1)。
さらに進むと摂社の悪王子社(あくおうじしゃ)。これも重文で1878年(明治11年)に建立されたものだが、元々は四条東洞院下ル元悪王子町にあり、戦国時代の天正年間(1573年~92年)に烏丸万寿寺下ル悪王子町に遷された。1596年に四条寺町の御旅所に遷され、さらに四条大和大路角を経て、この地に遷された。「悪」は強力と云う意味合いだったようだ。ご利益は厄除に災難除。
悪王子社の前から西に方向を変えると右手に国宝の本殿。1654年に徳川家綱により再建されたもの。本殿と拝殿を1つの入母屋屋根で覆った独特の建築様式である「祇園造」で建てられている。本殿の下には平安京の東の鎮めである青龍の棲む龍穴があるとされているが、漆喰で固められている。青龍は方角を司る四神のうちの一神で、東方の鎮守。
その前にはこれも重文の舞殿(ぶでん)。神様に舞を奉納する舞台で、入母屋造、銅板葺。この舞殿は一直線に並ぶ本殿・南楼門と同じ高さで、三位一体を表している。幕末の1866年の火災で焼失し、1874年(明治7年)に土間式で再建され、1902年(明治35年)に現在の床式に改築された。2015年には屋根が葺き替えられた。花街の置屋や料亭などから奉納された提灯が吊るされている。
その南楼門は八坂神社の正門。幕末の1866年に火災で焼失し1879年(明治12年)に再建されたものでこれも重文。この門の内側にも提灯が並び素晴らしい。
その先の石鳥居も重文。表参道の入口に立つ明神鳥居。一番最初は木造だったが江戸前期の寛永年間(1624年~44年)に焼失。1646年に建立されたが1662年に地震で倒壊。4年後の1666年に石造りで補修再建された。現在の扁額は有栖川宮熾仁親王の筆。
ここから清水寺へ移動して帰りに再びここに戻って来て、南楼門から西楼門へ抜ける。舞殿から西へ進むと末社の大国主社。これも重文で建立は1877年(明治10年)頃。出雲大社と同じ祭神を祀り、縁結びの御利益がある。
その先の道の反対側にはこれも重文で末社の北向蛭子社。建立は早く江戸初期の1646年。えびす神社なのでご利益はもちろん商売繁昌。右手に曲がると同じく重文の末社、太田社。こちらの建立は1913年(大正2年)と新しい。ご利益は道しるべ、芸能。
そして、西楼門の突き当りに疫神社。こちらも重文だが、摂社で江戸末期の1823年頃の建立。別名蘇民将来社とも云い、疫病除けの神として信仰を集めている。
疫神社の前、1928年(昭和3年)建造の重文の西手水舎(下の写真2)の前を通ると西楼門。西大門とも称する。多くの人が八坂神社と云うと思い浮かぶ四条通の突き当りの門。室町時代の1497年に再建された境内最古の建造物で、これも重文。元々の門は文献から少なくとも平安中期以前に存在したとされる。1467年に罹災し、再建された。
上層切妻造の二層門で、下層は中央を通り抜けとし、正面左右の金剛柵内に随神像を安置する。1913年(大正2年)に市電の開通に伴って四条通が拡張され、通りの真ん中に見えるように東に6m、北に3m移動された。また、翼廊は1925年(大正14年)に建てられたものでこれも重文。
この他にも神饌所、透塀、神馬舎、絵馬堂、神輿庫、南手水舎、冠者殿社、玉光稲荷社、大年社、十社などが重文なので、また確認しに行きたいものだ。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8994437840626160&type=1&l=223fe1adec
長くなったが、祇園と呼ばれる地域についても触れる。八坂神社から鴨川以東の四条通南北の両側、北は新橋通より南は建仁寺境までの地域を云う。元々は八坂新地と呼ばれた地域だが、八坂神社(江戸時代までは祇園社)に因んで祇園と呼ばれるようになった。
かつては東山山麓の一寒村にすぎなかったが、江戸初期からは八坂神社や清水寺への参詣客を相手に、水茶屋が軒を並べ茶汲み女が妍を競う門前町を形成するようになっていった。江戸中期の1732年に白川沿いの新橋付近に新たに内六町が開かれ、遊里として認められると、京都有数の花街を形成していった。
舞妓がいることでも有名であり、地区内には南座、祇園甲部歌舞練場、祇園会館などがある。現在は茶屋、料亭のほかにバーも多く、昔のおもかげは薄らいだが、格子戸の続く家並みには往時の風雅と格調がしのばれる。現役時代は何ヶ月に1回は川越して来てたものだ。まあ、顔馴染みになるほど通ったことはなかったがね。
北部の新橋通から白川沿いの地区は国の重要伝統的建造物群保存地区として選定、南部の花見小路を挟む一帯は京都市の歴史的景観保全修景地区に指定され、伝統ある町並みの保護と活用が進んでいる。
次はスキップした清水寺への道の話へ続く
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