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2021年12月21日(火)8時頃、熱海ニューフジヤホテルをチェックアウトし熱海駅に向かう。熱海銀座から駅の南脇にある平和通り商店街までの間を結ぶ咲見町一番街という商店街を歩く。商店街と云ってもアーケードが連なる訳ではなく、2つの曲がり角によって「S字」になった坂道で、多様な飲食店・土産店の他、ホテルやリゾートマンションも建ち並んでいる。商店街としては1968年に発足。<br /><br />熱海銀座から少し北に進むと熱海七湯の一つの水の湯がある。この湯は外傷に良いと云われている。傍らに塩分の無い温泉も湧き出し、明治時代に淡白無味常水を温めるもののごとしとして「水の湯」と名付けられた。また、湯気が盛んに出たため饅頭を蒸したり、酒を温めたりして販売していた。<br /><br />水の湯からヘアピンカーブとなった坂道に掛かるが、内側の桜の木は坂町の寺桜と呼ばれる。坂町は昔の地名で、かつてはこの辺りまで医王寺の境内であったことからこう呼ばれる。現在の医王寺はこの道の先、東海道線沿いにある。この桜は樹齢およそ140年の大寒桜で、1944年(昭和19年)の本町大火、1950年(昭和25年)の熱海大火と云う2度の大火を生き抜いたことから「幸運の桜」としても知られている。<br /><br />ここからダラダラ坂がしばらく続く。大きなカーブを2回ほど曲がり、全体で約10分ほど歩くと正面にアーケード商店街が見えてくる。平和通り商店街で、熱海駅の南脇にある2つの商店街の内の一つ(もう一つは海側の仲見世商店街)で、1951年(昭和26年)に開通したもの。<br /><br />約50店舗からなる約200mほどの駅前商店街で、ショッピングや喫茶店、食べ歩きなど、熱海のエッセンスが詰まったノスタルジックな雰囲気が漂う。創業60年を超える老舗も多く立ち並び、温泉地らしい旅情が味わえるだけでなく、活気あふれる新しい店舗も数多くある。<br /><br />ちょうど真ん中辺りには福々の湯があり、隣りに「貫一・お宮 金色夜叉」と「熱海会場花火大会」の顔出し記念写真撮影用パネルが設置されている(表紙の写真)。熱海温泉を堪能してもらいたいと商店街の人たちの思いから誕生した手湯で、横に鎮座する夢かけ地蔵に手でお湯をかけると夢が叶うとパワースポットとしても愛されている。<br /><br />地中300mの福福温泉から湧き出している76.7度の源泉を、手湯にちょうどいい40度に調節している。カルシウム・ナトリウム・塩化物温泉で、効能は神経痛・関節痛・疲労回復・きりきず・やけど・慢性婦人病など。<br /><br />真ん中に立つモニュメントは、熱海市在住の彫刻家、三澤憲司氏の作品。三澤氏は1945年生まれで、1969年の第1回国際彫刻展(箱根彫刻の森美術館)コンクール賞受賞、1983年の第16回現代美術展 東京美術館賞受賞など国内外で活躍されている彫刻家。<br /><br />遠州灘海浜公園巨大モニュメント、イトーピア神戸北町彫刻公園広場、横浜ビジネスパーク野村不動産鎖モニュメント、福山市市政80周年記念ステンレスモニュメント、東京品川大崎駅モニュメントなどの作品がある。また滋賀県琵琶湖記念公園の突堤(出会いの広場)、周遊歩道、船着場も手掛けられている。<br /><br />8時15分、熱海駅に到着。熱海市の代表駅。東海道本線の途中駅であり、静岡県の一番東の駅。東海道新幹線の駅もあり、伊東線の始発駅でもある。JR東日本とJR東海の共同使用駅となっており、東海道本線の会社境界駅でもある。新幹線構内はJR東海が管理し、在来線構内はJR東日本が管理・駅業務を実施している。<br /><br />1925年(大正14年)に国府津駅を起点とする熱海線の終着駅として開業。1934年(昭和9年)に熱海・沼津間が開業して中間駅となる。伊東線はその翌年に網代までが開業。東海道新幹線は1964年(昭和39年)の開業時に熱海駅を設置。<br /><br />現在の駅舎・駅ビル(ラスカ熱海)は2016年末に開業したもの。ラスカ熱海のラスカ(LUSCA)はJR東日本の連結子会社である湘南ステーションビル(株)が運営する駅ビルの愛称で、Luxurious Shopping Center Avenue(贅沢な商店街の並木路)の頭文字をとって名付けたとしている。<br /><br />在来線には単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線、合計3面5線のホームが設けられている。ラスカ熱海は1番線に隣接している。新幹線は待避線のない相対式ホーム2面2線の構造。待避線がないため、ダイヤ作成上のネックとなっている。また、駅の西に新幹線有数の急カーブがあるため、通過列車は東海道新幹線の駅通過速度としては最も遅い最高速度185km/hに制限されている。<br /><br />駅前広場の一角にSL(蒸気機関車)がある。熱海鉄道の7号機関車だったもの。1907年(明治40年)に人車鉄道から軽便鉄道へ切り替えて開業した熱海鉄道で、関東大震災により全線不通となる1923年(大正12年)まで使われていた。<br /><br />その後各地の鉄道建設工事で使われた後、国鉄の鷹取工場に標本車として展示されていたが、熱海市が払い下げを受け、修復して展示している。現在の位置に移されたのは2014年。ただし、熱海鉄道の熱海駅はここではなく、歩いてきた途中の咲見町にあった。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8966524126750865&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />最後になったが、熱海市に付いて。伊豆半島の東側付け根、相模灘に面する静岡県最東部に位置する市。市域内はほとんどが丘陵で海岸線もすぐに丘となる所がほとんど。面積60平方㎞強は静岡県の35市町で4番目に狭い。<br /><br />人口は3万2千人強で、静岡県35市町中22位。1960年代半ばには5万5千人近くいたのに比べると6割を切っており、人口減少は著しい。また、全国平均と比べて少子高齢化が進んでいる。<br /><br />古代から湯治の地で、海中より温泉が凄まじく沸きあがり、海水がことごとく熱湯となったことから「あつうみが崎」と呼ばれ、それが変じて「あたみ」と称されるようになったと云われている。古くは「阿多美」と書かれたが江戸時代までには「熱海」表記が定着した。<br /><br />戦国時代から江戸時代に掛けては秀吉や家康が湯治に訪れた。さらに家光が湯治用御殿を造らせ、家綱以降は熱海の湯を江戸城まで運ばせる御汲湯(おくみゆ)が行われるなど、将軍御用達の湯として徳川家に愛用されるようになり、温泉番付で行司役の一角を占めるほどに全国的な知名度と特権的格付けを獲得した。<br /><br />1889年(明治22年)に熱海村が発足し、2年後に町制施行して熱海町となる。多賀村と合併し、熱海市となったのは1937年(昭和12年)。1957年(昭和32年)に網代町を編入合併して、現在の市域となった。<br /><br />早見優は1966年熱海生まれで3歳まで市内で育つ。ルパン三世シリーズの作曲家の大野雄二は1941年後のホテル大野屋の創業家に生まれている。橋田壽賀子は晩年は熱海で過ごし、2021年に自宅で亡くなった後、名誉市民となっている。泉ピン子も熱海在住。その他、橋幸夫、湯川れい子、NOKKO、亡くなった石立鉄男も熱海在住。別荘がある人は藤井フミヤや森村誠一など多数。<br /><br />改札を抜けてホームへ(下の写真1)。熱海駅は通過したことや乗り継ぎしたことは数限りなくあるが、乗降するのは初めて。8時23分発の沼津行に乗車(下の写真2)。沼津で豊橋行に乗り換えて進むと窓から見える富士山が美しい(下の写真3)。<br /><br />豊橋で乗り換えの合間に名物のカスタードあん巻きと大あん巻きゆずを購入(下の写真4)。大垣で乗り換え時に昼食を購入。お昼を食ながら米原に向けて進むと伊吹山の冠雪が美しい(下の写真5)。さらに米原、京都で乗り継いで4時過ぎに山城青谷に到着した。<br /><br /><br />以上で5日間に渡った2021年12月の浜松・東京・天皇杯・伊豆大島・熱海旅行、終了

静岡 熱海(Atami,Shizuoka,Japan)

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2021/12/21 - 2021/12/21

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年12月21日(火)8時頃、熱海ニューフジヤホテルをチェックアウトし熱海駅に向かう。熱海銀座から駅の南脇にある平和通り商店街までの間を結ぶ咲見町一番街という商店街を歩く。商店街と云ってもアーケードが連なる訳ではなく、2つの曲がり角によって「S字」になった坂道で、多様な飲食店・土産店の他、ホテルやリゾートマンションも建ち並んでいる。商店街としては1968年に発足。

熱海銀座から少し北に進むと熱海七湯の一つの水の湯がある。この湯は外傷に良いと云われている。傍らに塩分の無い温泉も湧き出し、明治時代に淡白無味常水を温めるもののごとしとして「水の湯」と名付けられた。また、湯気が盛んに出たため饅頭を蒸したり、酒を温めたりして販売していた。

水の湯からヘアピンカーブとなった坂道に掛かるが、内側の桜の木は坂町の寺桜と呼ばれる。坂町は昔の地名で、かつてはこの辺りまで医王寺の境内であったことからこう呼ばれる。現在の医王寺はこの道の先、東海道線沿いにある。この桜は樹齢およそ140年の大寒桜で、1944年(昭和19年)の本町大火、1950年(昭和25年)の熱海大火と云う2度の大火を生き抜いたことから「幸運の桜」としても知られている。

ここからダラダラ坂がしばらく続く。大きなカーブを2回ほど曲がり、全体で約10分ほど歩くと正面にアーケード商店街が見えてくる。平和通り商店街で、熱海駅の南脇にある2つの商店街の内の一つ(もう一つは海側の仲見世商店街)で、1951年(昭和26年)に開通したもの。

約50店舗からなる約200mほどの駅前商店街で、ショッピングや喫茶店、食べ歩きなど、熱海のエッセンスが詰まったノスタルジックな雰囲気が漂う。創業60年を超える老舗も多く立ち並び、温泉地らしい旅情が味わえるだけでなく、活気あふれる新しい店舗も数多くある。

ちょうど真ん中辺りには福々の湯があり、隣りに「貫一・お宮 金色夜叉」と「熱海会場花火大会」の顔出し記念写真撮影用パネルが設置されている(表紙の写真)。熱海温泉を堪能してもらいたいと商店街の人たちの思いから誕生した手湯で、横に鎮座する夢かけ地蔵に手でお湯をかけると夢が叶うとパワースポットとしても愛されている。

地中300mの福福温泉から湧き出している76.7度の源泉を、手湯にちょうどいい40度に調節している。カルシウム・ナトリウム・塩化物温泉で、効能は神経痛・関節痛・疲労回復・きりきず・やけど・慢性婦人病など。

真ん中に立つモニュメントは、熱海市在住の彫刻家、三澤憲司氏の作品。三澤氏は1945年生まれで、1969年の第1回国際彫刻展(箱根彫刻の森美術館)コンクール賞受賞、1983年の第16回現代美術展 東京美術館賞受賞など国内外で活躍されている彫刻家。

遠州灘海浜公園巨大モニュメント、イトーピア神戸北町彫刻公園広場、横浜ビジネスパーク野村不動産鎖モニュメント、福山市市政80周年記念ステンレスモニュメント、東京品川大崎駅モニュメントなどの作品がある。また滋賀県琵琶湖記念公園の突堤(出会いの広場)、周遊歩道、船着場も手掛けられている。

8時15分、熱海駅に到着。熱海市の代表駅。東海道本線の途中駅であり、静岡県の一番東の駅。東海道新幹線の駅もあり、伊東線の始発駅でもある。JR東日本とJR東海の共同使用駅となっており、東海道本線の会社境界駅でもある。新幹線構内はJR東海が管理し、在来線構内はJR東日本が管理・駅業務を実施している。

1925年(大正14年)に国府津駅を起点とする熱海線の終着駅として開業。1934年(昭和9年)に熱海・沼津間が開業して中間駅となる。伊東線はその翌年に網代までが開業。東海道新幹線は1964年(昭和39年)の開業時に熱海駅を設置。

現在の駅舎・駅ビル(ラスカ熱海)は2016年末に開業したもの。ラスカ熱海のラスカ(LUSCA)はJR東日本の連結子会社である湘南ステーションビル(株)が運営する駅ビルの愛称で、Luxurious Shopping Center Avenue(贅沢な商店街の並木路)の頭文字をとって名付けたとしている。

在来線には単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線、合計3面5線のホームが設けられている。ラスカ熱海は1番線に隣接している。新幹線は待避線のない相対式ホーム2面2線の構造。待避線がないため、ダイヤ作成上のネックとなっている。また、駅の西に新幹線有数の急カーブがあるため、通過列車は東海道新幹線の駅通過速度としては最も遅い最高速度185km/hに制限されている。

駅前広場の一角にSL(蒸気機関車)がある。熱海鉄道の7号機関車だったもの。1907年(明治40年)に人車鉄道から軽便鉄道へ切り替えて開業した熱海鉄道で、関東大震災により全線不通となる1923年(大正12年)まで使われていた。

その後各地の鉄道建設工事で使われた後、国鉄の鷹取工場に標本車として展示されていたが、熱海市が払い下げを受け、修復して展示している。現在の位置に移されたのは2014年。ただし、熱海鉄道の熱海駅はここではなく、歩いてきた途中の咲見町にあった。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8966524126750865&type=1&l=223fe1adec

最後になったが、熱海市に付いて。伊豆半島の東側付け根、相模灘に面する静岡県最東部に位置する市。市域内はほとんどが丘陵で海岸線もすぐに丘となる所がほとんど。面積60平方㎞強は静岡県の35市町で4番目に狭い。

人口は3万2千人強で、静岡県35市町中22位。1960年代半ばには5万5千人近くいたのに比べると6割を切っており、人口減少は著しい。また、全国平均と比べて少子高齢化が進んでいる。

古代から湯治の地で、海中より温泉が凄まじく沸きあがり、海水がことごとく熱湯となったことから「あつうみが崎」と呼ばれ、それが変じて「あたみ」と称されるようになったと云われている。古くは「阿多美」と書かれたが江戸時代までには「熱海」表記が定着した。

戦国時代から江戸時代に掛けては秀吉や家康が湯治に訪れた。さらに家光が湯治用御殿を造らせ、家綱以降は熱海の湯を江戸城まで運ばせる御汲湯(おくみゆ)が行われるなど、将軍御用達の湯として徳川家に愛用されるようになり、温泉番付で行司役の一角を占めるほどに全国的な知名度と特権的格付けを獲得した。

1889年(明治22年)に熱海村が発足し、2年後に町制施行して熱海町となる。多賀村と合併し、熱海市となったのは1937年(昭和12年)。1957年(昭和32年)に網代町を編入合併して、現在の市域となった。

早見優は1966年熱海生まれで3歳まで市内で育つ。ルパン三世シリーズの作曲家の大野雄二は1941年後のホテル大野屋の創業家に生まれている。橋田壽賀子は晩年は熱海で過ごし、2021年に自宅で亡くなった後、名誉市民となっている。泉ピン子も熱海在住。その他、橋幸夫、湯川れい子、NOKKO、亡くなった石立鉄男も熱海在住。別荘がある人は藤井フミヤや森村誠一など多数。

改札を抜けてホームへ(下の写真1)。熱海駅は通過したことや乗り継ぎしたことは数限りなくあるが、乗降するのは初めて。8時23分発の沼津行に乗車(下の写真2)。沼津で豊橋行に乗り換えて進むと窓から見える富士山が美しい(下の写真3)。

豊橋で乗り換えの合間に名物のカスタードあん巻きと大あん巻きゆずを購入(下の写真4)。大垣で乗り換え時に昼食を購入。お昼を食ながら米原に向けて進むと伊吹山の冠雪が美しい(下の写真5)。さらに米原、京都で乗り継いで4時過ぎに山城青谷に到着した。


以上で5日間に渡った2021年12月の浜松・東京・天皇杯・伊豆大島・熱海旅行、終了

  • 写真1 熱海駅改札口

    写真1 熱海駅改札口

  • 写真2 熱海駅3番ホーム

    写真2 熱海駅3番ホーム

  • 写真3 東海道本線 東田子の浦・吉原間から見た富士山

    写真3 東海道本線 東田子の浦・吉原間から見た富士山

  • 写真4 豊橋名物 あん巻き

    写真4 豊橋名物 あん巻き

  • 写真5 伊吹山

    写真5 伊吹山

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