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2021年12月21日(火)朝の6時過ぎ、熱海ニューフジヤホテルに3ヶ所ある浴場の3つ目の展望露天風呂へ(下の写真1)。朝の熱海の町が見下ろせていい感じ。すっきり目覚めて朝食の前に朝の散歩に。<br /><br />6時40分過ぎにホテルを出て、まずはホテル前の道を海岸に向かう。昨日着いた時に立派な建物だと感心した熱海 本家ときわぎのある交差点から200mほどは熱海銀座商店街。明治に入ってから熱海の商業中心地として発展したところで、それ以前は本通町と呼ばれ庶民・漁民が暮らしていた下町だった。<br /><br />熱海銀座の名がつけられたのは関東大震災後。復興に当たって東京の銀座から正式に継承したもので、戸越銀座に次いで日本で2番目、東京外では初めて銀座の名を冠した。1990年代以降の町の衰退と道を同じくし2000年代にはシャッター街と化すが、2010年以降の地域おこし事業や人気店の出店、熱海自体の観光地としての人気復活の効果で、活気を取り戻している。<br /><br />おしゃれな雰囲気のお店やモダンな店、そして老舗店まで多彩なお店が並んでいる。中にはなんと平城京時代から続く店もある。歩道はアーケードに覆われて雨でも歩きやすくなっている(下の写真2)。<br /><br />10分も掛からず海岸に達すると、まずはムーンテラスへ。熱海サンビーチの南脇にある、二股に分かれた展望テラス(ヘッドランド)。先端に「恋人の聖地」がある。正面から朝陽が昇ろうとしている。<br /><br />ムーンテラスへ降りる階段の左手に釜鳴屋平七夫婦像がある。釜鳴屋平七は熱海の網元の長男に生まれたが、江戸末期の安政年間(1855年から60年)の漁民一揆で漁民側に付き解決を図った人物。代官に訴状を出したものの捕らわれ八丈島に島流しになったが、船中での虐待で衰弱し、大島に降ろされ35歳で亡くなった。しかし、彼の意志を継いだ漁民たちは長い間苦難の戦いを続け、勝訴したそうだ。<br /><br />この像は文化勲章を受章した熱海市の第一号名誉市民、澤田政廣氏の作品で、1971年に熱海港に近い熱海海浜公園に建てられたものが、ここに移された。両サイドの熱海桜が咲いていればもっときれいだろうね。<br /><br />ムーンテラスの北側に広がるのが熱海サンビーチ。1986年に千葉県君津市の山砂を使って作られた人工海浜・海水浴場。熱海市街地の北東部に、東南向きで縦の長さ400m、幅60mに渡って広がっている。中央にはビーチ完成時に造られたペデストリアンデッキのサンデッキ広場がある。<br /><br />6時53分、海から朝陽が昇る。2日続けて朝陽を見た。右手には熱海港、熱海城が見える。左手、サンビーチの北の端は横磯港があり、湯河原手前の神奈川県境手前まで続く有料道路の熱海ビーチラインが始まっている。<br /><br />サンビーチからサンデッキ広場を抜けて国道135号線沿いに出ると、サンビーチと並行して細長い緑地帯が続いている。1966年に整備されたもので、お宮緑地と呼ばれている。2014年に、1990年に姉妹都市となったポルトガル(Portugal)のカスカイス市(Cascais)から贈られたジャカランダ(Jacaranda)の木を植樹し、拡張整備が行われた。<br /><br />サンデッキ広場から北側に少し行くと貫一お宮の像とお宮の松がある。貫一お宮の像は熱海ロータリークラブが創立30周年の記念に1986年に熱海市に贈ったもの。制作したのは2005年に89歳で亡くなった彫刻家の館野弘青氏で熱海にアトリエを構えていた縁から制作を依頼した。<br /><br />明治の文豪、尾崎紅葉の名作「金色夜叉」をモチーフにしている。映画やテレビドラマにヴァイオリン演歌も大ヒットし、貫一とお宮はあたかも実在の人物のように思われるようになったが、その中で、富豪のところへ嫁ぐことを決めたお宮を熱海の海岸で寛一が問い詰め、蹴り飛ばすシーンを再現したもの。隣にある尾崎紅葉記念碑は2019年に建てられたもの。<br /><br />隣にあるお宮の松は1919年(大正8年)に金色夜叉の句碑がここに建てられたことにより昭和に入ってから「お宮の松」と呼ばれるようになったもので、元々は「羽衣の松」と呼ばれていた。また、その位置も道路中央にあった。1966年に現在の2代目の松が植えられ、初代の松の切り株はさらに隣に飾られている。2001年に土壌改良及び排水工事等が完了し現状の姿になった。<br /><br />引き返してホテルに戻るが、お宮緑地の南の端から1ブロック南、国道135号線沿いに熱海七湯のひとつ、河原湯がある。熱海七湯は1日の総湧出量約26,000トンの規模を誇る熱海を古来より支えていた7つの源泉。河原湯は熱海村の農村や漁師、近くの人々が自由に利用できた唯一の源泉で、小田原城主が村民のために浴室を設けてその屋根を瓦葺としたために「瓦湯」と称した。神経痛やリューマチなどに効くほど塩分を多く含み、人が入ると透明な湯が白く濁ると云われている。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8966512270085384&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />7時5分過ぎにホテルに戻り、朝食ビュッフェ(下の写真3)。会場は昨夜の夕食の時と同じ(下の写真4)。ゆっくり食べてから部屋に戻り8時頃チェックアウト。1泊2食付き夕食アルコールもフリードリンクで9995円と1万円を切る価格で大変お得だった。最後に土産をまとめ買い(下の写真5)。<br /><br /><br />ホテルを出て熱海駅に向かうが、続く

静岡 熱海サンビーチ(Atami Sun Beach,Shizuoka,Japan)

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2021/12/21 - 2021/12/21

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旅行記グループ 2021冬青春18きっぷ

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5

ちふゆ

ちふゆさん

2021年12月21日(火)朝の6時過ぎ、熱海ニューフジヤホテルに3ヶ所ある浴場の3つ目の展望露天風呂へ(下の写真1)。朝の熱海の町が見下ろせていい感じ。すっきり目覚めて朝食の前に朝の散歩に。

6時40分過ぎにホテルを出て、まずはホテル前の道を海岸に向かう。昨日着いた時に立派な建物だと感心した熱海 本家ときわぎのある交差点から200mほどは熱海銀座商店街。明治に入ってから熱海の商業中心地として発展したところで、それ以前は本通町と呼ばれ庶民・漁民が暮らしていた下町だった。

熱海銀座の名がつけられたのは関東大震災後。復興に当たって東京の銀座から正式に継承したもので、戸越銀座に次いで日本で2番目、東京外では初めて銀座の名を冠した。1990年代以降の町の衰退と道を同じくし2000年代にはシャッター街と化すが、2010年以降の地域おこし事業や人気店の出店、熱海自体の観光地としての人気復活の効果で、活気を取り戻している。

おしゃれな雰囲気のお店やモダンな店、そして老舗店まで多彩なお店が並んでいる。中にはなんと平城京時代から続く店もある。歩道はアーケードに覆われて雨でも歩きやすくなっている(下の写真2)。

10分も掛からず海岸に達すると、まずはムーンテラスへ。熱海サンビーチの南脇にある、二股に分かれた展望テラス(ヘッドランド)。先端に「恋人の聖地」がある。正面から朝陽が昇ろうとしている。

ムーンテラスへ降りる階段の左手に釜鳴屋平七夫婦像がある。釜鳴屋平七は熱海の網元の長男に生まれたが、江戸末期の安政年間(1855年から60年)の漁民一揆で漁民側に付き解決を図った人物。代官に訴状を出したものの捕らわれ八丈島に島流しになったが、船中での虐待で衰弱し、大島に降ろされ35歳で亡くなった。しかし、彼の意志を継いだ漁民たちは長い間苦難の戦いを続け、勝訴したそうだ。

この像は文化勲章を受章した熱海市の第一号名誉市民、澤田政廣氏の作品で、1971年に熱海港に近い熱海海浜公園に建てられたものが、ここに移された。両サイドの熱海桜が咲いていればもっときれいだろうね。

ムーンテラスの北側に広がるのが熱海サンビーチ。1986年に千葉県君津市の山砂を使って作られた人工海浜・海水浴場。熱海市街地の北東部に、東南向きで縦の長さ400m、幅60mに渡って広がっている。中央にはビーチ完成時に造られたペデストリアンデッキのサンデッキ広場がある。

6時53分、海から朝陽が昇る。2日続けて朝陽を見た。右手には熱海港、熱海城が見える。左手、サンビーチの北の端は横磯港があり、湯河原手前の神奈川県境手前まで続く有料道路の熱海ビーチラインが始まっている。

サンビーチからサンデッキ広場を抜けて国道135号線沿いに出ると、サンビーチと並行して細長い緑地帯が続いている。1966年に整備されたもので、お宮緑地と呼ばれている。2014年に、1990年に姉妹都市となったポルトガル(Portugal)のカスカイス市(Cascais)から贈られたジャカランダ(Jacaranda)の木を植樹し、拡張整備が行われた。

サンデッキ広場から北側に少し行くと貫一お宮の像とお宮の松がある。貫一お宮の像は熱海ロータリークラブが創立30周年の記念に1986年に熱海市に贈ったもの。制作したのは2005年に89歳で亡くなった彫刻家の館野弘青氏で熱海にアトリエを構えていた縁から制作を依頼した。

明治の文豪、尾崎紅葉の名作「金色夜叉」をモチーフにしている。映画やテレビドラマにヴァイオリン演歌も大ヒットし、貫一とお宮はあたかも実在の人物のように思われるようになったが、その中で、富豪のところへ嫁ぐことを決めたお宮を熱海の海岸で寛一が問い詰め、蹴り飛ばすシーンを再現したもの。隣にある尾崎紅葉記念碑は2019年に建てられたもの。

隣にあるお宮の松は1919年(大正8年)に金色夜叉の句碑がここに建てられたことにより昭和に入ってから「お宮の松」と呼ばれるようになったもので、元々は「羽衣の松」と呼ばれていた。また、その位置も道路中央にあった。1966年に現在の2代目の松が植えられ、初代の松の切り株はさらに隣に飾られている。2001年に土壌改良及び排水工事等が完了し現状の姿になった。

引き返してホテルに戻るが、お宮緑地の南の端から1ブロック南、国道135号線沿いに熱海七湯のひとつ、河原湯がある。熱海七湯は1日の総湧出量約26,000トンの規模を誇る熱海を古来より支えていた7つの源泉。河原湯は熱海村の農村や漁師、近くの人々が自由に利用できた唯一の源泉で、小田原城主が村民のために浴室を設けてその屋根を瓦葺としたために「瓦湯」と称した。神経痛やリューマチなどに効くほど塩分を多く含み、人が入ると透明な湯が白く濁ると云われている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8966512270085384&type=1&l=223fe1adec

7時5分過ぎにホテルに戻り、朝食ビュッフェ(下の写真3)。会場は昨夜の夕食の時と同じ(下の写真4)。ゆっくり食べてから部屋に戻り8時頃チェックアウト。1泊2食付き夕食アルコールもフリードリンクで9995円と1万円を切る価格で大変お得だった。最後に土産をまとめ買い(下の写真5)。


ホテルを出て熱海駅に向かうが、続く

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  • 写真1 ホテル展望露天風呂

    写真1 ホテル展望露天風呂

  • 写真2 熱海銀座商店街

    写真2 熱海銀座商店街

  • 写真3 ホテル朝食ビュッフェ

    写真3 ホテル朝食ビュッフェ

  • 写真4 ホテル朝食ビュッフェ会場

    写真4 ホテル朝食ビュッフェ会場

  • 写真5 ホテル土産物屋

    写真5 ホテル土産物屋

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