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2021年12月19日(日)9時40分過ぎ、浜離宮庭園の中の御門に到着。浜離宮庭園は正式には浜離宮恩賜庭園。旧芝離宮恩賜庭園と同じく東京都の都立庭園。東京湾から海水を取り入れ、潮の干満で景色の変化を楽しむ潮入りの回遊式築山泉水庭で、特別史跡・特別名勝に指定されている。この両指定を受けているのは、全国で10カ所だけ。<br /><br />江戸初期の1654年に3代将軍徳川家光の3男の甲府藩主の徳川綱重がこの地を拝領し、海を埋め立てて別邸を建てるまでは葦などが茂った湿原で、将軍家の鷹場だった。甲府藩の下屋敷として使用され、甲府浜屋敷、海手屋敷と呼ばれるようになった。<br /><br />綱重の子である徳川綱豊が6代将軍家宣になると甲府徳川家は絶家となり、ここは将軍家の別邸となり浜御殿と改称した。文字通り浜にある御殿の意味。8代将軍吉宗の時代になると、殖産の試験場と位置づけられ、様々な栽培や試作や飼育が行われた。その後、11代将軍家斉の時代に現在の庭園が概ね整い、将軍の鷹狩の場として利用されることが多くなった。<br /><br />明治維新後の1870年(明治3年)に浜御殿は宮内省の管轄となり、名前も浜離宮と改められ、明治天皇も度々訪れるようになる。1923年(大正12年)の関東大震災と1945年(昭和20年)の東京大空襲では、大手門や複数の御茶屋や樹木が焼失し、庭園自体も大きく損傷する被害を受ける。<br /><br />戦後すぐGHQの要求で東京都に下賜され、1946年(昭和21年)に都立庭園として開園。1972年に他の都立公園とともに無料化されたが、1979年に再有料化されている。現在は中学生以上が300円(都内在住・在学中学生は無料)、65歳以上のシニアは半額。<br /><br />中の御門橋は汐留川に残る唯一の橋。架け替えられているが、江戸時代と同じ位置にある。橋を渡って中の御門口で入場料を払って入る。中の御門は江戸初期から大正時代まで使用されていたが、関東大震災で橋が落ちて撤去されたのを2005年に再整備したもの。<br /><br />一般的な大名庭園は、池の周囲に平らな場所や築山を配置した池泉回遊式庭園という様式が多いが、この庭園は南側の池泉回遊式庭園の他に北側が芝生の広場になっている。かつては北側に建物群、南側に庭園を備えていた名残。<br /><br />海水を引き入れた潮入の池は珍しいもので、海に面した立地を生かした独特の景観を造り出している。干潮の時期は内堀の底が見えてしまうくらい干上がり、満潮時は溢れんばかりの水が流れ込む。都内の江戸庭園では唯一の海水の池で、ボラやハゼ、ウナギなどが棲息している。庭園の面積は約25万平方mあり、東京ドーム約5個分に相当する。<br /><br />まずは南側の池泉回遊式庭園へ向かう。中の御門口から真っ直ぐ進み、突き当りの可美真手命像を右手に曲がって南に進む。この像は1894年(明治27年)に明治天皇の銀婚式を記念して陸軍省が行った懸賞募集に当選した作品(下の写真2)。可美真手命(うましまでのみこと)、もしくは宇摩志麻遅命(うましまぢのみこと)あるいは味間見命(うましまみのみこと)は物部氏、穂積氏、采女氏らの祖。<br /><br />御庭口御門跡の立札のある四つ角をさらに右手に進み、水路に架けられた三間橋に進むと潮入の池の北側部分が広がる。橋を渡ると八景山。今となっては何が八景からは分かってないが、ここからの池の眺めも素晴らしい。周りに高層ビルが見えるのがアンマッチなんだけど、東京らしくて悪くない。<br /><br />一旦池を離れて西の林の中にある新銭座鴨場へ。園内に2か所ある鴨場の一つで江戸中期の1791年に築造されたもの。鴨場は林の中に3mほどの土手で囲まれた池と樹林で、鴨が安心して休息できるように外部と遮断した場所。引堀と云う細い堀に鴨をおびきよせて捕まえていた。江戸時代は鷹を使かい、離宮時代は叉手(さで)網で掬い取っていた。全体を監視する大覗と引堀の奥の小覗が復元されている。<br /><br />ヨーロッパの馬術を練習していたと云う馬場(内馬場)跡を横切って池の南側に戻ると1710年頃に観音堂が建てられていたところに出るが、ここからの池の南西部の眺めも素晴らしい。観音堂の隣には鐘楼堂もあったそうだが、今は石段が残るのみ。<br /><br />先に進むと、池の両岸と中島、小の字島を結ぶお伝い橋の袂に出るが、ここから橋と島、対岸、さらに汐留の高層ビル群が見事。そのまま東南に歩くと石段で富士見山に登るが、ここからの景色も素晴らしい。明治までは名前のとおり富士山が見えていた。<br /><br />庭園の最南部の角辺りに進むと、汐留の高層ビル群が一望できる。右から電通本社ビル(48階建)、東京汐留ビルディング(37階建)、(当時)日本通運本社ビル(28階建)と東京ツインパークスのレフトウィングとライトウイング(共に47階建)。<br /><br />庭園の東、実際には南東部は元々は東京湾に面していたが、現在は埋め立てられて隅田川の河口になっており防潮堤で仕切られて南側の汐留川と北側の築地川が流れ込む汽水域になっている。<br /><br />南端にはウォーターズ竹芝の竹芝地区船着場があり、汐留川水門がある。この船着場(ウォーターズ竹芝前)からは浅草やお台場、両国、葛西、豊洲方面への水上バスやクルーズ船等が運航している。この時もちょうど東京水辺ラインのこすもす丸が水門を潜っていた。汐留川水門は1969年完成の複葉ローラーゲート。<br /><br />その上流には1970年完成の浜離宮排水機場があり、さらに先にはスイングゲートの築地川水門がある。これも1969年完成。写真ではよく分からないが築地大橋のアーチの手前。<br /><br />汽水域と水門でつながり、潮入の池の水位を調整している横堀に架かる海手お伝い橋から潮入の池の東岸に戻る。横堀と潮入の池の間に架かる中の橋の上に立つと、潮入の池から中島、そして後ろ側の高層ビルの眺めが素晴らしい。<br /><br />家の左手に建つのがイタリア公園の横に建っていたアクティ汐留(58階建て)で、右手の東京ツインパークスとの間の少し先にあるのが37階建てのパークコート浜離宮ザ・タワー。反対側、横堀側を見ると先に勝どきザ・タワー(53階建て)や58階建てのツインタワーのザ・トーキョータワーズが見える。すごいタワマンが沢山あるんだねえ・・・<br /><br />潮入の池の北東角には御亭山(おちんやま)。標高は約3mしかないが、頂上に登ると園内の四方を見渡すことが出来る。高層ビル群の間に東京タワーも見える。<br /><br />潮入の池の北岸には3つの茶屋がある。外出中の将軍の休憩のために設けられた小さな建物のことで、江戸時代の将軍は、御茶屋を利用して客をもてなす習慣があった。また、池のそばに設けられた御茶屋からは水辺の風景を一望できるため、月見や夕涼みをするのにも絶好の場所だった。<br /><br />浜離宮の茶屋は戦争で焼失したが、近年になり再建されている。御亭山に近い松の御茶屋は2010年に再建。お伝い橋の北側の燕の御茶屋は2015年に、鷹の御茶屋は2018年に復元された。いずれも11代将軍家斉の時代に建てられたもの。<br /><br />1983年に復元されたお伝い橋を渡った中島にも中島の御茶屋がある。元は1707年に建てられて焼失したものを橋と同時に復元したもので、カフェと休憩所になっている。お伝い橋は総延長118mある総檜造りの橋で、2012年に改修されている。北岸との間にある小の字島は漢字の「小」の字に似ているところから名付けられた。<br /><br />入場から約30分、次の予定もあるので庭園の北西角にある大手門に向かう。鷹の御茶屋の裏手から北東方向に進むと内堀の手前に花木園があり(下の写真2)、あずま屋の休憩所もある。この時期は残念ながらなにも咲いてなかったが、すぐ後ろに高層ビルが立ち並び、迫力ある。<br /><br />内堀は城を守る堀ではなく水運のための堀。飢饉対策のための籾米を運搬、貯蔵するための水運水路という役割を持っていた。物資を荷揚げするための階段状の荷揚げ場が設置されている(下の写真3)。籾米の貯蔵倉は、内堀の内側の現在の内堀広場に建っていた。<br /><br />内堀の西側に開けたところには1869年(明治2年)に近代日本初の迎賓施設として整備された延遼館が建っていた。面積1380平方mのコの字型建物で、幕末に海軍施設として建設された石造建築物を改修したもので、多くの国賓を迎えたが、1889年(明治22年)に老朽化のため解体された。<br /><br />内堀沿いは馬場だったところ。北側の突き当りにある三百年の松はおよそ300年前の1709年、6代将軍家宣が庭園を大改修した時にその偉業を称えて植えられた黒松。両脇から見ると後方に幹の根元が見え、その太い幹から前方にいくつもの枝が低く張り出している。都内では最大級の黒松。<br /><br />10時20分頃、大手門を出る。浜離宮への入口はこの大手門と入場した中の御門と、さらに庭園の東南角に水上バスの発着所がある。今回は内堀の先の内堀広場からお花畑、旧稲生神社、この発着所、将軍お上がり場、横堀水門、樋の口山、汐見の御茶屋跡、庚申堂鴨場などは時間がなくて回らなかった。広いんだよね。<br /><br />大手門を出ると築地川に大手門橋が架かる。築地川は隅田川の佃大橋辺りから分流して浜離宮辺りで再合流していた川だが、現在は離宮の北側部分しか残っていない。大手門橋は、1654年に、木造の橋として造られたが関東大震災により焼失。現在の橋は翌1924年に架けられた石造りの橋(下の写真4)。<br /><br />大手門橋を渡ると汐先橋交差点になる。電通本社ビルと住友不動産汐留浜離宮ビルの間の道の上を高速道路が走っているが、この道がかつての汐留川の跡(下の写真5)。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8616853511717930&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />新橋駅へ出て、国立競技場へ向かうが、続く

東京 浜離宮恩賜庭園(Hama-rikyu Gardens,Chuo ward,Tokyo,Japan)

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2021/12/19 - 2021/12/19

762位(同エリア1041件中)

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年12月19日(日)9時40分過ぎ、浜離宮庭園の中の御門に到着。浜離宮庭園は正式には浜離宮恩賜庭園。旧芝離宮恩賜庭園と同じく東京都の都立庭園。東京湾から海水を取り入れ、潮の干満で景色の変化を楽しむ潮入りの回遊式築山泉水庭で、特別史跡・特別名勝に指定されている。この両指定を受けているのは、全国で10カ所だけ。

江戸初期の1654年に3代将軍徳川家光の3男の甲府藩主の徳川綱重がこの地を拝領し、海を埋め立てて別邸を建てるまでは葦などが茂った湿原で、将軍家の鷹場だった。甲府藩の下屋敷として使用され、甲府浜屋敷、海手屋敷と呼ばれるようになった。

綱重の子である徳川綱豊が6代将軍家宣になると甲府徳川家は絶家となり、ここは将軍家の別邸となり浜御殿と改称した。文字通り浜にある御殿の意味。8代将軍吉宗の時代になると、殖産の試験場と位置づけられ、様々な栽培や試作や飼育が行われた。その後、11代将軍家斉の時代に現在の庭園が概ね整い、将軍の鷹狩の場として利用されることが多くなった。

明治維新後の1870年(明治3年)に浜御殿は宮内省の管轄となり、名前も浜離宮と改められ、明治天皇も度々訪れるようになる。1923年(大正12年)の関東大震災と1945年(昭和20年)の東京大空襲では、大手門や複数の御茶屋や樹木が焼失し、庭園自体も大きく損傷する被害を受ける。

戦後すぐGHQの要求で東京都に下賜され、1946年(昭和21年)に都立庭園として開園。1972年に他の都立公園とともに無料化されたが、1979年に再有料化されている。現在は中学生以上が300円(都内在住・在学中学生は無料)、65歳以上のシニアは半額。

中の御門橋は汐留川に残る唯一の橋。架け替えられているが、江戸時代と同じ位置にある。橋を渡って中の御門口で入場料を払って入る。中の御門は江戸初期から大正時代まで使用されていたが、関東大震災で橋が落ちて撤去されたのを2005年に再整備したもの。

一般的な大名庭園は、池の周囲に平らな場所や築山を配置した池泉回遊式庭園という様式が多いが、この庭園は南側の池泉回遊式庭園の他に北側が芝生の広場になっている。かつては北側に建物群、南側に庭園を備えていた名残。

海水を引き入れた潮入の池は珍しいもので、海に面した立地を生かした独特の景観を造り出している。干潮の時期は内堀の底が見えてしまうくらい干上がり、満潮時は溢れんばかりの水が流れ込む。都内の江戸庭園では唯一の海水の池で、ボラやハゼ、ウナギなどが棲息している。庭園の面積は約25万平方mあり、東京ドーム約5個分に相当する。

まずは南側の池泉回遊式庭園へ向かう。中の御門口から真っ直ぐ進み、突き当りの可美真手命像を右手に曲がって南に進む。この像は1894年(明治27年)に明治天皇の銀婚式を記念して陸軍省が行った懸賞募集に当選した作品(下の写真2)。可美真手命(うましまでのみこと)、もしくは宇摩志麻遅命(うましまぢのみこと)あるいは味間見命(うましまみのみこと)は物部氏、穂積氏、采女氏らの祖。

御庭口御門跡の立札のある四つ角をさらに右手に進み、水路に架けられた三間橋に進むと潮入の池の北側部分が広がる。橋を渡ると八景山。今となっては何が八景からは分かってないが、ここからの池の眺めも素晴らしい。周りに高層ビルが見えるのがアンマッチなんだけど、東京らしくて悪くない。

一旦池を離れて西の林の中にある新銭座鴨場へ。園内に2か所ある鴨場の一つで江戸中期の1791年に築造されたもの。鴨場は林の中に3mほどの土手で囲まれた池と樹林で、鴨が安心して休息できるように外部と遮断した場所。引堀と云う細い堀に鴨をおびきよせて捕まえていた。江戸時代は鷹を使かい、離宮時代は叉手(さで)網で掬い取っていた。全体を監視する大覗と引堀の奥の小覗が復元されている。

ヨーロッパの馬術を練習していたと云う馬場(内馬場)跡を横切って池の南側に戻ると1710年頃に観音堂が建てられていたところに出るが、ここからの池の南西部の眺めも素晴らしい。観音堂の隣には鐘楼堂もあったそうだが、今は石段が残るのみ。

先に進むと、池の両岸と中島、小の字島を結ぶお伝い橋の袂に出るが、ここから橋と島、対岸、さらに汐留の高層ビル群が見事。そのまま東南に歩くと石段で富士見山に登るが、ここからの景色も素晴らしい。明治までは名前のとおり富士山が見えていた。

庭園の最南部の角辺りに進むと、汐留の高層ビル群が一望できる。右から電通本社ビル(48階建)、東京汐留ビルディング(37階建)、(当時)日本通運本社ビル(28階建)と東京ツインパークスのレフトウィングとライトウイング(共に47階建)。

庭園の東、実際には南東部は元々は東京湾に面していたが、現在は埋め立てられて隅田川の河口になっており防潮堤で仕切られて南側の汐留川と北側の築地川が流れ込む汽水域になっている。

南端にはウォーターズ竹芝の竹芝地区船着場があり、汐留川水門がある。この船着場(ウォーターズ竹芝前)からは浅草やお台場、両国、葛西、豊洲方面への水上バスやクルーズ船等が運航している。この時もちょうど東京水辺ラインのこすもす丸が水門を潜っていた。汐留川水門は1969年完成の複葉ローラーゲート。

その上流には1970年完成の浜離宮排水機場があり、さらに先にはスイングゲートの築地川水門がある。これも1969年完成。写真ではよく分からないが築地大橋のアーチの手前。

汽水域と水門でつながり、潮入の池の水位を調整している横堀に架かる海手お伝い橋から潮入の池の東岸に戻る。横堀と潮入の池の間に架かる中の橋の上に立つと、潮入の池から中島、そして後ろ側の高層ビルの眺めが素晴らしい。

家の左手に建つのがイタリア公園の横に建っていたアクティ汐留(58階建て)で、右手の東京ツインパークスとの間の少し先にあるのが37階建てのパークコート浜離宮ザ・タワー。反対側、横堀側を見ると先に勝どきザ・タワー(53階建て)や58階建てのツインタワーのザ・トーキョータワーズが見える。すごいタワマンが沢山あるんだねえ・・・

潮入の池の北東角には御亭山(おちんやま)。標高は約3mしかないが、頂上に登ると園内の四方を見渡すことが出来る。高層ビル群の間に東京タワーも見える。

潮入の池の北岸には3つの茶屋がある。外出中の将軍の休憩のために設けられた小さな建物のことで、江戸時代の将軍は、御茶屋を利用して客をもてなす習慣があった。また、池のそばに設けられた御茶屋からは水辺の風景を一望できるため、月見や夕涼みをするのにも絶好の場所だった。

浜離宮の茶屋は戦争で焼失したが、近年になり再建されている。御亭山に近い松の御茶屋は2010年に再建。お伝い橋の北側の燕の御茶屋は2015年に、鷹の御茶屋は2018年に復元された。いずれも11代将軍家斉の時代に建てられたもの。

1983年に復元されたお伝い橋を渡った中島にも中島の御茶屋がある。元は1707年に建てられて焼失したものを橋と同時に復元したもので、カフェと休憩所になっている。お伝い橋は総延長118mある総檜造りの橋で、2012年に改修されている。北岸との間にある小の字島は漢字の「小」の字に似ているところから名付けられた。

入場から約30分、次の予定もあるので庭園の北西角にある大手門に向かう。鷹の御茶屋の裏手から北東方向に進むと内堀の手前に花木園があり(下の写真2)、あずま屋の休憩所もある。この時期は残念ながらなにも咲いてなかったが、すぐ後ろに高層ビルが立ち並び、迫力ある。

内堀は城を守る堀ではなく水運のための堀。飢饉対策のための籾米を運搬、貯蔵するための水運水路という役割を持っていた。物資を荷揚げするための階段状の荷揚げ場が設置されている(下の写真3)。籾米の貯蔵倉は、内堀の内側の現在の内堀広場に建っていた。

内堀の西側に開けたところには1869年(明治2年)に近代日本初の迎賓施設として整備された延遼館が建っていた。面積1380平方mのコの字型建物で、幕末に海軍施設として建設された石造建築物を改修したもので、多くの国賓を迎えたが、1889年(明治22年)に老朽化のため解体された。

内堀沿いは馬場だったところ。北側の突き当りにある三百年の松はおよそ300年前の1709年、6代将軍家宣が庭園を大改修した時にその偉業を称えて植えられた黒松。両脇から見ると後方に幹の根元が見え、その太い幹から前方にいくつもの枝が低く張り出している。都内では最大級の黒松。

10時20分頃、大手門を出る。浜離宮への入口はこの大手門と入場した中の御門と、さらに庭園の東南角に水上バスの発着所がある。今回は内堀の先の内堀広場からお花畑、旧稲生神社、この発着所、将軍お上がり場、横堀水門、樋の口山、汐見の御茶屋跡、庚申堂鴨場などは時間がなくて回らなかった。広いんだよね。

大手門を出ると築地川に大手門橋が架かる。築地川は隅田川の佃大橋辺りから分流して浜離宮辺りで再合流していた川だが、現在は離宮の北側部分しか残っていない。大手門橋は、1654年に、木造の橋として造られたが関東大震災により焼失。現在の橋は翌1924年に架けられた石造りの橋(下の写真4)。

大手門橋を渡ると汐先橋交差点になる。電通本社ビルと住友不動産汐留浜離宮ビルの間の道の上を高速道路が走っているが、この道がかつての汐留川の跡(下の写真5)。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8616853511717930&type=1&l=223fe1adec


新橋駅へ出て、国立競技場へ向かうが、続く

  • 写真1 可美真手命像

    写真1 可美真手命像

  • 写真2 花木園

    写真2 花木園

  • 写真3 内堀荷揚げ場

    写真3 内堀荷揚げ場

  • 写真4 大手門橋

    写真4 大手門橋

  • 写真5 汐先橋交差点

    写真5 汐先橋交差点

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