熱海旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2021年12月20日(月)4時15分、伊豆大島から熱海港に到着。海岸沿いを10分ほど北に歩く。海岸沿いにまで迫った山腹にずらりとビルが立ち並ぶ景色は独特(下の写真1)。5か月前に悲惨な土石流災害が発生したのはこの見えている地区の反対側(奥)。<br /><br />熱海には40数年前前、独身時代に会社の友人たちと泊ったことがあるが、車で箱根から下田に行く途中で泊まっただけで、場所も来宮駅の上の方の国民宿舎だったし、熱海の街のイメージはまるでない。ちなみにその国民宿舎熱海ビレッジ、その後、うたゆの宿熱海四季ホテルになったのだが、3ヶ月ほど前(2021年9月末)に廃業していた。やっぱコロナの所為かしら。ちょっと悲しい・・・<br /><br />10分ほど歩くと糸川と云う熱海中心部を流れる小さな川に架かる熱海渚橋に到着。糸川は熱海市北部に位置する標高約700mの岩戸山から熱海市街地を貫流して熱海港に注ぐ流路延長2.9kmの川。この熱海渚橋から上流300mが糸川遊歩道として整備されている。<br /><br />糸川の両岸に遊歩道があり、中央部には広場が設けられ、植栽は熱海桜をはじめ、四季を通じて楽しめるような樹種が選定されている。それぞれの橋の欄干を彩るユニークな海の生き物のオブジェも特徴的。また、ライトアップされる夜は雰囲気が一転し、昼と夜、気分に合わせてそれぞれ楽しめる。<br /><br />熱海渚橋は遊歩道の一番最後(河口側)の橋で下田市と小田原市を結ぶ国道135号が走っており、上流側に渚歩道橋が併設されている。円形のサイトグラスで飾られており、一つ一つデザインが違っている。一つ上流の柳橋は波をモチーフにしたダイナミックなデザイン。<br /><br />糸川左岸(北側)を遡って行くと糸川橋。欄干に白いカモメと緑の木がデザインされている。この遊歩道で、もっとも色彩鮮やかな橋。人工的なものを、いかに熱海の町並みの環境に自然に溶け込んでゆくかを意識してデザインしたもの(表紙の写真)。<br /><br />橋のたもとには熱海桜基準木。咲き具合の基準となる木で、開花状況がここで決められる。 熱海桜は、1871年(明治4年)頃イタリア人によって、レモンやナツメヤシとともに熱海にもたらされ、現在では市内各所に植栽されている。開花期は1月で、日本で最も早く花が咲く品種で、ひとつの枝に早期に開花する花芽と後期に咲く花芽が形成されるため、開花期間が1ヶ月以上と長い。熱海市制40周年にあたる1977年に市の木に制定された。<br /><br />桜橋を過ぎたところに明治の文豪、坪内逍遥の歌碑。逍遥は熱海をこよなく愛し、1912年(明治45年)、53歳の時にこの糸川へりの荒宿(現在の中央町)に別荘を新築し、9年間住んでいた。刻まれているのは「近き山に雪は降れれど常春日 熱海の里に湯気たちわたる」と云う熱海を詠んだ歌。近くには波をバックにした亀とマンボウのモニュメントも。<br /><br />その先に進むと欄干が龍を模しているドラゴン橋。見た目も名前もひときわ目立つ。広場や舞台として使える構造になっており、橋の上でイベントが開催されることもある。昭和の終わりに市職員達が話し合い、「話題になるようなものにしよう」と云うことでデザインされたそうだ。期待通り富士フイルムのテレビCMのロケ地になり、知名度が向上したそうだ。<br /><br />欄干に柳の木と2人の男女をモチーフにした透かし彫りがある新柳橋(表紙の写真)を過ぎると今度はタコのモニュメント。遊歩道の一番奥は徳川家康が熱海に御成りになったことに由来して名付けられた御成橋(写真なし)。徳川家康熱海入湯句碑が掲げられている。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8927956503940961&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />御成橋で右折すると次の四差路の向いにえらくかっこいい建物(下の写真2)。100年以上前の1918年(大正7年)創業の老舗和菓子店の本家ときわぎ。この立派な建物は戦争中の火災で焼失した後、終戦直後に京都から宮大工を招き入れ、およそ2年半もの歳月をかけて1948年(昭和23年)に完成したもの。今回は疲れてたので寄らなかったのが残念。<br /><br />この本家ときわぎのはす向かいがこの日の宿の熱海ニューフジヤホテル。港から約20分歩いて4時40分頃無事到着。このホテル、熱海でも最も大規模なホテルの一つで東京オリンピックのあった1964年創業。本館と別館との2棟からなり、客室総数は350室。かつては地下(現在の大浴場の男湯の場所)に映画館があり、室内プールにボウリング場もあった高級ホテルだった。<br /><br />1947年に海岸通りにニューフジヤとして開業した熱海富士屋ホテル(1999年廃業)と共に熱海富士屋グループを形成していたが経営が悪化し事業譲渡され、現在は伊東園ホテルズの格安ホテルとしての再生が試みられている。<br /><br />早々にチェックインを済ませ部屋に落ち着くが、不必要なツインの部屋(下の写真3)。十分以上やわ。この日は早朝から動き回ってたので1時間ほどウトウトしてからまずは別館にある露天岩風呂の家康の湯へ。もちろん家康が熱海で温泉に入ったことから名付けられている。広々とした岩に囲まれた露天風呂で疲れが癒される。<br /><br />夕食ビュッフェは6時半と6時50分からのそれぞれ70分だったが、6時50分でお願いしたので、7時前に別館の宴会場へ(下の写真4)。アルコール含むフリードリンクのビュッフェスタイルの夕食で、酒の種類も食べ物の種類も十分。アルコール込みのビュッフェは初めてだが嬉しい。と云っても飲み見過ぎてはいません、悪しからず ^_^<br /><br />夕食後は部屋でまったりして、9時半前には本館地下の大浴場へ(下の写真5)。このホテルに3ヶ所ある中で一番広いもの。広い湯舟を独占やった。よく暖まった。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8927967100606568&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />4日目終了、最終日に続く

静岡 熱海 糸川遊歩道(Itokawa river Promenade,Atami,Shizuoka,Japan)

4いいね!

2021/12/20 - 2021/12/20

2328位(同エリア2996件中)

旅行記グループ 2021冬青春18きっぷ

0

5

ちふゆ

ちふゆさん

2021年12月20日(月)4時15分、伊豆大島から熱海港に到着。海岸沿いを10分ほど北に歩く。海岸沿いにまで迫った山腹にずらりとビルが立ち並ぶ景色は独特(下の写真1)。5か月前に悲惨な土石流災害が発生したのはこの見えている地区の反対側(奥)。

熱海には40数年前前、独身時代に会社の友人たちと泊ったことがあるが、車で箱根から下田に行く途中で泊まっただけで、場所も来宮駅の上の方の国民宿舎だったし、熱海の街のイメージはまるでない。ちなみにその国民宿舎熱海ビレッジ、その後、うたゆの宿熱海四季ホテルになったのだが、3ヶ月ほど前(2021年9月末)に廃業していた。やっぱコロナの所為かしら。ちょっと悲しい・・・

10分ほど歩くと糸川と云う熱海中心部を流れる小さな川に架かる熱海渚橋に到着。糸川は熱海市北部に位置する標高約700mの岩戸山から熱海市街地を貫流して熱海港に注ぐ流路延長2.9kmの川。この熱海渚橋から上流300mが糸川遊歩道として整備されている。

糸川の両岸に遊歩道があり、中央部には広場が設けられ、植栽は熱海桜をはじめ、四季を通じて楽しめるような樹種が選定されている。それぞれの橋の欄干を彩るユニークな海の生き物のオブジェも特徴的。また、ライトアップされる夜は雰囲気が一転し、昼と夜、気分に合わせてそれぞれ楽しめる。

熱海渚橋は遊歩道の一番最後(河口側)の橋で下田市と小田原市を結ぶ国道135号が走っており、上流側に渚歩道橋が併設されている。円形のサイトグラスで飾られており、一つ一つデザインが違っている。一つ上流の柳橋は波をモチーフにしたダイナミックなデザイン。

糸川左岸(北側)を遡って行くと糸川橋。欄干に白いカモメと緑の木がデザインされている。この遊歩道で、もっとも色彩鮮やかな橋。人工的なものを、いかに熱海の町並みの環境に自然に溶け込んでゆくかを意識してデザインしたもの(表紙の写真)。

橋のたもとには熱海桜基準木。咲き具合の基準となる木で、開花状況がここで決められる。 熱海桜は、1871年(明治4年)頃イタリア人によって、レモンやナツメヤシとともに熱海にもたらされ、現在では市内各所に植栽されている。開花期は1月で、日本で最も早く花が咲く品種で、ひとつの枝に早期に開花する花芽と後期に咲く花芽が形成されるため、開花期間が1ヶ月以上と長い。熱海市制40周年にあたる1977年に市の木に制定された。

桜橋を過ぎたところに明治の文豪、坪内逍遥の歌碑。逍遥は熱海をこよなく愛し、1912年(明治45年)、53歳の時にこの糸川へりの荒宿(現在の中央町)に別荘を新築し、9年間住んでいた。刻まれているのは「近き山に雪は降れれど常春日 熱海の里に湯気たちわたる」と云う熱海を詠んだ歌。近くには波をバックにした亀とマンボウのモニュメントも。

その先に進むと欄干が龍を模しているドラゴン橋。見た目も名前もひときわ目立つ。広場や舞台として使える構造になっており、橋の上でイベントが開催されることもある。昭和の終わりに市職員達が話し合い、「話題になるようなものにしよう」と云うことでデザインされたそうだ。期待通り富士フイルムのテレビCMのロケ地になり、知名度が向上したそうだ。

欄干に柳の木と2人の男女をモチーフにした透かし彫りがある新柳橋(表紙の写真)を過ぎると今度はタコのモニュメント。遊歩道の一番奥は徳川家康が熱海に御成りになったことに由来して名付けられた御成橋(写真なし)。徳川家康熱海入湯句碑が掲げられている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8927956503940961&type=1&l=223fe1adec

御成橋で右折すると次の四差路の向いにえらくかっこいい建物(下の写真2)。100年以上前の1918年(大正7年)創業の老舗和菓子店の本家ときわぎ。この立派な建物は戦争中の火災で焼失した後、終戦直後に京都から宮大工を招き入れ、およそ2年半もの歳月をかけて1948年(昭和23年)に完成したもの。今回は疲れてたので寄らなかったのが残念。

この本家ときわぎのはす向かいがこの日の宿の熱海ニューフジヤホテル。港から約20分歩いて4時40分頃無事到着。このホテル、熱海でも最も大規模なホテルの一つで東京オリンピックのあった1964年創業。本館と別館との2棟からなり、客室総数は350室。かつては地下(現在の大浴場の男湯の場所)に映画館があり、室内プールにボウリング場もあった高級ホテルだった。

1947年に海岸通りにニューフジヤとして開業した熱海富士屋ホテル(1999年廃業)と共に熱海富士屋グループを形成していたが経営が悪化し事業譲渡され、現在は伊東園ホテルズの格安ホテルとしての再生が試みられている。

早々にチェックインを済ませ部屋に落ち着くが、不必要なツインの部屋(下の写真3)。十分以上やわ。この日は早朝から動き回ってたので1時間ほどウトウトしてからまずは別館にある露天岩風呂の家康の湯へ。もちろん家康が熱海で温泉に入ったことから名付けられている。広々とした岩に囲まれた露天風呂で疲れが癒される。

夕食ビュッフェは6時半と6時50分からのそれぞれ70分だったが、6時50分でお願いしたので、7時前に別館の宴会場へ(下の写真4)。アルコール含むフリードリンクのビュッフェスタイルの夕食で、酒の種類も食べ物の種類も十分。アルコール込みのビュッフェは初めてだが嬉しい。と云っても飲み見過ぎてはいません、悪しからず ^_^

夕食後は部屋でまったりして、9時半前には本館地下の大浴場へ(下の写真5)。このホテルに3ヶ所ある中で一番広いもの。広い湯舟を独占やった。よく暖まった。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8927967100606568&type=1&l=223fe1adec


4日目終了、最終日に続く

PR

  • 写真1 熱海の街並み

    写真1 熱海の街並み

  • 写真2 熱海 本家ときわぎ

    写真2 熱海 本家ときわぎ

  • 写真3 ホテルの部屋

    写真3 ホテルの部屋

  • 写真4 ホテル宴会場

    写真4 ホテル宴会場

  • 写真5 ホテル大浴場

    写真5 ホテル大浴場

4いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

旅行記グループ

2021冬青春18きっぷ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP