2023/01/31 - 2023/01/31
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164-165さん
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この旅行記スケジュールを元に
クリスマスイブにラインをして、シャンパンで酔った勢いで、私の半ば強制的な要望に、妹が招待してくれることになった。
ちょっと回り道だが、まだ行ったことがない日光に寄り道することにした。
NHK大河ドラマ『どうする家康』の放送が始まり、日光東照宮がますます人気になりそうなので、先行して訪問することにした。司馬遼太郎の『覇王の家』も読み、準備万端出掛けました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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先ずは、華厳の滝を見物して。
華厳滝 自然・景勝地
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家光公霊廟を駆け足(普通の人の倍位時間が掛かる)で回って
日光山 輪王寺 大猷院 寺・神社・教会
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それでも、感激して
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日光東照宮へ来ました。
制限時間は1時間です。(列車の予約時間より)日光東照宮 寺・神社・教会
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いざ、出発!
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石段をゼイゼイ言いながら登って
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最初に現れる『石鳥居(いしどりい)』がすでに重要文化財です。
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石鳥居(いしどりい)
九州筑前(福岡県)藩主 黒田長政公により元和4年(1618年)に奉納されました。
石材は九州から船で運ばれてきました。 -
重要文化財です。撮りこぼしの無い様に内面からも撮りました。
鳥居は「ここからは神域ですよ」という目印、門のような役目があります。型式は明神鳥居と言うそうです。 -
帰り道でも撮りました。
石川県羽咋市の気多大社の一の鳥居はコンクリート製の明神鳥居でしたが、正月にはお参りに通りました。しかし、劣化が進み90年ほどで撤去されてしまいました。方や、4百年前の物がほとんど無傷で残っているのです。 -
石鳥居をくぐって直ぐの左側に『五重塔』がそびえ立っています。
『五重塔』も重要文化財です。
私が馴染みのあるのは、石川県羽咋市滝谷町にある妙成寺の五重塔です。元和元年(1615)に加賀藩3代藩主前田利常の命によって着工し、同4年(1618)に完成した。ほぼ同年代です。東照宮五重塔 名所・史跡
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大河ドラマ『どうする家康』で、大森南朋さんが演じている「酒井忠次」の孫にあたる酒井忠勝公により奉納されました。火災により文政元年(1818)に若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠進公により再建されました。
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赤い壁や屋根裏の部分が目立ちます。私的にはもっと落ち着いた色が好みです。
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さらに進んで拝観受付所【日光東照宮単独拝観券】
大人・高校生 1,300円 -
有料エリアの階段を上ると『表門』ここも重要文化財に指定されています。
左右に仁王像が安置されています。ここにも赤 -
新厩舎(しんきゅうしゃ)・三猿 重要文化財
登って直ぐの左側に、人だかりができています。有名な三猿が長押の上に配置されています。さすがにここは赤がありません。馬が興奮してしまいます。日光東照宮 神厩舎 名所・史跡
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長押(読み)なげしとは
和室の壁面の鴨居のすぐ上の位置に、ぐるりと囲むように取り付けられる化粧部材。 -
日本で一番有名なサル
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猿の彫刻が8面あり、人間の人生を表す合計で16匹の猿が彫られています。
この日は馬はいなかったです。 -
馬小屋が重要文化財です。私の家よりはるかに立派な馬小屋
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家より広いかも!?
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唐銅鳥居(二の鳥居)重要文化財
二の鳥居は銅製。
扁額部分には、葵の紋が飾られています。
※扁額(へんが))とは、神社の鳥居や社殿、寺院の本堂などに掲げられている看板のことです。 -
テレビ『水戸黄門』シリーズで格之進が『この紋所が目に入らぬか!』と印籠を取り出した時の葵の御紋
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日本ではじめて造られた青銅製の鳥居で、高さ約6m 。その奥に陽明門が光り輝いていました。
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御水舍(おみずや) 重要文化財
御水舎は寛永13年(1636年)の築。水盤は 元和4年(1618年)九州佐賀藩主鍋島勝茂公により奉納された。
柱が花崗岩(白御影石)製なのは、水による腐食を考慮して作られています。。
鍋島勝茂
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍主力の一人として行動したが、父・直茂の急使により、すぐに東軍に寝返り、関ヶ原本戦には参加せず、西軍が敗退した後、徳川家康にいち早く謝罪したが、直轄領は9000石と減った。慶長12年(1607年)に勝茂は龍造寺家の遺領を引き継ぎ佐賀藩主となり、慶長19年(1614年)からの大坂の陣では幕府方に属した。 -
輪蔵(経蔵)重要文化財
元和6年(1620年)築造
経典を収納しておく蔵で、経蔵の内部には、八角形をした回転式の輪蔵が設置されているので、東照宮では輪蔵と呼んでいます。(内部は非公開) -
三神庫(さんじんこ)重要文化財
門を入った右手に下神庫(しもじんこ)、正面に中神庫(なかじんこ)、
左手に上神庫(かみじんこ)≪写真≫が独立して建てられています。下神庫 寺・神社・教会
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中神庫
神庫とは祭礼に使う祭具を入れる倉の意
上神庫の「想像の象」は見落としてしまった。下神庫は工事中でした。 -
回り灯籠
オランダ東インド会社から奉納された八角形の大きな回り燈籠
三つ葉葵の紋が逆で「逆紋の回り灯籠」 と呼ばれています。 -
日光東照宮「鼓楼」「鐘楼」【重要文化財】
陽明門の前に左右対称(シンメトリー様式)に立っています。向かって右が釣り鐘を収める鐘楼、左が太鼓を収蔵する鼓楼(写真)です。 -
鼓楼の後方にあるのが本地堂です。ここは、「鳴竜」の天井画で知られています。
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日光東照宮と言えば陽明門。国宝
平成の大修理を終えて絢爛豪華な輝きが蘇っています。徳川家光の命により寛永13年(1636年)の造営東照宮陽明門 寺・神社・教会
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正面7m、側面4.4m、高さ11.1m江戸時代の建築、工芸、彫刻、絵画のすべてを注入した最高傑作です。
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目貫の龍
龍は古代中国において王者の象徴であったので、天下人の家康の霊廟を護る霊獣として多く飾られています。
真っ白で目立ちました。 -
四角に囲った部分
胡粉塗りの真っ白な唐獅子。目、歯、爪が金で施されています。 -
絢爛豪華な極彩色の陽明門
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随身像
京都七条仏師の康音(こうおん)が造ったものです。等身大で今にも動き出しそうです。
随身とは貴人が外出する際の護衛役の役人 -
通路天井には狩野探幽作の昇竜と降竜が、装飾されております。
(昇り龍) -
(降り竜)
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廻廊(かいろう)【国宝】左側
陽明門の左右に延びる回廊で、外壁には我が国最大級の花鳥の彫刻が飾られています。いずれも一枚板の透かし彫りに、極彩色がほどこされています。
唐銅灯籠二基は島津家久が奉納です。 -
右側
注意してみれば、透かし彫りのパネルの下部に洋式の燭台があります。和式、唐式の壁面に洋風の燭台が不思議です。オランダ製のようです。 -
廻廊(かいろう)右側
右に二基ある燈籠は、ポルトガルから鉄材を取り寄せて造らせたという南蛮鉄燈篭で伊達政宗が奉納致しました。(写真にはありません)
政宗は家康が病に伏せった際には別間でずっと控えていたそうです。謀反の噂があったようですが、うかつなことはすまいと家康に見抜かれていたようです。 -
1枚の板から作られているので、失敗ができないのです。究極の職人技で作られました。大きい物で、2m×1mもの透かし彫りが繊細に彫られています。
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十二本の円柱にはグリという渦巻き紋様がありますが、その中の一本(本殿側の本殿からみて右)が逆さに成っています。(矢印の柱)
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魔よけの逆柱と呼ばれています。
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本殿側より陽明門
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装飾彫刻には唐獅子、竜馬、吐出棺獅と中国の故事に由来する琴棋書画などを配置しています。
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(吽形)
陽明門の本殿側のこの狛犬は大正5(1916)年に「追加」されました。よって、この木造の獅子は国宝ではありません。旅行記を書いているときに知りました。 -
(阿形)
折角なので載せました。 -
唐門 【国宝】
江戸時代には将軍に拝謁できる身分の幕臣・大名のみ、ここをくぐることを許されたそうです。唐門 寺・神社・教会
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唐門は貝殻をすりつぶした故粉で塗られた繊細な小さな門です。
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一般庶民は通ることはできません。
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唐門の左右から延びているのは東照宮東西透塀(すきへい)です。本殿・石の間及び拝殿を囲んでその延長は160メートルあまり有ります。
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東照宮東西回廊 [国宝]
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観光客がいたずらしないよう柵とカバーで厳重に保護していました。
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神輿舍 重要文化財
陽明門から入って左側の建物
東照宮の祭神の神輿(みこし)を収めてあります。
神輿は中央に徳川家康右に豊臣秀吉左に源頼朝の3基が収められています。
和様、唐様をミックスした建造物 -
境内右側には神楽殿 重要文化財
和様主体の建物で踊りを奉納する場所です。 -
神楽殿 重要文化財
神楽殿の内部は2部屋あり、本殿の方を向いている舞台と後方が装束の間になっています。 -
神楽殿裏側
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祈祷殿 重要文化財
本殿に入るための通路が手前にあります。 -
祈祷殿
現在では参拝者の御祈祷に使用され「上社務所」とも呼ばれています。 -
一本灯籠 重要文化財
本殿には参拝することはできますが撮影禁止です。 -
本殿の内部は外部に劣らず豪華で、驚きでした。
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坂下門 重要文化財
神楽殿と祈祷殿の間の先に在ります。ここに有名な眠り猫があります。 -
眠り猫 【国宝】
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左甚五郎作
この先の奥社拝殿[重文]・奥社宝塔 [重文]には時間がなく行けなかった。 -
家康が初めて結婚したのが15歳前後で瀬名姫(有村架純)でした。築山御前とも呼ばれました。以降、妻(正室・側室)は20人を超えるようです。
しかし、他に誰も一緒に埋葬されていません。
加賀藩祖前田利家の墓は前田家墓所内の最も標高の高い一角に築かれており、そのすぐ横には利家の正室・まつの墓があるのに比べるとどうなんでしょう。 -
実際の瀬名姫はそんなにかわいくも優しくもなく家康は疎んじていたようです。内通により家康の家来により殺害されるようですが、あのかわいい瀬名姫はドラマではどういう役回りを演じるのか今後が楽しみです。
家康は亡くなったのち、一年後に日光に移されたようですが、久能山に遺体が残っているという説もあります。いまだに謎です。 -
日光東照宮 三神庫(想像の象)が帰り道に何気なく撮った写真にかすかに写っていました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 毛利慎太朗さん 2023/03/19 15:15:24
- 「どうする家康」を見てる身なので、ワクワク
- 164-165さん、こんにちは。
私も大河見てまして、滝田栄や津川雅彦など名だたる名演技からしたら、今回の家康は随分ナヨナヨとした印象ではあるものの、展開が早めなので、歴史の勉強としてはいいかなとの思いで拝見してます。
瀬名姫は、従来の印象と違って、気が強い感じから、糟糠の妻みたいな印象ですが、この辺りの展開も含めて楽しんでるところです。
さて、予告通り別立てで東照宮を出されましたね。
以前別のフォロアーさんが山梨の北口浅間神社の旅行記を出したとき、ワタクシお恥ずかしながら「日光みたい」と話したことがあって、流石に「お金がかかってる日光は別格」と突っ込まれましたが、そのフォロアーさんの言う通り、彫刻のオンパレードでどこから触れていけばいいのか、迷うものですなあ。
陽明門の逆さ巻きの葵のについては、ご存知かと思いますが、何事も「完成」させてしまうと、あとは退化するだけ、常に「完成形」を目指しているという教訓的な教えが込められており、この点はテレビ番組などで多く取り上げられてますよね。
岩清水八幡宮の本殿などでも見られる装飾ですな。
それともう一つ気になった装飾があって、「目貫の龍」の下の「司馬温公のかめ割り」です。
花巻人形などの題材になってる物語でして、北宋時代に王安石と新法・旧法論争をした司馬温公が幼き頃、高価な水がめに落ちた友人を救うために、敢えてかめを割って救出した話が元となっており、天下をおさめる者に命の大切さを問うてる訳です。
ここは東照宮を訪れたらぜひ見たいと思ってる彫刻ではあります。
毛利慎太朗
- 164-165さん からの返信 2023/03/29 10:47:15
- Re: 「どうする家康」を見てる身なので、ワクワク
- にわか家康投稿記を書くには、歴史の勉強が不足でずいぶん時間が掛かってしまいました。東照宮も下調べが不足で多くの写真が撮れなかったのが反省点です。「逆さ巻きの葵」「司馬温公のかめ割り」の逸話は聞いていました。
どうする家康の瀬名姫は司馬遼太郎の「覇王の家」の妻とは全くイメージが違っていたので驚いています。武田と内通するのが、テレビでどう表現するか楽しみです。
日光東照宮はいわばお墓ですよね。お墓参りに行くのは私の主義にはそぐわないのですが、栃木県地図塗りつぶしの目的もあり、あえて行ってきました。
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