座喜味城跡を見学します。締切済いつでも
- 投稿日:2023/08/27
- 5件
座喜味城跡
名所・史跡
4.00
恩納・読谷 観光 満足度ランキング 3位
城跡は座喜味部落北側の小高い丘、標高120m余の台地にある。中城城を築いたことでも評価され、その築城術は沖縄の歴史上、第一級の人物で忠臣としても知られる護佐丸の手による城である。初め護佐丸は山田城(国頭郡恩納村字山田)にいたが、中山王世子の尚巴志と北山王を滅亡させ、今帰仁城に入り、つぎに座喜味城を築いて、ここに移ったのである。
4.5
靄が立ち込める中、石段を上がって見学しました。国指定史跡である城跡には建物はないですが、アーチ状の石門は見応えがあります。... 続きを読む周りの石垣の石と比べて古いのは一目瞭然。天井部分にくさび石が入っていて、有事にはこの石を取り除くと、瞬時に崩れ落ちるとのこと。昔の人はうまく考えたものです。 閉じる
4.0
(199件のクチコミ)1~20件(全199件中)
座喜味城跡は、首里城跡、今帰仁城跡、勝連城跡、中城城跡らと並ぶ琉球王国のグスク及び関連遺産群の構成遺産。丘の上に造られた滑...
続きを読むらかな曲線の城壁がとても美しいです。城壁の外側も内部も芝生で覆われて、気持ちの良いスペース。また、城壁の上も平坦なので、回廊のように歩けます。なお、南側には世界遺産座喜味城跡ユンタンザミュージアムの広い駐車場があるので、車はそこに置けばOKです。
ところで、これを築城したのは、三山時代(1322~1429年)、北山の先の今帰仁城主の子であった護佐丸という人物。護佐丸は、父を死に追いやった現今帰仁城主を中山の尚氏が討つに際し、それに従い北山を滅ぼします。その後、北の守りの要としてこの城の築城を命じられ、城主となって王である尚氏の忠臣として力を尽くしますが、勝連城主であった阿麻和利も巻き込んだ護佐丸・阿麻和利の乱では、座喜味城から移っていた中城城で自害に追い込まれるという最期。座喜味城、今帰仁城、勝連城、中城城のそれぞれに深く絡んだ経緯がちょっと痛々しく感じられます。
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投稿日:2022/11/20
明後日朝、アリビラに泊まります。
正月に暖かいところで正月を迎えるので、ぜひとも普段は見に行かない初日の出を見たいです。...
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読谷で高台と言えば、「座喜味城跡」ですが、駐車場が狭かった覚えがあり、言っても見れないのではないか、と心配です。
座喜味城で初日の出を見た!、なんて方は少ないかもしれませんが、何か情報があれば教えていいただければ大変嬉しいです。
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駐車場は前と後ろの二か所あります。前側は20台程度停まれますが、後ろ側は、もっとたくさん止められます。前の駐車場から一方通... 続きを読む行路を城を右側に見て進み、突き当りを左折しないで右折するとすぐ右側に駐車場が見えてきます。城壁がありためにここに停めても、ぐるっと回って正面に来ないと城の中には入れません。でも、歩いて5分程度です。沖縄はこの時期天候不順で、なかなか初日の出がみられません。日の出は東海岸です。折角西海岸に宿泊するのですから、この年最後の日の入りを見られtらいかがですか?本土は天候不良のようですが、沖縄はこの日は天候良いですよ。(by mss天邪鬼さん) 閉じる
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