2022/12/12 - 2022/12/12
2位(同エリア326件中)
たびたびさん
- たびたびさんTOP
- 旅行記736冊
- クチコミ35331件
- Q&A回答420件
- 5,369,433アクセス
- フォロワー666人
旅の二日目は、レンタカーで国東半島を巡る旅。富貴寺や熊野摩崖仏、真木大堂とか豊後高田市の方は観光バスで回っていますが、両子寺とか国東市側の方は手付かずでしたからね。昨日の大分県立歴史博物館で六郷満山の予備知識も少し増えたし、少なくとも前回よりは感じることが多いのではないかと期待していざ出発です。
ここで改めて、六郷満山について。。
国東半島の中央にそびえる最高峰、両子山から放射状に伸びる谷に開ける6つの郷が六郷。六郷には、養老2年(718年)頃、仁聞が創建したと伝わる寺院群が点在し、それらは学問をするための本山(もとやま)、修行をするための中山(なかやま)、布教をするための末山(すえやま)の3つの群に分けられます。3つの群にはそれぞれ本寺があり、その下には末寺。本寺は、8寺、10寺、10寺の28寺で、末寺も合わせた計65寺の総称が六郷満山です。ただ、この中にはもうなくなってしまっている寺院もあるので、今では、改めて「国東半島霊場、国東半島三十三箇所」と整理されていて、これで言うと、今回回ったのは、回った順に以下の13か所。ちなみに、富貴寺は第二番、真木大堂は第四番です。谷と谷はショートカットできないので、けっこう行ったり来たり。全部回るというのはかなりハードルが高いのではないかと思います。
霊仙寺(第二十番、六郷満山末山本寺)
実相院(第二十一番、六郷満山中山分)
無動寺(第十番、六郷満山中山本寺)
応暦寺(第十一番、六郷満山中山本寺)
天念寺(第九番、六郷満山中山本寺)
長安寺(第八番、六郷満山中山本寺)
両子寺(第十三番、六郷満山中山本寺)
行入寺(第三十一番、六郷満山末山本寺)
神宮寺(第三十番、六郷満山末山本寺)
泉福寺(第二十三番、曹洞宗)
興導寺(第二十四番、空也創建)
文殊仙寺(第二十五番、六郷満山末山本寺)
岩戸寺(第二十六番、六郷満山末山本寺)
先ほど仁聞の創建と言いましたが、たぶん実際には古来国東半島にあった山岳信仰の場から始まって、奈良時代末期から平安時代にかけて徐々に寺院の形になったもの。その過程で、山岳信仰は宇佐神宮の八幡信仰や天台系修験とも融合し、神仏習合のユニークな山岳仏教文化が発祥したという流れです。ただ、八幡信仰は京都の石清水八幡、鎌倉の鶴岡八幡宮とか国家の守護神、武家の神様として全国に広がり、神仏習合もむしろベースとしてはそれがスタンダードになるくらい浸透するというのがすごいところ。別当寺とか中宮寺とか神社と寺が一体となった姿は当たり前のことで、明治以前は誰も違和感は持ちませんでしたからね。
ところで、ここからは、私の感想ですが、神仏習合の神と仏は同じといった一元論はとても日本的。七福神だってヒンズー教や道教の神様が混じっていて、あまり区別をするのは得意ではない。むしろいろんな要素をなんとか整理しながら折り合いをつけていくという方がむしろ日本では普通です。本覚思想では人と仏の関係を仏心という考え方で実質一つにしてしまいましたし、江戸期の近松門左衛門は心中物の中で義理に縛られるこの世とそこから解放されるあの世の対比で、儒教と仏教の関係を見事に描きました。明治維新以降の和魂洋才なんかも整理の仕方としては似ているかもしれませんね。
六郷満山が栄えた平安期で言うと、山岳信仰が仏教に与えた影響も実は意外に大きい。少し概観すると奈良時代の南都六宗は唐時代の仏教が入ってきたものですが、インド哲学の系譜の視点から言っても各宗派をバランスよく網羅的に受け継いでいました。その後、最澄によって隋時代の天台宗が加わりましたが、それらの中で中国で最も隆盛を誇った教義は天台と華厳です。ご存じの通り、奈良時代の聖武天皇が深く帰依したのは華厳経。東大寺を始めとして毘盧遮那仏を中心とする縁起の世界観ですが、はるか遠くに遡るとこれはインド哲学の唯識論派の伝統を受けていて、真実の世界と現実の世界はそれぞれ別であるという考え方なんですね。為政者にはそれが好まれた反面、結果的には、日本ではこの考え方は根付きませんでした。これに対して、天台宗は唯名論派の流れであり、別ではないとする諸法実相の考え方。ただ、二つの関係を説くのに、龍樹の唱えた仮・空・中の中観思想などを使います。なかなか難解で高度な内容なのですが、”人と自然は一体”的な山岳仏教の立場からするとこうした天台の教義はたぶんあまり違和感がない。例えばこの山は神様である。山岳修行の中でそれを感得する過程は中観思想の説くものと似ているような気がします。インドでは仏教に代わってヒンズー教が復活し、中国や朝鮮では時代とともに仏教が廃れ儒教が中心となっていったりしましたが、日本は仏教が基本という姿はあまり変わりませんでした。その要因の一つは、平安時代になって最澄、空海が山岳仏教と距離を縮めたことで、難解な思想が具体的な実感を持てるものになったからではないか。学問が中心の奈良仏教が平安仏教によって日本的な仏教に変わったとされていますが、山岳信仰はその辺りに大いに関係しているわけですね。さらに言えば、外からもたらされた宗教や思想も従来からあるものもお互いが影響しあって、日本的な熟成をしていく。そうしたことはあちこちで起きていたのであり、その一例がこの国東半島には比較的良好に残されている。そういう理解もできるのではないかと思います。
PR
-
宇佐のホテルから、朝イチのバスで宇佐駅に到着。
-
ここから、レンタカーを予約していたトヨタレンタリース宇佐駅前店に向かいます。宇佐駅からだと歩いて数分の国道沿いです。宇佐駅から歩いて行ける範囲のレンタカーはたぶんここだけ。かなりありがたい存在です。
-
ここから国東半島を目指しますが、その前に豊後高田の郊外で少し気になっていたところをいくつか。
三光寺は、豊臣家ゆかりの寺という説明板がありまして。 -
立石藩主、豊臣俊清なる人物の発願による寺とありました。豊臣俊清というのはねねの兄、木下家の家系で、関ヶ原の功により豊後日出三万石を拝領した延俊の四男を祖とする立石木下家の11代。明治を迎えたというので、遠いような近いような関係かな。
なお、寺はごく普通の構えです。 -
変わったところで、これは青宇田画像石。
-
階段を上るとその先に保存・展示室。
-
これは、南北朝時代の末期、浄土教の教えを板状の石に線刻したもの。
-
少し風化しているのか見えにくくなっていますが、それでも多くの仏さまが並んでいる姿とかはそれなりに確認できました。
-
何というかシリアスなものではなくて、素人っぽいほんわかした絵ですね。
なお、無人の展示室は自分で開けて入れます。 -
こちらは、入津原丸山古墳。長径約77mの帆立貝形古墳。グーグルマップで訪ねましたが、細いくねくねした路地を入って行くのでかなり不安です。そして、民家の敷地の端っこを入って行く田んぼの先の方。容易には近づけないし、これは全然おすすめできません。
-
真玉海岸を目指して国道を走っているとその脇に分かれる道があってそのすぐ先に見えるのが恋叶トンネル。人道トンネルで、この中には60もの壁画アート作品が描かれています。ただ、外から見るとちょっと暗いんですよね。目が慣れると何ともなかったのかな。暗いので入り口から少し覗いて終わりにします。
-
そこから少し走って、真玉海岸です。
大分県で唯一水平線に沈む夕陽が見られる海岸とありましたが、 -
さらには遠浅の海岸にできる干潟が現れる条件ではないとその美しさは絶景とはならないよう。
夕陽の時間ではないし満潮でもあるしで、これじゃだめですね。それなりに期待していたのですが、良さはほとんど感じられませんでした。 -
さて、ここからが本番。いよいよ国東半島の山中に入って行きますよ~
まずは、霊仙寺を訪ねます。で、ほどなく、そのエリア、夷谷に到着したようで、耶馬渓になぞらえて夷耶馬と書かれた展望所がありました。 -
ただ、荒れた岩山にほわんと木々が生えた光景はけっこう広範囲で見られるので、ここがベストポイントといったはっきりした場所はないような。車で走りながらでも十分雰囲気は感じれます。
-
これが霊仙寺。国東半島霊場、国東半島三十三箇所の二十番。本山(学問)・中山(修行)・末山(布教)の3群に分類される六郷満山の末山本寺の古刹です。
冒頭触れましたが、仁聞が養老2年(718年)に創建したと伝わるのは六郷満山に共通です。
赤い楼門と九州随一の巨像である地蔵尊も見えていますよ~ -
寺まで続く細い道は車が停めれないので歩いて
-
赤い楼門を入って
-
これが本堂。
霊場なので御朱印とかはあるんでしょうが、人の気配はほとんどなし。 -
奥に進んで、本堂横に高さ4.42m。九州随一の巨像である地蔵尊が建っていて、見どころはこれくらいですね。
-
霊仙寺の隣りが実相院。ここも霊場ですけど、
-
さらに何にもないですね。まあ、来るものを拒むようなことはないので、それでよしとしましょう。
-
霊仙寺、実相院と並んでもうひとつ並んでいるのがこの六所神社。
六所神社は霊仙寺の奥の院。実相院は六所神社の境内にあって、霊仙寺の守護神を祀っていたという関係です。三つは明治の神仏分離の政策で切り離されたようです。 -
六所神社も、養老2年(718年)の創建とされていて、神功皇后、比売大神ほか、六人の神様が祀られています。
山門は寺院風。 -
入ってから、少し高台に建つ本殿を見上げる眺めがかっこいいですが、
-
上がってしまうと全景を見るアングルがないですね。
-
ここから少しどうして、無動寺です。六郷満山の中山本寺。国東六郷満山霊場の第十番です。
インパクトとしては背後の絶壁と山門とかの寺の建物のコラボですね。通りのすぐ脇に建っているのですが、この構えからしてここが特別な場所であるということが伝わってきます。 -
境内に上がってすぐが本堂。本堂内には薬師三尊をはじめといする仏像がいくつもあって、それなりの雰囲気。
-
ただ、何でしょうねえ。
ここも人の気配が全然なくて、こんなのでいいのかなあという感じです。 -
また少し移動して、今度は椿堂へ。
けっこう紛らわしいのですが、限られた場所には椿光寺、椿堂、椿大堂という三つの寺がありまして。
駐車場に車を停めて、最初の弘法大師像が建つのが、椿光寺。天念寺の十代目住職が宝暦10年(1760年)、四国を巡拝した後、この地に豊後四国八十八ヶ所を開いたのが始まり。境内の椿の大木の下に弘法大師を祀って、多くの参拝者に利益をもたらしたのだそうです。
椿堂と椿大堂は谷を挟んだ向かい側に見えています。 -
川を渡って、こちらが境内を共有する椿堂と椿大堂。
-
山門には、豊後四国八十八ヶ所総本山第四十八番札所「善通寺椿大堂」と第四十九番札所「椿堂」の名前が並んでいます。
-
入ってすぐの右手が椿大堂。
-
奥の正面が椿堂です。
-
椿堂の方には、見上げると黒髪とコルセット、杖がずらり。元気になる願いが叶って納めたものということですが、ちょっと異様な光景ではありますね。
椿光堂と椿堂、椿大堂の関係はよく分からないのですが、椿光堂は「椿大師元祖の寺」。椿堂、椿大堂の方は「本家」といっているようなので、ライバルのような関係かな。あまりよく分かりませんが、いずれにしても六郷満山ではなく後の時代のものですね。 -
続いては、応暦寺。六郷満山、中山の10ある本寺の一つですが、
-
今はこの薬医門形式の山門前に建つ石造りの仁王像が人気で、豊後高田市のふるさとCMにも登場したようです。
-
本堂では、榧の木の一本彫りで刻まれた平安時代の不動明王を安置しているのだとか。
-
ほか、「堂の迫 摩崖仏」という案内もありましたが、近所の人に尋ねると裏山をけっこう登っていった先の方だとか。なので、それは拝見するのは断念しました。
-
続いては、天念寺。六郷満山の中山本寺。第九番札所です。
お堂の後背には岩の絶壁から奇岩、巨岩。天念寺耶馬とも呼ばれるようです。
崖下に建つ姿は無動寺に似ていますけど、こっちの本堂は藁ぶき屋根。それも崖にへばりつくように建っていて、なかなかの迫力です。 -
入り口はここから。
-
人気がなくて、こここそ無住の寺のようですね。
-
がらんとした内部の
-
奥には
-
色白の阿弥陀如来ですけど、さほど古いものではないのかな。
-
天念寺には、旧暦の1月7日に行われる五穀豊穣や無病息災を祈願する伝統行事、修正鬼会というのがありまして。これは、仏の化身とされる赤鬼と黒鬼が松明を振り回す珍しい火祭り。片隅にはこんなパネル展示もありました。
-
その時に実際に使ったたいまつもありました。
-
天念寺のすぐ前には長岩屋川という川が流れていて
-
イチオシ
川中不動三尊は、その流れに臨む巨岩に刻まれた不動三尊の像。不動明王は、コンガラ童子とセイタカ童子を両脇に従えいかつい形相ですが、細い橋のかかる小島と周囲の青い水の色が相まって、独特の静寂さを醸し出しています。
-
濁流が襲うこともありそうですが、そういうのにも何度も耐えてきたのでしょう。想像するとそれもまた一興です。
-
天念寺は無住ですが、鬼会の里という資料館が併設されていて、こちらでは先ほど触れた修正鬼会で使われる鬼面や実際の映像をシアターで拝見することができます。
-
では、資料館の方に。
-
シアターで拝見すると村の伝統行事という雰囲気がよく分かりますね。真冬にわざわざここまで来るのは大変なので、まあ、これで良しとするでいいでしょう。
-
ほかは六郷満山の概要とか、長岩屋耶馬に架かる無明橋の実物大模型とか。
-
食堂もあったので、ここで少し早めのお昼。手打ちそばを食べながら、ちょっと一服です。
-
表に出て
鬼会の里の駐車場からすぐ見えているのは、長岩屋耶馬。天念寺の背後の山から続いています。
ポイントは、この写真の中央部に小さく写っている、長さ5.7mの石橋、無明橋。そびえたつ岩と岩をきわどく結んでいて、なかなかの眺めです~ -
また谷が変わって、今度は長安寺。六郷満山の中山本寺。国東六郷満山霊場の第八番です。
-
山の中腹に建つ寺は本堂の前をひょひょろッと伸びて行く奥の深い境内。
-
そこにイチョウやモミジが高揚真っ盛りで、あまりの美しさに目を奪われました。
-
たぶん、これは自然のものではなくて、ちゃんと植えたもの。
それが十分な年月を経てここまでになったのでしょう。 -
本堂の辺りとか
ここも人の気配が全くありませんが、 -
イチオシ
この紅葉はできれば多くの人に見てもらいたいものですね。
-
境内からは国東半島の山々もはるかに見渡せます。
-
長安寺の次は両子寺です。
並石ダムグリーンランドは、その途中。まずは、道の正面にダムが現れて、これを上がったところ。 -
ダム湖の周囲を整備した公園なんですが、ダム湖の周囲の山はゴツゴツとした岩山。どうかすると夷渓谷や夷耶馬よりこちらの方が迫力があるかもしれませんね。広い駐車場やちょっとした飲食店もあるので、ここに立ち寄る観光客もぼちぼちです。
-
両子寺に到着。ここは、国東半島の観光だと富貴寺と並んで定番中の定番。ずーっと気になっていましたが、やっと初訪問ですよ~
-
こちらも紅葉が真っ盛り。
-
参道はしっかりとした石垣が続いて
この辺りからしてちょっと違うなという感じ。 -
ここで山門から仁王像の方に戻って
そちらをまず確認といきましょう。山門をしばらく下って -
これが入口に建つ有名な石造の金剛力士像。
-
両子寺のシンボルともいえると思いますが、寺伝によれば文化11年(1814年)の作。
-
イチオシ
高さは230cmあって、国東半島でも最大級の大きさです。
流れるような着衣の表現や筋肉隆々の腕と強く握った拳のバランスとか。 -
力強い憤怒の形相と目にはしっかり黒目も入っているし、活き活きとした躍動感があって素晴らしいですね。
ところで、仏像というとリアルさや力強さで鎌倉期のものが注目されますが、私は完成度や美しさという面では江戸期のものの方が勝っていると思います。ただ、年代が新しいとか数が多いとかの関係でそれなりの評価になっているだけ。この仁王像も江戸期ということで、評価としては少し損をしているかな。明治以降の仏像はあんまりこれといったものがない印象だし、江戸時代の仏像はもう少し評価されてもいいように思いますけどね。 -
では、本堂の方へ向かいましょう。
-
大きな石垣の上に立派な建物が見えてきました。
-
この辺りの雰囲気もさすがですね~
-
六郷満山の中山、修行の中心地であり、六郷満山の総持院として満山を統括する立場にもあった寺。
-
イチオシ
別府駅発の定期観光バス 国東半島史跡めぐりでもコースに組み込まれていて観光客も多いので
-
あちこちそんな雰囲気、活気を感じます。
-
本堂の中へも入ってみましょう。
-
写真は禁止なのですが、ここまでならいいかな。
-
これもレプリカだと思いますので、お伝えしますね。
ちなみに、両子山は、国東半島の最高峰。高さ720.6mの山。本堂のところからまずは奥の院を目指し、そこから鎖を伝う登りがあって、1.7キロ、所要時間2時間半。入り口辺りを確認するくらいで精一杯かなと思います。 -
両子寺からは国東半島の東側。谷を下りながらのルート。行入ダムから行入寺に向かいます。
行入ダムは、シビックデザインダムというダムで、周囲の六郷満山文化と調和し観光資源として有効利用を図ろうとしたというのが特徴。 -
ただ、ダムのデザインはそれとして、ダム湖の周辺はきれいな公園。展望所とかもよく整備されています。
-
行入ダムからしばらく山間に上っていったところが行入寺。
宇佐神宮六郷満山霊場第26番札所で天台宗の寺。本尊は不動明王。
本堂の建物は幅広で堂々としていますが、逆に建物としてはそれしかないというシンプルな境内。情緒はあんまりないかもしれません。 -
続いては、六郷満山霊場の第25番札所、神宮寺。
駐車場から一段高い場所に境内とその境内いっぱいに横長の本堂が建っています。 -
本堂はどうかすると民家のようにシンプルな建物なのですが、前庭がよく手入れされていて
-
それと合わせると意外に雰囲気があると思います。
-
谷をさらに下って、これは泉福寺。永和元年(1375年)、大友氏の一族、田原氏能が創建した曹洞宗の寺。国東郡中随一の禅寺と言われます。第二十三番の札所ですが、六郷満山ではないというのは珍しいですよね。
総門から、 -
石段の上にははるかに山門、
-
イチオシ
山門を
-
くぐると
-
正面すぐに仏殿。
室町後期、大永4年(1524年)に建てられた本格的禅宗様仏殿で、堂々たる姿。国の重要文化財です。 -
内部を覗くと天井の組手はちょっと見たことがないような構造。複雑ですが、やっぱりこれも理に適っているんでしょうか。すごいことになっています。
-
さらに奥には、開山堂、本堂と伽藍が続いていて、まさに大寺の風格です。
-
谷を抜けて、平野部に出てきました。
これは、弥生のムラ 安国寺集落遺跡。国の史跡である弥生時代から古墳時代初頭にかけての貝塚、集落。公園内に復元された高床建物がいくつか建っていて、けっこうな迫力。弥生時代のムラをリアルに実感できますね。
なお、遺跡からは鍬、田下駄等の木製農具や建築部材、柱穴等が良好な形で出土したので、西の登呂とも呼ばれるよう。特殊な櫛目模様を付けた土器は、安国寺式土器と命名されています。 -
イチオシ
比較的近くにある安国寺は、応永元年(1394年)、名僧として知られる絶海中津を開山に迎えて建立。足利尊氏の命により全国68か所に建立された安国寺の68番目です。
石造の仁王像が立つ山門から -
もう一段石垣を上がって境内に入ります。
-
正面には本堂。
-
その脇の方から左手にはかなりよく整備された日本庭園。
メジャーな観光寺ではないはずですが、ここまでしているのはちょっとすごいなと感心しました。 -
国東市の市街に入りまして。
くにさき総合文化センターは、国東市役所に隣接する国東市の中心部。735名を収容するアストホールや会議室やギャラリーなどを備えた総合文化施設。広い駐車場に立派な建物が映えていて、とにかく街の総力を挙げて作ったみたいな感じの施設ですね。 -
ここから市街地を回って、海岸沿いを少し南下します。
桜八幡神社は、国東市庁舎から少し海側に向かったところ。中心市街の一角です。 -
保元2年(1157年)、宇佐八幡宮の分霊を祀り、創建された地元の神社。名前の通り、春には桜がきれいということですが、石橋から鳥居をくぐって、中門、本殿と境内はいい感じで古びているし、すがすがしい雰囲気。地元で大事にされてきたことが窺えます。
-
そのほど近くにある興導寺は、天徳3年(959)、空也上人が勅を奉じて勅願寺を創建したのが始まり。近くにある桜八幡社の別当でもある天台宗の古刹で、国東市の街中にあるのですが、六郷満山霊場の第24番札所です。
-
限られた広さの境内ですが、入ってすぐの本堂前に相撲の土俵みたいなところがあって、大きな梵字が書かれていました。まあ、それくらいです。
-
市街を抜けて、国道213号線を南下するとすぐに道の駅 くにさき。
黒津之庄は、道の駅くにさきの販売所。道の駅くにさきは、駐車場があんまり広くないし、 -
この販売所も広さはそこそこなんですが産直コーナーがイマイチであんまりおもしろくないですね。
-
少し離れたところに夢咲茶屋というのがあって、
-
こちらの方が産直はもうちょっと充実しているかなと思います。
夢咲茶屋は、大きく言えば道の駅くにさきと一体のような気もしますが、実感としてはやっぱり少し歩くし、独自の駐車場もあるので、これはこれなのかな。 -
ただ、この周囲は国東半島県立自然公園の黒津崎夢咲公園。遊歩道があって、海水浴場やキャンプ場がある松林の美しい海岸に続きます。
-
松林を抜けた海岸が黒津崎海岸。
沖合に波除の堤防があって、砂浜は海水浴場みたいにきれいです。おしり岩という名物があるのですが、それは道の駅くにさきからだとちょっと遠いです。 -
ここから引き返して、今度は文殊仙寺を目指します。
で、その途中にあるのが開運ロードとみくじ。国東市の富来港から文殊仙寺までの約10kmの道のこと。全長約10kmが10×千mで、とうせん。当選に引っ掛けたもののようですが、道の中ほどには富来神社があって、 -
富来は、富が来るですから、縁起がいいことはすぐに分かります。
ただ、実際にここにお参りして高額当選を果たした人がそれなりにいるというのは偶然ではないかもしれませんね。 -
鳥居から石橋を渡って、
-
中門から本殿へ。
けっこうしっかりした構えだし、雰囲気もやっぱりあるように思います。 -
文殊仙寺がある文珠山は、標高616.2m。国東半島では両子山に次ぐ高さです。
文殊仙寺はその中腹。駐車場から文殊仙寺までの参道はここが入口ですね。 -
旅のもう終わりの方だし、文殊仙寺はサクッと終わろうと思っていたのですが、駐車場から登り始めた石段の参道はけっこう長いじゃないですか。これはなかなかのものですね。
-
ここにも石造りの仁王像がありますけど
-
あんまり鑑賞している余裕はないですね。
-
とにかくこれを上りきらねば。。
-
イチオシ
本堂が見えてきました。
第二十五番、六郷満山末山本寺。大化4年(648年)、中国の五台山から迎えた文殊菩薩を本尊として役行者が創建。杵築藩主能見松平家の祈願所としても栄えました。裏は切り立った岩の壁。その前に本堂が悠然と建っています。
なお、文殊菩薩は秘仏なので12年毎の開帳の年にしか拝めません。 -
入り口から入って
-
まっすぐ奥の方に進んだ洞窟にこんなのがありましたが、
-
結局それくらい。
ちょっと期待を裏切られた感じですね。 -
岩戸寺もまあまあ有名かな。六郷満山霊場第18番札所です。
こちらも、見どころの一つは参道の石造り仁王像。文明10年(1478年)の銘があり、日本で最も古い石造仁王像とか。 -
正面の参道で
-
イチオシ
山門の方から
-
本堂の方を抜けて
-
裏手の方に進むと
国の重要文化財である鎌倉時代後期の国東塔。けっこうな迫力です。 -
岩戸寺からはまた谷を下って、国東半島の北東部を目指します。
ペトロ カスイ岐部公園は、その途中。少し高台の場所です。 -
ペトロ カスイ岐部は初耳ですが、なんでも大友氏の重臣だった父のもとでセミナリオで学ぶなどしていましたが、江戸期に入るとキリシタン追放令によってマカオへ追放。しかし、司祭になる目的を果たすため、マカオからエルサレム経由ローマにたどり着き、イエズス会士の司祭となる。改めて、禁教の日本に帰り、布教を図るも仙台で捕らえられ最後は江戸で殉教。後に福者に列せられたという人物。
-
なるほど、その壮大な旅の遍歴とキリスト教徒としての生きざまは確かに稀有な存在だと思います。
-
ペトロ カスイ岐部公園のすぐ裏手の方に回ったところ。国見ふるさと展示館は、明治初期に建てられて庄屋屋敷を活用した地元の資料館です。
-
玄関を入って
-
中に入るとすぐに展示室が続いていて
-
先ほど触れたペトロ カスイ岐部の足跡の説明や
-
国東半島の六郷満山の仏教文化をコンパクトに紹介したりと
バランスの取れた展示内容。 -
離れの方の二階では地元の画家や陶芸家の作品を展示しているコーナーもあって、
-
心地よい空間となっていました。
やっぱり建物全体に余裕があるので、それがいいんでしょうね。なかなか穴場の施設ではないかと思います。 -
胎蔵寺は、養老4(720)年、仁聞の開基と伝えらえる寺なので、六郷満山の寺のようですけどちょっと違うのかな。豊後高田市の方の胎蔵寺はそうなんですけどね。
細い石段の先に山門と石造の仁王立像。 -
石造の仁王像は、かなりユニーク。
-
イチオシ
個性がありますね。
-
ほか、大分県指定の文化財、木造地蔵菩薩立像、木造大日如来座像が地蔵堂にあるはずですが、それはよく分かりませんでした。
-
そのまま海岸部に出たところが道の駅 くにみ。国道213号線沿いの海を臨む開けた場所にあります。
-
たこめしとみかんをアピールしていて、特にたこめしが気になりましたが、食堂の方はもう閉まっていて残念。後で調べるとたこめしの素というのもあったようです。
-
公園専用のかなり広い駐車場を越えて、海の方に出るとくにみ海浜公園。
-
波除の堤防に守られたきめの細かい砂浜の沖合に見える島は姫島でしょうか。
なんにも考えずにのんびりと時間を過ごせそうな浜辺です。 -
ここからは海沿いの国道を通って宇佐に戻ります。
国東半島と姫島を結ぶフェリーの港、伊美港フェリーターミナルをちらりと拝見して
これは伊美別宮社。京都の石清水八幡宮の分霊を勧請し祀ったという神社で、秋季大祭の流鏑馬神事も有名だとか。 -
国見町伊美の集落にあって、周囲は砂地の松林なんですが、正面の楼門から境内を大きく木造の塀が囲み、なかなかの構え。予想外の威厳が漂っていて、ちょっと驚きました。
-
そして、最後は長崎鼻。国東半島の北側突端。周防灘に向かって鼻のように突き出した岬なのですが、不思議なことにたどり着いた駐車場はすり鉢のような地形の底といった場所。
-
周囲を丘に囲まれていて、岬といった感じではないですね。
ただ、公園みたいに楽しむとしたら、それはぴったり。春には菜の花、夏にはひまわりが咲くというのは想像すると確かに迫力があるでしょう。 -
長崎鼻の駐車場から少し歩いて海に出ると長崎鼻海水浴場。小さな入り江のような砂浜を防波堤が囲んで、なんともこじんまりとした海水浴場。ただ、長崎鼻に向かってくるアクセス道路から思うとこの景色には秘密の場所にたどり着いたような感覚があると思います。
-
さて、レンタカーを無事に返して
宇佐駅から別府駅に到着。
晩飯は、別府駅からすぐのお食事処とよ常。 -
かれいのから揚げ定食。から揚げも刺身もすべてがいけてますね。
こういうのを食べると今日の疲れが吹っ飛ぶ感じ。気に入ったので、この旅の期間中、何回か使うことになりました。別府駅周辺では最強のお店じゃないかなと思います。 -
今日の宿はホテルはやし。別府駅を出てすぐ目の前なので、これ以上ないロケーションです。
ただ、建物はかなり古びていて、まあオンボロ。部屋も狭いし、水周りとかかなり年季が入っていて、錆も目立ちますね。
反面、窓口の応対とかは要領がよくて、たくさんのお客さんが来ても堂々としたもの。で、その対応を見ているとこのホテルがスタンダードに思えてくるのが不思議なところ。考えてみるに、つまり、湯治場と比べるべきホテルなのかな。そう考えるとこのオンボロさは気にならないようになりました。
明日から二日間は、鉄輪温泉ほか別府の温泉地を巡ります。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
たびたびさんの関連旅行記
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
155