2010/05/23 - 2010/06/03
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mugifumiさん
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旧ユーゴスラビア4カ国の旅の4日目は、クロアチアのトロギール、スプリットを観光し、その後、ボスニアのネウムに寄り、再びクロアチアに入り、オレビッチ、宿泊地のコルチュラ島に向かいましたが、この旅行記は、これらの模様を「旧ユーゴスラビア4カ国の旅No.4<トロギール、スプリット、コルチュラ島など>」としてお届けいたします。
<巻頭写真の美しいこの街は、クロアチアの「プリモシュテン」というところです。>
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス 船
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
PR
-
<朝の散策にて>
<Mugio>
おはよう!ホテルの裏側から見たシベニクの夕日は美しかったね。
でも、薄暗くて海の様子がよく分からなかったのは残念だったよ。
<Mugiko>
などと言ってますが、その前にホテルイヴァン(HOTL IVAN)の感想を言いたい!という気持ちが表情に出ているわよ。
<Mugio>
今回は、ホテルのグレードなどはあまり気にしなかったけれど、このホテルはクロアチアでは4つ星ホテルだという話だね。
実際に、今日までに宿泊したホテルの中では一番よかったかな?
でも、私たちが宿泊した4階の535号室は、鍵が鍵穴式、ミニバー、ドライヤーはあるけれど、バスタブはないから高級感はないね。
それに、昨夜の夕食は「普通より落ちる」と感じたね。
-
<美しい朝焼け>
<Mugiko>
良いのか悪いのかよく分からない評価ね。
そんなことより、モーニングコールが6時00分、荷物回収が7時00分、朝食(P階レストラン)が7時00分、8時00分出発だから遅刻しないように準備しましょう。
<Mugio>
大丈夫だよ。5時には朝の散歩と洒落込んだじゃないか!
<Mugiko>
ホント!清々しい気持ちのよい光景が見られたわ。
写真では、「まあまあ」という感じだけれど、実際には、ビーチと太陽と洒落た船に囲まれて二人とも笑顔があふれていたわ。 -
<船の舳先に彫刻>
<Mugio>
まぁまぁ、興奮しないで!
朝食をいただきに戻ろうか。
<Mugiko>
この画像は何だろうね?
<Mugio>
船に近づいたら船の前方の船底に女性のような彫刻があったのさ。
あまりにも美しいものだから思わずシャッターを切ってしまったよ。 -
<朝食>
<Mugiko>
朝食の味のコメントは、「普通」でいいのね。
これから8時00分に出発して約30㎞離れた「トロギール」という街に向かう予定だから、急いで準備をしなくちゃね。 -
<アドリア海>
<Mugio>
ということで、8時にホテルを出発してシベニクから約50㎞離れているトロギールに向かいました。
なんちゃって!気取っていますが、途中、海に浮いているような島にある美しい街並みが見えてきました。
これが、このトップページの巻頭写真に掲載した「プリモシュテン」です。
<Mugiko>
Aさんのご厚意でバスを降りて見学したのですが、バルカン半島にこのような美しい小さな島があるとは思いもしませんでした。
皆さんにもう一度プリモシュテンをご覧いただいた方が良さそうね。 -
<プリモシュテン>
<Mugio>
この島は、シベニクからバスで10分くらい走ったところにあったけれど、クロアチアのアドリア海沿いの風景を象徴しているようだね。
小生は、島に浮いているような美しい街に興奮しちゃったな。
<MUgiko>
クロアチア語で「Primosten」という街らしいわ。
ウキペディアよると、プリモシュテンはクロアチア本土に近い小島に位置しているそうね。その歴史などは次のように説明されているわ。
◇◆ ウキペディア ◆◇
1542年にオスマン帝国に占領されてい本土と跳ね橋によって結ばれていた。本土と跳ね橋によって結ばれていた。オスマン帝国が撤退すると、土手道に置き換わり陸続きになった。1564年にこの地は、クロアチア語で架けるなどを意味するプリモシュティティ(praimostiti)にちなんで、プリモシュテンと名付けられている。丘の上より見下ろす聖ジョウジ教会は1485年に建てられ1760年に復元され、近くの墓地とその教会からは独特の海や州の景色が広がる。プリモシュテンは、非常に大きく美しい葡萄園が有名で、ニューヨークの国連連センターにはプリモシュテンの葡萄園の写真が飾られている。毎夏、葡萄園では伝統的なロバ競技が行われる。プリモシュテンで最も大きなビーチはラデュチャ(Radyca)と呼ばれ、その一部であるマラ・ラデュチャ(Maia Raduca)は、クロアチアで最も美しい10カ所のビーチの一つに投票されている。葡萄園は現在、ユネスコの世界遺産への登録が検討されている。
◆◇ ウキペディアの説明終了 ◇◆
<Mugio>
ちょっと長い説明文だけれど、「伝統文化と歴史がある美しい街」だと理解できたね。
もっとゆっくり見学したかったね。
<Mugiko>
そんなことを言っちゃ悪いわ。
予定にないところを見せていただいたのだからAさんに感謝しなくちゃ!
さぁ、ここから30分ぐらいでトロギールに着くはずよ。 -
<トロギールの北門(内側)>
<Mugio>
ということで、9時過ぎにトロギールに到着しました。
<Mugiko>
本当に北門なの?
ところで、右側にかわいい子供たちがいるけれど、遠足かしら? -
<トロギールの北門(外側)>
<Mugio>
ここでトロギールの説明をしておくね。
「トロギール(Trogir)」は、アドリア海に面するスプリット=ドラマチア群の港町で、スプリットの西方27㎞にあるクロアチア本土とチオヴォ島の間に小さな島にある。」ということのようだね。
<MUgiko>
また、トロギールは街の起源がギリシャ時代で、その中心部は城壁で囲まれ、城、塔、住居、宮殿などゴシック、ルネッサンス、バロックといった様々な時代に渡る建造物が保存されていて、このことが登録基準を満たすものとして97年に英名Historic City of Trogirとして世界遺産に登録されているそうね。 -
<聖母教会の鐘楼?>
<Mugiko>
私たちは、北門から入ったので、門の上に鎮座するトロギールの守護聖人イヴァン・ウルスィニが迎えてくれたわ。
そして南門に向かって歩き始めると、大きな建物が見えてくるけれど、「これがロヴロ大聖堂だ!」と思ったら、この建物は違うようね。
<Mugio>
そうみたいだね。この建物は、聖ロヴロ大聖堂の鐘楼ではなく、Don Dinoというレストラン近くにあるという「聖母教会」の鐘楼ではないか思うけれど、情報が少なすぎてはっきりしたことが言えないのさ。
<Mugiko>
仕方がないわね。Aさんのメモに従って考えるしかなさそうね。
<Mugio>
Aさんによれば、「スプリットも兼ねてガイドは、ベシュナMsさん、北門から入り→南側のプロムナードへ100年前の小学校の建物が立派!南門からまた旧市街に入り→アイス広場→中央広場には市庁舎やロッジャ(昔の公開裁判所)そして聖ロヴロ大聖堂に入場、クロアチアの建築家ラドヴァンの最高傑作ロマネスクの門が門がみごと!」といってるね。
<Mugiko>
ということは、南門に急いで向かったということね。海岸線のプロムナード(遊歩道)から見える景色は確かに美しいものだったわ。
北門から南門までの僅か10分間ほどの時間だったけれど、中世の雰囲気が伝わるかわいらしい小さな路地が見えたりしたわ。
ここで、Aさんの面白いコメントがあるので、紹介しておくわね。
「まるでジブリの魔女の宅急便にでてくる街みたい、花もきれいでした。」 -
<石畳の路地裏>
<Mugiko>
こうしてトロギール市内観光がスタート。
まず、中世の雰囲気が漂う石畳の路地裏ね。 -
<小学校前>
<Mugio>
何だか気取っているけれど、早い話が「あれよ!あれよ!」という間に南門を過ぎてしまったということだね。
<Mugiko>
こういうところに「小学校があるなんて面白いけれど、プロムナードから見える港や教会などが強く印象に残ったわ。 -
<ドミニコ会修道院>
<Mugio>
プロムナードは、ご覧のように椰子の木が茂っていて、陸側には島のほぼ中央部にあるドミニコ会修道院が、また、南側の西方向には遠方にカメルレンゴの砦が見えていたね。 -
<プロムナードから見える景色>
<Mugiko>
トロギールは、横に寝た島のようになっていて、見所としては聖ロヴロ大聖堂だけのように案内されているような気がするけれど、歴史的な建築物や美しい港などがあり、知られざる見所が満載と!言いたいわね。
ところで、聖ロヴロ大聖堂には行かなかったの? -
<城壁と聖ニコラ修道院>
<Mugio>
慌てなさんな!南門に戻ってから大聖堂の中まで見学しましたよ。
まず、南門から50メートルくらいのところにあるベネディクト会の女子修道院である聖ニコラ修道院と入り口の赤い屋根が特徴の南門を撮影したので、それを掲載したいね。 -
<赤い屋根の建物と南門>
<Mugiko>
西の端にあるカメルレンゴの砦まで行かなかったのが残念だけれど、仕方ないわね。
プロムナード散策した後、南門に戻ったということね。
<Mugio>
その通り!
トロギール観光の中心になっている場所は、イヴァン・バヴァオ・トゥルギという広場(中央広場)で、ここに聖ロヴロ大聖堂、市庁舎、時計塔などが集まっているので、早速、その模様を紹介したいところだけれど、その前に「アイス広場」というところを歩いたみたいだね。
<Mugiko>
アイス広場には、私の好きなアイスクリームの店が多数あったようだけれど、気づかなかったわ。 -
<聖ロヴロ大聖堂>
<Mugio>
聖ロヴロ大聖堂は、長い年月をかけて建設されたことから、様々な建築様式が組み合わされていて、鐘楼の窓を見ると、階層ごとに異なる様式になっているという話だね。
<Mugiko>
そうなの?でも、どこが違うのかさっぱり分からないわ!
-
<時計塔>
<Mugiko>
ところで、時計塔の下に入り口が見えるけれど、ここは聖セバスチャン教会のようね。
そして時計塔の右側の屋根の下のは、ロッジアと呼ばれる簡易裁判所の跡があるけれど、ここは見学しなかったの?
<Mugio>
それがね???見学は道論していますが・・・。
<Mugiko>
何でも「ぱちぱち」とシャッターを切るあなたが撮影していなかったの?
私もロッジアにあったレリーフは撮影しなかったのよ。 -
<美しいロッジアの天井>
<Mugiko>
その代わり、面白い天井があったので、撮影しておいたわ。
<Mugio>
人が見忘れるような場所に気づく君らしいね。
でも、こういう脱線をしていると、話が前に進まないので、この後、お邪魔した聖ロヴロ大聖堂の様子をご覧いただきましょう。
<Mugiko>
そうしましょう! -
<聖イヴァン礼拝堂>
<Mugiko>
まず、聖ロヴロ大聖堂の様子からね!
<Mugio>
ちょっと暗いけれど、礼拝堂の正面とその美しい天井だね。 -
<逆さの聖人の美しい天井>
<Mugiko>
この礼拝堂は、聖イヴァン礼拝堂といって、クロアチアを代表する初期ルネッサンスの傑作だ、ということネ。
天井もいいけれども、「聖イヴァンの石棺を12使徒が取り囲んでいる」という写真が欲しかったわね。
<Mugio>
勘弁してください。勉強していなかったので・・・。
でも、街の守護聖人イヴァン・ウルスィニの石棺はちゃんと撮影しているよ。
それに、左側に12使徒に一部が、天井には逆さの聖人が写っているよ。 -
<聖ロヴロ大聖堂の正面>
<Mugiko>
礼拝堂が先になってしまったけれど、この画像の正面に見えるのは大聖堂の天蓋付きの主祭壇ね。
<Muio>
左の明かりの下に見える円形の建物は、14世紀建築の説教壇、また、右手前の黒いものは、金メッキが施されているという木製の聖歌隊席だね。
<Mugiko>
画像が小さくてよく分からないけれど・・・。 -
<正面右側の門にあるアダムの像>
<Mugiko>
次はクロアチア中世美術の傑作とされる13世紀のロマネスク様式の大聖堂の門に話題を移すわよ。
<Mugio>
門には、シベニクの聖ヤコブ大聖堂の門より立派だというライオンの上に立つ「アダムとイヴの像」が見所となっているそうだよ。
<Mugiko>
何だか自信がなさそうな言い方ね。
<Mugio>
ばれたか!?
このロマネスク様式の門は、ダルマチア出身の彫刻家ラドヴァンの傑作で、ライオンの上にアダムとイヴの像が両端に彫られているので、アダムばかりではないはずですが、・・・。
<Mugiko>
撮影しなかったのね!おまけにライオンも写っていないわよ!
<Mugio>
地元のサングラスの女性ガイドが説明している次の画像にライオンが写っています。 -
<ライオンの像の上に何が?>
<Mugiko>
まぁ、仕方がないわね。
それにしても、ライオン像の上に何があるのかしら?
さて、次の画像タンパンといわれる半月状の入り口の門の説明をしておきましょう。 -
<西側入り口の門>
<Mugio>
地球の歩き方によれば、中央の半月状の部分(タンパン)には、「イエスの生誕」が描かれているということだね。
地球の歩き方をそのまま引用すれば、「中央の天蓋の上、ヘツレヘムの星の下に聖母マリアと幼子イエスが描かれ・・・」
<Mugiko>
「その下は体を清めるイエス、右は貢物を捧げる東方の三博士、左は救い主の誕生を知り駆けつける羊飼い。」ということね。
<Mugio>
そしてその上のドーナッツ型の部分とその上には「イエスの生誕」が描かれているということだね。
「受胎告知から復活、昇天までの諸場面、内側のレリーフの左下受胎告知をする大天使ガブリエル、右下は受ける聖母マリア」となっているね。
<Mugiko>
「イエスの生誕」が描かれているということだわね。
「受胎告知から復活、昇天までの諸場面、受ける内側のレリーフの左下は受胎告知する大天使ガブリエル、右下は受ける聖母マリア」となっているようね。
でも、画像で確認できないことを書いてもいいのでしょうか?
<Mugio>
早々に退散しましょう!
次はスプリットに向かいました。 -
<近代的な建物(マンション?)>
-
<スプリット近郊にて>
<Mugiko>
これは何ですか?
<Mugio>
これらは、トロギールからスプリットに到着するまでに見終えたクロアチアの現代的な建物や連結バスだよ。どちらもスプリットに到着する少し前に撮影したものさ。
◆ スプリット市内観光 -
<スプリットのディオクレティアヌス宮殿>
<Mugio>
まず、スプリットがどんなところなのか説明したいね。
<Mugiko>
アドリア海最大の港町スプリットは、ローマ皇帝ディオクレティアヌス(245年から316年?)の宮殿がそのままま旧市街になったという珍しい起源を持っている町なのね。
<Mugio>
そしてこの町に人々が住むようになったのは、ローマ帝国が滅亡し、異民族が退去してこの地に入り込んだ7世紀のことらしいね。
なぜ、異民族から追われた人々がここに来たのかといえば、宮殿跡という頑強な城壁に囲まれていて、安心安全を求めていた人々に好都合だったからのようだね。
<Mugiko>
さらに、人々は宮殿の基礎部分はそのままに、その上から建物を増築する形で町を築いていったため、古代と中世が複雑に絡み合うような独特な街並みが生まれることになった、という話ね。
<Mugio>
スプリットの北5㎞にはサロナという町があるけれども、ここは先ほど出てきたスプリットに避難してきた人々が住んでいた町らしいね。残念ながら訪問しなかったけれど・・・。
<Mugiko>
最後にこの町に対するAさんの話に面白いコメントがあったわ。
「沖には石灰岩のとれるオウラチ島 ※ホワイトハウスにも使われている!」 -
<宮殿付近>
<Mugiko>
ところで、スプリットには11時頃到着してから2時間ほど滞在して、それから国境を越えてボスニアヘルツェゴビナのネウムという街に立ち寄って、再びクロアチアのオレビッチというところから船に乗ってコルチュラ島に向かうことになっているから忙しいわね。
<Mugio>
それじゃ、急いでスプリット見学をしようか!といっても宮殿の面積は大きいだろうな。
<Mugiko>
上の画像で説明すると、南北が215m、東西が180mというから歩いて見学することが十分に可能ね。
それにしても、周囲の壁の厚さが2m、高さが20mというから巨大なものね。
宮殿内には、東西南北にある門から入るようになっているという話だけれど、私たちは、青銅の門(Mjedena Vrata)といわれる南門から入りました。 -
<ディオクレティアヌス帝の胸像>
-
<宮殿の地下>
<Mugio>
南門には、この宮殿の見所となっている地下があるけれど、地下には巨大な空間が広がっていて、その大きな役割は、宮殿の上部を支えるものだったそうだよ。
また、中世には倉庫として使われたり、ワインやオリーブオイル造りなどにも用いられたようだね。
<Mugiko>
宮殿の南半分は、皇帝の私邸として使われていたというけれど、地下にも大きな役割があったのね。 -
<地下をくぐると兵士が!>
<Mugio>
地下から出ると、東西南北のどこの門から直進しても、ペリスティル(Peristil)という広場に行くようになっている。
この宮殿は、この広場を中心に北が兵舎、そして先ほど君が説明したように南が皇帝の私邸になっている、ということのようだ。
<Mugiko>
それで、どういう順番で回ったの?
<Mugio>
南門から入場し、また、見所が南に集中しているので、当然、南にある大聖堂(ディオクレティアヌス霊廟を改装)、礼拝堂になっているユビテル(Jupiterov hram)神殿などを見てから西門(鉄の門、Zeljezna vrata)の時計塔と旧市庁舎、北門(金の門、Zlatan vrata)のグレグーレ司教像、そして最後に東門(銀の門、Srebrna vrata)を見てフリータイムということらしいよ。
<Mugiko>
何だか言い方が自信なさそうね。
これらを撮影した写真がないのね?!
<Mgio>
さすがは我が愛妻だね。
大聖堂は、ペリスティル広場に面していて最も見応えのある建物だけれど、人が多いことと建物が大きすぎてうまく写真に収まらないので、特徴となっている高い鐘楼とともに後ほど披露することにするよ。
なお、大聖堂は、ディオクレティアヌス帝の霊廟として建てられたが、後にキリスト教の教会として利用されるようになったということだね。
まず、ペリスティル広場と大聖堂の入り口をみたいね。 -
<ペリスティル広場>
<Mugiko>
これが広場なの?
<Mugio>
ああ、そうさ!間違いないよ。
広場には皇帝が住居としていた建物の玄関などもあるけれど、撮影していなかったのだから仕方がないさ。 -
<大聖堂の入り口>
<Mugiko>
威張ることはないでしょう!
でも、そうなると、大聖堂の入り口だという子のが王も怪しいものね?
<Mugio>
おい、おい!そんなことを言うなよ。
確かに事前に勉強していないから自信はないが・・・。
<Mugiko>
なるほどネ。
あまりに近くから撮影したので、この画像から「この建物が大聖堂だ!」という確信が持てないということね。
<Mugio>
そんなことはないが・・・。
<Mugiko>
分かったわ。それで、次はユピテル神殿ね。
ここは、ディオクレティアヌス帝がユピテル神殿として建てたものを後に礼拝堂として改装されたものだから、「礼拝堂」と表示されているみたいね。 -
<礼拝堂の入り口>
<Mugio>
礼拝堂の天井部分には、美しい文様の彫刻が施されており、また、礼拝堂には中世クロアチア王国の国王が彫られているということだけれど、残念ながら中に入らなかったね。 -
<スフィンクス像>
<Mugiko>
礼拝堂は、皇帝の住居の左側にあり、帝がエジプトに遠征したときに持ち帰ったというスフィンクス像が入り口に置かれていたわ。 -
<これが鉄の門>
<Mugiko>
礼拝堂の次に訪問したところは、西門の時計塔と旧市庁舎だったわね。 -
<鉄の門と時計塔>
<Mugio>
鉄の門といわれる西門と時計塔だね。
旧市庁舎は残念ながら撮影しなかったよ。 -
<金の門といわれる北門>
<Mugiko>
西の門の次は金の門といわれる北門に向かうのね。
北門を出ると、20世紀クロアチアのロダンといわれるメシュトロビッチ作の「グルグール・ニンス司教像」があり、その左足に触れると、幸せが訪れるそうね。 -
<グルグール・ニンス司教像>
<Mugiko>
皆さんが触れるので、親指が光っているようね。
<Mugio>
そうなのか!親指にことは知らなかったな。
<Mugiko>
何だか奥歯に物が挟まったような言い方だけれど、司教像についていいたいことがあるんじゃないの? -
<司教像の隣に建つ教会の鐘楼?>
<Mugio>
そうじゃないんだ!
司鏡像のすぐ隣にある鐘楼のような建物がなんなのかが気になっていたのさ。
結局、この建物がどういうものか分からなかったけれども・・・。
<Mugiko>
さあ、次は銀の門といわれる東門よ。急ぎましょう。
<Mugio>
バカに急いでいるけれど、何か面白い話でもあるの? -
<銀の門>
<Mugiko>
銀の門からは、大聖堂と鐘楼の全体像がよく分かるという説明があったのよ。
それとフリータイムでの土産物見学も楽しみだわ。 -
<大聖堂と鐘楼>
-
<ラベンダーの店?>
<Mugio>
そういうことか?
そういえば君は旅の思い出としていつも絵を買っているけれど、絵を描いている人をペリスティル広場で見かけたな。
東門から土産物の店が並ぶフルヴォエヴァ通りに出たけれど、フリータイムに広場に戻って絵を買うことにしようか! -
<フルヴォエヴァ通り>
-
<海岸沿いのプロムナード>
<Mugiko>
自由時間は30分くらいだったかしら?
おかげでスプリットの絵が買えて本当によかったわ。
次は南に海岸通りを歩いてバスの駐車場に向かい、バスに乗って約10分の距離にあるレストランGusarに行のね。 -
<レストランGusar>
<Mugiko>
さあ、あなたが楽しみにしている昼食よ。
<Mugio>
メインは、シーフードリゾットだということだけれど、どんな料理だろうか? -
<前菜>
<Mugiko>
ところで、ウエイターから添乗員のAさんが「高校生?」といわれてびっくりしていたわ。 -
<パン>
<Mugio>
ほう!そうなんだ。
ところで、肝心な味だけれど、前菜(きゅうり)が「うまい」、リゾットは「普通」でした。 -
<シーフードリゾット>
-
<デザート>
<Mugiko>
ここから今夜の宿泊地コルチェラ島に向かうけれど、到着が遅くなりそうね。
でも、美しいアドリア海沿いを走るから飽きないと思うわ。
また、途中、ボスニアヘルツェゴビナの「ネウム」に立ち寄るのも楽しみね。
<Mugio>
そうだね。長いバスの旅は僕も嫌いじゃないよ。きっと楽しいことが待っていると思うな。 -
<美しいアドリア海の海岸線>
<Mugiko>
美しい海岸線ね。撮影時刻が15時04分となっているけれど、なんというところかしら?
<Mugio>
アドリア海沿いに走ったことは間違いないが、地名は僕にも分からないな。
Aさんのメモに残っていた「マカリスビエラ」という海岸線かもしれないね。
<Mugiko>
この後、「ブレラ」というところで、トイレ休憩になったので、あなたのことだからその様子を撮影したのでしょう?
<Mugio>
ところが、ドライブインのようなものが写っている画像が残っていないのさ。 -
<右下にトイレ休憩の建物>
<Mugiko>
何を言っているの?建物がちゃんと写っているじゃないの!
<Mugio>
失礼しました。
ところで先ほどもいったけれど、アドリア海沿いを走ると石灰岩の山と海が延々と続いていたね。 -
<国境到着30分前のブルチェ付近>
<Mugiko>
でも、ここまでは海に小さな島が見えるので飽きることはなかったわ。
この後は国境を越えてボスニアヘルツェゴビナの「ネウム」に立ち寄るという話だけれど、ここを通らないとクロアチアのオレビッチ港には行けないのかしら? -
<ネレトヴァ川付近>
<Mugio>
そうだと思うな。Aさんの話では、これからクロアチアのカリフォルニアオレンジの名産地ネレトヴァ川の河口を通ってネウムに立ち寄るそうよ。
地図を見ると、スプリットからは海岸沿いにオミシュ、マカルスカ、プロチェなどクロアチア領の街が並んでいるけれど、ネウムは、その道路に直線的に並んでいるにもかかわらずボスニアヘルツェゴビナ領なんだ。
<Mugiko>
「ネウムに立ち寄る」というと、バスを降りて見学するように思えるけれど、通過して再びクロアチア領に入り、「ストン」という街やオレビッチがあるペレシャツ半島に向かう、ということのようね。 -
<国境の検問所跡>
<Mugio>
日本では考えられないが、陸続きのヨーロッパでは、こういう検問所が各国にあったということだね。
でも、EUに加盟して通行も自由になっていくが、ボスニアヘルツェゴビナも私たちが訪問したときにはEUに加盟していたのかな?
ところで、ペレシャツという半島は、ネウム付近からアドリア海を挟むような感じの陸地で、地図で確認すると島のように見えるね。 -
<アズドリア海が左側に見えてきた>
<Mugiko>
私たちが向かうオレビッチの方向は、ネウムの先で左折というか戻る感じがしたわ。
ずっとアドリア海の沿岸部を南東に進んできたバスがネウムの先で北東に進む、つまり逆走しているように感じてしまったのね。 -
<夕日に輝くオレビッチ港>
<Mugio>
さあ、いよいよオレビッチ港だね。ここから今夜の宿泊地コルチュラ島にカーフェリーで向かうということだね。
<Mugiko>
バスに揺られながら、こうして美しいアドリア海の光景を見ているのも楽しいものね。
<Mugio>
途中、ストンという街が見えたけれど、帰りに寄るそうだ。
<Mugiko>
オレビッチには18時30分過ぎに到着したけれど、夕日が美しく映えて本当に素敵な港だったわ。 -
<オレビッチ港で出会った子供たち>
<Mugio>
イヤー、驚いたね。地元の中学生が船に乗るために大勢、集まっていたからね。
子供たちは13歳~14歳らしい。
とぎれとぎれの会話から感じたが、「日本に興味津々」という感じで、サッカーの中村俊輔などの名前を知っていたからね。
<Mugiko>
あなたが子供たちと会話したの?
<Mugio>
できるわけないだろう!?僕が英語を話せないのを知っているじゃないか。
ツアーメンバーが話をしているのを聞きかじったのさ。 -
<子供たちが乗船する茶色の船>
-
<私たちが乗船したカーフェリー>
<Mugiko>
そうなの?ところで、こういう地元の人たちとのふれあいが、旅心をくすぐるのよね。 -
<夕日に輝くオレビッチ港>
<Mugiko>
私たちが乗る船は、もっと大きくて立派な船だけれど、出港して船から見えた夕日に輝くオレビッチ港が本当に美しかったわ。
<MUgio>
もう一倍、オレビッチの街が写っている画像があるので、それも披露したいね。 -
<美しいオレビッチ港>
-
<コルチュラ島のホテル前にて>
<Mugiko>
やっと、ホテルに到着ね。20分の船旅では物足りないわね。
ところで、マルコ・ポーロというホテルだけれど、どこかで聞いた名前ね?
<Mugio>
そのわけは明日、説明があると思うよ。それよりも早く夕食が食べたいな!
<Mugiko>
夕食は、ホテルで20時からだそうよ。バイキングだから肉や魚があるかもしれないけれども、味の方はあまり期待しない方がよいと思うわ。
<Mugio>
でも、お湯がふんだんに出るバスタブがあるなど部屋の設備がよかったので、料理も期待しちゃうな。 -
<南国の植物>
<Mugiko>
この画像はどこを撮影したものなの?
<Mugio>
ホテルの玄関から撮影したもので、南国情緒たっぷりだろう! -
<ホテルのフロント>
<Mugiko>
これは、フロントだけれど、随分ご丁寧ね。 -
<ホテルの夕食>
<Mugiko>
ところで、肝心な夕食だけれど、野菜や魚、肉がそろっている!という感じね。
でも、またまた人様には見せられない盛りつけで恥ずかしい限りね。
<Mugio>
そうかい、味の方は「普通」だったね。 -
<同じく野菜>
★ コルチュラ島のホテル・マルコポーロ泊 ★
◆◇◆ ユーゴの旅No.4の終了 ◇◆◇
これにて旧ユーゴスラビア4カ国の旅No.4旅行記の終了です。
この続き、旅行5日目(5月27日)のコルチュラ島散策、ストンでの休憩、ドブロヴニク観光については、「旧ユーゴスラビア4カ国の旅No.5<コルチュラ島、ドブロヴニク>」としてお届けします。
◇◆◇ ユーゴの旅No.4の終了 ◆◇◆
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2010/05/23~
ブレッド湖周辺
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旧ユーゴスラビア4カ国12日間の旅No.3<クロアチアのザダール、シベニク>
2010/05/23~
ザダール
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旧ユーゴスラビア4カ国12日間の旅No.4<クロアチアのトロギール、スプリット、コルチュラ島など>>
2010/05/23~
トロギール
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旧ユーゴスラビア12日間の旅No.5<クロアチアのコルチュラ島、ストン、ドブロヴニク>>
2010/05/23~
コルチュラ
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旧ユーゴスラビア12日間の旅No.5-2<クロアチアのドブロヴニク散策>
2010/05/23~
ドブロブニク
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旧ユーゴスラビア12日間の旅No.6<モンテネグロのコトル、クロアチアのドブロヴニク>
2010/05/23~
コトル
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旧ユーゴスラビア12日間の旅No.7<ボスニアヘルツェゴビナのモスタルなど>
2010/05/23~
モスタル
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旧ユーゴスラビア4カ国12日間の旅No.8<ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォ>
2010/05/23~
サラエヴォ
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旧ユーゴスラビア12日間の旅No.9<クロアチアのプリトヴィッツェ湖群国立公園の散策>
2010/05/23~
その他の都市
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旧ユーゴスラビア12日間の旅No.10<クロアチアのザグレブ市内観光など>
2010/05/23~
ザグレブ
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旧ユーゴスラビア12日間の旅No.11<オーストリアのウィーン市街散策と編集後記>
2010/05/23~
ウィーン
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