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《2022.October》あみんちゅなにげに九州街歩きの旅佐賀長崎その四~武雄と伊万里そして長崎編~<br /><br />今回の目的地のひとつである祐徳稲荷神社を後にして、第二の主目的地である武雄市北方の普明山高野寺を目指し車を走らせる。鹿島市の祐徳稲荷神社から武雄市に向かう道は昨晩走った道とほぼ同じである。若干距離はあるものの特別渋滞もなく30分程で到着する。<br /><br />ナビの指示に従い国道34号線から脇道に入り暫く進むと寺の駐車場に到着する。見た感じ参拝客の車らしいものも見えない様だ。高野寺の由来書によると、千二百年余り前に弘法大師空海によって開かれた古刹であり、鎌倉時代の古文書には〝いかなる罪人も高野寺の境内に走り候えばその罪も免じる〟と書かれているらしい。山門を潜れば慈悲深い仏の懐にも似た深く静かな佇まいが漂い〝九州八十八ヶ所霊場〟や〝肥前の国七福神〟の毘沙門天霊場として子授けや安産祈願やボケ封じの祈願の道場として知られているとある。個人的な解釈になってしまうのだが、この〝罪を免じる〟ということが〝水子〟に繋がるのか、かなりの水子地蔵が寺の規模の割には並んでいる様に私には見えたのだった。<br /><br />神社仏閣で行われている風鈴まつりの特徴として建物の近くまで辿り着くと〝風鈴〟の軽やかな音色が聞こえてくる。そんなイメージを持って本堂へと向かうのだが、意外にも風鈴の音が聞こえて来ないのである。確かwebサイトに記載されていた風鈴まつりの開催が〝10月下旬〟と書かれていたので、もしかするともう終わってしまったのかと心配になる。しかしその心配は無用だったことがすぐに判明する。風鈴まつりを行なっている施設では、殆ど〝ガラス風鈴〟を用いているのだが、こちら高野寺では〝金属製の風鈴〟が主役なのである。なにが違うのか?と言われそうだが、ガラスの風鈴は紐で短冊が吊るされているため、紙でできた短冊は重さが軽い上に表面積は広いため、少しの風でも短冊が流されるために〝鈴〟の部分にガラス棒が当たり音を奏でている。しかしこちら高野寺の金属製風鈴の場合、吊るされている部分も金属であるために重さがある。勿論短冊が吊るされたものもあるために音を奏でているものもあるのだが、多くは鈴も金属で吊るされている部分も金属であるために弱い風だと音がしないという理由の様だ。その違いに気づいたのはお恥ずかしながら風鈴回廊に吊るされた〝高野寺の風鈴〟がどんなものか気付いた時のことであった。<br /><br />私自身も佐賀県の寺院までは知らないところの方が多いため、今回〝風鈴まつり〟を開催している〝施設〟を検索して初めて知った場所である。地元での知名度は高いのか低いのかはわからないが、三大稲荷のひとつである祐徳稲荷神社とは比較にならないのは事実であろう。とは言え訪れる機会を得たのは事実なので、他とは違う〝風鈴まつり〟を体験しようと改めて思った。<br /><br />今まで訪れた風鈴まつりのうち神社仏閣で行われているものは〝勝手に見て勝手に帰る〟という方式が当たり前の様に取られていた。しかしこの高野寺は建物内の回廊に風鈴が吊るされているために、許可を得て建物内に入る必要がある。そのためインターホンで〝風鈴を見学〟したい旨を伝え、本堂に入れて頂く手順が必要となる。手順というと大袈裟だが、本堂の拝観を含め入山料は無料であるために〝断りを入れる〟という言い方が正しい様に思っている。お寺に上がらせて頂き、本堂に安置されている西日本一の大きさを誇る御本尊〝十一面千手観音菩薩〟に手を合わせることから始まって、両脇に風鈴が吊るされた〝回廊〟を金属製故の重みのある〝風鈴の音色〟を楽しみつつ紅葉が始まったばかりの庭を見ながら歩いて行く。その〝お百度参りの回廊〟の行き着く先には金運栄達のご利益を授ける36体の不動明王が祀られた不動堂である。とにかくこの高野寺には〝不動明王様〟が沢山いらっしゃるのが印象に残る。駐車場にもいらっしゃった。<br /><br />しあわせ回廊から直角に曲がる様に続く悪魔よけ回廊と進むが、この回廊の作りが中華の九龍思想と同じ様に〝真っ直ぐではない〟作りであることにふと気づく。一応右側通行とは書かれているが、他に参拝客もいないために左右を見ながら歩いて行く。途中に〝延命地蔵様〟がいらっしゃっており、そういったご加護もあるのかと手を合わせて記憶しておく。地蔵菩薩様の横には崩れた石灯籠が置かれている。高野寺のひとつ不思議なことが、確か本堂を含めて改築されたのは平成だった筈だと記憶している。その際に回廊やお堂にも手を加えたことが記してあった。そのため殆どの建物が新しいのだが、歴史ある石灯籠等は元来あった場所に放置してある様に見えてならない。この崩れた石灯籠も崩れたままなのはともかく、回廊との小さなスペースに置いてある感が漂っている。残存している構成部分に永仁三(1295)年という文字が刻まれており、鎌倉時代の建立物としては県内でも数少ない遺品のひとつであることが記されていた。そのままの姿で放置されたのか、あるいは別の理由で手を加えなかったことなのかはわからないが、窮屈過ぎる場所に建立された石灯籠にちょっと残念な気持ちを感じてしまった。他にも日本庭園に向かう通路の脇に謂れの不明な地蔵様が居られたりする横を通り、不動堂に到着する。三十六体の不動明王様の前には〝願い叶う鐘〟が吊り下げられいる。〝お一人一打〟と現実的なことも書かれてはいるが、ここは素直に〝旅路の安全〟を祈念する。またこの鐘の音が心に染み渡る〝心地良い音色〟であり、ホントに願いが叶うように感じられるから不思議である。この鐘、つまり不動堂前に一際大きな〝風鈴〟が吊り下げられていた。大きさは勿論だが音を奏でる〝金管〟の長さも結構ある。傘の中心部に吊り下げられたヒモの先には、これまた大きな木の板が括り付けられており、風を受け止める効果を出している様なものであったが、山肌を下って来た風が少し強く吹けば鳴るように作られていた。しかし天気が良い分だけ風もない日だったこともあり、風鈴が乱舞する様な姿を見てはいないのがその日の現実であった。しかし板の大きさは一定の効果はあるのかたまに鳴ってくれたりもする。本当に親玉は気まぐれだとも思うが、その音は低音でやはり響く音であり、心に染み渡る音色であった。その〝親玉風鈴〟の音色を奏でる姿を動画に収めようと、椅子の上に立ち上がってスマホカメラを構え続ける。しかし中々カメラを構えている時に風が上手く吹いてはくれないため、色々とアングルを変えて構えることを続けるのだが、場所を移動している最中にちょうど良い風が吹き独特の音色を奏でている。なにか〝親玉とは相性悪い?〟とも思えて来た私だったので〝後3分〟と時間を決めて滞在するが、残念ながら〝親玉〟の動く姿をカメラに収めることは出来なかった。<br /><br />残念ながら〝天候相手〟なので仕方がない。後ろ髪引かれる思いで悪魔よけ回廊を本堂方向へと歩いて行く。右側通行を心掛けていたわけではないが、回廊平地側には落葉樹が沢山植えられており、枝先から紅葉が始まっている様子を見ながら歩いて行った。ちなみに不動堂少し手前から〝奥の院〟に向かう参道があると記されている情報があるが、基本高野寺の奥の院や日本庭園は、シャクナゲや紅葉の時期に〝有料拝観〟されている場合に限ってのことであり、通常期は参道整備がなされていないという理由で立入禁止の扱いとなっていることを現地確認をして初めて知った。<br /><br />風鈴回廊を往復して出入口に戻って来る。退出の際のご挨拶はするべきだとも思うのだが、御住職も忙しいためにインターホン越しのやり取りになるのだろうと勝手に考え、高野寺本堂から退出した。その後本堂裏に回って建物等を一覧する。どうやらお守りの授与等の業務はこちらでされておられることを知った。陽も既に傾き始めており、予定時刻から大幅に遅れていることはわかっていても、やはり一言一会の参拝故その機会は大切にしたいと思う。<br /><br />車に戻り取り敢えず出発する。坂を少し下った所に七福神が並んだ別の建物があり、立ち寄ってみることにした。車を停めた場所の隣には凄い数の水子地蔵様がいらっしゃった。水子供養を掲げている寺院は沢山あるが、寺院の規模から見るとかなり数は多い様に感じた。下の山門には七福神の他金剛力士像が門を守っている。山門内には多くの石像や石仏が並んでいる。ボケ封じ観音・出迎え地蔵・縁切地蔵様が並び、そのご利益が書かれており、多くの人々が訪れては拝んで触った痕が確かに残っている霊験あらたな観音様・地蔵様である。その他にSNSで取り上げられて有名になった〝だきつき観音〟。ハグして観音様のご慈悲を頂くという〝説明書〟でバズったという。せっかくなので・・・と人見知りをする私も観音様とハグして参りました。ご利益は如何に?<br /><br />その他にも〝無事カエル〟の石像や、山門前の仁王様等寺院の仏像や観音像・地蔵菩薩とは異なった趣旨で作られたのであろう像が沢山置かれており、お寺参りの堅苦しさだけでない〝楽しさ〟を与えられる様な場所になっている様に私には思えた。またこの下の山門からは、時期になると利用される日本庭園へと向かう参道の入口も設けられていた。武雄市の観光地データによると、シャクナゲや紅葉の時期には大型バスでの拝観客も来ることがあり、混雑で揉みくちゃにされることもあるそうだ。この時期では広い駐車場に車が1台だったが、それだけ混雑するのだから〝素晴らしいものだろう〟と妄想が膨らむ。機会があれば是非春の時期に再訪したいと思いつつ、高野寺を後にして車を走らせることにする。<br /><br />武雄市を北上し国道498号線をひた走る。田舎道の筈だが途中バイパスまで設けられている。若木集落手前に書かれていた〝川古の大楠公園〟の看板を見つけ、立ち寄ることにした。日本の巨木ランキング第5位のクスノキは明確な樹齢は不明だが、樹齢約3,000年以上と言われている。奈良時代に全国を行脚した名僧行基がこの地を訪れた際に当樹の幹に像高2.4mもの観音像を直接刻んだと伝えられている。その後観音像は明治維新の廃仏毀釈に遭って切り取られてしまったとされたが、何となく〝仏像か?〟というレベルでは残っていた様だ。その後昭和62(1987)年の台風で剥離してしまったという。その剥離したとされる〝川古のクス幹彫り観音立像〟として公園内の小さなお堂に別に祀られて今日に至っているという。川古公園が整備された際に樹木医らの力添えにより、大クスは勿論その根の周りの土壌改良までが行われて、佐賀県唯一の国の天然記念物となる大クスは生きながらえ、今日に至っている。信仰の対象になるだけの大きさはあり、中々全景をカメラに収めるのも難しい。大クスの周りをベストポイントを探すべく歩いてみるが、どこへ行ってもしっくり来る場所がない。なぜ?とふと考えると用水路に掛かる〝橋〟の上の人影が全ての角度で写り込んでしまうために違和感を感じていたことに気づく。地元の人の様なので観光客の戯言を言うことも気が引け、しばらく待っていたがやはり何がおかしい。動いていない??と疑問に思い近付くと、まさかの〝カカシ〟だった(笑)。<br /><br />まぁそんな滑稽なこともあったが、新たな立ち寄り地を後にして残りの行程を走り始めるとする。再び国道498号線を走り伊万里市街に入った所で道の駅伊万里ふるさと村に立ち寄る。営業時間が18:00迄とあり、ある意味必死の訪問でもあった。別に立ち寄るだけならば時間は関係ないが、今回に限っては〝買い物〟という大義名分があった。今更知らない方もいないとは思うが、全国旅行支援を利用した際に発行される〝地域限定クーポン〟は宿泊施設と同都道府県で、宿泊日とその翌日に限り利用できるという代物だ。つまりこの後長崎県に入ってしまえば利用できなくなる訳である。残り金額は2,000円と無駄にはできない金額なので、あくまでOn the wayで〝お土産〟を買える場所としての〝最後の砦〟でもあった訳である。伊万里の名産に〝伊万里饅頭〟というものがある。観光地名+饅頭というネーミングならばどこにでもあると思われそうだが、この伊万里饅頭JALの Webサイトで紹介されたものであり、地域タイアップの際に国内線ファーストクラスで出された〝お菓子〟なのである。なんでも洋菓子屋さんが作る〝饅頭〟ということなので、どんな物かと興味はあったが、販売箇所が限定されており、その内のひとつが道の駅だった訳である。時間も時間なので急いで入ったが〝ありました!〟。だが個数が決まっている等強気の販売姿勢。まあ文句を言っても始まらないので必要個数を計算し、後は自宅用の別物を買い求め地域振興クーポン+αを支払って無事に使い切る。GoToの際は隣接県での使用が認められていたことを踏まえると使い勝手の悪さは否めない。<br /><br />てな感じで慌ただしく買い物を終えて一服の後、伊万里の市街地を経て伊万里鍋島焼会館へと向かう。この界隈は〝秘窯の里伊万里大川内山〟として伊万里焼の窯元が数々あり、江戸時代には鍋島藩の藩窯として管理していた歴史があった。その時代に皇室とか朝廷などに献上品として焼物を献上する〝鍋島焼献上の儀〟の技術と伝統を引き継いで組合でやろうと言うことになり、平成元(1989)年から〝城持ちの行政区〟に対し、古式に則り3ヶ月もの月日を掛けて制作した〝瓶子〟を各市長を組長と見立てて献上する儀が行われる様になった。ことしは鶴ヶ城のお膝元会津若松市に東北で初めて献上されることとなり、市長からは日本最高峰と讃えられている鍋島焼を受け取ることに対して感謝と覚悟の言葉が新聞上に載る程の地域を挙げての行事となっていることが記されていた。また平成16(2004)年からは6月から8月31日迄の期間で〝伊万里大川内山風鈴まつり〟が夏の風物詩として行われるようになり、各窯元の軒先や会館前で約1,000個もの風鈴が展示と販売がされている他福岡空港でも展示販売されていることが今年令和4(2022)年の風鈴まつりの概要に書かれていた。<br /><br />この風鈴まつりの情報は実は会期を含めて知ってはいたのだが、まだまだ旅行というものが大手を振って行くことができる時期ではなかったために諦めたという経緯がある。そのため時期外れを承知で今回の立ち寄り地のひとつに加えたのだ。ただ到着したのはすでに日暮後のことであり、窯元は勿論会館も既に閉まっていた。その様な時間帯ではあったが車を停めて付近を歩いてみた。橋の欄干には鍋島焼の壺が用いられているなど、歩いているだけでも〝焼き物の街〟が感じられる場所ゆえ、ここは外すことができない場所だと改めて思い、次回訪れる場所のひとつとして心に刻みつけた私であった。<br /><br />まあ今日はこれ以上は何もできないので車へと戻り先へと急ぐことにする。次に向かうは長崎県佐世保市となるため国道202・35号線を走るルートを取る筈だが、ここで一軒ガソリンスタンドに立ち寄って給油をする。丸紅エネルギー伊万里SSは、佐賀県のガソリン価格ランキングで格安スタンド上位に食い込んでいる地元では有名なガソリンスタンドである。現金フリーで156円/Lの値段は、都道府県別平均価格で高いとされている長崎県の平均価格よりも10円以上安い。既に180km走って来たので途中に給油するために立ち寄った。それなりの量の給油ではあったが2,000円でお釣りが来る。何となく得した気分になる。<br /><br />スタンドを後にして佐世保へと向かう。何もない県境を越え、伊万里市から佐世保市に入る。佐世保といえばハウステンボスなのかも知れないが私の辞書にその文字はない。佐世保市をスルーして早岐をかすめてそのまま針尾北町へと進み途中から山手の公園を目指すこととなる。浦頭引揚記念平和公園は、近くの針生島浦頭港が第二次世界大戦終結後、海外から日本国内に引揚げて来る日本人の受け入れ場所のひとつとして厚生省佐世保引揚援護局の検疫所が置かれた場所であり、昭和20(1945)年10月から昭和25(1950)4月迄に約139万人の引揚者が浦頭埠頭に到着した。その後引揚者は現在ハウステンボスのある旧針尾海兵団迄の道のりを徒歩移動して諸手続きをした後、大村線の南風崎駅からそれぞれの郷里へと戻ったと云う。この引揚者の苦労は色々な文献に於いて取り上げられているためここでは割愛するが、生きて国土を踏めたものだけではない。引揚船内で亡くなった方、遺骨になって引揚船に乗って来た方々等様々である。公園にも〝浦頭引揚記念資料館〟〝引揚者像〟〝平和の像〟田端義雄の〝かえり船碑〟等関連施設もあるが、歩いて海辺に行けば〝引揚第一歩の碑〟等も見ることができる。今では〝浦頭国際埠頭〟と名を変えて役目も変わったが、70数年前にこの場所であったことは知るべきことだと私には思える。もっとも夜の帳が下りている時間では見通しが効かず、浦頭界隈がどの様なものだったのかを推測すらできなかったが、やはり〝終戦後の日本〟を知る上では必訪地であることは違いはないので、また機会を改めてゆっくりと見て回りたいと思う。見通しの効く場所を訪れたと云うことで出発することにした。<br /><br />しばらく国道202号線を走り、針尾ICから西海パールラインを走行する。バイパス扱いなので信号もないため走りやすい道路であるが、ETCが使えないのが不便なところである。軽自動車100円の通行料を支払い走り始めるとすぐ新西海橋を渡る。昼間ならば景色の素晴らしい場所であるが、夜間なので通過するだけである。西海パールラインとしては小迎ICまでなのであるが、その先も大串ICまで小迎バイパスとして走れるので佐世保から長崎に向かうには都合の良い道路であった。一般道の国道206号線に下りて長崎市内へと向かって走る。時間も時間なので遅い夕食を摂ろうと吉野家長崎滑石店に立ち寄った。長崎迄来て〝吉野家〟はないだろうと帰ってから言われたが、朝のバイキングのトラウマがあり〝お一人様〟で食事をしたいと思っていたのがその理由である。<br /><br />食事を済ませ長崎の市街地を目指す。ナビを見ながらふと思ったことが、北方向から市街地に向かっているので浦上を通るということであった。浦上と言えば先ず〝アンジェラスの鐘〟が頭に浮かぶ。長崎に原爆が投下された際に浦上天主堂の旧鐘楼が爆風で吹っ飛び落下した遺構である。修学旅行で長崎を訪れた際に〝それだけ〟は記憶に残っていたことから〝長崎に来て必ず訪れる場所〟と考える場所である。日付が変わる時間帯に訪れる場所ではないが、目の前を通り過ぎる気持ちになれずに立ち寄った次第である。5年ぶりの再会となるがなにも変わってはいなかった。手持ちのカメラではその姿を捉えるのは困難だったが、取り敢えず今日も立ち寄った。<br /><br />次いで向かったのは旧長崎医科大学門柱である。現在の長崎大学医学部の敷地内にあり、現在も通用門として使われている史跡である。爆心地から600mに位置するこの門柱は1.2m四方で高さ1.8m、台座の上にまっすぐに立っていた。原子爆弾ファットマンの炸裂により向かって右側の門柱は山陰となり影響はなかったものの、左側の門柱は9cmも前にズレた上に台座との間に最大で16cmの隙間ができたとされている。この傾きこそが戦後になって原爆による〝爆風〟の圧力を測定する際の基礎となり、調査により爆心地から500mの地点で1平方センチメートルあたり1kgという強力な力が掛かったと考えられている。単純に門柱の一面に掛かった圧力は21.6tとなる訳なので、10t積みの大型トラックが寄りかかった位の圧力以上だったことがわかる。よくぞ残ってくれたとしか思えない門柱だが時間のこともあり、今日は場所の確認だけに留めておく。<br /><br />最後に山王神社の〝一本足鳥居〟にも立ち寄った。場所はナビに表示されるのだが、辿り着く道が見当たらないと云う場所であった。Google mapで場所を表示させて近付けるところまで近付こうとすると、どうやら車では辿り着けない場所にある様だ。ピンポイントの場所を特定し、車を停めて下りてみると街灯に浮かび上がるその姿を捉えることが出来た。現存する二の鳥居は爆心側半分が倒壊し、一本足で立っている。また笠石が爆風で捻じ曲げられているとはあるが、見通しの効かない夜ではどの程度曲がっているのかがよくわからないところがある。二の鳥居の奥には倒壊した爆心側半分の遺構が残っており、石鳥居が倒れるだけの爆風ならば人間などひとたまりもなかったろうにと云うことは容易に想像がつく。夜に三箇所原爆遺構を巡ったが、やはり昼間に来るべきと考えて今日の行程は終わりにする。<br /><br />車に戻り宿を目指すことにする。本日は元船町のビジネスホテルニューポートである。ここはツアー組み込みの宿故に素泊まり扱いとなっている。一階にヤマザキデイリーストアがあるが24時間ではない。ホテルの駐車場もないと云うことでちょっとシマッたと思ったがまあ仕方がない。フロントは4階にあり、取り敢えずチェックインする。5階の520号室が本日の寝床だが、久々の喫煙シングルルームであった。寛ぐ前に車を駐車場へと回さなければいけない。ホテル裏にある〝橋本大波止駐車場〟と云うのが10時迄最大1,000円ということを聞きそちらを利用することにした。車を停めてホテルに戻り部屋に行く。普通のビジネスホテルのシングルルームだが、昨日の嬉野館と比較すると人とも会わないので天国である。シャワーを浴びて汗を流し、ベッドに横になると14時間ハンドルを握っては歩いてを繰り返した疲れがどっと出て来てzzz。日付は変わっているので寝たのは26日だが、長崎最終日の朝を迎えるのであった。<br /><br />令和4(2022)年10月26日<br />旅先にしてはゆっくりとした朝を迎える。今日は長崎市内を巡ることが予定だったこともある。取り敢えずチェックアウトを済ませ車へと移動する。ここからさっさと出発すれば良いものを一服とホテル外観の写真を撮るために戻ってくる。夜に一時雨がパラついた日もあったが、昼間は良い天気が続いたことはラッキーだった。その後車に戻って3日目の行動をスタートさせる。本日最初の目的地は、5年前に船上から見た小菅修船場跡である。<br /><br />  《続く》

《2022.October》あみんちゅなにげに九州街歩きの旅佐賀長崎その四~武雄と伊万里そして長崎編~

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2022/10/25 - 2022/10/25

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《2022.October》あみんちゅなにげに九州街歩きの旅佐賀長崎その四~武雄と伊万里そして長崎編~

今回の目的地のひとつである祐徳稲荷神社を後にして、第二の主目的地である武雄市北方の普明山高野寺を目指し車を走らせる。鹿島市の祐徳稲荷神社から武雄市に向かう道は昨晩走った道とほぼ同じである。若干距離はあるものの特別渋滞もなく30分程で到着する。

ナビの指示に従い国道34号線から脇道に入り暫く進むと寺の駐車場に到着する。見た感じ参拝客の車らしいものも見えない様だ。高野寺の由来書によると、千二百年余り前に弘法大師空海によって開かれた古刹であり、鎌倉時代の古文書には〝いかなる罪人も高野寺の境内に走り候えばその罪も免じる〟と書かれているらしい。山門を潜れば慈悲深い仏の懐にも似た深く静かな佇まいが漂い〝九州八十八ヶ所霊場〟や〝肥前の国七福神〟の毘沙門天霊場として子授けや安産祈願やボケ封じの祈願の道場として知られているとある。個人的な解釈になってしまうのだが、この〝罪を免じる〟ということが〝水子〟に繋がるのか、かなりの水子地蔵が寺の規模の割には並んでいる様に私には見えたのだった。

神社仏閣で行われている風鈴まつりの特徴として建物の近くまで辿り着くと〝風鈴〟の軽やかな音色が聞こえてくる。そんなイメージを持って本堂へと向かうのだが、意外にも風鈴の音が聞こえて来ないのである。確かwebサイトに記載されていた風鈴まつりの開催が〝10月下旬〟と書かれていたので、もしかするともう終わってしまったのかと心配になる。しかしその心配は無用だったことがすぐに判明する。風鈴まつりを行なっている施設では、殆ど〝ガラス風鈴〟を用いているのだが、こちら高野寺では〝金属製の風鈴〟が主役なのである。なにが違うのか?と言われそうだが、ガラスの風鈴は紐で短冊が吊るされているため、紙でできた短冊は重さが軽い上に表面積は広いため、少しの風でも短冊が流されるために〝鈴〟の部分にガラス棒が当たり音を奏でている。しかしこちら高野寺の金属製風鈴の場合、吊るされている部分も金属であるために重さがある。勿論短冊が吊るされたものもあるために音を奏でているものもあるのだが、多くは鈴も金属で吊るされている部分も金属であるために弱い風だと音がしないという理由の様だ。その違いに気づいたのはお恥ずかしながら風鈴回廊に吊るされた〝高野寺の風鈴〟がどんなものか気付いた時のことであった。

私自身も佐賀県の寺院までは知らないところの方が多いため、今回〝風鈴まつり〟を開催している〝施設〟を検索して初めて知った場所である。地元での知名度は高いのか低いのかはわからないが、三大稲荷のひとつである祐徳稲荷神社とは比較にならないのは事実であろう。とは言え訪れる機会を得たのは事実なので、他とは違う〝風鈴まつり〟を体験しようと改めて思った。

今まで訪れた風鈴まつりのうち神社仏閣で行われているものは〝勝手に見て勝手に帰る〟という方式が当たり前の様に取られていた。しかしこの高野寺は建物内の回廊に風鈴が吊るされているために、許可を得て建物内に入る必要がある。そのためインターホンで〝風鈴を見学〟したい旨を伝え、本堂に入れて頂く手順が必要となる。手順というと大袈裟だが、本堂の拝観を含め入山料は無料であるために〝断りを入れる〟という言い方が正しい様に思っている。お寺に上がらせて頂き、本堂に安置されている西日本一の大きさを誇る御本尊〝十一面千手観音菩薩〟に手を合わせることから始まって、両脇に風鈴が吊るされた〝回廊〟を金属製故の重みのある〝風鈴の音色〟を楽しみつつ紅葉が始まったばかりの庭を見ながら歩いて行く。その〝お百度参りの回廊〟の行き着く先には金運栄達のご利益を授ける36体の不動明王が祀られた不動堂である。とにかくこの高野寺には〝不動明王様〟が沢山いらっしゃるのが印象に残る。駐車場にもいらっしゃった。

しあわせ回廊から直角に曲がる様に続く悪魔よけ回廊と進むが、この回廊の作りが中華の九龍思想と同じ様に〝真っ直ぐではない〟作りであることにふと気づく。一応右側通行とは書かれているが、他に参拝客もいないために左右を見ながら歩いて行く。途中に〝延命地蔵様〟がいらっしゃっており、そういったご加護もあるのかと手を合わせて記憶しておく。地蔵菩薩様の横には崩れた石灯籠が置かれている。高野寺のひとつ不思議なことが、確か本堂を含めて改築されたのは平成だった筈だと記憶している。その際に回廊やお堂にも手を加えたことが記してあった。そのため殆どの建物が新しいのだが、歴史ある石灯籠等は元来あった場所に放置してある様に見えてならない。この崩れた石灯籠も崩れたままなのはともかく、回廊との小さなスペースに置いてある感が漂っている。残存している構成部分に永仁三(1295)年という文字が刻まれており、鎌倉時代の建立物としては県内でも数少ない遺品のひとつであることが記されていた。そのままの姿で放置されたのか、あるいは別の理由で手を加えなかったことなのかはわからないが、窮屈過ぎる場所に建立された石灯籠にちょっと残念な気持ちを感じてしまった。他にも日本庭園に向かう通路の脇に謂れの不明な地蔵様が居られたりする横を通り、不動堂に到着する。三十六体の不動明王様の前には〝願い叶う鐘〟が吊り下げられいる。〝お一人一打〟と現実的なことも書かれてはいるが、ここは素直に〝旅路の安全〟を祈念する。またこの鐘の音が心に染み渡る〝心地良い音色〟であり、ホントに願いが叶うように感じられるから不思議である。この鐘、つまり不動堂前に一際大きな〝風鈴〟が吊り下げられていた。大きさは勿論だが音を奏でる〝金管〟の長さも結構ある。傘の中心部に吊り下げられたヒモの先には、これまた大きな木の板が括り付けられており、風を受け止める効果を出している様なものであったが、山肌を下って来た風が少し強く吹けば鳴るように作られていた。しかし天気が良い分だけ風もない日だったこともあり、風鈴が乱舞する様な姿を見てはいないのがその日の現実であった。しかし板の大きさは一定の効果はあるのかたまに鳴ってくれたりもする。本当に親玉は気まぐれだとも思うが、その音は低音でやはり響く音であり、心に染み渡る音色であった。その〝親玉風鈴〟の音色を奏でる姿を動画に収めようと、椅子の上に立ち上がってスマホカメラを構え続ける。しかし中々カメラを構えている時に風が上手く吹いてはくれないため、色々とアングルを変えて構えることを続けるのだが、場所を移動している最中にちょうど良い風が吹き独特の音色を奏でている。なにか〝親玉とは相性悪い?〟とも思えて来た私だったので〝後3分〟と時間を決めて滞在するが、残念ながら〝親玉〟の動く姿をカメラに収めることは出来なかった。

残念ながら〝天候相手〟なので仕方がない。後ろ髪引かれる思いで悪魔よけ回廊を本堂方向へと歩いて行く。右側通行を心掛けていたわけではないが、回廊平地側には落葉樹が沢山植えられており、枝先から紅葉が始まっている様子を見ながら歩いて行った。ちなみに不動堂少し手前から〝奥の院〟に向かう参道があると記されている情報があるが、基本高野寺の奥の院や日本庭園は、シャクナゲや紅葉の時期に〝有料拝観〟されている場合に限ってのことであり、通常期は参道整備がなされていないという理由で立入禁止の扱いとなっていることを現地確認をして初めて知った。

風鈴回廊を往復して出入口に戻って来る。退出の際のご挨拶はするべきだとも思うのだが、御住職も忙しいためにインターホン越しのやり取りになるのだろうと勝手に考え、高野寺本堂から退出した。その後本堂裏に回って建物等を一覧する。どうやらお守りの授与等の業務はこちらでされておられることを知った。陽も既に傾き始めており、予定時刻から大幅に遅れていることはわかっていても、やはり一言一会の参拝故その機会は大切にしたいと思う。

車に戻り取り敢えず出発する。坂を少し下った所に七福神が並んだ別の建物があり、立ち寄ってみることにした。車を停めた場所の隣には凄い数の水子地蔵様がいらっしゃった。水子供養を掲げている寺院は沢山あるが、寺院の規模から見るとかなり数は多い様に感じた。下の山門には七福神の他金剛力士像が門を守っている。山門内には多くの石像や石仏が並んでいる。ボケ封じ観音・出迎え地蔵・縁切地蔵様が並び、そのご利益が書かれており、多くの人々が訪れては拝んで触った痕が確かに残っている霊験あらたな観音様・地蔵様である。その他にSNSで取り上げられて有名になった〝だきつき観音〟。ハグして観音様のご慈悲を頂くという〝説明書〟でバズったという。せっかくなので・・・と人見知りをする私も観音様とハグして参りました。ご利益は如何に?

その他にも〝無事カエル〟の石像や、山門前の仁王様等寺院の仏像や観音像・地蔵菩薩とは異なった趣旨で作られたのであろう像が沢山置かれており、お寺参りの堅苦しさだけでない〝楽しさ〟を与えられる様な場所になっている様に私には思えた。またこの下の山門からは、時期になると利用される日本庭園へと向かう参道の入口も設けられていた。武雄市の観光地データによると、シャクナゲや紅葉の時期には大型バスでの拝観客も来ることがあり、混雑で揉みくちゃにされることもあるそうだ。この時期では広い駐車場に車が1台だったが、それだけ混雑するのだから〝素晴らしいものだろう〟と妄想が膨らむ。機会があれば是非春の時期に再訪したいと思いつつ、高野寺を後にして車を走らせることにする。

武雄市を北上し国道498号線をひた走る。田舎道の筈だが途中バイパスまで設けられている。若木集落手前に書かれていた〝川古の大楠公園〟の看板を見つけ、立ち寄ることにした。日本の巨木ランキング第5位のクスノキは明確な樹齢は不明だが、樹齢約3,000年以上と言われている。奈良時代に全国を行脚した名僧行基がこの地を訪れた際に当樹の幹に像高2.4mもの観音像を直接刻んだと伝えられている。その後観音像は明治維新の廃仏毀釈に遭って切り取られてしまったとされたが、何となく〝仏像か?〟というレベルでは残っていた様だ。その後昭和62(1987)年の台風で剥離してしまったという。その剥離したとされる〝川古のクス幹彫り観音立像〟として公園内の小さなお堂に別に祀られて今日に至っているという。川古公園が整備された際に樹木医らの力添えにより、大クスは勿論その根の周りの土壌改良までが行われて、佐賀県唯一の国の天然記念物となる大クスは生きながらえ、今日に至っている。信仰の対象になるだけの大きさはあり、中々全景をカメラに収めるのも難しい。大クスの周りをベストポイントを探すべく歩いてみるが、どこへ行ってもしっくり来る場所がない。なぜ?とふと考えると用水路に掛かる〝橋〟の上の人影が全ての角度で写り込んでしまうために違和感を感じていたことに気づく。地元の人の様なので観光客の戯言を言うことも気が引け、しばらく待っていたがやはり何がおかしい。動いていない??と疑問に思い近付くと、まさかの〝カカシ〟だった(笑)。

まぁそんな滑稽なこともあったが、新たな立ち寄り地を後にして残りの行程を走り始めるとする。再び国道498号線を走り伊万里市街に入った所で道の駅伊万里ふるさと村に立ち寄る。営業時間が18:00迄とあり、ある意味必死の訪問でもあった。別に立ち寄るだけならば時間は関係ないが、今回に限っては〝買い物〟という大義名分があった。今更知らない方もいないとは思うが、全国旅行支援を利用した際に発行される〝地域限定クーポン〟は宿泊施設と同都道府県で、宿泊日とその翌日に限り利用できるという代物だ。つまりこの後長崎県に入ってしまえば利用できなくなる訳である。残り金額は2,000円と無駄にはできない金額なので、あくまでOn the wayで〝お土産〟を買える場所としての〝最後の砦〟でもあった訳である。伊万里の名産に〝伊万里饅頭〟というものがある。観光地名+饅頭というネーミングならばどこにでもあると思われそうだが、この伊万里饅頭JALの Webサイトで紹介されたものであり、地域タイアップの際に国内線ファーストクラスで出された〝お菓子〟なのである。なんでも洋菓子屋さんが作る〝饅頭〟ということなので、どんな物かと興味はあったが、販売箇所が限定されており、その内のひとつが道の駅だった訳である。時間も時間なので急いで入ったが〝ありました!〟。だが個数が決まっている等強気の販売姿勢。まあ文句を言っても始まらないので必要個数を計算し、後は自宅用の別物を買い求め地域振興クーポン+αを支払って無事に使い切る。GoToの際は隣接県での使用が認められていたことを踏まえると使い勝手の悪さは否めない。

てな感じで慌ただしく買い物を終えて一服の後、伊万里の市街地を経て伊万里鍋島焼会館へと向かう。この界隈は〝秘窯の里伊万里大川内山〟として伊万里焼の窯元が数々あり、江戸時代には鍋島藩の藩窯として管理していた歴史があった。その時代に皇室とか朝廷などに献上品として焼物を献上する〝鍋島焼献上の儀〟の技術と伝統を引き継いで組合でやろうと言うことになり、平成元(1989)年から〝城持ちの行政区〟に対し、古式に則り3ヶ月もの月日を掛けて制作した〝瓶子〟を各市長を組長と見立てて献上する儀が行われる様になった。ことしは鶴ヶ城のお膝元会津若松市に東北で初めて献上されることとなり、市長からは日本最高峰と讃えられている鍋島焼を受け取ることに対して感謝と覚悟の言葉が新聞上に載る程の地域を挙げての行事となっていることが記されていた。また平成16(2004)年からは6月から8月31日迄の期間で〝伊万里大川内山風鈴まつり〟が夏の風物詩として行われるようになり、各窯元の軒先や会館前で約1,000個もの風鈴が展示と販売がされている他福岡空港でも展示販売されていることが今年令和4(2022)年の風鈴まつりの概要に書かれていた。

この風鈴まつりの情報は実は会期を含めて知ってはいたのだが、まだまだ旅行というものが大手を振って行くことができる時期ではなかったために諦めたという経緯がある。そのため時期外れを承知で今回の立ち寄り地のひとつに加えたのだ。ただ到着したのはすでに日暮後のことであり、窯元は勿論会館も既に閉まっていた。その様な時間帯ではあったが車を停めて付近を歩いてみた。橋の欄干には鍋島焼の壺が用いられているなど、歩いているだけでも〝焼き物の街〟が感じられる場所ゆえ、ここは外すことができない場所だと改めて思い、次回訪れる場所のひとつとして心に刻みつけた私であった。

まあ今日はこれ以上は何もできないので車へと戻り先へと急ぐことにする。次に向かうは長崎県佐世保市となるため国道202・35号線を走るルートを取る筈だが、ここで一軒ガソリンスタンドに立ち寄って給油をする。丸紅エネルギー伊万里SSは、佐賀県のガソリン価格ランキングで格安スタンド上位に食い込んでいる地元では有名なガソリンスタンドである。現金フリーで156円/Lの値段は、都道府県別平均価格で高いとされている長崎県の平均価格よりも10円以上安い。既に180km走って来たので途中に給油するために立ち寄った。それなりの量の給油ではあったが2,000円でお釣りが来る。何となく得した気分になる。

スタンドを後にして佐世保へと向かう。何もない県境を越え、伊万里市から佐世保市に入る。佐世保といえばハウステンボスなのかも知れないが私の辞書にその文字はない。佐世保市をスルーして早岐をかすめてそのまま針尾北町へと進み途中から山手の公園を目指すこととなる。浦頭引揚記念平和公園は、近くの針生島浦頭港が第二次世界大戦終結後、海外から日本国内に引揚げて来る日本人の受け入れ場所のひとつとして厚生省佐世保引揚援護局の検疫所が置かれた場所であり、昭和20(1945)年10月から昭和25(1950)4月迄に約139万人の引揚者が浦頭埠頭に到着した。その後引揚者は現在ハウステンボスのある旧針尾海兵団迄の道のりを徒歩移動して諸手続きをした後、大村線の南風崎駅からそれぞれの郷里へと戻ったと云う。この引揚者の苦労は色々な文献に於いて取り上げられているためここでは割愛するが、生きて国土を踏めたものだけではない。引揚船内で亡くなった方、遺骨になって引揚船に乗って来た方々等様々である。公園にも〝浦頭引揚記念資料館〟〝引揚者像〟〝平和の像〟田端義雄の〝かえり船碑〟等関連施設もあるが、歩いて海辺に行けば〝引揚第一歩の碑〟等も見ることができる。今では〝浦頭国際埠頭〟と名を変えて役目も変わったが、70数年前にこの場所であったことは知るべきことだと私には思える。もっとも夜の帳が下りている時間では見通しが効かず、浦頭界隈がどの様なものだったのかを推測すらできなかったが、やはり〝終戦後の日本〟を知る上では必訪地であることは違いはないので、また機会を改めてゆっくりと見て回りたいと思う。見通しの効く場所を訪れたと云うことで出発することにした。

しばらく国道202号線を走り、針尾ICから西海パールラインを走行する。バイパス扱いなので信号もないため走りやすい道路であるが、ETCが使えないのが不便なところである。軽自動車100円の通行料を支払い走り始めるとすぐ新西海橋を渡る。昼間ならば景色の素晴らしい場所であるが、夜間なので通過するだけである。西海パールラインとしては小迎ICまでなのであるが、その先も大串ICまで小迎バイパスとして走れるので佐世保から長崎に向かうには都合の良い道路であった。一般道の国道206号線に下りて長崎市内へと向かって走る。時間も時間なので遅い夕食を摂ろうと吉野家長崎滑石店に立ち寄った。長崎迄来て〝吉野家〟はないだろうと帰ってから言われたが、朝のバイキングのトラウマがあり〝お一人様〟で食事をしたいと思っていたのがその理由である。

食事を済ませ長崎の市街地を目指す。ナビを見ながらふと思ったことが、北方向から市街地に向かっているので浦上を通るということであった。浦上と言えば先ず〝アンジェラスの鐘〟が頭に浮かぶ。長崎に原爆が投下された際に浦上天主堂の旧鐘楼が爆風で吹っ飛び落下した遺構である。修学旅行で長崎を訪れた際に〝それだけ〟は記憶に残っていたことから〝長崎に来て必ず訪れる場所〟と考える場所である。日付が変わる時間帯に訪れる場所ではないが、目の前を通り過ぎる気持ちになれずに立ち寄った次第である。5年ぶりの再会となるがなにも変わってはいなかった。手持ちのカメラではその姿を捉えるのは困難だったが、取り敢えず今日も立ち寄った。

次いで向かったのは旧長崎医科大学門柱である。現在の長崎大学医学部の敷地内にあり、現在も通用門として使われている史跡である。爆心地から600mに位置するこの門柱は1.2m四方で高さ1.8m、台座の上にまっすぐに立っていた。原子爆弾ファットマンの炸裂により向かって右側の門柱は山陰となり影響はなかったものの、左側の門柱は9cmも前にズレた上に台座との間に最大で16cmの隙間ができたとされている。この傾きこそが戦後になって原爆による〝爆風〟の圧力を測定する際の基礎となり、調査により爆心地から500mの地点で1平方センチメートルあたり1kgという強力な力が掛かったと考えられている。単純に門柱の一面に掛かった圧力は21.6tとなる訳なので、10t積みの大型トラックが寄りかかった位の圧力以上だったことがわかる。よくぞ残ってくれたとしか思えない門柱だが時間のこともあり、今日は場所の確認だけに留めておく。

最後に山王神社の〝一本足鳥居〟にも立ち寄った。場所はナビに表示されるのだが、辿り着く道が見当たらないと云う場所であった。Google mapで場所を表示させて近付けるところまで近付こうとすると、どうやら車では辿り着けない場所にある様だ。ピンポイントの場所を特定し、車を停めて下りてみると街灯に浮かび上がるその姿を捉えることが出来た。現存する二の鳥居は爆心側半分が倒壊し、一本足で立っている。また笠石が爆風で捻じ曲げられているとはあるが、見通しの効かない夜ではどの程度曲がっているのかがよくわからないところがある。二の鳥居の奥には倒壊した爆心側半分の遺構が残っており、石鳥居が倒れるだけの爆風ならば人間などひとたまりもなかったろうにと云うことは容易に想像がつく。夜に三箇所原爆遺構を巡ったが、やはり昼間に来るべきと考えて今日の行程は終わりにする。

車に戻り宿を目指すことにする。本日は元船町のビジネスホテルニューポートである。ここはツアー組み込みの宿故に素泊まり扱いとなっている。一階にヤマザキデイリーストアがあるが24時間ではない。ホテルの駐車場もないと云うことでちょっとシマッたと思ったがまあ仕方がない。フロントは4階にあり、取り敢えずチェックインする。5階の520号室が本日の寝床だが、久々の喫煙シングルルームであった。寛ぐ前に車を駐車場へと回さなければいけない。ホテル裏にある〝橋本大波止駐車場〟と云うのが10時迄最大1,000円ということを聞きそちらを利用することにした。車を停めてホテルに戻り部屋に行く。普通のビジネスホテルのシングルルームだが、昨日の嬉野館と比較すると人とも会わないので天国である。シャワーを浴びて汗を流し、ベッドに横になると14時間ハンドルを握っては歩いてを繰り返した疲れがどっと出て来てzzz。日付は変わっているので寝たのは26日だが、長崎最終日の朝を迎えるのであった。

令和4(2022)年10月26日
旅先にしてはゆっくりとした朝を迎える。今日は長崎市内を巡ることが予定だったこともある。取り敢えずチェックアウトを済ませ車へと移動する。ここからさっさと出発すれば良いものを一服とホテル外観の写真を撮るために戻ってくる。夜に一時雨がパラついた日もあったが、昼間は良い天気が続いたことはラッキーだった。その後車に戻って3日目の行動をスタートさせる。本日最初の目的地は、5年前に船上から見た小菅修船場跡である。

  《続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス レンタカー JALグループ 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
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