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《2022.September》あみんちゅぶらり淡海を歩く旅そのLVI大津~風鈴の音に誘われ西教寺再訪編~<br /><br />9月も半ばを迎え秋らしくなって欲しい・・・という願望も届いてはくれずなんら真夏と変わらない暑さが続いている。暑さが続くことは私にとって季節も変わっていないという解釈をする。つまり夏が続いていること=夏の風物詩を追いかけ続けることに他ならない。今年の夏は〝風鈴〟を夏の風物詩として取り上げた。やはり巷では9月=秋とされるのだろう、8月末を以って大抵の風鈴まつりは終了したようだ。しかし〝風鈴まつり〟というイベントも元々9月迄行う予定だったものや暑さが続く日々に対し〝納涼〟の意味を込め期間延長となったもの等あり、まだまだ楽しめる場所があることを知る。<br /><br />今回取り上げた場所は2週間前に訪れている滋賀坂本の西教寺である。令和4(2022)年8月31日はライトアップ最終日というタイトルで訪れた。ならば時期を変えて行けば良いのではと言われそうだが、基本夜のイベントを重視している私にとって、昼間に訪れたことがない場所も少なくない。実は西教寺も夜しか知らない寺院である。坂本城主であった明智光秀と関係深いことは知っていても、実際に堂宇内の拝観をしたこともなく、境内に建立されている各塔がどのようなものか答える自信がないのが現実である。やはり昼間に見通しが効く状況下で拝観すべしと思ったことがきっかけで、風鈴まつりが継続されていることを踏まえ、西教寺再訪となった訳である。<br /><br />先ずはいつものローソン大津大平一丁目店に立ち寄ってから出発する。目指すは西教寺と行きたいのであるが、とある情報を仕入れまずは大津港へと向かった。基本路駐が出来ないので市営駐車場に仕方なしに駐車する。実は大津港に西教寺の風鈴が提供されており、西教寺の風鈴まつりの期間中に大津港にも飾られていると新聞に掲載されていることを知ったためである。新聞に載せる位なので見ることができて当たり前だと思っていたが、見渡す限りそれらしいものを見つけることができない。外部の人間が立ち入れない場所に飾っても意味がないので、目ぼしいところを確認するがやはり見当たらないい。スタッフさんに聞けば良いのだが、ミシガンクルーズの乗車の絡みもあり結構忙しく動いている様子。実際に飾られている様子がインスタを含めて幾つかあったが、背景から推測した場所には取り付けられてはいないようであった。<br /><br />本日の行程は移動距離は大したことはないものの時間の縛りがある。あるがないかすら不明のものを探す時間的余裕はないので諦めて車に戻ることにした。市営大津港駐車場は30分刻みで料金が上がる。目的を達成出来ないのに駐車場代金を払いたくないので急いで出庫する。1時間未満で150円、ものの見事に浪費してしまった。<br /><br />そして西教寺を改めて目指すことにする。距離の面では旧国道161号線の滋賀県道558号線の方が距離が短く早いと思われるが、そこは素直にナビの指し示す国道161号線西大津バイパスを走ることにする。走りにくい高規格地方道で有名な西大津バイパスだが信号がないので皇子山ランプから滋賀里ランプ迄のひと区間を走り西教寺の参拝者用駐車場に到着する。駐車場案内は西教寺のお坊さんらしき方がされており、暑い中ご苦労様と思いながら指示に従って車を停めた。<br /><br />8月末にライトアップの際に訪れた時は勅使門前のブースで入山料を徴収されていたが、昼間は山門隣の受付で入山料を払うシステムになっていた。ライトアップの際には会場のひとつとなる参道であるが、今日はただの通り道となっているに過ぎない。上り坂となっている参道を歩き勅使門手前で左へと向かう。宗祖大師殿という立派な建物は西教寺中興の祖である真盛上人を祀っているものである。入口にある唐門前は琵琶湖が一望できるビューポイントとしても有名だが、ただ景色を撮るだけでなく〝唐門と琵琶湖〟というタイトルが付けられる景色が良いようだ。唐門越しの景色くらい簡単だとたかを括っていた私であったが、唐門全容を捉えるために広角レンズを使用すると、露出が建物部分に合ってしまうため、景色が白飛びしていまう。フィルムカメラで果敢にチャレンジしたが、残念ながら全て同じものとなってしまい半ば合成に近いスマホ画像を紛れ込ませて〝撮れた〟と割り切ることにする。この唐門には風鈴はなく風車が門の両脇に飾られていた。風鈴参道通り抜けがテーマではあるが、ここはここで味を出しているので良しとする。<br /><br />宗祖大師殿の隣に建立された真盛上人の子供時代の石像も見ながら順路へと戻って行く。ここにも手水舎があるが特に飾り立てはされていない。そして〝風鈴広場〟に続く最後の階段に於いては風鈴棚が見えており、二回目ではあれど気持ちが昂ぶってくる。<br /><br />西教寺風鈴まつりは1,500個の風鈴が奉納されていると書かれている。人の観点には色々あるため〝これ〟という答えではないが、二基の風鈴棚だけでは到底数が足りないように見える。これは最初夜のライトアップに訪れているためにそう思えるのであって、細かく見て行けば本堂横・大本坊・客殿と本殿並びにその廊下・庭園内と随所に飾られていることがわかる。特に廊下付近に吊るされている風鈴の数は結構な密度で飾られているためそれなりの数があることがわかる。この辺りはライトアップという〝イベント〟だけで判断できるものではなく、昼間の眺望が確保されている状況下での確認が必要である。本堂正面の風鈴棚を潜り抜けるとそこには金色の阿弥陀如来様がいらっしゃるという〝表現〟は、昼間に訪れるとなるほどと思える事実であった。<br /><br />堂宇の中に入る前に明智一族の菩提寺と言われる証を確認することにする。明智光秀の正妻煕子の墓、本能寺の変・山崎の戦い・坂本城の攻防戦で戦死や殉死した一族郎党の御霊を弔うべく煕子の父にあたる第12代妻木城主妻木広忠はここ西教寺に遺骸を葬った後、娘煕子の墓前にて自刃したと伝わっている。また戦乱の世の中で敗死した武将を俳句で弔うことが多かった松尾芭蕉も西教寺を訪れており、唯一とも言われる明智光秀の妻である煕子を詠んだ句が残されている。裏切者や反逆者として捉えられることの多い明智光秀ではあるが、煕子のことを詠んだこと即ち明智光秀に対しても〝悪〟という概念は持っていなかったように思えてならない。明智光秀自身生誕からの半生は不明なことが多く、歴史付きには興味深い人物であることには違いはない。なぜ本能寺で信長を討ったのかは歴史上のロマンでもあり、永久にわかることがないことであると私は思う。もしかすると光秀自身が天下人を狙っていたのかも知れないが、戦乱の時代にそのような野心が芽生えても不思議ではない。しかし天下人になるならば信長だけを討ったとしても、配下の武将に〝敵討ち〟の大義名分を与えてしまうこと位は智将光秀がわからないはずがないと考える。本能寺の変後毛利に使者を送り、それ相応の立場や権限を与える代わりに味方について欲しいという〝願い〟はワンマンにはなれない光秀の性格から考えても間違えはないだろうし否定する要素もない。しかしその使者は運悪く秀吉方に捕らえられ、本来ならば暫く知ることもなかった本能寺の変のことを知らせることとなってしまった。チャンスがあればのし上がる気持ちは秀吉にもある訳で、先手を打って明智包囲網を作ってしまえば〝負け戦はない〟と確信したのであろう。光秀は人間味溢れた慎重な人物であったことに違いないが、一族を含め重臣の中にはやはり〝信長を討った〟という驕りがあったに違いない。安土城の金銀財宝は確かに魅力的ではあったにしろ先ずは地場固めである。西教寺を含め近江国の天台宗寺院は信長に焼き討ちされたことを恨み続けていた事実もあり、反信長勢力を取りまとめるだけでもかなりの勢力になったように思う。それが後手に回った挙句秀吉の軍勢と山崎で戦うにあたり、自軍に様子見の武将が多いこと位はわかっていただろう。結局史実通りに敗戦を期し、坂本城へと落ち延びる際に土民の竹槍に刺されて深傷を負い、自刃するしかなかった光秀。猛将と言われた甥の秀満も湖水渡りの〝驚き〟を与えたが、結局湖水渡りを見守った堀秀政の軍勢に坂本城を取り囲まれ、もはやこれまでと一族を殺害した後火薬庫に火を掛け城もろとも〝無〟に帰し、明智の三日天下を締め括ったことが顛末である。ただ幸いなことに明智の血筋はなくなった訳ではなく、妻煕子の実家妻木氏は、その後秀吉配下を経て関ヶ原では東軍について領地を安堵され、江戸時代を乗り切り現在に至っている。天下人にはなれなかった光秀だがその血筋は現在も生き続けていることは、一族にも慎重な人物がいたことの現れてあろう。そんな空想話を頭に浮かべながら、光秀があの世からどんな風に現世を見ているのかとふと感じた私であった。<br /><br />西教寺客殿隣にある放生池。それに掛かる小さな石製の太鼓橋を渡り山登りの如き階段がある。ご老体に階段はキツイのだが夜には歩けない場所故奮起して歩いて行く。途中高田山真恵上人御廟塔と書かれた石塔があるが、上人が生きた時代と石塔の建立時期とが一致していないということでは満足の行く説明等できる訳がないのでスルーすることにする。そして階段を登り切った場所には西教寺中興の祖真盛上人の廟があり、その周りには歴代管主の御廟が建立されており、厳か感が生半可なものではないことは私にも伝わって来る。そういう所だからこそ暫し雰囲気に浸っていたい気持ちはあるのだが、実はこの場所ブヨがウヨウヨしている場所であり、それ程多くの参拝客も訪れないと見え〝カモが来た〟とばかりに寄って来るのである。<br /><br />今年はブヨの標的になってばかりいるためにアナフィラキシーに陥らないとも限らない。蚊に食われた跡と比べてもかなり違うためにかなり神経質になっていることも事実である。多分ブヨの存在に気付いたのは水無瀬神宮の風鈴ライトアップに行った時が初めてだと記憶しているので、一週間くらいのサイクルでブヨの標的になっている。水無瀬や橿原のブヨに比べると坂本のブヨは鈍臭いようで何匹かは吸血されている最中に叩き殺した。しかしあくまで聖なる場所での殺傷は害虫であっても気がひけるので、やむなく退散するために階段を駆け降りた私であった。<br /><br />本堂前広場に戻って来て、先に拝観履歴のない場所から回って行くことにする。本堂を回り込むように進み、鐘楼堂の前を通り大本坊へと向かう。ここは西教寺の社務所も兼ねている場所のようで、仏間の他にも拝観者休憩所等も設けられている。そのひとつに明智光秀・煕子夫妻の位牌が安置されている奉安所があった。お二人と写真が撮れると書かれているのは御位牌となのか長谷川博己・木村文乃が演ずる明智光秀・煕子なのかはよくわからないのだが、〝自撮り〟では御位牌と写真は写し込めないので、現代の明智夫妻と一緒に記念写真を撮って満足する。<br /><br />大本坊から廊下を介して本堂と客殿が繋がっている。基本本堂・客殿とも撮影禁止の場所が多いが、その辺りはあまり細かくは指示はされていないようであった。勿論〝ここは駄目だろう〟のオーラが出ている仏間等の場所は控えたが、廊下沿いに供えられた〝聖衆来迎阿弥陀如来二十五菩薩像〟の実物等はしっかりとカメラに収め、その価値を後から改めて感じられるようにはしておいた。<br /><br />写真では紹介できないが、本堂・客殿の仏間には厳か感が漂うのは勿論のこと、歴史を感じる仏様等が並んでおり、記録できないが故に目に焼き付けるべく小さな目を目一杯広げながら拝観した私の姿が、記録を書いている時にも思い出され、口元が緩んでしまうのは言うまでもないことであった(笑)。<br /><br />廊下や本堂・客殿の軒先、その周りの庭木等には数多くの数の風鈴が吊り下げられている。1,500個と言えば寺院が行っている〝風鈴まつり〟に供されている数では標準的な数ではあるが、観光施設が客寄せのために数多くの風鈴は飾ったものの、その後の手入れがされておらず〝ショボい〟と評されるものとは別格である。屋外に吊るされているものが半数を超えていることは見ただけでもわかることではあるが、屋内は勿論屋外に吊り下げられている風鈴も、天候によっては一時撤去等を行って手入れが行き届いていることもひと目でわかるものである。今年訪れた〝風鈴まつり〟の中には確かに残念な展開しかされていない施設もあったのは確かであるが、数ヶ月にも渡る〝風鈴まつり〟を終了まで見た目が衰えないようにするには多くの労力を必要とする。数だけで勝負するのは最初こそ話題にはのぼるとは思うが、終了間際に訪れると魅力すら感じないものも多いと言われているようだが、まさしくその〝現実〟を垣間見たように思う。昨年の倍以上に増やされた西教寺の風鈴まつりだが、現在の敷地面積に於いて1,500個という数が適正な数なのであろうとふと思った私であった。<br /><br />大本坊から客殿に繋がる欣浄廊の末端部には外に副製品が並べられている〝聖衆来迎阿弥陀如来二十五菩薩像〟の実物がある。建立されてから既に400年もの月日が経っているためにどうしても摩耗し、彫りが浅くなっている部分は目立つものの、屋内に移設されたことにより今後長い年月その姿を拝むことができるのはありがたいこと以外なにものでもない。欣浄廊や客殿の軒先には吊るされている多くの風鈴達が風邪を受けて軽やかな音を奏でながら歴史の生き証人を盛り立てている姿は、強いインパクトを拝観者に与えるには十分な役割を果たしていることがまた興味深いことであった。また風鈴庭園や小堀遠州作とされる客殿庭園、そして景観を眺める廊下付近に吊るされている風鈴達がで過ぎることなくうまくマッチングして景色を盛り立てている情景は、ただ漠然と風鈴を並べたわけではなく、考えて双方を引き立てるように意図されていることがよくわかる。西教寺の建物や庭園が素晴らしいことは言うまでもないことだが、一定の考えのもと展開された風鈴との素晴らしいコラボレーションは一見の価値ありと私の目には映ったのであった。<br /><br />建物と庭園、そしてそこに飾られた風鈴を満喫し大本坊へと戻る。この西教寺の心配りが感じられることとして、廊下部分に飲み物の自動販売機が設置されていることだ。特に暑い時期だと手持ちの温くなったドリンクよりも冷たい方が良いに決まっている。冷たい炭酸飲料を購入し一息で飲んでしまった。あ~幸せ♡<br /><br />喉の渇きも癒されたので外に出て散策を再開する。ライトアップ時に訪れた際に風鈴棚は見てはいるので大きな発見がある訳でもないが、太陽光の下でみる色とりどりの風鈴も中々のものであった。勿論昼間ならではの〝風鈴〟を題材とした写真が撮れることは、カメラ好きには楽しめるひと時となる。夜間では照明の明るさが撮影データを決めてしまうため長時間露光で風にそよぐ風鈴がヒラヒラしている姿かスマホカメラのピントばっちり〝The 記録写真〟のどちらかになる。その点昼間であればシャッター速度&amp;絞りの組み合わせ、若しくは撮影シーンの選択等でバリエーションに富んだ様子を記録できる。夜に撮影した〝コチコチ〟の写真に対し、様々な姿を切り取った一枚の対比は、それなりに面白そうだとふと思った。<br /><br />本年の同一イベント再訪となった西教寺なので1時間程度の滞在を予定していたが、元来自分自身の時間取りには難があり、見込みの滞在時間は必ずと言って良い程あてにならない。結局西教寺には2時間滞在して車に戻って来た。<br /><br />山門付近の受付で大津港で見つけられなかった西教寺提供の風鈴について尋ねてみた。ただ琵琶湖汽船への風鈴の提供はスタッフさん全てが知るようなメジャーなものではないらしく、尋ねた受けのお姉さんも電話で確認して貰ってやっとわかったことであった。ローカルTVびわこ放送でも取り上げられていた内容ではあるが、西教寺としては風鈴を貸し出すだけでその展開は琵琶湖汽船に一任しているとのこと。それ故に今どのようになっているかまでは把握していないとの回答であった。しかし肝心の琵琶湖汽船乗場には風鈴の展開はされてはいなかった。期間としては西教寺の風鈴まつりに準ずると書かれていたため勿論吊り下げられているはずなのだが、撮られた写真から場所を特定してもそれらしきものは見当たらなかった。今年の9月まで行われている〝風鈴関連〟のイベントは、台風の影響もあり場所によっては早期終了し既に撤去したところも存在する。あらかた湖岸という場所柄強風に煽られる可能性は高いので、早期終了したと考えるのが妥当かと思う。全国で行われている〝風鈴まつり〟の中には西教寺のように風鈴の貸出しをしている場所もあると記されている。また主会場ではなく駅や港など他の目的で訪れた方々にも楽しんでもらえるように貸出しを受け、展示をしているとも記されているので〝風鈴まつり〟と検索をかけるとかなりの割合で情報がヒットする。故に追加目的地として立ち寄ろうとする私のような者もいるだろうが、まさかの〝残念〟が待っていれば最初から期待せず主会場のみに立ち寄れば時間の無駄にもならないのではないかと思えてしまう。西教寺のお坊さん達が精魂込めて作った風鈴を、手前味噌の理由から片付け、イベントは早期終了とは貸出しを受ける意味がなくなってしまう。<br /><br />メディアに掲載されて集客も増えるそんなイベントを台無しにする観光業者には閉口するしかない。その程度の扱いしかしない業者にせっかくの風鈴を貸し出す必要はないと私は思う。色々な意味で借りてきた〝西教寺の風鈴〟を手入れをしながら飾ってくれるような大津の様々な業者を探して話し合い、その価値を多くの人々に知って貰えるようにはならないか?と腹立たしく感じた私であった。<br /><br />結局予定滞在時間を30分オーバーして車へと戻って来た。取り敢えず喉が渇いて仕方がない。しかし最初に購入したお茶は車の中で温まっていたのでできれば今飲むことは避けたい。という理由から駐車場にある飲み物の自販機でまた炭酸系を購入して一気飲み。下戸の私にはわからない〝暑い時のビール〟とはこんな感じか?などと妄想に耽る。そして車内がある程度涼しくなってから出発した。目指すは西方向、時間にして1時間の場所は何処であろうか?<br /><br /><br />  《続く》

《2022.September》あみんちゅぶらり淡海を歩く旅そのLVI大津~風鈴の音に誘われ西教寺再訪編~

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2022/09/13 - 2022/09/13

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

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9月も半ばを迎え秋らしくなって欲しい・・・という願望も届いてはくれずなんら真夏と変わらない暑さが続いている。暑さが続くことは私にとって季節も変わっていないという解釈をする。つまり夏が続いていること=夏の風物詩を追いかけ続けることに他ならない。今年の夏は〝風鈴〟を夏の風物詩として取り上げた。やはり巷では9月=秋とされるのだろう、8月末を以って大抵の風鈴まつりは終了したようだ。しかし〝風鈴まつり〟というイベントも元々9月迄行う予定だったものや暑さが続く日々に対し〝納涼〟の意味を込め期間延長となったもの等あり、まだまだ楽しめる場所があることを知る。

今回取り上げた場所は2週間前に訪れている滋賀坂本の西教寺である。令和4(2022)年8月31日はライトアップ最終日というタイトルで訪れた。ならば時期を変えて行けば良いのではと言われそうだが、基本夜のイベントを重視している私にとって、昼間に訪れたことがない場所も少なくない。実は西教寺も夜しか知らない寺院である。坂本城主であった明智光秀と関係深いことは知っていても、実際に堂宇内の拝観をしたこともなく、境内に建立されている各塔がどのようなものか答える自信がないのが現実である。やはり昼間に見通しが効く状況下で拝観すべしと思ったことがきっかけで、風鈴まつりが継続されていることを踏まえ、西教寺再訪となった訳である。

先ずはいつものローソン大津大平一丁目店に立ち寄ってから出発する。目指すは西教寺と行きたいのであるが、とある情報を仕入れまずは大津港へと向かった。基本路駐が出来ないので市営駐車場に仕方なしに駐車する。実は大津港に西教寺の風鈴が提供されており、西教寺の風鈴まつりの期間中に大津港にも飾られていると新聞に掲載されていることを知ったためである。新聞に載せる位なので見ることができて当たり前だと思っていたが、見渡す限りそれらしいものを見つけることができない。外部の人間が立ち入れない場所に飾っても意味がないので、目ぼしいところを確認するがやはり見当たらないい。スタッフさんに聞けば良いのだが、ミシガンクルーズの乗車の絡みもあり結構忙しく動いている様子。実際に飾られている様子がインスタを含めて幾つかあったが、背景から推測した場所には取り付けられてはいないようであった。

本日の行程は移動距離は大したことはないものの時間の縛りがある。あるがないかすら不明のものを探す時間的余裕はないので諦めて車に戻ることにした。市営大津港駐車場は30分刻みで料金が上がる。目的を達成出来ないのに駐車場代金を払いたくないので急いで出庫する。1時間未満で150円、ものの見事に浪費してしまった。

そして西教寺を改めて目指すことにする。距離の面では旧国道161号線の滋賀県道558号線の方が距離が短く早いと思われるが、そこは素直にナビの指し示す国道161号線西大津バイパスを走ることにする。走りにくい高規格地方道で有名な西大津バイパスだが信号がないので皇子山ランプから滋賀里ランプ迄のひと区間を走り西教寺の参拝者用駐車場に到着する。駐車場案内は西教寺のお坊さんらしき方がされており、暑い中ご苦労様と思いながら指示に従って車を停めた。

8月末にライトアップの際に訪れた時は勅使門前のブースで入山料を徴収されていたが、昼間は山門隣の受付で入山料を払うシステムになっていた。ライトアップの際には会場のひとつとなる参道であるが、今日はただの通り道となっているに過ぎない。上り坂となっている参道を歩き勅使門手前で左へと向かう。宗祖大師殿という立派な建物は西教寺中興の祖である真盛上人を祀っているものである。入口にある唐門前は琵琶湖が一望できるビューポイントとしても有名だが、ただ景色を撮るだけでなく〝唐門と琵琶湖〟というタイトルが付けられる景色が良いようだ。唐門越しの景色くらい簡単だとたかを括っていた私であったが、唐門全容を捉えるために広角レンズを使用すると、露出が建物部分に合ってしまうため、景色が白飛びしていまう。フィルムカメラで果敢にチャレンジしたが、残念ながら全て同じものとなってしまい半ば合成に近いスマホ画像を紛れ込ませて〝撮れた〟と割り切ることにする。この唐門には風鈴はなく風車が門の両脇に飾られていた。風鈴参道通り抜けがテーマではあるが、ここはここで味を出しているので良しとする。

宗祖大師殿の隣に建立された真盛上人の子供時代の石像も見ながら順路へと戻って行く。ここにも手水舎があるが特に飾り立てはされていない。そして〝風鈴広場〟に続く最後の階段に於いては風鈴棚が見えており、二回目ではあれど気持ちが昂ぶってくる。

西教寺風鈴まつりは1,500個の風鈴が奉納されていると書かれている。人の観点には色々あるため〝これ〟という答えではないが、二基の風鈴棚だけでは到底数が足りないように見える。これは最初夜のライトアップに訪れているためにそう思えるのであって、細かく見て行けば本堂横・大本坊・客殿と本殿並びにその廊下・庭園内と随所に飾られていることがわかる。特に廊下付近に吊るされている風鈴の数は結構な密度で飾られているためそれなりの数があることがわかる。この辺りはライトアップという〝イベント〟だけで判断できるものではなく、昼間の眺望が確保されている状況下での確認が必要である。本堂正面の風鈴棚を潜り抜けるとそこには金色の阿弥陀如来様がいらっしゃるという〝表現〟は、昼間に訪れるとなるほどと思える事実であった。

堂宇の中に入る前に明智一族の菩提寺と言われる証を確認することにする。明智光秀の正妻煕子の墓、本能寺の変・山崎の戦い・坂本城の攻防戦で戦死や殉死した一族郎党の御霊を弔うべく煕子の父にあたる第12代妻木城主妻木広忠はここ西教寺に遺骸を葬った後、娘煕子の墓前にて自刃したと伝わっている。また戦乱の世の中で敗死した武将を俳句で弔うことが多かった松尾芭蕉も西教寺を訪れており、唯一とも言われる明智光秀の妻である煕子を詠んだ句が残されている。裏切者や反逆者として捉えられることの多い明智光秀ではあるが、煕子のことを詠んだこと即ち明智光秀に対しても〝悪〟という概念は持っていなかったように思えてならない。明智光秀自身生誕からの半生は不明なことが多く、歴史付きには興味深い人物であることには違いはない。なぜ本能寺で信長を討ったのかは歴史上のロマンでもあり、永久にわかることがないことであると私は思う。もしかすると光秀自身が天下人を狙っていたのかも知れないが、戦乱の時代にそのような野心が芽生えても不思議ではない。しかし天下人になるならば信長だけを討ったとしても、配下の武将に〝敵討ち〟の大義名分を与えてしまうこと位は智将光秀がわからないはずがないと考える。本能寺の変後毛利に使者を送り、それ相応の立場や権限を与える代わりに味方について欲しいという〝願い〟はワンマンにはなれない光秀の性格から考えても間違えはないだろうし否定する要素もない。しかしその使者は運悪く秀吉方に捕らえられ、本来ならば暫く知ることもなかった本能寺の変のことを知らせることとなってしまった。チャンスがあればのし上がる気持ちは秀吉にもある訳で、先手を打って明智包囲網を作ってしまえば〝負け戦はない〟と確信したのであろう。光秀は人間味溢れた慎重な人物であったことに違いないが、一族を含め重臣の中にはやはり〝信長を討った〟という驕りがあったに違いない。安土城の金銀財宝は確かに魅力的ではあったにしろ先ずは地場固めである。西教寺を含め近江国の天台宗寺院は信長に焼き討ちされたことを恨み続けていた事実もあり、反信長勢力を取りまとめるだけでもかなりの勢力になったように思う。それが後手に回った挙句秀吉の軍勢と山崎で戦うにあたり、自軍に様子見の武将が多いこと位はわかっていただろう。結局史実通りに敗戦を期し、坂本城へと落ち延びる際に土民の竹槍に刺されて深傷を負い、自刃するしかなかった光秀。猛将と言われた甥の秀満も湖水渡りの〝驚き〟を与えたが、結局湖水渡りを見守った堀秀政の軍勢に坂本城を取り囲まれ、もはやこれまでと一族を殺害した後火薬庫に火を掛け城もろとも〝無〟に帰し、明智の三日天下を締め括ったことが顛末である。ただ幸いなことに明智の血筋はなくなった訳ではなく、妻煕子の実家妻木氏は、その後秀吉配下を経て関ヶ原では東軍について領地を安堵され、江戸時代を乗り切り現在に至っている。天下人にはなれなかった光秀だがその血筋は現在も生き続けていることは、一族にも慎重な人物がいたことの現れてあろう。そんな空想話を頭に浮かべながら、光秀があの世からどんな風に現世を見ているのかとふと感じた私であった。

西教寺客殿隣にある放生池。それに掛かる小さな石製の太鼓橋を渡り山登りの如き階段がある。ご老体に階段はキツイのだが夜には歩けない場所故奮起して歩いて行く。途中高田山真恵上人御廟塔と書かれた石塔があるが、上人が生きた時代と石塔の建立時期とが一致していないということでは満足の行く説明等できる訳がないのでスルーすることにする。そして階段を登り切った場所には西教寺中興の祖真盛上人の廟があり、その周りには歴代管主の御廟が建立されており、厳か感が生半可なものではないことは私にも伝わって来る。そういう所だからこそ暫し雰囲気に浸っていたい気持ちはあるのだが、実はこの場所ブヨがウヨウヨしている場所であり、それ程多くの参拝客も訪れないと見え〝カモが来た〟とばかりに寄って来るのである。

今年はブヨの標的になってばかりいるためにアナフィラキシーに陥らないとも限らない。蚊に食われた跡と比べてもかなり違うためにかなり神経質になっていることも事実である。多分ブヨの存在に気付いたのは水無瀬神宮の風鈴ライトアップに行った時が初めてだと記憶しているので、一週間くらいのサイクルでブヨの標的になっている。水無瀬や橿原のブヨに比べると坂本のブヨは鈍臭いようで何匹かは吸血されている最中に叩き殺した。しかしあくまで聖なる場所での殺傷は害虫であっても気がひけるので、やむなく退散するために階段を駆け降りた私であった。

本堂前広場に戻って来て、先に拝観履歴のない場所から回って行くことにする。本堂を回り込むように進み、鐘楼堂の前を通り大本坊へと向かう。ここは西教寺の社務所も兼ねている場所のようで、仏間の他にも拝観者休憩所等も設けられている。そのひとつに明智光秀・煕子夫妻の位牌が安置されている奉安所があった。お二人と写真が撮れると書かれているのは御位牌となのか長谷川博己・木村文乃が演ずる明智光秀・煕子なのかはよくわからないのだが、〝自撮り〟では御位牌と写真は写し込めないので、現代の明智夫妻と一緒に記念写真を撮って満足する。

大本坊から廊下を介して本堂と客殿が繋がっている。基本本堂・客殿とも撮影禁止の場所が多いが、その辺りはあまり細かくは指示はされていないようであった。勿論〝ここは駄目だろう〟のオーラが出ている仏間等の場所は控えたが、廊下沿いに供えられた〝聖衆来迎阿弥陀如来二十五菩薩像〟の実物等はしっかりとカメラに収め、その価値を後から改めて感じられるようにはしておいた。

写真では紹介できないが、本堂・客殿の仏間には厳か感が漂うのは勿論のこと、歴史を感じる仏様等が並んでおり、記録できないが故に目に焼き付けるべく小さな目を目一杯広げながら拝観した私の姿が、記録を書いている時にも思い出され、口元が緩んでしまうのは言うまでもないことであった(笑)。

廊下や本堂・客殿の軒先、その周りの庭木等には数多くの数の風鈴が吊り下げられている。1,500個と言えば寺院が行っている〝風鈴まつり〟に供されている数では標準的な数ではあるが、観光施設が客寄せのために数多くの風鈴は飾ったものの、その後の手入れがされておらず〝ショボい〟と評されるものとは別格である。屋外に吊るされているものが半数を超えていることは見ただけでもわかることではあるが、屋内は勿論屋外に吊り下げられている風鈴も、天候によっては一時撤去等を行って手入れが行き届いていることもひと目でわかるものである。今年訪れた〝風鈴まつり〟の中には確かに残念な展開しかされていない施設もあったのは確かであるが、数ヶ月にも渡る〝風鈴まつり〟を終了まで見た目が衰えないようにするには多くの労力を必要とする。数だけで勝負するのは最初こそ話題にはのぼるとは思うが、終了間際に訪れると魅力すら感じないものも多いと言われているようだが、まさしくその〝現実〟を垣間見たように思う。昨年の倍以上に増やされた西教寺の風鈴まつりだが、現在の敷地面積に於いて1,500個という数が適正な数なのであろうとふと思った私であった。

大本坊から客殿に繋がる欣浄廊の末端部には外に副製品が並べられている〝聖衆来迎阿弥陀如来二十五菩薩像〟の実物がある。建立されてから既に400年もの月日が経っているためにどうしても摩耗し、彫りが浅くなっている部分は目立つものの、屋内に移設されたことにより今後長い年月その姿を拝むことができるのはありがたいこと以外なにものでもない。欣浄廊や客殿の軒先には吊るされている多くの風鈴達が風邪を受けて軽やかな音を奏でながら歴史の生き証人を盛り立てている姿は、強いインパクトを拝観者に与えるには十分な役割を果たしていることがまた興味深いことであった。また風鈴庭園や小堀遠州作とされる客殿庭園、そして景観を眺める廊下付近に吊るされている風鈴達がで過ぎることなくうまくマッチングして景色を盛り立てている情景は、ただ漠然と風鈴を並べたわけではなく、考えて双方を引き立てるように意図されていることがよくわかる。西教寺の建物や庭園が素晴らしいことは言うまでもないことだが、一定の考えのもと展開された風鈴との素晴らしいコラボレーションは一見の価値ありと私の目には映ったのであった。

建物と庭園、そしてそこに飾られた風鈴を満喫し大本坊へと戻る。この西教寺の心配りが感じられることとして、廊下部分に飲み物の自動販売機が設置されていることだ。特に暑い時期だと手持ちの温くなったドリンクよりも冷たい方が良いに決まっている。冷たい炭酸飲料を購入し一息で飲んでしまった。あ~幸せ♡

喉の渇きも癒されたので外に出て散策を再開する。ライトアップ時に訪れた際に風鈴棚は見てはいるので大きな発見がある訳でもないが、太陽光の下でみる色とりどりの風鈴も中々のものであった。勿論昼間ならではの〝風鈴〟を題材とした写真が撮れることは、カメラ好きには楽しめるひと時となる。夜間では照明の明るさが撮影データを決めてしまうため長時間露光で風にそよぐ風鈴がヒラヒラしている姿かスマホカメラのピントばっちり〝The 記録写真〟のどちらかになる。その点昼間であればシャッター速度&絞りの組み合わせ、若しくは撮影シーンの選択等でバリエーションに富んだ様子を記録できる。夜に撮影した〝コチコチ〟の写真に対し、様々な姿を切り取った一枚の対比は、それなりに面白そうだとふと思った。

本年の同一イベント再訪となった西教寺なので1時間程度の滞在を予定していたが、元来自分自身の時間取りには難があり、見込みの滞在時間は必ずと言って良い程あてにならない。結局西教寺には2時間滞在して車に戻って来た。

山門付近の受付で大津港で見つけられなかった西教寺提供の風鈴について尋ねてみた。ただ琵琶湖汽船への風鈴の提供はスタッフさん全てが知るようなメジャーなものではないらしく、尋ねた受けのお姉さんも電話で確認して貰ってやっとわかったことであった。ローカルTVびわこ放送でも取り上げられていた内容ではあるが、西教寺としては風鈴を貸し出すだけでその展開は琵琶湖汽船に一任しているとのこと。それ故に今どのようになっているかまでは把握していないとの回答であった。しかし肝心の琵琶湖汽船乗場には風鈴の展開はされてはいなかった。期間としては西教寺の風鈴まつりに準ずると書かれていたため勿論吊り下げられているはずなのだが、撮られた写真から場所を特定してもそれらしきものは見当たらなかった。今年の9月まで行われている〝風鈴関連〟のイベントは、台風の影響もあり場所によっては早期終了し既に撤去したところも存在する。あらかた湖岸という場所柄強風に煽られる可能性は高いので、早期終了したと考えるのが妥当かと思う。全国で行われている〝風鈴まつり〟の中には西教寺のように風鈴の貸出しをしている場所もあると記されている。また主会場ではなく駅や港など他の目的で訪れた方々にも楽しんでもらえるように貸出しを受け、展示をしているとも記されているので〝風鈴まつり〟と検索をかけるとかなりの割合で情報がヒットする。故に追加目的地として立ち寄ろうとする私のような者もいるだろうが、まさかの〝残念〟が待っていれば最初から期待せず主会場のみに立ち寄れば時間の無駄にもならないのではないかと思えてしまう。西教寺のお坊さん達が精魂込めて作った風鈴を、手前味噌の理由から片付け、イベントは早期終了とは貸出しを受ける意味がなくなってしまう。

メディアに掲載されて集客も増えるそんなイベントを台無しにする観光業者には閉口するしかない。その程度の扱いしかしない業者にせっかくの風鈴を貸し出す必要はないと私は思う。色々な意味で借りてきた〝西教寺の風鈴〟を手入れをしながら飾ってくれるような大津の様々な業者を探して話し合い、その価値を多くの人々に知って貰えるようにはならないか?と腹立たしく感じた私であった。

結局予定滞在時間を30分オーバーして車へと戻って来た。取り敢えず喉が渇いて仕方がない。しかし最初に購入したお茶は車の中で温まっていたのでできれば今飲むことは避けたい。という理由から駐車場にある飲み物の自販機でまた炭酸系を購入して一気飲み。下戸の私にはわからない〝暑い時のビール〟とはこんな感じか?などと妄想に耽る。そして車内がある程度涼しくなってから出発した。目指すは西方向、時間にして1時間の場所は何処であろうか?


  《続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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