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《2022.April》あみんちゅぶらり淡海を歩く旅そのXLV信楽~再会畑のしだれ桜と街歩き編~<br /><br />いつもの如く無計画な旅を計画する。ただ4連休の3日目ということで宿泊を絡めないで行って帰ってくるにはそれなりの距離しか走れないのは致し方ない。そんなあんちょこな考えで思い立った行先は〝信楽〟であった。実はこの春信楽に行くことは2回目となる。1週間前の令和4(2022)年4月9日土曜日、この日は奈良県宇陀市の〝又兵衛桜〟を見に行った。その帰り道に昨年同様信楽に立ち寄った。国道422号線を北上し、立石橋交差点を右折し信楽市街を目指して走って信楽駅に到着した、信楽高原鐵道の終着駅である信楽駅だが、22:00前に到着するとホームからエンジン音が聞こえている。意外にも貴生川行きの最終列車550Dは22:08であり、その折り返しとなる549Dが信楽駅に23:05に到着し留置される。そんな時間まで運行されているとは知らずにちょっとびっくりしたが、駅前で出迎えているマイカーの少なくない数にもまたびっくりした。それに加えてインスタ映えするといわれている駅前の〝信楽焼のタヌキさん〟が現在〝桜コスチューム〟の〝タヌ木さん〟になっている姿もなにかほっこりするような〝お惚け感〟を忘れてはいけない。そんなミッションをクリアして先へと進んだ。<br /><br />そして2回目の訪問となる〝信楽高原鐵道事故慰霊碑〟に到着する。慰霊碑広場の場所柄車を停める場所が分かり辛い。そのような理由から国道沿いのガードレールの隙間に車を前方から突っ込んでハザードを焚き、慰霊碑に手を合わせるだけで戻って来た。<br /><br />最後に〝畑のしだれ桜〟に立ち寄る。時間的にも時期的にもライトアップはなく真っ暗な中ではあるが、樹齢400年のエドヒガンザクラはその存在感を十分に呈し、見頃過ぎレベルの花々を付けていた。光源の少ない中で撮影したフィルムカメラによる画像は予想していた以上に素晴らしい景色を記録しており、夜ではあれどその〝勢い〟を私に呈してくれるには十分なものであった。<br /><br />その後はいつもの帰り道を経て日にちが変わる前に無事帰着し〝宇陀・信楽桜巡りの旅〟は無事終了したというのが前編にあたる。<br /><br />令和4(2022)年4月16日土曜日<br />前書きに続く形で出発する。ナビの設定はいつものローソン大津大平1丁目店、そこで一服をしてから走り出すのはいつもの〝No Plan〟の旅と同じである。今回は奈良の帰り道とは逆に走って行く。先ず〝深堂の郷都しだれ〟、通称〝畑のしだれ桜〟に立ち寄った。〝深堂の郷都しだれ〟というものが正式名称であるようだが、通称名の畑のしだれ桜という呼称の方が有名である。樹齢400年と言われるエドヒガンザクラの古木は諸説謂れがあるものの、元々〝京の都〟の原産のもので、壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門が落人となって都落ちをする際に、思い出として都に咲いていた桜を持ち出し、都での生活を偲ぶためにこの地に植えたことにより〝都しだれ〟と呼ばれるようになったというもの。また〝深堂(しんどう)の郷〟とは戦国時代に織田信長によって焼き討ちに遭った〝深堂山遍照院西光寺〟が再興された場所がこの地であり、その際に記念樹として植えられたという説から名付けられたということにより。そして本能寺の変で織田信長が横死した際に境から上洛途中であった徳川家康がそのことを生駒辺りで知り、本拠地である駿河に逃げ延びる際に伊賀や甲賀衆の助けを借りつつ宇治田原から伊賀を経て甲賀・柘植と明智勢や落ち武者狩りに狙われながらも無事に到着できたことから、後に江戸幕府を開いた後も京へと向かう際は刺客に襲われることを避けるためにこの時に逃げ延びた道を〝隠密街道〟として利用しており、その道中に休憩したこの〝畑集落〟に植えた桜がこのしだれ桜であるとも言われている。いずれにせよ樹齢400年と言うと江戸時代初期で豊臣・徳川の勢力争いが終わり、戦いに明け暮れることがなくなった時期にあたる。歴史的背景を細かく述べても仕方がないが、長年この畑集落に聳え続け春になると毎年変わらぬ〝花〟を咲かせ続けた畑のしだれ桜ではあるが、今から35年ほど前に〝枯死〟が危ぶまれたことがあった。その際は樹木医等の専門家を交えて、桜の再生を願う地元住民の方々や畑のしだれ桜の生き様に賛同する方々の熱い願いがが届き、無事に蘇ったという歴史がある。長年生き続けている〝シダレザクラ〟であっても生き物であり、永遠の命を持ち合わせている訳ではない。それに加えて〝枯死〟の危機を乗り越えたという経緯も踏まえて独立行政法人林木育種センターで増殖に成功した畑のしだれ桜二世〟が平成20(2008)年に里帰りしたものが植えられており、次世代にこの〝畑のしだれ桜〟のDNAを繋ぐべく日々成長を続けているという。<br /><br />奈良の帰りに訪れたときは〝見頃過ぎ〟レベルであったが、やはり1週間を過ぎると同じように…とはいかない…。協力金箱は既に取り払われており、地元でも見頃を終えたとの解釈であろう。勿論〝種〟が違えば花の時期も異なる訳で、近隣に咲くソメイヨシノは〝見頃過ぎ〟のレベルであったように思う。カメラに収めて〝令和4(2022)年は他のしだれ桜と畑集落の桜〟の1ページとして、次の目的地へと走ることにした。<br /><br />次に目指すは甲賀市信楽町黄瀬であるが、この界隈で観光客のドライバーによる脱輪や接触事故が多発しているということを言っておく。信楽市街から〝畑のしだれ桜〟へと向かう道であるが、信楽町長野を通る滋賀県道12号栗東信楽線と滋賀県道522号田代朝宮線という2本の道のどちらかをナビが示す。新名神高速道路を利用すると前者が示されるが、この道は曲りくねっている上に道幅が狭い。上り方向が崖側なので避け様がないのだが、そんな山道のど真ん中を下ってきた車が前進もバックも出来ずに固まってしまい、渋滞を作り出す他車同士の接触事故をよく起こしている。また大津宇治方面へと抜ける場合に〝距離〟で選ばれる後者は、場所によっては軽自動車同士でもすれ違えない道幅のところも多い。地元の信楽高原鐵道バスの通過時間と被れば上手い具合にスピードコントロールをして走ってくれるためにこちらが避けることもできるのであるが、避けられない場所もあることはご理解頂きたい。コロナ禍中で公共交通機関を使いたくない気持ちは解らなくはないが、山道を走ることに慣れていなければその様な道を走ることは避けて貰いたいのが本音である。事故を起こしても車を停める場所もなく、多くの観光客が帰れなくなる現実を作らないようにして頂きたいと切に思うことが、今年県道12号線で畑集落に向かう際にあったことをふと思い出したので記しておく。<br /><br />畑から黄瀬に向かう頃には時間のこともあってか他府県の対向車とは合わずスムーズに進めた。この黄瀬だが新名神高速道路信楽インターチェンジ出口の〝突き当り〟の〝信楽高原鐵道線路脇広場〟と表記されている場所であり、私がいつも立ち寄る〝とある場所〟と記すところでもある。知っている方も少なくないだろうが、平成3(1991)年5月14日10:35頃当時信楽町で行われていた〝世界陶芸祭セラミックワールドしがらき&#39;91〟に向かう乗客を乗せたJR西日本の臨時快速〝世界陶芸祭しがらき号(キハ58・3両編成)〟と、会場を後にする乗客を乗せた信楽高原鐵道レールバスSKR200型4両編成が正面衝突し、双方の乗客と乗務員を含めた42名の死者と614名が重軽傷を負う鉄道事故が発生した。鋼鉄の塊旧国鉄時代の賜物〝キハ58〟と第三セクターならではの車両〝レールバス〟。それらが真正面からぶつかるとどうなるのかは言うまでもない。当時はまだ甲賀郡信楽町であり、新名神高速道路もなかった〝田舎町〟のひとつであったところで起こった大惨事。救命救急に山を越えた滋賀医科大学附属病院まで〝ヘリ輸送〟が行われたが、実績のない〝事故現場〟と受入先の臨時ヘリポートの手際の悪さは当時新聞上を賑わしていた。元々線路を引く場所が多いような場所ではないところに鉄道を引いたため線路の両側に木々が生えており、事故現場となった場所がカーブを描いている場所であったがために余計に見通しが悪くなっていた。輸送キャパを大幅に超えた人員の輸送のため、自社に都合の良い〝信号システム〟を改ざんしていた信楽高原鐵道とJR西日本。信楽高原鐵道列車衝突事故と言われるこの事故は、未遂で済んでいた〝不具合〟を放置し、なるべくしてなった事故でもあった。その後遺族への補償問題等で揉めたあと、破綻するはずであった信楽高原鐵道を、滋賀県や甲賀市・JR西日本等の事故の当事者や行政が救いの手を差し伸べて、現在従前の〝スタフ閉塞〟に戻ったものの運行は続けられることとなった。この事故が起こった際、私は東京に在住していたこともあり新聞やニュースで知るしかなかった。休み中に帰省してもその当時自宅から信楽迄向かう道は国道422号線とは名ばかりの〝酷道〟であり、そう簡単に行ける場所ではなかった。そんな背景もありその後数十年訪れることもなかったが、たまたま眺めていた〝信楽の地図〟に〝信楽高原鐵道列車衝突事故慰霊碑〟と書かれていることを知り訪れることになった経緯がある。ただ〝慰霊碑〟界隈の情報は詳しいものがなく、信楽高原鐵道信楽線紫香楽宮跡駅徒歩7分と書かれているものしか見つけることが出来なかった。訪れた際は夜ばかりだったために駅に車を停めて歩くには抵抗があった。結局昼間に慰霊碑広場の手前(水口方面)に数台車が停められる駐車スペースを発見し今回の訪問に繋がった。今では慰霊碑広場の整備にあたり線路脇の木々も伐採されており往時の様子を伺うものは慰霊碑以外何もない。観光地でもないために〝事故現場〟そのものが風化しているような感じを私自身受けていることも事実である。夜に二回訪れた後昼間訪れることが出来、自分の中のもやもや感が薄れたことは何よりだった。<br /><br />そして最後に信楽高原鐵道信楽駅に立ち寄った。1週間前は貴生川行き最終列車を見送ったが、今回も信楽行きの入線と貴生川行きの出発場面に遭遇した。18:06着の541Dと折り返し18:27発の544Dがそれである。いつも昼間に信楽駅を訪れるときに思うことなのだが、信楽駅の留置線に何故かSKR312号車〝SHINOBI-TRAINラッピング〟がいつも停まっており、単車運行の場合はSKR311号車〝SHINOBI-TRAINラッピング〟が運行されているという事実。この車両SKR310形として同仕様として導入されたもので、車歴はSKR312号車の方が浅い筈だと思うのだが…。まあそのあたりは裏事情があるのかも知れないと勝手に納得する。<br /><br />信楽駅ホームへの入場は〝入場券〟が必要で金額は210円、つまり最低運賃と同じ額が必要である。一度中に入った際に購入したが、信楽駅ホームの長さが大して長くはないために、標準レンズで撮影するにはキツかったことを思い出し今回もホームの外で出迎え、そして見送った。そして楽しみでもある信楽駅前の信楽焼の〝大タヌ木さん公衆電話〟(笑)へと向かう。1週間前とは同じ〝桜コスチューム〟であるのに変わりはないが、隣で脇を固めていたソメイヨシノの花は既に終わっていた。ちなみに駅前の〝タヌ木さん〟だが、〝桜バージョン〟は4月20日迄と言うことらしい。桜バージョンの前は〝大マスク〟だったことから世相を示していたが、やっぱり〝大タヌキさん〟はちょっと笑えるものが似合っていると改めて思う。<br /><br />信楽駅で出発待ちをしていた折、見かけぬ〝帝産湖南交通〟の信楽駅行きが降車扱いもせず回送でそのまま駅前広場から出て行った。10系統は今現在ミホミュージアムが閉館しているため、黄瀬から信楽駅間を走っている路線になっているかと思う。とにかく〝乗り〟には大変楽しいこの〝信楽〟なのであった。<br /><br />   《終わり》

《2022.April》あみんちゅぶらり淡海を歩く旅そのXLV信楽~再会畑のしだれ桜と街歩き編~

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2022/04/16 - 2022/04/16

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2022/04/16

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《2022.April》あみんちゅぶらり淡海を歩く旅そのXLV信楽~再会畑のしだれ桜と街歩き編~

いつもの如く無計画な旅を計画する。ただ4連休の3日目ということで宿泊を絡めないで行って帰ってくるにはそれなりの距離しか走れないのは致し方ない。そんなあんちょこな考えで思い立った行先は〝信楽〟であった。実はこの春信楽に行くことは2回目となる。1週間前の令和4(2022)年4月9日土曜日、この日は奈良県宇陀市の〝又兵衛桜〟を見に行った。その帰り道に昨年同様信楽に立ち寄った。国道422号線を北上し、立石橋交差点を右折し信楽市街を目指して走って信楽駅に到着した、信楽高原鐵道の終着駅である信楽駅だが、22:00前に到着するとホームからエンジン音が聞こえている。意外にも貴生川行きの最終列車550Dは22:08であり、その折り返しとなる549Dが信楽駅に23:05に到着し留置される。そんな時間まで運行されているとは知らずにちょっとびっくりしたが、駅前で出迎えているマイカーの少なくない数にもまたびっくりした。それに加えてインスタ映えするといわれている駅前の〝信楽焼のタヌキさん〟が現在〝桜コスチューム〟の〝タヌ木さん〟になっている姿もなにかほっこりするような〝お惚け感〟を忘れてはいけない。そんなミッションをクリアして先へと進んだ。

そして2回目の訪問となる〝信楽高原鐵道事故慰霊碑〟に到着する。慰霊碑広場の場所柄車を停める場所が分かり辛い。そのような理由から国道沿いのガードレールの隙間に車を前方から突っ込んでハザードを焚き、慰霊碑に手を合わせるだけで戻って来た。

最後に〝畑のしだれ桜〟に立ち寄る。時間的にも時期的にもライトアップはなく真っ暗な中ではあるが、樹齢400年のエドヒガンザクラはその存在感を十分に呈し、見頃過ぎレベルの花々を付けていた。光源の少ない中で撮影したフィルムカメラによる画像は予想していた以上に素晴らしい景色を記録しており、夜ではあれどその〝勢い〟を私に呈してくれるには十分なものであった。

その後はいつもの帰り道を経て日にちが変わる前に無事帰着し〝宇陀・信楽桜巡りの旅〟は無事終了したというのが前編にあたる。

令和4(2022)年4月16日土曜日
前書きに続く形で出発する。ナビの設定はいつものローソン大津大平1丁目店、そこで一服をしてから走り出すのはいつもの〝No Plan〟の旅と同じである。今回は奈良の帰り道とは逆に走って行く。先ず〝深堂の郷都しだれ〟、通称〝畑のしだれ桜〟に立ち寄った。〝深堂の郷都しだれ〟というものが正式名称であるようだが、通称名の畑のしだれ桜という呼称の方が有名である。樹齢400年と言われるエドヒガンザクラの古木は諸説謂れがあるものの、元々〝京の都〟の原産のもので、壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門が落人となって都落ちをする際に、思い出として都に咲いていた桜を持ち出し、都での生活を偲ぶためにこの地に植えたことにより〝都しだれ〟と呼ばれるようになったというもの。また〝深堂(しんどう)の郷〟とは戦国時代に織田信長によって焼き討ちに遭った〝深堂山遍照院西光寺〟が再興された場所がこの地であり、その際に記念樹として植えられたという説から名付けられたということにより。そして本能寺の変で織田信長が横死した際に境から上洛途中であった徳川家康がそのことを生駒辺りで知り、本拠地である駿河に逃げ延びる際に伊賀や甲賀衆の助けを借りつつ宇治田原から伊賀を経て甲賀・柘植と明智勢や落ち武者狩りに狙われながらも無事に到着できたことから、後に江戸幕府を開いた後も京へと向かう際は刺客に襲われることを避けるためにこの時に逃げ延びた道を〝隠密街道〟として利用しており、その道中に休憩したこの〝畑集落〟に植えた桜がこのしだれ桜であるとも言われている。いずれにせよ樹齢400年と言うと江戸時代初期で豊臣・徳川の勢力争いが終わり、戦いに明け暮れることがなくなった時期にあたる。歴史的背景を細かく述べても仕方がないが、長年この畑集落に聳え続け春になると毎年変わらぬ〝花〟を咲かせ続けた畑のしだれ桜ではあるが、今から35年ほど前に〝枯死〟が危ぶまれたことがあった。その際は樹木医等の専門家を交えて、桜の再生を願う地元住民の方々や畑のしだれ桜の生き様に賛同する方々の熱い願いがが届き、無事に蘇ったという歴史がある。長年生き続けている〝シダレザクラ〟であっても生き物であり、永遠の命を持ち合わせている訳ではない。それに加えて〝枯死〟の危機を乗り越えたという経緯も踏まえて独立行政法人林木育種センターで増殖に成功した畑のしだれ桜二世〟が平成20(2008)年に里帰りしたものが植えられており、次世代にこの〝畑のしだれ桜〟のDNAを繋ぐべく日々成長を続けているという。

奈良の帰りに訪れたときは〝見頃過ぎ〟レベルであったが、やはり1週間を過ぎると同じように…とはいかない…。協力金箱は既に取り払われており、地元でも見頃を終えたとの解釈であろう。勿論〝種〟が違えば花の時期も異なる訳で、近隣に咲くソメイヨシノは〝見頃過ぎ〟のレベルであったように思う。カメラに収めて〝令和4(2022)年は他のしだれ桜と畑集落の桜〟の1ページとして、次の目的地へと走ることにした。

次に目指すは甲賀市信楽町黄瀬であるが、この界隈で観光客のドライバーによる脱輪や接触事故が多発しているということを言っておく。信楽市街から〝畑のしだれ桜〟へと向かう道であるが、信楽町長野を通る滋賀県道12号栗東信楽線と滋賀県道522号田代朝宮線という2本の道のどちらかをナビが示す。新名神高速道路を利用すると前者が示されるが、この道は曲りくねっている上に道幅が狭い。上り方向が崖側なので避け様がないのだが、そんな山道のど真ん中を下ってきた車が前進もバックも出来ずに固まってしまい、渋滞を作り出す他車同士の接触事故をよく起こしている。また大津宇治方面へと抜ける場合に〝距離〟で選ばれる後者は、場所によっては軽自動車同士でもすれ違えない道幅のところも多い。地元の信楽高原鐵道バスの通過時間と被れば上手い具合にスピードコントロールをして走ってくれるためにこちらが避けることもできるのであるが、避けられない場所もあることはご理解頂きたい。コロナ禍中で公共交通機関を使いたくない気持ちは解らなくはないが、山道を走ることに慣れていなければその様な道を走ることは避けて貰いたいのが本音である。事故を起こしても車を停める場所もなく、多くの観光客が帰れなくなる現実を作らないようにして頂きたいと切に思うことが、今年県道12号線で畑集落に向かう際にあったことをふと思い出したので記しておく。

畑から黄瀬に向かう頃には時間のこともあってか他府県の対向車とは合わずスムーズに進めた。この黄瀬だが新名神高速道路信楽インターチェンジ出口の〝突き当り〟の〝信楽高原鐵道線路脇広場〟と表記されている場所であり、私がいつも立ち寄る〝とある場所〟と記すところでもある。知っている方も少なくないだろうが、平成3(1991)年5月14日10:35頃当時信楽町で行われていた〝世界陶芸祭セラミックワールドしがらき'91〟に向かう乗客を乗せたJR西日本の臨時快速〝世界陶芸祭しがらき号(キハ58・3両編成)〟と、会場を後にする乗客を乗せた信楽高原鐵道レールバスSKR200型4両編成が正面衝突し、双方の乗客と乗務員を含めた42名の死者と614名が重軽傷を負う鉄道事故が発生した。鋼鉄の塊旧国鉄時代の賜物〝キハ58〟と第三セクターならではの車両〝レールバス〟。それらが真正面からぶつかるとどうなるのかは言うまでもない。当時はまだ甲賀郡信楽町であり、新名神高速道路もなかった〝田舎町〟のひとつであったところで起こった大惨事。救命救急に山を越えた滋賀医科大学附属病院まで〝ヘリ輸送〟が行われたが、実績のない〝事故現場〟と受入先の臨時ヘリポートの手際の悪さは当時新聞上を賑わしていた。元々線路を引く場所が多いような場所ではないところに鉄道を引いたため線路の両側に木々が生えており、事故現場となった場所がカーブを描いている場所であったがために余計に見通しが悪くなっていた。輸送キャパを大幅に超えた人員の輸送のため、自社に都合の良い〝信号システム〟を改ざんしていた信楽高原鐵道とJR西日本。信楽高原鐵道列車衝突事故と言われるこの事故は、未遂で済んでいた〝不具合〟を放置し、なるべくしてなった事故でもあった。その後遺族への補償問題等で揉めたあと、破綻するはずであった信楽高原鐵道を、滋賀県や甲賀市・JR西日本等の事故の当事者や行政が救いの手を差し伸べて、現在従前の〝スタフ閉塞〟に戻ったものの運行は続けられることとなった。この事故が起こった際、私は東京に在住していたこともあり新聞やニュースで知るしかなかった。休み中に帰省してもその当時自宅から信楽迄向かう道は国道422号線とは名ばかりの〝酷道〟であり、そう簡単に行ける場所ではなかった。そんな背景もありその後数十年訪れることもなかったが、たまたま眺めていた〝信楽の地図〟に〝信楽高原鐵道列車衝突事故慰霊碑〟と書かれていることを知り訪れることになった経緯がある。ただ〝慰霊碑〟界隈の情報は詳しいものがなく、信楽高原鐵道信楽線紫香楽宮跡駅徒歩7分と書かれているものしか見つけることが出来なかった。訪れた際は夜ばかりだったために駅に車を停めて歩くには抵抗があった。結局昼間に慰霊碑広場の手前(水口方面)に数台車が停められる駐車スペースを発見し今回の訪問に繋がった。今では慰霊碑広場の整備にあたり線路脇の木々も伐採されており往時の様子を伺うものは慰霊碑以外何もない。観光地でもないために〝事故現場〟そのものが風化しているような感じを私自身受けていることも事実である。夜に二回訪れた後昼間訪れることが出来、自分の中のもやもや感が薄れたことは何よりだった。

そして最後に信楽高原鐵道信楽駅に立ち寄った。1週間前は貴生川行き最終列車を見送ったが、今回も信楽行きの入線と貴生川行きの出発場面に遭遇した。18:06着の541Dと折り返し18:27発の544Dがそれである。いつも昼間に信楽駅を訪れるときに思うことなのだが、信楽駅の留置線に何故かSKR312号車〝SHINOBI-TRAINラッピング〟がいつも停まっており、単車運行の場合はSKR311号車〝SHINOBI-TRAINラッピング〟が運行されているという事実。この車両SKR310形として同仕様として導入されたもので、車歴はSKR312号車の方が浅い筈だと思うのだが…。まあそのあたりは裏事情があるのかも知れないと勝手に納得する。

信楽駅ホームへの入場は〝入場券〟が必要で金額は210円、つまり最低運賃と同じ額が必要である。一度中に入った際に購入したが、信楽駅ホームの長さが大して長くはないために、標準レンズで撮影するにはキツかったことを思い出し今回もホームの外で出迎え、そして見送った。そして楽しみでもある信楽駅前の信楽焼の〝大タヌ木さん公衆電話〟(笑)へと向かう。1週間前とは同じ〝桜コスチューム〟であるのに変わりはないが、隣で脇を固めていたソメイヨシノの花は既に終わっていた。ちなみに駅前の〝タヌ木さん〟だが、〝桜バージョン〟は4月20日迄と言うことらしい。桜バージョンの前は〝大マスク〟だったことから世相を示していたが、やっぱり〝大タヌキさん〟はちょっと笑えるものが似合っていると改めて思う。

信楽駅で出発待ちをしていた折、見かけぬ〝帝産湖南交通〟の信楽駅行きが降車扱いもせず回送でそのまま駅前広場から出て行った。10系統は今現在ミホミュージアムが閉館しているため、黄瀬から信楽駅間を走っている路線になっているかと思う。とにかく〝乗り〟には大変楽しいこの〝信楽〟なのであった。

   《終わり》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
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