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《2022.May》あみんちゅぶらり淡海を歩く旅そのXLVII蒲生郡日野町~満開の藤を求めて正法寺編~<br /><br />早いものでGWももう終盤。とは言え暦関係なしの仕事をしていれば、人が動く連休にわざわざ人混みに向かう必要もないかと思う。しかし流石に連休を通しで勤務する程体力もない。まあ暦通りでは5連休だが、そんな中に通常の休みが入ることはいつものこと。そこそこの時間に起きることが出来たため〝花見〟に行こうかと準備をする。4月は桜を見に出かけた。では5月になると…藤というところだろうか。日本全国に藤の名所は沢山あるが、我が街滋賀県も田舎ならではの名所が沢山あることは〝花見の旅〟をはじめてから知ることとなった。<br /><br />いくつかの候補地の中から選んだのは日野にある正法寺である。鎌掛集落には国の天然記念物に指定されている鎌掛のホンシャクナゲ群落もある。このふたつがドンピシャの時期ならばいうことはないのであるが、高山植物の部類に入るホンシャクナゲはGWだと大抵は見頃過ぎになっていることが多い。しかし頭で考えても答えは出ないので出掛けてしまってから考えようと前向きに考えて出発する。今日の相棒ははる所有のmoveクン、大型二種免許持ちでバス乗務経験があるにも関わらず、軽自動車を好んで乗り回している。ある者は〝運転下手なん違うん?〟とも言うがそれはそう思えば良いと考えている。どこに行った時でもミラーを倒して狭い道を通れることには高速や遠距離走行する際の〝疲れ〟以上のメリットがある。そんなこんなでいつも通りの相棒に乗って先ずはローソン大津大平一丁目店に向かい、一服の後にナビをセットして旅をはじめる。日野に向かうには瀬田東インターから名神高速を走るのが時間的には早いのだがつまらない。日野町は国道307号線沿いにあることから、国道422号線で大石・信楽を経て水口へと向かうルートを選択した。メイン道路の方が混みやすい時期ゆえに裏道ルートは快適に走ることが出来た。<br /><br />まず最初に立ち寄ったのはMEGAドンキ・ホーテ水口店。言わずと知れたディスカウントストアだが、以前ネガフィルムを扱っていた店舗があったために立ち寄ってみた。しかし時の流れは早いもので既にフィルムカメラ用の物は扱ってはいないようだ。最近流行りの〝写るんです〟はあるのだが、本体はあるので不要である。立ち寄っただけで済ませて出発し、本来の立ち寄り地を目指すことにする。カメラのキタムラアヤハプラザ水口店、地方にもある全国チェーンのカメラ屋だが、手持ちのフィルムが厳しい時には、旅先で度々お世話になっている。今回利用した店もしっかり在庫として複数種置いてあってので、ISO400と100の36枚撮りを購入して目的地をやっと目指すことにした。<br /><br />水口を出て30分程で日野町の正法寺に到着する。臨済宗妙心寺派の寺院である正法寺は江戸時代の創建とされており、それ程長い歴史があるお寺という訳ではない。しかし凄い部分は他にあり、創建時に植えられたとされるノダフジの立派な古木がある。また移設された物と言われているが、鎌倉期の石造宝塔が建立されており、国の重要文化財の指定を受けている。旧鎌掛村内にはやはり国の重要文化財指定を受けている鎌掛谷のホンシャクナゲ群落もあり、ある意味凄い場所でもある。<br /><br />この旧鎌掛村だが江戸時代に東海道土山宿と中山道愛知川宿を結ぶ脇街道ができ、その宿場町のひとつを担うことにより大層栄えた記録が残っている。御代参街道(ごだいさんかいどう)とも呼ばれたこの道は江戸時代初期に近江国多賀大社から伊勢に入る脇街道として整備された後、江戸中期には朝廷が伊勢両宮に奉幣使を派遣する際に特に多賀大社に御明代を参詣させたのだが、この街道がその〝通り道〟となったことからその名が付いたと言われている。人夫や馬匹の継立てが常設され、八日市・岡本・鎌掛の三所がその継立宿となっていた。<br /><br />現在では日野町の一集落に過ぎない鎌掛だが、歴史の流れの中で正法寺が中核的な役割を担っていることは、境内にある鎌掛の様々な歴史に纏わるものが証明しているように思う。鎌掛の歴史や移設された石造宝塔、そして日野町を代表する俳人達の句碑や集落出身の偉人の顕彰碑、そして忠魂碑等がそのことを物語っている。そういった背景からも〝正法寺の藤〟が観光名所となることも、地域住民の方々の協力を得てなるべくしてなったものであることも説明がつく。タイミング良く訪れた時期に満開の藤を堪能することが出来た。それなりに多くの観光客が多いことは、致し方ないことであろう。それ故に写真に人が写り込む現実は我慢せざるを得ないところであろう。<br /><br />正法寺自体はそれ程広い境内ではないので、藤だけを見るだけならば然程時間はかからないと思われる。しかし境内史跡其々に細やかな解説がつけられているために、それを読みながら自分自身の〝妄想〟に浸りながら散策をすることもまた一興である。私がひとつお勧めしたい場所としては石造宝塔の上方エリアを挙げたい。勿論鎌倉時代に造られた宝塔も外せない建造物ではあるのだが、何よりも藤棚を含む平らな正法寺境内であるが故に、少し標高の高い場所となる石造宝塔の上方となる場所からは、藤棚や境内庭園を見渡せる場所となっている。この際に〝夕陽〟の時刻は避けた方が懸命だろう。特に藤の時期には太陽の光が藤棚越しに真正面から入ってくる。高い場所から藤棚全景をパノラマ撮影をする際にも影響する角度もある。GW中であれば人が集まる昼間よりも遅い時間帯を狙いたい気持ちはわかるのだが、カメラにその姿を収めたいと思われる方には、寧ろ午前中をお勧めする。<br /><br />藤を見ることを目的に出掛けたことは初めてではないが、満開ドンピシャの時期に訪れることが出来たのは初めての様に思える。勿論感動を忘れている場所もあるかも知れないが、間違いなく素晴らしい〝藤の花見〟を堪能出来た今回の正法寺参拝であった。<br /><br />藤棚の通路は一本なので行った道を変えることとなる。他に観光客はいるもののすれ違えない程の混雑はない。行きには見落としたパンフレット立てが藤棚反対側の母屋傍に置かれていた。その隣には入山料を収める〝賽銭箱〟が置かれていた。これはビジュアル的に意味がある様に思え、どこにでもいる〝ただ見〟抑止にも一役買っているだろう。お賽銭なしに神社仏閣に行く者はいないだろうから…。<br /><br />という感じで本日の第一目的地である〝藤の寺正法寺〟を堪能して車へと戻って来た。次に目指すは同じ集落に位置する鎌掛谷ホンシャクナゲ群落である。距離にして1.5km程しか離れておらずすぐに到着した。<br /><br />  《続く》

《2022.May》あみんちゅぶらり淡海を歩く旅そのXLVII蒲生郡日野町~満開の藤を求めて正法寺編~

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2022/05/04 - 2022/05/04

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

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2022/05/04

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《2022.May》あみんちゅぶらり淡海を歩く旅そのXLVII蒲生郡日野町~満開の藤を求めて正法寺編~

早いものでGWももう終盤。とは言え暦関係なしの仕事をしていれば、人が動く連休にわざわざ人混みに向かう必要もないかと思う。しかし流石に連休を通しで勤務する程体力もない。まあ暦通りでは5連休だが、そんな中に通常の休みが入ることはいつものこと。そこそこの時間に起きることが出来たため〝花見〟に行こうかと準備をする。4月は桜を見に出かけた。では5月になると…藤というところだろうか。日本全国に藤の名所は沢山あるが、我が街滋賀県も田舎ならではの名所が沢山あることは〝花見の旅〟をはじめてから知ることとなった。

いくつかの候補地の中から選んだのは日野にある正法寺である。鎌掛集落には国の天然記念物に指定されている鎌掛のホンシャクナゲ群落もある。このふたつがドンピシャの時期ならばいうことはないのであるが、高山植物の部類に入るホンシャクナゲはGWだと大抵は見頃過ぎになっていることが多い。しかし頭で考えても答えは出ないので出掛けてしまってから考えようと前向きに考えて出発する。今日の相棒ははる所有のmoveクン、大型二種免許持ちでバス乗務経験があるにも関わらず、軽自動車を好んで乗り回している。ある者は〝運転下手なん違うん?〟とも言うがそれはそう思えば良いと考えている。どこに行った時でもミラーを倒して狭い道を通れることには高速や遠距離走行する際の〝疲れ〟以上のメリットがある。そんなこんなでいつも通りの相棒に乗って先ずはローソン大津大平一丁目店に向かい、一服の後にナビをセットして旅をはじめる。日野に向かうには瀬田東インターから名神高速を走るのが時間的には早いのだがつまらない。日野町は国道307号線沿いにあることから、国道422号線で大石・信楽を経て水口へと向かうルートを選択した。メイン道路の方が混みやすい時期ゆえに裏道ルートは快適に走ることが出来た。

まず最初に立ち寄ったのはMEGAドンキ・ホーテ水口店。言わずと知れたディスカウントストアだが、以前ネガフィルムを扱っていた店舗があったために立ち寄ってみた。しかし時の流れは早いもので既にフィルムカメラ用の物は扱ってはいないようだ。最近流行りの〝写るんです〟はあるのだが、本体はあるので不要である。立ち寄っただけで済ませて出発し、本来の立ち寄り地を目指すことにする。カメラのキタムラアヤハプラザ水口店、地方にもある全国チェーンのカメラ屋だが、手持ちのフィルムが厳しい時には、旅先で度々お世話になっている。今回利用した店もしっかり在庫として複数種置いてあってので、ISO400と100の36枚撮りを購入して目的地をやっと目指すことにした。

水口を出て30分程で日野町の正法寺に到着する。臨済宗妙心寺派の寺院である正法寺は江戸時代の創建とされており、それ程長い歴史があるお寺という訳ではない。しかし凄い部分は他にあり、創建時に植えられたとされるノダフジの立派な古木がある。また移設された物と言われているが、鎌倉期の石造宝塔が建立されており、国の重要文化財の指定を受けている。旧鎌掛村内にはやはり国の重要文化財指定を受けている鎌掛谷のホンシャクナゲ群落もあり、ある意味凄い場所でもある。

この旧鎌掛村だが江戸時代に東海道土山宿と中山道愛知川宿を結ぶ脇街道ができ、その宿場町のひとつを担うことにより大層栄えた記録が残っている。御代参街道(ごだいさんかいどう)とも呼ばれたこの道は江戸時代初期に近江国多賀大社から伊勢に入る脇街道として整備された後、江戸中期には朝廷が伊勢両宮に奉幣使を派遣する際に特に多賀大社に御明代を参詣させたのだが、この街道がその〝通り道〟となったことからその名が付いたと言われている。人夫や馬匹の継立てが常設され、八日市・岡本・鎌掛の三所がその継立宿となっていた。

現在では日野町の一集落に過ぎない鎌掛だが、歴史の流れの中で正法寺が中核的な役割を担っていることは、境内にある鎌掛の様々な歴史に纏わるものが証明しているように思う。鎌掛の歴史や移設された石造宝塔、そして日野町を代表する俳人達の句碑や集落出身の偉人の顕彰碑、そして忠魂碑等がそのことを物語っている。そういった背景からも〝正法寺の藤〟が観光名所となることも、地域住民の方々の協力を得てなるべくしてなったものであることも説明がつく。タイミング良く訪れた時期に満開の藤を堪能することが出来た。それなりに多くの観光客が多いことは、致し方ないことであろう。それ故に写真に人が写り込む現実は我慢せざるを得ないところであろう。

正法寺自体はそれ程広い境内ではないので、藤だけを見るだけならば然程時間はかからないと思われる。しかし境内史跡其々に細やかな解説がつけられているために、それを読みながら自分自身の〝妄想〟に浸りながら散策をすることもまた一興である。私がひとつお勧めしたい場所としては石造宝塔の上方エリアを挙げたい。勿論鎌倉時代に造られた宝塔も外せない建造物ではあるのだが、何よりも藤棚を含む平らな正法寺境内であるが故に、少し標高の高い場所となる石造宝塔の上方となる場所からは、藤棚や境内庭園を見渡せる場所となっている。この際に〝夕陽〟の時刻は避けた方が懸命だろう。特に藤の時期には太陽の光が藤棚越しに真正面から入ってくる。高い場所から藤棚全景をパノラマ撮影をする際にも影響する角度もある。GW中であれば人が集まる昼間よりも遅い時間帯を狙いたい気持ちはわかるのだが、カメラにその姿を収めたいと思われる方には、寧ろ午前中をお勧めする。

藤を見ることを目的に出掛けたことは初めてではないが、満開ドンピシャの時期に訪れることが出来たのは初めての様に思える。勿論感動を忘れている場所もあるかも知れないが、間違いなく素晴らしい〝藤の花見〟を堪能出来た今回の正法寺参拝であった。

藤棚の通路は一本なので行った道を変えることとなる。他に観光客はいるもののすれ違えない程の混雑はない。行きには見落としたパンフレット立てが藤棚反対側の母屋傍に置かれていた。その隣には入山料を収める〝賽銭箱〟が置かれていた。これはビジュアル的に意味がある様に思え、どこにでもいる〝ただ見〟抑止にも一役買っているだろう。お賽銭なしに神社仏閣に行く者はいないだろうから…。

という感じで本日の第一目的地である〝藤の寺正法寺〟を堪能して車へと戻って来た。次に目指すは同じ集落に位置する鎌掛谷ホンシャクナゲ群落である。距離にして1.5km程しか離れておらずすぐに到着した。

  《続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • いつものローソン大津大平一丁目店でナビセット。

    いつものローソン大津大平一丁目店でナビセット。

    京阪バス (大津エリア) 乗り物

  • MEGAドン・キホーテ水口店に立ち寄ってフィルムを探すが置いていなかった…。

    MEGAドン・キホーテ水口店に立ち寄ってフィルムを探すが置いていなかった…。

  • カメラのキタムラアヤハプラザ水口店に立ち寄って、〝フジカラー SUPERIA PREMIUM 400 27枚撮り〟と〝フジカラー FUJICOLOR 100 24枚撮り〟を購入する。

    カメラのキタムラアヤハプラザ水口店に立ち寄って、〝フジカラー SUPERIA PREMIUM 400 27枚撮り〟と〝フジカラー FUJICOLOR 100 24枚撮り〟を購入する。

  • 日野町へとやって来た。

    日野町へとやって来た。

  • 目指すはここ〝藤の寺正法寺〟。

    目指すはここ〝藤の寺正法寺〟。

  • 参道を歩いて…。

    参道を歩いて…。

  • 臨済宗妙心寺派後光山正法寺(しょうぼうじ)は別名〝藤の寺〟とも呼ばれている。

    臨済宗妙心寺派後光山正法寺(しょうぼうじ)は別名〝藤の寺〟とも呼ばれている。

  • 正法寺の藤。

    正法寺の藤。

  • 正法寺の藤。

    正法寺の藤。

  • 正法寺の藤。

    正法寺の藤。

  • 正法寺の藤。

    正法寺の藤。

  • 正法寺の藤。<br /><br />三百年の香りをいまに<br /> 正法寺第一世住職普存禅師(ふぞんぜんじ)が元禄時代の始め、京都の仙洞御所(京都御所の上皇様のお住まい)から移されたもので樹齢三百二十年(2011)を超える。<br /> この藤は「ノダフジ」で正法寺山をその昔、後光山と呼んでいたのでその名を取って「後光藤」と呼ぶようになった。<br /> 藤の房に飛び交じっているのは、花虻で蜂ではありませんので刺されることはありません。

    正法寺の藤。

    三百年の香りをいまに
     正法寺第一世住職普存禅師(ふぞんぜんじ)が元禄時代の始め、京都の仙洞御所(京都御所の上皇様のお住まい)から移されたもので樹齢三百二十年(2011)を超える。
     この藤は「ノダフジ」で正法寺山をその昔、後光山と呼んでいたのでその名を取って「後光藤」と呼ぶようになった。
     藤の房に飛び交じっているのは、花虻で蜂ではありませんので刺されることはありません。

    正法寺(藤の寺) 寺・神社・教会

  • 正法寺の藤。

    正法寺の藤。

  • 正法寺の藤とタカティムさん。

    正法寺の藤とタカティムさん。

  • 正法寺の藤。

    正法寺の藤。

  • 正法寺、本堂。

    正法寺、本堂。

  • 皆吉爽雨(みなよしそうう)の句碑<br />「青き踏む 近江も湖の遠き野に」<br />皆吉爽雨は山上荷亭を始め現在の日野町の多くの俳人達の師であり「雪解(ゆきどけ)」という全国的な俳句雑誌の主宰であった。この正法寺にも幾度も足を運び数々の名句をここで詠んだ。<br /> 昭和五十八(1983)年三月に日野の多くの俳人達によってこの句碑が建てられた。

    皆吉爽雨(みなよしそうう)の句碑
    「青き踏む 近江も湖の遠き野に」
    皆吉爽雨は山上荷亭を始め現在の日野町の多くの俳人達の師であり「雪解(ゆきどけ)」という全国的な俳句雑誌の主宰であった。この正法寺にも幾度も足を運び数々の名句をここで詠んだ。
     昭和五十八(1983)年三月に日野の多くの俳人達によってこの句碑が建てられた。

  • 正法寺石造宝塔。石造宝塔は正和4(1315)年の刻銘があり重要文化財に指定されている。<br /><br />石造宝塔<br />鎌倉時代後期に造られたこの石造宝塔は、時代様式をよく表す優れた石造物として国の重要文化財に指定されている。東南面に「正和二二年大才乙卯十二月」の刻銘があり、正和4年(1315)に衆人の浄財によって造立されたことが判明する。像率当時からここにあったのか、他から移建されたのかは不明だが、正法寺本堂厨子内に伝わる二体の鎌倉期の天部像とともに、この地方の歴史を探る上での貴重な文化財であろう。(石段を上がって左側)<br />日野観光協会・鎌掛公民館

    正法寺石造宝塔。石造宝塔は正和4(1315)年の刻銘があり重要文化財に指定されている。

    石造宝塔
    鎌倉時代後期に造られたこの石造宝塔は、時代様式をよく表す優れた石造物として国の重要文化財に指定されている。東南面に「正和二二年大才乙卯十二月」の刻銘があり、正和4年(1315)に衆人の浄財によって造立されたことが判明する。像率当時からここにあったのか、他から移建されたのかは不明だが、正法寺本堂厨子内に伝わる二体の鎌倉期の天部像とともに、この地方の歴史を探る上での貴重な文化財であろう。(石段を上がって左側)
    日野観光協会・鎌掛公民館

  • 正法寺の景色。

    イチオシ

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    正法寺の景色。

  • 正法寺、天満宮。<br /><br />天満宮<br /> 学問の神様である「菅原道真」を祭神とする天満宮で、江戸時代末頃に京都の北野天満宮から神霊を迎えてこの地に祀られた。

    正法寺、天満宮。

    天満宮
     学問の神様である「菅原道真」を祭神とする天満宮で、江戸時代末頃に京都の北野天満宮から神霊を迎えてこの地に祀られた。

  • 正法寺、大日堂。<br /><br />大日堂<br />この堂本尊であるの金剛界大日如来像は、胎内銘によって天文13(1544)年に蒲生家家臣の岡宗左衛尉重俊とその妻が造像しており、その頃約2キロ東の雲閑山の山中にあった鎌掛城の消滅と共に、ここよりやや北の地名大日前の山裾に移され、元禄5(1692)年に正法寺が建立されると同時に現在地に再建された。堂前の小祠は琴平宮、一段下は天満宮、右の神社は稲荷社で、一帯の墓地は明治以降に設けられた納骨墓である。<br />日野観光協会・鎌掛公民館

    正法寺、大日堂。

    大日堂
    この堂本尊であるの金剛界大日如来像は、胎内銘によって天文13(1544)年に蒲生家家臣の岡宗左衛尉重俊とその妻が造像しており、その頃約2キロ東の雲閑山の山中にあった鎌掛城の消滅と共に、ここよりやや北の地名大日前の山裾に移され、元禄5(1692)年に正法寺が建立されると同時に現在地に再建された。堂前の小祠は琴平宮、一段下は天満宮、右の神社は稲荷社で、一帯の墓地は明治以降に設けられた納骨墓である。
    日野観光協会・鎌掛公民館

  • 正法寺、金毘羅宮。<br /><br />金比羅宮<br /> 香川の琴平に本社がある讃岐の金比羅大権現で海を航海する船の安全を護ってくださる神様ですが、その頃神の名を表す字が金という字と、平という字を書いて金平(こんぴら)とも読みます。<br /> 貨幣経済が盛んになった江戸時代、お金が平らかに行き渡るようにようにとの願いから海には全く関係のない山近い里にも進行が広がりこの地に金比羅宮(金平宮)が祀られた。

    正法寺、金毘羅宮。

    金比羅宮
     香川の琴平に本社がある讃岐の金比羅大権現で海を航海する船の安全を護ってくださる神様ですが、その頃神の名を表す字が金という字と、平という字を書いて金平(こんぴら)とも読みます。
     貨幣経済が盛んになった江戸時代、お金が平らかに行き渡るようにようにとの願いから海には全く関係のない山近い里にも進行が広がりこの地に金比羅宮(金平宮)が祀られた。

  • 朱色の鳥居の奥には…。

    朱色の鳥居の奥には…。

  • 正法寺、稲荷神社。<br /><br />稲荷神社の伝説<br /> 江戸時代も終り頃、正法寺の和尚さんが毎朝毎晩本堂でお経を唱えていると、そのたびに後ろの方で何かが動く気配がします。なんだろうと振り返ってみると白い毛の年老いた狐が、本堂の縁に来ております。そしてお経を唱えるたびに狐の姿が現れます。<br /> このことを和尚が村人に話すると、その白い狐を見た人は沢山いて、その白狐は石楠花谷に行く途中の山に住み着いている狐とわかり、狐もまた年老いて観音様のお慈悲に縋りたくなったのだろうと話し合われその狐のために、京の伏見にある稲荷大明神をお迎えし明治時代の初めにこの社が建てられました。

    正法寺、稲荷神社。

    稲荷神社の伝説
     江戸時代も終り頃、正法寺の和尚さんが毎朝毎晩本堂でお経を唱えていると、そのたびに後ろの方で何かが動く気配がします。なんだろうと振り返ってみると白い毛の年老いた狐が、本堂の縁に来ております。そしてお経を唱えるたびに狐の姿が現れます。
     このことを和尚が村人に話すると、その白い狐を見た人は沢山いて、その白狐は石楠花谷に行く途中の山に住み着いている狐とわかり、狐もまた年老いて観音様のお慈悲に縋りたくなったのだろうと話し合われその狐のために、京の伏見にある稲荷大明神をお迎えし明治時代の初めにこの社が建てられました。

  • 忠魂碑。

    忠魂碑。

  • 記銘されているものは既に読めなくなっている…。

    記銘されているものは既に読めなくなっている…。

  • 正法寺の景色。

    正法寺の景色。

  • 正法寺の景色。入口付近の閻魔堂手前には正法寺の由緒書きが書かれていた。<br /><br />普門山正法寺(ふもんざんしょうほうじ)<br />鈴鹿国定公園内の観光地「藤の寺」の名で広く知られているこの寺は、十一面観音立像を本尊とする臨済宗妙心寺派の禅寺で、もと八阪神社の脇にあった観音堂を、元禄5年(1692)に普存(ふぞん)という禅僧がここへ移して再興し、同時に境内に藤も植えた。後光藤(ごこうふじ)と名付けられているこの藤は、藤房が特に長く開花期は多くの人々が訪れる。樹齢は300年を越える。本堂は文化11年(1814)に再建され、境内は明治初期に整備された。<br /> 日野観光協会・鎌掛公民館<br />

    正法寺の景色。入口付近の閻魔堂手前には正法寺の由緒書きが書かれていた。

    普門山正法寺(ふもんざんしょうほうじ)
    鈴鹿国定公園内の観光地「藤の寺」の名で広く知られているこの寺は、十一面観音立像を本尊とする臨済宗妙心寺派の禅寺で、もと八阪神社の脇にあった観音堂を、元禄5年(1692)に普存(ふぞん)という禅僧がここへ移して再興し、同時に境内に藤も植えた。後光藤(ごこうふじ)と名付けられているこの藤は、藤房が特に長く開花期は多くの人々が訪れる。樹齢は300年を越える。本堂は文化11年(1814)に再建され、境内は明治初期に整備された。
     日野観光協会・鎌掛公民館

  • 地蔵堂<br /> この石造地蔵菩薩は、享保年間(1716-36)約二百八十年前に祀られ、片足を下げているのを半跏倚像(はんがきぞう)の地蔵と言います。<br /> 地蔵菩薩は、人が巡るという六道という苦界のどの世界でも、救済して下さる仏として平安時代から信仰され、現在もなお、現世利益の菩薩として信心がされております。地蔵菩薩は又、おの世での姿は閻魔王に化身すると言われておりますので、この堂も閻魔堂の前に建ったのでしょう。

    地蔵堂
     この石造地蔵菩薩は、享保年間(1716-36)約二百八十年前に祀られ、片足を下げているのを半跏倚像(はんがきぞう)の地蔵と言います。
     地蔵菩薩は、人が巡るという六道という苦界のどの世界でも、救済して下さる仏として平安時代から信仰され、現在もなお、現世利益の菩薩として信心がされております。地蔵菩薩は又、おの世での姿は閻魔王に化身すると言われておりますので、この堂も閻魔堂の前に建ったのでしょう。

  • 鎌掛の里<br />「鎌掛」は「かいがけ」と読みます。滋賀県の難読地名の一つです。江戸初期までは「鎰懸村」でしたが、、東海東海道土山宿と中山道愛知川宿を繋ぐ脇街道ができ、「北国街道」の宿場町が「鎌掛宿」になった時から、「鎌掛村」の字が使われるようになりました。この脇街道が明治の頃から「御代参街道」と通称されるようになります。<br /> この街道は又の名を「伊勢街道」とも呼び、昔の鎌掛宿は大層な賑わいを見せておりました。全村が真宗<br />門徒であり、この正法寺のみは村人達から帰依寺として、禅宗の法灯を伝えてきております。<br /> 鎌掛の里には、国の天然記念物に指定されている「鎌掛谷ほんしゃくなげ群落地」と、「鎌掛の屏風岩」という二つの天然記念物があり、自然豊かな美しい里でもあります。

    鎌掛の里
    「鎌掛」は「かいがけ」と読みます。滋賀県の難読地名の一つです。江戸初期までは「鎰懸村」でしたが、、東海東海道土山宿と中山道愛知川宿を繋ぐ脇街道ができ、「北国街道」の宿場町が「鎌掛宿」になった時から、「鎌掛村」の字が使われるようになりました。この脇街道が明治の頃から「御代参街道」と通称されるようになります。
     この街道は又の名を「伊勢街道」とも呼び、昔の鎌掛宿は大層な賑わいを見せておりました。全村が真宗
    門徒であり、この正法寺のみは村人達から帰依寺として、禅宗の法灯を伝えてきております。
     鎌掛の里には、国の天然記念物に指定されている「鎌掛谷ほんしゃくなげ群落地」と、「鎌掛の屏風岩」という二つの天然記念物があり、自然豊かな美しい里でもあります。

  • 閻魔堂<br /> 死後、人々の生前の罪を裁いて、六道という行く先を決めるための裁判官として、明快には十人の王がいる、とされております。それらの裁判官を「十王」と言い、その十王を代表するのが閻魔王です。代表するので「閻魔大王」とも呼ばれます。<br /> 元禄4年(1691)約三百二十年前に、正法寺の創建と同時に祀られた閻魔王像で、滋賀県では数が木菟内仏像です。

    閻魔堂
     死後、人々の生前の罪を裁いて、六道という行く先を決めるための裁判官として、明快には十人の王がいる、とされております。それらの裁判官を「十王」と言い、その十王を代表するのが閻魔王です。代表するので「閻魔大王」とも呼ばれます。
     元禄4年(1691)約三百二十年前に、正法寺の創建と同時に祀られた閻魔王像で、滋賀県では数が木菟内仏像です。

  • 正法寺の藤。

    正法寺の藤。

  • 日野町大字鎌掛特別功労者〝野崎忠左衛門墓〟略伝<br />蒲生家の遺臣である野崎氏は、代々蒲生郡三十六か村の大庄屋をつとめる旧家であった。第七代野崎忠左衛門は明治二十二年鎌掛村初代の村長に就任し多大な功績を残され続いて県会議員を歴任し数々の手腕を揮われたが惜しくも明治三十年二月四十三歳の若さで死去された。鎌掛の特別功労者である。<br /> 元滋賀県知事野崎欣一郎氏の祖父にあたる。

    日野町大字鎌掛特別功労者〝野崎忠左衛門墓〟略伝
    蒲生家の遺臣である野崎氏は、代々蒲生郡三十六か村の大庄屋をつとめる旧家であった。第七代野崎忠左衛門は明治二十二年鎌掛村初代の村長に就任し多大な功績を残され続いて県会議員を歴任し数々の手腕を揮われたが惜しくも明治三十年二月四十三歳の若さで死去された。鎌掛の特別功労者である。
     元滋賀県知事野崎欣一郎氏の祖父にあたる。

  • 山上荷亭の句碑<br /> 鎌掛けの真宗寺院誓敬寺の住職で指導者でありました山上荷亭の教えを受けた弟子達により、昭和四十六年秋に建てられました。<br /> 今も荷亭に教えを受けた俳人達が文芸の灯を点し続けて俳句会が隆盛に続けられています。<br />「さまざまな 別れにあいぬ 露の秋」

    山上荷亭の句碑
     鎌掛けの真宗寺院誓敬寺の住職で指導者でありました山上荷亭の教えを受けた弟子達により、昭和四十六年秋に建てられました。
     今も荷亭に教えを受けた俳人達が文芸の灯を点し続けて俳句会が隆盛に続けられています。
    「さまざまな 別れにあいぬ 露の秋」

  • 松尾芭蕉の句碑<br /> この翁塚は、俳聖松尾芭蕉が貞享3年(1686)に浅草寺で詠んだ句を、当山正法寺の本尊が観世音菩薩であることから、芭蕉翁150回忌を記念して、天保14年(1843)に、鎌掛出身の近江日野商人である瀬川伊右衛門・岡輿右衛門・池内治右衛門が発起人となり建立したものです。<br />「観音の 甍見やりつ 花の雲」

    松尾芭蕉の句碑
     この翁塚は、俳聖松尾芭蕉が貞享3年(1686)に浅草寺で詠んだ句を、当山正法寺の本尊が観世音菩薩であることから、芭蕉翁150回忌を記念して、天保14年(1843)に、鎌掛出身の近江日野商人である瀬川伊右衛門・岡輿右衛門・池内治右衛門が発起人となり建立したものです。
    「観音の 甍見やりつ 花の雲」

  • 正法寺の藤。

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  • 正法寺の藤とたかティムさん。

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  • 放生池<br /> 「放生池」とは、佛教では殺生をすることが禁じられております。<br /> 水のなかで生きている魚や亀などを仏に護られて生きられるようにと、池の中へ放してやるための池です。

    放生池
     「放生池」とは、佛教では殺生をすることが禁じられております。
     水のなかで生きている魚や亀などを仏に護られて生きられるようにと、池の中へ放してやるための池です。

  • 正法寺の藤。

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  • 正法寺の藤。

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  • 正法寺の藤。奥はお手洗い。

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  • パンフレットの横には保全協力金の箱がある、300円也。

    パンフレットの横には保全協力金の箱がある、300円也。

  • 正法寺の藤とたかティムさん。

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  • 正法寺の藤。

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  • 正法寺の藤。

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  • 正法寺の藤。因みにお手洗いの前の景色である。

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  • 正法寺の藤。

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  • 駐車場でも…。

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  • 藤の花が見られる場所であった。

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  • 鎌掛谷ほんしゃくなげ群落へとやってきた。

    鎌掛谷ほんしゃくなげ群落へとやってきた。

    鎌掛谷ホンシャクナゲ群落 公園・植物園

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