2021/12/13 - 2021/12/13
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kojikojiさん
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鹿児島市内の短い観光の後はバスごとフェリーに乗って桜島に向かいます。ほんの15分ほどのフェリー旅ですが、今回のツアーのハイライトでもあります。ただ景色を見なければならないし、名物のうどんは食べなければならないし、妻の親友が買っておいてくれた両棒餅(じゃんぼもち)も食べなければならないので忙しかったです。コロナ禍なのでバスの中での飲食は禁止になっています。船内では自由に歩き回れますが、バスに戻っての下船なので慌ただしく終わってしまいました。上陸後はそのままバスで桜島の南側を走って大隅半島側まで移動します。途中の「旅の駅 桜島ドライブイン」で休憩があり、買い物が出来ました。ここで桜島小ミカンを買うことが出来てよかったです。段ボール箱2箱分のみかんを家に送りました。ここには桜島大根が植えてあり、初めてその姿を見ることが出来ました。何より天気が催行だったので、間近かで見る山塊の美しさには言葉もありませんでした。そのまま桜島を半周して牛根大橋を越えて大隅半島に入り、姶良カルデラに沿ってバスは北上します。車窓の左側の景色の美しさは素晴らしかったです。このツアーに参加するなら2日目は左側に座らないとだめだと思います。今回のツアーでは空席を設けていたので、写真を撮るときだけ移動していました。「黒酢の郷 桷志田」で遅めのランチになりましたが、黒酢を使った料理はどれも美味しかったです。テレビのCMなどで見ていた壺畑はちょっとイメージが違いましたが、ここだけの景色なので楽しめました。ここからはバスで「霧島神宮」へ参拝しました。今回の旅ではこの「霧島神宮」と「青島神社」と「鵜戸神宮」の3か所に参拝しましたが、祀神が3代に渡っているという意味を知ると興味深く思えました。参拝の後はバスで少し移動した霧島温泉に宿泊です。「ホテル霧島キャッスル」の眺めの良い大きな部屋は、前日と同じ洋間と和室の2間の部屋だったので3人でもゆったり眠ることが出来ました。温泉に入った後の夕食はバイキングでしたが、種類も豊富で美味しい食事でした。鍋や鉄板焼きや釜炊きのご飯までバイキングなのには驚きました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 船 JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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鹿児島港からバスに乗ったままフェリーに乗り込みます。東京近郊では東京湾フェリーで久里浜と金谷を往復するというはとバスのツアーに乗ったことを思い出します。
鹿児島港フェリーターミナル 乗り物
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今年はフェリーの年で、名古屋港から仙台、仙台から苫小牧、苫小牧から名古屋という旅もしました。
桜島フェリー(鹿児島市船舶局) 乗り物
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バスが船内に停車するとしばらくの間は下車することが出来ます。
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鹿児島港の脇には「いおワールドかごしま水族館」があります。
いおワールドかごしま水族館 動物園・水族館
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第十五櫻島丸(チェリークイーン)が入港してきました。現在5隻のフェリーが運航しているようです。
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桜島をバックに入港してくるフェリーは絵になります。
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着岸前にスクリューを逆回転させるのか、海面が泡立つのがかっこいいです。
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出港前に記念写真を撮りました。今回は3人旅なので夫婦の写真もたくさん撮ることが出来ました。
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入れ替わるように桜島丸(サクラエンジェル)は出港しました。
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妻はすぐに船内に駆け込んで「やぶ金」のうどんを注文しています。この日の昼食は遅いので小腹が空いたようです。
やぶ金 桜島フェリー店 グルメ・レストラン
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ちょっとピンボケですが掛けうどんです。ちゃんと薩摩揚げも乗っています。やぶ金は市の中心市街地に構えた店舗で天丼を名物にしていて、桜島フェリーに進出したのは1981年だそうです。
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「やぶ金」のうどんのことは事前に調べてあったので、名物を食べ逃さずにすみました。添乗員さんはここのうどんについて説明しなかったので、他の方は誰も食べていませんでした。
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うどんを半分こして、仙厳園で食べられなかった両棒餅もここでいただきました。バスの中での飲食は禁止なので、ここで食べないと霧島温泉まで持っていかなければならず、時間が経つと硬くなってしまいます。
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今回の旅は天気が良くて本当に何よりでした。東京に帰った後は雨が続いて寒くなったようなのでタイミングも良かったようです。
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沖縄の旅で宿泊した「残波岬ロイヤルホテル」から見えたA"LINEのフェリーが見えました。これは「あまみ」で鹿児島から喜界島を経由して知名まで行っています。
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水中翼船のトッピーとロケットは鹿児島港と屋久島を結んでいます。指宿や種子島にも経由しているようです。
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水中翼船を見るのは新潟港から佐渡島を往復した旅の時でした。ギリシャの島々を旅しているとロシア製の平べったい水中翼船をよく見かけます。
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出港した「桜島丸」はもう到着のようです。正面に桜島のフェリーターミナルが見えてきました。
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そろそろバスに戻らなければならない時間です。
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車両のデッキは2階建てになっていて、我々のバスは1階デッキでした。年間の乗客数は520万人で航送車両数は153万台あり、世界屈指の輸送量となっているそうです。
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海外旅行へ行けなくなって2年が経ちますが、こういったシチュエーションの旅は南イタリアやシチリア島やギリシャの島の旅を思い出させます。
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そろそろ桜島港に到着なのでバスに戻ることにします。
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バスに乗ったまま出発できるので楽ちんです。地中海のいくつもの港からフェリーに乗りましたが、いつもフットパッセンジャーで移動に苦労しました。
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フェリーを後にして桜島のドライブが始まります。
桜島フェリー(鹿児島市船舶局) 乗り物
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桜島の島内は景観法の規制があり、ファミリーマートなどのコンビニの看板も通常のものとは違っています。
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しばらくバスで走った先の「旅の駅 桜島ドライブイン」でトイレ休憩と桜島の眺望を楽しみました。
旅の駅桜島 桜島物産館 道の駅
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島内で見る桜島の山塊はすごい迫力でした。桜島の大部分を構成する御岳は南北に並ぶ北岳と中岳と南岳から成り、山腹に多くの側火山を配しています。これらを総称して御岳(おんたけ)と呼ばれます。
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山裾が海まで伸びているため平地はほとんどないようですが、北西部と南西部の海岸沿いに比較的なだらかな斜面があり、農地として利用されています。
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島内に木花咲耶姫命を祀る五社大明神があり島を咲耶島と呼んでいましたが、いつしか転訛して桜島となったと添乗員さんから説明がありました。木花咲耶姫命は富士宮の浅間大社の祀神でもあるので、富士宮出身の妻たちは大喜びです。
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サクラジマミカン(桜島蜜柑)は桜島で栽培されている柑橘類の一種で、サクラジマコミカン(桜島小蜜柑)とも呼ばれます。品種としてはキシュウミカンとほぼ同一で、同じ品種が桜島を望む鹿児島湾沿いの霧島市福山でも栽培されており、こちらは単にコミカン(小蜜柑)と呼ばれます。ギネスブックに認定された世界一小さいミカンでもあります。
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以前から仕事先の方に桜島小ミカンをいただいているのですが、いざ自分で買い求めようとするとネットではどこも売り切れでした。地元の友人たちへのお土産に段ボール箱2箱を家に送りました。1箱に80個以上入っていたので30個くらい配ったら喜ばれました。
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大きさがまちまちですが、小さいものは贈答用になるのだと思います。無選別の大きさがまちまちでもとても甘いので美味しかったです。
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このドライブインではなかなか手に入らない鹿児島の焼酎がずらっと並んで売られていました。「魔王」と「森伊蔵」と「村尾」の3Mが並んでいて一瞬目が輝きましたが、ネットで買うプレミアムの金額でした。
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妻によく似たバランスの人形を買えばよかったかなと後悔しています。
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一応同じような感じで写真を撮ってみました。
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次に来るときは桜島を1周する観光バスに乗ってみたいと思います。
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巨大な鉢植えになった桜島大根が植えられていました。実物を見るのは初めてのことです。鹿児島県の伝統野菜で、こちらはギネスブックに認定された世界一大きい大根です。重さは通常で約6キロ前後ですが大きな物になると約30キロ、直径にして約40センチから50センチほどにもなるそうです。
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12月から2月にかけて収穫されるそうですが、少し縮緬状になった葉がとてもきれいに見えました。地元では「しまでこん」とも呼ばれるそうです。
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雄大な桜島を初めて見て喜んでいるポーズみたいです。
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バスで移動しながらも左側の車窓に見える山の姿を写真に撮ってしまいます。姿がどんどん変わっていくので目が離せません。
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ちょうどお昼前なので南側の斜面に太陽光線が当たってきれいでした。
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鹿児島湾の向こうに小さく開聞岳が見えました。
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望遠レンズで切り取ってみると水中翼船が水面を切り裂いて南に向かっているのが分かりました。
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南東の桜島の姿もワイルドですが、この後見ることになる北側の迫力のある姿でした。この日の噴煙は東向きだと朝のニュースの天気予報で説明がありました。
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有村溶岩展望所の近くの海岸線は小さな入り江が多く、漁船がたくさん停泊していました。この先で道路は別れて右に行くと鹿屋方面に向かうようです。我々のバスは左に向かいます。
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牛根大橋が見えてきました。あの橋を渡ると桜島ともお別れです。
道の駅 たるみず 道の駅
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海岸線に沿って大隅半島を北上するようにバスは走ります。
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この辺りは最大水深237メートルにもなり、穏やかな海況に恵まれ、日本最大のカンパチの養殖場になっているそうです。養殖いかだが延々と続いていました。
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北側から眺める桜島は噴火口が見えてすごい迫力でした。
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昨日の開聞岳や今日の桜島といいポイントになる山を中心に移動しているので鹿児島のスケール感が良く掴めたと思います。
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お昼をだいぶ回ってから「黒酢の郷 桷志田」に到着しました。ここにもミカンの木がありましたが、この辺りでは単純に小ミカンと呼ばれます。
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庭木にこんなにミカンが鈴なりに生ったらいいですね。冬の間これ1本で過ごせそうです。
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レストランの2階に上がるとすでに食事の用意がされていました。ご飯以外は何かしらお酢を使った料理になっていました。どれもさっぱりと美味しいので食が進みます。
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ブルーベリー風味の飲むお酢も美味しく、ビールなどは注文しませんでした。
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メインの黒酢酢豚はすっきりとした美味しさでご飯が進みます。お肉もたっぷり入っていますが、野菜も美味しかったです。
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紙芝居を見ながら食事している気分です。
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食事が終わるとお買い物タイムになります。その前に2階の眺望の良いところから壺畑(つぼばたけ)の写真を撮っておきます。実際に玄米黒酢の桷志田(かくいだ)を醸造している壷畑です。
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桜島をバックに壺が並ぶ姿は壮観です。ただ、テレビなどのCMで見覚えのある壺畑は「坂元醸造」という醸造元の壺畑のようです。
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福山の酢の歴史は今から約200年前に福山の商人「竹之下 松兵衞」が中国の商人に酢造りの話を聞いたことが始まりだそうです。伝承された酢は「福山酢」として知られるようになりましたが、当時の薩摩藩では作物や技術を藩の外に出していけないという門外不出の政策をとっていたため、広く全国に知れ渡る事はありませんでした。
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壺畑に併設された建物の2階がレストランで、1階がショップになっています。みなさんすごい勢いで黒酢製品を購入されていますが、どれも結構よいお値段なので手が出ません。なぜかジョージアのワインが20種類くらい置かれてありました。ジョージアのワインは美味しいので買いたいところですが、持って帰るには重たいので諦めました。
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ショップでの買い物をあきらめた妻も壺畑に出てきました。12月中旬だというのに温かい日でした。
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テレビのCMで見覚えのある高台から壺畑を見下ろす先に桜島が見えるのは近くにある坂元醸造の壺畑で「壺畑」というレストランも併設されているようです。その景色が見てみたかったのですが、JTBと醸造会社の提携とかもあるのでしょうね。
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黒酢の原料は蒸し米と米麹(こめこうじ)と地下水の3つだけだそうです。米麹は味噌や醤油と同じ「黄麹(きこうじ)」を使います。黒酢の仕込みは春の4月から6月頃と秋の9月から10月頃の年2シーズン行われます。壺の中に混ぜ麹と蒸し米、地下水の順番で原料を入れ、最後に水面を振り麹で覆います。この振り麹の作業は熟練した職人の手によって1本1本行われるそうです。
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レストランの近くには無人販売の小ミカンやほかの柑橘類も売られていました。どれも200円ほどで買うことが出来ました。
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桜島に向かっての南斜面は日当たりも良いのでブーゲンビリアがきれいに咲いていました。
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知覧ではイヌマキの玉散らしの街路樹ばかりでしたが、同じ県内でも地方によってその姿が違うのが面白かったです。
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お昼を食べた後は海岸線を離れるので桜島ともしばらくお別れです。この時はこれが見納めかと思っていました。
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山道に入ると霧島連山の山々が見えてきました。韓国岳(からくにだけ)や新焼岳(しんもえだけ)など聞きなれない山の名前ですが、新燃岳は「007 は二度死ぬ」でジャイロコプターのリトルネリーに乗ったボンドがヘリコプターと戦うシーンで出てきます。南さつま市坊津町秋目地区は浜美枝と結婚した場面ですし、桜島をバックに仙厳園でもロケが行われています。
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高千穂峰も美しい姿を見せてくれました。単独峰に見えるこの山は翌日の都城市の「霧島ブルワリー」の近くからも美しい姿を見せてくれました。
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JR霧島神宮駅を過ぎてさらに山深くなってきました。遅いお昼を食べた後なのでだいぶ日も陰ってきました。
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昭和63年の1988年に建設された笠木28メートル柱の間隔16メートル高さ22.4メートルの明神式の鳥居は西日本一の大きさと言われています。バスの中から撮った写真なので中央の菊の御紋が写せませんでしたが、菊の花びらだけで1メートルの大きさがあるそうです。
霧島神宮 寺・神社・教会
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駐車場でバスを降りて添乗員さんの案内で境内まで向かいます。「招霊木(おがたまのき)」のオガタマの和名は招霊(オキタマ)が転訛したもので、神霊を招く木として神社によく植えられ、その小枝は神前に供えられています。
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古事記によると素戔嗚尊が姉の天照大御神に悪さをして大神は怒って天の岩戸に隠れます。太陽の神が隠れて世界中が真っ暗になり悪神が横行します。そこで八百万(やおよろず)の神々が知恵を絞り、天宇受売命が桶を伏せた台の上で踊ることになります。そのときオガタマノキの小枝を持って舞ったと言われます。
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階段の上に参道の鳥居が見えてきました。参道の左右には巨木が生い茂り厳かな雰囲気を感じます。
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「さざれ石」は原産地岐阜県から奉納されたもので、国家「君が代」の歌詞にあるさざれ石とは小さな石のことで、巌は大きな岩のことです。「さざれ石の巌となりて苔のむすまで」と歌われているが、それは小さい石の1つ1つが寄り集まるといつかは大きな岩となるということです。以外にいろいろな神社に奉納されています。
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階段をゆっくり登って鳥居をくぐって参拝に向かいます。
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霧島神宮の御祭神は天孫瓊瓊杵尊(にぎにぎのみこと)で嫡后は木花開耶姫尊(このはなさくやひめ)です。翌日行くのがその子供である御子の彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と嫡后の豊玉姫尊(とよたまひめのみこと)を祭る青島神社と、孫にあたる御孫の鵜萱草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)と嫡后の玉寄姫尊(たまよりひめのみこと)を祭る鵜戸神宮に参拝するということになります。
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何となく行ったことのない鹿児島県と宮崎県の旅を申し込んでいましたが、そのような意味があることは旅行者のホームページにも書いていないので勉強になりました。伊勢神宮に参拝した後にこのツアーを申し込んだのは偶然でしたが、何か必然的なものを感じました。
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本殿に向かう前に右手に回り込んでこの御神木の前で添乗員さんから説明がありました。この木の右手に本殿があります。
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その御神木の一部がこのような形になっています。
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御神木の枝木が装束を着けた人が参拝しているように見えるという案内もありました。なるほどそのように見えると思いました。
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ほぼ真横から太陽光線が当たる御神木はそれだけで神々しく見えました。
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日本で最も古い書物である古事記および日本書紀に瓊瓊杵尊(ににぎみのみこと)が「筑紫日向の高千穂の久土流多気に天降ります」「日向の襲の高千穂に天降ります」と記されている霊峰が霧島神宮の背後にそびえ立つ高千穂峰です。
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神宮は高千穂峰と御鉢「噴火口」との中間の脊門丘にありましたが、噴火のために悉く炎上し、村上天皇の天暦年間の950年頃に天台宗の僧である性空(しょうくう)上人が高千穂河原に再興奉還しました。また文暦元年の1234年の大噴火により、社殿と僧坊寺が災禍に遭っています。
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その後に真言宗の僧の兼慶(けんけい)上人が薩摩藩主の島津忠昌の命をうけて土御門天皇の文明16年の1484年に社殿等を再興しています。現在の社殿は21代藩主島津吉貴の寄進により正徳5年の1715年に再建されています。
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社務所にあった「九面土鈴」を買い求めました。九面は工面に通じ「工面がつく」「工面がいい」として縁起がいいので、商売をされる方々が参拝の際にこの九面を拝んだそうです。毎年「元旦」と2月11日の「紀元祭」と11月10日の「天孫降臨記念祭」に合わせて奉納される郷土芸能「九面太鼓」は勇壮さで有名だそうです。
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無事に参拝を済ませて戻ることにします。参拝者休憩所でお土産も見なければなりません。
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坂本龍馬は慶応2年の1866年に妻のお龍とこの地を訪れています。俗にいう我が国で初めての「新婚旅行」とされる旅です。どうも福山雅治と真木よう子のイメージが強く残っています。
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12月の西日がきれいに参道に差し込んでいます。妻と親友もシルエットになっています。
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鳥居をくぐってお礼を言って階段を降ります。三段になった社殿が美しいです。
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今回の旅では妻の付き添いは親友にお任せです。こんな階段は1人では歩かせられなくなりました。
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「神聖降臨之碑」は熊本出身の言論人、である徳富蘇峰が書いたそうです。
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「天孫降臨」という言葉に諸星大二郎の作品を思い出しました。その中にある「闇の客人」の巨大な鳥居や「鬼祭り」などはこの地をモデルにしたのではないだろうかと思えました。
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「展望所」からは真正面に桜島が見えました。ちょうど背後は霧島連山になります。なにか神宮の位置には意味があるのではないだろうかと感じてしまいます。
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残円上がら開聞岳は霞んでしまっていて見ることは出来ませんでした。
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参拝者も少なく穏やかな日差しの中で参拝で来て良い思い出になりました。
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休憩所にはここだけに売っている「鉾餅」に興味がありましたが、結局買わずじまいでした。これでこの日の観光は終わりになります。
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大鳥居をくぐって霧島温泉に向かいます。翌日この大鳥居の前を通過するというので写真がうまく撮れたらよいなと思います。
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バスは10分ほどでこんな湯気の立ちのぼる温泉街に差し掛かります。これだけで期待が膨らんできます。
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この日の宿泊は「ホテル霧島キャッスル」です。ツアーバスは少なかったですが、個人のお客さんが多く来られていました。
ホテル霧島キャッスル 宿・ホテル
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部屋の鍵は部屋に置かれてあるのでチェックインはスムーズです。窓側が洋間になっています。
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ソファの横にベットが2床あるので、こちらは妻と友人の部屋になりました。
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それと8畳間があるのでこちらで寝ることにします。
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入口への廊下は昭和の雰囲気がそのまま残されています。
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窓からは桜島と鹿児島湾がきれいに望めました。
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霧島神宮で桜島は見納めかと思っていたのでラッキーです
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その横には蒸気を噴き上げる霧島温泉の源泉が見えます。
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ベランダから眺める桜島は刻一刻と赤く染まっていきます。この景色を眺めるだけでも鹿児島に来た甲斐がありました。
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本日の収穫の一部です。右は鹿児島の城山展望台で買ったブランドの小ミカンで550円でした。左は黒酢の壺畑のレストランで買った路地物で200円でした。確かに「紅さくら」は甘くておいしかったですが、路地物も十分に美味しいです。
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夕食前に近くのお土産物屋さんとコンビニに行くことにしました。お昼ご飯が午後2時過ぎだったので、夕食は午後7時30分からになっていました。まだ午後5時前ですから時間があります。
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ホテルの前で写真を撮っていたらスタッフの方がシャッターを押してくださいました。コロナ禍になってからシャッターを押してもらうのが憚られるのでありがたいです。
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ホテルは高台にあるので帰りは歩かなければなりません。
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さらに車道を少し登る感じで「霧島温泉市場」に向かって歩きます。期待して入ってみましたが、夕方なので地元のものはみな売り切れていました。
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近くのコンビニで飲み物を買って、湯けむりの上がっている源泉らしいところまで歩いてみました。ちょうど日が落ちてきて西の空が赤く染まってきたので、妻を友人に預けて先にホテルに戻りました。
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部屋に戻るとちょうど日が沈むところでした。
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霞んではいますが赤く染まった空にシルエットになった桜島がきれいでした。部屋で買ってきた缶チューハイを飲みながら日が暮れるのを眺めていました。
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夕食は午後7時30分からでした。バイキング料理を取り混ぜて席に戻って乾杯です。団体ツアーのため座席だけは確保されているのが助かります。
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地産の料理は少ないですが、品数は多くて味も良かったです。
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炊き込みご飯などもバイキングなので、コンロとお釜も持ってこなければなりません。
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鉄板とコンロとお肉も別々なので結構手間がかかります。この鉄板はお肉を焼くだけでなく、焼き鳥なども焼き直すと熱々で美味しかったです。
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前日のサツマイモの炊き込みご飯も美味しかったですが、ここのむかごご飯も美味しかったです。最後に蒸している間に蒸し豚などを入れると熱々になって美味しかったです。なんでも工夫ですね。
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部屋に戻ると南の空からオリオン座が昇ってきました。ダイジェスト版のような鹿児島旅行でしたが、来て良かったです。最終日は宮崎県南部の旅になります。
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