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12月の旅行はJTBの旅物語の「指宿・霧島と南九州めぐり 3日間」というツアーを申し込んでいました。同じようなツアーはいつも利用するトラピックス社やクラブツーリズム社にもありましたが、仙厳園に行くのはこのツアーだけでした。秋に妻の友人と奥多摩の料理屋さんへ一緒に行った際に鹿児島の旅の話をしたところ「一緒に行きたい!」ということで予約を取り直しました。妻をこの半年で60日くらい旅に連れまわしていたら足が痛くなってしまい、今回の旅は湯治を兼ねて、妻の友人が温泉の中も付き添ってくれるので安心できました。つい数年前は母の面倒を妻に見てもらっていましたが、妻に付き添いが必要になってしまうとは…。鹿児島まではJALの便で運よく右の窓側だったので雪を頂いた富士山から南アルプスの山々がきれいに見えました。紀伊半島から先も雲が無かったので、室戸岬や足摺岬の真上を飛ぶのが分かりました。お昼前に鹿児島空港に到着し、現地の添乗員さんと合流してバスに乗り込みます。申し込みに確認したのは3人参加の場合に隣の席がほかの方が座らないことでしたが、3列置きに1列使用しない席が設けられていました。今回のツアーは29名だったので、バスはぎゅうぎゅう詰めのような印象は受けませんでした。このあたりはJTBだなと思えました。また、3日間のツアー中は同じ席で席替えは無いということでした。バスに乗る際の手指消毒とマスク着用、飲食禁止も安心できました。HISの格安ツアーでは禁止されている飲食をする人が数名いましたが、JTBのお客さんではそんな人はいませんでした。空港を出たバスは高速道路に入って、まずは桜島サービスエリアで自由昼食になりました。今回のツアーでは食事について全く案内が無かったので、その点は心配していましたが、まさかのサービスエリア。でも黒豚の生姜焼きも黒豚ラーメンも美味しかったです。バスはそのまま高速で九州自動車道から指宿スカイラインを経由して知覧に向かいました。知覧では「武家屋敷庭園」の見学か「知覧特攻平和会館」の選択になるのですが、これには迷いました。当初は完全に平和会館へ行くつもりでしたが、妻の友人も一緒なので武家屋敷を選択しました。ツアーのメンバーの方は年配の方が多かったので7割くらいが平和会館を選ばれていました。知覧を出てからは一般道を走り、池田湖に向かいます。峠を越えて正面に池田湖と菜の花畑が見えてくるとオッ!と声が上がります。湖畔の池田湖パラダイスで休憩になりましたが、池田湖にはイッシーがいると知りました。秋の旅で屈斜路湖のクッシーにも会ったので、後はどこへ行けばいいのかなと思います。菜の花越しの開聞岳の写真を撮って、バスは指宿に向かいます。日が沈みかかった夕焼け時の開聞岳はとてもきれいでした。指宿温泉ではホテルのランクアップがあって、6人の方が「いわさきホテル」で降りられ、我々は「ホテル翔月」にチェックインです。少し古いホテルでしたが、7階の海側の角部屋で、3人なので和室と洋室2室ある通常の部屋2つ分の広さがありました。これは翌日のホテルでも同じだったので良かったです。年下なので2晩ともソファーベットを覚悟していましたから。まずは浴衣に着替えてホテルの送迎バスに乗って近くの「砂楽(さらく)」という市営の砂風呂に向かいます。初めての砂むし風呂には感動しました。それと同時に生前意母と一緒に鹿児島に行こうと言いながら果たせなかった寂しさも感じました。砂むし風呂から帰ると部屋飲みしながら晩御飯の時間を待ちます。食事は3階の宴会場でグループごとのテーブルなのでコロナのことは考慮されていると感じました。元々のメニューも充分に美味しかったですが、せっかく鹿児島なのできびなごの刺身と天ぷらとカツオのたたきをお願いしました。お酒は地元の焼酎をいただきましたが楽しい食事になりました。

JTB旅物語で初めて鹿児島県の旅(1)快晴の空を鹿児島へ向かい、知覧の武家屋敷を訪ね、池田湖から指宿温泉で砂むし風呂を楽しむ。

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2021/12/12 - 2021/12/12

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旅行記グループ 2021鹿児島・宮崎の旅

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kojikoji

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12月の旅行はJTBの旅物語の「指宿・霧島と南九州めぐり 3日間」というツアーを申し込んでいました。同じようなツアーはいつも利用するトラピックス社やクラブツーリズム社にもありましたが、仙厳園に行くのはこのツアーだけでした。秋に妻の友人と奥多摩の料理屋さんへ一緒に行った際に鹿児島の旅の話をしたところ「一緒に行きたい!」ということで予約を取り直しました。妻をこの半年で60日くらい旅に連れまわしていたら足が痛くなってしまい、今回の旅は湯治を兼ねて、妻の友人が温泉の中も付き添ってくれるので安心できました。つい数年前は母の面倒を妻に見てもらっていましたが、妻に付き添いが必要になってしまうとは…。鹿児島まではJALの便で運よく右の窓側だったので雪を頂いた富士山から南アルプスの山々がきれいに見えました。紀伊半島から先も雲が無かったので、室戸岬や足摺岬の真上を飛ぶのが分かりました。お昼前に鹿児島空港に到着し、現地の添乗員さんと合流してバスに乗り込みます。申し込みに確認したのは3人参加の場合に隣の席がほかの方が座らないことでしたが、3列置きに1列使用しない席が設けられていました。今回のツアーは29名だったので、バスはぎゅうぎゅう詰めのような印象は受けませんでした。このあたりはJTBだなと思えました。また、3日間のツアー中は同じ席で席替えは無いということでした。バスに乗る際の手指消毒とマスク着用、飲食禁止も安心できました。HISの格安ツアーでは禁止されている飲食をする人が数名いましたが、JTBのお客さんではそんな人はいませんでした。空港を出たバスは高速道路に入って、まずは桜島サービスエリアで自由昼食になりました。今回のツアーでは食事について全く案内が無かったので、その点は心配していましたが、まさかのサービスエリア。でも黒豚の生姜焼きも黒豚ラーメンも美味しかったです。バスはそのまま高速で九州自動車道から指宿スカイラインを経由して知覧に向かいました。知覧では「武家屋敷庭園」の見学か「知覧特攻平和会館」の選択になるのですが、これには迷いました。当初は完全に平和会館へ行くつもりでしたが、妻の友人も一緒なので武家屋敷を選択しました。ツアーのメンバーの方は年配の方が多かったので7割くらいが平和会館を選ばれていました。知覧を出てからは一般道を走り、池田湖に向かいます。峠を越えて正面に池田湖と菜の花畑が見えてくるとオッ!と声が上がります。湖畔の池田湖パラダイスで休憩になりましたが、池田湖にはイッシーがいると知りました。秋の旅で屈斜路湖のクッシーにも会ったので、後はどこへ行けばいいのかなと思います。菜の花越しの開聞岳の写真を撮って、バスは指宿に向かいます。日が沈みかかった夕焼け時の開聞岳はとてもきれいでした。指宿温泉ではホテルのランクアップがあって、6人の方が「いわさきホテル」で降りられ、我々は「ホテル翔月」にチェックインです。少し古いホテルでしたが、7階の海側の角部屋で、3人なので和室と洋室2室ある通常の部屋2つ分の広さがありました。これは翌日のホテルでも同じだったので良かったです。年下なので2晩ともソファーベットを覚悟していましたから。まずは浴衣に着替えてホテルの送迎バスに乗って近くの「砂楽(さらく)」という市営の砂風呂に向かいます。初めての砂むし風呂には感動しました。それと同時に生前意母と一緒に鹿児島に行こうと言いながら果たせなかった寂しさも感じました。砂むし風呂から帰ると部屋飲みしながら晩御飯の時間を待ちます。食事は3階の宴会場でグループごとのテーブルなのでコロナのことは考慮されていると感じました。元々のメニューも充分に美味しかったですが、せっかく鹿児島なのできびなごの刺身と天ぷらとカツオのたたきをお願いしました。お酒は地元の焼酎をいただきましたが楽しい食事になりました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.0
ホテル
4.5
グルメ
4.0
ショッピング
4.0
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
観光バス JALグループ 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
JTB
  • 妻の友人と浜松町で合流して、早めに羽田空港に到着しました。JALの団体カウンターに行くと集合時間より早かったのですがチケットをいただけたのでチェックインと荷物を預けて身軽になります。セキュリティーを通って伊勢丹に併設されたカフェで朝ご飯をいただきます。

    妻の友人と浜松町で合流して、早めに羽田空港に到着しました。JALの団体カウンターに行くと集合時間より早かったのですがチケットをいただけたのでチェックインと荷物を預けて身軽になります。セキュリティーを通って伊勢丹に併設されたカフェで朝ご飯をいただきます。

    羽田空港 第1旅客ターミナル 空港

  • 機体は事前に調べてあって、2列3列2列の並びなので中央の3人掛けの席だと思っていましたが、窓側2席と中央の1席というチケットでした。おまけにほぼ満席ということで席は変えられません。

    機体は事前に調べてあって、2列3列2列の並びなので中央の3人掛けの席だと思っていましたが、窓側2席と中央の1席というチケットでした。おまけにほぼ満席ということで席は変えられません。

  • 座席は後方だったので早めに搭乗することが出来ました。

    座席は後方だったので早めに搭乗することが出来ました。

  • 今回は格安ツアーでもあるのでマイレージの積算対象にはならないチケットでした。

    今回は格安ツアーでもあるのでマイレージの積算対象にはならないチケットでした。

  • 翼の後ろの右の窓側なので、天気が良ければ景色が楽しめそうです。

    翼の後ろの右の窓側なので、天気が良ければ景色が楽しめそうです。

  • この日もD滑走路からの離陸でした。東京湾の上空ですぐに右にターンします。

    この日もD滑走路からの離陸でした。東京湾の上空ですぐに右にターンします。

  • すぐに富士山が見えました。晴れていなさそうなので近くからの景色に期待が出来ます。

    すぐに富士山が見えました。晴れていなさそうなので近くからの景色に期待が出来ます。

  • あっというまに羽田空港が小さくなっていきます。

    あっというまに羽田空港が小さくなっていきます。

  • 11月1日に大阪へ向かうときは頂上に傘雲が乗っていましたが、今日は雲1つ無さそうです。

    11月1日に大阪へ向かうときは頂上に傘雲が乗っていましたが、今日は雲1つ無さそうです。

  • あっという間に横浜上空です。ランドマークタワーとインターコンチなどがすぐに見つけられます。山下公園と氷川丸のマストのラインも判別できます。大桟橋に停泊しているのはにっぽん丸の姿のようです。

    あっという間に横浜上空です。ランドマークタワーとインターコンチなどがすぐに見つけられます。山下公園と氷川丸のマストのラインも判別できます。大桟橋に停泊しているのはにっぽん丸の姿のようです。

  • 薄い雲の上を通過するとブロッケン現象がきれいに見えました。鎌倉から江の島を越えて行くのは大阪へのルートと同じです。

    薄い雲の上を通過するとブロッケン現象がきれいに見えました。鎌倉から江の島を越えて行くのは大阪へのルートと同じです。

  • すぐに富士山が見えてきました。

    すぐに富士山が見えてきました。

  • 噴火口までくっきり見えました。

    噴火口までくっきり見えました。

    富士山 自然・景勝地

  • 山梨側の山中湖や河口湖まで確認できました。

    山梨側の山中湖や河口湖まで確認できました。

  • 飛行機から富士山を眺めるたびに4歳の時に山頂までよく登ったと思います。そして4歳の子供をよく連れて行ったなと父のことも思い出します。

    飛行機から富士山を眺めるたびに4歳の時に山頂までよく登ったと思います。そして4歳の子供をよく連れて行ったなと父のことも思い出します。

  • 5分ほどの富士山のショーは何度見ても飽きることはありません。

    5分ほどの富士山のショーは何度見ても飽きることはありません。

  • 11月の大阪へのフライトでは雪が積もっていなかった南アルプスの山々が積雪のおかげではっきり確認できました。

    11月の大阪へのフライトでは雪が積もっていなかった南アルプスの山々が積雪のおかげではっきり確認できました。

  • このあたりの山々も高校生の頃に父と一緒に登った思い出があります。身延から伝付峠を越えて南アルプスを登ったのももう45年も前のことです。

    このあたりの山々も高校生の頃に父と一緒に登った思い出があります。身延から伝付峠を越えて南アルプスを登ったのももう45年も前のことです。

  • 奥から日本で2番目の標高のある北岳と間ノ岳、塩見岳と荒川岳、赤石岳と聖岳、大堰川と井川湖まできれいに見えました。

    奥から日本で2番目の標高のある北岳と間ノ岳、塩見岳と荒川岳、赤石岳と聖岳、大堰川と井川湖まできれいに見えました。

  • しばらくは雲に覆われたのでコーヒーを飲んでいるとすでに紀伊半島も越えていました。ほぼ真下に室戸岬が見えてきました。四国霊場第24番札所 最御崎寺まで確認できます。

    しばらくは雲に覆われたのでコーヒーを飲んでいるとすでに紀伊半島も越えていました。ほぼ真下に室戸岬が見えてきました。四国霊場第24番札所 最御崎寺まで確認できます。

    室戸岬 自然・景勝地

  • 母と妻と旅した高知の海岸線に目を凝らしますが、桂浜がどこかは分かりませんでした。唯一分かったのが四万十川で、雲のかかった辺りを屋形船に乗ったことを思い出します。

    母と妻と旅した高知の海岸線に目を凝らしますが、桂浜がどこかは分かりませんでした。唯一分かったのが四万十川で、雲のかかった辺りを屋形船に乗ったことを思い出します。

    四万十川 グルメ・レストラン

  • そしてすぐに足摺岬の上空を通過します。真上過ぎて岬の突端は窓枠に切れてしまいました。

    そしてすぐに足摺岬の上空を通過します。真上過ぎて岬の突端は窓枠に切れてしまいました。

    足摺岬 自然・景勝地

  • 航空自衛隊の新田原基地が見えました。ここで宮崎上空に入ったことが分かります。

    航空自衛隊の新田原基地が見えました。ここで宮崎上空に入ったことが分かります。

  • 着陸前にもう1度ブロッケン現象が見えました。

    着陸前にもう1度ブロッケン現象が見えました。

  • 初めての鹿児島空港でもありますし、鹿児島の旅でもあります。

    初めての鹿児島空港でもありますし、鹿児島の旅でもあります。

    鹿児島空港 空港

  • 到着ターミナルを出たところで現地のJTBの添乗員さんと合流してツアーが始まります。今回のツアーは29名のようです。午後0時30分の出発です。

    到着ターミナルを出たところで現地のJTBの添乗員さんと合流してツアーが始まります。今回のツアーは29名のようです。午後0時30分の出発です。

  • バスは3列置きに1列の無人席を設けて密にならないようにされていました。1日1回の検温とバスに乗る際の手指の消毒、車内でのマスク着用と飲み物以外の食事は禁止です。

    バスは3列置きに1列の無人席を設けて密にならないようにされていました。1日1回の検温とバスに乗る際の手指の消毒、車内でのマスク着用と飲み物以外の食事は禁止です。

  • バスは南国交通の大型バスでした。鹿児島と宮崎のルートは他社も同じようなので、途中ではトラピックス社のバスを何度も見かけました。

    バスは南国交通の大型バスでした。鹿児島と宮崎のルートは他社も同じようなので、途中ではトラピックス社のバスを何度も見かけました。

  • 鹿児島空港から高速道路に入って、10分ほどで桜島サービスエリアに到着して50分ほどの自由昼食になりました。フードコートかレストランが選べますが、せっかくなのでレストランに入ることにします。

    鹿児島空港から高速道路に入って、10分ほどで桜島サービスエリアに到着して50分ほどの自由昼食になりました。フードコートかレストランが選べますが、せっかくなのでレストランに入ることにします。

    桜島サービスエリア 道の駅

  • 黒豚生姜焼き定食をいただきました。妻は黒豚ラーメン。3人でノンアルコールビールで乾杯しました。

    黒豚生姜焼き定食をいただきました。妻は黒豚ラーメン。3人でノンアルコールビールで乾杯しました。

  • 今回の鹿児島の旅では書割りの看板がたくさんあったので色々楽しめました。特に西郷隆盛のものはどこにでもありました。桜島SAとありますが、桜島は見えません。

    今回の鹿児島の旅では書割りの看板がたくさんあったので色々楽しめました。特に西郷隆盛のものはどこにでもありました。桜島SAとありますが、桜島は見えません。

  • 午後2時30分に知覧に到着して、まずは「知覧特攻平和会館」へ行く方がバスを降ります。29人中20名以上の方がここで降りられました。「武家屋敷庭園」とのどちらかの選択でしたがこれには悩みました。

    午後2時30分に知覧に到着して、まずは「知覧特攻平和会館」へ行く方がバスを降ります。29人中20名以上の方がここで降りられました。「武家屋敷庭園」とのどちらかの選択でしたがこれには悩みました。

  • 今回は「武家屋敷庭園」の見学にしました。やはり景色の良いところの写真を撮りたい気持ちの方が強かったです。「知覧特攻平和会館」は世界最大の閲覧者数を擁するトリップアドバイザーが発表した「日本の美術館・博物館ランキング2019」では博物館部門で日本国内1位になっています。

    今回は「武家屋敷庭園」の見学にしました。やはり景色の良いところの写真を撮りたい気持ちの方が強かったです。「知覧特攻平和会館」は世界最大の閲覧者数を擁するトリップアドバイザーが発表した「日本の美術館・博物館ランキング2019」では博物館部門で日本国内1位になっています。

    知覧武家屋敷庭園群 公園・植物園

  • 「武家屋敷」近くの駐車場でバスを降りて50分の自由時間になります。道路脇の清流溝には大きな鯉が悠然と泳いでいました。よく見ると電柱が無い街だと気が付きます。

    「武家屋敷」近くの駐車場でバスを降りて50分の自由時間になります。道路脇の清流溝には大きな鯉が悠然と泳いでいました。よく見ると電柱が無い街だと気が付きます。

  • 旅行前には全く知りませんでしたが、妻と観ていた大河ドラマの「西郷どん」のロケ地はこの武家屋敷庭園だったり、鹿児島市の仙厳園でした。

    旅行前には全く知りませんでしたが、妻と観ていた大河ドラマの「西郷どん」のロケ地はこの武家屋敷庭園だったり、鹿児島市の仙厳園でした。

  • 江戸時代の知覧は当初は島津家の分家である佐多氏が地頭として治めていました。佐多氏には優れた当主が多く出て、薩摩藩の中でも重要な役目を果たしました。その功績によって佐多氏16代の久達の時代に知覧の私領地化と島津姓の使用が許されました。

    江戸時代の知覧は当初は島津家の分家である佐多氏が地頭として治めていました。佐多氏には優れた当主が多く出て、薩摩藩の中でも重要な役目を果たしました。その功績によって佐多氏16代の久達の時代に知覧の私領地化と島津姓の使用が許されました。

  • 現在残る武家屋敷群は佐多氏18代の島津久峯の時代に造られたものではないかとされているそうです。地区内は石垣で屋敷が区切られ、沖縄によく見られる石敢當や屋敷入口に屋敷内が見えないように屏風岩が設けてあります。知覧の港が江戸時代に琉球貿易の拠点であったことから武家屋敷も琉球の影響を多く受けているようです。

    現在残る武家屋敷群は佐多氏18代の島津久峯の時代に造られたものではないかとされているそうです。地区内は石垣で屋敷が区切られ、沖縄によく見られる石敢當や屋敷入口に屋敷内が見えないように屏風岩が設けてあります。知覧の港が江戸時代に琉球貿易の拠点であったことから武家屋敷も琉球の影響を多く受けているようです。

  • 知覧の武家屋敷通りには名勝の7つの庭園の他にもいくつかの見所があります。その1つは二ツ家民家で、知覧武家屋敷の中でも最も独創的な建物です。知覧だけにみられる二ツ家は2つの屋根の間に小棟をおいて繋ぎとした造りになっています。

    知覧の武家屋敷通りには名勝の7つの庭園の他にもいくつかの見所があります。その1つは二ツ家民家で、知覧武家屋敷の中でも最も独創的な建物です。知覧だけにみられる二ツ家は2つの屋根の間に小棟をおいて繋ぎとした造りになっています。

  • 南九州の民家は現在でも南西諸島の島々で見られるように、オモテとナカエとウマヤ、便所と風呂場が独立した分棟型が基本でした。オモテとナカエを連結させた建物として棟と棟をつなぐ小棟の形状が知覧独特であることから「知覧型二ツ家」と呼ばれています。

    南九州の民家は現在でも南西諸島の島々で見られるように、オモテとナカエとウマヤ、便所と風呂場が独立した分棟型が基本でした。オモテとナカエを連結させた建物として棟と棟をつなぐ小棟の形状が知覧独特であることから「知覧型二ツ家」と呼ばれています。

  • オモテの濡れ縁がナカエの濡れ縁と繋がっているので生活するには便利なのだと感じます。一昨年の暮れに行った石垣島の「石垣やいま村」の民家を思い出してみます。

    オモテの濡れ縁がナカエの濡れ縁と繋がっているので生活するには便利なのだと感じます。一昨年の暮れに行った石垣島の「石垣やいま村」の民家を思い出してみます。

  • オモテの部屋の中心に屋根を支える太い梁が通っているのが分かります。琉球の民家の影響を受けているのは分かりますが、仏壇が置かれているところなどには違いが感じられます。

    オモテの部屋の中心に屋根を支える太い梁が通っているのが分かります。琉球の民家の影響を受けているのは分かりますが、仏壇が置かれているところなどには違いが感じられます。

  • ナカエの天井は板張りではなく、囲炉裏の煙が抜けるような造りになっています。屋根裏に置かれた竹はいい具合に「煤竹(すすだけ)」になっているように見えます。煤竹は燻すことで竹の持つ欠点を克服し、割れにくくて虫がつきにくくなります。何よりその艶や色の美しさは何とも言えません。

    ナカエの天井は板張りではなく、囲炉裏の煙が抜けるような造りになっています。屋根裏に置かれた竹はいい具合に「煤竹(すすだけ)」になっているように見えます。煤竹は燻すことで竹の持つ欠点を克服し、割れにくくて虫がつきにくくなります。何よりその艶や色の美しさは何とも言えません。

  • 三叉路の突き当りに建てられているこの石塔は、屋敷内の魔物が入ってくるのを防ぐ「石敢当(せっかんとう)」です。中国発祥の考え方が江戸時代に琉球を経て伝わりました。南九州市では麓や海運業が盛んだった海岸地域に残されています。

    三叉路の突き当りに建てられているこの石塔は、屋敷内の魔物が入ってくるのを防ぐ「石敢当(せっかんとう)」です。中国発祥の考え方が江戸時代に琉球を経て伝わりました。南九州市では麓や海運業が盛んだった海岸地域に残されています。

  • 「麗」とは薩摩藩内の各地の山城の周辺に配置された外城の武家屋敷群に事で、防御に適した場所に作られ、門と玄関の間に生垣を配置するなど、まるで城のように敵に備えた構造を持っていました。知覧も正式には知覧麗と呼ばれます。鹿児島県内には同じような麗が11ほど残っているようです。

    「麗」とは薩摩藩内の各地の山城の周辺に配置された外城の武家屋敷群に事で、防御に適した場所に作られ、門と玄関の間に生垣を配置するなど、まるで城のように敵に備えた構造を持っていました。知覧も正式には知覧麗と呼ばれます。鹿児島県内には同じような麗が11ほど残っているようです。

  • 「③平山亮一氏庭園」の見学に入ります。作庭年代は江戸時代中期の天明元年の1781年で書院は嘉永年間の1848年から54年に再興されています。

    「③平山亮一氏庭園」の見学に入ります。作庭年代は江戸時代中期の天明元年の1781年で書院は嘉永年間の1848年から54年に再興されています。

  • 門をくぐると屋敷内が見えないように屏風岩(沖縄のヒンプン)が設けてあります。この壁は魔物が直接家の中に入ってこないように設けれられている障壁で、中国の影壁が由来だと思います。一般的に男性や客人は右側を通って入り、女性は左側を通って入りますが、ここでは屋敷の防御が目的になっているように感じます。

    門をくぐると屋敷内が見えないように屏風岩(沖縄のヒンプン)が設けてあります。この壁は魔物が直接家の中に入ってこないように設けれられている障壁で、中国の影壁が由来だと思います。一般的に男性や客人は右側を通って入り、女性は左側を通って入りますが、ここでは屋敷の防御が目的になっているように感じます。

  • 屏風岩の奥はどの屋敷も庭園への入り口になっています。ただその入り口はこの屋敷のように門になっていたり、植え込みが刈り込まれたアーチになっていたりと様々です。

    屏風岩の奥はどの屋敷も庭園への入り口になっています。ただその入り口はこの屋敷のように門になっていたり、植え込みが刈り込まれたアーチになっていたりと様々です。

  • 屋敷前の庭は大刈込式枯山水で、石組みの1つもない大刈込みだけの庭園になっています。遠くに見える母ヶ岳の優雅な姿を取り入れた借景庭園でもあります。

    屋敷前の庭は大刈込式枯山水で、石組みの1つもない大刈込みだけの庭園になっています。遠くに見える母ヶ岳の優雅な姿を取り入れた借景庭園でもあります。

  • イヌマキによる延々たる遠山はその中に3つの高い峰を見せ、前面にはサツキの大刈込みが築山を表現して2段構えの構図に仕立ててあります。刈り込みの前には琉球庭園によく見られる盆栽を乗せるための切石が置かれてあります。

    イヌマキによる延々たる遠山はその中に3つの高い峰を見せ、前面にはサツキの大刈込みが築山を表現して2段構えの構図に仕立ててあります。刈り込みの前には琉球庭園によく見られる盆栽を乗せるための切石が置かれてあります。

  • 屏風岩の裏側には注連縄が掛けられサカキが捧げられていました。これはこの屋敷だけのものでした。

    屏風岩の裏側には注連縄が掛けられサカキが捧げられていました。これはこの屋敷だけのものでした。

  • 最初は9人ぐらいで添乗員さんと歩いた通りですが、気が付いたらツアーの他のメンバーどころか妻たちの姿もありません。他に観光客の姿も無く屋敷に住む方の姿もありません。

    最初は9人ぐらいで添乗員さんと歩いた通りですが、気が付いたらツアーの他のメンバーどころか妻たちの姿もありません。他に観光客の姿も無く屋敷に住む方の姿もありません。

  • 正面に見える母ヶ岳は知覧町中心街の北東部に鎮座する山で、知覧武家屋敷庭園群の街並みと合わせると比叡山に似ていることから、薩摩の小京都といわれるそうです。

    正面に見える母ヶ岳は知覧町中心街の北東部に鎮座する山で、知覧武家屋敷庭園群の街並みと合わせると比叡山に似ていることから、薩摩の小京都といわれるそうです。

  • 「①西郷惠一郎氏庭園」です。屋敷に入るための門をくぐると石組みの屏風岩で中は全く見えません。折れ曲がった入り口は城郭の桝形虎口にも由来するそうです。11月に行った大阪城の虎口である日本最大の城石「蛸石」を思い出しました。

    「①西郷惠一郎氏庭園」です。屋敷に入るための門をくぐると石組みの屏風岩で中は全く見えません。折れ曲がった入り口は城郭の桝形虎口にも由来するそうです。11月に行った大阪城の虎口である日本最大の城石「蛸石」を思い出しました。

  • 屏風岩の奥には石組みが置かれ、奥には槍梅のでしょうか、南天や艶蕗の花も見えます。岩には西郷氏庭園と彫られてあるので新しいもののようです。

    屏風岩の奥には石組みが置かれ、奥には槍梅のでしょうか、南天や艶蕗の花も見えます。岩には西郷氏庭園と彫られてあるので新しいもののようです。

  • 庭の南東部の隅に枯滝の石組みを設けて高い峰とし、この峰から低く高く刈り込まれたイヌマキは遠くの連山を表現しているようです。また鶴亀の庭園ともいわれ、高い石組みは鶴となり、亀は大海にそそぐ谷川の水辺に遊ぶかのように配されています。

    庭の南東部の隅に枯滝の石組みを設けて高い峰とし、この峰から低く高く刈り込まれたイヌマキは遠くの連山を表現しているようです。また鶴亀の庭園ともいわれ、高い石組みは鶴となり、亀は大海にそそぐ谷川の水辺に遊ぶかのように配されています。

  • 置かれた石灯籠はサツキに飲み込まれそうです。

    置かれた石灯籠はサツキに飲み込まれそうです。

  • 11月には京都で「桂離宮」と「修学院離宮」、「仙洞御所」と「京都御所」の4つの庭園を観てきたばかりですが、それとはまったく違う薩摩藩の武家の庭園も面白いです。

    11月には京都で「桂離宮」と「修学院離宮」、「仙洞御所」と「京都御所」の4つの庭園を観てきたばかりですが、それとはまったく違う薩摩藩の武家の庭園も面白いです。

  • 庭園の大小の違いではなく、込められた精神性の違いが垣間見られた気がします。

    庭園の大小の違いではなく、込められた精神性の違いが垣間見られた気がします。

  • 「②平山克己氏庭園」は通りから門をくぐった後に屏風岩の脇からさらに階段を上るようにして入ります。道路面よりどの庭園よりも地表面が高くなっていますが、これは敷地を盛り土したのではなく、道路を削って造ったため庭園敷地面が高くなったそうです。

    「②平山克己氏庭園」は通りから門をくぐった後に屏風岩の脇からさらに階段を上るようにして入ります。道路面よりどの庭園よりも地表面が高くなっていますが、これは敷地を盛り土したのではなく、道路を削って造ったため庭園敷地面が高くなったそうです。

  • どこの庭園もそうですが建物には特徴も無く説明もありません。この平山家は領主が大隅の佐多の地を領していた時から苦楽を共にしてきた文武に秀でた家柄だったそうです。

    どこの庭園もそうですが建物には特徴も無く説明もありません。この平山家は領主が大隅の佐多の地を領していた時から苦楽を共にしてきた文武に秀でた家柄だったそうです。

  • 母ケ岳の優雅な姿をとり入れた借景庭園で、北側の隅には石組みを設けて主峰とし、イヌマキの生垣は母ケ岳の分脈をかたどっているようです。

    母ケ岳の優雅な姿をとり入れた借景庭園で、北側の隅には石組みを設けて主峰とし、イヌマキの生垣は母ケ岳の分脈をかたどっているようです。

  • 北側の奥の石組は水墨画のようで、幽玄な仙境を表しているかのようです。

    北側の奥の石組は水墨画のようで、幽玄な仙境を表しているかのようです。

  • 3つの庭園を見学し終わって表通りに出ると妻たちの姿が見えました。どこの庭園を見学していたのでしょうか。後ろ姿はまるで2人旅をしているアンノン族のようです。もうananやnonnoではなく、漢字で安穏族と書いた方が似合いそうですが。

    3つの庭園を見学し終わって表通りに出ると妻たちの姿が見えました。どこの庭園を見学していたのでしょうか。後ろ姿はまるで2人旅をしているアンノン族のようです。もうananやnonnoではなく、漢字で安穏族と書いた方が似合いそうですが。

  • 四角く刈り込まれた南国特有のイヌマキの生け垣の美しさに魅了されます。

    四角く刈り込まれた南国特有のイヌマキの生け垣の美しさに魅了されます。

  • またイヌマキの木は「玉散らし」という日本発祥の技術で剪定されています。イヌマキは放っておくと高さ20メートルほどに成長してしまうそうで、年に2回くらいの剪定が必要だそうです。

    またイヌマキの木は「玉散らし」という日本発祥の技術で剪定されています。イヌマキは放っておくと高さ20メートルほどに成長してしまうそうで、年に2回くらいの剪定が必要だそうです。

  • 「④佐多美舟氏庭園」の作庭年代は江戸時代中期の宝暦年間の1751年から1763年の間で、知覧庭園の中では最も豪華で広い庭園です。

    「④佐多美舟氏庭園」の作庭年代は江戸時代中期の宝暦年間の1751年から1763年の間で、知覧庭園の中では最も豪華で広い庭園です。

  • ちょうど庭師の方が剪定や掃除で屋敷に入られていました。「武家屋敷庭園」の入場料は530円でしたが、その中からメンテナンスの費用が賄われているのだろうと思いました。

    ちょうど庭師の方が剪定や掃除で屋敷に入られていました。「武家屋敷庭園」の入場料は530円でしたが、その中からメンテナンスの費用が賄われているのだろうと思いました。

  • 右手の門をくぐると屋敷の前に広がる庭に出ます。

    右手の門をくぐると屋敷の前に広がる庭に出ます。

  • 翌日に行った仙厳園を凝縮したような印象を受けました。

    翌日に行った仙厳園を凝縮したような印象を受けました。

  • 枯滝を中心に組まれた石組みが他家より広い庭園に一層の迫力を与えています。

    枯滝を中心に組まれた石組みが他家より広い庭園に一層の迫力を与えています。

  • 表通りからの目隠しとしてはよく出来ていると思いますが、通りの生垣のバランスは考えてはいないようです。

    表通りからの目隠しとしてはよく出来ていると思いますが、通りの生垣のバランスは考えてはいないようです。

  • 「⑤佐多民子氏庭園」の作庭年代は江戸時代中期寛保から宝暦年間だそうです。この佐多家は前の美舟氏の分家にあたるそうです。

    「⑤佐多民子氏庭園」の作庭年代は江戸時代中期寛保から宝暦年間だそうです。この佐多家は前の美舟氏の分家にあたるそうです。

  • 巨石奇岩を積み重ねた深山幽谷の景をうつしだして、敷地の北西隅に立石の枯瀧が組まれ、書院から枯瀧へ向かって飛び石が配置してあります。麓川の上流から運んだ庭石は凝灰岩質のもので、巨岩のため石目にそって割ったものを牛馬で運んだそうです。<br />

    巨石奇岩を積み重ねた深山幽谷の景をうつしだして、敷地の北西隅に立石の枯瀧が組まれ、書院から枯瀧へ向かって飛び石が配置してあります。麓川の上流から運んだ庭石は凝灰岩質のもので、巨岩のため石目にそって割ったものを牛馬で運んだそうです。

  • 外祖父の生まれた京都の二条陣屋の座敷の濡れ縁に座っていた時に、「あの岩は荷車を牛に牽かせて、嵐山からわしのお父さんが運ばせたんや。地面から見えてる何倍もの大きさが埋まってるんやで。」と言った笑顔が忘れられません。そんな歴史がこの屋敷の庭園にも残っているのではないでしょうか。

    外祖父の生まれた京都の二条陣屋の座敷の濡れ縁に座っていた時に、「あの岩は荷車を牛に牽かせて、嵐山からわしのお父さんが運ばせたんや。地面から見えてる何倍もの大きさが埋まってるんやで。」と言った笑顔が忘れられません。そんな歴史がこの屋敷の庭園にも残っているのではないでしょうか。

  • 本家と分家の違いはあっても2つの佐多家の庭園は甲乙つけがたいと思いました。サツキの咲くころに見るとまた違うのかもしれませんし、四季の景色も見てみたいと思います。

    本家と分家の違いはあっても2つの佐多家の庭園は甲乙つけがたいと思いました。サツキの咲くころに見るとまた違うのかもしれませんし、四季の景色も見てみたいと思います。

  • 巨大な岩に穿かれた蹲(つくばい)が太湖石のように見えました。

    巨大な岩に穿かれた蹲(つくばい)が太湖石のように見えました。

  • どの家も住んでいる方がいらっしゃるので障子やガラス戸は締め切られているのが残念です。昼間の観光客がいる間は全く生活感が感じられません。

    どの家も住んでいる方がいらっしゃるので障子やガラス戸は締め切られているのが残念です。昼間の観光客がいる間は全く生活感が感じられません。

  • 通りに出て左右の石垣の形を見比べると家によって違いがあります。右側の石垣は切石ですが、左側の石垣は玉石です。これにもちゃんと意味があり、本家と分家で切石と玉石の石垣が違い、家の格式を分けているそうです。同じ切石でも少し不揃いな家もあればとても整った石もあります。石垣が整っているほど家の格も高く、本家に近づくほど石垣もきれいになっているそうです。

    通りに出て左右の石垣の形を見比べると家によって違いがあります。右側の石垣は切石ですが、左側の石垣は玉石です。これにもちゃんと意味があり、本家と分家で切石と玉石の石垣が違い、家の格式を分けているそうです。同じ切石でも少し不揃いな家もあればとても整った石もあります。石垣が整っているほど家の格も高く、本家に近づくほど石垣もきれいになっているそうです。

  • ようやく2人に追いついたので声を掛けると、思い出したように振り返りました。お邪魔してすいませんでした。

    ようやく2人に追いついたので声を掛けると、思い出したように振り返りました。お邪魔してすいませんでした。

  • 生け垣にイヌマキを植えているのにも理由があるようで、イヌマキは柔らかいので登ることが出来ないそうです。また外からの視線は遮断できますが、中から外の様子を伺うことはできるそうです。

    生け垣にイヌマキを植えているのにも理由があるようで、イヌマキは柔らかいので登ることが出来ないそうです。また外からの視線は遮断できますが、中から外の様子を伺うことはできるそうです。

  • 「⑥佐多直忠氏庭園」の庭年代は江戸時代中期の寛保年間なので他家と変わりはないようです。直忠家は知覧領主の流れをくみ、関ケ原の戦いに従軍した記録が残るほか、江戸時代には御役人と言われる知覧における最高の役職を担う家柄でした。

    「⑥佐多直忠氏庭園」の庭年代は江戸時代中期の寛保年間なので他家と変わりはないようです。直忠家は知覧領主の流れをくみ、関ケ原の戦いに従軍した記録が残るほか、江戸時代には御役人と言われる知覧における最高の役職を担う家柄でした。

  • そのために門の造りや屏風岩の石組も立派です。

    そのために門の造りや屏風岩の石組も立派です。

  • この家は知覧島津家重臣だった時代の170年から180年前に建てられ、その当時は知覧で一番の規模と大きさだったそうです。

    この家は知覧島津家重臣だった時代の170年から180年前に建てられ、その当時は知覧で一番の規模と大きさだったそうです。

  • 庭園は主屋の北にあり、母ヶ岳を望む庭の一隅に築山を設けて、その中心部に3.5メートルの立石がそびえ、下部には多数の石組みを配して枯滝としています。

    庭園は主屋の北にあり、母ヶ岳を望む庭の一隅に築山を設けて、その中心部に3.5メートルの立石がそびえ、下部には多数の石組みを配して枯滝としています。

  • まるで雪舟の描いた一服の山水画のような石組みです。

    まるで雪舟の描いた一服の山水画のような石組みです。

  • これで6つの庭園の見学が終わりました。残る「⑦森重堅氏庭園」だけは少し離れた場所にあります。ここへ来る前はもっと規模の小さな屋敷の数も少ない町かと思いましたが、公開していないお宅もたくさんあるのだと知りました。

    これで6つの庭園の見学が終わりました。残る「⑦森重堅氏庭園」だけは少し離れた場所にあります。ここへ来る前はもっと規模の小さな屋敷の数も少ない町かと思いましたが、公開していないお宅もたくさんあるのだと知りました。

  • 「旧高城家住宅」という公開している7つの邸宅とは別の家がありました。

    「旧高城家住宅」という公開している7つの邸宅とは別の家がありました。

  • 旧高城家住宅は「知覧型二ッ屋」と呼ばれる茅葺きの武家屋敷で、国名勝の「知覧麓庭園」には含まれていませんが、刈込み主体とした枯山水庭園があります。

    旧高城家住宅は「知覧型二ッ屋」と呼ばれる茅葺きの武家屋敷で、国名勝の「知覧麓庭園」には含まれていませんが、刈込み主体とした枯山水庭園があります。

  • 門をくぐった奥に向かって段のある立派な造りです。

    門をくぐった奥に向かって段のある立派な造りです。

  • 旧高城家には人が住んでいないので、部屋の中まで見ることができます。先ほども見学してきた「知覧型二ツ家(ふたつや)」の特徴がそのまま残されています。

    旧高城家には人が住んでいないので、部屋の中まで見ることができます。先ほども見学してきた「知覧型二ツ家(ふたつや)」の特徴がそのまま残されています。

  • 元々の知覧の屋敷もこの家のように屋根が2段になっていて、1段目が瓦葺で、2段目が茅葺だったそうです。これは最後に行く「⑦森重堅氏庭園」の屋敷を見る事でよく分かりました。

    元々の知覧の屋敷もこの家のように屋根が2段になっていて、1段目が瓦葺で、2段目が茅葺だったそうです。これは最後に行く「⑦森重堅氏庭園」の屋敷を見る事でよく分かりました。

  • 垣根をくぐって庭先へ出てみます。

    垣根をくぐって庭先へ出てみます。

  • 庭先からオモテの建物を見たところです。

    庭先からオモテの建物を見たところです。

  • もともと薩摩の武家屋敷にはお殿様や家の主や客人が利用する「男玄関」と女性や子どもが利用する「女玄関」があり、男玄関は居住スペースの「オモテ」に、女玄関は炊事場のある「ナカエ」に繋がっていました。

    もともと薩摩の武家屋敷にはお殿様や家の主や客人が利用する「男玄関」と女性や子どもが利用する「女玄関」があり、男玄関は居住スペースの「オモテ」に、女玄関は炊事場のある「ナカエ」に繋がっていました。

  • オモテの座敷は板張りの天井があり、床の間も設ええてあります。

    オモテの座敷は板張りの天井があり、床の間も設ええてあります。

  • ナカエは同じく天井が無く、天井裏はいろいろな道具の収納場所になっています。つられているのは川で魚を獲る筌(うけ)のようですが巨大です。

    ナカエは同じく天井が無く、天井裏はいろいろな道具の収納場所になっています。つられているのは川で魚を獲る筌(うけ)のようですが巨大です。

  • 筌(うけ)魚を捕えるためので、。細い割竹を用いて徳利形に編んで、中に魚がはいると出られなくなるようにしたものです。囲炉裏の上には煤竹が並べられています。本物の茅葺なので定期的に囲炉裏には火を入れているはずです。九州は竹細工の本場ですから。

    筌(うけ)魚を捕えるためので、。細い割竹を用いて徳利形に編んで、中に魚がはいると出られなくなるようにしたものです。囲炉裏の上には煤竹が並べられています。本物の茅葺なので定期的に囲炉裏には火を入れているはずです。九州は竹細工の本場ですから。

  • 十字に組まれた梁やその上の小屋組みが美しいです。屋根を支える竹もすっかり煤けて飴色に変わっています。

    十字に組まれた梁やその上の小屋組みが美しいです。屋根を支える竹もすっかり煤けて飴色に変わっています。

  • 鹿児島の小ミカンの木もきれいに四角く刈り込まれています。表通り側に実が生っていないのが面白いです。ただ東西南北で考えると屋敷の中が南側なので日当たりのせいかもしれません。このあたりで見学を終えて戻ってくる妻たちとすれ違いました。

    鹿児島の小ミカンの木もきれいに四角く刈り込まれています。表通り側に実が生っていないのが面白いです。ただ東西南北で考えると屋敷の中が南側なので日当たりのせいかもしれません。このあたりで見学を終えて戻ってくる妻たちとすれ違いました。

  • 「⑦森重堅氏庭園」の入り口まで来ました。武家屋敷の表門は「腕木門(うでぎもん)」と呼ばれ、屋根付きの門が特徴ですが、この屋敷のように両側に小屋根が付いているのは本家、付いていないのは分家といった具合に門構えを見ただけで家の格の違いが分かるそうです。

    「⑦森重堅氏庭園」の入り口まで来ました。武家屋敷の表門は「腕木門(うでぎもん)」と呼ばれ、屋根付きの門が特徴ですが、この屋敷のように両側に小屋根が付いているのは本家、付いていないのは分家といった具合に門構えを見ただけで家の格の違いが分かるそうです。

  • 門をくぐって階段を上がると美しく整った敷石が続き、この家の格の高さを感じさせます。

    門をくぐって階段を上がると美しく整った敷石が続き、この家の格の高さを感じさせます。

  • 屋根が2重になっているのは昔の名残りで、現在は全部が瓦屋根になっていますが、昔は上の屋根が茅葺きだった名残です。その当時の武家屋敷は上が茅葺きで、下に瓦屋根を重ねていたのは先の「旧高城家住宅」で見てきたとおりです。屋根の勾配は変えているのだと思います。

    屋根が2重になっているのは昔の名残りで、現在は全部が瓦屋根になっていますが、昔は上の屋根が茅葺きだった名残です。その当時の武家屋敷は上が茅葺きで、下に瓦屋根を重ねていたのは先の「旧高城家住宅」で見てきたとおりです。屋根の勾配は変えているのだと思います。

  • 屋敷の玄関の右脇にくぐり戸があり、庭園に繋がっています。寛保元年の1741年に母屋が建てられ、庭園はその後に整えられました。

    屋敷の玄関の右脇にくぐり戸があり、庭園に繋がっています。寛保元年の1741年に母屋が建てられ、庭園はその後に整えられました。

  • 池や流れる水が美しい唯一の池泉式庭園で曲線に富んだ池には、奇岩怪石を用いて近景の山や半島を表し、対岸には洞窟を表現した穴石を用いて水の流れを表現しています。庭園入口の右側にある石は庭園の要をなし、雲の上の遠山を現しているようです。庭園裏の山から水が湧き出し、どんな干ばつの年でも枯れたことがないと伝えられているそうです。

    池や流れる水が美しい唯一の池泉式庭園で曲線に富んだ池には、奇岩怪石を用いて近景の山や半島を表し、対岸には洞窟を表現した穴石を用いて水の流れを表現しています。庭園入口の右側にある石は庭園の要をなし、雲の上の遠山を現しているようです。庭園裏の山から水が湧き出し、どんな干ばつの年でも枯れたことがないと伝えられているそうです。

  • この屋敷にも小ミカンの木がありました。今回の旅では桜島で小ミカンを買うことがミッションになっているのでどうしても気になります。気が付くと集合時間5分前になっていたので、慌ててバスの停まっている駐車場に向かいました。

    この屋敷にも小ミカンの木がありました。今回の旅では桜島で小ミカンを買うことがミッションになっているのでどうしても気になります。気が付くと集合時間5分前になっていたので、慌ててバスの停まっている駐車場に向かいました。

  • 軍指定食堂「富屋食堂」が当時のままに再現されており、内部は資料館として復元されています。「特攻の母」と慕われた鳥濵トメさんの生涯と特攻隊員との交流の遺品や写真などを展示しています。無情にもバスは通り過ぎるだけです。

    軍指定食堂「富屋食堂」が当時のままに再現されており、内部は資料館として復元されています。「特攻の母」と慕われた鳥濵トメさんの生涯と特攻隊員との交流の遺品や写真などを展示しています。無情にもバスは通り過ぎるだけです。

    富屋食堂 グルメ・レストラン

  • 添乗員さんが「知覧にはお城は残っていませんが、鹿児島県立薩南工業高等学校の門に復元されています。」というので期待していたらこれだったので大笑いです。

    添乗員さんが「知覧にはお城は残っていませんが、鹿児島県立薩南工業高等学校の門に復元されています。」というので期待していたらこれだったので大笑いです。

  • 知覧の町中の街路樹は瀬部手イヌマキで、どれも玉散らしに剪定されているので手入れが大変だと思いました。湊橋から知覧平和特攻観音堂までの1700メートルに特攻勇士の数1036名分の慰霊灯籠を立てる計画が昭和62年に始まりました。 現在では著名人や多くの方の喜捨で1300基以上が建立しているそうです。

    知覧の町中の街路樹は瀬部手イヌマキで、どれも玉散らしに剪定されているので手入れが大変だと思いました。湊橋から知覧平和特攻観音堂までの1700メートルに特攻勇士の数1036名分の慰霊灯籠を立てる計画が昭和62年に始まりました。 現在では著名人や多くの方の喜捨で1300基以上が建立しているそうです。

    知覧特攻平和会館 美術館・博物館

  • 「知覧特攻平和会館」を見学していた方を乗せたバスは知覧平和公園多目的球場の脇を通過します。ここは元々飛行場があった場所で、当時のものとしては給水塔が残されていました。

    「知覧特攻平和会館」を見学していた方を乗せたバスは知覧平和公園多目的球場の脇を通過します。ここは元々飛行場があった場所で、当時のものとしては給水塔が残されていました。

    旧陸軍特攻基地跡 名所・史跡

  • そしてグラウンドの横に残された旧知覧飛行場弾薬庫だけが当時を窺い知ることが出来るものだそうです。

    そしてグラウンドの横に残された旧知覧飛行場弾薬庫だけが当時を窺い知ることが出来るものだそうです。

  • 知覧の周辺はお茶畑がたくさんありました。温暖で日照条件に恵まれ、桜島の火山灰により肥沃な南九州の地の利は茶の栽培に適しているそうです。本格的な栽培は明治元年に島津氏の傍流でこの地を治めていた、佐多島津氏から払い下げられた山野を明治5年に村民が開墾したのが始まりだそうです。ここでも武家屋敷庭園の佐多氏が関係しているわけです。

    知覧の周辺はお茶畑がたくさんありました。温暖で日照条件に恵まれ、桜島の火山灰により肥沃な南九州の地の利は茶の栽培に適しているそうです。本格的な栽培は明治元年に島津氏の傍流でこの地を治めていた、佐多島津氏から払い下げられた山野を明治5年に村民が開墾したのが始まりだそうです。ここでも武家屋敷庭園の佐多氏が関係しているわけです。

  • ロードサイドには屋久杉の工房がありました。翌日の朝一番で鹿児島市内へ向かう途中に立ち寄ることになっています。

    ロードサイドには屋久杉の工房がありました。翌日の朝一番で鹿児島市内へ向かう途中に立ち寄ることになっています。

  • お茶畑の摘み取りは完全に機械化されているそうで、茶樹の幅や高さが揃っています。この上を刈り取り機が移動して摘み取るわけです。そのため高さも押さえられているようです。霜よけの扇風機が支柱に取り付けられている姿は静岡と同じです。添乗員さんの「お茶の生産量は静岡県を抜いて鹿児島県が1番になりました。」との説明に静岡県富士宮出身の2人は顔を見合わせていました。

    お茶畑の摘み取りは完全に機械化されているそうで、茶樹の幅や高さが揃っています。この上を刈り取り機が移動して摘み取るわけです。そのため高さも押さえられているようです。霜よけの扇風機が支柱に取り付けられている姿は静岡と同じです。添乗員さんの「お茶の生産量は静岡県を抜いて鹿児島県が1番になりました。」との説明に静岡県富士宮出身の2人は顔を見合わせていました。

  • 池田湖の少し前に頴娃(えい)町を通過しました。頴娃町の人々が話す鹿児島弁は鹿児島市内の人も分からないほど独特で、遊び心も交えて「エイ語」と呼ばれているそうです。そこでは昔の鹿児島弁が今も残っていて「どん」もネイティブに使われているそうです。

    池田湖の少し前に頴娃(えい)町を通過しました。頴娃町の人々が話す鹿児島弁は鹿児島市内の人も分からないほど独特で、遊び心も交えて「エイ語」と呼ばれているそうです。そこでは昔の鹿児島弁が今も残っていて「どん」もネイティブに使われているそうです。

  • 峠の上から池田湖と菜の花畑を眺めながら着いたのが「池田湖パラダイス」です。ここでしばらく休憩になります。午後4時15分に到着して20分の滞在です。

    峠の上から池田湖と菜の花畑を眺めながら着いたのが「池田湖パラダイス」です。ここでしばらく休憩になります。午後4時15分に到着して20分の滞在です。

    池田湖パラダイス お土産屋・直売所・特産品

  • 横には大きな「イッシー」の像がありました。これは1970年代に目撃情報が相次いだ未確認生物UMAだそうです。今年は秋に行った釧路の旅で立ち寄った屈斜路湖の「クッシー」といい50年前の亡霊に取りつかれているようです。

    横には大きな「イッシー」の像がありました。これは1970年代に目撃情報が相次いだ未確認生物UMAだそうです。今年は秋に行った釧路の旅で立ち寄った屈斜路湖の「クッシー」といい50年前の亡霊に取りつかれているようです。

  • 池田湖は約5,500年前の火山活動によってできたカルデラ湖で、九州一広い湖に大ウナギが棲息しています。大ウナギは南太平洋やインド洋に広く分布し、日本では主に黒潮流域で見られます。発見された最大のものは体長1.8メートルで体重20キロもあったそうです。そんな大ウナギが館内に展示されていました。現在は捕獲することは出来ないそうです。添乗員さんによると美味しくないそうで、古タイヤを焼いた味と表現されていました。

    池田湖は約5,500年前の火山活動によってできたカルデラ湖で、九州一広い湖に大ウナギが棲息しています。大ウナギは南太平洋やインド洋に広く分布し、日本では主に黒潮流域で見られます。発見された最大のものは体長1.8メートルで体重20キロもあったそうです。そんな大ウナギが館内に展示されていました。現在は捕獲することは出来ないそうです。添乗員さんによると美味しくないそうで、古タイヤを焼いた味と表現されていました。

  • ここでの目的は池田湖と対岸奥に見える開聞岳です。さすがに午後4時を過ぎているので日が落ちかかっています。

    ここでの目的は池田湖と対岸奥に見える開聞岳です。さすがに午後4時を過ぎているので日が落ちかかっています。

  • 開聞岳は山麓の北東半分は陸地に、南西半分は海に面しており、見事な円錐形の山容から別名「薩摩富士」とも呼ばれています。

    開聞岳は山麓の北東半分は陸地に、南西半分は海に面しており、見事な円錐形の山容から別名「薩摩富士」とも呼ばれています。

    池田湖 自然・景勝地

  • 3年前にANAの便でカンボジアのプノンペンへ向かう便で鹿児島上空を通過したことがありました。その時から近い将来に鹿児島へ行きたいと思っていました。

    3年前にANAの便でカンボジアのプノンペンへ向かう便で鹿児島上空を通過したことがありました。その時から近い将来に鹿児島へ行きたいと思っていました。

  • 桜島を通過した後は鹿児島湾を渡り、薩摩半島の突端の池田湖と開聞岳がきれいに見えました。今まさにこの開聞岳を池田湖の対岸から眺めているわけです。

    桜島を通過した後は鹿児島湾を渡り、薩摩半島の突端の池田湖と開聞岳がきれいに見えました。今まさにこの開聞岳を池田湖の対岸から眺めているわけです。

  • 池田湖畔は菜の花がきれいに植えられてありました。日本で一番早く菜の花が咲くことでも有名で、湖の北岸と中浜周辺を中心に約3万平方メートルに約94万本もの菜の花が咲くそうです。

    池田湖畔は菜の花がきれいに植えられてありました。日本で一番早く菜の花が咲くことでも有名で、湖の北岸と中浜周辺を中心に約3万平方メートルに約94万本もの菜の花が咲くそうです。

  • 「いぶすき菜の花マラソン大会」は日本で一番早いフルマラソン公認コースを走る市民マラソンとして、毎年1月の第2日曜日に行われます。今年に続き来年の開催は中止になったそうです。

    「いぶすき菜の花マラソン大会」は日本で一番早いフルマラソン公認コースを走る市民マラソンとして、毎年1月の第2日曜日に行われます。今年に続き来年の開催は中止になったそうです。

  • 池田湖を越えて枚聞神社(ひらききじんじゃ)を超えると道路は左に折れ曲がり、右側の車窓から開聞岳がきれいに見えました。

    池田湖を越えて枚聞神社(ひらききじんじゃ)を超えると道路は左に折れ曲がり、右側の車窓から開聞岳がきれいに見えました。

  • 夕焼けにならないか期待しましたが、バスは指宿温泉に向かって疾走します。

    夕焼けにならないか期待しましたが、バスは指宿温泉に向かって疾走します。

  • シルエットになった姿は今までに見たいくつもの「何とか富士」の中では一番富士山に似ていると思いました。富士山と比較してしまう思い込みからか高い山に感じますが、標高は924メートルしかないそうです。

    シルエットになった姿は今までに見たいくつもの「何とか富士」の中では一番富士山に似ていると思いました。富士山と比較してしまう思い込みからか高い山に感じますが、標高は924メートルしかないそうです。

  • ツアー参加者の中で3組の方がホテルのランクアップを申し込まれていたようで、「いわさきホテル」に先に立ち寄ります。大抵のツアーでは高いオプションのホテルが先の到着になります。場合によってはその後に30分くらい走ることもありますが、我々のホテルまでは5分ほどの距離でした。

    ツアー参加者の中で3組の方がホテルのランクアップを申し込まれていたようで、「いわさきホテル」に先に立ち寄ります。大抵のツアーでは高いオプションのホテルが先の到着になります。場合によってはその後に30分くらい走ることもありますが、我々のホテルまでは5分ほどの距離でした。

    指宿温泉 指宿いわさきホテル 宿・ホテル

  • 残りのメンバーは「ホテル翔月」という小さめのホテルでした。部屋は5階の角部屋でした。通常の部屋の倍の広さがあったのは3人だからですが、洋間に妻と友人が寝ることにして、和室の方で1人寂しく寝ることになりました。ツインルームのソファーベットの狭さを考えると着替えなどにストレスが無くて、3人でよかったと思えました。

    残りのメンバーは「ホテル翔月」という小さめのホテルでした。部屋は5階の角部屋でした。通常の部屋の倍の広さがあったのは3人だからですが、洋間に妻と友人が寝ることにして、和室の方で1人寂しく寝ることになりました。ツインルームのソファーベットの狭さを考えると着替えなどにストレスが無くて、3人でよかったと思えました。

    指宿温泉ホテル翔月 宿・ホテル

    海岸沿いに建つ眺めの良いこじんまりとしたホテル。 by kojikojiさん
  • 指宿温泉のホテルなので部屋の風呂は使いませんでしたが、洗面台もトイレも新しくてきれいでした。まずは浴衣に着替えてフロントに降ります。フロントで1人1,500円支払って「砂むし風呂」のチケットを購入します。100円のタオル代金も含まれています。

    指宿温泉のホテルなので部屋の風呂は使いませんでしたが、洗面台もトイレも新しくてきれいでした。まずは浴衣に着替えてフロントに降ります。フロントで1人1,500円支払って「砂むし風呂」のチケットを購入します。100円のタオル代金も含まれています。

  • 送迎バスの時間は決まっていて、午後5時40分のバスに乗り込んだのは同じツアーの面々です。20分おきに送迎しているようです。

    送迎バスの時間は決まっていて、午後5時40分のバスに乗り込んだのは同じツアーの面々です。20分おきに送迎しているようです。

  • 歩いても行ける距離に「砂むし会館 砂楽(さらく)」がありました。市営とのことですが立派な建物です。

    歩いても行ける距離に「砂むし会館 砂楽(さらく)」がありました。市営とのことですが立派な建物です。

    砂むし会館「砂楽」 温泉

  • オモテのエスカレーターで2階に上がり、チケットを渡すと砂むし用の浴衣とバスタオルを貸してもらえます。それを持って1階の更衣室で着替えますが、低温やけどにならないように下着は付けられません。

    オモテのエスカレーターで2階に上がり、チケットを渡すと砂むし用の浴衣とバスタオルを貸してもらえます。それを持って1階の更衣室で着替えますが、低温やけどにならないように下着は付けられません。

  • タオルを1枚持って表に出ると海岸線に莚をかけた小屋のようなものが見えます。

    タオルを1枚持って表に出ると海岸線に莚をかけた小屋のようなものが見えます。

  • 海岸の砂浜からは湯気が立ちのぼっています。この写真は砂むしが終わった後のもので、入浴時のカメラやスマホの持ち込みは出来ません。後で知りましたが、カメラマンがいたので、写真を撮ってもらえるようです。

    海岸の砂浜からは湯気が立ちのぼっています。この写真は砂むしが終わった後のもので、入浴時のカメラやスマホの持ち込みは出来ません。後で知りましたが、カメラマンがいたので、写真を撮ってもらえるようです。

  • 左の建物で着替えて1度表に出て階段を降りて砂浜にある小屋に向かうわけです。高級なホテルには自前の砂むし風呂があるそうです。

    左の建物で着替えて1度表に出て階段を降りて砂浜にある小屋に向かうわけです。高級なホテルには自前の砂むし風呂があるそうです。

  • 砂むし風呂は10分くらいが適切なようで、それ以上に長いと逆効果にあるそうです。砂の上に横たわって首にタオルを巻いてスタンバイすると少し湿った砂が掛けられますが、その重さには驚きます。特に胸の上は重たく感じられます。

    砂むし風呂は10分くらいが適切なようで、それ以上に長いと逆効果にあるそうです。砂の上に横たわって首にタオルを巻いてスタンバイすると少し湿った砂が掛けられますが、その重さには驚きます。特に胸の上は重たく感じられます。

  • すぐに暖まってきて、体全身が心臓になったようにドクドクしてきます。特に両手足は末端になるので強く感じます。15分くらいで出て、建物に戻ると浴場があるのでそこで砂を落として温泉に浸かります。大体1時間ほどの体験でしたが、これは1回体験してみないと良さが分からないなと思いました。母と鹿児島に行こうと話したまま叶わなかったことが悔やまれました。

    すぐに暖まってきて、体全身が心臓になったようにドクドクしてきます。特に両手足は末端になるので強く感じます。15分くらいで出て、建物に戻ると浴場があるのでそこで砂を落として温泉に浸かります。大体1時間ほどの体験でしたが、これは1回体験してみないと良さが分からないなと思いました。母と鹿児島に行こうと話したまま叶わなかったことが悔やまれました。

  • ルネ・マグリットのシュールレアリズム絵画のような階段の絵を眺めながら妻たちが出てくるのを待ちます。これは「TOMOSHIBI」という指宿在住のアーティスト集団の作品だそうです。なかなか素晴らしい活動をされています。<br />TOMOSHIBI」:https://www.tomoshibi.art/

    ルネ・マグリットのシュールレアリズム絵画のような階段の絵を眺めながら妻たちが出てくるのを待ちます。これは「TOMOSHIBI」という指宿在住のアーティスト集団の作品だそうです。なかなか素晴らしい活動をされています。
    TOMOSHIBI」:https://www.tomoshibi.art/

  • 海岸のプロムナードに置かれた書割りで記念写真を撮りました。こういった時3人いると助かりますね。

    海岸のプロムナードに置かれた書割りで記念写真を撮りました。こういった時3人いると助かりますね。

  • 上手い具合に送迎バスに間に合ったのでホテルに戻ります。

    上手い具合に送迎バスに間に合ったのでホテルに戻ります。

  • 友人がいてくれるので助かります。温泉の中まで介護できないですからね。もう数年で古希ですから元気でいてくださいね。

    友人がいてくれるので助かります。温泉の中まで介護できないですからね。もう数年で古希ですから元気でいてくださいね。

  • 妻の動きがゆっくりなのをカメラは見逃しません。

    妻の動きがゆっくりなのをカメラは見逃しません。

  • 宿泊した「ホテル翔月」です。目の前の通りの先は鹿児島湾が広がっています。目の前が砂浜ではないのが残念ですが、それ以外は快適なホテルでした。

    宿泊した「ホテル翔月」です。目の前の通りの先は鹿児島湾が広がっています。目の前が砂浜ではないのが残念ですが、それ以外は快適なホテルでした。

    指宿温泉ホテル翔月 宿・ホテル

    海岸沿いに建つ眺めの良いこじんまりとしたホテル。 by kojikojiさん
  • 砂むし風呂に行ったので晩御飯は午後7時からでした。中央に餡掛けのちゃわん蒸し、枝豆豆腐、串かつ、お造りといった具合の料理が並んでいます。どれも美味しかったです。

    砂むし風呂に行ったので晩御飯は午後7時からでした。中央に餡掛けのちゃわん蒸し、枝豆豆腐、串かつ、お造りといった具合の料理が並んでいます。どれも美味しかったです。

  • この骨付きの黒豚のシチューはよく煮込まれていてソースも濃厚です。これだけで後は2膳くらいいただけそうです。

    この骨付きの黒豚のシチューはよく煮込まれていてソースも濃厚です。これだけで後は2膳くらいいただけそうです。

  • 赤エビと鮪のお造り。

    赤エビと鮪のお造り。

  • つくね団子と海鮮の鍋もスープが美味しかったです。

    つくね団子と海鮮の鍋もスープが美味しかったです。

  • 追加で注文したのがきびなごの刺身です。せっかく鹿児島に来たのですから地元の料理も食べたいものです。新鮮なのはすぐに分かります。食べるのがもったいないくらいピカピカ輝いていますが、酢味噌でいただきました。

    追加で注文したのがきびなごの刺身です。せっかく鹿児島に来たのですから地元の料理も食べたいものです。新鮮なのはすぐに分かります。食べるのがもったいないくらいピカピカ輝いていますが、酢味噌でいただきました。

  • きびなごの天麩羅も熱々で、梅塩とレモンでいただきました。追加料理は800円から1,200円くらいなので注文してよかったです。

    きびなごの天麩羅も熱々で、梅塩とレモンでいただきました。追加料理は800円から1,200円くらいなので注文してよかったです。

  • そしてカツオのたたきです。これはすごい量でした。モチモチで美味しかったです。生姜と紅葉おろしの醤油でいただきますが、カリカリのフライドガーリックがポイントです。

    そしてカツオのたたきです。これはすごい量でした。モチモチで美味しかったです。生姜と紅葉おろしの醤油でいただきますが、カリカリのフライドガーリックがポイントです。

  • サツマイモの炊き込みご飯も目の前のお釜で炊かれるので美味しかったです。これは女性陣に大好評でした。追加料理が無くてもお腹いっぱいでした。

    サツマイモの炊き込みご飯も目の前のお釜で炊かれるので美味しかったです。これは女性陣に大好評でした。追加料理が無くてもお腹いっぱいでした。

  • 最初にビールで乾杯した後は地元の芋焼酎のお湯割りをいただきました。3種類飲み比べたかったのですが、「純黒」と「りえもん」までで、「竹山源酔」までたどり着けませんでした。

    最初にビールで乾杯した後は地元の芋焼酎のお湯割りをいただきました。3種類飲み比べたかったのですが、「純黒」と「りえもん」までで、「竹山源酔」までたどり着けませんでした。

  • 宴会場での食事だったので舞台がありました。部屋に戻り掛けに仲居さんに「ゆくさ おさいじゃった もした」の意味を尋ねると「ようこそいらっしゃいました」ということでした。

    宴会場での食事だったので舞台がありました。部屋に戻り掛けに仲居さんに「ゆくさ おさいじゃった もした」の意味を尋ねると「ようこそいらっしゃいました」ということでした。

  • ロビーには西郷南洲の軸が飾られているところは鹿児島らしいと思いました。「幾暦辛酸志始堅 丈夫玉砕恥甎全 一家遺事人知否 不為兒孫買美田」は何度も経験を積み辛酸を舐めて、はじめて志は固くなる、男児は玉となって砕け散るとも、瓦のように身の安全をはかるのを恥とするものだ。我が家の遺訓を知っているか。孫や子のために立派な田んぼは買わないのだ。という有名な書です。

    ロビーには西郷南洲の軸が飾られているところは鹿児島らしいと思いました。「幾暦辛酸志始堅 丈夫玉砕恥甎全 一家遺事人知否 不為兒孫買美田」は何度も経験を積み辛酸を舐めて、はじめて志は固くなる、男児は玉となって砕け散るとも、瓦のように身の安全をはかるのを恥とするものだ。我が家の遺訓を知っているか。孫や子のために立派な田んぼは買わないのだ。という有名な書です。

  • 現在はホテル翔月という名前ですが、以前は指宿コーラルビーチホテルという名前だったようです。「味いちもんめ」というビッグコミックスペリオールに連載されていた漫画の色紙がありました。ホテルも昭和な感じが残っていますが、飾られたものにもそんな空気が感じられます。懐かしいです。

    現在はホテル翔月という名前ですが、以前は指宿コーラルビーチホテルという名前だったようです。「味いちもんめ」というビッグコミックスペリオールに連載されていた漫画の色紙がありました。ホテルも昭和な感じが残っていますが、飾られたものにもそんな空気が感じられます。懐かしいです。

  • 1階のフロント奥に大浴場があります。指宿温泉はナトリウム泉のすっきりした湯でした。2日目の霧島温泉の硫黄泉も楽しみです。

    1階のフロント奥に大浴場があります。指宿温泉はナトリウム泉のすっきりした湯でした。2日目の霧島温泉の硫黄泉も楽しみです。

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