2021/09/24 - 2021/09/27
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まつじゅんさん
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盛り沢山の東京スポーツ観戦+α旅も第6弾、3日目に入りました。
今日のメインは、大相撲9月場所千秋楽の観戦ですが、コロナ禍で開場が12時となっているので、国技館周辺を少し歩き、ホテルでランチの後国技館に入る事としました。
(その1)は、ホテル最寄り駅の宝町駅から蔵前乗り換えで両国に移動し、妹島和世氏設計の「すみだ北斎美術館」を見学し、東京都復興記念館から東京都慰霊堂、安田庭園の街歩きです。
美術館から横網公園に向かう通りには相撲部屋もあり、相撲が日常生活の一つとなっている街の雰囲気を感じました。
東京都復興記念館は関東大震災、東京大空襲から立ち上がった東京の歴史に加え、都市計画の大切さを示していると思います。
東京都慰霊堂では、東京大空襲に巻き込まれた人へ慰霊のお祈りを行い、回遊式庭園である旧安田庭園を巡ってきました。
4日間の行動は次の通りです。
◎2021年9月24日(金)
大阪空港→羽田空港→ホテル→神楽坂(昼食)→黒塀横丁等散策→東京大神宮→飯田橋駅エフェ→小石川後楽園→日中友好記念館→野球殿堂博物館→
東京ドーム(巨人vs阪神)→ホテル
◎2021年9月25日(土)
ホテル→トキワ荘 →新宿三丁目棲家(昼食)→明治神宮→日本オリンピックミュージアム→神宮球場(ヤクルトvs中日)→ホテル
◎2021年9月26日(日)
ホテル→すみだ北斎美術館→復興記念館→慰霊堂→旧安田庭園→両国第一ホテル(昼食)→国技館(大相撲9月場所千秋楽)→ホテル
◎2021年9月27日(月)
ホテル→皇居→警視庁→法務省→中銀カプセルタワー→ソラマチ(昼食)→深川不動尊→羽田空港→ 伊丹空港
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- JALグループ 私鉄 徒歩
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まずは、地下鉄両国駅から徒歩10分位、すみだ北斎美術館を目指します。
江戸時代後期の浮世絵師 葛飾北斎は、武蔵国葛飾郡本所割下水(現在の墨田区の一角 北斎通り周辺)生まれとされ、生涯の殆どを隅田区内で過ごしたと言われている事から、墨田区は顕彰と地域振興の一環として、美術館を建設することになったようです。
北斎通りの歩道には、葛飾北斎の作品レリーフが埋め込まれています。すみだ北斎美術館をメインとした通りです。 by まつじゅんさん北斎通り 名所・史跡
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イチオシ
美術館建設の構想は、1989年頃からあったようで、基本計画を策定し、1993年には建設予定地も購入したようですが、財政難により2000年に凍結され、2006年に東京スカイツリーの建設地が、業平・押上地区に決定した事から、美術館建設計画も復活したようです。
建設地の緑町公園付近は、江戸時代には弘前藩津軽家の上屋敷のあった場所で、北斎は藩主の依頼で屏風に馬の絵を描いたと伝えられています。妹島和世氏設計の美術館です。 by まつじゅんさんすみだ 北斎美術館 美術館・博物館
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2014年7月着工で、2016年11月の竣工です。
構造:鉄筋コンクリート造(一部鉄骨造)、地上4階 地下1階。
建築面積:699.7㎡、延床面積:3,278.9㎡、高さ:21.9mです。
総工費は約34億円という事です。
設計は妹島和世氏で、西沢立衛氏とのユニットであるSANAAには、岡山時代お世話になりました。
SANAA関連旅行記↓
https://4travel.jp/travelogue/10594915
https://4travel.jp/travelogue/10628648
https://4travel.jp/travelogue/11418437 -
建物の外壁はアルミパネルで、一見、奇抜な印象を受けますが、周辺の風景に溶け込んで違和感ありません。
アルミパネルは、規則的なスリットが入っていますが、ゆるやかに分割された外観とすることで、周辺の下町市街地のスケールとの調和を目指しているようです。
遠目には、かすかな陰影を感じる程度で、面を見せる構成なのかな、と思います。
建物へのアクセスは四方から可能となっています。 -
4階展望ラウンジから、東京スカイツリー方向を望めます。
折角の展望ラウンジですが、ひし形のエキスパンドメタルが邪魔です。
外観の見え方を意識したんでしょうか。 -
葛飾北斎の代表作といえば「冨嶽三十六景」が思い浮かびます。
世界的に著名な画家という事ですが、私には、錦絵(版画家)の印象が強い方です。
浮世絵作品の保存展示を考慮し、建物全体は閉じた空間となっていて、展示室は真っ黒な空間の中、4階の常設展は、1フロアを7つのエリアに分け、「須佐之男命厄神退治之図」の推定復元図や、タッチパネルを使った「北斎ゆかりの地探訪」等、北斎の生涯や作品を、主に映像や高精細レプリカでの展示となっています。
特別展「THE北斎 ―冨嶽三十六景と幻の絵巻―」が開催されていて、二大名品「冨嶽三十六景」シリーズと幻の絵巻「隅田川両岸景色図巻」を中心に、北斎を代表する作品約100点を展示、錦絵「桜に鷹」等の版木を使用した火鉢も初公開されていたようですが、興味は建物だったので、常設展のみを見てきました。 -
仮名手本忠臣蔵に代表される歌舞伎や人形浄瑠璃(文楽)により、大ブームとなった忠臣蔵(赤穂事件)。
当時の錦絵や浮世絵作家は、忠臣蔵を題材に多くの作品が残されています。葛飾北斎作:「忠臣蔵討入」、大判錦絵を3枚連ね、忠臣蔵の討入いりの場面が描かれています。
次々と吉良邸に雪崩れ込む浪士に比べて、吉良側は突然の襲撃に大慌てで、下帯ひとつで逃げ惑う姿や、屋根の上や盥をかぶって逃げる姿が描かれていて、ユーモラスな作品です。 -
北斎は吉良家の関係者と伝えられています。
伝説によれば、小林平八郎の孫娘の子が、葛飾北斎だという事のようですが真相は不明らしいです。
小林平八郎は吉良上野介義央に仕える吉良家の家老で、吉良邸討ち入りの際に討ち死にしたと伝えられています。
講談や歌舞伎、ドラマ等の「忠臣蔵」の物語では、吉良方で最も活躍した家臣という設定で、浪士たちを苦しめる剣客として描かれることが多く、女物の打ち掛けをかぶって浪士と華々しい立ち回りを演じる、という演出も有名です。
ただ、没年齢についても諸説ある等、不明な点の多い人物で、北斎との関係も???のような気がします。 -
北斎が84歳の頃、娘・阿栄と住み作品を制作していた姿を、北斎門人の露木為一が描いた「北斎仮宅之図」を元につくられた「北斎のアトリエ」という再現模型が展示されています。
狂気とさえ見える制作中の姿を再現しているようで、かがみこんで描く北斎の形相と、それを見守る娘のお栄の人形が動き、一寸怖いです。 -
美術館を後にして、両国方面に向かいます。
国技館に近い一等地には、理事長である横綱北勝海の八角部屋、元水戸泉の錦戸部屋や沢山の相撲部屋があります。
コロナ前は朝稽古等、見学もできたようですが、今は接触禁止で閉ざされた空間となっています。両国国技館に近い八角理事長の相撲部屋です。 by まつじゅんさん八角部屋 名所・史跡
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有名な都立横網町公園に到着です。
何が有名かと言うと、両国→相撲→横綱の流れで、横綱公園だと勘違いされる事で有名なようです。
こちらの名称は、とりつよこあみ(〇横網、×横綱)ちょうこうえんです。
震災や戦災のメモリアルパークとして慰霊や、歴史的な建造物、記念碑が数多く保存されています。戦争や震災に関する歴史館があります。 by まつじゅんさん横網町公園 公園・植物園
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都立横網町公園は慰霊と伝承の公園です。
開園日は1930年9月1日、面積19,579.53㎡という大きな公園で、旧陸軍被服廠が1922年に赤羽に移転し、その後公園として整備開始されたのですが、工事途中に関東大震災が発生し、多くの人が造成中の公園に避難を始め、ちょうど昼時であったことと、台風の余波で強風が吹いていたこともあり、火災による熱風に加え、持ち出した家財道具に火が移り、さらに巨大な火災旋風が発生し、結果的に避難した人だけで38,000人が犠牲となったようです。 -
当初は「大正震災記念公園」と仮称された公園でしたが、1930年に、慰霊堂や鐘楼、日本庭園が皇室から庶民まで幅広い寄付を受けて完成し、翌年には復興記念館も完成し、ほぼ現在の形状になったようです。
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また、第二次世界大戦において、東京は1942年4月18日の初空襲から、終戦当日の1945年8月15日に至るまで、度重なる空襲により甚大な被害を受け、非戦闘員である多くの都民が犠牲となりました。
東京空襲の史実を風化させることなく、平和と繁栄が尊い犠牲の上に築き上げられていることを次の世代に語り継ぎ、平和が永く続くことを祈念するため、2001年に「東京空襲の犠牲者を追悼し、平和を祈念する碑」が建設されました。
斜面を覆う花は生命を象徴し、碑の内部には東京空襲で犠牲になった方々の「東京空襲犠牲者名簿」が納められています。碑というよりは花壇のように見えます。 by まつじゅんさん東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑 名所・史跡
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東京都復興記念館は、関東大震災の惨禍を永く後世に伝え、また官民協力して焦土と化した東京を復興させた当時の大事業を永久に記念するため、震災記念堂(現東京都慰霊堂)の付帯施設として昭和6年(1931年)に建てられました。
建築面積:581.22㎡、延床面積:1,177.16㎡。
設計:伊東忠太、佐野利器氏で、鉄筋コンクリート造3階建で、1999年に東京都の歴史的建造物に選定されまています。
また、2017年11月から2019年3月にかけて、基礎の補強や壁の増量などの耐震化工事を実施し、設備を含めた大型改修が行われています。歴史的な風格と様々な想いを感じさせる建物です。 by まつじゅんさん東京都復興記念館 美術館・博物館
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外観は大正末から流行していたスクラッチタイル張り、一部の窓枠には幾何学模様のデザインが用いられています。
2階の東洋的な屋根瓦とそれを支える軒下、正面玄関上の三角形のオーダー上に置かれている動物のモニュメント等は、伊東忠太氏らしい味の建物です。
設計コンペで採用された伊東忠太教授は、辰野金吾氏に続く2代目の東大教授。
作品としては、明治神宮、平安神宮、湯島聖堂、築地本願寺、靖国神社等の神社仏閣等、宗教色の強い建物が多いようです。 -
震災の記念品等は、当初震災記念堂に展示する予定だったようですが、1929年に開催された帝都復興展覧会の出品資料も加わり、予定を変更して「復興記念館」を建設し、展示することとなったようです。
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大震災の被害、救援、復興を表す、遺品や被災物、絵画、写真、図表等が展示されています。
その後、第二次世界大戦の空襲により東京都下で亡くなった方々の遺骨を震災記念堂に合祀したため、記念館においても、東京空襲の被害や当時の状況、復興に向けた取り組みを伝える写真、図表などの展示も加えられています。 -
関東大震災での悲惨な状況や、空襲の壊滅的被害状況を伝えるだけでは、悲しい状況を伝える悲壮感しか残りませんが、そこからどのように立ち上がったのか、その記録もきちんと伝承されている事が素晴らしいと思います。
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都市計画の策定や共同溝の敷設等、今の東京の発展に欠かせない事業が、焼土となった東京で開始されました。
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こちらは東京都慰霊堂です。
関東大震災による約58,000人ともいわれる遺骨を納めるための霊堂として、東京の中心部で最も被害の大きかった被服廠跡に、1930年に建設されました。
当初は「震災記念堂」と名付けられていたようで、横網町公園開園と同日に落成式典が行われました。
設計は公開コンペを実施する等、先進的な取り組みがなされましたが、結果的には1等案は採用されず、多くの議論の末に伊東忠太氏が担当する事となり、鉄筋コンクリート構造で、日本旧来の宗教的様式を現す建築とすることを基本とされたようですが、外観は神社仏閣様式であるものの、納骨室のある三重塔は中国、インド風の様式を取り入れ、平面的には教会で見られるバシリカ様式、内部の壁や天井にはアラベスク的紋様も採用される等、多くの宗教的要素を取り入れた折衷的構成となっています。
1999年に、東京都の歴史的建造物に選定されています。
2013年から2016年3月に、耐震補強並びに外壁等の美装化、銅葺き屋根の全面葺き替え等の大型改修が実施されました。震災、戦争の犠牲者を慰霊する建物です。合掌 by まつじゅんさん東京都慰霊堂 名所・史跡
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関東大震災からの復興後、1941年太平洋戦争の火ぶたが切られ、空襲による都内犠牲者の数は、死者・行方不明者を合わせ10万人を遥かに超えています。
特に1945年3月10日未明の東京大空襲では、下町地域に大きな被害があり、1951年東京空襲遭難者の仮埋葬遺骨の改葬が終了し、身元不明者105,000人を震災記念堂に合祀されたようです。 -
関東大震災の70,000人を超える諸霊を弔慰するため、1930年9月1日に、東京府市合同の大追悼式が挙行されたのが、この建物の最初の慰霊事業で、以来今日まで続けられています。
その後、太平洋戦争中の東京空襲で亡くなった方のご遺骨も慰霊塔に納められ、1951年「東京都慰霊堂」と改称され、震災、戦災合わせて約163,000体の遺骨が安置されています。 -
公園内にある、震災遭難児童弔魂像です。
関東大震災により小学校児童約5,000人が亡くなったそうです。
その死を悼み、冥福を祈るため、当時の学校長等が中心となり、弔魂碑建立を企画し、寄付を募り結果182,027名の方より1万4,066円47銭が寄せられ、その基金で、彫刻家小倉右一郎氏により制作されました。
しかしながら、1944年戦力増強の一助として、金属回収の対象で撤去されましたが、1961年に小倉右一郎氏の高弟である、津上昌平、山畑阿利一両氏により往時の群像を模して、再建されたものです。
この公園は、関東大震災、第二次世界大戦の歴史が、埋め込まれているように感じました。 -
続いて、隣接している旧安田庭園に向かいます。
こじんまりとしていますが綺麗に手入れされた区立の公園です。 by まつじゅんさん旧安田庭園 公園・植物園
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江戸時代、本庄松平氏の下屋敷であり、元禄年間に本庄宗資により大名庭園として築造されたものです。
安政年間に隅田川の水を引いた潮入回遊庭園として整備され、明治時代に旧岡山藩主池田章政の邸宅となったようです。 -
1900年、安田財閥の祖である安田善次郎が購入し、1922年当時の東京市に寄贈されたのですが、関東大震災により殆どを失い、東京市による復元により1927年に、市民の庭園として開園し、1967年墨田区に移管され墨田区が管理する庭園となっています。
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潮入り回遊式庭園として整備された大名庭園で、小島の浮かぶ心字池を老樹と散策路が囲む構成となっていて、雪見灯篭が配置され、池には鯉、亀が泳ぐ人工的に水位の干満が再現された庭園です。
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都会の喧騒を忘れるような、静かな散策路を持つ庭園です。
東京都内には、初日に訪れた後楽園や、浜離宮公園等多くの回遊式庭園がある事に驚きました。
大阪には無い感じで、ビル街の横にこのような場所があるのが不思議です。
慰霊堂の北側にも約2,300m?の、林泉式日本庭園がありますが、関東大震災の時、安田庭園が人命の保護に役立ったことを教訓として計画されたらしいです。 -
2018年1月、両国公会堂跡地に1968年に渋谷区代々木四丁目に開館した刀剣博物館が、2017年3月末に閉館、2018年1月に移転開館しています。
日本国内でも数少ない日本刀専門の博物館で、刀剣愛好家より寄贈された作品や、保管と管理を依託されている国宝や重要文化財を含む刀剣・刀装・刀装具類を収蔵・公開されているようです。旧安田庭園内に建つ刀剣専門の珍しい博物館です。 by まつじゅんさん刀剣博物館 美術館・博物館
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本日のランチは、第一ホテル両国のカフェ&ダイニング アゼリアで頂きます。
旧安田庭園から程近い場所にあります。
今回の旅は、夕食が時短期間中で、なかなかお店で頂く、とはいかないので、ランチで「ちゃんこ屋」さんでと思っていたのですが、奥様から「量が多すぎない?」と指摘され、それならばカジュアルにと「一休」で予約しました。 -
ホテルの1階にあり、ホテルレストランの本格的な味がカジュアルに楽しめるとの事です。
入店時は結構空席がありましたが、退店の頃は混雑していました。
ゆっくりと、美味しく頂く事が出来ました。 -
大きな窓から陽射しが入り、開放感のある席で頂くランチは、これからの相撲観戦への体力チャージとなりました。
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今回のプランは、土日祝限定のとってもお得なランチメニューです。
選べる1ドリンク(生ビール、グラスワインまたはソフトドリンク)という事で、私はノンアルビール、奥様は紅茶をお願いしました。
日替わりのメイン料理にスープ、サラダ、パンまたはライス、コーヒー、紅茶付きです。 -
サラダとスープ。
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本日のメイン。
肥料や気温などにこだわり大事に育てたSPF豚はロングセラー商品のようです。 -
最後は、一休限定特典の本日のデザート3種盛りとコーヒー。
美味しかったです。
では、お腹も膨れて少し両国駅廻りを散歩し、国技館に向かいます。
その2につ・づ・く。
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