山形市旅行記(ブログ) 一覧に戻る
10月最後の金曜日の夜中。天気予報は、週末の晴れを伝えていた。そうと聞けば、じっとしてはいられない。紅葉情報を確認すると、目に付いたのが山寺だった。山寺と呼ばれる立石寺を訪れたのは、1999年の秋。22年前のことである。懐かしさが込み上げるとともに、あの石段を登るには、足腰が元気なうちが良いと思い立ち、迷わず山寺に決めた。そこから、列車と宿を確保する。運良く、『えきねっと』で割引のある列車が往復とも残っていた。宿は、今年の夏に開業したばかりの駅近くのホテルを確保。旅の算段が整った時には、23時近かった。<br /><br />(2021.11.05投稿)

二十年余を経て訪れた山寺にて

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2021/10/30 - 2021/10/31

9位(同エリア1033件中)

旅猫

旅猫さん

10月最後の金曜日の夜中。天気予報は、週末の晴れを伝えていた。そうと聞けば、じっとしてはいられない。紅葉情報を確認すると、目に付いたのが山寺だった。山寺と呼ばれる立石寺を訪れたのは、1999年の秋。22年前のことである。懐かしさが込み上げるとともに、あの石段を登るには、足腰が元気なうちが良いと思い立ち、迷わず山寺に決めた。そこから、列車と宿を確保する。運良く、『えきねっと』で割引のある列車が往復とも残っていた。宿は、今年の夏に開業したばかりの駅近くのホテルを確保。旅の算段が整った時には、23時近かった。

(2021.11.05投稿)

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
4.0
グルメ
4.5
ショッピング
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
新幹線 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 前夜、僅か1時間半ほどで決めた旅へ出る。乗車したのは、大宮駅を10時25分に出る新庄行『つばさ133号』。車窓には、稲刈りが終わった田が広がっている。福島駅から奥羽本線へ入り、福島と山形の県境を越えて行く。登るに連れ、沿線の山々の色付きが鮮やかになって行く。

    前夜、僅か1時間半ほどで決めた旅へ出る。乗車したのは、大宮駅を10時25分に出る新庄行『つばさ133号』。車窓には、稲刈りが終わった田が広がっている。福島駅から奥羽本線へ入り、福島と山形の県境を越えて行く。登るに連れ、沿線の山々の色付きが鮮やかになって行く。

  • 12時過ぎに、置賜地方の中心である米沢駅に到着。昼時なので、大宮駅で買い込んで来た駅弁で昼食とした。それは、国技館名物のやきとりである。正肉3本とつくね2本が入り、量的にもちょうど良い。以前、友人との旅で食べて以来、気に入っているのだ。そして、山形駅には、12時44分に到着した。

    12時過ぎに、置賜地方の中心である米沢駅に到着。昼時なので、大宮駅で買い込んで来た駅弁で昼食とした。それは、国技館名物のやきとりである。正肉3本とつくね2本が入り、量的にもちょうど良い。以前、友人との旅で食べて以来、気に入っているのだ。そして、山形駅には、12時44分に到着した。

  • 急遽決めた旅なので、翌朝山寺へ行くこと以外は何も考えていない。とりあえず、駅構内にあった観光案内所に入り、市内の地図をいただいた。その地図に載っていた、駅近くの山形城三の丸土塁跡へまずは立ち寄る。そこは、市街地の真ん中に、突如として現れる異空間の様だった。

    急遽決めた旅なので、翌朝山寺へ行くこと以外は何も考えていない。とりあえず、駅構内にあった観光案内所に入り、市内の地図をいただいた。その地図に載っていた、駅近くの山形城三の丸土塁跡へまずは立ち寄る。そこは、市街地の真ん中に、突如として現れる異空間の様だった。

  • 土塁跡から、地図上に見つけた蔵元『男山酒造』へと向かう。そこは、江戸期の寛永年間に創業した蔵で、白漆喰の土蔵は、明治27年(1894)に建てられたものだそうだ。蔵の前を通る道は、旧羽州街道だった。看板銘柄は『壷天』と言う酒らしいが、売店などは無さそうだった。

    土塁跡から、地図上に見つけた蔵元『男山酒造』へと向かう。そこは、江戸期の寛永年間に創業した蔵で、白漆喰の土蔵は、明治27年(1894)に建てられたものだそうだ。蔵の前を通る道は、旧羽州街道だった。看板銘柄は『壷天』と言う酒らしいが、売店などは無さそうだった。

  • 旧街道を東へと少し歩くと、交差点の角に『乃し梅本舗 佐藤屋』と言う店があった。文政4年(1821)創業の老舗の和菓子屋で、銘菓『のし梅』で名が知られているそうだ。店内に入ってみると、色々な菓子があり目移りする。悩んだ挙句、『のし梅』と『黒糖饅頭』を買い求めた。旧州街道は『佐藤屋』の建つ角で北へと向きを変える。『佐藤屋』の並びには、天保15年(1844)創業の醤油醸造元『丸十大屋』もあったが、休みであった。

    旧街道を東へと少し歩くと、交差点の角に『乃し梅本舗 佐藤屋』と言う店があった。文政4年(1821)創業の老舗の和菓子屋で、銘菓『のし梅』で名が知られているそうだ。店内に入ってみると、色々な菓子があり目移りする。悩んだ挙句、『のし梅』と『黒糖饅頭』を買い求めた。旧州街道は『佐藤屋』の建つ角で北へと向きを変える。『佐藤屋』の並びには、天保15年(1844)創業の醤油醸造元『丸十大屋』もあったが、休みであった。

    佐藤屋 本店 グルメ・レストラン

  • その先に、『長門屋』と言う元禄2年(1689)創業の山形漆器の製造元があった。彫りから塗りまで自前で行っているそうで、とても艶やかな品が多かった。使い込むほどに色艶を増すという権之助塗りが魅力的だったが、飾ってあったため、既に色褪せた小皿がとても気に入ったので、箸などと一緒に購入した。わざわざ御主人が奥から出て来られ、その小皿は、朴ノ木を使ったものだと説明していただいた。

    その先に、『長門屋』と言う元禄2年(1689)創業の山形漆器の製造元があった。彫りから塗りまで自前で行っているそうで、とても艶やかな品が多かった。使い込むほどに色艶を増すという権之助塗りが魅力的だったが、飾ってあったため、既に色褪せた小皿がとても気に入ったので、箸などと一緒に購入した。わざわざ御主人が奥から出て来られ、その小皿は、朴ノ木を使ったものだと説明していただいた。

  • しばらく歩くと、『山形まるごと館 紅の蔵』と言う建物が見えて来た。食事処などになっている商業施設だが、元は、紅花商人として栄えた長谷川家の家屋で、明治34年ごろに建てられたものだそうだ。店内に、4代目当主が京都で買い求めたという、金色の宮殿型厨子が展示されていた。

    しばらく歩くと、『山形まるごと館 紅の蔵』と言う建物が見えて来た。食事処などになっている商業施設だが、元は、紅花商人として栄えた長谷川家の家屋で、明治34年ごろに建てられたものだそうだ。店内に、4代目当主が京都で買い求めたという、金色の宮殿型厨子が展示されていた。

  • 十日市跡の碑を過ぎると、紅色の屋根と白漆喰が印象的な店蔵があった。安政5年(1858)創業の近江屋中村喜兵衞商店が前身の丸太中村近江屋の旧店舗だそうだ。食料品の原材料を扱う問屋を営み、現在は別に社屋があるそうだ。門も立派で、奥に母屋があり、かなり広い敷地の様だった。

    十日市跡の碑を過ぎると、紅色の屋根と白漆喰が印象的な店蔵があった。安政5年(1858)創業の近江屋中村喜兵衞商店が前身の丸太中村近江屋の旧店舗だそうだ。食料品の原材料を扱う問屋を営み、現在は別に社屋があるそうだ。門も立派で、奥に母屋があり、かなり広い敷地の様だった。

  • さらに歩くと、今度は公会堂ののような立派な建物が現れた。教会かとも思ったのだが、入口まで来てみると、何と医院の建物であった。大正元年(1912)に建てられたもので、しかも、現役で使われていた。設計者は、上杉伯爵邸などを手掛けた中條精一郎だそうだ。

    さらに歩くと、今度は公会堂ののような立派な建物が現れた。教会かとも思ったのだが、入口まで来てみると、何と医院の建物であった。大正元年(1912)に建てられたもので、しかも、現役で使われていた。設計者は、上杉伯爵邸などを手掛けた中條精一郎だそうだ。

  • 山形グランドホテルの前を過ぎると、『八文字屋』と言う古風な名の本屋があった。店の前には、『是より江戸へ百里』と言う標柱が立っている。調べてみると、創業300年以上と言う江戸期から続く老舗の書店であった。県内と宮城県に店舗を展開し、大手に負けじと奮闘しているようだ。

    山形グランドホテルの前を過ぎると、『八文字屋』と言う古風な名の本屋があった。店の前には、『是より江戸へ百里』と言う標柱が立っている。調べてみると、創業300年以上と言う江戸期から続く老舗の書店であった。県内と宮城県に店舗を展開し、大手に負けじと奮闘しているようだ。

  • その先の交差点の角には、地方百貨店のひとつであった『大沼』本店の建物が建っている。2020年1月に経営破綻した『大沼』は、元禄13年(1700)創業の荒物屋を前身としていることから、三越に匹敵する老舗である。県内に複数店舗を展開していたのも、今や過去である。現役の頃、食料品売り場で買い物をしたことが懐かしい。

    その先の交差点の角には、地方百貨店のひとつであった『大沼』本店の建物が建っている。2020年1月に経営破綻した『大沼』は、元禄13年(1700)創業の荒物屋を前身としていることから、三越に匹敵する老舗である。県内に複数店舗を展開していたのも、今や過去である。現役の頃、食料品売り場で買い物をしたことが懐かしい。

  • 『大沼』の先には、いかにも再開発した感じの商業施設が出来ていた。その間には、小さな水路が流れている。これは、御殿堰と呼ばれるもので、城下を流れる用水路のひとつだそうだ。江戸時代に造られたものを復元したもので、両側に黒塗りや白壁の店舗が軒を連ねていた。

    『大沼』の先には、いかにも再開発した感じの商業施設が出来ていた。その間には、小さな水路が流れている。これは、御殿堰と呼ばれるもので、城下を流れる用水路のひとつだそうだ。江戸時代に造られたものを復元したもので、両側に黒塗りや白壁の店舗が軒を連ねていた。

  • その商業施設の一角に、明治13年(1880)創業と言う『岩淵茶舗』があった。歩き疲れて来たところだったので、その店で抹茶のソフトクリームを購入し、水路の脇に置かれた椅子に座り、ひと休みすることにした。専門店のものだけあり、しっかりとした味わいで、なかなか美味しかった。

    その商業施設の一角に、明治13年(1880)創業と言う『岩淵茶舗』があった。歩き疲れて来たところだったので、その店で抹茶のソフトクリームを購入し、水路の脇に置かれた椅子に座り、ひと休みすることにした。専門店のものだけあり、しっかりとした味わいで、なかなか美味しかった。

    茶呑み処 いわぶち グルメ・レストラン

  • 御殿堰の先で旧羽州街道は西へと折れ曲がるが、そのまま真っ直ぐに進む。すると、突き当りに、重厚な建物が見えて来る。文翔館と呼ばれている山形県の旧県庁舎である。大正5年に建てられたもので、昭和50年まで使われていたそうだ。以前訪れた時、外観だけを眺めたので、今回は入ってみることにした。

    御殿堰の先で旧羽州街道は西へと折れ曲がるが、そのまま真っ直ぐに進む。すると、突き当りに、重厚な建物が見えて来る。文翔館と呼ばれている山形県の旧県庁舎である。大正5年に建てられたもので、昭和50年まで使われていたそうだ。以前訪れた時、外観だけを眺めたので、今回は入ってみることにした。

  • 館内は、当時の行政機関の建築物らしい装飾が随所に観られる。正面の中央階段などは、その最たるものだ。

    館内は、当時の行政機関の建築物らしい装飾が随所に観られる。正面の中央階段などは、その最たるものだ。

  • 重要な会議などが行われたと言う正庁の天井には、漆喰で造られた花飾りが付けられている。その精緻さは、驚くべきものだった。

    重要な会議などが行われたと言う正庁の天井には、漆喰で造られた花飾りが付けられている。その精緻さは、驚くべきものだった。

  • 議事堂は、ちょうど催し物を行っていると言うことで、残念ながら2階から硝子越しの見学となった。

    議事堂は、ちょうど催し物を行っていると言うことで、残念ながら2階から硝子越しの見学となった。

  • 文翔館から駅の西側にある山形城跡へと向かう。途中に、以前訪れたことがある最上義光歴史館があるのだが、老朽化で休館中であった。その先で奥羽本線を越えると、二の丸東大手門橋があり、そこを渡ると復元された東大手門がある。

    文翔館から駅の西側にある山形城跡へと向かう。途中に、以前訪れたことがある最上義光歴史館があるのだが、老朽化で休館中であった。その先で奥羽本線を越えると、二の丸東大手門橋があり、そこを渡ると復元された東大手門がある。

  • 東大手門から二の丸跡へ入ると、勇壮な騎馬像が出迎えてくれた。最上義光像である。義光は、策謀家であるかのように言われてるが、実際には時代を先読みできる武将であり、情にも厚かったと云われている。個人的には、好きな武将の一人である。

    東大手門から二の丸跡へ入ると、勇壮な騎馬像が出迎えてくれた。最上義光像である。義光は、策謀家であるかのように言われてるが、実際には時代を先読みできる武将であり、情にも厚かったと云われている。個人的には、好きな武将の一人である。

  • 二の丸跡は公園となっていて、地元の方の憩いの場所となっている。訪れた時は、樹々が色付き、とても美しい情景だった。

    二の丸跡は公園となっていて、地元の方の憩いの場所となっている。訪れた時は、樹々が色付き、とても美しい情景だった。

  • 樹々の間を抜けると、突然、城跡らしい姿が現れた。堀跡に囲まれているのが本丸跡で、平成17年に復元された大手橋の先には、平成25年に復元された一文字門の高麗門と土塀が見える。

    樹々の間を抜けると、突然、城跡らしい姿が現れた。堀跡に囲まれているのが本丸跡で、平成17年に復元された大手橋の先には、平成25年に復元された一文字門の高麗門と土塀が見える。

  • 整備されたと言う本丸跡を観ようと大手橋を渡ると、門を閉じる作業をしていた。何と、16時半までしか入ることが出来ないそうだ。仕方が無いので、戻ることにして振り返ると、二の丸の色付いた樹々が美しかった。

    整備されたと言う本丸跡を観ようと大手橋を渡ると、門を閉じる作業をしていた。何と、16時半までしか入ることが出来ないそうだ。仕方が無いので、戻ることにして振り返ると、二の丸の色付いた樹々が美しかった。

  • 陽の光が弱くなってきたので、そろそろ宿へ向かうことにする。最後に立ち寄ったのは、山形市立郷土館。その特徴的な建物は、明治11年(1878)に山形県立病院として、県内の宮大工により建てられたものだそうだ。いち早く西洋医学を取り入れていたそうである。

    陽の光が弱くなってきたので、そろそろ宿へ向かうことにする。最後に立ち寄ったのは、山形市立郷土館。その特徴的な建物は、明治11年(1878)に山形県立病院として、県内の宮大工により建てられたものだそうだ。いち早く西洋医学を取り入れていたそうである。

  • 霞城セントラルに立ち寄った後、駅を抜け、東口から3分ほどのところに建つ『ダイワロイネットホテル山形駅前』で旅装を解いた。その宿は、7月に開業したばかりで、とても綺麗であった。特に、風呂が別に付いていたのはありがたかった。

    霞城セントラルに立ち寄った後、駅を抜け、東口から3分ほどのところに建つ『ダイワロイネットホテル山形駅前』で旅装を解いた。その宿は、7月に開業したばかりで、とても綺麗であった。特に、風呂が別に付いていたのはありがたかった。

    ダイワロイネットホテル山形駅前 宿・ホテル

  • コロナが落ち着いたとはいえ、まだまだ安心は出来ないし、地元の人にも配慮して、恒例の晩酌は止め、宿で過ごすことにする。とりあえず、長門屋で購入した山形漆器を鑑賞する。漆の塗りたては黒いのだが、店内に飾られていたのでかなり色褪せている。左下に特産の紅花が彫られていて、新しいものには紅が差してあるのだが、それもほとんど残っていない。それでも、とても気に入った。

    コロナが落ち着いたとはいえ、まだまだ安心は出来ないし、地元の人にも配慮して、恒例の晩酌は止め、宿で過ごすことにする。とりあえず、長門屋で購入した山形漆器を鑑賞する。漆の塗りたては黒いのだが、店内に飾られていたのでかなり色褪せている。左下に特産の紅花が彫られていて、新しいものには紅が差してあるのだが、それもほとんど残っていない。それでも、とても気に入った。

  • その後、佐藤屋で購入した菓子のうち、黒糖饅頭を食べてみる。すると、これがしっとりとした食感で、餡の甘さも上品な絶品の饅頭であった。これは、『のし梅』も期待が持てる。実際、帰ってから食べてみると、『のし梅』もまた絶品であった。

    その後、佐藤屋で購入した菓子のうち、黒糖饅頭を食べてみる。すると、これがしっとりとした食感で、餡の甘さも上品な絶品の饅頭であった。これは、『のし梅』も期待が持てる。実際、帰ってから食べてみると、『のし梅』もまた絶品であった。

  • 外での晩酌は諦めたが、1階のコンビニで地酒が売られていたので、その中から、昼間に前を通った男山酒造の酒があったので、迷わず購入した。ワンカップであったのが残念だったが、紅花が描かれ、山形らしさを感じられて悪くはなかった。

    外での晩酌は諦めたが、1階のコンビニで地酒が売られていたので、その中から、昼間に前を通った男山酒造の酒があったので、迷わず購入した。ワンカップであったのが残念だったが、紅花が描かれ、山形らしさを感じられて悪くはなかった。

  • 翌朝、早目に起きて朝風呂を使う。7時前に宿を発ち、山形駅へと向かった。この日は、この旅の目的地である山寺を訪れる。乗車したのは、7時16分発の仙山線の仙台行快速列車。山寺駅までは、20分足らずである。

    翌朝、早目に起きて朝風呂を使う。7時前に宿を発ち、山形駅へと向かった。この日は、この旅の目的地である山寺を訪れる。乗車したのは、7時16分発の仙山線の仙台行快速列車。山寺駅までは、20分足らずである。

  • 山寺駅に降り立つと、目の前に山寺の建つ山が聳えている。木々が薄っすらと色付き、なかなか綺麗であった。

    山寺駅に降り立つと、目の前に山寺の建つ山が聳えている。木々が薄っすらと色付き、なかなか綺麗であった。

  • 駅舎を出ると、駅から真っすぐ続く道の突き当りに、旧山寺ホテルの趣のある建物が見える。唐破風が特徴的な木造のホテルだが、残念ながら今は廃業している。22時年前に訪れた時はまだ現役で、次に訪れる時には泊まってみたいと思っていたので、少し寂しい感じである。

    駅舎を出ると、駅から真っすぐ続く道の突き当りに、旧山寺ホテルの趣のある建物が見える。唐破風が特徴的な木造のホテルだが、残念ながら今は廃業している。22時年前に訪れた時はまだ現役で、次に訪れる時には泊まってみたいと思っていたので、少し寂しい感じである。

  • その旧山寺ホテルの前で、ご当地マンホールを見つけた。描かれてるのは、山形市の市の花である紅花と市の木であるナナカマドであった。

    その旧山寺ホテルの前で、ご当地マンホールを見つけた。描かれてるのは、山形市の市の花である紅花と市の木であるナナカマドであった。

  • 駅と山寺の間を流れる立谷川を渡る。その先は、土産物屋や飲食店が軒を連ねる道となったが、まだ時間が早いため、どこもやっていない。そして、しばらく歩くと、山寺の名で有名な立石寺の入口に辿り着いた。石段を登ると、目の前に根本中堂が現れた。早朝の根本中堂に人影はほとんど無い。とりあえず、無事に登り切れることを祈願した。

    駅と山寺の間を流れる立谷川を渡る。その先は、土産物屋や飲食店が軒を連ねる道となったが、まだ時間が早いため、どこもやっていない。そして、しばらく歩くと、山寺の名で有名な立石寺の入口に辿り着いた。石段を登ると、目の前に根本中堂が現れた。早朝の根本中堂に人影はほとんど無い。とりあえず、無事に登り切れることを祈願した。

  • 根本中堂から登山口へと向かう。歩き始めてすぐ、道の真ん中に小さな石仏が置かれていた。由来は分からないが、多くの賽銭が置かれていた。

    根本中堂から登山口へと向かう。歩き始めてすぐ、道の真ん中に小さな石仏が置かれていた。由来は分からないが、多くの賽銭が置かれていた。

  • 少し先には、日枝神社が鎮座していた。出羽国山寺総鎮守とあり、この地域の鎮守のようだ。その社殿の前には、亀の甲石と言うものがあった。小銭に名前を書いて供えると、願いが叶うと云われているそうだ。

    少し先には、日枝神社が鎮座していた。出羽国山寺総鎮守とあり、この地域の鎮守のようだ。その社殿の前には、亀の甲石と言うものがあった。小銭に名前を書いて供えると、願いが叶うと云われているそうだ。

  • さらに進むと、左手に銅像が立っていた。芭蕉と曾良の像である。二人が立石寺を訪れたのは、元禄2年(1689)5月27日(新暦7月13日)のことであった。夏の盛りで、今よりは少しは涼しいとは言え、かなり暑かったのではないだろうか。

    さらに進むと、左手に銅像が立っていた。芭蕉と曾良の像である。二人が立石寺を訪れたのは、元禄2年(1689)5月27日(新暦7月13日)のことであった。夏の盛りで、今よりは少しは涼しいとは言え、かなり暑かったのではないだろうか。

  • 二人の像の前を過ぎると、山門が見えて来た。8時の開門まで、まだ少しあるので、門の前には10人ほどが待っていた。22年ぶりの立石寺。長年の運動不足の身に、千段以上の石段が待ち構えている。

    二人の像の前を過ぎると、山門が見えて来た。8時の開門まで、まだ少しあるので、門の前には10人ほどが待っていた。22年ぶりの立石寺。長年の運動不足の身に、千段以上の石段が待ち構えている。

  • 8時の開門と同時に、待ち構えていた人たちが一斉に登って行く。こちらは、その一瞬の喧騒を離れ、しばらく待ってから歩き始めた。すると、参道には、もう人影は全く無かった。

    8時の開門と同時に、待ち構えていた人たちが一斉に登って行く。こちらは、その一瞬の喧騒を離れ、しばらく待ってから歩き始めた。すると、参道には、もう人影は全く無かった。

  • 登山道を登り始める。道の脇には、石仏や供養碑などがたくさん置かれてる。山が境内なので、墓もそこかしこに観られた。

    登山道を登り始める。道の脇には、石仏や供養碑などがたくさん置かれてる。山が境内なので、墓もそこかしこに観られた。

  • 杉の樹も多く、かなり大きなものがたくさんあった。

    杉の樹も多く、かなり大きなものがたくさんあった。

  • 石段が続く道を登って行く。岩や石仏などが苔生し、とても風情がある。そして、静かである。松尾芭蕉が、『おくのほそ道』の中で『殊に清閑の地なり』と書き留めたことに共感できる。

    石段が続く道を登って行く。岩や石仏などが苔生し、とても風情がある。そして、静かである。松尾芭蕉が、『おくのほそ道』の中で『殊に清閑の地なり』と書き留めたことに共感できる。

  • 石仏の中には、平安時代初期に彫られたという磨崖仏まであった。

    石仏の中には、平安時代初期に彫られたという磨崖仏まであった。

  • 参道脇には大きな岩が多く、その隙間には必ずと言ってよいほど、石仏などが祀られている。巨岩が多く、その雰囲気からは、仏教が伝来する前は、神が宿る神聖な場所だったのではないかと感じた。

    参道脇には大きな岩が多く、その隙間には必ずと言ってよいほど、石仏などが祀られている。巨岩が多く、その雰囲気からは、仏教が伝来する前は、神が宿る神聖な場所だったのではないかと感じた。

  • 登り始めて15分ほどで、せみ塚に辿り着いた。ここは、芭蕉の句をしたためた短冊を埋めた場所である。この地で詠まれた『閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声』は、あまりにも有名な句である。

    登り始めて15分ほどで、せみ塚に辿り着いた。ここは、芭蕉の句をしたためた短冊を埋めた場所である。この地で詠まれた『閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声』は、あまりにも有名な句である。

  • 歩いていると、そこかしこに、滑車の付いた卒塔婆のようなものが置かれていた。これは、若くして亡くなった方を供養するためのものだそうだ。

    歩いていると、そこかしこに、滑車の付いた卒塔婆のようなものが置かれていた。これは、若くして亡くなった方を供養するためのものだそうだ。

  • 20分ほどで、弥陀洞と呼ばれる場所に着いた。風雨が、長い歳月を掛けて削り出した岩が、阿弥陀仏に見えると言う場所だそうだ。その姿が見えれば幸せになるそうだが、正直、よく分からなかった。帰って来てから写真を改めて見ると、うつむき加減の仏のような姿が確かに見える。

    20分ほどで、弥陀洞と呼ばれる場所に着いた。風雨が、長い歳月を掛けて削り出した岩が、阿弥陀仏に見えると言う場所だそうだ。その姿が見えれば幸せになるそうだが、正直、よく分からなかった。帰って来てから写真を改めて見ると、うつむき加減の仏のような姿が確かに見える。

  • そこから少し登ると、仁王門が見えて来た。門は、色付いた樹々を纏い、この旅で一番の美しさであった。

    そこから少し登ると、仁王門が見えて来た。門は、色付いた樹々を纏い、この旅で一番の美しさであった。

  • 仁王門を潜ると、急に明るくなり、多くの建物が見えて来る。山上支院と呼ばれるもので、往時は12もあったそうだ。現在は、4つの支院が残っていた。

    仁王門を潜ると、急に明るくなり、多くの建物が見えて来る。山上支院と呼ばれるもので、往時は12もあったそうだ。現在は、4つの支院が残っていた。

  • とりあえず、絶景を観ることが出来る五大堂を目指す。その途中で振り返ると、立石寺の山上支院が棚田のように建っていた。

    とりあえず、絶景を観ることが出来る五大堂を目指す。その途中で振り返ると、立石寺の山上支院が棚田のように建っていた。

  • 五大堂の手前には、開山堂がある。立石寺を開いた慈覚大師を祀る御堂である。百丈岩と言う巨岩の上に立ち、その崖下にある岩窟に、慈覚大師の御遺骸が納められているそうである。

    五大堂の手前には、開山堂がある。立石寺を開いた慈覚大師を祀る御堂である。百丈岩と言う巨岩の上に立ち、その崖下にある岩窟に、慈覚大師の御遺骸が納められているそうである。

  • そして、その先に五大明王を祀る五大堂が建っている。崖から迫り出すような舞台造りの建物で、立石寺随一の景色が望める場所である。

    そして、その先に五大明王を祀る五大堂が建っている。崖から迫り出すような舞台造りの建物で、立石寺随一の景色が望める場所である。

  • 堂内に入ると、右手には色付いた樹々が見え、一幅の絵画のようである。

    堂内に入ると、右手には色付いた樹々が見え、一幅の絵画のようである。

  • そして、正面からは、逆光に照らされた美しい風景が望めた。22年前に訪れた時は生憎の雨模様で、霧が立ち込め景色はほとんど拝めなかったので、とても嬉しい。この景色を観られただけでも、今回来て良かった。

    そして、正面からは、逆光に照らされた美しい風景が望めた。22年前に訪れた時は生憎の雨模様で、霧が立ち込め景色はほとんど拝めなかったので、とても嬉しい。この景色を観られただけでも、今回来て良かった。

  • 左手に目を向けると、開山堂の屋根の向こうに、小さな御堂が見えた。胎内堂と呼ばれるもので、一般の人が立ち入ることは出来ない。

    左手に目を向けると、開山堂の屋根の向こうに、小さな御堂が見えた。胎内堂と呼ばれるもので、一般の人が立ち入ることは出来ない。

  • 眼下には、紅色の艶やかな御堂が見える。写経を納めた納経堂で、山内で最も古い建物だそうだ。

    眼下には、紅色の艶やかな御堂が見える。写経を納めた納経堂で、山内で最も古い建物だそうだ。

  • 五大堂から下り、山上支院が建ち並ぶ場所へと向かう。その途中からは、先ほど観た納経堂が良く見えた。その向こうには山並みが見えている。

    五大堂から下り、山上支院が建ち並ぶ場所へと向かう。その途中からは、先ほど観た納経堂が良く見えた。その向こうには山並みが見えている。

  • 山上支院のひとつである華蔵院へ足を向ける。その御堂の右手には窟があり、そこに『三重小塔』が納められている。室町時代の永正16年(1519)に造られたもので、国の重要文化財に指定されているそうだ。納められている祠の格子が小さく、さらに硝子が曇っているため、あまりよく見えなかったのが残念だった。

    山上支院のひとつである華蔵院へ足を向ける。その御堂の右手には窟があり、そこに『三重小塔』が納められている。室町時代の永正16年(1519)に造られたもので、国の重要文化財に指定されているそうだ。納められている祠の格子が小さく、さらに硝子が曇っているため、あまりよく見えなかったのが残念だった。

  • その後、奥の院へと向かう。正式には、『如法堂』と言うらしい。本尊は、釈迦如来と多宝如来の二尊である。前に訪れた時には、雨が強くなり、早々に山を下りたので、ある意味初めてとなる。その御堂の左手には大仏殿があり、金色の阿弥陀如来が置かれていた。

    その後、奥の院へと向かう。正式には、『如法堂』と言うらしい。本尊は、釈迦如来と多宝如来の二尊である。前に訪れた時には、雨が強くなり、早々に山を下りたので、ある意味初めてとなる。その御堂の左手には大仏殿があり、金色の阿弥陀如来が置かれていた。

  • 奥の院に参拝したので、ゆっくりと戻ることにする。途中、左手に建物が見えた。釈迦ヶ峰と呼ばれる行場に建つ釈迦堂だそうだ。険しい場所らしく、現在は修行者以外は立入禁止となっているそうだ。

    奥の院に参拝したので、ゆっくりと戻ることにする。途中、左手に建物が見えた。釈迦ヶ峰と呼ばれる行場に建つ釈迦堂だそうだ。険しい場所らしく、現在は修行者以外は立入禁止となっているそうだ。

  • 仁王門を出て、石段を下って行く。登りとはまた違った景色となり、陽も差し込み始め、石仏も表情を変えていた。

    仁王門を出て、石段を下って行く。登りとはまた違った景色となり、陽も差し込み始め、石仏も表情を変えていた。

  • せみ塚の標柱にも光が当たっている。

    せみ塚の標柱にも光が当たっている。

  • 前に訪れた時は、紅葉が見頃だったが、今回は色付きがいま一つであった。それでも、秋の風情は感じられ、美しい場所もそこかしこにあった。

    前に訪れた時は、紅葉が見頃だったが、今回は色付きがいま一つであった。それでも、秋の風情は感じられ、美しい場所もそこかしこにあった。

  • 山門近くまで戻って来ると、苔生した石段に木漏れ日が当たり、とても美しい。そこには、長い歴史を刻んできた立石寺の時を感じた。

    山門近くまで戻って来ると、苔生した石段に木漏れ日が当たり、とても美しい。そこには、長い歴史を刻んできた立石寺の時を感じた。

  • 麓まで戻って来ると、茶店が商売を始めていた。参道脇では、名物の力こんにゃくが売られていた。呼び声に引かれて、一本購入。登る前に食べるのが普通だが、降りて来てから食べるのも良い。その蒟蒻は、味が浸み込み、なかなか美味しかった。

    麓まで戻って来ると、茶店が商売を始めていた。参道脇では、名物の力こんにゃくが売られていた。呼び声に引かれて、一本購入。登る前に食べるのが普通だが、降りて来てから食べるのも良い。その蒟蒻は、味が浸み込み、なかなか美味しかった。

  • 根本中堂で御朱印を頂いた後、本坊経由で駅へと戻る。途中には、小菊が咲き、その小さな花に、シジミ蝶の仲間がとまっていた。

    根本中堂で御朱印を頂いた後、本坊経由で駅へと戻る。途中には、小菊が咲き、その小さな花に、シジミ蝶の仲間がとまっていた。

  • 駅まで戻ると、蕎麦屋の軒先に紅花が下げられているのを見つけた。山形県は、紅花の一大産地である。

    駅まで戻ると、蕎麦屋の軒先に紅花が下げられているのを見つけた。山形県は、紅花の一大産地である。

  • 予定より1本早い11時10分発の山形行に乗り、山形駅へと戻る。少し昼には早かったが、列車の時間を待つ間に、駅ビルに入っていた蕎麦屋で昼食とした。品書きを見ると、地酒がいくつかあったので、山形市内にあるという秀鳳酒造場の『秀鳳 大吟醸』をいただくことにした。あまり大吟醸は呑まないのだが、切れもあり、なかなか美味しかった。

    予定より1本早い11時10分発の山形行に乗り、山形駅へと戻る。少し昼には早かったが、列車の時間を待つ間に、駅ビルに入っていた蕎麦屋で昼食とした。品書きを見ると、地酒がいくつかあったので、山形市内にあるという秀鳳酒造場の『秀鳳 大吟醸』をいただくことにした。あまり大吟醸は呑まないのだが、切れもあり、なかなか美味しかった。

  • 待つこと数分で、せいろ蕎麦がやってきた。新蕎麦である。山形は、東北でも有数の蕎麦どころ。今回の旅では、時間の都合でこの新蕎麦にはありつけないと思っていたのだが、1時間早く山形駅に戻って来られたので、食べることが出来た。風味も良く、喉越しも好ましい。この店は二度目だが、やはり美味しい。

    待つこと数分で、せいろ蕎麦がやってきた。新蕎麦である。山形は、東北でも有数の蕎麦どころ。今回の旅では、時間の都合でこの新蕎麦にはありつけないと思っていたのだが、1時間早く山形駅に戻って来られたので、食べることが出来た。風味も良く、喉越しも好ましい。この店は二度目だが、やはり美味しい。

  • 蕎麦を堪能した後、板わさを追加し、さらにもう一杯。次に頼んだのは、『羽陽一献 山廃純米吟醸 南極氷仕込み』と言う酒である。なんでも、南極観測船が持ち帰った南極の氷で仕込んだらしい。最後だったので、気前良く、全部注いでくれた。

    蕎麦を堪能した後、板わさを追加し、さらにもう一杯。次に頼んだのは、『羽陽一献 山廃純米吟醸 南極氷仕込み』と言う酒である。なんでも、南極観測船が持ち帰った南極の氷で仕込んだらしい。最後だったので、気前良く、全部注いでくれた。

  • 昼食の後、まだ時間があったので、前日に訪れなかった歌懸稲荷神社を参拝。山形城の守護神として、斯波兼頼が勧請したのが始まりとされる社で、短冊に歌を書いて奉納する風習が起こったことから、『歌懸』と呼ばれるようになったそうだ。

    昼食の後、まだ時間があったので、前日に訪れなかった歌懸稲荷神社を参拝。山形城の守護神として、斯波兼頼が勧請したのが始まりとされる社で、短冊に歌を書いて奉納する風習が起こったことから、『歌懸』と呼ばれるようになったそうだ。

  • 駅へと戻り、13時4分発の『つばさ142号』に乗り山形を離れる。急遽決めての旅だったが、天気にも恵まれ、久しぶりに山寺を訪れることが出来て良かった。次回は、蔵王温泉にでも宿を取り、のんびりと歩いてみたいものである。

    駅へと戻り、13時4分発の『つばさ142号』に乗り山形を離れる。急遽決めての旅だったが、天気にも恵まれ、久しぶりに山寺を訪れることが出来て良かった。次回は、蔵王温泉にでも宿を取り、のんびりと歩いてみたいものである。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • 群青さん 2021/11/16 21:38:54
    凝縮された旅の醍醐味
    旅猫さん

    こんばんは。
    前日の晩に思い立って決めた旅なんて信じられない程!
    山形市内と山寺を旅するための最上級のプランのように感じました。
    要所を抑えつつ、でも時間にせかされない旅。
    自分のペースで山形を存分に満喫されている様子がありありと目に浮かんできます。

    山寺は数年前に一度、自分も旅したことがありまして。
    写真の数々を見せていただきながらその時の光景を思い出したり、逆にすっかり記憶から薄れてしまっていたりと・・・(汗)
    足腰が試される場所だったなぁ!と改めて思います。
    フォートラベルには掲載できてない旅の一つなのですが、旅猫さんの旅行記に触発されて自分も「自分なりの想い出旅」として載せようか?と少し思案してます。
    山形市内はまだ未踏の地なので、いつか旅する時のためにしっかりと読ませていただきますね。

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2021/11/17 06:36:49
    RE: 凝縮された旅の醍醐味
    群青さん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    急に思い立って旅に出ることは、結構あります(笑)
    前日や旅行中での予定変更もよくあります。

    山形市内は、山形城跡周辺しか歩いたことが無かったので、今回は、街歩きを楽しんできました。
    思いの外、見所があって面白かったです。
    今回のような急な旅以外でも、大雑把な計画しか立てないので、時間は気にせず、行けるところだけ訪れ、時間が無くなれば、また来ればいいやと考えています。
    そうすれば、また訪れることが出来ますし。

    山寺は、思いの外楽に登れて、自分でも驚いています(笑)
    かなり覚悟して訪れたのですが。
    コロナ禍で旅に行けない時期が長かったので、その間に、古い旅の記録を旅行記にしました。
    ぜひ、山寺の旅を投稿してみてください。
    当時の記憶が甦り、なかなか楽しいです。

    旅猫
  • ねもさん 2021/11/05 11:54:39
    秋の山寺
    旅猫さん ありがたく拝見しました、さすが!
    秋の山寺の風情が良いし、何より山寺への愛が感じられる旅行記です。やる気がない私のと大違い(笑)
    五大堂からの展望は私も印象に残ってますが、やはり空気が澄んだ晩秋のほうがきれいにみえます。31日は丹沢の低山を歩いてましたが、曇→雨でした。北のほうはこんなに天気だったのですね。

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2021/11/07 08:32:17
    RE: 秋の山寺
    ねもさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    秋の山寺は、空気が澄んでいて気持ちが良かったです。
    早朝で、空いていましたし。
    五大堂からの景色は、やはり素晴らしいです。
    逆光だったのが残念でしたが、それでも綺麗でした。

    丹沢の低山ですか、いですね!
    関東は、天気が良くなかったのですね。
    東北は、よく晴れていました。

    旅猫

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