2021/02/10 - 2021/02/10
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名古屋市博物館の展示品の紹介です。古墳時代の出土品を主体にした紹介です。
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○左側パネル:『国史跡・白鳥塚古墳』:墳丘長115メートル、高さ12.6から15.2メートル、後円部径75メートル、前方部が低く細身で、前方部が撥状に開く形式の前方後円墳。周濠の痕跡を発見。尾張における前方後円墳の魁(さきがけ)です。
○右側パネル:『白鳥塚古墳と大和王権』:大和王権の『行灯山古墳』との形状比較です。非常に類似し、強い影響力が偲ばれます。 -
中央の縦長の説明パネルのタイトルは、『古墳時代の主な遺跡』です。勝手な推測ですが、大和政権との繋がりも強かったのでしょうか、尾張が栄えた古代時代を彷彿させるような、古墳密度の濃さでした。
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○左側展示:『三角縁神獣鏡(愛知県指定文化財)』:古墳時代前期(4世紀)
東海市・兜山古墳出土
○右側展示:『六神鏡(愛知県指定文化財)』:古墳時代前期(4世紀)
○下部の説明パネル:『兜山古墳』:古墳時代に造られた伊勢湾に面した丘陵上の円墳で、4世紀の尾張南部を代表する古墳です。 -
名称:『葺石(ふきいし)に使われた石英』
出土:守山区・国史跡・白鳥塚古墳
年代:古墳時代前期(4世紀)
その他:左側の小さなパネルは『国史跡・白鳥塚古墳』の紹介です。瀬戸内、河内、大和の前方後円墳との類似性が紹介されていました。 -
名称:『円筒埴輪』
出土:昭和区御器所町・一本松古墳
年代:古墳時代中期(5世紀)
その他:現在の墳丘は長さ36メートル、高さ8メートルの不整円形ですが、元々は、帆立貝形の古墳だったと推測されています。写真の円筒埴輪は、この地区で初めて窯を使って焼かれたものとも推測されています。尾張の窯業の発展史にも欠かせない円筒埴輪とされます。 -
『3-2 古墳と副葬品』の説明文です。『古墳には、死者とともに装身具や宝器、武具、葬送の儀式や祭祀に用いられた道具などが納められた。前期には、古墳は政治的な権力者の墓として築かれ、副葬品も鏡や石釧(いしくしろ)・鍬形石(くわがたいし)などの宝器的なものが多い。後期になると、古墳を造る範囲はムラの有力者やその家族にまで広がり、古墳はその数を増した。そして、馬具や須恵器、実用的な鉄器の副葬が一般的になった。』
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『国史跡・志段味大塚古墳』の平面図入りの説明パネルです。この古墳は、『大正時代に梅原末治によって、東海地方で初めて古墳の学術的な発掘調査が行われました。その時調査された粘土槨からは5世紀後半を代表する最新の武器・武具・馬具が出土しています。北側のくびれ部の平面L字形に張り出した造出しでは、小型の土製品を配置する近畿地方の大型前方後円墳と共通する祭祀行為が確認されました。墳丘斜面の葺石は、隣り合う石と石との間に隙間がある貼り石風の葺石で、近畿地方の古墳に類例がある珍しい施工方法です。』(公式サイト)
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『国史跡・志段味大塚古墳』の出土品の展示光景です。補足説明のパネルも各種展示してありました。一番手前の説明パネルは、先に紹介した『3-2 古墳と副葬品』のタイトルです。
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『国史跡・志段味大塚古墳:説明パネル』
場所:守山区大字志段味字大塚
年代:古墳時代中期(5世紀)
その他:墳丘長約51メートルの帆立貝式古墳で、五鈴鏡、三輪鈴、金銅製帯金具、馬具などの貴重な遺物が出土しています。 -
『馬具の名称:説明図』:右上の『手綱(たずな)』から時計回りに、『鞍(くら)』、『杏葉(ぎょうよう)』、尻繋(しりがい)』、『障泥(あおり)』、『鐙(あぶみ)』、『馬鈴(ばれい)』、『胸繋(むながい)』、『鏡板(かがみいた』、『引手(ひって)』、『辻金具(つじかなぐ)』、『面繋(おもがい)』の名称でした。(引用文献:日本の原始美術6・講談社:1979年)
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名称:『円筒埴輪:2点』
出土:守山区志段味・大塚古墳
年代:古墳時代中期(5世紀)
その他:右側の埴輪は、下部に穴が開けられていました。 -
名称:『円筒埴輪:2点』
出土:守山区志段味・大塚古墳
年代:古墳時代中期(5世紀)
その他:少しだけズームアップし、明度を変えました。名古屋市教育委員会蔵の埴輪です。 -
イチオシ
名称:『銅製品(4点):複製』
出土:守山区志段味・大塚古墳
年代:古墳時代中期(5世紀)
その他:右上から時計回りに、『五鈴鏡板付轡』、『五鈴杏葉』、『五鈴鏡』、『三環鈴』(いずれも複製)です。原資料は京都大学総合博物館蔵です。 -
『池下古墳:説明パネル』
場所:守山区喜多山2丁目
年代:古墳時代(6世紀)
その他:墳丘長約40メートルの前方後円墳です。矢田川北岸の河岸段丘に位置し、守山・小幡古墳群に属します。大量の須恵器が出土しました。 -
名称:『円筒埴輪』
出土:守山区・池下古墳
年代:古墳時代後期(6世紀)
その他:中間辺りに穴が開けられています。 -
イチオシ
○右の展示:『家形埴輪』:古墳時代後期(6世紀)
守山区・松ヶ洞8号墳出土
○左の展示:『円筒埴輪:古墳時代中期(5世紀)
守山区・松ヶ洞8号墳出土 -
名称:『伝岡崎出土資料(その2):鉄製の槍・剣・鏃』:愛知県指定文化財
出土:推『岡崎市・経ヶ峰1号墳』
年代:古墳時代中期(5世紀)
その他:副葬品として出土したもののようです。 -
名称:『伝岡崎出土資料(その1):鉄製の短甲』:愛知県指定文化財
出土:推『岡崎市・経ヶ峰1号墳』
年代:古墳時代中期(5世紀)
その他:副葬品として出土したもののようです。 -
名称:『守山区・松ヶ洞8号墳(方墳):復元模型』
年代:古墳時代後期(6世紀)
その他:名古屋市内に現存する方墳で、1962年に行われた発掘調査を元に作成された、10分の1模型です。 -
古墳時代の出土品の展示光景です。『3-2 古墳と副葬品』のタイトルがあったコーナーです。壁面には、古墳の投稿縮小模型が展示してありました。左から、東之宮古墳、白鳥塚古墳、右端が断夫山古墳模型でした。
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『甲冑の部分名称』のタイトルがあった説明パネルの紹介です。右上から時計回りに、『衝角付冑(しょうかくつきかぶと)』、『肩甲(かたよろい)』、『佳(テヘン)甲(けいこう)』、『胸当(むねあて)』、『頸甲(あかべよろい)』です。(京都大学総合博物館・1977年元資料)
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○右側展示:『画文帯神獣鏡(模型:名古屋市指定文化財)』:年代:後期(6世紀)
出土:中区・大須二子山古墳:原資料は名古屋市指定文化財
○左側展示:『画文帯仏獣鏡:名古屋市指定文化財)』:年代:後期(6世紀
出土:中区・大須二子山古墳:名古屋市指定文化財 -
イチオシ
○前列右端:『鈴訓(すずしろ):複製』:大須二子山古墳出土:後期・6世紀
○前列中央:『辻金具:複製』:大須二子山古墳出土:後期・6世紀
○前列左端:『心葉形杏葉:複製』:大須二子山古墳出土:後期・6世紀
○後列:『f字形鏡板付轡:複製』:大須二子山古墳出土:後期・6世紀
以上、4点とも原資料は名古屋市指定文化財です。 -
『大須二子山古墳』:6世紀前半に築造されたと考えられている大型の前方後円墳で、「大須古墳群」の内の一つです。古墳は戦後の伏見通の拡張や大須球場建設などに伴い1947年(昭和22年)頃までに全て破壊されて正式な発掘は行われていませんが、銅鏡や馬具、甲冑などの副葬品が出土したことから、尾張地域を支配した首長の墓と考えられています。なお、出土品は名古屋市博物館や南山大学人類学博物館に収蔵されています。昭和初期の地籍図や敗戦直後の現況図などの資料から、全長138メートル、前方部幅100メートル、後円部直径72メートル、高さ10メートルで、断夫山古墳に次ぐ規模があったとの説もあります。
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名称:『桂甲(複製)』
出土:中区・大須二子山古墳
年代:古墳時代後期(6世紀)
その他:原資料は、南山大学人類学博物館蔵 -
名称:『横矧板鋲留衝角付冑(複製)』
出土:中区・大須二子山古墳
年代:古墳時代後期(6世紀)
その他:原資料は、南山大学人類学博物館蔵 -
左から順に、最前列の4点の展示品の紹介です。
○画文帯神獣鏡(模型:名古屋市指定文化財)
○円筒埴輪(熱田区・東古渡町遺跡出土・古墳時代後期・6世紀)
○円筒埴輪(熱田区・高蔵遺跡出土・古墳時代後期・5世紀)
○新羅土器・三耳壺(伝・断夫山古墳出土・古墳時代後期・6世紀) -
『国史跡・断夫山古墳』:名古屋市中心市街地からやや南、熱田台地南西縁の標高約10メートルの地に築造された大型前方後円墳です。かつては海岸線が熱田台地西側近くまで伸びていて、古墳は伊勢湾を広く望んだ立地でした。現在までに本格的な発掘調査はされていません。墳形は前方後円形で、前方部を南南東方に向けます。墳丘は3段築成で、前方部が発達した古墳時代後期の特徴を持ちます。現在の墳丘長は約150メートル、愛知県では最大規模で、後期古墳としては全国でも屈指の規模です。墳丘の西側のくびれ部には造出があり、ここから多量の須恵器が出土しました。
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『断夫山古墳の投稿模型』です。この模型の中間部の左側(西側)に見えるのが、くびれ分の『造出(つくりだし)』です。本古墳は、かつて『宮簀媛(みやずひめ:尾張氏の娘:日本武尊妃)』の墓として熱田神宮大宮司家の管理下にあり、『断夫山』という名称も、その宮簀媛伝承に基づくものとされます。ただし、研究による断夫山古墳は、出土埴輪・須恵器より古墳時代後期の6世紀前半頃、または5世紀末~6世紀初頭頃の築造と推定されています。当時尾張地方に大きな勢力を持った尾張氏の首長墓に比定されています。
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名称:『大型円筒埴輪』
出土:熱田区旗屋町・断夫山古墳(国史跡)
年代:古墳時代後期(6世紀)
その他:守山郷土誌研究会寄贈品。先ほど紹介した宮簀媛は、日本武尊の最後の配偶者とされ、熱田神宮の創祀に関わる重要人物と伝えられます。しかし、子は無く、記紀ともに系譜には記されず、物語にのみ登場します。
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旅行記グループ 2021編集、尾張の古墳巡り(その3)
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