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名古屋市博物館の弥生時代の遺跡や遺品の展示の紹介です。

2021春、名古屋市博物館(3/9):弥生時代、朝日遺跡、西志賀遺跡、見晴台遺跡、瑞穂遺跡

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2021/02/10 - 2021/02/10

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

名古屋市博物館の弥生時代の遺跡や遺品の展示の紹介です。

  • 名称:『田下駄(複製)』<br />出土:静岡市・登呂遺跡出土<br />年代:弥生時代後期<br />その他:現資料は、登呂博物館蔵

    名称:『田下駄(複製)』
    出土:静岡市・登呂遺跡出土
    年代:弥生時代後期
    その他:現資料は、登呂博物館蔵

  • ○右側の展示『菅玉(くだたま):3点)』:弥生時代後期<br />出土:南区見晴台・見晴台遺跡<br />○左側の展示『玉(たま):6点』:弥生時代後期<br />出土:瑞穂区巻町・瑞穂遺跡

    ○右側の展示『菅玉(くだたま):3点)』:弥生時代後期
    出土:南区見晴台・見晴台遺跡
    ○左側の展示『玉(たま):6点』:弥生時代後期
    出土:瑞穂区巻町・瑞穂遺跡

  • ○右端の展示『石鏃(せきぞく:10点)』:弥生時代:北区西志賀町・西志賀遺跡出土<br />○中央右寄りの上の展示『骨鏃』:弥生時代:清須市・朝日遺跡出土<br />○中央右寄りの下の展示『骨鏃:6点』:弥生時代:西志賀貝塚出土<br />○左端の展示『磨製石斧:5点)』:弥生時代後期:瑞穂区牧町・瑞穂遺跡出土他

    ○右端の展示『石鏃(せきぞく:10点)』:弥生時代:北区西志賀町・西志賀遺跡出土
    ○中央右寄りの上の展示『骨鏃』:弥生時代:清須市・朝日遺跡出土
    ○中央右寄りの下の展示『骨鏃:6点』:弥生時代:西志賀貝塚出土
    ○左端の展示『磨製石斧:5点)』:弥生時代後期:瑞穂区牧町・瑞穂遺跡出土他

  • 名称:『弥生モデルハウス』:見晴台遺跡住居がモデル<br />年代:弥生時代<br />その他:弥生時代の代表的な建築は地面を掘り窪めてつくる竪穴建物で、地面に柱を建てて地上に建物をつくる掘立柱建物です。そのほかに、高床建物や、平地式建物等も造られました。

    イチオシ

    名称:『弥生モデルハウス』:見晴台遺跡住居がモデル
    年代:弥生時代
    その他:弥生時代の代表的な建築は地面を掘り窪めてつくる竪穴建物で、地面に柱を建てて地上に建物をつくる掘立柱建物です。そのほかに、高床建物や、平地式建物等も造られました。

  • 『弥生モデルハウス』のタイト説明パネルです。先ほど紹介したモデルハウスで使用された品々が紹介されていました。1軒の家には、4~6人が暮らしていたようです。その生活必需品らしい品々の壺、甕、高坏、漁具、農器具や狩りの道具らしい弓矢、敷物などです。

    『弥生モデルハウス』のタイト説明パネルです。先ほど紹介したモデルハウスで使用された品々が紹介されていました。1軒の家には、4~6人が暮らしていたようです。その生活必需品らしい品々の壺、甕、高坏、漁具、農器具や狩りの道具らしい弓矢、敷物などです。

  • 写真紹介が重複しましたが、弥生時代の高坏や壺など6点の土器の展示光景です。それぞれに魅力的な形と色彩の土器でした。つい、余分に撮影してしまいました。

    写真紹介が重複しましたが、弥生時代の高坏や壺など6点の土器の展示光景です。それぞれに魅力的な形と色彩の土器でした。つい、余分に撮影してしまいました。

  • 左上のパネルには『弥生土器を調べる』、右下のパネルには『土器の種類』のタイトルがありました。弥生時代を調べる中心となるものが弥生式土器で、出土数が多く、種類も豊富であることが紹介されていました。弥生土器の例として、貯蔵用の壺、煮炊き用の甕、盛り付けや食事用の高坏、直口壺が紹介されていました。

    左上のパネルには『弥生土器を調べる』、右下のパネルには『土器の種類』のタイトルがありました。弥生時代を調べる中心となるものが弥生式土器で、出土数が多く、種類も豊富であることが紹介されていました。弥生土器の例として、貯蔵用の壺、煮炊き用の甕、盛り付けや食事用の高坏、直口壺が紹介されていました。

  • ○背後の台上の展示『壺』:弥生時代:南区扇田町・扇田町遺跡出土<br />土器を回転する台の上に乗せて文様を描いたことが絵と共に解説されていました。<br />○台下の展示『文様の解説用の土器片』:弥生時代:刺突文(しとつもん)、凹線文(おうせんもん)、櫛描文(くしかきもん)、パレススタイル土器(右手前)<br />

    ○背後の台上の展示『壺』:弥生時代:南区扇田町・扇田町遺跡出土
    土器を回転する台の上に乗せて文様を描いたことが絵と共に解説されていました。
    ○台下の展示『文様の解説用の土器片』:弥生時代:刺突文(しとつもん)、凹線文(おうせんもん)、櫛描文(くしかきもん)、パレススタイル土器(右手前)

  • 名称:『高坏(たかつき):2点』<br />出土:南区見晴台・見晴台遺跡<br />年代:弥生時代後期<br />その他:高坏は、食べ物を盛り付ける器です。

    名称:『高坏(たかつき):2点』
    出土:南区見晴台・見晴台遺跡
    年代:弥生時代後期
    その他:高坏は、食べ物を盛り付ける器です。

  • 名称:『高坏(たかつき):2点』<br />出土:瑞穂区牧町・瑞穂遺跡<br />年代:不明<br />その他:吉田富雄コレクション<br />

    名称:『高坏(たかつき):2点』
    出土:瑞穂区牧町・瑞穂遺跡
    年代:不明
    その他:吉田富雄コレクション

  • 名称:『甕』<br />出土:南区見晴台・見晴台遺跡<br />年代:弥生時代後期<br />その他:坪井コレクション

    イチオシ

    名称:『甕』
    出土:南区見晴台・見晴台遺跡
    年代:弥生時代後期
    その他:坪井コレクション

  • 名称:『長頸壺』<br />出土:南区見晴台・見晴台遺跡<br />年代:弥生時代後期<br />その他:明るい茶色をした、広口で長頸の壺です。弁柄(ベンガラ)で彩色したものかも知れません。

    イチオシ

    名称:『長頸壺』
    出土:南区見晴台・見晴台遺跡
    年代:弥生時代後期
    その他:明るい茶色をした、広口で長頸の壺です。弁柄(ベンガラ)で彩色したものかも知れません。

  • すでに紹介した高坏や壺など6点の土器の展示光景です。色の違いや、大きさ比較の参考にもなります。右端に見える説明プレートは『飾られた土器』のタイトルでしたから、単独で紹介しておきました。

    すでに紹介した高坏や壺など6点の土器の展示光景です。色の違いや、大きさ比較の参考にもなります。右端に見える説明プレートは『飾られた土器』のタイトルでしたから、単独で紹介しておきました。

  • 『飾られた土器』のタイトルがあった説明パネルの紹介です。壺や高坏には、文様や赤い色で飾られたものがあり、具体的は説明されていませんでしたが、かなり厳格なルールで文様は記されているようです。赤い色は、現代でも用いられている『ベンガラ(弁柄)』のようです。ベンガラは、『古くは弥生時代後期から古墳時代初頭にかけて濃尾平野を中心に生産された、赤彩を施した土器(パレススタイル土器とも呼ばれる)の彩色にも使われていた。(ウィキペディア)』、と紹介されていました。

    『飾られた土器』のタイトルがあった説明パネルの紹介です。壺や高坏には、文様や赤い色で飾られたものがあり、具体的は説明されていませんでしたが、かなり厳格なルールで文様は記されているようです。赤い色は、現代でも用いられている『ベンガラ(弁柄)』のようです。ベンガラは、『古くは弥生時代後期から古墳時代初頭にかけて濃尾平野を中心に生産された、赤彩を施した土器(パレススタイル土器とも呼ばれる)の彩色にも使われていた。(ウィキペディア)』、と紹介されていました。

  • 『土器の年代』:考古学的な土器の重要な役割が、『年代測定の物差し』になるようです。『土器を見ると、おおよその年代がを決めることが出来る』と解説されていました。土器の文様や形の移り変わりで、年代順に並べることが出来、放射性炭素の測定で、年代が特定できることが説明されていました。年代の物咲きは、数十年ほどの精度のようです。

    『土器の年代』:考古学的な土器の重要な役割が、『年代測定の物差し』になるようです。『土器を見ると、おおよその年代がを決めることが出来る』と解説されていました。土器の文様や形の移り変わりで、年代順に並べることが出来、放射性炭素の測定で、年代が特定できることが説明されていました。年代の物咲きは、数十年ほどの精度のようです。

  • 左が『尾張の弥生時代外観』、右が『弥生時代前期』のタイトルの説明パネルです。弥生時代は3区分を主体にした説明でした。高蔵遺跡は、海に面していたことから、弥生時代を通じて集落が営まれたようです。『弥生時代前期』は、名古屋市北部の沖積層が稲作に適していたことから、西志賀遺跡、堀越町遺跡、高蔵遺跡などが初期の環濠集落と紹介されていました。

    左が『尾張の弥生時代外観』、右が『弥生時代前期』のタイトルの説明パネルです。弥生時代は3区分を主体にした説明でした。高蔵遺跡は、海に面していたことから、弥生時代を通じて集落が営まれたようです。『弥生時代前期』は、名古屋市北部の沖積層が稲作に適していたことから、西志賀遺跡、堀越町遺跡、高蔵遺跡などが初期の環濠集落と紹介されていました。

  • タイトルはありませんが、『名古屋の地質と弥生遺跡』の説明図になるようです。名古屋北部・西部の沖積低地が薄い黄色で、市域中心部の大地が茶色で、東部の丘陵が緑で色分けされていました。その中に2000年前の海岸線が青い破線で記され、弥生遺跡が赤く記されていました。主な遺跡として、朝日遺跡、西志賀遺跡、高蔵遺跡、見晴台遺跡など8か所も表示されていました。

    タイトルはありませんが、『名古屋の地質と弥生遺跡』の説明図になるようです。名古屋北部・西部の沖積低地が薄い黄色で、市域中心部の大地が茶色で、東部の丘陵が緑で色分けされていました。その中に2000年前の海岸線が青い破線で記され、弥生遺跡が赤く記されていました。主な遺跡として、朝日遺跡、西志賀遺跡、高蔵遺跡、見晴台遺跡など8か所も表示されていました。

  • 名称:『条痕文系土器』『弥生土器・壺』<br />出土:北区西志賀町・西志賀遺跡<br />年代:弥生時代<br />その他:条痕がはっきりと目視出来ます。<br />

    名称:『条痕文系土器』『弥生土器・壺』
    出土:北区西志賀町・西志賀遺跡
    年代:弥生時代
    その他:条痕がはっきりと目視出来ます。

  • 名称:『弥生土器・壺』<br />出土:北区西志賀町・西志賀遺跡<br />年代:弥生時代<br />その他:西志賀遺跡は、古くから貝塚として知られていたようですが、1947年(昭和22年)には東京大学が、翌年には名古屋大学・明治大学、1953年(昭和28年)には日本考古学協会がそれぞれ大規模な調査を実施し、弥生時代前期の遺物が大量に出土しました。

    名称:『弥生土器・壺』
    出土:北区西志賀町・西志賀遺跡
    年代:弥生時代
    その他:西志賀遺跡は、古くから貝塚として知られていたようですが、1947年(昭和22年)には東京大学が、翌年には名古屋大学・明治大学、1953年(昭和28年)には日本考古学協会がそれぞれ大規模な調査を実施し、弥生時代前期の遺物が大量に出土しました。

  • 名称:『甕』<br />出土:北区西志賀町・西志賀遺跡<br />年代:不明<br />その他:小栗氏による遺物は、愛知県庁に保管されていましたが、他の遺物とともに処分されることになりました。しかし、小栗氏が東京帝室博物館・徳川美術館に寄付することで、その難を逃れました。西志賀遺跡の遺物は、小栗氏が個人的に保管することになり、後に名古屋市博物館に寄贈・寄託されました。現在は『小栗コレクション』と冠されて展示されています。

    名称:『甕』
    出土:北区西志賀町・西志賀遺跡
    年代:不明
    その他:小栗氏による遺物は、愛知県庁に保管されていましたが、他の遺物とともに処分されることになりました。しかし、小栗氏が東京帝室博物館・徳川美術館に寄付することで、その難を逃れました。西志賀遺跡の遺物は、小栗氏が個人的に保管することになり、後に名古屋市博物館に寄贈・寄託されました。現在は『小栗コレクション』と冠されて展示されています。

  • ○『弥生時代中期』の説明パネルの紹介です。弥生時代は、従来は、前期、中期、後期の3期でしたが、最近の研究では600年ほど時代が遡り、早期(紀元前1000年~紀元前400年)を含む4期とする時代区分が主力になったようです。この4区分における『中期』は、(紀元前400年~紀元後100年)となります。中期では土器が『櫛描文系』でしたが、西日本から『凹線文系』がもたらされたようです。

    ○『弥生時代中期』の説明パネルの紹介です。弥生時代は、従来は、前期、中期、後期の3期でしたが、最近の研究では600年ほど時代が遡り、早期(紀元前1000年~紀元前400年)を含む4期とする時代区分が主力になったようです。この4区分における『中期』は、(紀元前400年~紀元後100年)となります。中期では土器が『櫛描文系』でしたが、西日本から『凹線文系』がもたらされたようです。

  • 名称:『弥生土器・壺』<br />出土:北区西志賀町・西志賀遺跡<br />年代:弥生時代<br />その他:『遠賀川式土器』とも呼ばれます。西日本に分布する弥生時代前期の土器の総称とされます。

    名称:『弥生土器・壺』
    出土:北区西志賀町・西志賀遺跡
    年代:弥生時代
    その他:『遠賀川式土器』とも呼ばれます。西日本に分布する弥生時代前期の土器の総称とされます。

  • 『櫛描き文を特徴とする弥生時代中期前半の土器:3点』<br />○右端の『甕』:北区西志賀町・西志賀遺跡出土:吉田富夫コレクション<br />○中央の『鉢』:岩倉市曽野町:曽野遺跡出土<br />○左端の『壺』:北区西志賀町・西志賀遺跡出土:吉田富夫コレクション<br />

    『櫛描き文を特徴とする弥生時代中期前半の土器:3点』
    ○右端の『甕』:北区西志賀町・西志賀遺跡出土:吉田富夫コレクション
    ○中央の『鉢』:岩倉市曽野町:曽野遺跡出土
    ○左端の『壺』:北区西志賀町・西志賀遺跡出土:吉田富夫コレクション

  • 名称:『広口壺』<br />出土:岩倉市大地町・大地遺跡<br />年代:弥生時代(推定)<br />その他:『条痕文系土器』らしい筋が見えます。黒っぽい色や文様などに、縄文土器の影響を強く残しているようです。

    名称:『広口壺』
    出土:岩倉市大地町・大地遺跡
    年代:弥生時代(推定)
    その他:『条痕文系土器』らしい筋が見えます。黒っぽい色や文様などに、縄文土器の影響を強く残しているようです。

  • ○『西志賀遺跡』:庄内川左岸の標高3~4メートル程度の微高地に発達した遺跡です。行政地名では西区貝田町から北区西志賀町をその範囲とします。近隣には、北西に約5キロの位置に東海地方最大級の弥生時代集落遺跡である朝日遺跡、北に約3キロに月縄手遺跡、南南西約2.2キロに名古屋城三の丸遺跡が所在します。また、ごく隣接して志賀公園遺跡、平手町遺跡が別の遺跡として認識されています。当遺跡の特徴のひとつとして、弥生時代の大規模貝塚を擁していることが挙げられます。全国的にも弥生時代の貝塚の出土例は多くなく、また、遠賀川式土器の東限であることから、学術的にも注目される遺跡です。

    ○『西志賀遺跡』:庄内川左岸の標高3~4メートル程度の微高地に発達した遺跡です。行政地名では西区貝田町から北区西志賀町をその範囲とします。近隣には、北西に約5キロの位置に東海地方最大級の弥生時代集落遺跡である朝日遺跡、北に約3キロに月縄手遺跡、南南西約2.2キロに名古屋城三の丸遺跡が所在します。また、ごく隣接して志賀公園遺跡、平手町遺跡が別の遺跡として認識されています。当遺跡の特徴のひとつとして、弥生時代の大規模貝塚を擁していることが挙げられます。全国的にも弥生時代の貝塚の出土例は多くなく、また、遠賀川式土器の東限であることから、学術的にも注目される遺跡です。

  • ○『朝日遺跡』:『朝日遺跡(あさひいせき)』は、 愛知県清須市と名古屋市西区にまたがる弥生時代の東海地方最大級の環濠集落遺跡です。その範囲は東西1.4キロ、南北0.8キロ、推定面積は80~100万平方メートルにも及びます。全国でも屈指の規模です。弥生時代における最盛期の人口は、約1,000人と推定されています。発掘調査は、昭和4年(1929年)から貝殻山貝塚を皮切りに開始されました。その後、個人の研究者の発掘調査が行われ、貝塚の発掘と史跡の指定などもされています。その後、名古屋環状2号線(国道302号)および清洲ジャンクションの建設工事が開始された昭和47年(1972年)から、区域を広げ大規模な発掘が行われましたが、遺跡保存への効果は分かりません。

    ○『朝日遺跡』:『朝日遺跡(あさひいせき)』は、 愛知県清須市と名古屋市西区にまたがる弥生時代の東海地方最大級の環濠集落遺跡です。その範囲は東西1.4キロ、南北0.8キロ、推定面積は80~100万平方メートルにも及びます。全国でも屈指の規模です。弥生時代における最盛期の人口は、約1,000人と推定されています。発掘調査は、昭和4年(1929年)から貝殻山貝塚を皮切りに開始されました。その後、個人の研究者の発掘調査が行われ、貝塚の発掘と史跡の指定などもされています。その後、名古屋環状2号線(国道302号)および清洲ジャンクションの建設工事が開始された昭和47年(1972年)から、区域を広げ大規模な発掘が行われましたが、遺跡保存への効果は分かりません。

  • 名称:『壺』<br />出土:南区見晴町・見晴台遺跡<br />年代:弥生時代<br />その他:飯尾恭之コレクション

    名称:『壺』
    出土:南区見晴町・見晴台遺跡
    年代:弥生時代
    その他:飯尾恭之コレクション

  • 『凹線文を特徴とする(弥生時代)中期後半の土器』の展示光景です。凹線文の説明のため、土器の底に鏡が置かれていました。右手に穴が開いた土器が二つ展示されていますが、『円窓付き土器』と呼ばれ、弥生時代中期から後期にかけて出現しました。その円窓の目的は、現在も確定していないようです。

    『凹線文を特徴とする(弥生時代)中期後半の土器』の展示光景です。凹線文の説明のため、土器の底に鏡が置かれていました。右手に穴が開いた土器が二つ展示されていますが、『円窓付き土器』と呼ばれ、弥生時代中期から後期にかけて出現しました。その円窓の目的は、現在も確定していないようです。

  • 少しズームアップした『凹線文を特徴とする(弥生時代)中期後半の土器』の展示光景です。中央やや左手の土器の底あの文様が鏡に映し出されていました。

    少しズームアップした『凹線文を特徴とする(弥生時代)中期後半の土器』の展示光景です。中央やや左手の土器の底あの文様が鏡に映し出されていました。

  • 『弥生時代後期』の説明パネルの紹介です。弥生時代後期には、台地上に数多くの集落が営まれ、瑞穂遺跡、見晴台遺跡、高蔵遺跡などが名古屋の代表的な遺跡として残されました。中国の銅銭や銅鏡が出土していますが、西日本との関連でもたらされたものと推測されていました、華麗な『パレススタイル』の土器が出現したのも後期のようです。

    『弥生時代後期』の説明パネルの紹介です。弥生時代後期には、台地上に数多くの集落が営まれ、瑞穂遺跡、見晴台遺跡、高蔵遺跡などが名古屋の代表的な遺跡として残されました。中国の銅銭や銅鏡が出土していますが、西日本との関連でもたらされたものと推測されていました、華麗な『パレススタイル』の土器が出現したのも後期のようです。

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