2019/12/01 - 2019/12/01
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旅人のくまさんさん
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熱田・白鳥の紅葉散策、締め括りは熱田神宮です。その前に、歩いて順路となる『白鳥古墳(御陵)』と『白鳥山・法持寺』を見学しました。熱田神宮社伝では『日本武尊(やまとたける)』の御陵とされている古墳です。
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堀川と、左手に見える名古屋国際会議場の方面の光景です。この国際会議場は、1989年(平成元年)に名古屋市制100周年を記念して開催された、世界デザイン博覧会で建設・設置された白鳥センチュリープラザを再利用して1990年(平成2年)に設置されました。
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今日の最後の見学地の熱田神宮の前に立ち寄った、『白鳥古墳(しろとり:しらとりこふん)』です。 熱田神宮 では『白鳥御陵』と称されています。 6世紀初頭に築造されたと考えられている前方後円墳です。法持寺のすぐ隣に位置し、かつては法持寺が管理していましたが、1876年 (明治 9年)からは熱田神宮に、戦後は名古屋市に管理が移されました。(ウィキペディア)
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『白鳥古墳』の正面光景です。先ほど紹介した法持寺は、この位置からは古墳の反対側になります。研究者などによれば、白鳥古墳は尾張氏の首長墓と考えられていますが、熱田神宮社伝では『日本武尊(やまとたける)』の陵としています。(同上)
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入口付近にあっ石碑の光景光景です。『白鳥』らしい文字があったようですが、きちんと確認はしていません。白鳥古墳は、全長70メートルなどとされますが、これらは1951年(昭和26年)に名古屋大学が調査測量を行った際の数値とされます。しかし前方部南端は道路建設で、後円部の東側は鳥居の建設などで、また西側も法持寺の移転改築などに伴って墳裾部が掘削されており、元々の形を留めていません。前述の調査で前方部が削平されている可能性が指摘されているほか、墳丘東側に幅5メートルほどの平坦面があったことから、2段築成であった可能性もあるとされます。(同上)
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イチオシ
墳丘には須恵質の円筒埴輪が巡らされていた。また、かつては墳丘の東側から北西側にかけて幅10メートルほどの周濠があったと推定されていますが、現在では確認できない状態となっています。(同上)
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名古屋市教育委員会名で、『白鳥古墳(白鳥御陵)』のタイトルがあった立て看板の光景です。 6世紀初頭に築造されたと考えられている前方後円墳であることや、熱田神宮社伝で『日本武尊(やまとたける)』の御とされていることを踏まえた説明でした。(同上)
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『白鳥古墳(御陵)』の周りで咲いていた、赤い椿の花の光景です。山茶花だったかも知れません。天保8年(1837年)8月の台風の際に陵上の樹が倒れて、内部の石室が露出したことがあったようです。『尾張名所図会』附録2巻によれば、石室は全長約3.7メートル、全幅1.2-1.5メートル、深さ1.5-1.8メートルの石垣組みで、5枚の蓋石によって覆われていたとされます。(同上)
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反時計回りに、『法持寺』がある方面に向かう途中の光景です。天保8年(1837年)8月の台風被害の折、法持寺の僧侶の手によって一旦取り出されましたが、寺社官への言上・評議の結果、石室へ戻され、墳丘も旧状へと復したと伝わっています。その際に形状や数などが記録されました。(同上)
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『尾張名所図会・白鳥山・法持寺』のタイトルの説明パネルの紹介です。天保8年(1837年)8月の台風被害の折に確認された『白鳥古墳(御陵)』の副葬品です。
○銅鏡:六鈴鏡
○馬具:楕円形鏡板、f字形鏡板、劍菱形杏葉、鐘形杏葉、辻金具
○その他:双魚形腰佩
○武器:直刀、鉾、小刀
○玉類:勾玉、切子玉、管玉
○須恵器:器台付三連坩、子坩四個脚付短頸壷、付小坩、高坏、蓋類、器台
(同上) -
右から読んで、最初の文字が分かりませんでしたが『白鳥山』らしい文字が記されている三門の扁額の光景です。古墳は、尾張氏の首長墓と考えられていますが、熱田神宮社伝では、日本武尊の御陵としています。これは、三重県亀山の『能褒野(のぼの)』に葬られてのち、白鳥となった日本武尊が当地に降り立ったという伝承に基づくものです。(同上)
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イチオシ
『白鳥山・法持寺』の本堂光景です。熱田神宮では、北方約300メートルにある『断夫山古墳』を『陀武夫御墓』と称して日本武尊妃の『宮簀媛(みやずひめ)』の墓とし、現在も毎年5月8日に白鳥古墳と断夫山古墳とにおいて御陵墓祭が行なわれているようです。(同上)
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白鳥御陵の東北に位置するお寺です。『龍珠禅寺』らしい文字が刻まれた石標がありました。熱田区幡屋に位置する『臨済山・龍珠寺(りゅうしょうじ)』は、永正年中(1504~1521年)の創建で、御本尊は、木像釈迦如来立像と釈迦牟尼仏立像とされます。当初熱田湊の玄関口、神戸町に在って龍珠庵と称した後、天文元年(1532年)、官許を得て臨済山・龍珠寺と号するようになりました。(同上)
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『諸悪莫作衆善奉(しょあくまくさ・しゅぜんぶぎょう)』の金文字が刻まれた石標の光景です。『龍珠禅寺』の塀の脇にありました。『全ての悪は行わず、全ての善は行うべし』の意味とされます。『誰でも知っているのに、実際は非常に難しい』、『頭の中でわかっていても、実際に行動に移すことは難しい』などと解されています。『千利休(1522~1591年)』が弟子の一人と話しをしていた時に、笑嶺和尚(しょうれいおしょう:1505?~1584年)』)が引用した言葉としても知られます。笑嶺宗訢和尚は大徳寺107世で、信長が本能寺の変で亡くなった時、家臣の柴田勝家と羽柴秀吉による葬儀が別々に行われました。このとき秀吉の主導した葬儀は大徳寺で行われ、宗訢和尚が導師をつとめました。(同上)
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右から読んで、『臨済山』の山号が記された扁額です。現在の公式サイトには、『永正10年(1513年)頃、『南溟紹化(なんめいじょうか)禅師:1473~1562年』によって開かれました』と紹介されていました。紹化和尚は、玉浦宗珉師に参し32歳の時に跡を継いだようです。織田氏の士卒に捕われましたが、その博識を知った戦国武将の加藤延隆により解き放たれ、龍珠寺を開基しました。(同上)
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龍珠禅寺の境内光景です。戦国武将の『加藤延隆(1486~1571年)』は、『隼人佐と称す。後入道して全朔と号す。図書助景繁の第二子なり。荒子城主前田利家の姉を娶る。西加藤の祖なり。熱田大瀬子に住す。甞て南溟和尚を鳥目一貫文にて買取り、天文元年、請じて一寺を建立す。今の龍珠寺是れなり。』と紹介されていました。(同上)
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『加藤延隆』の略歴紹介が続きます。元資料は、「名古屋市史」です。『弘化二年、堯[王愈]権大僧都を請して市場町に喜見寺を開基す。天文八年・十二年織田信秀及び逵勝より諸役免許の證書を賜はる。紹巴の富士見道記に「熱田に入りて急きけるは加藤全朔駿河へ下りけるを延引しての会とて、度々迎ひのあればなり。露わけは分れを思へ宇津の山」と見えたり。元亀二年七月四日卒す。』(同上)
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『加藤延隆』の略歴紹介の締め括りです。『龍珠寺桃溪全朔と諡す。二子あり。長子資景家を継ぐ。次子元隆、別家を起す。』と纏められて纏められていました。墓碑銘は『龍珠寺殿桃渓全朔居士』、生没年から逆算しますと、85歳でした。90歳近くまで生きた、『南溟紹化禅師:1473~1562年』の長命にあやかったのかも知れません。写真は、玄関の唐破風光景です。(同上)
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龍珠禅寺の境内の庭木の紹介です。『五葉松(ごようまつ)』のような庭木ですが、手入れが行き届いていることが見て取れました。五葉松は、マツ科マツ属の植物で、日本の固有種です。本州の東北地方東南部、四国、九州に分布し、山地に生え、変種に『ヒメコマツ(姫小松)』があります。(同上)
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右手の石標には、寺社を表すらしい「卍」の記号の下に『弘法大師』の金文字がありました。左手は、石標とセットになった椿か、杜若らしい樹木の光景です。「卍」は、地図記号の「寺院」にも使われていますが、卍はもともと吉祥を表す記号で、その形は「インドの神様の胸にある渦巻いた胸毛」に由来し、これが仏教に入って「菩薩の胸に現れた仏心」を表すとされたようです。(同上)
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振り返って眺めた、『白鳥山・法持寺』と『臨済山・龍珠寺』の建物光景です。正面やや左側が『白鳥山・法持寺』の山門、右手が『臨済山・龍珠寺』の白塀と、その上に顔を覗かせた建物です。山門の後方から左手が『白鳥古墳(御陵)』の杜です。(同上)
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今日の最後の見学場所、熱田神宮の杜の光景です。紅葉した木々が夕日に映えていました。右手の下部に見えているのが、見学の後に利用予定の地下鉄名城線の神宮西駅です。熱田神宮の西北角付近に位置します。(同上)
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熱田神宮の摂社の一つ、『下知我麻神社(しもちかまじんじゃ)』の鳥居の光景です。この神社は、熱田神宮の南、西、東のどの鳥居から入っても、いったん外へ出ないと行けない場所にあります。江戸時代はに、『紀大夫社(きたゆうしゃ/きだゆうしゃ)』と呼ばれていたようです。(同上)
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熱田神宮の摂社の一つ、『下知我麻神社(しもちかまじんじゃ)』の案内立札です。祭神は『真敷刀俾命(ましきとべのみこと)』とされます。立札には、『ミヤズヒメ(宮簀媛)の母神』と紹介されていました。『知我麻(チカマ)』は、千の竈の千竈(チカマ)から来ているとする説があります。同じく摂社の『上知我麻神社』は、神宮境内の西南角付近に位置します。(同上)
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イチオシ
熱田神宮の『西の鳥居』の光景です。草薙剣と縁の深い熱田神宮ですが、縁の深い神々は、相殿神として祀られている、次の五柱です。
○天照大神(あまてらすおおかみ)、○素盞嗚尊(すさのおのみこと)、○日本武尊(やまとたけるのみこと)、○宮簀媛命(みやすひめのみこと)、○建稲種命(たけいなだねのみこと)。(同上) -
熱田神宮の境内の鬱蒼とした参道光景です。相殿神として祀られている五柱と、草薙剣との縁の紹介です。『素盞嗚尊(サウサノオノミコト)』は、ヤマタノオロチ退治の際に、ヤマタノオロチの尾の中から草薙剣を発見し、『天照大神(アマテラスオオミカミ)』に献上しました。天照大神は、その草薙剣を天孫降臨の際に『迩迩芸命(ニニギノミコト)に授けました。(同上)『
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熱田神宮の中に位置する鳥居の光景です。日本武尊(ヤマトタテルノミコト)』は、草薙剣を持って蝦夷征伐を行い、妃の『(ミヤズヒメノミコト)』宮簀媛命に預けました。宮簀媛命は、熱田の地に草薙剣を祀りました。『建稲種命(タケイナダネノミコト)』は宮簀媛命の兄で、日本武尊の蝦夷征伐に副将として従軍しました。
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薄暗くなってしまいましたが、熱田神宮の拝殿光景です。『熱田神宮(あつたじんぐう)』は、名古屋市熱田区神宮にある神社で、三種の神器の一つとされる『草薙剣(くさなぎのつるぎ)』を祀る神社として知られます。主祭神は、『熱田大神(あつたのおおかみ)』です。(同上)
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織田信長が、熱田神宮に寄進した『信長塀』です。永禄3年(1560年)、信長は桶狭間の戦い出陣の際、熱田神宮に願文を奏して大勝しました。そのお礼として奉納した瓦ぶきの築地塀です。信長塀は土と石灰を油で練り固め、瓦を厚く積み重ねて作られています。当時は全長400メートルあったといわれますが、現在は120メートル程です。西宮神社の大練塀、三十三間堂の太閤塀と並ぶ日本三大土塀です。(同上)
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『信長塀の紹介』の続きです。永禄3年(1560)5月19日未明、織田信長は桶狭間の戦いに赴く際、ここ熱田神宮で戦勝祈願を行いました。そして祈願を終えた信長は、わずか3,000の手兵を率いて、田楽狭間(桶狭間の北方1.5キロ)で休息中の今川義元の本陣を急襲し、戦勝を納めました。その戦勝のお礼に寄進した築地塀が『信長塀』と呼ばれ、現在は国の重要文化財です。(同上)
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織田方3,000の兵の中には、熱田神宮を守る神兵も参加していました。信長が熱田に軍を集結したのは、戦勝祈願とともに、その援助を得るためでした。「熱田の神兵が加わったから、熱田大神が雷雨を降らせて、織田に味方をした」という伝説が今も残ります。(同上)
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