2007/10/10 - 2007/11/01
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Black7さん
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この旅行記のスケジュール
2007/10/21
-
バスでの移動
スプリット〜モスタル
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<秋の紅葉シーズンに、チェコ・プラハから、
モンテネグロ・コトルまで南下&南ドイツを旅した備忘録です。
クロアチアをメインに、各国の首都を訪れます>
10/ 9-10 プラハ (チェコ)
11 ブラチスラバ (スロバキア)
12 ウィーン (オーストリア)
13-14 ブタペスト (ハンガリー)
15-17 リュブリャナ (スロベニア)
18-19 プリトビッツェ (クロアチア)
20 スプリト ( 〃 )
21 モスタル (ボスニア・ヘルツェゴビナ)
22-25 ドブロブニク (クロアチア)
23-24 コトル (モンテネグロ)
27 シュトゥットガルト (ドイツ)
26-31 ミュンヘン ( 〃 )
「世界遺産」の番組で観て、
「いつか行ってみたい!」の衝動に駆られた、ボスニアの「モスタル」。
クロアチアからのアクセスは良いものの、
当時は、ボスニア紛争が終結してまだ11年ちょっと・・
クロアチアでさえ、
ようやくヨーロッパからの観光客が増えてきた頃で、
モスタルは、観光客がほぼいない状態でしたが、
そこでは貴重な経験と出会いがありました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
スプリットからドブロブニクへ陸路で行かれた方は、
一時的にボスニア・ヘルツェゴヴィナの領地を通過するのですが、
多くの方は、ボスニアは素通りだけのことが多いよう。
けれど、前から行ってみたかった「モスタル」。
ここは、きっちり寄っておかなければ! -
モスタル行きのバスは、アドリア海沿いの道からそれて、
やがて内陸部へと入って行きます。
81クローネ(約1900円) -
内陸部へと入ると、天気のせいもあるのか、
何かどんより重い雰囲気と風景。
今まで、連日、快晴だったのに~
どこか寂しげな景色と、さらになぜか感じる「負のオーラ」・・
イメージは「ドラクエ」に出てくる、「廃墟の村」のよう・・
そして時々、いくつもの十字架の墓地を見かけることも・・ -
国境検問では、軍服の軍人さんが、車内にチェックしにきました。
どうやら観光客らしき人物は自分だけ?
でも、何事もなく無事に通過~ ε=( ̄。 ̄;)フゥ
バスの席が隣だった御婦人は、流暢な英語を話される方で、
どうやら以前、モスタルに住んでおられた方のよう。
「観光でいらっしゃったの?どこから?」
みたいな会話をし、
なんとその後、ホテルまで案内してくださることに。
が、予約してあるホテルは門が閉まっており、入れない・・
オーナーが帰ってくるまで、観光にも付き合ってくださいましたー
まずは、ここ「トルコの家へ」 -
ここはオスマントルコ統治時代に、
トルコ人の大地主の家族が住んでいたという家。
本当は、内部の部屋も見学できるのですが、この時は時間外。
御婦人が管理人に、
「ちょっとだけ中に入らせて~」と、
無料で中庭まで入らせてもらいました。さすが、地元パワー。
左下の写真が、その御婦人。
「私のことも一緒に写真に撮りなさい」とボーズをとられたので、
撮らせていただきましたー -
その後は街中を散策。
こんなデザインのマンションなんかもあります。
散策の途中で、御婦人が紛争でのことについて話してくださいました。
この紛争は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ独立の際に起きた内戦ですが、
次第に、3つの民族同士で争う「民族浄化」という恐ろしい泥沼状態に。
お話しでは、違う民族の人と結婚することは普通にあることで、
たしか息子さんのお嫁さんや親族の中にも違う民族の方はいて、
以前は別に、民族関係なく一緒に生活していたとか。
それが、内戦で争う状態になり、家族や親族内同士で争う訳もなく、
国を逃げ出すしかなくなってしまった人も多いんだとか。
「ここが従兄弟家族が住んでいたマンションで、(誰かが)
亡くなってしまったのよ」と、寂しそうに教えてくださいました。
「途中、バスの車窓から見えた、
たくさんの墓地も全部内戦で亡くなった人たちのもの」、
「争いは本当に愚かだ」と、怒ったようにおしゃっておられました。
やはり当事者としては、外国の人たちにも知ってほしいから、
案内してくださったり、話してくださったと思うのですが、
感想を聞かれても、自分の語学力ではうまく伝えられなく、
とっても、もどかしく、残念だったのを覚えています。 -
少しカフェで休憩することにして、
案内してくださったお礼に、名物「チェバプチチ」を、
ごちそうさせて頂くことにしましたー
トルコ料理のケバブにも似ていて、
ひき肉のソーセージ?ミニハンバーグ?のことで、
バンズに挟んで食べるのが、ボスニアスタイルのよう。
なかなか美味し。
食事中に、予約してある宿に電話をかけてもらうと、
宿のオーナーが店に迎えに来てくれるとのこと。
やってきた物静かなおじさんは、御婦人に、
「何やってんの!ちゃんといなきゃダメでしょ!」みたいに
怒られていましたが、顔見知りなのか、少し座って一緒におしゃべり。
御婦人はこの後、ご家族に会いに行くらしく、
お礼を言って、ここでお別れをしました。
この時はうまく言えなかったけれど、
その後、旧ユーゴの内戦にも興味を持ち、調べたり
後にコソボなど、再びバルカン半島を訪れるきっかけとなりました。
御婦人、貴重なお話、ありがとうございました~! -
さて、オーナーのおじさんと一緒にホテルへと向かいます。
今回泊まってみたくて、予約しておいたホテルは、
オスマントルコの伝統的な邸宅で、
博物館としても利用されているホテル。
「ボスニアン ナショナル モニュメント ムスリベゴヴィック ハウス」(長っ)
なので、門が閉まっていたのでした。
宿泊客は中を自由に見学できます。ボスニアン ナショナル モニュメント ムスリベゴヴィック ハウス ホテル
-
内部は、手入れされたお庭と、
木で造られた、素晴らしいトルコ様式のデザインの家具やお部屋。
さっき、御婦人に怒られたとは思えない程のドヤ顔で、
オーナーのおじさんは、いろんな部屋を案内してくれました。 -
泊まった部屋にはヒーターも。
日に日に、朝晩は寒くなってきていたので、有り難い。
TVは無いが、トイレ&シャワー付き。
シンプルながら、この旅1番のおしゃれなお部屋かも。
夜は、静かに読書で過ごそう~ -
でも、部屋でじっと1人は寂しいので、早速再び散策へ。
街中には、生々しい砲弾の跡が残ったビルなどを、
たくさん見かけました。
これは、戦争の記録として残している訳ではなく、
ただ単に修復できていなく、そのままになっているそう。
案内してくれた御婦人も、
「これらすべて、戦争で壊されちゃった跡なのよ」
と言っておられました。
まだモスタルに戻ってない人も多いらしく、
10年足らずじゃ、内戦の傷が癒えるわけはないですよね。 -
この建物も、外観はあるけど、中は廃墟。
こういった建物、結構多かったです。
今はどうなっているのかなー?
廃墟前には若者も。
女の子だからいいものの、アジア人が珍しいからか、こちらをチラチラ。
経済も悪そうだから、気を付けなくては! -
「コスキ メフメド パシャ モスク」
入場料が必要で、今回はスルー
夜にはライトアップも -
「古都モスタル」は、「ヘルツェゴビナ」の中心的な都市で、
「橋の守人」という意味があるそうです。 -
そんな由来になる程、見てみたかった有名な石橋、
「スターリ・モスト」が見えてきましたー
やったー!見たかった橋が目の前に~
そしてここでようやく、
2組程、観光客を見かけて、ちょっとホっとする。 -
橋付近には、お土産屋さんが並んでいますが、
閑散としすぎていて、逆に入りにくい・・ -
1993年には内戦で、一度は破壊されてしまった「石橋」
川の東側がムスリム人、西側がクロアチア人、郊外にはセルビア人と
住み分けがされていた「モスタル」の街ですが、
この橋が落ちることは、
さらに民族同士を、物理的にも分断するということ。
しかし終戦後、2004年には再建。
橋がなくても行き来は可能ですが、
多民族・多文化の共生や和解の象徴としても再建したんだとか。
ある意味、平和への架け橋ともいえますね
その後、モスタル旧市街、古橋地区は、
2005年に世界遺産に登録されました。
でも観光名所として、観光客は渡るものの、
紛争後の各住民同士の往来は、まだかなり少ないとか。 -
橋の上はこんな、なだらかな階段になっていましたー
普通の道路だと思われていた方、多いのでは?
結構、勾配もあり、雨だと滑りやすそうです。
全長が30m。
手すりが低いので、川に落ちたり、飛び込まないよう、
柵ができていました -
モスタルの街の中央を流れる、全長220kmの「ネレトヴァ川」
エメラルドグリーンのきれいな川で、
ほとんどがボスニア・ヘルツェゴヴィナ内を流れています -
反対側には、川沿いにモスク。
-
橋から見る、川沿いの崖の上に並んで立つ建物
さっき歩いてきた所ですねー
よーく見ると、やっぱり所々に、内戦の傷跡が・・
空も山も建物も、全体的に色が灰色なので、
なんか余計に重い雰囲気に感じちゃいます。 -
橋の両側には塔があり、中に入れたらしい
-
ここで、1人のストリートチルドレンの男の子に、
お金の物乞いをされました。この旅では、初めて。
かわりに持っていたお菓子をあげようとしたら、
「お金がいい」とのこと。
クロアチアではなかった、この光景。
観光で潤い始めているクロアチアに比べ、
ここはまだまだ復興したとは言えない様子。
「そうだ、忘れちゃいけない、
ここはまだ終戦11年ちょっとの場所だった・・」と感じた瞬間。 -
さらに進むと、石橋のミニチュア版、「クリヴァ チュプリヤ」。
旅行者なので、クロアチア人側にも、
別に気にせず、自由に行き来し、観光することはできます。
でも、人が少なく観光しやすいが、ちょっぴり寂しい。
もう秋だから? -
再び「石橋」に戻ってきましたー
毎年夏には、この橋から、
伝統的な高飛び込みの大会が行われています。
17世紀から続いている歴史ある大会なんだとか。
水面まではなんと約24m。 ヒエッ-!! ( >ω<ノ)ノ -
飛び込んだ際の衝撃が、かなり凄そうですね。
意外と川底が浅く、しかも水温も冷たいので、
かなり危険なんだそう。
自分には絶対無理だな~
ある意味、バンジーより怖いかも・・ -
下から見ても、左右対称、
そしてアーチだけで支えてる、
見事な美しい造りの橋だな~ (゚ー゚)(。_。)ウンウン
やがてポツポツと、ライトアップも~ -
橋すぐ横の家は、瓦礫の廃墟になってました。
橋付近も激戦地だったことが伺えます。 -
暗くなると、さらに人通りが少なくなり、
ちょっぴり不安。
この変わったデザインの廃墟。(下の写真)
やはり天井部分が破壊されて、もはや使われていませんでしたが、
googleで調べたら、かつてデパートだったそう。 -
さて、夕食は、やはり名物を食べたいということで、
開いていたレストランで、「サルマ」などの、
ボスニア料理の盛り合わせを食べてみましたー
ロールキャベツみたいな感じ。 -
とっても素敵な街で、良い人にも出会えたはいいのですが、
内戦跡を見たり、話を聞いてたので、ちょっぴり悲しい気分。
「これは飲まずにいられない」ということで?ビールを注文。
どうやら地元「モスタル・ビール」。
料理に良く合うー ( ̄ノ日 ̄) グビグビ
変わった栓が付いていて、開け方にちょっぴり苦戦。
「そうか、全部飲みきれなかったら、また栓をしとけばいいのか?」
って、それはビールなので、ダメでしょう~
おそらく瓶は、再利用するのかな? -
帰り際、再度、ライトアップされた「石橋」を見に行きましたー
泊まらないと、おそらく見れないライトアップ。
明るく照らされて、素敵なのだが、
またしてもコンデジでは、固定して撮っても、う~ん、イマイチ。 -
もうこの時間は、たまに人を見かける程の少なさ。
川辺に下りて撮ろうかとも考えましたが、
暗かったので、やめましたー
ほろ酔い状態で、廃墟などが多い暗い夜道を、
1人でホテルへ帰るのは、ちょっと心配・・
まあ、襲われそうになったら、
必殺「酔拳」で追っ払うしかないかー -
そんな「酔拳」を披露する必要もなく、
無事にホテルへ戻って、夜は静かに部屋でのんびり。
翌朝、トルコ式の素敵なホール・・の隣の部屋で、 -
本当に簡単な朝食を、おじさんが作ってくれました。
自分以外には泊まっていなかった模様。
とても素敵な雰囲気の街だったけれど、
どこか物悲しさも感じた「モスタル」。
橋も見事な造りで、その橋にまつわる背景も、
ある程度知った上で行きましたが・・
今は観光名所で、収入源となっている「石橋」も、
地元の人たちにとっては、色んな複雑な想いがある「石橋」なんだな
と、訪れて改めて思いました。
少しずつ、内戦や民族同士の複雑な感情がなくなっていけば
良いのですが・・
短い滞在でしたが、とても記憶に残る街でした。
次は、再びクロアチアに戻り、
もう一つの有名所、「ドブロブニク」へと向かいます。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- sanaboさん 2021/10/15 13:56:46
- モスタル
- Black7さん、
掲示板では、はじめまして^^
実は昨年、Black7さんとは逆の北上ルートでクロアチアを巡る予定でしたので
密かに(?笑)旅行記を楽しませていただいております。
モスタルも訪問予定でしたが、Black7さんが訪問されたのは
ボスニア紛争が終結してからまだ10年余りの頃だったのですね。
建物外壁の砲弾の跡が本当に生々しいですね。
今は綺麗に修復されているのでしょうか…
今やバカンスシーズンには大賑わいのスターリ・モスト界隈ですが
当時は(秋だったせいもあるのか)観光客も少なく、街や人々の心の傷も
十分に癒えてなかったのだろうなあと思いながらお写真を拝見しました。
私自身、旅程をあれこれ考えながら作成するのが大好きなので
人様の旅程を拝見するのも大の楽しみなのです。
プラハから始まりミュンヘンで終わった旅のルートを頭の中で辿りながら
コトルからシュトゥットガルトへの移動はやっぱり飛行機かしらなどと
想像しながら勝手に楽しませていただきました^^
続編も楽しみにしています♪
sanabo
- Black7さん からの返信 2021/10/15 23:44:57
- RE: モスタル
- sanaboさん、はじめまして☆
備忘録の昔の旅行記ですが、ご覧下さり、ありがとうございます!
sanaboさんは、クロアチアを北上される予定だったのですね。
しかも、モスタルも訪問予定だったとは!
スルーされる方も多いですが、バルカン半島の中でも、
独特の雰囲気があって素敵な街でした。
行った当時は、たくさんの観光客を受け入れることよりも、
紛争からの復興、爪痕の方が印象に残ってしまう感じでしたが、
最近はだいぶ華やかな雰囲気になってきたみたいですね。
一部は、紛争の跡をわざと残したりしているようですが。
あれからさらにどんな風に、街や人の雰囲気が変わったのか、
sanaboさんが訪れて、旅行記にしてくださるのを楽しみにしています。
クロアチアのイストラ半島には、以前に行かれてたんですね。
アドリア海沿いの街も素敵ですし、大自然もあって、
また訪れてみたい好きな国ですが、近年は人気のため、
昔よりかなり物価が上がってそうなのが、心配ですねー。
ドイツへは、お察しの通り、飛行機で飛びました。
sanaboさんもおそらく訪れる予定であろう、
ドブロブニクやコトルもUPしますので、
また続編も見ていただけたら、うれしいです!
いろんな素敵なヨーロッパの街にもたくさん行かれてるようで、
そちらも拝見させていただきますね☆
Black7
-
- akepi48さん 2021/10/12 00:00:17
- マル・マル・モリ・モリ♪
- Black7さん、こんばんはー。
今回、全編、脳内BGMは
「栄光への架け橋」で拝読しました。
スターリ・モストは
階段状になった「錦帯橋」方式なのですねー。
滑る云々より歩幅が合わなそうだわー。
御夫人との出会いがあって
美しい橋もまた違った風に見えましたね。
旧ユーゴの内戦を調べたり
やがてバルカン半島へ再訪につながるなど、
そういう出会いって、ありますよねー。
私の場合は・・・、あら~。思いつかないはなぜ?
ただひたすらに塗りつぶしに奔走した日々
だったのかもしれません (-_-)
モスタルビールのかわった栓は、
アンカートップボトルといいます。
今は普通の栓になっちゃったので
Black7さんのビール画像とともに貴重画像ですよ♪
N君の遅れてくるブーム、ウケるー。
マルモのおきて、懐かしすぎます。
松雪さんのMotherで芦田愛菜ちゃんを知った実家の母、
数年後にやしろ優がマネしてるのを見て
あら~。あの子、こんなになっちゃったの(涙)と
申してました・・。
akepi48
- Black7さん からの返信 2021/10/12 07:38:59
- RE: マル・マル・モリ・モリ♪
- akepi48さん、おはようございます☆
気づいてくださいましたかー
今年は東京オリンピックだったということで、
アテネオリンピックのテーマソング「栄光の架橋」と、
体操金メダルの実況風のタイトルにしてみましたー
高い所だけではなく、
隅田川の橋から、祖谷のかずら橋まで、
渡れる橋は渡ってみたい派としては、
モスタルの石橋はほっておけなかったですね。
そう、造りは、歩幅が合わない「錦帯橋」方式の石造版のよう。
そして、さすがビール星人akepiさん、
アンカートップボトルというんですねー?
興味があるのは中身の方だけかと思いきや(失礼)、
ちゃんと瓶のほうまで、ご存知とは!
ちなみにamazonで千円ちょっとで売られていたので、
今なら逆におしゃれに見えるかもー
akepiさんのお母様、面白いですねー
「あのね、このマネージャー使えないの!」と言ってる、
芦田愛菜(やしろ優)ちゃんを見て、さぞビックリしたことでしょう(笑)
もう誰も踊っていない時に、
「マルモリダンス」振り付けを覚えようとしていたN君。
来年は、何が遅れてブームが来るのか、今から楽しみです。
(もう来年かい!)
Black7
-
- cheriko330さん 2021/10/09 02:06:25
- 色々と考えさせられるモスタル✧*。°
- Black7さん、こんばんは~
いきなりの大揺れ、大丈夫でしたか?帰宅難民にもなっていないわよね?
この海の景色、車窓から見覚えがあります。この日は珍しく曇り空
だったのね。
私も何度かボスニアヘルツゴビナとクロアチアを行き来しましたが
ネウムに寄っただけです。
モスタルの「スタリ・モスト」は有名ですよね。形も独特です。
よ~く見ると新しい感じですね。
Black7さんも飛び込みされるかと思っていました(笑)
バンジージャンプはどこが楽しいのかしらね。私には全く考えられません。
バスの席が、お隣のご縁で良くしてくださったご婦人は、親切な方ですね。
知らない土地で、心強いよね。国際交流も、できましたね。
この時はまだ閑散とした感じで、やっぱりトルコチック♪
今回はビール画像もありで、きっとツッコみが入りそう。
私も一杯は美味しく飲めます。でもそれ以上は、肝臓が吸収してくれないの。
銃弾の痕跡をあちこちに見て、日本は平和で良いなぁと思います。
また少しずつ、旅の計画も立てていることでしょう。
コロナも嘘のように減ってきました。でも引き続き気をつけてね。
cheriko330
- Black7さん からの返信 2021/10/09 19:17:25
- RE: 色々と考えさせられるモスタル?*。°
- cheriko330さん、こんばんはー☆
地震の心配してくださり、ありがとうございます。
少し大きな揺れで、多少、物は落ちましたが無事でした。
一番の被害といえば、会社のビルのエレベーターが止まり、
朝から階段の上り下りしなければならなかったことですかねー。
ビルが多い東京。
結構な数のエレベーターが使用停止になったらしく、
またしても、都心の思わぬ弱点が出てきてしまいました。
そんなエレベーターがない、アドリア海へ行きたい気分ですが、
海岸線沿いの景色はキレイですよねー
cherikoさんは、ボスニアの「ネウム」に寄られたんですね。
自分は逆に、モスタル経由だったので、寄っておらず、
知りませんでした。
見てみたら、なかなか素敵なリゾート地ですね。
「ネウム」目的で行かれる方も少ないでしょうから、
ここに1泊も、面白そうですねー。
モスタルの「スタリ・モスト」、そう言われれば、
新しい感じがしますね。
よく考えたら、再建されて3年後に行っている訳で、
どうりで観光客が少ない訳ですね。
近年、行かれた方の旅行記を見てみたら、廃墟も少し減って、
だいぶ街が明るい雰囲気になったように感じ、少しうれしく思いました。
現地の御婦人には、親切にしていただき、本当に良い経験になりました。
「語り部」ではないけれど、当事者の生の話を聞くと、
色々と考えさせられ、興味を抱くきっかけにもなりますね。
もっと英語を話せたら良かったんですけどー(悲)
「戦争」こそ、日本は少し昔になりつつありますが、
「自然災害」は多い国なので、伝えていったり、話を聞くのも大事ですね。
お出かけ考え中ですが、コロナが嘘のように減りすぎて、
逆になんか信じられなくなっちゃいましたー
cherikoさんも、お気をつけくださいね☆
Black7
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