2021/03/18 - 2021/03/21
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2021/03/21
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岡山旅行記3日目、最終日前編です。
予報の通りこの日は朝から土砂降り。起床時にはホテルの部屋から津山城が見えないくらい靄が出て雨が降っていました。
ホテルをチェックアウト後津山駅近くにある津山まなびの鉄道館へと向かいます。この鉄道館は津山扇型機関車庫を中心に気動車、ディーゼル機関車等が保存されていて、前回津山来たときは常時開放ではなかったので、2016年に常時開放されるようになったので是非訪れたかった場所です。
結果的に今回の旅行で唯一の津山観光となりました。
その後道の駅くめなんと吉備サービスエリアで食事を取ろうとしましたがどちらも難しく、倉敷美観地区までやってきて名物?デニムバーガーを食べる事に。すごい色でいい経験になりました(笑
美観地区は実は当初来る予定だった場所ではなく、雨の影響でスケジュールを前日夜に組み込んだので正直見どころとかもよくわからずスマホでちょっと調べただけだったのですが、初めての場所だったのでそれでも楽しく回れました。
美観地区は主に後半で掲載します。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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旅行三日目、3月21日の朝です。雨なのは前日の予報で把握していましたが起きてみてびっくり。津山城どころか対岸もほとんど見えない・・・。
津山盆地は霧が出やすいそうですがここまでとは・・・。ちなみに土砂降りです。ホテルルートイン津山駅前 宿・ホテル
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ルートイン津山駅前では客室のテレビで食堂、大浴場、コインランドリーの利用状況がわかるようになっていて便利でした。
コロナ禍、ということもあるのでしょうがそれ以外でも助かるので今後も続けてくれると助かります。 -
朝食にやってきましたが前日より1時間ほど遅れたせいか結構混んでいて窓際のカウンター席しか取れませんでした。窓際なんですが駐車場の正面ですし奥に吉井川があるとは言え1階だからあまり見えるわけではなく・・・。
まあ一人ですからいいんですけどね。
ちなみにメニューは日ごとにかなり変わるようで連泊でも飽きないようになっています。ホルモンうどんも味が毎日変わるようです。 -
朝食を食べて戻ってくると少し天気は回復していて津山城までなんとか見える程度に視界が戻っていました。
とはいえ大雨です。 -
ホテルをチェックアウトして最初の目的地津山まなびの鉄道館にやってきました。1936年に完成し以前から時々公開していた旧津山扇形機関車庫を常設の展示施設として2016年にオープンした施設です。今回は車でやってきていますが、津山駅構内なのに歩いてくるとかなり歩くとか・・・。
雨が結構ひどくなってきました。 -
入ってすぐに軌陸車が置かれていました。これは常設されているものではなくこの後のイベントで利用する形の様でした。
幼少期、もう30年近く前だと思いますが当時の小田急経堂工場で乗せてもらったのを今でも覚えています。津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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C57 68の動輪が置かれていました。左側には背比べができるように身長計が置かれています。1938年川崎車輛製で新製時には岡山機関区に投入されていますが、その後は東北で過ごし引退間際に紀伊田辺に移籍しそのまま引退した機関車です。
廃車後解体されましたが動輪だけは糸崎機関区で保管されたものが津山に移されています。津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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扇型車庫の要、ターンテーブルです。おそらくこの機関庫が出来た1936年からここにあるのだと思います。ターンテーブルがあることで扇型車庫のメリットである省スペースを最大限生かすことが出来ました。
それではまず扇型車庫に収容されている保存車を見ていく事にします。雨が土砂降りになる前にみたいですからね。津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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まず最初はキハ33形気動車。国鉄末期に50系客車として製造されたものの客車列車の出番が急速に減少し余剰車となったオハ50をJR西日本がディーゼルカーに改造したものです。
客車としての倍以上の時間を気動車として活躍しました。
ちなみに車内改造も必要だったため改造の手間が大きく2両のみの製造で終わりました。津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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伯備線でも活躍したキハ181系。日本各地で気動車特急の性能向上の為に利用されました。伯備線でも活躍していましたが奥羽本線や中央西線の電化時と同じように1982年伯備線電化に伴い撤退。晩年は播但線や山陰本線へと活躍の場を移し2010年に引退しました。引退後は一部ミャンマー国鉄へ譲渡されるなどしましたが、このキハ181 12は国鉄色に戻り津山で保存されています。
津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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1960年代から全国の非電化路線の急行列車用車両として投入されたキハ58のキハ58 563。下のキハ28との差はエンジンが一基か二基かの違いで、こちらはエンジン二基のキハ58です。末期は下のキハ28 2329とペアを組み「みまさかスローライフ」で活躍しました。引退列車時のヘッドマークを付けたまま保存されています。
津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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こちらはキハ28のキハ28 2329。エンジン一基です。上のキハ58 563と広島でペアを組み急行みよしで活躍していましたが、みよしの廃止後はこの旧国鉄急行色に戻され「みまさかスローライフ」で活躍していました。こちらはヘッドマークなしです。
連結幌がない分すっきりして見えます。津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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少し写真が暗くなって色合いが妙になってしまいましたが大糸線で活躍していたキハ20 115です。キハ20のエンジン2台搭載車で全国で活躍していましたが既に全車引退しています。
この系列は東北で昔何回か乗った事ありますね。津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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京都梅小路に保存されているトップナンバーにつぐD51 2。1935年に川崎車輛で製造されたもので初期型の特徴のナメクジ型ですが、この角度ではとてもわかりにくいですね。
大阪の交通科学博物館に展示されていましたが閉館にともない津山に写ってきています。大阪時代も10年程前に撮影していました。津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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扇型機関車庫の中には車両が展示されていない空き線路もあり、車庫の中がどのような様子なのかがわかりました。多少の手は加えていると思いますが、1936年建築の車庫の様子を見る事が出来るのは素晴らしいと思います。車両展示されていると車庫自体は見えにくいですからね。ちなみに左はD51 2右はDF50 18が収蔵されています。
津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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2020年12月四国旅行で行った四国鉄道文化館でも保存されていたDF50も保存されています。これも上のD51と同じく大阪の交通科学博物館に展示されていた機材で閉館後こちらに移動しています。
津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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後ろに転車台がある関係で引きがあまりなくなかなか扇型車庫を感じれる写真が撮れず残念・・・。もう少し後ろには行くことが出来ますが、すべてを一面に撮れる構図は無理です。
そうは言っても車庫もこれだけの車輛が残っている事もすごいことなのですが・・・。津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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初めての動力付き除雪車として活躍したDD15 30。ラッセルヘッドは片側だけ装着していました。この機関車が登場するまでは除雪用の機械扱いの車輛を後ろから押すという方式で除雪していましたが、自走できる除雪車として登場しました。もっとも車体が重すぎて入れない線区もあったりして扱いは難しかったようです。
津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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幹線の無煙化を進めたディーゼル機関車の代表格のDD51も展示されています。ここに展示されている機関車の中ではたぶんD51についで多く造られ有名な機関車だと思います。この1187はお召し牽引も経験している機で新製時には福知山に、その後後藤に配置された機です。
ちなみにこの機関車に非がある事故ではないですが、餘部鉄橋客車転落事故時の牽引機でもあります。津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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DE50 1も津山に保存されています。貨物機ですが民営化直前に廃車にされそのままJR西日本が保管していた機です。たった一機しか造られなかった為トップナンバーでありラストナンバー、しかも決して活躍したとは言えない気ですが故障からしばらく放置されそのまま保存となった運の良い機だと思います。
技術的には革新的なものも多かった様ですが、オイルショックにより各地の路線が急速に電化され、作業効率向上のために貨物機はDD51に集約されたため活躍の場が与えられないまま故障→廃車になってしまいました。津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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なんか一両だけ反対側に飛び出している車両がいますね・・・。これは裏側に回らないと・・・。
津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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扇型機関庫なので裏側も弧を描く構造になっています。こうやってみると窓や外壁などとても時代を感じる造りです。
津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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2枚上の写真で後ろに飛び出していて、1枚上の写真でも少し見えていた車両はこれです。これは車両というよりもDD16 300番台のラッセルヘッドです。上で紹介したDD15のラッセルヘッドはクレーンでの着脱が必要などかなり大がかりのものだったので、DD15登場前のキ100の様な機械を造りそれを押すという形を取りました。これに合わせDD16を300番台に改修して専用機にしています。
この車両は大糸線のJR西日本区間で最後まで活躍し引退後津山にやってきました。津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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フェンスがあり撮れる角度は限られますが、津山駅構内の留置線車両も撮影できました。津山鉄道部は現在岡山気動車センターへと統合され津山への車輛配置は無くなっていますが、留置線には多くの車輛が置かれていました。
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JR西日本のNDCキハ120も置かれています。というよりこちらが多数派な気もしましたが・・・。
とはいえ津山では珍しい浜田色。2020年3月の芸備線脱線事故で廃車になった分の補充として転籍してきた車両の様です。津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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津山ではキハ120はこの津山色ばかりです。そんなわけで浜田色を見れたのはラッキーだったのかも。レールバスほどじゃないにせよなんとなくバス感がある車両ですが、以前乗った感じだと意外としっかりした気動車という印象でした。
津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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博物館にスイッチャーが展示されているのは珍しいですかね。車籍はない機械扱いですが後藤で実際に利用されていたものだそうです。銘板を見ると昭和49年協三工業製になっていました。
津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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こちらは先ほど後ろ側にラッセルヘッドだけ出ていたDD16 304の本体?です。DD16はDD15などの一般的な凸型ディーゼル機関車の様にだいたい中心にあるわけではなく運転席の位置が中心よりこの向きでいうところの後ろ側によっている機関車なのですが、この角度だとまずわからないですね。
津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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そんなわけで横から撮れる位置にやってきました。スイッチャーが手前にいるのでわかりにくいですが、エンジン部分の出っ張りが前後で全然違います。
これ反対側でも撮れそうなんだよなあ。反対で取れば前後ですごく非対称なのが解るはずなんですが・・・。なんでこっちで撮ったんだろ? -
これは何の跡なのでしょうか?以前天竜二俣機関区を見学した際に室内に職員用浴場がありましたが屋外なのでこれは違うと思いますし・・・。
津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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線路の向こうに見えるのは津山運転区の建物ですかね。いかにも国鉄時代の典型的建物という感じがします。国鉄時代の駅舎は建て替えやリニューアルが進んでいますが、利用客が来るわけでない施設はまだまだ国鉄時代の雰囲気が残る建物が多そうです。
津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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津山まなびの鉄道館の中心は旧津山扇形機関車庫ですが鉄道のシステムについて学べる建物もあります。全般的に子供向けで造られているのはわかりますが、かなり細かく造ってあって大人でも楽しめる内容でした。
津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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建物の中にはいくつかコーナーがあってここはあゆみルームと呼ばれる部屋。岡山を中心に現在のJR西日本管内や日本全国の鉄道の歴史を紹介していました。基本的に表記は子供向けの造りですが結構詳しく書いてあるので読んでいると楽しいです。
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あゆみルームは入ってすぐに昔の鉄道駅の再現や駅員の制服が展示されています。
奥の写真は昔の津山駅なのかな?どこの駅かわからないけどそこそこ人もいる大きな駅の様でした。 -
あゆみルームの隣の部屋はしくみルーム。こちらでは鉄道関係の技術の説明がされていました。あゆみルームと同じく子供向けではありますが面白いです。
列車案内の移り変わり。とは言えLCD式はまだまだ少なくLED式の方が多い気がしますね。少数派になりましたがサボ式やフラップ式も稀に見る事が出来ます。
関東大手では京急がフラップ式を多用していましたが、2020年に駅名変更が多数ありそれに伴い3色LEDタイプに変更されました。 -
こちらは軌間の展示。上から国内では今ではほぼ残っていないナローゲージ、大多数の会社が利用する狭軌、新幹線・京急・京成・阪急・阪神・近鉄の大部分などが利用する標準軌です。
馬車軌道がない・・・。
書いてて気づいたんですが近年まで近鉄は三種類の軌間すべて持っていたんですね。 -
津山まなびの鉄道館の裏の敷地を津山線が走るので列車を近くで見れます。近すぎるのであまり撮影には向かないと思いますが・・・。たまたま岡山行きのキハ40系が走っていきましたが、土砂降りでひどい写真になってしまいました。
津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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気動車群を一堂に会して撮影できました。車体長が違うからか頭が飛び出しているのもあれば、すべて機関庫内に収まっているのもあります。
どの車両も綺麗に整備されていてまるですぐ走りだしそうな雰囲気をもっていました。津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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来た直後に比べて雨が強まってきました。ただそれでも多くのお客さんで賑わっているので良かったです。
扇型機関車庫ですが、こうやってみると各車庫が同じではなく天井の高さなど小さいところで差異があるようです。津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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旧津山扇形機関車庫横の1階のスペースはまちなみルームと名付けられジオラマが展示されていました。扇型機関車庫と吉井川、津山城などと津山の街並みを再現しています。
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この博物館の受付付近にある建物はまなびルーム。ホームページでは「校外学習で利用します。」と書かれていてオリエンテーションを行う建物と書かれていたので見れないものだと思っていましたが、公開されておりお土産や子供向けの体験コーナーなどがあるほか切符の展示などが行われていました。
こちらは昭和29年ダイヤ改正時に発行された小型時刻表で中にはダイヤ式時刻表もあったそうです。これは関東・信越・東北編と書かれていますが、東海道本線、山陽本線、鹿児島本線のダイヤの様です。
ちなみにダイヤ式の時刻表を一般に公開していたのは西鉄で、10年ほど前に旅行した際に全線時刻表を欲しいことを言ったら回送列車も入っているダイヤを渡されました。もらった時に??となりましたが僕は読めるからいいけどあれ九州の人はみんあ読めるのかな?
スマホが普及した今ではどうなっているのかわかりませんが貴重な体験でした。 -
左は手書き時代の窓口用の運賃早見表。今ではみどりの窓口でマルスを叩けばすぐに出てくるわけですが、当時は発券も料金確認も相当な手間があったのだと思います。特に指定席の予約は大変だったようですね。
右は明治23年の時刻表と路線図でした。 -
帰るころには土砂降りになってきてしまいました。屋外展示なので晴れているほうがいいんだけど、そこまで雨が強くなる前に一通り撮影できてよかったです。
前日にここに来るという事も考えていたのですが、それだと大垪和西の棚田や岸田吟香記念館を見れなかったのでこれで良かったなと思っています。津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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2016年4月の開館から3年弱で20万人の来場者を達成した記念のパネル。wikiで見ると1年3か月程で10万人だったそうです。なかなか貴重な車両も多く、電化されていない車両だけでこれだけ保管されているのもすごいので鉄道に興味がある人は是非訪れてほしいと思います。
津山まなびの鉄道館を見学後は倉敷に向けて津山を出発します。結局津山では鉄道館のみの見学という形になりました。津山まなびの鉄道館 美術館・博物館
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津山を出発し途中美咲町のコンビニで買い物などをして久米南町にある道の駅くめなんにやってきました。ここは2012年9月に旅行した際に津山に向かう途中に休憩した場所です。国道53号沿いの左右に駐車場があり使いやすい道の駅です。
雨は降り続いていますが、津山を出発したころに比べて収まってきました。道の駅 くめなん 道の駅
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前回に来た時の記憶もあまりないのですが、2021年3月は指定管理者の変更に伴って営業休止、4月から営業再開となっていました。実は昼食を早めに食べたい理由がありここで取ろうと思っていましたが、山陽道の吉備サービスエリアで食べる事に変更しました。
公園やトイレは通常通り使えましたが、大雨で公園を見て回る雰囲気でもないですしトイレ休憩だけですぐに出発です。 -
天気が良ければ公園を散策するのも良いのかもしれません。子連れでも賑わいそうですね。
道の駅くめなんを出て岡山方面へ向かっていきますがさすがに大都会岡山に近づいてくると国道53号も交通量が増えて流れが悪くなってきました。というか岡山って合併でかなり北に延びたというか岡山市に入ってから岡山インターまで結構かかりました。 -
岡山インターから山陽道に入りやってきた吉備サービスエリアも工事中・・・。売店やフードコートはやっていますがレストランが閉まっているので劇混みでした。12時30分頃という時間も影響したと思いますが・・・。
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工事中で全容はよくわかりませんが、入り口を見る限り昔ながらのサービスエリアの雰囲気。現在改修を行っているので数年後には大きく様子が変わっているのだと思います。
吉備サービスエリア 道の駅
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工事中だからかはわかりませんが、サービスエリア前には屋台が並んで結構いろいろ売っていました。見ている分には楽しかったですが雨もまだ降っているのとゆっくりと食べる場所がないので倉敷についてから昼を食べる事に・・・。
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吉備サービスエリアには桃太郎像がありました。小さいですがキジ犬猿もお供しています。
さすが岡山ですね。 -
山陽道を直進し倉敷インターで降りて美観地区の近くにある倉敷市芸文館の地下駐車場に停めました。倉敷インターで降りた直後大渋滞でこれなら瀬戸中央自動車道の早島インターから来た方がいいかなと思ったりしたほどでした。
写真の建物は地下駐車場から出たら正面に見えた岡山大学の研究所のようです。倉敷市芸文館 美術館・博物館
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こちらが倉敷市芸文館。1993年に建築された大きなホールをもつ施設です。観光客的にはこの地下に結構収容力のある駐車場がありマスメも広いので使いやすかったです。倉敷の観光ホームページではここか比較的近い中央図書館にある駐車場をオススメにしていました。土日なら市役所駐車場も使えるようですが、地図見る限り結構歩きそうですね。
倉敷市芸文館 美術館・博物館
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倉敷市芸文館の土地の一角には木見金治郎碑がありました。全然知らない人でしたが、形が将棋の駒だったので棋士の方かなと思って調べてみるとやはり倉敷市出身の将棋棋士の方で、日本将棋連盟関西本部を立ち上げた方の様です。
倉敷市芸文館 美術館・博物館
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倉敷芸文館の正面に回ってきました。天気が悪く暗くなってしまった写真ですが、なかなかな重厚感ある建物に感じました。
面積も広くなかなか立派な施設です。倉敷市芸文館 美術館・博物館
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倉敷市芸文館から数分歩いてやってきました倉敷美観地区。
日曜日という事もあってか相当な混雑で鎌倉を思わせる雰囲気もありました・・・。芸文館からここまでは雨がやんでいたのですが、この写真を撮ったあと再び土砂降りになってきました。予報では岡山は午後から回復してくる形だったんですが・・・。倉敷美観地区 名所・史跡
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蔵の街並みが続いている美観地区。1600年代前半に江戸幕府により天領に指定されたころからの街並みが現在まで残っています。
コロナの影響で来訪者は減っていると思いますが、平時なら年間400万人ほどが訪れる一大観光地になっています。その理由は江戸時代の街並みがただ残っているだけではなく、販売しているものなどが特殊で人気があることの様です。
この日もどのお店も活気がものすごくありました。倉敷デニムストリート グルメ・レストラン
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美観地区の入口近くには倉敷デニムストリートという区域がありました。アメリカ発祥のデニムが初めて国産化されたのが倉敷南部の児島地区。1973年の事だったそうですが、それにより現在も児島はジーンズの聖地とされているそうです。
美観地区と児島は同じ市とは言えかなり離れていますが、美観地区にもデニムストリートがあるようです。 -
デニムストリートに入るとこんな看板と模型が・・・。TVでやっていた食欲減退色の食事ですね(笑。空腹でかなり辛くなってきていましたし、これ以上食事を遅らせるといろいろと支障が出てくるのでここで軽食にします。
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「青色は食欲減退色」というキャッチフレーズが凄まじいですが、よくテレビでも取り上げられるデニムまんはここで販売されています。
名物としてインスタに載せるためのデニムまん模型なども置かれていました。 -
こちらがデニムまん以外のメニュー。すべて色がおかしい(笑。
テイクアウト前提ですが、雨が土砂降りだったので室内で食べれる場所がないかと尋ねると奥のソファーのところで食べて大丈夫です、と教えてもらいました。 -
言われたとおりに奥に向かうとソファーーがありました。
このソファー、なんと座面がデニム生地。しかもいくつかの種類が合わさっていてなかなか面白味があります。お店の中はかなり混んでいたのですが、この一角はあまり人がおらず落ち着いて食事が出来ました。 -
注文したのはデニムバーガーとデニムレモネードの二つ。デニムまんも名物ですが、数量限定と書かれていたデニムバーガーがまだ残っているという事で頼んでみました。デニムバーガーだけでなくデニムレモネードもなかなかの色(笑。デニムレモネードは冬季限定の様です。
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デニムバーガーをアップで・・・(笑
良くできていてバンズも上下で多少色が違いますし、確かにジーンズっぽく見えます。
見た目はこんなですが味は普通に美味しく、色を考えなければ美味しく感じます(笑。
視界に入りながら食べるとなんとも言えぬ雰囲気が・・・。 -
デニムストリートの奥には倉敷出身で中日で活躍したピッチャーの星野仙一記念館があります。私の世代では監督としてのイメージが強いですが現役時代の記録や学生時代の紹介も多くありました。
記念館は撮影自体は禁止していませんがSNSなどへの投稿は控えるように書かれていたので外の写真だけ掲載します。星野仙一記念館 美術館・博物館
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ちなみに上の写真だとその奥が入り口っぽく見えますが、ピクトグラムにあるようにそこはトイレで記念館に入るにはこの階段を登っていきます。
横には星野仙一氏の経歴を書いた看板がありました。ちなみにこの記念館は生前に建設されており、開館にあたりあいさつの文章を出しています。挨拶を見ると生前にこの記念館が建てられて良かったなと思いました。 -
デニムストリートを出て倉敷川沿いに北に歩くとすぐに美観地区では珍しい洋館が見えてきました。この建物は倉敷館と呼ばれ現在は観光案内所として使われています。
元々は1917年に倉敷町役場として建築された建物ですが、1928年に倉敷町が岡山県内で二番目の市制を施行すると手狭になり市役所は別の庁舎へと移動しました。その後は荒廃してしまいましたが1971年から保存が始まり二度の解体修理を経て1990年から観光案内所として使われています。倉敷館 名所・史跡
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倉敷館の二階は無料の休憩所とちょっとした展示スペースになっていて自由に登ることが出来ます。窓からは美観地区の街並みを見下ろすことが出来て、江戸時代の街並みを感じる事が出来ます。下から見るよりも上からだと街並みが広がっている事がよくわかります。
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倉敷川には中橋という歩行者用の石橋がかかっています。その向こうにも美観地区が広がっていてかなり大きく保存地区がある事がわかります。
雨がやむかなあと思って少しここに留まっていたのですがやむ気配がないので動くことにします。 -
倉敷館の正面には1871年の郵便事業創設の際に使われたものと同じポストが置かれていました。なんと現役のポストとして活躍しているとのことです。こういうポストから旅の記念のハガキを出すというのも良いのかもしれないですね。もっとも送る相手いませんけどね(´・ω・`)。
ちなみに昭和60年4月にこの看板が設置されている様で、私の産まれる直前ですね。36年前からこの様な景観に合わせた復元が行われていたのが驚きです。倉敷館 名所・史跡
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倉敷館の前にあり倉敷川に架橋されたこの石橋は中橋と呼ばれています。1877年に架橋された石橋で、それ以前は木橋が架橋されていたそうです。見たときに石橋にしては橋桁がずいぶん長いなと感じましたが、調べてみると日本の石橋では一番長いようですね。
今ではインスタスポットにもなっているようです。
ちょっと区切りが悪いですが、写真の枚数的にバランスが良いここでいったん切り、残りは後編で上げていきます。中橋 名所・史跡
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