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岡山県北旅行2日目の3月20日の旅行記です。この日は予報では朝から台風並みの大雨という事で予定を変更。当初はかなり遠くまで行く予定でしたが近郊を回る事にします。拠点にしているのが津山という内陸都市なので、天候不順による道路寸断が怖かったというのと、そこまでいかなくても天気が悪化した際の対処がしやすいのは近場という事でまずは美咲町柵原にある柵原ふれあい鉱山公園の片上鉄道保存車を見に行きました。9年前に岡山に来た時も行きたかった場所でしたがスケジュールが合わず来れなかった場所。鉱山鉄道であった片上鉄道の多くの保存鉄道がある場所。コロナ禍で保存運転は中止になっているけど、それでも綺麗に整備されている車両群をみれただけでも良かったです。鉱山資料館もどちらかというとついでだったのは事実ですけど、柵原鉱山の大きさや先進的な鉱山だった事を知れたのは勉強になりました。<br />そしてここで柵原地区の名所を紹介していたので次は本山寺へ。急遽の予定変更だったのでどこが名所かわからなかったのでこれは助かりました。表紙写真にもした本山寺は開山は飛鳥時代、現在地に移ったのも1000年近く前という由緒あるお寺です。1350年建立の本堂や室町時代から江戸時代の建築物も多く、まったく知らなかったお寺で訪問時誰もいない状態でしたがとても良い場所を見れたと思いました。<br />いつも旅行って計画をかなり綿密に建ててその通り動くことがほとんどなんですが、こういう旅もいいなあとか感じた二日目前半です。

自然に!歴史に!産業遺産etc!見どころ満載の岡山県北-2日目前半

5いいね!

2021/03/18 - 2021/03/21

65位(同エリア89件中)

かるあみるく

かるあみるくさん

この旅行記スケジュールを元に

岡山県北旅行2日目の3月20日の旅行記です。この日は予報では朝から台風並みの大雨という事で予定を変更。当初はかなり遠くまで行く予定でしたが近郊を回る事にします。拠点にしているのが津山という内陸都市なので、天候不順による道路寸断が怖かったというのと、そこまでいかなくても天気が悪化した際の対処がしやすいのは近場という事でまずは美咲町柵原にある柵原ふれあい鉱山公園の片上鉄道保存車を見に行きました。9年前に岡山に来た時も行きたかった場所でしたがスケジュールが合わず来れなかった場所。鉱山鉄道であった片上鉄道の多くの保存鉄道がある場所。コロナ禍で保存運転は中止になっているけど、それでも綺麗に整備されている車両群をみれただけでも良かったです。鉱山資料館もどちらかというとついでだったのは事実ですけど、柵原鉱山の大きさや先進的な鉱山だった事を知れたのは勉強になりました。
そしてここで柵原地区の名所を紹介していたので次は本山寺へ。急遽の予定変更だったのでどこが名所かわからなかったのでこれは助かりました。表紙写真にもした本山寺は開山は飛鳥時代、現在地に移ったのも1000年近く前という由緒あるお寺です。1350年建立の本堂や室町時代から江戸時代の建築物も多く、まったく知らなかったお寺で訪問時誰もいない状態でしたがとても良い場所を見れたと思いました。
いつも旅行って計画をかなり綿密に建ててその通り動くことがほとんどなんですが、こういう旅もいいなあとか感じた二日目前半です。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
レンタカー 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 2日目の3月20日の朝、ホテルの部屋からみた津山の様子です。遠くに津山城もくっきりと見えています。この日は天気予報等で嵐になると言われていて旅行前から予定通りの行程は不可能だなと思っていましたが、朝の天気を見て回れるだけ回ろうと決めました。<br />この時点での予報では昼過ぎから大荒れで翌日夕方まで嵐という状態でした・・・(´・ω・`)。

    2日目の3月20日の朝、ホテルの部屋からみた津山の様子です。遠くに津山城もくっきりと見えています。この日は天気予報等で嵐になると言われていて旅行前から予定通りの行程は不可能だなと思っていましたが、朝の天気を見て回れるだけ回ろうと決めました。
    この時点での予報では昼過ぎから大荒れで翌日夕方まで嵐という状態でした・・・(´・ω・`)。

  • 上はNote9での撮影、こちらはEOS70Dでの撮影です。<br />津山の古くからの中心地は吉井川の対岸にある地区です。すぐ近くに泊まっていますが2012年にしっかりと観光しているので今回はパスします。<br /><br />元々の予定では美咲町の柵原ふれあい鉱山公園、備前市の閑谷学校を経由して赤穂城まで行くつもりだったのですが予報を見ると無理と判断。最終日に回ろうとしていた棚田などを見てみようかなと思いながら、行く先々で情報を聞いて向かうルートを決めていこうかなと・・・。

    上はNote9での撮影、こちらはEOS70Dでの撮影です。
    津山の古くからの中心地は吉井川の対岸にある地区です。すぐ近くに泊まっていますが2012年にしっかりと観光しているので今回はパスします。

    元々の予定では美咲町の柵原ふれあい鉱山公園、備前市の閑谷学校を経由して赤穂城まで行くつもりだったのですが予報を見ると無理と判断。最終日に回ろうとしていた棚田などを見てみようかなと思いながら、行く先々で情報を聞いて向かうルートを決めていこうかなと・・・。

    ホテルルートイン津山駅前 宿・ホテル

    2名1室合計 8,450円~

    津山駅からすぐの新しいホテル。 by かるあみるくさん
  • 朝食はバイキングで宿泊者は無料で食べる事が出来ます。無料バイキングだと簡易的な場合も結構あるんですが、しっかりとした食事やパンの選択肢も多く楽しめます。郷土料理、というか津山のB級グルメのホルモンうどんもありました。<br />ルートインはどこもバイキングは品ぞろえ多く結構気に入っています。

    朝食はバイキングで宿泊者は無料で食べる事が出来ます。無料バイキングだと簡易的な場合も結構あるんですが、しっかりとした食事やパンの選択肢も多く楽しめます。郷土料理、というか津山のB級グルメのホルモンうどんもありました。
    ルートインはどこもバイキングは品ぞろえ多く結構気に入っています。

    ホテルルートイン津山駅前 宿・ホテル

    2名1室合計 8,450円~

    津山駅からすぐの新しいホテル。 by かるあみるくさん
  • これが取ってきたものです。カレーも気になったけどパンが美味しそうだったのでパンを多めに・・・。<br />雨の予報でスケジュールがとても流動的で昼をいつ食べれるか全然わからないのでしっかりと食べました。

    これが取ってきたものです。カレーも気になったけどパンが美味しそうだったのでパンを多めに・・・。
    雨の予報でスケジュールがとても流動的で昼をいつ食べれるか全然わからないのでしっかりと食べました。

    ホテルルートイン津山駅前 宿・ホテル

    2名1室合計 8,450円~

    津山駅からすぐの新しいホテル。 by かるあみるくさん
  • 席数も結構多いです。ただこの日は7時頃に食事に来ていますが、翌日8時頃だったら結構混んでいたので時間にもよるでしょうね。<br />感染対策のパーテーションも設置されています。

    席数も結構多いです。ただこの日は7時頃に食事に来ていますが、翌日8時頃だったら結構混んでいたので時間にもよるでしょうね。
    感染対策のパーテーションも設置されています。

  • とりあえず雨に降る前に柵原鉱山博物館に向かいたいのですが開館は9:00の為今から出発すると早着してしまうので津山駅付近を散策します。津山は2012年に来ているのですがその時は津山駅付近には来なかったのでこれが初めての駅周辺。<br />近年城下町の雰囲気を残す駅周辺に再開発されたようです。

    とりあえず雨に降る前に柵原鉱山博物館に向かいたいのですが開館は9:00の為今から出発すると早着してしまうので津山駅付近を散策します。津山は2012年に来ているのですがその時は津山駅付近には来なかったのでこれが初めての駅周辺。
    近年城下町の雰囲気を残す駅周辺に再開発されたようです。

    津山駅観光案内所 名所・史跡

    津山駅出てすぐです。 by かるあみるくさん
  • 駅の規模のわりにバスターミナルやタクシープールが大きいです。鉄道需要は盛んではないですが高速路線バスはある程度の本数があるようです。

    駅の規模のわりにバスターミナルやタクシープールが大きいです。鉄道需要は盛んではないですが高速路線バスはある程度の本数があるようです。

  • 津山はB’zのボーカル稲葉浩志さんの出身地で津山市市民栄誉賞を受賞しています。生家のイナバ化粧品店はファンだけでなく観光客も訪れるとか・・・。<br />駅前には強烈にアピールされている看板がありました。

    津山はB’zのボーカル稲葉浩志さんの出身地で津山市市民栄誉賞を受賞しています。生家のイナバ化粧品店はファンだけでなく観光客も訪れるとか・・・。
    駅前には強烈にアピールされている看板がありました。

    津山駅

  • 津山市は岡山県の中で岡山市、倉敷市に次ぐ都市で岡山都市圏以外では一番の人口の自治体ですが駅は津山線、姫新線、因美線が乗り入れる要衝とは言えそこまで大きくないです。<br />昨日最初に訪れている新見駅もそうですが、やはり一般的には車移動が主体の都市です。

    津山市は岡山県の中で岡山市、倉敷市に次ぐ都市で岡山都市圏以外では一番の人口の自治体ですが駅は津山線、姫新線、因美線が乗り入れる要衝とは言えそこまで大きくないです。
    昨日最初に訪れている新見駅もそうですが、やはり一般的には車移動が主体の都市です。

    津山駅

  • 駅舎の中です。改札も自動改札化されておらず有人改札です。新見と比較して人口も多く学校も多いのでラッシュ時は結構混むのかなと思います。<br /><br />津山駅は以前から旧津山扇形機関車庫を時々公開していましたが、数年前より鉄道博物館として常設の展示になっています。この時点では天気の事もありどこで訪問するか決めていませんでしたが、翌日朝土砂降りの中に行きました。

    駅舎の中です。改札も自動改札化されておらず有人改札です。新見と比較して人口も多く学校も多いのでラッシュ時は結構混むのかなと思います。

    津山駅は以前から旧津山扇形機関車庫を時々公開していましたが、数年前より鉄道博物館として常設の展示になっています。この時点では天気の事もありどこで訪問するか決めていませんでしたが、翌日朝土砂降りの中に行きました。

    津山駅

  • 大阪行きの高速バスも津山から出発します。運行は神姫バス。<br />津山から津山線で岡山経由するより楽なのと接続次第ではこちらのが便利なのかもしれないですね。

    大阪行きの高速バスも津山から出発します。運行は神姫バス。
    津山から津山線で岡山経由するより楽なのと接続次第ではこちらのが便利なのかもしれないですね。

    津山駅

  • 津山藩士で藩医・蘭学者の箕作阮甫像が津山駅前にありました。この像は藩主の参勤交代に伴い江戸を目指す20代の頃の姿を再現したものだそうです。<br />幕末にはペリーが持参した国書を翻訳したり対外交渉も担当した人だそうです。

    津山藩士で藩医・蘭学者の箕作阮甫像が津山駅前にありました。この像は藩主の参勤交代に伴い江戸を目指す20代の頃の姿を再現したものだそうです。
    幕末にはペリーが持参した国書を翻訳したり対外交渉も担当した人だそうです。

    津山駅

  • 津山駅前にはC11 80が展示されています。どこかで既に撮影しているなと思って帰宅後調べてみると元々は近くにある津山市立南小学校に置かれていました。国道429号沿いだったので前回2012年津山市を訪れた際に撮影していたようです。<br />津山駅の再開発に合わせこちらに移転したようです。

    津山駅前にはC11 80が展示されています。どこかで既に撮影しているなと思って帰宅後調べてみると元々は近くにある津山市立南小学校に置かれていました。国道429号沿いだったので前回2012年津山市を訪れた際に撮影していたようです。
    津山駅の再開発に合わせこちらに移転したようです。

    津山駅

  • 津山駅前の散策後ホテルの駐車場に戻りそこから津山から車で30分ちょっとで美咲町の柵原地区にある旧片上鉄道吉ヶ原駅へとやってきました。片上鉄道の終点だった柵原駅の一つ手前の駅で1991年の廃線になって以降も駅舎が保存されています。<br />片上鉄道は同和鉱業が運行していた鉄道路線で全線非電化、柵原鉱山から産出された硫化鉄鉱石を輸送する目的が中心ながらも旅客運送も行っており、旧国鉄車を利用したり国鉄車をモデルに自社発注した事もありました。<br />現在は一部の車両がこの地で大切に保管されています。

    津山駅前の散策後ホテルの駐車場に戻りそこから津山から車で30分ちょっとで美咲町の柵原地区にある旧片上鉄道吉ヶ原駅へとやってきました。片上鉄道の終点だった柵原駅の一つ手前の駅で1991年の廃線になって以降も駅舎が保存されています。
    片上鉄道は同和鉱業が運行していた鉄道路線で全線非電化、柵原鉱山から産出された硫化鉄鉱石を輸送する目的が中心ながらも旅客運送も行っており、旧国鉄車を利用したり国鉄車をモデルに自社発注した事もありました。
    現在は一部の車両がこの地で大切に保管されています。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • 駅舎内は自由に入ることが出来ます。駅舎から旧吉ヶ原駅のホームに出る事も出来、今でも現役の駅舎の様にも思えます。新型コロナウイルス対策で昨年から保存車の運転は中断していますが、その際に乗車に必要な一日会員券もこちらで販売していたそうです。<br />他の片上鉄道の駅舎は全て解体されていますが、吉ヶ原駅は敗戦後バスの待合室として利用されていた為解体を免れたそうです。

    駅舎内は自由に入ることが出来ます。駅舎から旧吉ヶ原駅のホームに出る事も出来、今でも現役の駅舎の様にも思えます。新型コロナウイルス対策で昨年から保存車の運転は中断していますが、その際に乗車に必要な一日会員券もこちらで販売していたそうです。
    他の片上鉄道の駅舎は全て解体されていますが、吉ヶ原駅は敗戦後バスの待合室として利用されていた為解体を免れたそうです。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • この公園のメインはあくまで鉱山資料館でこちらは入館料がかかりますが、それ以外は無料で見学できます。<br />現在中断している毎月第一日曜日に行われる保存車の運転時に乗車する際は保存会の一日会員券が必要ですが、見学するだけなら無料なんですよね。正直ここまでの保存をしてくれている施設に無料で見学するのは非常に申し訳ない、そんな気持ちになる公園です。<br />鉱山資料館も気になりますが、天気の悪化が予想されているのでまずは屋外の保存車を見て回ります。

    この公園のメインはあくまで鉱山資料館でこちらは入館料がかかりますが、それ以外は無料で見学できます。
    現在中断している毎月第一日曜日に行われる保存車の運転時に乗車する際は保存会の一日会員券が必要ですが、見学するだけなら無料なんですよね。正直ここまでの保存をしてくれている施設に無料で見学するのは非常に申し訳ない、そんな気持ちになる公園です。
    鉱山資料館も気になりますが、天気の悪化が予想されているのでまずは屋外の保存車を見て回ります。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • 美しい状態で保存されているキハ702。元々国鉄キハ07形として1936年に製造され当初はガソリンカーでしたが、西成線脱線事故によりガソリンは危険ということで他のキハ07形と同じくディーゼル換装されました。1967年片上鉄道入線後は廃止まで活躍し現在は動態保存車として運用されています。<br />キハ07の原型車としては門司港にある九州鉄道記念館にあるキハ0741とこの車両のみで、改造されたものを含めても鹿島鉄道の廃止後保管されているものだけだと思います。

    美しい状態で保存されているキハ702。元々国鉄キハ07形として1936年に製造され当初はガソリンカーでしたが、西成線脱線事故によりガソリンは危険ということで他のキハ07形と同じくディーゼル換装されました。1967年片上鉄道入線後は廃止まで活躍し現在は動態保存車として運用されています。
    キハ07の原型車としては門司港にある九州鉄道記念館にあるキハ0741とこの車両のみで、改造されたものを含めても鹿島鉄道の廃止後保管されているものだけだと思います。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • こちらは色あせてしまっていますがキハ312です。後に出てくるキハ303と同性能を持つ車両ですがこちらは戦後1953年に自社発注した車両です。宇都宮車両で製造された列車でやはり廃線まで活躍した後現在動態保存されています。<br />なんと戦後製造ですが当初はガソリンカーでギヤチェンジをしながら運転を行っていたそうです。

    こちらは色あせてしまっていますがキハ312です。後に出てくるキハ303と同性能を持つ車両ですがこちらは戦後1953年に自社発注した車両です。宇都宮車両で製造された列車でやはり廃線まで活躍した後現在動態保存されています。
    なんと戦後製造ですが当初はガソリンカーでギヤチェンジをしながら運転を行っていたそうです。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • どうみても車掌車なワフ102。元々は国鉄のワフ22000形で片上鉄道入線の際に両デッキに改造されたそうです。<br />車掌車に見えますが荷物を置くスペースはしっかり残っているようで片上鉄道でも有蓋貨車として利用されていました。<br />ちなみに国鉄ワフ22000形では唯一の保存車のようです。

    どうみても車掌車なワフ102。元々は国鉄のワフ22000形で片上鉄道入線の際に両デッキに改造されたそうです。
    車掌車に見えますが荷物を置くスペースはしっかり残っているようで片上鉄道でも有蓋貨車として利用されていました。
    ちなみに国鉄ワフ22000形では唯一の保存車のようです。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • 見ただけじゃ何の車両か全然わからなかったのですが、元々夕張鉄道250形として造られ夕張鉄道廃線後に岡山臨港鉄道に移籍した車両の様です。<br />地方鉄道はぱっと見だと全然わからないことも多いです。

    見ただけじゃ何の車両か全然わからなかったのですが、元々夕張鉄道250形として造られ夕張鉄道廃線後に岡山臨港鉄道に移籍した車両の様です。
    地方鉄道はぱっと見だと全然わからないことも多いです。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • 片上鉄道は気動車の他に客車も保有していて現在でも三両が動態保存されています。こちらはオハフ2000形。昭和25年にナニワ工機に自社発注したオリジナル車両です。オープンデッキ付きというのが地方私鉄の客車らしいですね。

    片上鉄道は気動車の他に客車も保有していて現在でも三両が動態保存されています。こちらはオハフ2000形。昭和25年にナニワ工機に自社発注したオリジナル車両です。オープンデッキ付きというのが地方私鉄の客車らしいですね。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • バスはそんなに詳しくないんですがどうみても古そうなバスが公園に停まっていました。調べてみると1993年製の日野の車両の様です。<br />確かに自分が子供の頃よくこんな車両に乗っていた気がします。<br /><br />ちなみに中鉄バスはいまでも本数は少ないものの津山と柵原を結んでいます。

    バスはそんなに詳しくないんですがどうみても古そうなバスが公園に停まっていました。調べてみると1993年製の日野の車両の様です。
    確かに自分が子供の頃よくこんな車両に乗っていた気がします。

    ちなみに中鉄バスはいまでも本数は少ないものの津山と柵原を結んでいます。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • 再び吉ヶ原駅へと歩いてきました。吉ヶ原駅と鉱山資料館周辺に少し分かれて車両は保存されています。<br />DD13も保存されています。入れ替え機として使っていたのだと思っていたら、調べてみると日本車輛へ自社発注した車両で見た目は国鉄DD13とそっくりですがエンジンの強化をしたりして本線で客車や貨物をけん引していたそうです。

    再び吉ヶ原駅へと歩いてきました。吉ヶ原駅と鉱山資料館周辺に少し分かれて車両は保存されています。
    DD13も保存されています。入れ替え機として使っていたのだと思っていたら、調べてみると日本車輛へ自社発注した車両で見た目は国鉄DD13とそっくりですがエンジンの強化をしたりして本線で客車や貨物をけん引していたそうです。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • 吉ヶ原駅の駅名標。廃止時のままなので所属駅は久米郡柵原町のままになっています。隣の駅は柵原駅になっていますが、現在動態運転している列車は柵原駅跡まではいかず公園の柵原よりに新設された「幸福柵原」駅までの運転になっています。

    吉ヶ原駅の駅名標。廃止時のままなので所属駅は久米郡柵原町のままになっています。隣の駅は柵原駅になっていますが、現在動態運転している列車は柵原駅跡まではいかず公園の柵原よりに新設された「幸福柵原」駅までの運転になっています。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • こうやって見ると昭和40年代の頃の吉ヶ原駅はこんな雰囲気だったのかなあと創造もできたりします。<br />とは言え当時の吉ヶ原はこんな長閑な場所ではなく、現役の鉱山街で活気があったのだと思います。

    こうやって見ると昭和40年代の頃の吉ヶ原駅はこんな雰囲気だったのかなあと創造もできたりします。
    とは言え当時の吉ヶ原はこんな長閑な場所ではなく、現役の鉱山街で活気があったのだと思います。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • 奥に続く線路が黄福柵原駅へと続く線路。現役時代に比べとても短い線路とは言え、これだけの車輛が動態保存されているというのは本当に大変な努力が必要なのだと思います。この日も後で車両や路線の点検をしている保存会の方がいらしていましたが、そういう人たちの努力の積み重ねでこの古い車両群を動かし続けているのだなと感じました。

    奥に続く線路が黄福柵原駅へと続く線路。現役時代に比べとても短い線路とは言え、これだけの車輛が動態保存されているというのは本当に大変な努力が必要なのだと思います。この日も後で車両や路線の点検をしている保存会の方がいらしていましたが、そういう人たちの努力の積み重ねでこの古い車両群を動かし続けているのだなと感じました。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • トラ800形のトラ814とトラ840。動態保存の状態だそうですが留置線に置かれ少し朽ちている雰囲気もありました。硫化鉄鉱石の運搬という使命を持った片上鉄道には多数の無蓋貨車が利用されていました。

    トラ800形のトラ814とトラ840。動態保存の状態だそうですが留置線に置かれ少し朽ちている雰囲気もありました。硫化鉄鉱石の運搬という使命を持った片上鉄道には多数の無蓋貨車が利用されていました。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • 開業時のままの駅舎です。柵原鉱山の駅の一つとして多くの方に親しまれた駅でした。<br />閉山と同時に廃止になり今では当時の賑わいが嘘のように感じます。

    開業時のままの駅舎です。柵原鉱山の駅の一つとして多くの方に親しまれた駅でした。
    閉山と同時に廃止になり今では当時の賑わいが嘘のように感じます。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • ホーム跡に留置されているこちらの客車はホハフ3002。こちらは国鉄オハ35系列(オハ35 1227)を1981年購入し片上鉄道で利用されてきました。車体長は20mですがホハフ2000と併結運転もされていたそうです。

    ホーム跡に留置されているこちらの客車はホハフ3002。こちらは国鉄オハ35系列(オハ35 1227)を1981年購入し片上鉄道で利用されてきました。車体長は20mですがホハフ2000と併結運転もされていたそうです。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • このキハ303は元々キハ04形で1934年に当時の鉄道省キハ41000形、キハ41071として製造され当初はガソリンエンジン車でした。1952年に片上鉄道に譲渡され入線、その際にガソリンエンジンからディーゼルエンジンへと換装されています。1952年入線だから厳密に言えばキハ04ではなくキハ41000と言った方がいいのかもしれませんがややこしくなるのでキハ04で・・・。<br />キハ04としては唯一の動態保存車で、現存する動態保存車の中でも最古参のディーゼルカーになります。

    このキハ303は元々キハ04形で1934年に当時の鉄道省キハ41000形、キハ41071として製造され当初はガソリンエンジン車でした。1952年に片上鉄道に譲渡され入線、その際にガソリンエンジンからディーゼルエンジンへと換装されています。1952年入線だから厳密に言えばキハ04ではなくキハ41000と言った方がいいのかもしれませんがややこしくなるのでキハ04で・・・。
    キハ04としては唯一の動態保存車で、現存する動態保存車の中でも最古参のディーゼルカーになります。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • 同和鉱業片上鉄道はそもそも柵原鉱山で産出された硫化鉄鉱を瀬戸内海、もしくは国鉄との連絡駅の和気まで運ぶ目的で造られているので、この様に鉱石を貨車に載せるための装置なども保存されています。<br />往時の柵原駅にはホッパーが大量にあったそうです。

    同和鉱業片上鉄道はそもそも柵原鉱山で産出された硫化鉄鉱を瀬戸内海、もしくは国鉄との連絡駅の和気まで運ぶ目的で造られているので、この様に鉱石を貨車に載せるための装置なども保存されています。
    往時の柵原駅にはホッパーが大量にあったそうです。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • 柵原ふれあい鉱山公園は展示物や公園の雰囲気からか、ドラマや映画のロケをよく行っているようでそれについて案内をしていました。

    柵原ふれあい鉱山公園は展示物や公園の雰囲気からか、ドラマや映画のロケをよく行っているようでそれについて案内をしていました。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • 地下にある坑道から破砕した硫化鉄鉱鉱石をくみ上げ地上に引き上げる装置、だそうです。最盛期の柵原には多数設置されていてこれは縮小されたものだそうですが、巨大なものがあったそうです。

    地下にある坑道から破砕した硫化鉄鉱鉱石をくみ上げ地上に引き上げる装置、だそうです。最盛期の柵原には多数設置されていてこれは縮小されたものだそうですが、巨大なものがあったそうです。

  • この様なトロッコに鉱石を乗せて坑内から搬出していたのでしょうね。

    この様なトロッコに鉱石を乗せて坑内から搬出していたのでしょうね。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • 黄金柵原駅方面から吉ヶ原駅方面を撮ってみました。こうやって見ると貨物営業も行っている地方私鉄みたいな感じで今も現役の様にも見えます。

    黄金柵原駅方面から吉ヶ原駅方面を撮ってみました。こうやって見ると貨物営業も行っている地方私鉄みたいな感じで今も現役の様にも見えます。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • 上にによればこのあたりで科捜研の女の撮影が行われたようですが・・・。まあこれみただけで思い出せたらすごいですよね。

    上にによればこのあたりで科捜研の女の撮影が行われたようですが・・・。まあこれみただけで思い出せたらすごいですよね。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • 江戸時代から美作国、備中国、備前国では高梁川、吉井川で高瀬舟水運が発達していました。柵原鉱山も片上鉄道が全通するまでの間、吉井川を利用し高瀬舟で産出していた鉱石を瀬戸内海へ運搬していたそうです。<br />この高瀬舟はレプリカですがこの舟で鉱石を運んでいたとなると相当な苦労があったのだなと思います。

    江戸時代から美作国、備中国、備前国では高梁川、吉井川で高瀬舟水運が発達していました。柵原鉱山も片上鉄道が全通するまでの間、吉井川を利用し高瀬舟で産出していた鉱石を瀬戸内海へ運搬していたそうです。
    この高瀬舟はレプリカですがこの舟で鉱石を運んでいたとなると相当な苦労があったのだなと思います。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • こちらは片上鉄道ではなく柵原鉱山の中の鉱山軌道の電気機関車として活躍したEB403です。Eのつく形式やパンタグラフもあることから鉱山軌道は電化されていたことがわかります。<br />地下の密閉空間ではディーゼル機関を使う事が難しかったのだと思います。<br />この機関車が硫化鉄鉱石を入れたトロッコをひき活躍をしていました。

    こちらは片上鉄道ではなく柵原鉱山の中の鉱山軌道の電気機関車として活躍したEB403です。Eのつく形式やパンタグラフもあることから鉱山軌道は電化されていたことがわかります。
    地下の密閉空間ではディーゼル機関を使う事が難しかったのだと思います。
    この機関車が硫化鉄鉱石を入れたトロッコをひき活躍をしていました。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • 動態保存としての運転は新型コロナウイルス対策により1年ほど前から停止していますが、片上鉄道保存会の人たちが運転再開に備えて保守整備を行っていました。<br />毎月第一日曜日だけですが戦前の車両に乗れる貴重な機会なのでいつか再開できること日を心待ちにしています。

    動態保存としての運転は新型コロナウイルス対策により1年ほど前から停止していますが、片上鉄道保存会の人たちが運転再開に備えて保守整備を行っていました。
    毎月第一日曜日だけですが戦前の車両に乗れる貴重な機会なのでいつか再開できること日を心待ちにしています。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • 一通り保存鉄道を見れたので鉱山資料館に向かいます。<br />ヤフーマップでみているとそろそろ雨が降ってきてもおかしくないのですが、とりあえずまだ雨にはなっていないので助かりました。

    一通り保存鉄道を見れたので鉱山資料館に向かいます。
    ヤフーマップでみているとそろそろ雨が降ってきてもおかしくないのですが、とりあえずまだ雨にはなっていないので助かりました。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • 資料館の前にあった願い石。<br />二人でそっと手を線のところに当てて二人の幸せを祈るそうです。<br /><br />一人で来ている僕には関係ないですね(´・ω・`)

    資料館の前にあった願い石。
    二人でそっと手を線のところに当てて二人の幸せを祈るそうです。

    一人で来ている僕には関係ないですね(´・ω・`)

  • 柵原鉱山で産出されたものかはわかりませんが、磁鉄鉱の功績が資料館の前に置かれていました。柵原鉱山で産出していたのは硫化鉄鉱になるので組成が異なりますが・・・。

    柵原鉱山で産出されたものかはわかりませんが、磁鉄鉱の功績が資料館の前に置かれていました。柵原鉱山で産出していたのは硫化鉄鉱になるので組成が異なりますが・・・。

  • 中に入っていきます。入館料は520円。鉄道を見るだけだったらお金はかからないようです。中は1階は撮影OK、鉱山を再現している地下は撮影できないとのこと。<br /><br />入って最初のコーナーは昭和30年代でしょうか、柵原鉱山最盛期の時の吉ヶ原や同和鉱業の社宅の街並みを再現しています。

    中に入っていきます。入館料は520円。鉄道を見るだけだったらお金はかからないようです。中は1階は撮影OK、鉱山を再現している地下は撮影できないとのこと。

    入って最初のコーナーは昭和30年代でしょうか、柵原鉱山最盛期の時の吉ヶ原や同和鉱業の社宅の街並みを再現しています。

  • その後柵原町(2005年に合併で現在は美咲町の東部)の観光を紹介するコーナーがあり、そこを抜けると片上鉄道のコーナーが。1991年に柵原鉱山の閉山まで鉄道輸送を行い柵原と和気、そして片上までを結んでいました。<br />晩年は貨物輸送はトラック中心に切り替えられ旅客鉄道になっていた様ですが、旅客だけでは運営が成り立たなかったのでしょう。閉山の少し後に(本当は閉山と同時を目指すも手続き的な問題で)廃止になっています。

    その後柵原町(2005年に合併で現在は美咲町の東部)の観光を紹介するコーナーがあり、そこを抜けると片上鉄道のコーナーが。1991年に柵原鉱山の閉山まで鉄道輸送を行い柵原と和気、そして片上までを結んでいました。
    晩年は貨物輸送はトラック中心に切り替えられ旅客鉄道になっていた様ですが、旅客だけでは運営が成り立たなかったのでしょう。閉山の少し後に(本当は閉山と同時を目指すも手続き的な問題で)廃止になっています。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • 平成初期までこんなローカルな列車が残っていたんだなーと思う反面、1991年ってもう30年前だよなあと思うとかなり古く感じたりもしました。<br />1985年産まれの私には91年の記憶ってのはあまり残っていないですね。

    平成初期までこんなローカルな列車が残っていたんだなーと思う反面、1991年ってもう30年前だよなあと思うとかなり古く感じたりもしました。
    1985年産まれの私には91年の記憶ってのはあまり残っていないですね。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • 柵原鉱山の社宅での生活の様子です。柵原鉱山の歴史は長いので時期によって差はあるのでしょうがこれは高度経済成長期、ちょうど東京オリンピックのあたりですかね。<br />この前の愛媛旅行でも大洲の思ひ出倉庫でもこんな展示がありましたが、正確な時代はわかりませんがあそこで展示されていた生活よりも少しグレードが高く見えます。<br />展示の明るさのせいかもしれませんが・・・。

    柵原鉱山の社宅での生活の様子です。柵原鉱山の歴史は長いので時期によって差はあるのでしょうがこれは高度経済成長期、ちょうど東京オリンピックのあたりですかね。
    この前の愛媛旅行でも大洲の思ひ出倉庫でもこんな展示がありましたが、正確な時代はわかりませんがあそこで展示されていた生活よりも少しグレードが高く見えます。
    展示の明るさのせいかもしれませんが・・・。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • 鉱山の社宅で暮らす一家がどのように過ごしていたか知ることが出来るコーナーもありました。内容は柵原鉱山に住んでいた当時の男の子が一日の生活を振り返る、という形でした。<br />上の写真でも少し触れましたが当時としては進んだ技術も多く、社宅での暮らしも同時期の一般的な生活より良かったようです。

    鉱山の社宅で暮らす一家がどのように過ごしていたか知ることが出来るコーナーもありました。内容は柵原鉱山に住んでいた当時の男の子が一日の生活を振り返る、という形でした。
    上の写真でも少し触れましたが当時としては進んだ技術も多く、社宅での暮らしも同時期の一般的な生活より良かったようです。

    柵原ふれあい鉱山公園 鉱山資料館 美術館・博物館

  • 地下の展示も見て地上に戻ってきました。地下では柵原鉱山の採掘の様子や当時実際に使用していた削岩機やヘルメットなど、鉱石の搬出の様子や坑道がいかに長かったかなど鉱山を知るにはとてもわかりやすい展示がされていました。<br />よく考えると私は鉱山系の博物館は初訪問でしたのでいい機会でした。<br /><br />これは映画「マンハント」の撮影が柵原公園で行われた事にちなんでその関係の展示が行われていた中の一つです。撮影の様子は写真撮影禁止になっていましたが、このモデルガンは撮影OKとのことで撮影しました。

    地下の展示も見て地上に戻ってきました。地下では柵原鉱山の採掘の様子や当時実際に使用していた削岩機やヘルメットなど、鉱石の搬出の様子や坑道がいかに長かったかなど鉱山を知るにはとてもわかりやすい展示がされていました。
    よく考えると私は鉱山系の博物館は初訪問でしたのでいい機会でした。

    これは映画「マンハント」の撮影が柵原公園で行われた事にちなんでその関係の展示が行われていた中の一つです。撮影の様子は写真撮影禁止になっていましたが、このモデルガンは撮影OKとのことで撮影しました。

  • 鉱山資料館の見学を終え駐車場に戻る際になんじゃこれは?と思った駐車場近くに置かれていた国鉄旧性能車の前頭部です。調べてみるとクモハ73383の様で2013年頃からここに置かれているようです。<br />一部で空かないですしライトもなくボロボロですが貴重な72系保存車を見る事が出来ました。

    鉱山資料館の見学を終え駐車場に戻る際になんじゃこれは?と思った駐車場近くに置かれていた国鉄旧性能車の前頭部です。調べてみるとクモハ73383の様で2013年頃からここに置かれているようです。
    一部で空かないですしライトもなくボロボロですが貴重な72系保存車を見る事が出来ました。

  • 柵原鉱山資料館で旧柵原町の見どころの紹介がありましたがその中に一か所気になった場所がありました。それは本山寺というお寺。久米南町との境の方にあり重要文化財の三重塔があるとか。<br />資料館の受付の人に聞くと特に道路がまずい状態というわけではないようで向かう事にしました。この写真は途中道路を確認するためにいったん停車した際に降りて後方を撮った写真です。なぜ後方を撮影したのかは不明・・・。

    柵原鉱山資料館で旧柵原町の見どころの紹介がありましたがその中に一か所気になった場所がありました。それは本山寺というお寺。久米南町との境の方にあり重要文化財の三重塔があるとか。
    資料館の受付の人に聞くと特に道路がまずい状態というわけではないようで向かう事にしました。この写真は途中道路を確認するためにいったん停車した際に降りて後方を撮った写真です。なぜ後方を撮影したのかは不明・・・。

  • 本山寺に無事に到着しました。仁王門からして風格がものすごいですが・・・。<br />飛鳥時代に役行者により開基されたと伝えられ、後に鑑真和上により名づけられました。当時はここより南にあったそうですが、1110年に現在地に移転したそうです。<br />江戸時代は津山藩の祈願所となり藩主の霊廟にもなっています。

    本山寺に無事に到着しました。仁王門からして風格がものすごいですが・・・。
    飛鳥時代に役行者により開基されたと伝えられ、後に鑑真和上により名づけられました。当時はここより南にあったそうですが、1110年に現在地に移転したそうです。
    江戸時代は津山藩の祈願所となり藩主の霊廟にもなっています。

    本山寺 寺・神社

    美咲町の山中にある由緒あるお寺。 by かるあみるくさん
  • 上の写真で風格がすごいと書いた仁王門の近くにやってきました。1686年建設ということで300年以上前の門です。<br />もちろんこの門もすごいのですが、奥には南北朝時代に建立された本堂や江戸時代創建の三重塔もあるので気分が高揚してきます。

    上の写真で風格がすごいと書いた仁王門の近くにやってきました。1686年建設ということで300年以上前の門です。
    もちろんこの門もすごいのですが、奥には南北朝時代に建立された本堂や江戸時代創建の三重塔もあるので気分が高揚してきます。

  • 仁王門を抜け登っていくと武家屋敷の様な長屋門がありました。お寺、それも山奥にあるお寺の長屋門って珍しいですよね。城下町とならわかりますけど・・・。<br />これだけを見ると城郭の様にも見えます。

    仁王門を抜け登っていくと武家屋敷の様な長屋門がありました。お寺、それも山奥にあるお寺の長屋門って珍しいですよね。城下町とならわかりますけど・・・。
    これだけを見ると城郭の様にも見えます。

    本山寺 寺・神社

    美咲町の山中にある由緒あるお寺。 by かるあみるくさん
  • 正面から見ると本当に立派なもんです。石垣も相当に綺麗に組まれていました。右下に見える看板によると1845年建築の物で、岡山県の重要文化財に指定されています。

    正面から見ると本当に立派なもんです。石垣も相当に綺麗に組まれていました。右下に見える看板によると1845年建築の物で、岡山県の重要文化財に指定されています。

    本山寺 寺・神社

    美咲町の山中にある由緒あるお寺。 by かるあみるくさん
  • 長屋門の横には薬医門とお堂がありました。長屋門の門は閉ざされているので現在はこの藥医門が門としての機能を果たしています。この奥には客殿と噴水のある庭園がありました。<br />横のお堂は詳細不明です。本山寺、現地の解説もあまりなくインターネットで調べても情報はさして多くなく由緒不明が結構あるったのがちょっぴり残念。<br />まあ情報が少ないところだからこんな貴重な文化財をゆっくり眺められるというのはありますけど・・・。

    長屋門の横には薬医門とお堂がありました。長屋門の門は閉ざされているので現在はこの藥医門が門としての機能を果たしています。この奥には客殿と噴水のある庭園がありました。
    横のお堂は詳細不明です。本山寺、現地の解説もあまりなくインターネットで調べても情報はさして多くなく由緒不明が結構あるったのがちょっぴり残念。
    まあ情報が少ないところだからこんな貴重な文化財をゆっくり眺められるというのはありますけど・・・。

    本山寺 寺・神社

    美咲町の山中にある由緒あるお寺。 by かるあみるくさん
  • 比較的新しそうに見えるこの客殿も長屋門と同じく1845年の建築物だそうです。とは言え仁王門やこの後見る本堂などの施設に比べると新しいのですが・・・。ここにいると感覚が少し変わってしまいますね。<br />江戸時代の建築物もそんなに多く残っているわけではないので貴重なんですよね。

    比較的新しそうに見えるこの客殿も長屋門と同じく1845年の建築物だそうです。とは言え仁王門やこの後見る本堂などの施設に比べると新しいのですが・・・。ここにいると感覚が少し変わってしまいますね。
    江戸時代の建築物もそんなに多く残っているわけではないので貴重なんですよね。

  • 半分地面がコンクリートで固められフェンスもあるので新しく見えましたがこの池と庭園も由緒あるものなのかもしれません。

    半分地面がコンクリートで固められフェンスもあるので新しく見えましたがこの池と庭園も由緒あるものなのかもしれません。

  • 案内の看板からするとこれは山王堂だと思います。現在修繕工事を行っている様子で足場が組まれていました。建築年は1733年の様です。<br />本山寺では三重塔の修繕工事を平成初期に行っていますが、やはりこれだけの年季の当たる木造建築を維持するのは容易ではなく時々この様な修繕工事を行っている様子です。<br />こちらも立派な塀と薬医門をもっている建物でした。

    案内の看板からするとこれは山王堂だと思います。現在修繕工事を行っている様子で足場が組まれていました。建築年は1733年の様です。
    本山寺では三重塔の修繕工事を平成初期に行っていますが、やはりこれだけの年季の当たる木造建築を維持するのは容易ではなく時々この様な修繕工事を行っている様子です。
    こちらも立派な塀と薬医門をもっている建物でした。

  • こちらが本山寺の本堂です。前記した通り1350年建立の建物で700年近くこの山中に残っている事になります。1350年というと鎌倉幕府が滅亡し南北朝の動乱の時代です。<br />そのころから現代まで残っている建物ですがあまり有名でないこともあるのか、これはお寺全体に言えるのですが誰も見学者がいませんでした。<br />大正時代に本堂は重要文化財に指定されています。

    こちらが本山寺の本堂です。前記した通り1350年建立の建物で700年近くこの山中に残っている事になります。1350年というと鎌倉幕府が滅亡し南北朝の動乱の時代です。
    そのころから現代まで残っている建物ですがあまり有名でないこともあるのか、これはお寺全体に言えるのですが誰も見学者がいませんでした。
    大正時代に本堂は重要文化財に指定されています。

  • 1519年に建築された常行堂だそうです。常行堂というのは知らず調べましたが、”常行三昧の行を修するために建てられた仏堂である(by wiki)”。いまいちよくわからないですが、修行のためのお堂の様です。<br />1519年というと戦国時代も半ばになり両細川の乱がおきている頃、世界ではスペインがアステカを滅ぼす直前・・・。そんな頃から現在に至るまでこの木造のお堂は残っているんですね。

    1519年に建築された常行堂だそうです。常行堂というのは知らず調べましたが、”常行三昧の行を修するために建てられた仏堂である(by wiki)”。いまいちよくわからないですが、修行のためのお堂の様です。
    1519年というと戦国時代も半ばになり両細川の乱がおきている頃、世界ではスペインがアステカを滅ぼす直前・・・。そんな頃から現在に至るまでこの木造のお堂は残っているんですね。

  • 本堂から奥には鐘楼がひっそりと建っています。この鐘楼も1782年建築ですが、本堂から400年以上後に造られたものになります。鐘楼自体はそれより以前、おそらく開基時からあったはずでその時に再建されたのだと思います。

    本堂から奥には鐘楼がひっそりと建っています。この鐘楼も1782年建築ですが、本堂から400年以上後に造られたものになります。鐘楼自体はそれより以前、おそらく開基時からあったはずでその時に再建されたのだと思います。

  • 常行堂や鐘楼の先へと進んでいくと本山寺で一番有名だという三重塔がありました。津山藩主森氏により再建され、新しい技術を取り入れた初期の三重塔で岡山県内の三重塔では最大のものだそうです。<br />現在国の重要文化財に指定されています。

    常行堂や鐘楼の先へと進んでいくと本山寺で一番有名だという三重塔がありました。津山藩主森氏により再建され、新しい技術を取り入れた初期の三重塔で岡山県内の三重塔では最大のものだそうです。
    現在国の重要文化財に指定されています。

  • 本山寺の駐車場から見て一番奥の高台には菩薩像が建立されていました。この正面には三重塔、その奥には本堂などが配置されていて、一番奥から見守っているように感じました。

    本山寺の駐車場から見て一番奥の高台には菩薩像が建立されていました。この正面には三重塔、その奥には本堂などが配置されていて、一番奥から見守っているように感じました。

  • この先に行ってみましたがお地蔵さんが並んでいる奥には墓地があり、さらに進むと公道に出てしまいました。スマホで地図を見てもどうやらここまでの様なので、車に戻るとします。<br />穴場的な観光地で柵原鉱山資料館で情報を得るまではまったく知りませんでしたが拝観料無料で見れるお寺なのに境内も広く貴重な建物も多く素晴らしいお寺を見る事ができました。

    この先に行ってみましたがお地蔵さんが並んでいる奥には墓地があり、さらに進むと公道に出てしまいました。スマホで地図を見てもどうやらここまでの様なので、車に戻るとします。
    穴場的な観光地で柵原鉱山資料館で情報を得るまではまったく知りませんでしたが拝観料無料で見れるお寺なのに境内も広く貴重な建物も多く素晴らしいお寺を見る事ができました。

    本山寺 寺・神社

    美咲町の山中にある由緒あるお寺。 by かるあみるくさん
  • 結構広大な駐車場がありこれ以外に檀家向けの駐車場も別にありましたが土曜日の昼でも誰もいませんでした。山の中に自分以外の気配もなく明るいからまだともかく夕暮れ以降だったら結構怖いかもしれません。<br />見どころは多いので見ていて楽しいのですが、やはり山の中すぎるのですかね。<br />アクセスルートは少し狭いところもあるものの普通自動車で問題なく走行できる道でした。

    結構広大な駐車場がありこれ以外に檀家向けの駐車場も別にありましたが土曜日の昼でも誰もいませんでした。山の中に自分以外の気配もなく明るいからまだともかく夕暮れ以降だったら結構怖いかもしれません。
    見どころは多いので見ていて楽しいのですが、やはり山の中すぎるのですかね。
    アクセスルートは少し狭いところもあるものの普通自動車で問題なく走行できる道でした。

  • 以前は柵原町と書かれていたであろうところが美咲町に変更されています。<br />美咲町と何回か書いていますが割と変わった自治体名ですよね。人名の様な・・・。実際に美咲町が誕生した時期やもう少し前の時期は女の子の名前で非常に多かったそうです。<br />一応由来を調べると町域が花びらの形に見えるとか、美作から一時取って新しい町が花咲くようにという意味があるとか・・・。<br />大阪府には字の違う岬町があり、自治体名ではなく地域名としては甲府市や新潟市に存在しているようです。

    以前は柵原町と書かれていたであろうところが美咲町に変更されています。
    美咲町と何回か書いていますが割と変わった自治体名ですよね。人名の様な・・・。実際に美咲町が誕生した時期やもう少し前の時期は女の子の名前で非常に多かったそうです。
    一応由来を調べると町域が花びらの形に見えるとか、美作から一時取って新しい町が花咲くようにという意味があるとか・・・。
    大阪府には字の違う岬町があり、自治体名ではなく地域名としては甲府市や新潟市に存在しているようです。

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