2021/03/18 - 2021/03/21
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この旅行記のスケジュール
2021/03/19
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ふいご峠駐車場
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高梁観光駐車場
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臥牛山を登り山城である備中松山城の大手門に達したところから旅行記スタートです。前編で書いた通り写真の量がものすごい事になってしまったので分割した関係で少し変な位置からのスタートです。
大手門を通ってもそこから先も勾配が急な備中松山城。大手門から二の丸までもしんどい道のりでしたが、その分ゆっくりと見る事が出来てよかったのかな。
山頂にある二重櫓の外観を眺めたあといよいよ天守へと向かいます。現存天守で一番高い位置にありますが、逆に天守の高さは一番低い備中松山城。天守は小ぶりですが、最後の要塞として使われるので他の平城や平山城とは違い最後に切腹する場や神棚があったりと独特の雰囲気がありました。
天守を見学した後は臥牛山を下り高梁市街へ。城下町高梁の雰囲気を残す紺屋川美観地区を眺め藩校跡の碑を見たりしながら、高梁小学校旧校舎を利用した郷土資料館を見学しました。備中松山城の模型や明治から昭和にかけての民俗、学校関係の他伯備線の資料も多く、しっかり見たら結構時間かかりそうですが、他の観光もしたいので興味があるところだけしっかり見る形になってしまいました。
武家屋敷の見学は後編に続きます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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1日目前半の最後の写真より少し手前の位置の写真からになりますが、中盤はここからスタートです。臥牛山を登ってきて正面に現れた大手門遺構。
山を登ってきていきなり現れる城郭の遺構に驚かされました。ここに石垣があることを知っているとは言えまるでジャングルの中で遺跡を見つけたかの様な雰囲気も少し感じます。
一言でいえばただ本当に圧倒された、それですね。 -
イチオシ
ここには江戸時代大手門が存在していました。これより奥が城内です。
城内にはいってすぐ巨大な石垣を目にします。現存天守で一番高い標高430メートルにあるこの城にこれだけの石垣を築く労力は並大抵のものではなかったと思います。 -
ここから城内に入り石段を登っていきますが・・・。
ここまででかなり疲れているので足取りはなかなか進まずゆっくりとゆっくりとという歩みで進みました(´・ω・`)。
その分ゆっくりと見る事が出来てよかったと思います。備中松山城 名所・史跡
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こうやって見るだけでもすごい石垣ですが、ここが標高400メートル越と聞くともうすごいとかそういう表現では済まなくなります。
単純に攻城戦を行うのなら幕末、もっと言えば明治後期くらいまでは通じたと思います。幕末の周防山口藩の散兵し射撃という戦術にでも攻略は難しい気がします。ただあくまで攻略が難しいだけで籠城しても救援が来ないからどうしようもないのでしょうけど・・・。
実際戊辰戦争では岡山藩の軍事圧力に負け降伏していますが、高梁市街を考えると賢明な判断だったと思います。備中松山城 名所・史跡
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こちらは三の丸。破却されたのか明治以後山城の備中松山城は放棄される形になったのでその結果崩壊したのかは不明ですが、現在は建物は何もありません。天守付近の櫓は再建されているのでこちらもいずれ再建されるのかもしれません。
備中松山城 名所・史跡
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備中松山城は山城、天空の城として有名ですが、実は忠臣蔵で有名な大石倉之助や浅野長矩と関わっています。
藩主の水谷(みずのや)家が三代目で嫡男がおらず旗本に減封され城を明け渡すことになった時、次の藩が入場するまでの間赤穂藩が預かることになりました。大石倉之助が単身で備中松山城を訪れ、松山藩家老の鶴見内蔵助と対談し無血開城しています。
この時二人は二人蔵助対談と語り継がれ、二人が腰かけて話し合った石は今でも山のふもとに残っているそうです。備中松山城 名所・史跡
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このお城、江戸時代は平穏に過ごしましたが戦国時代は毛利元清や小早川隆景が落城させています。落城させたとは言えこんな要塞じみた城を落とすのは容易ではなく周囲の城を落城させた後兵糧攻めという形ですが、それでもこんな城を攻略するというのは当時の武士というのは本当にすごかったんだなと・・・。
まあここよりすごい山城は結構あったと思いますが・・・。備中松山城 名所・史跡
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石段を登りきって・・・、やっと天守が見えてきました。
駐車場でスタッフから言われた20分の倍くらいの時間がかかりました。サンライズ出雲で寝不足の状態でしかも気温が高くてちょっとしんどかったです。備中松山城 名所・史跡
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イチオシ
しんどかったのは事実ですが登りきってこの本丸の城郭を見たときは感動しました。疲れも吹き飛びますね。
とはいえベンチで一回休憩することにしました。汗だくで水分補給も必要な状態でした。 -
休憩して天守に向かう前に天守裏にある二重櫓を見に行きます。この左側に残っている石垣と土壁も現存のものだそうです。
CG加工はされていたものの大河ドラマ真田丸でも撮影に使われたそうです。備中松山城 名所・史跡
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本丸下の通路を通って二重櫓へと歩きますがここも現代に整備されているとはいえ相当に歩きにくい状態です。今まで見てきた城と違い山城の攻略の難しさを感じました。
備中松山城 名所・史跡
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本丸の北側には二重櫓が現存しています。山城らしく天然の岩山の上に石垣を築き建築されています。天和期に当時の城主水谷勝宗により天守が改修された際に現在の形になったと言われています。備中松山城の他の遺構と同じように昭和初期には荒れ果てしまったそうです。
その後昭和期に二度の復元修理を経て現在に至っています。 -
そして二重櫓を少し進んでいくとこんな表記が・・・。臥牛山をさらに登っていくと鎌倉時代に築城された古城跡にいけるそうです。
ただ今まで歩いてきたペースを考えると往復で1時間以上かかりそうだったので断念。平地で420m、580mなら大した事はありませんが、さすがにここではきついものがあります。備中松山城 名所・史跡
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大松山城方面はこんな通路になっていました。なんとなく今までの臥牛山の道より険しそうな雰囲気が・・・。
ちなみに大松山城からさらに進むとこの日の夕方に訪れる備中松山城展望台に迎えるそうです。市のHPによると1時間かかるとか・・。備中松山城 名所・史跡
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二重櫓を見て備中松山城の天守へと向かいます。階段を登り復元された櫓でチケットを購入する形です。入場料は500円。高梁市街の各施設との共通券もあるのですが、現時点でどこ行くか決めていないので単独券で入ります。
備中松山城 名所・史跡
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イチオシ
天守の前までやってきました。単独二層天守に見えますが実は連立式二層天守です(向かって左手、入り口が見えるところは天守ではなく櫓)。ちょっと見えにくいですが向かって左右にも破風があり、一層目に唐破風の出窓があり装飾もしっかりとされています。
備中松山城 名所・史跡
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最初に天守の後ろに回り込み先ほど外側から眺めた二重櫓を見てみます。外側とこちら側、両側に出入り口のある造りで天守との移動もしやすいようになっています。こちらから見ると天然の岩山の上に建っているようには感じませんね。
備中松山城 名所・史跡
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この二つの櫓は近年復元されたものです。右側は備中松山城の歴史などを紹介するビデオや資料が展示されていました。左側は事務所として利用されているようです。
備中松山城 名所・史跡
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手前の入口がある部分が八の櫓、そこから天守までは接続廊下となっているようです。手前部分に石垣がないなど天守と八の平櫓の差も良く見るとわかりますね。
ちなみに1940年の大修理の際には天守も八の平櫓もひどく荒廃していて、原状復帰が不可能だったという事で多少構造がかわっているそうです。備中松山城 名所・史跡
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天守(厳密には接続している八の櫓)から見た高梁川の様子です。313号や伯備線の通るところから車と徒歩でここまで上がってきましたが、江戸時代はすべて徒歩で上がってきたのですから相当な体力が必要だったと思います。
とは言え車で登ってくるときに徒歩で下から上がってくる方もいらっしゃいましたが・・・。 -
こちらが八の平櫓の中の様子。正面右手にある梯子から天守に入ることが出来るようになっています。後から人は次々と訪れてきますが、私が入った直後は人がだれもいなくてゆっくりと見る事が出来る環境でした。
ここも現存櫓なのですが、昭和・平成の改修を経ているからなのか天守に比べ少し綺麗に感じました。 -
ここは狭間ではなく石落としという窓です。この部分を石垣の上に張り出しておいて、敵が侵入した時にここから石を落とし攻撃するそうです。
外から見たらバレバレじゃないのかなとか思ったんですが違うんでしょうかね。備中松山城 名所・史跡
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接続廊下から梯子を登り天守の一層目に入ります。天守は二層式天守で非常にコンパクト。山全体を含め要塞という当初のお城の役目を果たしている感じです。
天守内は備中松山城の歴史やなぜ明治維新後高梁とこの地域が呼ばれるようになったか、戊辰戦争から明治維新までの備中高梁藩の出来事などが解説されていました。備中松山城 名所・史跡
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二階へと上がってきました。一階も天守としては狭いですが、二階は結構狭く感じる部屋でした。後ろにもう少しスペースがありますが、写真で写っている範囲でだいたいすべてでした。
備中松山城 名所・史跡
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二階北側には御神壇があります。現在でいうところの神棚にあたるもので、天守にあるのは珍しいですね。後で写真を撮影しようと思ったら人だかりでうまく撮影できなかったのですが、一階には装束の間(籠城時最後に城主が立てこもる場所=切腹をして死に場所になる)があったり、山城ということで籠城戦を想定していていままで見てきた天守とは違うところもおおくありました。
備中松山城 名所・史跡
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二層目の天井はふさがれてなく屋根や梁がそのまま見える状態でした。天和の改修で現在の天守、城郭の形になったという事なので、それ以降この形なのだと思います。とはいえ明治から昭和初期に荒れ放題になっているので昭和の改修で変わった可能性もありますが・・・。
どちらにせよ現存天守の骨組みをゆっくりと見れる貴重な場所な気がします。備中松山城 名所・史跡
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二層目から下に降りてくると人がかなり増えていました。皆さんあの山道を登ってきたのね・・・。
今まではほとんど人を見なかったので少し驚きましたがにぎわっているのは良い事なのでよかったです。学生の春休みの季節とは言え平日にこんなに来るとは思っていなかったです。備中松山城 名所・史跡
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城内では備中松山城に関わるしゃちほこが展示されていました。
備中松山城 名所・史跡
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人も増えてきましたしみるところは見たので天守を出ます。こうやってみると石垣が建物の中まで入ってきていて八の櫓が独立した櫓、というのが説得力あります。ここも天守の一部だと天守の中に石垣がある形になりますからね。
備中松山城 名所・史跡
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備中松山城の猫城主「にゃんじゅーろー」が本丸の広場で休んでいました。コロナ前は大人気の猫城主でにゃんじゅーろー目当てに来る人もいたそうです。
備中松山城 名所・史跡
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残念ながら新型コロナウイルス対策という事でにゃんじゅーろーとの触れ合いは禁止されてしまっていました(´・ω・`)。
にゃんじゅーろーは逆に気ままに過ごせてよいのかもしれませんね。備中松山城 名所・史跡
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二の丸から高梁市街を見て下山を開始します。
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大手門を過ぎた場所でルートが分岐してどちらからでも降りれるようなので行きとは違う道で降りていきます。階段は急ですが行きと違ってサクサクと降りていきます。やっぱどこまで進めばいいのかわかっていると気分的にらくです。
臥牛山自然植物園 公園・植物園
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こちらはしばらくするとアスファルト舗装の道に出ました。とは言えこの道は一般車が登ってこれる道ではなく公共作業の車などだけが通れる道です。途中に東屋の様な建物がありましたが、割とスムーズに降りれているので休憩せずそのまま降りていきます。
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途中つづら折りになっている場所があり歩く距離は伸びますが、足元がアスファルトなのでそんなに苦もなく歩けます。備中松山城のある臥牛山は天然林なのですが、周囲の山々は杉が植林されている様子で杉林が見えます。
そしてまだまだ赤くなっている杉が・・・(´・ω・`)。
かなり重い花粉症なので見るだけでも気分が萎えてしまいます。
それさえなければ右下に棚田が見えたりすごくいい風景なんですけどね。 -
帰りは本丸からふいご峠駐車場まで歩いて18分ほどで戻ってきました。勾配は急ですがやはりアスファルト舗装の道は歩きやすかったです。とは言え行きは辛かったものの臥牛山を登りながら進んだことで往年の登城の大変さがわかったのでよかったと思います。
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2時間ほど前に到着した時は余裕で止められたふいご峠駐車場ですが、平日でも午後1時の時点では駐車が困難な状況になっていました。
たしかに天守にいたときにずいぶんと人が増えたなあと感じましたし下山は途中から別ルートでしたが、登ってくる人もちらほら見えていました。 -
ふいご峠駐車場では自販機と簡易的なお土産売り場があって柚餅子を勧められましたが、柚餅子は単品売りがなかったので単品購入できるゆずもなかを購入。車内で食べてから出発しましたが美味しくて元気が出ました。
その後ふいご峠から車で下っていきますが、シャトルバス乗り場までは道が狭く、係員がトランシーバーで連絡を取りながら交互通行を行っていました。 -
ふいご峠駐車場から下り観光駐車場へやってきました。途中武家屋敷そばに駐車場があったのですが、その近辺で食事をとれる場所があるかわからないですし、岡山駅あたりで食事して以降何も食べずここまで来て体力使っていたので食べる事を優先したかったので・・・。
ちょうど観光駐車場の敷地内にインドカレー店と蕎麦屋があったのでインドカレー店へ。観光駐車場にある飲食店で食事をすると1時間分駐車場料金が引かれるそうです。観光駐車場にあるインドカレー店 by かるあみるくさんアジアン料理 ナマステアガン グルメ・レストラン
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店内はなかなか広くゆっくりとくつろげました。時々テイクアウトを購入しに来ている人もいたので地元向けにそのようなサービスもあるようです。
平日で少し時間もずれていたのでガラガラでしたが、入店時には親子連れがいたりこの後部活の中学生?集団たちも来ていました。 -
カレー二種類とドリンクが付くスペシャルセットを頼みました。カレーはバターチキンとキーマを選んでドリンクはラッシーです。丁度いい辛さで美味しかったけどボリュームが多かった。
割と大食いなんだけどちょっと食べすぎと思うくらいになっちゃいました。ふいご峠でゆずもなかを食べた以外はサンライズ出雲の中で朝食べて以来食べてなかったんですけどね。
ちなみにこれで1375円です。安い! -
観光駐車場には中国銀行発祥の地の碑がありました。中国銀行は松山旅行記で登場した伊予銀行と同じく地域の銀行が合併して出来上がった銀行ですが、現在の中国銀行を構成する銀行の一つ、第八十六銀行はこの地で創業したそうです。
ちなみに合併した銀行の中で一番古いようですね。 -
観光駐車場を出てすぐ北側にある紺屋川美観地区にやってきました。ここは紺屋川の南北に細い路地が走っていて商店が並んでいる地域です。紺屋川を挟む路地は風流がある姿ですが、江戸時代には紺屋川が備中松山城の外堀の役割を果たしていました。
紺屋川美観地区の物産館 by かるあみるくさん観光物産館紺屋川 お土産屋・直売所・特産品
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紺屋川美観地区には一般商店も多かったですがここは観光客向けのお店でした。地場産品や軽食も撮れるほか観光案内もやっています。
建物自体も結構古いものの様に感じます。紺屋川美観地区の物産館 by かるあみるくさん観光物産館紺屋川 お土産屋・直売所・特産品
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アスファルト舗装、電柱など生活感あふれる感じもありますが、結構な樹齢の木も残っていて紺屋川の石垣も含め往時の雰囲気も残していました。
紺屋川筋 名所・史跡
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江戸時代以前は外堀の役割を果たしていた紺屋川ですが今は小さい川で階段を使って川面に降りれる様です。
この時はまだ誰もいませんでしたが、夕方に高梁を出るときには子供たちが遊んでいました。紺屋川筋 名所・史跡
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桜の木々が紺屋川筋に植えられていました。あと2週間程度で桜が綺麗に咲くのでしょうね。急激に暖かくなった時期でしたが、桜を見るには少しだけ早すぎました。
紺屋川筋 名所・史跡
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この辺りに備中松山藩の藩校跡があるということでうろうろしていて撮影したのがこれ。復元建物かと思いきや消防団の施設でした。公共の物はできる限り雰囲気に溶け込もうとしているようです。
紺屋川筋 名所・史跡
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こちらが板倉家時代の備中松山藩藩校、有修館跡です。現在は藩校時代に植えられたと思われる松がある程度ですが、現在この地に建つ幼稚園も武家屋敷をイメージした門構えになっています。
維新などで備中松山藩士が活躍することはなかったですが、藩政改革の原動力となった藩校でした。 -
紺屋川美観地区にある高梁基督教会堂。プロテスタントの教会で明治22年に建築され岡山県内最古の教会だそうです。
宮大工による工事で木造建築の教会でした。岡山県最古の教会 by かるあみるくさん高梁基督教会堂 寺・神社・教会
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美観地区から少し歩いてやってきたのは高梁市郷土資料館。元々は高梁小学校本館として1904年に建築されたもので、1972年の高梁小学校移転後1976年から郷土資料館として利用されています。ちなみに現在の高梁小学校は高梁川の反対側に移転しているみたいですね。非常に立派な建物です。
ちなみに高梁市には吹屋小学校というやはり明治期の校舎が保存されていますが、現在改修工事中です。2012年廃校直後に訪れていますが、それは立派な建物でした。 -
高梁市郷土資料館の前のこの小さな公園は高梁中央公園と呼ばれているようです。地図でここを目印に郷土資料館に向かってきましたが、むしろ郷土資料館の方が目立っていました。そして今工事中で立ち入ることはできませんでした。
旧高梁尋常高等小学校本館 名所・史跡
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郷土資料館の横には昔は日本全国どこでも見れた二宮金次郎像ありました。今ではだいぶ減ったとか・・・。私は私立小出身なので母校にはなかったです。
小田原に二宮尊徳博物館があったはずですがまだ行ったことがないです。いつか行けたらいいなあ。旧高梁尋常高等小学校本館 名所・史跡
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入り口を挟んで反対側にあったのは山田方谷像。江戸後期から幕末の儒教家、教育者、政治家で財政崩壊の寸前の備中松山藩の藩政改革を行った他、比較的早い時期に志願兵による西洋型軍改革を実施などをしています。
戊辰戦争の際には江戸にいた徳川親藩の藩主の意向を無視し岡山藩に降伏し開戦直前で備中松山の街を救う事に成功しました。
郷土資料館の横には最近できた方谷記念館もあるのですが、時間がかなり押しているのでパスすることになりました。旧高梁尋常高等小学校本館 名所・史跡
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入ってすぐにあるのが電話交換機関係。携帯電話全盛の今ではまったくそうぞうできないですが、こんな時代があったんですよね。
旧高梁尋常高等小学校本館 名所・史跡
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10円専用の公衆電話。こちらは私が小学生の頃はまだまだ見る事が出来ましたが最近はまず見ないですね。というか公衆電話もほとんど見ないですし。
小学生時代下校時に最寄り駅から家へ今から帰ると電話をしていたのが懐かしいです。旧高梁尋常高等小学校本館 名所・史跡
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明治時代から昭和にかけてのランプがたくさん並んでいます。おもちゃやピアノなどや戦中の物品なども展示されていました。
旧高梁尋常高等小学校本館 名所・史跡
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廊下にはアンティークな時計がたくさん展示されています。上にも書きましたがこのスペースには学校で使うようなピアノやオルガンも展示されていました。
旧高梁尋常高等小学校本館 名所・史跡
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戦時下の子供向けのすごろくが壁に貼られていました。マスが軍事的な用語になっています。航空母艦でショートカットはともかく長距離砲でショートカットって弾になるのかな?と突っ込みをいれたくなりますが・・・。
よく見るとマスが軍事用語なだけでゲーム自体は普通のすごろくのようです。 -
備中松山城の往時の模型がありました。現在破却されている建物が多いとは言え先ほど上ったあとなのでだいたいは位置関係がわかりますが、大手門と天守の高低差だけでもここまであるのがわかります。臥牛山のふもとからこれを上がるのは相当な労力が必要そうです。
旧高梁尋常高等小学校本館 名所・史跡
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伯備線や高梁市内の各駅の昔の様子の写真が紹介されていました。現在でも陰陽連絡線では一番の交通量の伯備線ですが、昭和時代はもっと活気があった様子が伺えました。無煙化前や電化前の様子も見ていて面白かったです。
旧高梁尋常高等小学校本館 名所・史跡
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昔の備中高梁駅の駅名標が置かれていました。ホーロー看板ですね。高度成長期前後のものですかね。僕が子供の頃は地方駅ではまれに見ましたが今では博物館等以外では見る事はほとんどなくなってしまいました。
旧高梁尋常高等小学校本館 名所・史跡
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過去の鉄道信号機だと思います。鉄道のコーナーにあったので・・・。
あまりこちらの知識がなくちょっと調べましたが詳細は不明・・・。旧高梁尋常高等小学校本館 名所・史跡
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二階に上がってきましたが、階段も立派な造りです。下から見ると柱で支えていない構造で、階段の下にも入ることが出来る造りでした。
反対側にも同様の階段があり、これが1904年建築の小学校なのですからすごいですよね。旧高梁尋常高等小学校本館 名所・史跡
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消防団が実際に使用していた放水銃のようです。おそらく昭和初期なのかな。他にも消防や消防団の装備なども展示されていました。
旧高梁尋常高等小学校本館 名所・史跡
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二階は元々講堂だったようで広い空間が広がっています。二階は民俗文化を中心に収蔵していて江戸から明治にかけて利用された農機具などが展示されています。中には貴重なものもあるようですが知識があまりないので眺める事しかできず・・・。
旧高梁尋常高等小学校本館 名所・史跡
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そしてやはり高梁川流域ということで高瀬舟も展示されていました。高瀬舟による交易は日本各地で見られていましたが、現在の岡山県に当たる地域では高梁川、吉井川、旭川を利用して交易が行われていたそうです。
旧高梁尋常高等小学校本館 名所・史跡
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講堂の先端には祠の様な場所があります。この建物は1904年建築という事で校内に収められていたんですね。
これは・・・。旧高梁尋常高等小学校本館 名所・史跡
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ここには教育勅語が収められていました。戦前の学校にはどこもこの様に置かれていたそうです。当初は読み上げられる機会もあったそうですが、神聖化が図られるにつれ校舎内ではなく別の建物に収められほぼご神体のように扱われたそうです。結果読まれる事がなくなっていったということでした。
旧高梁尋常高等小学校本館 名所・史跡
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