赤磐・美咲・吉備中央旅行記(ブログ) 一覧に戻る
岡山旅行記2日目の後半です。本山寺から車で移動して美咲中央運動公園に到着したところからスタートです。天気が荒れるという予報で予定を変更し近場の美咲町を観光していましたがこの辺りで一度雨が本降りに・・・。<br />美咲町中心部にある亀甲岩や亀甲駅を見学後、美咲町名物の卵かけごはんを食べるために黄福広場にある食堂かめっち。へ。結構待つことが多いと聞いていましたが約40分待ち。卵かけご飯を食べるために、と聞けば長いですが、とても美味しいごはんと卵、醤油で卵かけご飯を食べれたのでまったく長く感じませんでした。<br />その後は天気が不安定ながらもまだ持っていたので大垪和西棚田へ。棚田百選にも選ばれた棚田は観光のベストシーズンではなかったですが、360°棚田に囲まれた地区というのは圧巻でした。<br />なんだかんだ天気は夕方まで持ったのでドライブしながら鶴田藩西御殿跡や岸田吟香記念館などをみていきました。鶴田藩西御殿跡はマイナーな場所ですが幕末好きには感じる事が多い場所でした。<br />夕食は本場のタイ料理を提供しているお店へ。トムヤンクンはとても辛くて食べるのに相当な時間がかかったけど本場の雰囲気を味わえてよかったです。<br />結局雨は夜7時頃まで土砂降りにならず、結果的には予定通りでも大丈夫だったんだと思いますが、安全第一というのもありますし、美咲町の観光地をじっくり見て回れたので良かったなと思います。

自然に!歴史に!産業遺産etc!見どころ満載の岡山県北-2日目後半

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2021/03/18 - 2021/03/21

47位(同エリア97件中)

かるあみるく

かるあみるくさん

この旅行記スケジュールを元に

岡山旅行記2日目の後半です。本山寺から車で移動して美咲中央運動公園に到着したところからスタートです。天気が荒れるという予報で予定を変更し近場の美咲町を観光していましたがこの辺りで一度雨が本降りに・・・。
美咲町中心部にある亀甲岩や亀甲駅を見学後、美咲町名物の卵かけごはんを食べるために黄福広場にある食堂かめっち。へ。結構待つことが多いと聞いていましたが約40分待ち。卵かけご飯を食べるために、と聞けば長いですが、とても美味しいごはんと卵、醤油で卵かけご飯を食べれたのでまったく長く感じませんでした。
その後は天気が不安定ながらもまだ持っていたので大垪和西棚田へ。棚田百選にも選ばれた棚田は観光のベストシーズンではなかったですが、360°棚田に囲まれた地区というのは圧巻でした。
なんだかんだ天気は夕方まで持ったのでドライブしながら鶴田藩西御殿跡や岸田吟香記念館などをみていきました。鶴田藩西御殿跡はマイナーな場所ですが幕末好きには感じる事が多い場所でした。
夕食は本場のタイ料理を提供しているお店へ。トムヤンクンはとても辛くて食べるのに相当な時間がかかったけど本場の雰囲気を味わえてよかったです。
結局雨は夜7時頃まで土砂降りにならず、結果的には予定通りでも大丈夫だったんだと思いますが、安全第一というのもありますし、美咲町の観光地をじっくり見て回れたので良かったなと思います。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.0
グルメ
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
レンタカー 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 本山寺から車でやってきたのは美咲中央運動公園。運動公園を名乗っていて野球場やテニス場などもあるほか子供の遊べる本格的な遊具などもあり天気の良い土日には子連れでにぎわうようです・・・。天気が良ければね・・・。<br />嵐の予報だったのもあり覚悟はしていましたが、本山寺からこちらに向かう途中で結構雨が強くなってきました。

    本山寺から車でやってきたのは美咲中央運動公園。運動公園を名乗っていて野球場やテニス場などもあるほか子供の遊べる本格的な遊具などもあり天気の良い土日には子連れでにぎわうようです・・・。天気が良ければね・・・。
    嵐の予報だったのもあり覚悟はしていましたが、本山寺からこちらに向かう途中で結構雨が強くなってきました。

    美咲町中央運動公園 公園・植物園

  • 上の公園のゲートのキャッチフレーズとは違いますが、こちらも木製の看板に「花と自然と笑顔のある町。みまさか桧の里 美咲町」と書かれています。木製の看板というのが良いですね。<br />ちなみにこれは美咲中央運動公園の入り口当たりなのですが、写真でわかる通りこの公園山の縁に造られていて園内はかなり高低差があります。

    上の公園のゲートのキャッチフレーズとは違いますが、こちらも木製の看板に「花と自然と笑顔のある町。みまさか桧の里 美咲町」と書かれています。木製の看板というのが良いですね。
    ちなみにこれは美咲中央運動公園の入り口当たりなのですが、写真でわかる通りこの公園山の縁に造られていて園内はかなり高低差があります。

    美咲町中央運動公園 公園・植物園

  • 美咲町はたまごかけごはん発祥の地としてたまごかけごはんを売り出しています。<br />後ほど訪れますが食堂かめっちはほぼたまごかけごはん定食のみのメニューながら場合によっては2時間ほど待つ人気店になっています。すべての食材は美咲町産のものをつかっているそうです。

    美咲町はたまごかけごはん発祥の地としてたまごかけごはんを売り出しています。
    後ほど訪れますが食堂かめっちはほぼたまごかけごはん定食のみのメニューながら場合によっては2時間ほど待つ人気店になっています。すべての食材は美咲町産のものをつかっているそうです。

  • 美咲中央運動公園から歩いてすぐのところにあるこちらは美咲町物産センター。美咲町の物産品や木工品などを売っていますが、国道53号沿いにあり美咲町を訪れる人だけでなく岡山-津山間を車で移動する人にとっても寄りやすい場所にあります。

    美咲中央運動公園から歩いてすぐのところにあるこちらは美咲町物産センター。美咲町の物産品や木工品などを売っていますが、国道53号沿いにあり美咲町を訪れる人だけでなく岡山-津山間を車で移動する人にとっても寄りやすい場所にあります。

    美咲町物産センター お土産屋・直売所・特産品

  • 物産センターの入り口に設置されている亀の石像もマスクをしていました・・・(´・ω・`)。

    物産センターの入り口に設置されている亀の石像もマスクをしていました・・・(´・ω・`)。

    美咲町物産センター お土産屋・直売所・特産品

  • やはり美咲町と言えばこれ、卵でしょう。森のたまごというブランドで美咲産のたまごが売り出されていました。他には食堂かめっちで使われているたまごかけごはん専用の醤油やふりかけなどもあります。<br />卵かけご飯以外では野菜や果物の他パンや木工細工、ジュースなども扱っていました。<br />割と商品が多く楽しめるお店でした。

    やはり美咲町と言えばこれ、卵でしょう。森のたまごというブランドで美咲産のたまごが売り出されていました。他には食堂かめっちで使われているたまごかけごはん専用の醤油やふりかけなどもあります。
    卵かけご飯以外では野菜や果物の他パンや木工細工、ジュースなども扱っていました。
    割と商品が多く楽しめるお店でした。

  • 美咲町の中心部を歩いている最中に美咲中央中学校にあった石碑。加美青年学校、加美高等学校跡と書かれていました。<br />石碑自体は新しそうですが青年学校とあるので1935年頃から47年頃にあった学校のはずです。加美青年学校が改編され加美高等学校になったのだと思いますがいくら検索しても出てこず詳細は不明です。

    美咲町の中心部を歩いている最中に美咲中央中学校にあった石碑。加美青年学校、加美高等学校跡と書かれていました。
    石碑自体は新しそうですが青年学校とあるので1935年頃から47年頃にあった学校のはずです。加美青年学校が改編され加美高等学校になったのだと思いますがいくら検索しても出てこず詳細は不明です。

  • 美咲中央中学校の前にある橋の名前は”亀橋”。橋の入り口には亀の像が造られています。

    美咲中央中学校の前にある橋の名前は”亀橋”。橋の入り口には亀の像が造られています。

  • 先ほどから亀の像や亀橋など亀にちなむものがいくつか出てきていますが、その由来はこの岩でその名も”亀甲岩”です。伝説によれば昔行き倒れの旅人をここに埋葬したところ弘法大師像を乗せたこの岩がせりあがってきたそうです。<br />そしてこの岩が亀に似ていたことから亀甲岩と名づけられたそうです。

    先ほどから亀の像や亀橋など亀にちなむものがいくつか出てきていますが、その由来はこの岩でその名も”亀甲岩”です。伝説によれば昔行き倒れの旅人をここに埋葬したところ弘法大師像を乗せたこの岩がせりあがってきたそうです。
    そしてこの岩が亀に似ていたことから亀甲岩と名づけられたそうです。

  • こちらは美咲町役場の分庁舎。この右手に本館があります。美咲町は西から旭・中央・柵原町が合併しましたが、この旧中央町原田地区が一番中心に位置していて、また岡山と津山との交通の要衝という事もあるのか、中央町役場がそのまま美咲町役場になったようです。<br />横断幕をみると町内のテレビもここから発信しているようですね。

    こちらは美咲町役場の分庁舎。この右手に本館があります。美咲町は西から旭・中央・柵原町が合併しましたが、この旧中央町原田地区が一番中心に位置していて、また岡山と津山との交通の要衝という事もあるのか、中央町役場がそのまま美咲町役場になったようです。
    横断幕をみると町内のテレビもここから発信しているようですね。

  • 美咲町役場の側にあるこの休憩所兼地区センター?の建物もなんとなくですが亀の形を模ったように感じます。<br />ここにはトイレもあるようです。使っていないのでどんな感じかわかりませんが・・・。

    美咲町役場の側にあるこの休憩所兼地区センター?の建物もなんとなくですが亀の形を模ったように感じます。
    ここにはトイレもあるようです。使っていないのでどんな感じかわかりませんが・・・。

  • 少し歩いて到着したこの建物は亀甲駅。亀甲岩から名前が採られていて駅舎も亀を模っています。というか左側に亀の頭が見えますし、上から見ないとわかりにくいですが屋根は亀の甲羅の形になっています。<br />駅の所在地は津山線が通った時から原田という地名ですが、まったく地名とは違う近くの岩の名前を付けた例というのは珍しいのかなと思います。現在だと割とありそうな気もしますけど。

    少し歩いて到着したこの建物は亀甲駅。亀甲岩から名前が採られていて駅舎も亀を模っています。というか左側に亀の頭が見えますし、上から見ないとわかりにくいですが屋根は亀の甲羅の形になっています。
    駅の所在地は津山線が通った時から原田という地名ですが、まったく地名とは違う近くの岩の名前を付けた例というのは珍しいのかなと思います。現在だと割とありそうな気もしますけど。

  • 亀甲駅は地方の駅としては駅舎も大きく待合所やちょっとした打ち合わせもできる?スペースもありました。オープンスペースですが・・・。<br />でも自販機もあったりこの日は休みでしたり飲食店もあったり、地方交通線の中間駅としてはとても施設は充実していると思います。<br />列車到着間際でも誰もいませんでしたけど・・・。

    亀甲駅は地方の駅としては駅舎も大きく待合所やちょっとした打ち合わせもできる?スペースもありました。オープンスペースですが・・・。
    でも自販機もあったりこの日は休みでしたり飲食店もあったり、地方交通線の中間駅としてはとても施設は充実していると思います。
    列車到着間際でも誰もいませんでしたけど・・・。

  • 亀甲駅には駅スタンプも設置されていました。そして委託だと思いますが窓口に職員もいました。<br />他には観光パンフレットなどもあります。津山線で来て美咲を観光する人はあまり多くないと思いますが、レンタサイクルもあり観光情報もあるので起点として利用することも可能な様子。ただこの後訪れる大垪和西棚田や旭地区、朝訪れた柵原などは同じ美咲町でもかなり遠いので自転車では厳しいと思います。

    亀甲駅には駅スタンプも設置されていました。そして委託だと思いますが窓口に職員もいました。
    他には観光パンフレットなどもあります。津山線で来て美咲を観光する人はあまり多くないと思いますが、レンタサイクルもあり観光情報もあるので起点として利用することも可能な様子。ただこの後訪れる大垪和西棚田や旭地区、朝訪れた柵原などは同じ美咲町でもかなり遠いので自転車では厳しいと思います。

  • 黄福(こうふく=幸福)の街、美咲町ということで黄色いハンカチにウォーキングマップを印刷したものが販売されていました。「みさき桃太郎伝説」、「かめの町」、「大垪和西棚田」の三種類がありましたが、亀甲駅周辺の二枚は売り切れていて大垪和西棚田を購入しました。この時点では大垪和西に行くかは天気次第の状況だったのでどちらかというとお土産的な購入だったのですが、後述しますが購入しておいて後々助かりました。<br />左の方を見ると黄色いハンカチに願いを書いて貼り付けるのも行っていたようですが、訪れた時点ではその販売はなかったです。

    黄福(こうふく=幸福)の街、美咲町ということで黄色いハンカチにウォーキングマップを印刷したものが販売されていました。「みさき桃太郎伝説」、「かめの町」、「大垪和西棚田」の三種類がありましたが、亀甲駅周辺の二枚は売り切れていて大垪和西棚田を購入しました。この時点では大垪和西に行くかは天気次第の状況だったのでどちらかというとお土産的な購入だったのですが、後述しますが購入しておいて後々助かりました。
    左の方を見ると黄色いハンカチに願いを書いて貼り付けるのも行っていたようですが、訪れた時点ではその販売はなかったです。

  • 亀甲駅の中には地元の方々が作成した民芸品でしょうか?売り物ではなく展示されていました。一番下は備前焼の品々のようです。<br />見切れていますが上の方には亀甲駅の昔の空撮写真なども貼られていて、駅舎内を見ているだけでも楽しめる駅でした。

    亀甲駅の中には地元の方々が作成した民芸品でしょうか?売り物ではなく展示されていました。一番下は備前焼の品々のようです。
    見切れていますが上の方には亀甲駅の昔の空撮写真なども貼られていて、駅舎内を見ているだけでも楽しめる駅でした。

  • 亀甲駅にはMICROという食堂がありますがこの日は休業でした。隣にはまちかど図書館という小さな図書コーナーがありました。誰もいませんでしたが、列車待ちの人にとっては便利だと思います。

    亀甲駅にはMICROという食堂がありますがこの日は休業でした。隣にはまちかど図書館という小さな図書コーナーがありました。誰もいませんでしたが、列車待ちの人にとっては便利だと思います。

    MICRO グルメ・レストラン

  • ちょうど亀甲駅に列車がやってきました。それもかつてみまさかノスタルジーとして運行されていた国鉄気動車色のキハ40。岡山DC終了後もこの塗装で通常運用についているそうです。<br />車内は昭和30~40年をコンセプトにしていて栓抜きが設置されたり国鉄シート色に変更されたりしたそうですが、現在も車内はそのままなんですかね?<br />外から見ると体質改善40N工事は施行されているようです。

    ちょうど亀甲駅に列車がやってきました。それもかつてみまさかノスタルジーとして運行されていた国鉄気動車色のキハ40。岡山DC終了後もこの塗装で通常運用についているそうです。
    車内は昭和30~40年をコンセプトにしていて栓抜きが設置されたり国鉄シート色に変更されたりしたそうですが、現在も車内はそのままなんですかね?
    外から見ると体質改善40N工事は施行されているようです。

  • 亀甲駅横には親子ガメ、というより三代の亀でしょうか、亀の像が設置されています。この他にも亀の像がいくつもありました。<br />とりあえず美咲町の中心部や亀甲岩、亀甲駅を見れたので美咲中央運動公園へと戻ります。<br />天気は駅を出ると雨はほとんど上がっていて傘なしで歩ける状態に戻っていました。

    亀甲駅横には親子ガメ、というより三代の亀でしょうか、亀の像が設置されています。この他にも亀の像がいくつもありました。
    とりあえず美咲町の中心部や亀甲岩、亀甲駅を見れたので美咲中央運動公園へと戻ります。
    天気は駅を出ると雨はほとんど上がっていて傘なしで歩ける状態に戻っていました。

    亀甲駅

  • 亀甲駅から歩いて美咲中央運動公園にある黄福広場にやってきました。昨日夜遅くでとっくに閉店していたたまごかけごはんのお店、食堂かめっち。があるところです。<br />美咲中央公園に入って直進していくとこのお店にやってくることが出来ます。

    亀甲駅から歩いて美咲中央運動公園にある黄福広場にやってきました。昨日夜遅くでとっくに閉店していたたまごかけごはんのお店、食堂かめっち。があるところです。
    美咲中央公園に入って直進していくとこのお店にやってくることが出来ます。

  • これが食堂かめっちのメニュー。基本的には店内で卵かけご飯の黄福定食か屋外で釜炊きスペシャル、という選択になると思います。<br />街人数は多いですが回転はそこそこ早い印象でした。

    これが食堂かめっちのメニュー。基本的には店内で卵かけご飯の黄福定食か屋外で釜炊きスペシャル、という選択になると思います。
    街人数は多いですが回転はそこそこ早い印象でした。

  • 釜炊き用の薪コンロと鍋が置いてありましたが、釜炊きスペシャルも店内で作り持ってくる形になっていました。この薪コンロが実際に使用されているわけではなさそうですが、いい雰囲気を出していました。

    釜炊き用の薪コンロと鍋が置いてありましたが、釜炊きスペシャルも店内で作り持ってくる形になっていました。この薪コンロが実際に使用されているわけではなさそうですが、いい雰囲気を出していました。

  • たまごかけごはんの顔出し看板が黄幸広場の前には置かれていました。黄幸広場は結構な待ち時間になることが多いので、子供たちが飽きないようにというのもあるのでしょうね。<br />たまごかけごはんの顔出し看板は初めて見ました・・・。

    たまごかけごはんの顔出し看板が黄幸広場の前には置かれていました。黄幸広場は結構な待ち時間になることが多いので、子供たちが飽きないようにというのもあるのでしょうね。
    たまごかけごはんの顔出し看板は初めて見ました・・・。

  • この卵をもした遊具?も子供が遊ぶためのもののようで、たまたまこの写真を撮った時は誰もいませんでしたが、入れ代わり立ち代わり子供たちが遊んでいました。<br />上の顔出し看板と同様に、子供の待ち時間つぶしの為だと思います。

    この卵をもした遊具?も子供が遊ぶためのもののようで、たまたまこの写真を撮った時は誰もいませんでしたが、入れ代わり立ち代わり子供たちが遊んでいました。
    上の顔出し看板と同様に、子供の待ち時間つぶしの為だと思います。

  • 名前を記入した時は1時間くらい待つとスタッフに聞きましたが、実際は40分ちょっとでした。現在コロナ対策で2人席毎にパーテーションで仕切っていて、1人でも隣席に座らないように客を配置していました。その関係で少し待ち時間が伸びているのかもしれないですが、2人以内だったらそこまで待つことは少ないのかもしれません。<br />2時ちょっと前だったというのもあると思いますが・・・。

    名前を記入した時は1時間くらい待つとスタッフに聞きましたが、実際は40分ちょっとでした。現在コロナ対策で2人席毎にパーテーションで仕切っていて、1人でも隣席に座らないように客を配置していました。その関係で少し待ち時間が伸びているのかもしれないですが、2人以内だったらそこまで待つことは少ないのかもしれません。
    2時ちょっと前だったというのもあると思いますが・・・。

  • 呼び出されると食券を購入し店内へ。店内に入り食券を渡すとすぐに提供されました。これが黄福定食500円です。卵とごはんを同時にお代わりすると何倍でも無料、卵orごはんだけお代わりだと代金がかかるそうです。卵ももちろんですがお米も美味しい。ごはんが美味しいからこその卵かけごはんなんだなと実感しました。

    呼び出されると食券を購入し店内へ。店内に入り食券を渡すとすぐに提供されました。これが黄福定食500円です。卵とごはんを同時にお代わりすると何倍でも無料、卵orごはんだけお代わりだと代金がかかるそうです。卵ももちろんですがお米も美味しい。ごはんが美味しいからこその卵かけごはんなんだなと実感しました。

    食堂かめっち。 グルメ・レストラン

    美咲町の名物たまごかけごはんが食べ放題のお店 by かるあみるくさん
  • 卵をご飯に入れるとこんな感じ。とても美味しいたまごとごはんでした。卵かけご飯がこんなに美味しいと感じたのは初めてです。<br />卵かけご飯用の醤油と辛味のある醤油がありどちらも美味しかったです。<br />結局2回お代わりをして満腹になりました。これで500円。とても安いですし味も美味しい。少し待ちましたけど来てよかったです。

    卵をご飯に入れるとこんな感じ。とても美味しいたまごとごはんでした。卵かけご飯がこんなに美味しいと感じたのは初めてです。
    卵かけご飯用の醤油と辛味のある醤油がありどちらも美味しかったです。
    結局2回お代わりをして満腹になりました。これで500円。とても安いですし味も美味しい。少し待ちましたけど来てよかったです。

    食堂かめっち。 グルメ・レストラン

    美咲町の名物たまごかけごはんが食べ放題のお店 by かるあみるくさん
  • 美咲中央運動公園を出発し次の目的地に進んでいきます。津山に戻り津山まなびの鉄道館に戻ることも考えましたが、それは翌日に回し美咲町の棚田と歴史を回る事にしました。運動公園の中を通っている道を進み西方へと進んでいきます。県道70号の交差点に着く直前に見えた集落。奥に学校のような建物が見えますが既に廃校になっているそうです。

    美咲中央運動公園を出発し次の目的地に進んでいきます。津山に戻り津山まなびの鉄道館に戻ることも考えましたが、それは翌日に回し美咲町の棚田と歴史を回る事にしました。運動公園の中を通っている道を進み西方へと進んでいきます。県道70号の交差点に着く直前に見えた集落。奥に学校のような建物が見えますが既に廃校になっているそうです。

  • 振り返って今越えてきた山を撮影した写真です。岡山の道はかなり険しい道が多いですが、この道は狭いところこそあるものの普通に運転できる道でした。<br />写真左手の建物は数年前まで立ち寄り湯をやっていたようですが、現在は閉館されています。

    振り返って今越えてきた山を撮影した写真です。岡山の道はかなり険しい道が多いですが、この道は狭いところこそあるものの普通に運転できる道でした。
    写真左手の建物は数年前まで立ち寄り湯をやっていたようですが、現在は閉館されています。

  • 大垪和地区の入り口、県道70号と県道373号の交差点にあった明治100年記念碑。横には境地区老人会と書かれていました。<br />1968年の建立だと思いますが、なぜここに明治100年記念碑があったのかは不明です。

    大垪和地区の入り口、県道70号と県道373号の交差点にあった明治100年記念碑。横には境地区老人会と書かれていました。
    1968年の建立だと思いますが、なぜここに明治100年記念碑があったのかは不明です。

  • この辺りは1889年に大垪和村に合併する前の境村の中心部だったようです。明治の大合併で合併している村なのでほぼ当時の姿は残していないですが・・・。上にもあるように現在でも境地区として集落は残っていました。明治の合併で大垪和村に、昭和の合併で中央町に、平成の合併で美咲町へとこの地区は変遷していきます。

    この辺りは1889年に大垪和村に合併する前の境村の中心部だったようです。明治の大合併で合併している村なのでほぼ当時の姿は残していないですが・・・。上にもあるように現在でも境地区として集落は残っていました。明治の合併で大垪和村に、昭和の合併で中央町に、平成の合併で美咲町へとこの地区は変遷していきます。

  • 少し道を進んでいくと石碑があり左手に溜池らしきものが見えてきました。石碑は滝谷池竣工記念碑と書かれており揮毫は岡山県知事加藤武徳となっていました。

    少し道を進んでいくと石碑があり左手に溜池らしきものが見えてきました。石碑は滝谷池竣工記念碑と書かれており揮毫は岡山県知事加藤武徳となっていました。

  • こちらがその滝谷池。池と呼ばれていますが1968年完成の人造湖で重力ダムです。目的はおそらく水源確保だと思います。<br />美咲町のパンフレットによれば滝谷池の側には落差12mの滝谷の滝があるほか池周囲は滝谷池自然公園として整備されているそうです。

    こちらがその滝谷池。池と呼ばれていますが1968年完成の人造湖で重力ダムです。目的はおそらく水源確保だと思います。
    美咲町のパンフレットによれば滝谷池の側には落差12mの滝谷の滝があるほか池周囲は滝谷池自然公園として整備されているそうです。

  • 滝谷池の堤防上には大垪和地区の観光案内がありました。少し色が濃くなっているのが1955年の合併までの大垪和村の区域ですね。山奥の山村ですが観光地は多く棚田も大垪和西以外にも有名な場所があるようです。

    滝谷池の堤防上には大垪和地区の観光案内がありました。少し色が濃くなっているのが1955年の合併までの大垪和村の区域ですね。山奥の山村ですが観光地は多く棚田も大垪和西以外にも有名な場所があるようです。

  • 滝谷池を過ぎて数分車で進むと大垪和西郵便局や廃校?のような場所を通り、ここがおそらく昭和の合併で中央町になる前の大垪和村の中心地だと思います。<br />そこを過ぎてすぐの所にT字路があり、その横には大垪和西棚田の駐車場があり看板が立っていました。<br />時期的にまで田植え前で棚田を見るには一番向いていない季節だと思いますが、収穫前の時期にはこんな光景が見られるようです。

    滝谷池を過ぎて数分車で進むと大垪和西郵便局や廃校?のような場所を通り、ここがおそらく昭和の合併で中央町になる前の大垪和村の中心地だと思います。
    そこを過ぎてすぐの所にT字路があり、その横には大垪和西棚田の駐車場があり看板が立っていました。
    時期的にまで田植え前で棚田を見るには一番向いていない季節だと思いますが、収穫前の時期にはこんな光景が見られるようです。

    大垪和西の棚田 自然・景勝地

  • 上の写真の看板の右下に「右後ろの建物(地域活性化センター)の軒下に地図が置いてあります」と書かれていて、これがその建物だと思うのですが、農林水産省の発行している棚田についてのパンフレットがあるだけでそれらしきものはなし。<br />スマホ見ながら進むかなと悩んでいると、車にあるものがあることを思い出しました。

    上の写真の看板の右下に「右後ろの建物(地域活性化センター)の軒下に地図が置いてあります」と書かれていて、これがその建物だと思うのですが、農林水産省の発行している棚田についてのパンフレットがあるだけでそれらしきものはなし。
    スマホ見ながら進むかなと悩んでいると、車にあるものがあることを思い出しました。

    大垪和西の棚田 自然・景勝地

  • 思い出したのはこれ。先ほど亀甲駅で買った観光案内が描かれている黄色いハンカチです。亀甲駅周辺のものがなくこちらを買いましたが、結果的にはこれを買っていかなかったらどこを車が通れるのかわからず車で進むことはしなかったと思います。<br /><br />もし大垪和西棚田に来るのならこれを購入しておいた方が良いと思います。<br />現在地は右上のPと書かれている場所です。

    思い出したのはこれ。先ほど亀甲駅で買った観光案内が描かれている黄色いハンカチです。亀甲駅周辺のものがなくこちらを買いましたが、結果的にはこれを買っていかなかったらどこを車が通れるのかわからず車で進むことはしなかったと思います。

    もし大垪和西棚田に来るのならこれを購入しておいた方が良いと思います。
    現在地は右上のPと書かれている場所です。

  • この駐車場からでも棚田はある程度見えますが、大垪和西棚田のもっとよく見るためにはも鵜少し移動した方がいいようなので移動することにします。黄色いハンカチ買っておいて本当に良かったです。

    この駐車場からでも棚田はある程度見えますが、大垪和西棚田のもっとよく見るためにはも鵜少し移動した方がいいようなので移動することにします。黄色いハンカチ買っておいて本当に良かったです。

    大垪和西の棚田 自然・景勝地

  • 少し車で移動すると道路脇に駐車スペースがありそこから棚田を見渡すことが出来ます。上記した通り棚田を一番美しく見えるのは田植えの直後の新緑の季節と収穫前の黄金色の季節。残念ながら今回はどちらでもないですが、壮大な大垪和西の棚田をゆっくりと眺める事が出来ました。

    少し車で移動すると道路脇に駐車スペースがありそこから棚田を見渡すことが出来ます。上記した通り棚田を一番美しく見えるのは田植えの直後の新緑の季節と収穫前の黄金色の季節。残念ながら今回はどちらでもないですが、壮大な大垪和西の棚田をゆっくりと眺める事が出来ました。

  • 一瞬人が棚田を眺めているように見えましたが、これは案山子です。<br />結構精巧に造られていて本物かと思うほどでした。<br /><br />ちょっぴり焦りました・・・。

    一瞬人が棚田を眺めているように見えましたが、これは案山子です。
    結構精巧に造られていて本物かと思うほどでした。

    ちょっぴり焦りました・・・。

    大垪和西の棚田 自然・景勝地

  • この区間の県道373号は道が狭隘なところもあるものの、そこまで危険を感じる道路ではなくアスファルト舗装もひび割れこそあるものもしっかりしています。<br />大垪和西の棚田地区を越え旭川湖方面へ向かうと滑落の危険もある狭隘道路になるので、旭川方面へ向かうのであれば迂回した方が無難です。僕も帰りは迂回していました。

    この区間の県道373号は道が狭隘なところもあるものの、そこまで危険を感じる道路ではなくアスファルト舗装もひび割れこそあるものもしっかりしています。
    大垪和西の棚田地区を越え旭川湖方面へ向かうと滑落の危険もある狭隘道路になるので、旭川方面へ向かうのであれば迂回した方が無難です。僕も帰りは迂回していました。

    大垪和西の棚田 自然・景勝地

  • 先ほどの地点から少し進むと棚田の中心部にある公園に降りるための道があるのでそちらへと向かいます。途中で撮影した写真がこちら。電線が貼られていたり道路が舗装されたりと小さな変化はありますが、手前の農家の建物と言い棚田の風景と言い明治初期から大きな変化はないのかなと思いました。

    先ほどの地点から少し進むと棚田の中心部にある公園に降りるための道があるのでそちらへと向かいます。途中で撮影した写真がこちら。電線が貼られていたり道路が舗装されたりと小さな変化はありますが、手前の農家の建物と言い棚田の風景と言い明治初期から大きな変化はないのかなと思いました。

    大垪和西の棚田 自然・景勝地

  • 坂を下りながら棚田のすり鉢のそこへと降りていきます。棚田百選に選ばれるだけあり広大なすり鉢状になっていて絶景というか圧倒させられました。<br />少し広い場所で車を停めても問題なさそうだったのでここからも撮影しました。<br />まあ車止めても問題ない場所と言っても対向車らしきものどころか人一人見なかったですけど・・・。

    坂を下りながら棚田のすり鉢のそこへと降りていきます。棚田百選に選ばれるだけあり広大なすり鉢状になっていて絶景というか圧倒させられました。
    少し広い場所で車を停めても問題なさそうだったのでここからも撮影しました。
    まあ車止めても問題ない場所と言っても対向車らしきものどころか人一人見なかったですけど・・・。

  • 小さな盆地の様になっているすり鉢状の土地に一面の棚田。この土地を開墾したのは相当な労力が必要だったと思われます。よく日本の原風景と言われる棚田ですが、多くは江戸中期以降のもので、この大垪和西棚田は明治初期に開墾された田んぼです。国内が安定し産業の発達が進むにつれて食料が必要になり、江戸時代以上に多くの土地が開墾されていった時代でした。

    小さな盆地の様になっているすり鉢状の土地に一面の棚田。この土地を開墾したのは相当な労力が必要だったと思われます。よく日本の原風景と言われる棚田ですが、多くは江戸中期以降のもので、この大垪和西棚田は明治初期に開墾された田んぼです。国内が安定し産業の発達が進むにつれて食料が必要になり、江戸時代以上に多くの土地が開墾されていった時代でした。

    大垪和西の棚田 自然・景勝地

  • 上から見下ろしていると遠くに見える事もあり一枚一枚の棚田はそんなに大きく感じませんが、こうやってみると結構な大きさに感じます。この写真でわかる通り機械化は難しく手作業で作業する必要がある棚田。この枚数を維持するのは大垪和の方々の大きな努力の結果によるものです。

    上から見下ろしていると遠くに見える事もあり一枚一枚の棚田はそんなに大きく感じませんが、こうやってみると結構な大きさに感じます。この写真でわかる通り機械化は難しく手作業で作業する必要がある棚田。この枚数を維持するのは大垪和の方々の大きな努力の結果によるものです。

    大垪和西の棚田 自然・景勝地

  • 棚田公園に到着しました。車で来ているのでそんなに時間もかからず、疲れる事もなく到着しましたが、外周を歩きながらここまでくると結構な距離になるので休憩にはいいスポットだと思います。トイレと東屋くらいしかないですけど(´・ω・`)

    棚田公園に到着しました。車で来ているのでそんなに時間もかからず、疲れる事もなく到着しましたが、外周を歩きながらここまでくると結構な距離になるので休憩にはいいスポットだと思います。トイレと東屋くらいしかないですけど(´・ω・`)

    大垪和西の棚田 自然・景勝地

  • 棚田公園の中は親水広場の様になっている場所もありました。子供とかが喜びそうですが、その世代の子連れで来る人がどれだけいるか疑問も・・・(-_-;)<br />この奥にも現役の棚田と農家の方の自宅なのかな?歴史を感じる建物が見えました。

    棚田公園の中は親水広場の様になっている場所もありました。子供とかが喜びそうですが、その世代の子連れで来る人がどれだけいるか疑問も・・・(-_-;)
    この奥にも現役の棚田と農家の方の自宅なのかな?歴史を感じる建物が見えました。

    大垪和西の棚田 自然・景勝地

  • 少し上ったところから棚田公園を鳥瞰するとこんな公園です。小さいながら車を停めるスペースも一応あり、トイレもそこそこ綺麗だったので休憩するには良い場所です。大垪和西棚田のすり鉢状の底に位置する部分にあるので360°日本の原風景を眺める事が出来ました。

    少し上ったところから棚田公園を鳥瞰するとこんな公園です。小さいながら車を停めるスペースも一応あり、トイレもそこそこ綺麗だったので休憩するには良い場所です。大垪和西棚田のすり鉢状の底に位置する部分にあるので360°日本の原風景を眺める事が出来ました。

    大垪和西の棚田 自然・景勝地

  • このあと向かう予定の場所は二か所とも情報がほとんどないのでたまたま目に入った公民館に車を停め検索をしてみました。そして駐車場にはこんな石碑が・・・。この公民館は元々は小学校だったようです。<br />厚生小学校というなかなか珍しい名前だったようですね。

    このあと向かう予定の場所は二か所とも情報がほとんどないのでたまたま目に入った公民館に車を停め検索をしてみました。そして駐車場にはこんな石碑が・・・。この公民館は元々は小学校だったようです。
    厚生小学校というなかなか珍しい名前だったようですね。

  • こちらは創立百周年記念碑。<br />美咲町の発足後すぐに旧中央町の三つの小学校は統合し美咲中央小学校になっているそうです。

    こちらは創立百周年記念碑。
    美咲町の発足後すぐに旧中央町の三つの小学校は統合し美咲中央小学校になっているそうです。

  • 多少迷いましたが無事に目的地に到着。ここは幕末の史跡で旅行前から来たかった場所の一つですが情報が少なく来れるか心配でした。<br />この石段の上には鶴田藩西御殿跡があります。鶴田藩という名は一般的に聞きなれない名前だと思いますが、四境戦争(幕長戦争、第二次長州征伐)の石州口の戦いで完敗した浜田藩は周防山口藩に城を占拠されるのを防ぐため浜田城を自焼させ撤退、その後天領の石見銀山も周防山口藩に占拠され停戦。城の奪回の機会を失いました。一時松江藩に入ったのち飛び地として所有していたこの地に移ってきました。1866年にこの地に移転、1867年に正式に立藩しましたが明治維新後の1871年廃藩置県により廃藩になる短い歴史の藩です。

    多少迷いましたが無事に目的地に到着。ここは幕末の史跡で旅行前から来たかった場所の一つですが情報が少なく来れるか心配でした。
    この石段の上には鶴田藩西御殿跡があります。鶴田藩という名は一般的に聞きなれない名前だと思いますが、四境戦争(幕長戦争、第二次長州征伐)の石州口の戦いで完敗した浜田藩は周防山口藩に城を占拠されるのを防ぐため浜田城を自焼させ撤退、その後天領の石見銀山も周防山口藩に占拠され停戦。城の奪回の機会を失いました。一時松江藩に入ったのち飛び地として所有していたこの地に移ってきました。1866年にこの地に移転、1867年に正式に立藩しましたが明治維新後の1871年廃藩置県により廃藩になる短い歴史の藩です。

  • 西御殿跡の中心部には殉難碑があります。1890年に旧藩士らが募金を集め設置したもので石州口の戦いの犠牲者だけでなく戊辰戦争や廃藩置県の処理で切腹せざるをえなかった家老も含めた殉難碑のようです。<br /><br />旧浜田藩、鶴田藩主の松平武聰は徳川慶喜の実弟だった為に戊辰戦争では恭順の意思を示すために自主謹慎(病気により動けなかったのが実情。四境戦争でも病気で指揮をとれず)しましたが、藩士が幕府軍側で戦ったために朝敵としてみなされる可能性があり、さらに藩主が病気で上京できず藩主の世子も幼少で上京できず。<br />新政府は旧幕府軍側の藩にも戊辰戦争時の藩主を謹慎の上で藩主か世子が上京し弁明するように求めていて、藩として幕府軍で戦ったわけではない鶴田藩が上京できない理由を理解しつつも、鶴田藩だけに特例を認める分けるわけにはいかず在京していた老中尾関当遵が切腹をすることで鶴田藩の存続を認めました。<br />その事も、というよりもその殉難を記憶することが殉難碑の目的の様です。

    西御殿跡の中心部には殉難碑があります。1890年に旧藩士らが募金を集め設置したもので石州口の戦いの犠牲者だけでなく戊辰戦争や廃藩置県の処理で切腹せざるをえなかった家老も含めた殉難碑のようです。

    旧浜田藩、鶴田藩主の松平武聰は徳川慶喜の実弟だった為に戊辰戦争では恭順の意思を示すために自主謹慎(病気により動けなかったのが実情。四境戦争でも病気で指揮をとれず)しましたが、藩士が幕府軍側で戦ったために朝敵としてみなされる可能性があり、さらに藩主が病気で上京できず藩主の世子も幼少で上京できず。
    新政府は旧幕府軍側の藩にも戊辰戦争時の藩主を謹慎の上で藩主か世子が上京し弁明するように求めていて、藩として幕府軍で戦ったわけではない鶴田藩が上京できない理由を理解しつつも、鶴田藩だけに特例を認める分けるわけにはいかず在京していた老中尾関当遵が切腹をすることで鶴田藩の存続を認めました。
    その事も、というよりもその殉難を記憶することが殉難碑の目的の様です。

  • ちなみに松平武聰は徳川慶喜の弟でもあり、越智松平家の当主。ということは遡れば昨年12月に訪れた今治で見た越智氏発祥の碑へと家が繋がることになります。ただ実際のところ越智松平家の祖は松平清武で家臣の越智喜清の家督をつぐ形で設立されている為血のつながりはないと思います。越智家を継いでいたことが松平清武が第八代将軍になることはなく、紀州藩主徳川吉宗が将軍になる理由の一つという話もあると調べたことがありますが、話が長くなるし記憶があいまいなのもあるので省略。<br /><br />ここだけを見ると広い土地ですが浜田藩を統治していた親藩の松平家からしてみたら鶴田での生活は悲惨でした。家老までも農家に身を寄せ農作業をしながら生活をしたとか(農家も大変でしょうね)。浜田奪還の希望を抱きながら生活をしていきますが戊辰戦争の結果それもなくなり、ここ鶴田で廃藩置県を迎える事になります。<br />やはり四境戦争で敗北した小倉藩もその後は悲惨な事になりますが、それでも藩内の土地に陣屋を構える事が出来たので小倉藩の方がまだマシだったのかな?と思います。

    ちなみに松平武聰は徳川慶喜の弟でもあり、越智松平家の当主。ということは遡れば昨年12月に訪れた今治で見た越智氏発祥の碑へと家が繋がることになります。ただ実際のところ越智松平家の祖は松平清武で家臣の越智喜清の家督をつぐ形で設立されている為血のつながりはないと思います。越智家を継いでいたことが松平清武が第八代将軍になることはなく、紀州藩主徳川吉宗が将軍になる理由の一つという話もあると調べたことがありますが、話が長くなるし記憶があいまいなのもあるので省略。

    ここだけを見ると広い土地ですが浜田藩を統治していた親藩の松平家からしてみたら鶴田での生活は悲惨でした。家老までも農家に身を寄せ農作業をしながら生活をしたとか(農家も大変でしょうね)。浜田奪還の希望を抱きながら生活をしていきますが戊辰戦争の結果それもなくなり、ここ鶴田で廃藩置県を迎える事になります。
    やはり四境戦争で敗北した小倉藩もその後は悲惨な事になりますが、それでも藩内の土地に陣屋を構える事が出来たので小倉藩の方がまだマシだったのかな?と思います。

  • 作州鶴田藩六萬一千石。の石碑がここにはありました。<br />上で述べたように徳川親藩とは言え藩として敵意がない鶴田藩老中尾関当遵を苦渋の決断で切腹させざるを得なかった新政府はその直後に加増させ浜田藩時代と同じ石高にすることで埋め合わせを図ったようです。<br />館林藩から移封され浜田に移り、四境戦争で壊滅し鶴田に移るという激動の30年ちょっとを過ごした鶴田藩士にはそれはどのように映ったのでしょうか。<br /><br />廃藩置県後鶴田藩は鶴田県として数か月存続した後北条県となり最終的には岡山県に合併されることになります。

    作州鶴田藩六萬一千石。の石碑がここにはありました。
    上で述べたように徳川親藩とは言え藩として敵意がない鶴田藩老中尾関当遵を苦渋の決断で切腹させざるを得なかった新政府はその直後に加増させ浜田藩時代と同じ石高にすることで埋め合わせを図ったようです。
    館林藩から移封され浜田に移り、四境戦争で壊滅し鶴田に移るという激動の30年ちょっとを過ごした鶴田藩士にはそれはどのように映ったのでしょうか。

    廃藩置県後鶴田藩は鶴田県として数か月存続した後北条県となり最終的には岡山県に合併されることになります。

  • 祠でしょうか。何を祀っているのかが気になります。<br /><br />ちなみにここは西御殿跡となっていますが、東御殿は建築が始まったものも完成前に版籍奉還となり工事は中断しました。西御殿跡に松平武聰が居住したのもわずか数か月ということです。<br />余談ですが前記の松平武聰が病気で世子が幼少で上京できなかったため五箇条の御誓文の奉答書に署名できずそのまま廃藩置県になったため結果的に署名しなかった唯一の藩となりました。

    祠でしょうか。何を祀っているのかが気になります。

    ちなみにここは西御殿跡となっていますが、東御殿は建築が始まったものも完成前に版籍奉還となり工事は中断しました。西御殿跡に松平武聰が居住したのもわずか数か月ということです。
    余談ですが前記の松平武聰が病気で世子が幼少で上京できなかったため五箇条の御誓文の奉答書に署名できずそのまま廃藩置県になったため結果的に署名しなかった唯一の藩となりました。

  • 国道429を通り旭地区へと向かっていきます。津山近辺はそれなりに交通量があったのですが、進むにつれて車を見る回数は少なくなりました。ここは二車線ありますが、場所によっては6m?より少し広い程度の幅になってしまいましたがいわゆる酷道にはならなかったです。<br />実は道の距離だけで見ると大垪和西棚田から旭地区へはもっと短いルートがあるのですが、県道でもどれもまともに走行できる道ではなく、このルートかもう一つ大回りするルートのどちらかしか車では現実的ではなく、結果的に鶴田藩西陣屋跡を通れるこちらのルートを選びました。

    国道429を通り旭地区へと向かっていきます。津山近辺はそれなりに交通量があったのですが、進むにつれて車を見る回数は少なくなりました。ここは二車線ありますが、場所によっては6m?より少し広い程度の幅になってしまいましたがいわゆる酷道にはならなかったです。
    実は道の距離だけで見ると大垪和西棚田から旭地区へはもっと短いルートがあるのですが、県道でもどれもまともに走行できる道ではなく、このルートかもう一つ大回りするルートのどちらかしか車では現実的ではなく、結果的に鶴田藩西陣屋跡を通れるこちらのルートを選びました。

  • 旭地区の目的地はここ三休公園と岸田吟香記念館。三休公園は桜の名所とあって桜祭りの準備が進んでいましたが桜が咲くのはまだもう少し先の様子でした。人工的な地名ですがさすがに美しく咲く街、美咲町と名乗っているだけあります。<br />この三休公園は童話をモチーフに造られていて、昔話の主人公の像などもありました。

    旭地区の目的地はここ三休公園と岸田吟香記念館。三休公園は桜の名所とあって桜祭りの準備が進んでいましたが桜が咲くのはまだもう少し先の様子でした。人工的な地名ですがさすがに美しく咲く街、美咲町と名乗っているだけあります。
    この三休公園は童話をモチーフに造られていて、昔話の主人公の像などもありました。

    三休公園 公園・植物園

    童話と桜の公園 by かるあみるくさん
  • ちょっとわかりにくいですが旭川を堰き止めて造られたダム湖、旭川湖を見下ろせるようになっていました。ちなみに旭地区の中心部から距離は大したことないのですが、駐車場に向かう時は急こう配の道を延々と登ってくることになりました。ただその分絶景ですね。

    ちょっとわかりにくいですが旭川を堰き止めて造られたダム湖、旭川湖を見下ろせるようになっていました。ちなみに旭地区の中心部から距離は大したことないのですが、駐車場に向かう時は急こう配の道を延々と登ってくることになりました。ただその分絶景ですね。

    三休公園 公園・植物園

    童話と桜の公園 by かるあみるくさん
  • 三休公園には初代旭町町長の石碑がありました。1953年に発足した町なのでその時の町長という事になりますが石碑の建立は2019年4月と書かれていました。街の発足直後に旭川ダムと旭川湖は完成し、旭川湖を見下ろすこの地に公園を開設したのもこの杉山町長の功績のようです。

    三休公園には初代旭町町長の石碑がありました。1953年に発足した町なのでその時の町長という事になりますが石碑の建立は2019年4月と書かれていました。街の発足直後に旭川ダムと旭川湖は完成し、旭川湖を見下ろすこの地に公園を開設したのもこの杉山町長の功績のようです。

    三休公園 公園・植物園

    童話と桜の公園 by かるあみるくさん
  • 岸田吟香記念館の情報はほとんどネットになく、いくつかの記事が唯一の資料の状態でしたが先ほどの電話で聞く感じでは公民館と同居している様子。てなわけでナビで来たのですがここは美咲町の分庁舎のようで公民館は一つ西の建物のようです。<br />土曜日なので開いてないのですが、まだ閉館時間まであるはずなのに?と焦りました。

    岸田吟香記念館の情報はほとんどネットになく、いくつかの記事が唯一の資料の状態でしたが先ほどの電話で聞く感じでは公民館と同居している様子。てなわけでナビで来たのですがここは美咲町の分庁舎のようで公民館は一つ西の建物のようです。
    土曜日なので開いてないのですが、まだ閉館時間まであるはずなのに?と焦りました。

  • こちらが岸田吟香記念館。というより地元の人にはメインは旭公民館、なのだと思います。<br />旭公民館の受付で手続きをして二階への入り口を開けてもらい見学します。無料ですが館内は撮影禁止。<br />展示は無料という事を考えれば非常に充実していて、岸田吟香の資料や生涯の紹介、偉業の数々を紹介しています。<br />食堂かめっちに行った自分としてはたまごかけごはんを始めた人、というイメージが出来ていましたが、日本初の従軍記者、水溶性の目薬の開発、外国語新聞を翻訳し出版、英和辞典の作成、定期航路の作成など近代日本に大きな影響をもたらした人物という事をここで詳しく知ることが出来ました。

    こちらが岸田吟香記念館。というより地元の人にはメインは旭公民館、なのだと思います。
    旭公民館の受付で手続きをして二階への入り口を開けてもらい見学します。無料ですが館内は撮影禁止。
    展示は無料という事を考えれば非常に充実していて、岸田吟香の資料や生涯の紹介、偉業の数々を紹介しています。
    食堂かめっちに行った自分としてはたまごかけごはんを始めた人、というイメージが出来ていましたが、日本初の従軍記者、水溶性の目薬の開発、外国語新聞を翻訳し出版、英和辞典の作成、定期航路の作成など近代日本に大きな影響をもたらした人物という事をここで詳しく知ることが出来ました。

    岸田吟香記念館 美術館・博物館

    郷土の偉人岸田吟香の博物館 by かるあみるくさん
  • 美咲町のタウンバスとスクールバスでしょうか?町域は広いですが人口も決して多いわけではなく集落が点在する場所も多い美咲町にはどちらも必須な存在だと思います。<br />公民館駐車場内の車庫に停車していました。ちなみにこの周辺は旧旭町の中心らしく公共施設が多くありました。

    美咲町のタウンバスとスクールバスでしょうか?町域は広いですが人口も決して多いわけではなく集落が点在する場所も多い美咲町にはどちらも必須な存在だと思います。
    公民館駐車場内の車庫に停車していました。ちなみにこの周辺は旧旭町の中心らしく公共施設が多くありました。

    岸田吟香記念館 美術館・博物館

    郷土の偉人岸田吟香の博物館 by かるあみるくさん
  • 岸田吟香記念館から西へ向かうとすぐに旭川湖に出ます。これは旭川を1954年竣工の旭川ダムでせき止めてできた人造湖ですがなかなか風光明媚なところでした。

    岸田吟香記念館から西へ向かうとすぐに旭川湖に出ます。これは旭川を1954年竣工の旭川ダムでせき止めてできた人造湖ですがなかなか風光明媚なところでした。

    旭川湖 自然・景勝地

    細長い人造湖 by かるあみるくさん
  • 何か所か旭川湖を眺めながら休憩できるスペースがありました。<br />旭川湖の左岸道路は県道ですが1.5~1.8車線程度の区間が多く交通量もあまりなく、この公園の駐車場も台数は多く止められそうですが他に停車している車はありませんでした。

    何か所か旭川湖を眺めながら休憩できるスペースがありました。
    旭川湖の左岸道路は県道ですが1.5~1.8車線程度の区間が多く交通量もあまりなく、この公園の駐車場も台数は多く止められそうですが他に停車している車はありませんでした。

  • 上の写真を撮影した公園から少し進んだところには岸田吟香記念碑と胸像がありました。駐車場からは階段を登った高台にありますが、夕暮れの誰もいないダム湖の湖畔ということでちょっと怖さがありましたね。

    上の写真を撮影した公園から少し進んだところには岸田吟香記念碑と胸像がありました。駐車場からは階段を登った高台にありますが、夕暮れの誰もいないダム湖の湖畔ということでちょっと怖さがありましたね。

  • ここはそこまでではありませんが・・・。岡山というか中国・四国地方は主要地方道だと思って2車線道路を走っていたらいきなり狭隘道路に突入するという事もありますね。前回岡山に来たときはまだ運転にそこまで慣れていなかった事もあって吹屋に行った帰りとかに結構精神的に大変な場所もありました。<br />この道は県道70号、主要地方道なのですがこの先何か所かガードレールなしの片側崖になっている狭隘区間がありました。

    ここはそこまでではありませんが・・・。岡山というか中国・四国地方は主要地方道だと思って2車線道路を走っていたらいきなり狭隘道路に突入するという事もありますね。前回岡山に来たときはまだ運転にそこまで慣れていなかった事もあって吹屋に行った帰りとかに結構精神的に大変な場所もありました。
    この道は県道70号、主要地方道なのですがこの先何か所かガードレールなしの片側崖になっている狭隘区間がありました。

  • 夕食は昨日に続き「みさき」というお好み焼き屋に向かったんですが本日も明かりがついておらず降りて入り口を見るとしばらく休業みたいです。グーグルマップでいろいろ探すと美咲中央運動公園の側にタイ料理店がある様子。今までちゃんとしたタイ料理店に行った事がなかったので行ってみました。<br />トムヤンクンとジャスミンライス、タイジュースのココナッツを注文しました。

    夕食は昨日に続き「みさき」というお好み焼き屋に向かったんですが本日も明かりがついておらず降りて入り口を見るとしばらく休業みたいです。グーグルマップでいろいろ探すと美咲中央運動公園の側にタイ料理店がある様子。今までちゃんとしたタイ料理店に行った事がなかったので行ってみました。
    トムヤンクンとジャスミンライス、タイジュースのココナッツを注文しました。

    ユワデーのタイ料理 グルメ・レストラン

    辛いけどクセになるタイ料理 by かるあみるくさん
  • これがトムヤンクンです。大・小があり一人なので小を選択しました。<br />初めて食べる本場トムヤンクンにワクワクして食べると・・・辛い!めちゃくちゃ辛い!<br />個人的に辛いのはある程度耐えられて、中本は普通に食べられる(北極は辛かったけど)程度は平気なんだけどそれとは違う辛さで驚きました。水を飲みながらゆっくり食べたり、唯一岡山に旅行行くことを伝えていた友達とラインしてクールダウンしたりしながら食べて40分ほどで完食しました。<br />食事後ちょうど閉店時間くらいになっていたのですが、タイ人のオーナーさん?と少しお話ししました。日本だといろんな料理が日本風になっているけど、本場を味わってもらいたくてタイの味をそのままにしている、タイ料理は最初は辛く感じるけど食べているうちに癖になる、そんな様な事を話されていました。

    これがトムヤンクンです。大・小があり一人なので小を選択しました。
    初めて食べる本場トムヤンクンにワクワクして食べると・・・辛い!めちゃくちゃ辛い!
    個人的に辛いのはある程度耐えられて、中本は普通に食べられる(北極は辛かったけど)程度は平気なんだけどそれとは違う辛さで驚きました。水を飲みながらゆっくり食べたり、唯一岡山に旅行行くことを伝えていた友達とラインしてクールダウンしたりしながら食べて40分ほどで完食しました。
    食事後ちょうど閉店時間くらいになっていたのですが、タイ人のオーナーさん?と少しお話ししました。日本だといろんな料理が日本風になっているけど、本場を味わってもらいたくてタイの味をそのままにしている、タイ料理は最初は辛く感じるけど食べているうちに癖になる、そんな様な事を話されていました。

  • ホテルに戻り津山の夜景。雨が結構ひどくなってきています。明日も雨の予報が出ているのでそれを前提にスケジュールを考えたりコインランドリーで洗濯したりしました。<br />この日は嵐の予定でスケジュールを大きく変えて近郊を車で回る事にしていました。思ったより雨が降らなかった&遅れたので山間部も結果的に回りましたが、途中で雨が強まったら津山に戻るという事も想定していたのでいろいろ観光出来てよかったです。<br />当初の予定ではかなり遠いところまで行く予定でしたが、美咲町を隅々と観光出来てよかったなと思います。当初行く予定の無かった本山寺、大垪和西棚田、旭湖、岸田吟香記念館などはこういう事態でなければいかなかったと思いますし、特に本山寺・大垪和西棚田は本当に美しい場所でした。<br />予定外のところもありましたが結果オーライの2日目でした。

    ホテルに戻り津山の夜景。雨が結構ひどくなってきています。明日も雨の予報が出ているのでそれを前提にスケジュールを考えたりコインランドリーで洗濯したりしました。
    この日は嵐の予定でスケジュールを大きく変えて近郊を車で回る事にしていました。思ったより雨が降らなかった&遅れたので山間部も結果的に回りましたが、途中で雨が強まったら津山に戻るという事も想定していたのでいろいろ観光出来てよかったです。
    当初の予定ではかなり遠いところまで行く予定でしたが、美咲町を隅々と観光出来てよかったなと思います。当初行く予定の無かった本山寺、大垪和西棚田、旭湖、岸田吟香記念館などはこういう事態でなければいかなかったと思いますし、特に本山寺・大垪和西棚田は本当に美しい場所でした。
    予定外のところもありましたが結果オーライの2日目でした。

    ホテルルートイン津山駅前 宿・ホテル

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