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 今年前半は新型コロナウィルスの影響や長梅雨による天候不順もあって、なかなか旅行はできませんでした。そのため、事態が少し穏やかになった夏にはどこかへ行ってやろうと、あれこれ計画していると、偶然にも行きたかった沖縄の定期観光バスツアーに行けるような日程が組めることがわかりました。Gotoトラベルの開始前でしたが、思い切って出かけることにしました。<br /> 行程は3泊4日。1日目は夕方に大阪を出発し、夜に那覇について那覇市内で1泊。2日目は終日自由行動ということで、午前中は浦添城跡を訪問し、午後は那覇市内に戻って、識名園・首里城公園などを訪問いたしました。3日目に前から行きたかった沖縄北部の定期観光バスツアーに参加し、4日目は、DMMかりゆし水族館と、時間が余ったのでやちむん通りへと行きまして、夕方に大阪へと帰るという行程です。<br /> このように精力的にあちこちに行っている関係上、旅行記を4回に分けてご紹介したいと思います。今回は、1日目~2日目の前半の浦添城跡へと訪問した時のことを中心にご紹介したいと思います。最初計画した時には、ゆいレールが延伸されたから、浦添城跡へと行ってみようというだけの気軽なものでした。しかし、現地に行ってみると、浦添城公園は沖縄線の激戦地だったので、戦争遺構もたくさんあり、琉球王国時代のものも合わせて、見ごたえ十分な場所で、非常に面白かったです。<br />

梅雨明け沖縄ツアー(1/4:浦添城跡など)

6いいね!

2020/07/20 - 2020/07/23

5255位(同エリア7254件中)

旅行記グループ 11.沖縄本島

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にふうさ

にふうささん

この旅行記のスケジュール

2020/07/20

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 今年前半は新型コロナウィルスの影響や長梅雨による天候不順もあって、なかなか旅行はできませんでした。そのため、事態が少し穏やかになった夏にはどこかへ行ってやろうと、あれこれ計画していると、偶然にも行きたかった沖縄の定期観光バスツアーに行けるような日程が組めることがわかりました。Gotoトラベルの開始前でしたが、思い切って出かけることにしました。
 行程は3泊4日。1日目は夕方に大阪を出発し、夜に那覇について那覇市内で1泊。2日目は終日自由行動ということで、午前中は浦添城跡を訪問し、午後は那覇市内に戻って、識名園・首里城公園などを訪問いたしました。3日目に前から行きたかった沖縄北部の定期観光バスツアーに参加し、4日目は、DMMかりゆし水族館と、時間が余ったのでやちむん通りへと行きまして、夕方に大阪へと帰るという行程です。
 このように精力的にあちこちに行っている関係上、旅行記を4回に分けてご紹介したいと思います。今回は、1日目~2日目の前半の浦添城跡へと訪問した時のことを中心にご紹介したいと思います。最初計画した時には、ゆいレールが延伸されたから、浦添城跡へと行ってみようというだけの気軽なものでした。しかし、現地に行ってみると、浦添城公園は沖縄線の激戦地だったので、戦争遺構もたくさんあり、琉球王国時代のものも合わせて、見ごたえ十分な場所で、非常に面白かったです。

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  • 今回は平日夜間に移動という事で、まずは難波駅からラピートに乗って関西空港を目指します。ラピートは乗り心地がいいですし、静かなので好きです。

    今回は平日夜間に移動という事で、まずは難波駅からラピートに乗って関西空港を目指します。ラピートは乗り心地がいいですし、静かなので好きです。

    なんば駅 (南海電鉄)

  • ラピートには多少人はいましたが、終点の関西空港まで行ったのは私一人だけのようでした。みなさん、途中駅で降りて行ったようです。<br />また、関西空港駅には、ラピートをモデルとした人形がありましたがマスクをしていました。まあ、このご時世ですからねー。那覇でも、マンションの入口のシーサーにマスクをしている姿もチラホラみかけました。<br />でもこの姿、不審者に見えるのは、私の心がすさんでいるからでしょうか。<br />

    ラピートには多少人はいましたが、終点の関西空港まで行ったのは私一人だけのようでした。みなさん、途中駅で降りて行ったようです。
    また、関西空港駅には、ラピートをモデルとした人形がありましたがマスクをしていました。まあ、このご時世ですからねー。那覇でも、マンションの入口のシーサーにマスクをしている姿もチラホラみかけました。
    でもこの姿、不審者に見えるのは、私の心がすさんでいるからでしょうか。

    関西空港駅

  • 関西空港の入口。なんか違和感あるなあと思ったら、装飾がありませんでした。寂しい限りです。

    関西空港の入口。なんか違和感あるなあと思ったら、装飾がありませんでした。寂しい限りです。

    関西国際空港第一ターミナル 空港

  • 関西空港の入口では、体温チェックをしていました。

    関西空港の入口では、体温チェックをしていました。

  • 関西空港の国内線カウンター付近。意外と人はいます。しかし、空港関係者が半分くらいという感じはしました。平日ですし、旅行者は少ない感じでした。しかし、同時にあちこちに散らばっているような印象も受けました。

    関西空港の国内線カウンター付近。意外と人はいます。しかし、空港関係者が半分くらいという感じはしました。平日ですし、旅行者は少ない感じでした。しかし、同時にあちこちに散らばっているような印象も受けました。

  • 国際線のチェックインカウンター。もう最小限の機能しかないという感じでした。でも、飛んでいる飛行機はあるので、海外に行こうと思えば行けます。帰れないかもしれませんけど。<br />あと、ベンチにいる人は、何をしているのかわかりませんでした。<br />

    国際線のチェックインカウンター。もう最小限の機能しかないという感じでした。でも、飛んでいる飛行機はあるので、海外に行こうと思えば行けます。帰れないかもしれませんけど。
    あと、ベンチにいる人は、何をしているのかわかりませんでした。

  • その後、関空ー那覇とフライトをして、夜の10時頃に那覇空港に到着。県庁前駅近くの定宿?に宿泊して、1日目は終了いたしました。<br />2日目は、ゆいレールの県庁前駅からスタートです。まずは、浦添城跡へと行きたいと思います。

    その後、関空ー那覇とフライトをして、夜の10時頃に那覇空港に到着。県庁前駅近くの定宿?に宿泊して、1日目は終了いたしました。
    2日目は、ゆいレールの県庁前駅からスタートです。まずは、浦添城跡へと行きたいと思います。

    県庁前駅 (沖縄県)

  • ゆいレールの浦添前田駅に着きました。ここは最近開業した駅で、周辺部分がまだ工事中でした。沖縄の新駅付近は全体的にそんな感じです。遅れの原因は前行程にあるのか、工事に問題があるのか、わかりませんけど。

    ゆいレールの浦添前田駅に着きました。ここは最近開業した駅で、周辺部分がまだ工事中でした。沖縄の新駅付近は全体的にそんな感じです。遅れの原因は前行程にあるのか、工事に問題があるのか、わかりませんけど。

    浦添前田駅

  • ともかくも、浦添城跡に到着し、これから上へと登っていきます。上まで石畳の道がありました。琉球王国時代の石畳を一部再現したそうです。

    ともかくも、浦添城跡に到着し、これから上へと登っていきます。上まで石畳の道がありました。琉球王国時代の石畳を一部再現したそうです。

  • 石畳道の上から、登ってきた道を振り返ってみました。結構登っています。<br />真ん中のウネっているのは、モノレールの線路です。<br />

    石畳道の上から、登ってきた道を振り返ってみました。結構登っています。
    真ん中のウネっているのは、モノレールの線路です。

  • 2017年にシートがかかっているあたりで、14~15世紀初めに作られた城壁の跡が見つかりました。

    2017年にシートがかかっているあたりで、14~15世紀初めに作られた城壁の跡が見つかりました。

  • 「浦添城の前の碑」。浦添出身の尚寧王が、1597年に首里と浦添城とを結ぶ、先ほどの石畳道を整備したことを記念して造られた石碑です。この石碑の面白いのは、表はひらがなの琉球文で、裏は漢文で文字が刻まれているところです。

    「浦添城の前の碑」。浦添出身の尚寧王が、1597年に首里と浦添城とを結ぶ、先ほどの石畳道を整備したことを記念して造られた石碑です。この石碑の面白いのは、表はひらがなの琉球文で、裏は漢文で文字が刻まれているところです。

  • 山頂部になだらかな場所がありました。どうやらここは殿(トゥン)と言って、村の重要な祭りを行う場所だったみたいです。<br />左上に東屋があり、展望が良さそうなので、行ってみたいと思います。

    山頂部になだらかな場所がありました。どうやらここは殿(トゥン)と言って、村の重要な祭りを行う場所だったみたいです。
    左上に東屋があり、展望が良さそうなので、行ってみたいと思います。

  • 先ほどの頂上の東屋から見た風景。こちらは北西側で、遠くには海が見えます。かなり見晴らしがいい場所です。

    先ほどの頂上の東屋から見た風景。こちらは北西側で、遠くには海が見えます。かなり見晴らしがいい場所です。

  • 稜線上に進んでいくと、慰霊碑がありました。先ほどから、眺望の良いところと言っていましたが、ここはかつて旧日本軍の要塞があり、大激戦区だったらしいのです。日本側の地名では、「前田高地」だったので、このような慰霊碑があります。<br />米軍はこの一帯を「ハクソー・リッジ( Hacksaw Ridge)」と呼んでいたそうです。<br />

    稜線上に進んでいくと、慰霊碑がありました。先ほどから、眺望の良いところと言っていましたが、ここはかつて旧日本軍の要塞があり、大激戦区だったらしいのです。日本側の地名では、「前田高地」だったので、このような慰霊碑があります。
    米軍はこの一帯を「ハクソー・リッジ( Hacksaw Ridge)」と呼んでいたそうです。

  • さらに進んでいくと、特徴のある石灰岩の岩山(ワリカジー)が見えてきました。頂上部の標高は148mと、浦添城跡の中で一番高い場所になっております。<br />この岩山を目印に、日米が大劇戦を繰り広げたとか。米軍ではここを「ニードル・ロック」と呼んでいたそうです。<br />現在、石には崩落防止としてネットが張ってありました。

    さらに進んでいくと、特徴のある石灰岩の岩山(ワリカジー)が見えてきました。頂上部の標高は148mと、浦添城跡の中で一番高い場所になっております。
    この岩山を目印に、日米が大劇戦を繰り広げたとか。米軍ではここを「ニードル・ロック」と呼んでいたそうです。
    現在、石には崩落防止としてネットが張ってありました。

  • 先ほどの慰霊碑から、岩山までは、墓地になっていました。眺望はよい場所なのですが、いかんせん不便なので、墓地として利用されています。

    先ほどの慰霊碑から、岩山までは、墓地になっていました。眺望はよい場所なのですが、いかんせん不便なので、墓地として利用されています。

  • 先の眺望のよい東屋があった広場へと戻り、岩山側とは反対側に進んでいくと、御嶽(ディーグガマ)がありました。この御嶽は、鍾乳洞が陥没してできたために、周りよりも少し沈んでおります。それが一層怪しげな雰囲気を醸し出していました。<br />また、画面中央左側の千羽鶴があるところには「ガマ」があり、奥に空洞があるようです。進入禁止になっていますが、見た感じかなり深そうでした。実際、戦時中の防空壕としても利用され、戦後は戦没者の遺骨を納めている場所だとか。<br />

    先の眺望のよい東屋があった広場へと戻り、岩山側とは反対側に進んでいくと、御嶽(ディーグガマ)がありました。この御嶽は、鍾乳洞が陥没してできたために、周りよりも少し沈んでおります。それが一層怪しげな雰囲気を醸し出していました。
    また、画面中央左側の千羽鶴があるところには「ガマ」があり、奥に空洞があるようです。進入禁止になっていますが、見た感じかなり深そうでした。実際、戦時中の防空壕としても利用され、戦後は戦没者の遺骨を納めている場所だとか。

  • 進んでいくとこのような場所に出てきました。ここは、かつての浦添城の城門を一部復元したとのことでした。やっぱりグスクはこういう石組みがあると雰囲気が出ます。後でわかりましたが、実はこの石組、城門を復元というよりも、違った目的で整備されたのではないかと。<br />また、左側のフェンスで囲まれたあたりには、昔の塹壕の跡があるとのことでした。<br />

    進んでいくとこのような場所に出てきました。ここは、かつての浦添城の城門を一部復元したとのことでした。やっぱりグスクはこういう石組みがあると雰囲気が出ます。後でわかりましたが、実はこの石組、城門を復元というよりも、違った目的で整備されたのではないかと。
    また、左側のフェンスで囲まれたあたりには、昔の塹壕の跡があるとのことでした。

  • 先ほどの城門・城跡がある部分を下の方から見るとこんな感じです。やっぱりグスクという雰囲気が出ます。

    先ほどの城門・城跡がある部分を下の方から見るとこんな感じです。やっぱりグスクという雰囲気が出ます。

  • この浦添城の目玉の一つ「浦添ようどれ」の入口にやってきました。13世紀に作られ、17世紀に改修された、王家のお墓があるという事なので、行ってみたいと思います。<br />ちなみに、「ようどれ」とは琉球の言葉で「夕凪」を表す言葉だとか。<br />

    この浦添城の目玉の一つ「浦添ようどれ」の入口にやってきました。13世紀に作られ、17世紀に改修された、王家のお墓があるという事なので、行ってみたいと思います。
    ちなみに、「ようどれ」とは琉球の言葉で「夕凪」を表す言葉だとか。

  • このような道を下っていきます。

    このような道を下っていきます。

  • この道を進んで、石組みの奥の場所まで行きます。実は手前の石組みは本来は屋根があったとのことで(暗しん御門)、これから死者の世界へ行くぞという雰囲気を醸し出していたのだとか。<br />沖縄戦で破壊されてしまったとのことで、残念な限りです。<br />

    この道を進んで、石組みの奥の場所まで行きます。実は手前の石組みは本来は屋根があったとのことで(暗しん御門)、これから死者の世界へ行くぞという雰囲気を醸し出していたのだとか。
    沖縄戦で破壊されてしまったとのことで、残念な限りです。

  • 石垣の入口までやってきました。あそこに入り口から中へと入っていきたいと思います。

    石垣の入口までやってきました。あそこに入り口から中へと入っていきたいと思います。

  • 石垣の奥には、王家の墓所が復元されていました。首里城近くの玉陵と同じ感じですが、こちらは山全体を墓所としている所が違うかなと。<br />向かって右側が、13世紀にここを作った英祖王陵、左側が17世紀にこの地域を支配した尚寧王と一族の墓だとか。<br />また、この墓所周辺も沖縄戦で破壊され荒廃していたのを修復したとのこと。<br />

    石垣の奥には、王家の墓所が復元されていました。首里城近くの玉陵と同じ感じですが、こちらは山全体を墓所としている所が違うかなと。
    向かって右側が、13世紀にここを作った英祖王陵、左側が17世紀にこの地域を支配した尚寧王と一族の墓だとか。
    また、この墓所周辺も沖縄戦で破壊され荒廃していたのを修復したとのこと。

    浦添ようどれ 名所・史跡

  • ということで、「浦添ようどれ」の外観はこんな感じ。上の城壁って、先ほど城門を復元したという場所ではないでしょうか。城門を復元したというより、浦添ようどれの復元の一環として、城門があった場所の城壁を修理したかったのだろうなあと感じました。あれがあるとないとでは雰囲気が違いますし。

    ということで、「浦添ようどれ」の外観はこんな感じ。上の城壁って、先ほど城門を復元したという場所ではないでしょうか。城門を復元したというより、浦添ようどれの復元の一環として、城門があった場所の城壁を修理したかったのだろうなあと感じました。あれがあるとないとでは雰囲気が違いますし。

  • 浦添城跡の入口近くまで戻りまして、「カラウカー」というかつての水場がある所へとやってきました。ここに来た時、この一帯がかなりくぼんでいまして、だから水が出るのだろうなあと思いました。そして、このくぼみって、カルスト地形のくぼみ、ウバーレみたいなものじゃないかなあと。

    浦添城跡の入口近くまで戻りまして、「カラウカー」というかつての水場がある所へとやってきました。ここに来た時、この一帯がかなりくぼんでいまして、だから水が出るのだろうなあと思いました。そして、このくぼみって、カルスト地形のくぼみ、ウバーレみたいなものじゃないかなあと。

  • その他、旧日本軍の遺構などがありましたが、イマイチよくわかりませんでしたので、以上で、浦添城跡散策の紹介は終わりたいと思います。<br /><br />次は、首里城近辺へと移動します。ゆいレールで、浦添前田駅から首里駅へと移動しました。

    その他、旧日本軍の遺構などがありましたが、イマイチよくわかりませんでしたので、以上で、浦添城跡散策の紹介は終わりたいと思います。

    次は、首里城近辺へと移動します。ゆいレールで、浦添前田駅から首里駅へと移動しました。

    浦添前田駅

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11.沖縄本島

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