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浦添ようどれ

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浦添ようどれ クチコミ・アクセス・周辺情報

宜野湾・北谷・中城 観光 満足度ランキング 12位

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浦添城北側の崖下にある英祖王、尚寧王(第2尚氏七代王)の墓陵。墓室内には石厨子があり、仏教文化の影響を色濃く残した、県指定文化財です。「ようどれ」とは夕凪(ゆうなぎ)の琉球語ですが、極楽を意味するものと考えられます。

ピックアップ クチコミ

  • 満足度の高いクチコミ

    琉球王統のルーツは首里ではなく浦添

    4.5

    浦添ようどれは、国指定史跡、浦添城跡の北側の崖の中腹。専用の入り口があって、そこを進んだ先です。 二つの墓室があって、向...  続きを読むかって右側の西室が英祖王陵、左側の東室が尚寧王陵。ちなみに、琉球王統は、舜天、英祖、察度から第一尚氏、第二尚氏。舜天は伝説上の王統で、英祖からが実在。浦添グスクは英祖、察度の王城で、浦添ようどれは英祖が1261年に築きます。第一尚氏の時代は首里城が王城。尚寧は、第二尚氏の時代、浦添グスクには浦添王子が派遣され浦添家を建てますが、その浦添家から出た琉球国王。琉球王統の歴史全体への思いが深かったのではないかと思います。 琉球王統のルーツは首里ではなく浦添。周辺はきれいに整備されていて、それに相応しい神聖さも感じる場所です。   閉じる

クチコミ・評判

3.35

(24件のクチコミ)
アクセス:
3.50
空港から車で30分くらい。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
人混みの少なさ:
4.47
少なくはない。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
バリアフリー:
3.40
建物は考えてあります。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
見ごたえ:
4.31
圧倒されます。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

1~20件(全24件中)

  • 大きなお墓です。

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/12(約3年前)
    • 0

    琉球王国の英祖王と尚寧が眠る陵墓(お墓です)。浦添城跡北側にあり、自然洞窟を堀削して作られています。王墓ですので、大きな陵...  続きを読む墓で、石垣で囲まれていました。陵墓に続く道も悠久の時を感じさせてくれそうな雰囲気に包まれていました。  閉じる

    投稿日:2022/12/23

  • 行けて良かった!

    • 4.0
    • 旅行時期:2022/07(約3年前)
    • 0

    いちど行ってみたいと思っていましたが、チャンスがなく、今回の旅ではじめて行けました。
    ようどれ館で予習してから向かいまし...  続きを読むた。
    真夏だったので草木が生い茂っていて、葉っぱのトンネルをくぐりながら階段を下りて行く感じ。頭上に大きなクモがいて怖かったです。
    たまたまだったのか、見学客は他におらず、一人で静かに見学できました。
    沖縄戦の激戦地で相当な被害を受けたとのこと。残念です。
    帰ってきてから某ユーチューバーがこちらを紹介している動画を見ました。
    知識が増えて勉強になったので、またいつか行きたいと思います。
      閉じる

    投稿日:2022/08/16

  • 隠れた史跡

    • 4.0
    • 旅行時期:2022/05(約4年前)
    • 0

    浦添城跡の北側崖下にある史跡、浦添ようどれ。
    自然の洞窟を堀削して作った昔の王様のお墓ということです。
    事前に調べず行...  続きを読むったので、思いがけない史跡を興味深く見て回りました。
    GWだったのですが、あまり知られていないせいか観光客の姿はまばらでした。  閉じる

    投稿日:2022/05/25

  • 王様のお墓

    • 5.0
    • 旅行時期:2022/04(約4年前)
    • 0

    ゆいレール『浦添前田駅』から歩いて浦添城跡を見学し、浦添ようどれに行きました。

    浦添ようどれは、位置的に浦添グスクの...  続きを読む北側崖下にありました。
    琉球王国初期の王様のお墓です。
    「ようどれ」とは琉球語の夕凪という意味だそうです。
    まだ、そんなに観光地化されてない感じなので観光客は私一人でした。
    お墓の1番奥まった場所で男性が1人でお祈り?をしているのが印象的でした。  閉じる

    投稿日:2022/05/09

  • 荘厳な雰囲気です。

    • 4.0
    • 旅行時期:2022/01(約4年前)
    • 0

    かつて浦添を統治していたという「英祖王」の墓を「浦添ようどれ」と言うんだそうです。
    沖縄戦だけでなく、戦後の採石などでも...  続きを読む破壊されたそうですが、発掘調査からの復元で、かつての姿を蘇らせたとのこと。
    荘厳な雰囲気に、思わず手を合わせてしまいました。
      閉じる

    投稿日:2022/01/23

  • 浦添城跡内にある墓陵です

    • 4.5
    • 旅行時期:2021/10(約4年前)
    • 0

    英祖王、尚寧王(第2尚氏七代王)の墓陵だそうです。浦添城跡公園入口の「ようどれ館」から東に進んだところにありました。崖の中...  続きを読むに作られていて西室・東室の2つの墓室があり、その脇には古~いシーサーも置かれていました。崖の高さと相まって迫力と威厳を感じる景色でした。  閉じる

    投稿日:2022/05/29

  • 浦添ようどれ

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/08(約4年前)
    • 1

    二人の王の墓がある。白い壁(英祖王)は全く墓場とは思わせない。墓は山腹をくり抜いて作られていたようで、13世紀に作られたこ...  続きを読むとはわかっているが、厳密にいつ作られたことまではわかっていないようだ。日米軍による沖縄戦の激しい攻防により残念ながら岩盤が崩れ落ち壊れてしまったが、忠実に再現されている。  閉じる

    投稿日:2021/08/19

  • 英祖王と尚寧王のお墓が並んでいます

    • 4.5
    • 旅行時期:2021/03(約5年前)
    • 1

    浦添ようどれに関する歴史を学べるようどれ館からは徒歩5分程度の近距離にある、浦添が古琉球の中心地であった時代の英祖王や、そ...  続きを読むの後の尚氏時代に唯一浦添から輩出されたという、尚寧王が祀られたお墓です。

    ここは沖縄戦で大きな被害を受けたために、長らく往時の姿は見られないままでしたが、2005年に事実上の復元工事が完了して、往時の姿を取り戻した状態で今は見物することが出来ます。首里に覇権が移る前の栄光の浦添の歴史の重みを感じる、素晴らしい風情のお墓だと思います。

    入場は無料ですが、入口の門が18時には施錠(開錠は午前9時)されますのでご注意下さい。尚、ようどれ館の方では、戦前のお墓の様子なども映像や展示を通じても観ることが出来ますので、比較の意味でも事前に立ち寄られておくと、今の風情との比較でとても参考になるかなと思います。  閉じる

    投稿日:2021/03/28

  • 荘厳な雰囲気

    • 4.0
    • 旅行時期:2020/05(約6年前)
    • 0

    13世紀後半に造られた琉球王国初期の王陵です。浦添グスクの北側崖下に横穴を掘り墓室としたもので、沖縄戦や採石など破壊された...  続きを読むが発掘調査して復元されたもの。お墓は琉球石灰岩を積み上げたとても荘厳な雰囲気のものでした。ようどれに行く手前に「浦添グスグようどれ館」があるので合わせて観て回られることをお勧めします。  閉じる

    投稿日:2022/02/18

  • 迫力ある王の墓

    • 4.5
    • 旅行時期:2020/03(約6年前)
    • 0

    ようどれは琉球王国初期の王の墓で、琉球石灰岩で積まれた迫力あるものでした。
    しかし、ここも沖縄戦で破壊されてしまったので...  続きを読む戦争後、修復されたそうです。
    説明板に破壊された写真もあり、跡形もない状態がみてとれます。  閉じる

    投稿日:2020/05/05

  • 運動靴が良いと思います

    • 4.5
    • 旅行時期:2020/01(約6年前)
    • 0

    浦添城跡散策マップに載っていたので訪れました。あいにくようどれ館が休館日だったのですが、もし行くならようどれ館で学んでから...  続きを読むが良いと思います。浦添ようどれへは、浦添城跡を通り過ぎたら看板があるので容易に行くことができます。長い下りの階段なので、運動靴などの歩きやすい靴が良いと思います。階段を下り浦添ようどれが見えてくるとあまりにも規模の大きさに驚愕しました。扉の中は入ることができませんが、神聖で厳かな空気が漂った場所です。観光客がほとんど見かけられないのは残念です。  閉じる

    投稿日:2020/01/07

  • 浦添城北側の崖下にある英祖王、尚寧王(第2尚氏七代王)の墓陵です。お墓ですから内部を見学することは出来ませんがちかくにある...  続きを読む浦添グスク・ようどれ館内に実物大で再現された浦添ようどれの西室(英祖王陵)を見学できます。入館料は100円と割安なので時間が許せば見学することをお勧めします。  閉じる

    投稿日:2019/07/07

  • 浦添グスクと浦添ようどれの資料館です。

    • 5.0
    • 旅行時期:2018/06(約8年前)
    • 9

    浦添グスク入口にあるようどれ館。浦添市の運営で館内には古写真や発掘調査成果のパネルや出土遺物などが展示されており、浦添グス...  続きを読むクと浦添ようどれの歴史が分かりやすく学べるようになっています。

    やはり目玉としては浦添ようどれの西室である〝英祖王陵〟の実物大の復元模型だと思います。〝てぃだこ(太陽の子)〟と呼ばれる英祖王は、琉球神話に始まる最初の王統天孫氏25代国王思金松兼王の孫とされる人物で、舜天王統義本王から禅譲を受け英祖王統初代の王となり、五代90年に渡る英祖王統を築き上げた人物とされています。もっとも内地でいう鎌倉時代のことであるにも関わらず、その存在も疑われるところもあるようですが、それは〝歴史のロマン〟のようにも思え、第二尚氏王朝第七代国王尚寧王が、英祖王に肖ろうと考えたことから、出身地でもあるこの浦添ようどれ東室に埋葬されことも踏まえるとそのカリスマ性はかなり大きなもののようにも思えます。後の国王が肖ろうとした英祖王の西室、実際には見ることはできませんがジオラマを見ているだけでも気持ちは900年前にタイムスリップすること請け合いです♪

    また企画展を定期的に行っており、訪れた日には「沖縄県の戦争遺跡~前田高地から首里まで」が開催されていました。浦添グスクは沖縄戦当時〝前田高地(ハクソーリッジ)と〟呼ばれる攻撃・守備の要の場所であり、この地を巡って日米両軍が熾烈な戦いを繰り広げた激戦地として知られています。前田高地を占領された日本軍は、程遠くない場所にある首里の司令部壕から出て南部へと撤退するに至ります。そのことが結果として南部での膨大な数の戦死者を出すことに繋がりました。

    その過程を前田高地・前田・経塚陣地壕群のパネルや遺跡から出土した戦争遺物の実物を展示し、わかりやすく解説されているものでした。なかなか調べてもわからない昭和20(1945)年4~5月の戦況のことなので、言葉はよくありませんが興味深く見せていただきました。

    浦添グスク巡りは定期的にうらおそい歴史ガイド友の会が主催しているものの他、個人で申し込むこともできます。費用もそれほど掛からないので、開催日にどうしても行けない場合などは利用する価値は高いと思います。

    浦添グスクについて前知識をつける場所としては非常に良い場所のように感じます。  閉じる

    投稿日:2018/08/01

  • 昭和の沖縄地上戦をめぐる旅において訪れたのがここ「浦添ようどれ」。ここは、浦添市にある琉球王国の陵墓であり、浦添城跡の一角...  続きを読むになっています。昭和の地上戦争において、日本軍の司令部があった、首里城を守るために前田高地含めた、アメリカ軍への防御陣地で構えた場所になりました。実際に、ここから眺める首里城方面とアメリカ軍の進軍していくる方向から、当時の日本軍の限られた体制(兵器、兵隊等)では、一時的に、しのぐのが精いっぱいのようにも感じました。当時の陸軍の無謀さと精一杯尽くした兵士に敬意を払う必要があります。  閉じる

    投稿日:2017/04/22

  • 「ようどれ」とは夕凪のことだそうです。

    • 4.5
    • 旅行時期:2015/06(約11年前)
    • 2

    ここは英祖王・尚寧王の王陵です。観光で来られた方は、現地の前に是非とも「浦添ようどれ館」を訪ねてみてください。現地では見る...  続きを読むことのできない内部の復元もですが、琉球神道の「なぜ」の部分に、近在の方の視線から丁寧に回答願えると思います。  閉じる

    投稿日:2015/06/10

  • 壮大な王様のお墓

    • 4.0
    • 旅行時期:2015/02(約11年前)
    • 0

    あまり宣伝されておらず、期待しないで行きましたが、なななんと・・・・見ごたえ十分の施設でした。王様の権力のすごさを垣間見ま...  続きを読むした。近くの資料館には、お墓の中の実物大の施設がありそちらもすごいです。もっと宣伝すればいいのにな・・・・  閉じる

    投稿日:2016/09/26

  • 復元が楽しみな遺跡

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/11(約11年前)
    • 0

    首里の玉殿よりも古い王陵遺跡、浦添城の地下(斜面)に設けられたもの。復元修理のなった石積は遠く離れた嘉数の森からでもはっき...  続きを読むりと認識出来る規模。王陵だけではなく、武家屋敷址や普天間参宮道も復元が予定されていると聞く。ようどれ(極楽)から普天間宮(冥府)と続く参宮道は石畳と松並木で有名であったが戦争と米軍基地設置で殆ど消滅した。その一部でも復元出来た日が楽しみである。  閉じる

    投稿日:2014/11/15

  • 場所がわかりづらかった。

    • 3.0
    • 旅行時期:2013/07(約12年前)
    • 0

    しばらく周辺を車でぐるぐるまわって、どうしてもわからず、たどり着いた「ようどれ館」で係員に尋ねたところ、ようどれ館からの道...  続きを読む案内の表示を発見し、無事たどり着きました。「ようどれ館」を目指してきてください。そこから車ですぐです。ここは琉球国王の墓を復元した場所です。ひっそりとしており誰もいません。花が添えられていたので、沖縄にとって大切な場所であることがわかります。  閉じる

    投稿日:2013/10/31

  • 琉球王国初期の王陵

    • 4.0
    • 旅行時期:2013/04(約13年前)
    • 0

    「浦添ようどれ」は、浦添グスクの北側崖下にある琉球王国初期の王陵で、咸淳年間(1265-1274年)に英祖王が築いたといわ...  続きを読むれています。その後、1620年に、浦添出身の尚寧(しょうねい)王が改修し、王自身もここに葬られました。岸壁に横穴を掘り墓室とし、中には中国産の石で作られた石厨子があります。向かって右側が英祖王、左側が尚寧王の墓といわれています。“ようどれ”とは琉球語の夕凪で、夕凪の様に静かなところと言う意味で名付けられたようです。なお、「浦添ようどれ」に行く手前に小さな資料館(入館料は100円)があり、古写真や発掘調査成果パネル、出土遺物などから浦添グスクと浦添ようどれの歴史がわかりやすく学べます。今回は、管理人の方から、「浦添ようどれ」の歴史などにつき詳しく説明頂き、大変勉強になった。 
       閉じる

    投稿日:2013/04/09

  • 琉球王国初期の王墓です。

    • 5.0
    • 旅行時期:2012/11(約13年前)
    • 0

    那覇市の北の街です。バスで40分程度です。小高い丘に浦添城址があり、その城の西側の斜面のふもとに城壁で囲まれている場にあり...  続きを読むます。「ようどれ」の場に入る石門も強固につくられいます。ここには初期の2人の王が眠っています。  閉じる

    投稿日:2012/11/17

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基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
浦添ようどれ
住所
  • 沖縄県浦添市仲間2丁目53
電話番号
098-876-1295
アクセス
那覇空港 モノレール 5分
モノレール旭橋駅下車
仲間下車 徒歩 10分
那覇バスターミナル バス 30分 55番バス
那覇空港駅 モノレール 39分
浦添前田駅 徒歩 15分
その他
時代 1260~1299
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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