浦添ようどれ
名所・史跡
3.35
浦添ようどれ クチコミ・アクセス・周辺情報
宜野湾・北谷・中城 観光 満足度ランキング 12位
浦添城北側の崖下にある英祖王、尚寧王(第2尚氏七代王)の墓陵。墓室内には石厨子があり、仏教文化の影響を色濃く残した、県指定文化財です。「ようどれ」とは夕凪(ゆうなぎ)の琉球語ですが、極楽を意味するものと考えられます。
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
琉球王統のルーツは首里ではなく浦添
4.5
- 旅行時期 2024/07
- by たびたびさん
浦添ようどれは、国指定史跡、浦添城跡の北側の崖の中腹。専用の入り口があって、そこを進んだ先です。 二つの墓室があって、向... 続きを読むかって右側の西室が英祖王陵、左側の東室が尚寧王陵。ちなみに、琉球王統は、舜天、英祖、察度から第一尚氏、第二尚氏。舜天は伝説上の王統で、英祖からが実在。浦添グスクは英祖、察度の王城で、浦添ようどれは英祖が1261年に築きます。第一尚氏の時代は首里城が王城。尚寧は、第二尚氏の時代、浦添グスクには浦添王子が派遣され浦添家を建てますが、その浦添家から出た琉球国王。琉球王統の歴史全体への思いが深かったのではないかと思います。 琉球王統のルーツは首里ではなく浦添。周辺はきれいに整備されていて、それに相応しい神聖さも感じる場所です。 閉じる
クチコミ・評判
3.35
(24件のクチコミ)- アクセス:
- 3.50
- 空港から車で30分くらい。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
- 人混みの少なさ:
- 4.47
- 少なくはない。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
- バリアフリー:
- 3.40
- 建物は考えてあります。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
- 見ごたえ:
- 4.31
- 圧倒されます。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
1~20件(全24件中)
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大きなお墓です。
- 3.0
- 旅行時期:2022/12(約3年前)
- 0
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行けて良かった!
- 4.0
- 旅行時期:2022/07(約3年前)
- 0
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隠れた史跡
- 4.0
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
- 0
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王様のお墓
- 5.0
- 旅行時期:2022/04(約4年前)
- 0
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荘厳な雰囲気です。
- 4.0
- 旅行時期:2022/01(約4年前)
- 0
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浦添城跡内にある墓陵です
- 4.5
- 旅行時期:2021/10(約4年前)
- 0
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浦添ようどれ
- 4.0
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
- 1
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英祖王と尚寧王のお墓が並んでいます
- 4.5
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
- 1
浦添ようどれに関する歴史を学べるようどれ館からは徒歩5分程度の近距離にある、浦添が古琉球の中心地であった時代の英祖王や、そ... 続きを読むの後の尚氏時代に唯一浦添から輩出されたという、尚寧王が祀られたお墓です。
ここは沖縄戦で大きな被害を受けたために、長らく往時の姿は見られないままでしたが、2005年に事実上の復元工事が完了して、往時の姿を取り戻した状態で今は見物することが出来ます。首里に覇権が移る前の栄光の浦添の歴史の重みを感じる、素晴らしい風情のお墓だと思います。
入場は無料ですが、入口の門が18時には施錠(開錠は午前9時)されますのでご注意下さい。尚、ようどれ館の方では、戦前のお墓の様子なども映像や展示を通じても観ることが出来ますので、比較の意味でも事前に立ち寄られておくと、今の風情との比較でとても参考になるかなと思います。 閉じる投稿日:2021/03/28
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荘厳な雰囲気
- 4.0
- 旅行時期:2020/05(約6年前)
- 0
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迫力ある王の墓
- 4.5
- 旅行時期:2020/03(約6年前)
- 0
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運動靴が良いと思います
- 4.5
- 旅行時期:2020/01(約6年前)
- 0
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浦添城北側の崖下にある英祖王、尚寧王(第2尚氏七代王)の墓陵です。
- 5.0
- 旅行時期:2019/06(約7年前)
- 3
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浦添グスクと浦添ようどれの資料館です。
- 5.0
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
- 9
浦添グスク入口にあるようどれ館。浦添市の運営で館内には古写真や発掘調査成果のパネルや出土遺物などが展示されており、浦添グス... 続きを読むクと浦添ようどれの歴史が分かりやすく学べるようになっています。
やはり目玉としては浦添ようどれの西室である〝英祖王陵〟の実物大の復元模型だと思います。〝てぃだこ(太陽の子)〟と呼ばれる英祖王は、琉球神話に始まる最初の王統天孫氏25代国王思金松兼王の孫とされる人物で、舜天王統義本王から禅譲を受け英祖王統初代の王となり、五代90年に渡る英祖王統を築き上げた人物とされています。もっとも内地でいう鎌倉時代のことであるにも関わらず、その存在も疑われるところもあるようですが、それは〝歴史のロマン〟のようにも思え、第二尚氏王朝第七代国王尚寧王が、英祖王に肖ろうと考えたことから、出身地でもあるこの浦添ようどれ東室に埋葬されことも踏まえるとそのカリスマ性はかなり大きなもののようにも思えます。後の国王が肖ろうとした英祖王の西室、実際には見ることはできませんがジオラマを見ているだけでも気持ちは900年前にタイムスリップすること請け合いです♪
また企画展を定期的に行っており、訪れた日には「沖縄県の戦争遺跡~前田高地から首里まで」が開催されていました。浦添グスクは沖縄戦当時〝前田高地(ハクソーリッジ)と〟呼ばれる攻撃・守備の要の場所であり、この地を巡って日米両軍が熾烈な戦いを繰り広げた激戦地として知られています。前田高地を占領された日本軍は、程遠くない場所にある首里の司令部壕から出て南部へと撤退するに至ります。そのことが結果として南部での膨大な数の戦死者を出すことに繋がりました。
その過程を前田高地・前田・経塚陣地壕群のパネルや遺跡から出土した戦争遺物の実物を展示し、わかりやすく解説されているものでした。なかなか調べてもわからない昭和20(1945)年4~5月の戦況のことなので、言葉はよくありませんが興味深く見せていただきました。
浦添グスク巡りは定期的にうらおそい歴史ガイド友の会が主催しているものの他、個人で申し込むこともできます。費用もそれほど掛からないので、開催日にどうしても行けない場合などは利用する価値は高いと思います。
浦添グスクについて前知識をつける場所としては非常に良い場所のように感じます。 閉じる投稿日:2018/08/01
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昭和地上戦の防御として「浦添ようどれ」~沖縄~
- 4.0
- 旅行時期:2016/08(約9年前)
- 0
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「ようどれ」とは夕凪のことだそうです。
- 4.5
- 旅行時期:2015/06(約11年前)
- 2
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壮大な王様のお墓
- 4.0
- 旅行時期:2015/02(約11年前)
- 0
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復元が楽しみな遺跡
- 4.0
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
- 0
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場所がわかりづらかった。
- 3.0
- 旅行時期:2013/07(約12年前)
- 0
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琉球王国初期の王陵
- 4.0
- 旅行時期:2013/04(約13年前)
- 0
「浦添ようどれ」は、浦添グスクの北側崖下にある琉球王国初期の王陵で、咸淳年間(1265-1274年)に英祖王が築いたといわ... 続きを読むれています。その後、1620年に、浦添出身の尚寧(しょうねい)王が改修し、王自身もここに葬られました。岸壁に横穴を掘り墓室とし、中には中国産の石で作られた石厨子があります。向かって右側が英祖王、左側が尚寧王の墓といわれています。“ようどれ”とは琉球語の夕凪で、夕凪の様に静かなところと言う意味で名付けられたようです。なお、「浦添ようどれ」に行く手前に小さな資料館(入館料は100円)があり、古写真や発掘調査成果パネル、出土遺物などから浦添グスクと浦添ようどれの歴史がわかりやすく学べます。今回は、管理人の方から、「浦添ようどれ」の歴史などにつき詳しく説明頂き、大変勉強になった。
閉じる投稿日:2013/04/09
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琉球王国初期の王墓です。
- 5.0
- 旅行時期:2012/11(約13年前)
- 0
1件目~20件目を表示(全24件中)
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- 2
投稿写真
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