2020/01/26 - 2020/02/13
3126位(同エリア17270件中)
薔薇の咲く庭さん
- 薔薇の咲く庭さんTOP
- 旅行記261冊
- クチコミ1136件
- Q&A回答1件
- 549,507アクセス
- フォロワー57人
この旅行記のスケジュール
2020/01/26
-
徒歩での移動
コンドミニアム→史跡→コンドミニアム
-
徒歩での移動
コンドミニアム→史跡→コンドミニアム
この旅行記スケジュールを元に
全部で24箇所あるという史跡を巡る計画を立てて、計画を実施することができて満足感と成就感が得られています。残念ながら「第7史跡 ウルニウ」は工事中でサーフィンボードのある場所はフェンスで囲まれていました。「第21史跡 水田とアヒル池の跡」の場所にはどこを探してもサーフィンボードはありませんでした。
日本へ帰ってきて、旅行記を書きながら疑問に思ったことを調べて見ると、場所の歴史を知らないで見ていたことが分かり、一層興味をもつようになりました。また、歴史に仮定はありませんが、「もし…ならば」と考えてしまうことがあり、感慨深い旅行記になりました。
ハワイの歴史は18世紀後半から急速に発展し、わずか200年に西欧史の2000年分が圧縮されているそうです。その点でもとても興味深い歴史だと思います。
この旅行記は第13史跡から第24史跡までを記しました。
いつか必ずまたホノルルへ行くことができる日が来ると思います。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
第13史跡 カヴェヘヴェの療養水
海底から神聖なる真水が湧き出しているといわれハレクラニ前の海は、”カヴェヘヴェ”と呼ばれ人々はこの海に浸かって病気や傷を癒したとされています。 -
第13史跡 カヴェヘヴェの療養水
別名「癒しの聖なる海」と言われていて、カヴェヘヴェヘ(Kawehewehe)とはハワイ語で、まさに、「病気の除去」を意味するのだそうです。古代ハワイアン達が、病気や怪我を治す目的で水浴びをしに集まる癒しのパワーを持つスポットだそうです。身体だけでなく、心までも癒し、浄化してくれると信じていたのだそうです。 -
第13史跡 カヴェヘヴェの療養水
カヴェヘヴェ(Kawehewehe)の浅瀬の波打ち際をよく見ると、海底の色がサンゴ礁に覆われていない箇所が在るそうです。海底は砂地で、海底から淡水が湧き出ているそうで、地中に溜まった雨水が吹き出しているのだそうです。そこが、この不思議な癒しパワースポットカヴェヘヴェ(Kawehewehe)だそうです。 -
第13史跡 カヴェヘヴェの療養水
海水と淡水(真水)が交わる不思議な場所です。水はクリアーで澄んでいて、ホテルの高いところから見ると、確かに底だけサンゴ礁が途切れていて、砂浜から水平線の方向に続く聖なる道のような印象で見えるそうです。グレイスビーチとも言われるそうです。 -
第13史跡 カヴェヘヴェの療養水
サーフィンボードはハレクラニホテルとアウトリガー・リーフホテルの間にありました。本当にすぐそこにアウトリガー・リーフホテルが迫っています。
コーヒーブレイクを楽しんでいる人がサーフィンボードを見降ろすことができます。 -
第13史跡 カヴェヘヴェの療養水
記念撮影。ここのサーフィンボードは潮風が強いのかあちらこちら錆がありました。
この写真を撮っているとアウトリガー・リーフホテルのテラスにいる人に「何しているの?」という感じで見られてしまいました。 -
第13史跡 カヴェヘヴェの療養水
ワイキキには霊力「マナ」があるといわれ、偉大な祈祷師たちはここに住み治療したそうです。海につかり海草などを身体につけることで、病気を治療したと言われています。不思議な場所ですね。 -
第13史跡 カヴェヘヴェの療養水
この日は砂浜から水平線の方向に続く聖なる道は見えませんでした。 -
第13史跡 カヴェヘヴェの療養水
第13史跡 カヴェヘヴェの療養水のサーフィンボードがあったハレクラニホテルとアウトリガー・リーフホテルの間の道を進みます。第14史跡 ヘルモア(王家のヤシ林)へ向かいました。 -
第14史跡 ヘルモア(王家のヤシ林)へ向かう途中
ワイキキのWai(ワイ)とはハワイ語で(水)、Kiki(キキ)とは(湧く、噴き出る)、という意味で、ワイキキは「水の湧く」場所という意味であることが分かりました。昔は湿地帯だったそうです。アラワイ運河を掘った時に出た土砂を、湿地帯を埋めるのに使ったそうです。 -
第14史跡 ヘルモア(王家のヤシ林)
ヘルモアは現在、ロイヤル・ハワイアン・センターが建っている場所です。実際にこのサーフィンボードが建っている場所は、ロイヤルハワイアンセンターのロイヤルグローブから少し離れた所です。センターのB館 1階にあるヘルモアハレ&ゲストサービスでは、ヘルモアやネイティブハワイアンの歴史を 紹介しています。 -
第14史跡 ヘルモア(王家のヤシ林)
ハワイ語で「鶏が引っかいた足跡」という意味のヘルモアという地名です。その足跡に植えられたニウ(ヤシ)の木がのちに1万本のヤシ林にまで育ったと言われています。 -
第14史跡 ヘルモア(王家のヤシ林)
王家所有のヤシ林が茂り、富と繁栄の象徴だった1万本ものヤシ園には多くの王族が避暑地として親しんでいたと言われています。 -
第14史跡 ヘルモア(王家のヤシ林)
あまり周りにはヤシの木はありませんでした。
-
第14史跡 ヘルモア(王家のヤシ林)
カラカウア通りに面しています。
周りにヤシの木はありますが、林という感じはしません。 -
第14史跡 ヘルモア(王家のヤシ林)
ロイヤルハワイアンセンター方向に少し歩いた所に屋台がいくつか出ていました。「スパムむすび」というお寿司?を売っていました。日本の感覚ではないような感じのジャンボお寿司?です。 -
第15史跡 アフォンの邸宅跡
中国人の富豪チュン・アフォンの邸宅のあった場所
彼は1849年にハワイを訪れ、不動産、砂糖、米で巨万の富を築きました。 -
第15史跡 アフォンの邸宅跡
1849年ころの日本の出来事では1853年(嘉永6年) 家定 ・徳川家定が十三代将軍となり、ペリーが浦賀に来航しています。 -
第15史跡 アフォンの邸宅跡
アフォンさんのことは調べてもよく分かりませんでした。地球の○き方の情報しか得られませんでした。 -
第15史跡 アフォンの邸宅跡
歴史を調べると1849年には米合衆国とハワイ王国との和親条約が結ばれ、ゴールドラッシュに湧く米国西海岸への輸出増加が、砂糖生産を促進していきました。 米国への輸出拡大の裏には、南北戦争(1861年から65年)による南部からの砂糖販売が途絶えたことも上げられているそうです。ハワイのお砂糖がかなり輸出されたようで、アフォンさんは巨万の富を築くことができたようです。 -
第15史跡 アフォンの邸宅跡
調べているうちにこんな記事があり、驚きます。「1849年にフランスがハワイの領有を宣言。ハワイをめぐる列強の抗争は激しくなる。 1850年に中国からの組織的な移民が始まる」。中国人であるアフォンさんは組織的な移民でホノルルへ来たようです。 -
第15史跡 アフォンの邸宅跡
今は邸宅の跡形もなく邸宅跡の前にはのどかなフォート デロシー ビーチが広がっています。 -
第16史跡 カリア・フィッシュボンド
カリア通りに背を向けて建っていました。湿地帯であったワイキキにはたくさんの養魚池があったそうです。 -
第16史跡 カリア・フィッシュボンド
中でも最大級の池がカリア・フィッシュボンドでこの記念碑が建っているフォート・デルッシュ近くの山側にあったそうです。 -
第16史跡 カリア・フィッシュボンド
記念撮影。記念撮影が多すぎるかもしれませんが。
確かにここを訪れた記念になります。 -
第16史跡 カリア・フィッシュボンド
カリア通りDFS側 -
第16史跡 カリア・フィッシュボンド
カリア通りアラモアナ側 -
第17史跡 デューク・カハナモク・ビーチ
デュークについて調べてみると「1890年8月24日、オアフ島に生まれる。純粋な先住ハワイ人である。デュークという名は父"Duke Halapu"から受け継いだものであり、これは1869年にハワイを訪問したイギリス王子のエディンバラ公爵アルフレッドに由来する」とのことです。 -
第17史跡 デューク・カハナモク・ビーチ
家族からはミドルネームの"パオア"と呼ばれていた。ワイキキで育った彼は幼少時よりアウトリガー・カヌー(南太平洋などで用いられるカヌーの一種。安定性を増すために、カヌー本体の片脇あるいは両脇にアウトリガーとも呼ばれる浮子(ウキ)が張り出した形状をしている)や水泳に親しんだそうです。 -
第17史跡 デューク・カハナモク・ビーチ
記念撮影。分かりやすい所にありました。 -
第17史跡 デューク・カハナモク・ビーチ
母親は彼を「決して水を怖れず、可能な限り遠くにまで行ってごらんなさい」と言い聞かせて育てたと伝えられているそうです。 -
第17史跡 デューク・カハナモク・ビーチ
砂質や水質、水温、騒音、衛生、保安など50の評価項目について調査し、その年のビーチトップ10を選ぶ「全米ベスト・ビーチ」で、2014年のNo.1に輝いたそうです。ビーチでの喫煙がハワイ州法によって禁止されているそうで確かに誰も喫煙する人はいませんでした。ステキなビーチです。デューク・カハナモクはここで泳いでいたと思うと感慨無量です。 -
第18史跡 レインボウ・タワー&ヒルトン・ラグーン
ラグーンは私のお気に入りの場所です。調べてみると1950年代前半にハワイアン・ビレッジ(1961年からヒルトンが経営)開発計画の一環として造られたもので人工の池でした。当時は、地元ファミリーで賑わう海水浴スポットでしたが、次第に水が汚れて、泳げない状態が長く続いていました。そこで、ヒルトンが約1年間の改修工事を行い、2007年末に復活を遂げたそうです。 -
第18史跡 レインボウ・タワー&ヒルトン・ラグーン
現在は、最先端の水循環装置で水質をキープ。滝が流れる島やきれいな白砂、緑の芝生、ほどよい日影もあり、静かな芝生でのんびり日光浴もできます。波が立たない海水プールだから、水際での水遊び、砂遊びも安心。赤ちゃんのビーチデビューにもお勧めだそうです。私もそう思います。孫たちが泳ぐのに最適です。
夕方になると水が少なくなり、朝に元に戻っているのは水循環装置が作動しているためだったのですね。 -
第18史跡 レインボウ・タワー&ヒルトン・ラグーン
レインボウ・タワーはモザイクの虹のアートがハワイのシンボルのタワー。1968年にヒルトンが建てました。タイルで作られた美しいモザイク画は、当時世界一の大きさと大絶賛されました。
ハワイのあたたかな陽射しを受けたモザイク画は、2014年に作者の息子さん指揮のもと、約4.5億円の費用をかけて全て修復され、さらに美しく生まれ変わったそうです。
デューク・カハナモク・ビーチの上に建つこのタワーはほとんどの客室から海を見ることができます。 -
第19史跡 ザ・ストリー・オブ・カリア
ワイキキは地図で見ると海岸線に沿って横に長く広がっています。その西側、現在のヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ワイキキ・ビーチ・リゾートの前に広がる美しい海は、「カリア」と名付けられています。 -
第19史跡 ザ・ストリー・オブ・カリア
かつてはこの場所に向かってピイナイオという川が流れ込んでいて、砂浜の代わりに大きなデルタ地帯が出来上がっていました。養分に富んだその水は海の生物にとって魅力的な場所で、たくさんの魚はもちろん、なんとタコ、カニ、エビ、さらにはロブスターまでもが住んでおり、網を投げ入れれば、毎回大量の魚介類が獲れるという驚くほど豊かな漁場でした。 -
第19史跡 ザ・ストリー・オブ・カリア
現在ヒルトン・ハワイアン・ビレッジのある場所は、かつてデュークの母方の親戚が代々集まり暮らしていた地域で、カリアの海は、8人のカハナモク兄弟達が泳ぎを覚えた所でもあります。 -
第19史跡 ザ・ストリー・オブ・カリア
このように、豊かなカリアの海が広がり、デューク・カハナモクが育った場所でもあるこの地を散歩してみると、「カリア・ロード」、「カハナモク・ストリート」、デュークのミドルネームから「パオア・プレイス」と名付けられた道に出会えます。 -
第19史跡 ザ・ストリー・オブ・カリア
そして、ヒルトンのホテル群の目の前には、「カハナモク・ラグーン」、そしてその先は「カハナモク・ビーチ」と、ハワイのアイコンともいえるデューク・カハナモクが過ごした歴史が、名前としてしっかりとここに残されています。 -
第20史跡 カリア湾
アラワイ ボートハーバー が目の前に広がる場所にサーフィンボードは立っていました。グーグルマップでカリア湾を検索しても検索結果は出てきませんでした。
-
第20史跡 カリア湾
ピイナイオ川が養分運び、栄養に富んだカリア湾は、たくさんの魚、タコ、カニ、エビ、さらにはロブスターがいたそうです。網を投げ入れると大量の魚介類が獲れるた豊かな漁場だったそうです。カリア湾の写真は漁師が漁業を営んでいる写真のように見えます。 -
第20史跡 カリア湾
記念写真です。 -
第22番史跡 アラワイ運河
今から約100年前の1921年、「ワイキキ環境整備プロジェクト」がスタートします。コオラウ山脈から流れてくる3つの川を海岸線の手前で止め、その先にビーチリゾートを造成するというプロジェクトです。そのころはワイキキは王族の保養地でした。オアフ島最南端にある湿地帯で、現在アラワイ運河がある辺りには、タロイモ畑が広がっていたそうです。 -
第22史跡 アラワイ運河
ビーチリゾートと一般生活地域を分断するために造られたのがアラワイ運河で、その際に掘られた土砂は、湿地帯を埋めるのに使われたそうです。当時としては非常に大きな計画だったそうです。
確かに地図で調べると川が3本アラワイ運河に流れ込んでいます。運河を掘って出た土砂を湿地帯を埋めるのに使うなんてすばらしいアイデアですね。 -
第22史跡 アラワイ運河
アラワイ運河ができると、それまでは蚊がたくさんいたワイキキは蚊がいないリゾート地になったそうです。
しかし、15年ほど前のアラワイ運河は、見た目も汚くて悪臭を放っており、ハリケーンが来るたびに増水し氾濫したりしていたそうです。そのため、運河沿いのコンドミニアムは大変な目に遭っていました。 -
第22史跡 アラワイ運河
現在は下水管が整備され、透明度が戻ってきています。週末になると、アラワイ運河から出発するカヤック(カヌー)が見られるほど。確かに運河沿いを歩いた範囲では水がよどむところはなく綺麗で快適です。 -
第22史跡 アラワイ運河
アラワイ運河は「運河」と名付けられていますが、実際に何かを運んでいるのを見たことがありません。Ala Wai Canal の Canal は、運河だけでなく、疎水、人工水路、掘割といった意味があるそうですが、単に日本語に置き換える際にCanal=運河と訳されてしまったとのことです。 -
第23史跡 フォート・デルッシ
落ち着いた雰囲気の中の公園の一角に「23番記念碑・フォート・デルッシ」がありました。
20世紀初頭に、ここに要塞が築かれました。現在は第二次世界大戦の戦死者を慰霊する場所として一般公開されています。 -
第23史跡 フォート・デルッシ
南側の一角に真珠湾の防衛を目的として1911年に建設されたランドルフ砲台があった建物を転用したアメリカ陸軍博物館があります。 -
第23史跡 フォート・デルッシ
すぐ目の前にはアラモアナブルーバードがあります。 -
第23史跡 フォート・デルッシ
サーフィンボードの後ろはクロダフィールドと呼ばれる緑の芝が敷かれた公園です。
「クロダフィールド」の名称となった「ロバート・クロダ」は、広島から移民した親のもとホノルルで生まれ、日米が開戦しアメリカ陸軍が日系二世だけで構成する「第442連隊」の志願を募集すると直ぐに志願し入隊しました。 -
第23史跡 フォート・デルッシ
そして1944年10月、欧州戦線のフランスのヴォージュで戦死しました。その時の勇敢な戦いにより、兵士としては米国最高の「議会栄誉賞」を受勲しました(もちろん遺族が受け取りました)。
米陸軍は、ロバートに敬意を表するために、フォートデラッシーの緑の公園名を「クロダフィールド」にしたそうです。
現在、ハワイが日本人を受け入れてくれるのは、日系の方々が勤勉に働き、二世たちが戦争から帰って白人が独占していた政治や経済を変えたおかげです。ハワイの人々は、日系を通して私たち日本人を見ているそうです。 -
第24史跡 カラカウア王銅像
ここにはサーフィンボードはありませんでした。
ハワイ王朝の最後から2番目の王様、カラカウア王です。最後の王様が妹のリリウオカラニ女王。
フラダンスのステップに「カラカウア」という名前のステップがあります。卑猥な動きであるという理由で宣教師によって一時禁止されていたフラを復活させたのはカラカウア王です。有名で偉大な王様で親しみが持てます。カメハメハ大王像 (ホノルル) モニュメント・記念碑
-
第24史跡 カラカウア王銅像
この王様は「陽気な君主」と呼ばれ、威厳がありながらおおらかな性格で民衆に人気があったそうです。穏やかな表情の銅像です。
「非常に立派で知的な人」と作家のロバート・スティーブンソン(イギリスのスコットランド、エディンバラ生まれの小説家、詩人、エッセイスト。代表作に冒険小説『宝島』『ジキル博士とハイド氏』など)も称えています。ハワイのルネッサンスを試みたり世界漫遊の旅に出たりする革新的な王様でした。 -
第24史跡 カラカウア王銅像
世界漫遊の旅では日本を訪ね(1881年)、王の姪のカイウラニ王女と東伏見宮依仁親王との婚姻を明治天皇に申し込んだそうです。なぜこのような申し出をしたのか。その背景にはアメリカ合衆国による植民地化を妨げるために日本に助けてもらおうとしたとの説があります。また、ハワイー日本間海底電線設置を提案したそうですが、いずれも叶いませんでした・・・。
-
第24史跡 カラカウア王銅像
記念撮影 左手に持っているのは、明治天皇と交わした移民の契約書「日布渡航条件」だそうです。 -
第24史跡 カラカウア王銅像
ワイキキゲートウェイパークの中にカラカウア王銅像はあります。像はカラカウア通りとクヒオ通りの交差点方角を向いて立っていました。 -
第24史跡 カラカウア王銅像
カラカウア王はハワイの農場の労働者として移民を送るように働きかけて、1885年には日本から官約移民が実現しています。批准された「日布渡航条件」に則ってハワイに渡航した人たちを「官約移民」と呼んだそうです。約3万人の日本人が渡航し、1924年にアメリカの移民法が変わり日本からの移民が一切入れなくなるまでの総数20万人が海を渡ったそうです。一部の方はアメリカ本土に渡り、一部の方は日本に帰ったそうです。
-
第24史跡 カラカウア王銅像
像からホリデーインエクスプレス ホノルルワイキキ がよく見えます。
カラカウア王はまさかこのようにワイキキが発展するとは想像できなかったでしょうね。 -
第24史跡 カラカウア王銅像
私の祖母の兄もハワイへ渡航しました。そして、老後は日本へ帰ってきました。時々祖母の所に遊びに来ることがあり、私の叔母たちは「ハワイのおじさん」という呼び名で呼んで尊敬していました。
日本からの移民を確保した業績からオワフ官約移民百年祭委員会が1985年にカラカウア王を「ハワイ日本人移民の父」と命名し、銅像を建てました。 -
第24史跡 カラカウア王銅像
記念撮影。史跡巡りの旅もここが終点です。 -
第24史跡 カラカウア王銅像
カラカウア王銅像の周りには極楽鳥花が咲いていました。南アフリカのケープ州が原産のストレリチア科ゴクラクチョウカ属の非耐寒性の宿根草です。暖かいハワイでは育つのですね。
この花の花言葉に「輝かしい未来」という意味があります。鮮やかな花から、明るく希望があるイメージから連想されつけられたそうです。「輝かしい未来」に飛び立つ鳥のような花です。これからもハワイにたくさんの幸がありますように。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2020 ハワイ
-
前の旅行記
ワイキキ史跡巡り 2020 第1史跡 ザ・ビーチズ・オブ・ワイキキ ~ 第12史跡 カメカメハ王の邸宅跡
2020/01/26~
ホノルル
-
次の旅行記
プライドオブアメリカ号に乗船 Vol.3 2020 ~ マウイ島に上陸 (2) ~
2020/01/26~
マウイ島
-
クヒオビーチ・サンセットフラショウ 2020
2020/01/26~
ホノルル
-
Enjoy my life ! Cheers! To our future!
2020/01/26~
ナ・パリ・コースト周辺
-
少しハードルが高かったコンドミニアムスティ 2020 ~ ホノルル ~
2020/01/26~
ホノルル
-
ワイキキ史跡巡りのある一日 2020
2020/01/26~
ホノルル
-
ワイキキ史跡巡り 2020 第1史跡 ザ・ビーチズ・オブ・ワイキキ ~ 第12史跡 カメカメハ王の邸宅跡
2020/01/26~
ホノルル
-
ワイキキ史跡巡り 2020 第13史跡 カヴェヘヴェの療養水 ~ 第24史跡 カラカウア王像
2020/01/26~
ホノルル
-
プライドオブアメリカ号に乗船 Vol.3 2020 ~ マウイ島に上陸 (2) ~
2020/01/26~
マウイ島
-
☆☆☆ワイキキ史跡巡りのある一日(2) 2020 ~ワイキキ~☆☆☆
2020/01/26~
ホノルル
-
プライドオブアメリカ号に乗船 Vol.4 2020 ~ ハワイ島 ヒロに上陸 ~
2020/02/01~
ハワイ島
-
プライドオブアメリカ号に乗船 Vol.6 2020 ~ カウアイ島 ナウィリウィリに上陸(1) ~
2020/02/01~
カウアイ島
-
プライドオブアメリカ号に乗船 Vol.7 2020 ~ カウアイ島 ナウィリウィリに上陸(2)ワイメアキャニ...
2020/02/01~
カウアイ島
-
プライドオブアメリカ号に乗船 Vol.8 2020 ~ カウアイ島(3)フラ卒業ショー&ナ・ パリコースト ...
2020/02/01~
カウアイ島
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (3)
-
- GenKiさん 2020/10/05 11:49:59
- ワイキキ史跡巡り
- はじめまして(と思っていたら、以前、真珠湾を訪問した旅行記に「いいね!」を押していた者です)。
ワイキキ史跡巡りお疲れさまでした。同じ時期にハワイに行っていたようです。
なかなかすべてを廻る方はいらっしゃらないと思いますので、大変貴重で素晴らしい体験でしたね。
ハワイを訪れる多くの日本人観光客は、オアフ島(オワフではありませんよ~)のワイキキ周辺がメインだと思いますが、その中でも歴史はあり、その上で現在のハワイがあります。
ハワイに関わる活動をしている私としては、僭越ではありますがいくつか指摘させていただきますね。
・コオウラ山脈→コオラウ山脈です。
・リリウオカラウニ女王→リリウオカラニ女王(愛称で「リリュー」と呼ばれていました)。
・ハワイが51番目の州→ハワイは50番目の州。アメリカは50州ですよ~。
・カウェヘウェ→カヴェヘヴェ ハワイ語でWが頭にくれば「う」ですが、Wが文中にくると「ゔ」になります。だからハワイも本来は「ハヴァイイ」と言います。
・官約移民と移民数→官約移民は、約3万人弱ですが、お書きになった20万人は、1924年にアメリカの移民法が変わり日本からの移民が一切入れなくなるまでの総数ですね。
それから、フォートデラッシーの「クロダフィールド」ですが、そこまで紹介したら、ぜひクロダを紹介して欲しかったです!
「クロダフィールド」の名称となった「ロバート・クロダ」は、広島から移民した親のもとホノルルで生まれ、日米が開戦しアメリカ陸軍が日系二世だけで構成する「第442連隊」の志願を募集すると直ぐに志願し入隊しました。
そして1944年10月、欧州戦線のフランスのヴォージュで戦死しました。その時の勇敢な戦いにより、兵士としては米国最高の「議会栄誉賞」を受勲しました(もちろん遺族が受け取りました)。
米陸軍は、ロバートに敬意を表するために、フォートデラッシーの緑の公園名を「クロダフィールド」にしました。
薔薇の咲く庭さんの大叔父もハワイへ渡ったのですね。ハワイでは大変苦労された事と思います。
現在、ハワイが日本人を受け入れてくれるのは、日系の方々が勤勉に働き、二世たちが戦争から帰って白人が独占していた政治や経済を変えたおかげです。ハワイの人々は、日系を通して私たち日本人を見ています。
日系の方々には、感謝しかありませんね。
長々と失礼しました~!
- 薔薇の咲く庭さん からの返信 2020/10/05 16:19:59
- RE: ワイキキ史跡巡り
- 私の旅行記をご覧いただきありがとうございます。
また、貴重なご指摘をいただきまして感謝申し上げます。
直せる箇所は訂正いたしましたが、不十分な所がありましたら再度お教えいただけると幸いです。
史跡巡りに興味を持ち、旅行記を書くことができました。その価値を認めてくださりありがたく存じます。
今後もよろしくお願い申し上げます。
薔薇の咲く庭
- GenKiさん からの返信 2020/10/05 16:40:15
- RE: RE: ワイキキ史跡巡り
- 薔薇の咲く庭さま
以前、指摘していたのですね。
何度もスミマセンでした。
おせっかいが過ぎました。
> 私の旅行記をご覧いただきありがとうございます。
>
> また、貴重なご指摘をいただきまして感謝申し上げます。
>
> 直せる箇所は訂正いたしましたが、不十分な所がありましたら再度お教えいただけると幸いです。
>
> 史跡巡りに興味を持ち、旅行記を書くことができました。その価値を認めてくださりありがたく存じます。
>
> 今後もよろしくお願い申し上げます。
>
>
> 薔薇の咲く庭
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
ホノルル(ハワイ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2020 ハワイ
3
63