2014/01/01 - 2014/01/02
473位(同エリア6975件中)
れいろんさん
1月2日、2013年~2014年イタリア年越し旅行も最終日です。
夫はこの日、エミレーツ航空Cクラスでドバイ経由で帰国。
私はアリタリア航空のYクラスでバルセロナに飛びます。(スペインで3泊したのち、マドリードから帰国します。)
ローマ~バルセロナの飛行機は頻発しているので、私のフライトは夫の出発にあわせました。
ホテルで朝ごはんを食べたら、最後のローマ散歩へ。
以前から興味があったサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂広場のオベリスクへ行き、時間&体力に余裕があればアッピア街道方面へ向かうことにしました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2014年元日、ピサからフィレンツェへ戻り、ホテルで荷物を引き取って、その足でローマで移動します。
-
すっかり慣れたトレンタリアのWEB予約。
行き当たりばったりの列車旅も良いのですが、事前予約&購入は割引率が高いのが大きな利点です。
メールで送られてきたPDFの紙焼きをもってホームで待ちます。 -
私たちの乗るFrecciarossaが入線してきました。
-
17時19分、定刻の出発~。ローマ・テルミニ駅到着は18時50分の予定。
何度か乗車したのですが、Freccia(新幹線)はほとんど遅延しない印象です。 -
テルミニ駅そばのベットーヤ ホテル マッシモ ダツェリオ (Bettoja Hotel Massimo d'Azeglio )へ戻ってきました。
古い建物なので天井が高いのが魅力。 -
今日は寝るだけね~。1泊です。
-
年末に泊まった部屋より広く、大きなウオークインクローゼットがあり、
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なにより、バスルームがとても広かったです。
ここで四股が踏めちゃうねぇ~。 -
部屋からは中庭が眺められました。
なかなか素敵な眺めだったのね。(翌朝の撮影) -
早めの10時にチェックアウト。
荷物を預けてとことこ歩いていきます。
私はローマ市内にあるエジプトのオベリスクに興味があるので・・・、 -
サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂広場のオベリスクへ行ってみます。
ホテルからPiazza di S. Maria Maggiore を右に見て、Via Merulana 経由で約2km、30分くらいかかりました。
奥に見える円筒形の建物は・・・ -
フォンテのサンジョヴァンニのラテラノ洗礼堂(Battistero Lateranense di San Giovanni in Fonte )。
後でゆっくり行ってみます。 -
サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂広場のオベリスクは、ローマにある「古代エジプトのオベリスク7本(※)」のうちの1本です。
(※ ローマにあるオベリスクは全13本。)
元々は、紀元前14世紀にトトメス4世の時代にテーベ(ルクソール)のカルナック神殿に建てられたもので、357年にコンスタンティウス2世の命でローマに運んできたものです。 -
当初、チルコ・マッシモに建てられたものの、その後倒壊し埋没。
3つに壊れた状態で1587年に発見され、法王シクストゥス5世の命により、1588年8月にこの場所に再建立されたものです。 -
長い間に埋没していたこともあり、象形文字が綺麗に残されています。
ローマに建っているオベリスクの中で、最も製作年代が古く、背が高く、更にエジプトから運ばれた最後の物なのだとか。 -
ローマ市内の他のオベリスクもそうなのですが、ただ再建立するのではなく、その基部に見ごたえのある装飾を施すのがローマの流儀。
ミネルヴァ広場(サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会前)の象の背中に乗ったオベリスクにも感心しましたが、ここの物には水盤がつけられています。
ミネルバ教会のオベリスクはこちら
↓
https://4travel.jp/travelogue/10747198 -
実際に行ってみて、ちょっとびっくりしたのは、その建立場所。
てきっり大聖堂の正面に建っているかと思っていたのですが、正面から右手裏のサン・ジョバンニ広場(?)に建っていました。 -
その広場に面した側面からサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂に入りました。
天井が高い! -
ここは、サン・ピエトロ大聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(城壁外の聖パウロ大聖堂)と共に、ローマの四大バシリカ(古代ローマ様式の大聖堂)なのだそう。
-
そして、バチカンの領域外にあるものの、ラテラノ条約によってバチカンの特別な権利が認められています。サンタ・マリア・マッジョーレ教会と一緒ですね。
世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」に指定されています。 -
ラテラノ大聖堂の正式な「献堂式」は、324年に教皇シルウェステル1世によって行われ、ローマ最大の聖堂であることから、「世界の母なる聖堂」「聖堂の中の聖堂」とされているのだとか。
後陣はコズマーティ様式(石やタイル・貝殻・木小片を寄せあわせ埋め込んで、絵や模様を表す装飾手法)で華麗に彩られ・・・ -
上部に天使とキリストのモザイク画。
その下には、十字架ぇお中央に、その左側には聖母マリア(聖母マリアの足元でひざまづいている教皇ニコラウス4世)、聖ペテロ、聖パウロ、右側には洗礼者聖ヨハネ、使徒聖ヨハネ、聖アンデレが描かれています。 -
主祭壇はこちら。
サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂は、その名のとおり、とにかく大きい聖堂。
側廊にもたくさん礼拝堂があって、詳細はよくわかりません。
ガイドさんと一緒に回っても、理解できないことでしょう。 -
こちらは法王の専用祭壇??
1367年に教皇ウルバヌス5世のために作られた聖体用の祭壇なんだとか。 -
正面から外に出てみました。
確か、25年に1度しか開けられない扉があるのですが・・・。
これは違うかなぁ。 -
これも違うみたい。
-
これだ!。クーリアの青銅門。
フォロ・ロマーノのクーリア(Curia 元老院)から移された扉だそう。
25年に1度、開けられるというので、別名は「ポルタ・サンタ(聖なる扉)」。
次はいつ開けられるのでしょうか? -
大聖堂の正面からの眺めです。
-
右側にはテントがたくさん並んでいました。
何だろう? 出店かな? -
教会のファサードを撮影します。
-
屋根に上部の聖人たち。
-
これは何だったのか? 石棺のようですけれど・・・。
この時は、意味のあるものとして撮ったのでしょうか?
・・・忘れてしまいました。残念です。 -
私はキリスト教の信仰がないので、やっぱり聖堂よりはオベリスク!
ローマ市内にある古代エジプトのオベリスク、7本は以下の通りです。
1 サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂広場のオベリスク「済み」
建立者 トトメス4世(紀元前14世紀)(トトメス3世の命)
2 ポポロ広場のオベリスク(フラミニオ・オベリスク)「済み」
建立者 ラムセス2世(紀元前13世紀)(セティ1世が柱身3面までの装飾完了) -
3 ロトンダ広場(パンテオン前)のオベリスク「済み」
建立者 ラムセス2世(紀元前13世紀)
4 チェリモンターナのオベリスク「済み」
建立者 ラムセス2世(紀元前13世紀)
これら3と4はラムセス2世がヘリオポリスの太陽神殿に建てた「1対のもの」。 -
5 ディオクレティアヌス帝浴場のオベリスク(テルメ・オベリスク)
建立者 ラムセス2世(紀元前13世紀)
6 モンテチトーリオ宮殿前のオベリスク「済み」
建立者 プサンメティコス2世(在位:紀元前594~紀元前589)
7 ミネルヴァ広場(サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会前)のオベリスク「済み」
建立者 アプリス王(紀元前589~570)
あっ、まだ、ディオクレティアヌス帝浴場のオベリスク(テルメ・オベリスク)には行っていないなぁ。宿題ですね。 -
次に特上的な円筒形(=正確には八角形)の建物を訪れました。
-
コンスタンティヌス帝が洗礼を受けたという伝承の位置に造られたのだそう。
-
ガイドブックなどには「永きにわたってローマでただ一つの洗礼堂として尊重された」と説明されていますが、「洗礼」も良く理解していない、私。
-
ただ「感じる」のみです。
ここは、「すっきり」で「華やか」という相反するイメージでした。 -
天井も撮っちゃいましょう。
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祭壇があり、お祈りしている人もいました。
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別の祭壇??
柵があって近づけませんでした。 -
洗礼堂を出て、アルバ・アラバム通り(Via dell'Amba Aradam)を下っていきます。
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下りきった場所に小さい広場(P.za di Porta Metronia)がありました。
この側には、3世紀に造られた・・・ -
城壁が長く残っていて、なかなか雰囲気のいい場所です。
、 -
城壁の内外を結ぶ、Porta Metronia 。
-
この下を自動車がばんばん走っていて、「ああ、ローマだなぁ」と思います。
-
さらにドルソ通り(Via Druso,)を歩いて Piazzale Numa Pompilio まで。
( Piazzale Numa Pompilio の写真はありません。) -
カラカラ浴場南の Piazzale Numa Pompilio(洗礼堂から1.2㎞ 13分)から、ポルタ・サン・セバスチャーノ通り(Via di Porta San Sebastiano)に入ります。
-
狭い石畳の道。なのに、車通りも多いぃ~。
雰囲気は良いのですが、すぐそばを通り過ぎる車が気になってのんびり歩くことができないのが、なんとも残念。 -
門が見えて来ました。
門まで Piazzale Numa Pompilio から、700m位でしょうか。 -
アウレリアヌス城壁にはサンセバスチアーノ 門(Porta San Sebastiano )が開いているそうなのですが、その手前に・・・
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何やら古色蒼然とした石造りの無骨な門がっ!
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ドゥルーゾ のアーチ(Arco di Druso )と言うらしい。
ここも車が通っていきます。 -
アーチを越えて、一枚。
ドゥルーゾ のアーチは、城壁にくっついていない・・・。 -
調べました。
3世紀に古代アントニオ水道(カラカラ浴場へ送水路)の高架の遺構なのだとか。
現在、この付近に、水道は残っていません。 -
「アーチの高さは7メートル、幅は5.30メートル、奥行きは5.60メートル」と、かなりがっちりしています。
-
そして、こちらがアウレリアヌス城壁に開いたサン・セバスティアーノ門(Porta San Sebastiano)です。
3世紀建造、5世紀再建と長い歴史を持つのですが、今は城壁博物館(Museo delle Mura)になっているので、なんとなく新しい感じがしちゃいます。 -
サン・セバスティアーノ門(Porta San Sebastiano)の別名はアッピア門(Porta Appia)。
門に背を向けて・・・ -
120mほどで、右側にアッピア街道の1マイル柱(Copia della prima colonna miliare della Via Appia Antica )が現れます。
-
この柱はレプリカで、実物はカンピドリオ広場の欄干として利用されてしまっています。
-
ここからは、アウレリアヌス城壁のサン・セバスティアーノ門がすぐそこに見えます。
120m=1マイル の訳はありませんよね。
古代ローマの1マイルは約1.48kmなので・・・ -
アッピア街道の起点(終点)は、アウレリアヌス城壁よりローマの中心に近い場所です。
セルウィウス城壁(紀元前4世紀)のカペーナ門(チルコマッシモの南、カラカラ浴場近くにあるカペーナ広場の辺り)だったとのことです。 -
せっかくここまで来たのですから、次の2マイル柱まで歩こう~と意気込んでいたのですが、まあ、この辺り、車通りの多いこと!
道も狭く、車を避けなければならなかったりして神経を使います。
鉄道を潜ったあたりで嫌気がさして、チリチア通り(Via Cilicia)を北東へエスケープ。 -
ずっと住宅が続き、どこにも寄る所が見つかりません。
疲れてはいないのですが、トイレに行きたいので、一生懸命お店を探します。
やっと見つけたBARに飛び込みました。
可愛くてフレンドリーな女性スタッフ。 -
カプチーノ(1ユーロ)を頼んで一休み。
ついでにお昼も済ませたかったのですが、食べ物はケーキくらいしかありませんでした。 -
カフェを飲んで元気が出たねえ。
もう少し、頑張って歩きましょう。
アカイア通り(Via Acaia)の I Due Scalini というお店で・・・ -
ナイスゥ~な看板を目にしました。
おっ、7.50ユーロの日替わり定食があるじゃないですか?
ここで、遅いお昼ごはんにしましょう。 -
1階はケーキがショーウインドウに並ぶパステリア&立ち飲み主体の気軽なBARで、地下に厨房と食堂スペースがありました。
-
定食は7.5ユーロ。
前菜は3種類から選択します。
夫は マニケ(maniche=太いマカロニ)のトマト・バジルソース
私は ニョッキのラグーソース
メインは2品から選ぶのですが、1品は何かわからなかったので、2人とも鶏肉のオーブン焼きポテト添えを。 -
ビールの大瓶(3ユーロ)も1本注文して、お腹いっぱい。
気持ちのいいお店でした。 -
さて、メトロ San Giovanni 駅までもう少し歩いて、地下鉄でホテルへ戻りましょうか。
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この旅行記へのコメント (3)
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- salsaladyさん 2020/08/19 09:41:42
- 全ての道はローマに通ず~アッピア街道~
- ※遺跡の街ローマから、マイル塚をずっと行くとアッピア街道で突き抜ける。。。
※よくぞ2014年頃の記念を残してましたね。
※4tra.投稿を始めたのが2014年ですが、イタリアへ行ったのはそれ以前だったから、こんな風に記憶を辿ることが出来ません。確か、アッピアの途中に”Quo Vadis”とやらの居酒屋風レストランがあって、唄屋がクループで、小遣い稼ぎに唄ってましたね。
※イタリア歌曲を数年習ってたので、一緒にオーソレミーヨやO mio babbinoなど唸ったら拍手が来たので、チップをはずんだ想い出~もう行けないか~
- れいろんさん からの返信 2020/08/19 21:09:52
- RE: 全ての道はローマに通ず?アッピア街道?
- salsaladyさん、こんにちは。
アッピア街道。
整備(古道の回収・拡幅&敷石の埋設)に着手されたのが紀元前なんて、素敵ですよね。
ブリンディシ(アッピア街道の終着地(Il termine della via Appia)まで歩いてみたいなぁ・・・などど思っていましたが、実現させるのが難しい世の中に名ちゃいました。
(このコロナ禍が収束するころは、もう、自分がそんな長距離を歩けないでしょうし。)
salsaladyさんも歌を歌われるんですね。
私も、大昔、合唱で賛美歌などをイタリア語で歌っていた事があります。
今でも オーソレミオ や 帰れソレントへ(Torna a Surriento)などは歌えそうです。
いつか、salsaladyさんと一緒に「オーソレミオ」を歌う機会があると良いなあと思います。
れいろん
- salsaladyさん からの返信 2020/08/20 08:54:56
- Re: Remote Concert...
- ※Me,too!ですね。最近はボイトレの先生宅へも行けず(covid 19を心配して、今年中はnothing lesson!)~
※4tra.memberもリモートで会話できると楽しいのにね~see you~
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