2019/11/17 - 2019/11/21
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旅人のくまさんさん
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大雁塔の紹介です。玄奘三蔵の設計により、当初は5層でした。各階に仏舎利が納められ、経典は上層部の石室に置かれました。玄奘自ら、造営に携わったと伝えられます。
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先に、右斜め前から紹介した建物の光景です。『伽藍殿』の正面光景です。二つ並んだ扁額の右側の建物です。『伽藍』は、『僧伽藍摩(そうぎゃらんま)』とも言われ、普通には多くの僧侶たちの住んでいる場所、あるいはその寺院自体を指します。中国の仏教寺院では、伽藍が殿堂の一つの名称として使われています。
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先に、右斜め前から紹介した建物の左側部分の光景です。『甘露堂』の正面光景です。『甘露』は、インド神話の『アリムタ』と同義とされます。『不死・天酒』の意とされ、天上の神々が飲む甘い霊液のことです。不死を得るとされ、転じて、仏の教え、仏の悟りに例えられます。日本では、『甘露飴』の名前等にも使われています。
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『財神殿』の扁額が懸かった建物正面光景です。中国の財福をつかさどる『財神』は、財神の正統的な神格と目される『増福財神』、『玄壇神』、『五顕財神』をはじめとして、『関帝』、『比干』など多種多様の神々が奉祀されます。『関帝』は、後漢末期の将軍・関羽に因み、『比干(ひかん)』は殷代の王族に因みます。
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立入りが制限された、格式高そうな建物の光景です。『人天歓喜』の扁額が懸かっていました。中央の二本の柱に記された文字は、右側が『一仏出生九龍吐水』、左側が『十方清浄三昇蒙恩』でした。
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イチオシ
『兜率』の扁額が懸かった建物越しに眺めた『大雁塔』の光景です。建物内には、大きな光背を持った金銅仏が祀られていました。『兜率天(とそつてん)』は、仏教の世界観における天界の一つとされ、三界のうちの欲界における六欲天の第4の天とされます。都率天、覩史多天などとも呼ばれます。兜率天には内院と外院があり、内院は将来仏となるべき菩薩が住む所とされ、現在は弥勒菩薩が内院で説法をしていると教えます。入口の柱に記された文字は、右が『説法伝教弘揚聖教』、左が『聯珠貫玉乱墜天花』でした。
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『観音殿』の扁額が懸かった建物の正面光景です。正面に煌々と明かりに照らされた千手観音の金堂像が見えていました。夜の観劇で見た千手観音、そのものでした。入口の柱には、観音様の御利益と思われる『円通句会駕慈航渡衆生除一切苦厄』の文字が記されていました。入口右側です。
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『示現堂』の扁額が懸かった建物の正面光景です。『示現(じげん)』には、二つの意味合いがあるようです。一つは、『神仏が、その不思議な力を示し現すこと』、もう一つは、『仏・菩薩が人々を救うために、さまざまに身を変えて、この世に現れること』とされます。(古語辞典)
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『先覚堂』の扁額が懸かった建物の正面光景です。『先覚』とは、『人より先に物事の道理を悟ること。また、その人』、『学問や見識のすぐれている先輩。先学。先進』の二つの意味があります。(GOO辞典)、『先覚堂』の場合、最初の方の意味合いで付けられた名前のようです。仏教用語一覧(ウィキペディア)には、見当たりませんでした。
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イチオシ
近くから見上げた『大雁塔』の光景です。ここから暫くは、翻訳僧として高名で、『大雁塔』に深い繋がりを持つ『玄奘三蔵法師』について紹介の続きです。最初に若い頃のエピソードに戻ります。本名は『陳偉(衣偏):チンキ』、陳氏は、後漢の陳寔を祖にもつ陳留(現在の河南省開封市)出身の士大夫の家柄で、地方官を歴任しました。特に曽祖父の陳欽(または陳山)は、北魏の時代に上党郡の太守になっています。その後、祖父である陳康は北斉に仕え移住しました』(ウィキペディア)、この後は、支障がない限り、本名に代えて『玄奘』の表記とします。
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『玄奘』の8歳の時のことです。孔子の『孝経(こうきょう)』を父から習っていた玄奘は、『曾子避席』のくだりを聞いて、『曾子(そうし)ですら席を避けたのなら、私も座っていられません』と、襟を正して起立した状態で教えを受けました。この逸話により、玄奘の神童ぶりが評判となりました。曾子は孔子の高弟で、『孝経』は、曾子の門人が孔子の言動を記したと伝わります。(ウィキペディア)
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10歳で父を亡くした玄奘は、次兄の長捷(俗名は陳素)が出家して洛陽の浄土寺に住むようになったのをきっかけに、自身も浄土寺に学び、11歳にして『維摩経』と『法華経』を誦すようになりました。ほどなくして度僧の募集があり、玄奘もそれに応じようとしましたが、若すぎたため試験を受けられず、門のところで待ち構えました。(ウィキペディア)
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玄奘のことを知った隋の大理卿である鄭善果は、玄奘に様々な質問をして、最後になぜ出家したいのかを尋ねたところ、玄奘は『遠くは如来を紹し、近くは遺法を光らせたいから』と答えました。これに感じ入った鄭善果は、『この風骨は得がたいものだ』と評して特例を認め、玄奘は度牒を得て出家しました。こうして兄とともに浄土寺に住み込むことになり、13歳で『涅槃経』と『摂大乗論』を学びました。(ウィキペディア)
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武徳元年(618年)、隋が衰え、洛陽の情勢が不安定になると、17歳の玄奘は兄とともに長安の荘厳寺へと移りました。しかし、長安は街全体が戦支度に追われ、玄奘の望むような講釈はなかったとされます。かつて隋朝の第2代皇帝の煬帝が、洛陽に集めた名僧たちは主に益州に散らばっていることを知った玄奘は、益州巡りを志し、武徳2年(619年)に兄と共に成都へと至って『阿毘曇論』を学びました。また、益州各地に先人たちを尋ねて『涅槃経』、『摂大乗論』、『阿毘曇論』の研究をすすめ、歴史や老荘思想への見識を深めました。 (ウィキペディア)
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武矩5年(622年)、21歳の現状は生徒で具足会を受けました。ここまで行動を共にしていた兄の長賞は、成都の空慧寺に留まることになりました。玄奘はひとり旅立ち、商人らに混じって三峡を下り、荊州(現在の湖北省一帯)の天皇寺で学びました。その後も先人を求めて相州(現在の河南省安陽市)へ行き、さらに趙州(現在の河北省石家荘市一帯)で『成実論』を、長安の大覚寺で『倶舎論』を学びました。(ウィキペディア)
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玄奘は、仏典の研究には原典に拠るべきであると考え、また、仏跡の巡礼を志し、貞観3年(629年)、隋朝に変わって新しく成立した唐朝に出国の許可を求めました。しかし、当時は唐朝が成立して間もない時期で、国内の情勢が不安定だった事情から出国の許可が下りませんでした。玄奘は国禁を犯して密かに出国、役人の監視を逃れながら河西回廊を経て高昌に至りました。高昌王は、熱心な仏教徒だったため、当初は高昌国の国師として留めおこうとしましたが、玄奘のインドへの強い思いを知り、金銭と人員の両面で援助するとともに、通過予定の国王たちに対しての保護・援助を求める高昌王名の文書を持たせてくれました。かつてのシルクロード旅行で、玄奘が宿泊した高昌国の建物遺跡も見学できました。
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玄奘は、西域の商人らに混じって天山南路の途中から峠を越えて天山北路へと渡るルートを辿って中央アジアの旅を続け、ヒンドゥークシュ山脈を越えてインドに至りました。 ナーランダ大学では戒賢(シーラバドラ)に師事して唯識を学び、また各地の仏跡を巡拝しました。学問を修めた後、西域南道を経て帰国の途につき、出国から16年を経た貞観19年1月(645年)に、657部の経典を長安に持ち帰りました。時の皇帝・太宗も玄奘の業績を高く評価し、16年前の密出国の件について玄奘が罪を問われることはありませんでした。
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石造の壁面に飾られていた龍のレリーフ像です。八角形にくり抜いた中に嵌め込まれていました。顔を正面に向けた姿でした。往きに玄奘がお世話になった高昌国は帰路にはすでに滅びていました。高昌国(460~640年)は、中国の南北朝時代から唐代にかけて現在の新疆ウイグル自治区トルファン市に存在したオアシス都市国家です。『高昌故城』が遺跡として残ります。
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龍のレリーフ像は二箇所にありました。全くの相似形ではなく、細部に違いがあるようでしたが、その意味合いまでは分かりませんでした。中国の龍は神獣・霊獣であり、『史記』における劉邦出生伝説をはじめとして、中国では皇帝のシンボルとして扱われました。その啼き声によって雷雲や嵐を呼び、また竜巻となって天空に昇り自在に飛翔すると言われます。
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『般若波羅蜜多心経・唐三蔵玄奘奉』の題字があった石碑の光景です。正式名称『般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう)』、略称『般若心経(はんにゃしんぎょう)』は、大乗仏教の空・般若思想を説いた経典です。僅か300字足らずの本文に大乗仏教の心髄が説かれているとされ、複数の宗派において読誦経典の一つとして広く用いられています。
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『全国第一批重点文物保護単位』の標識です。中央に『大雁塔』の史跡名が記されていました。中国国務院による、1962年12月の公布です。1961年から2019年までに八次に亘って公布され、その総件数は5058件です.文物保護単位は、国家レベル、省レベル、市レベル、県レベルの四段階があり、特に国家レベルのものを『全国重点文物保護単位』と称しています。
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大雁塔の展示室の光景です。壁画のほか、ガラス容器の中には、仏典などの文物が展示してありました。まだ新しい造りの展示館らしく、温度や湿度管理がされた、近代的な設備のようでした。
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レリーフの壁画の光景です。推測ですが、玄奘三蔵法師に関する物語が多いようでした。見学時間の都合で、その一部だけを撮影しました。
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少しズームアップしたレリーフ像の光景です。仏教に纏わる歴史が紹介されているようでした。色々な場面に玄奘三蔵法師が登場しているようでした。この場面でも、中央の右向きの人物が玄奘のようです。
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イチオシ
壁画の中からズームアップした僧侶の姿です。推測になりますが、若い頃の玄奘三蔵法師のように見えました。きりりとした顔立ちです。椅子に座って右手を挙げた、瞑想風の姿です。
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こちらも壁画の中からズームアップした僧侶の姿です。同じく推測になりますが、若い頃の玄奘三蔵法師のようです。インドから持ち帰った仏典を皇帝に差し出す場面かも知れません。戻ってきたのは出国から16年を経た貞観19年1月(645年)、玄宗皇帝の時代でした。
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左側の僧が、玄奘三蔵法師らしいレリーフ像のピックアップ光景です。右側の人物は特定できていませんが、往きに高昌国でお世話になった国王、古代北インドのヴァルダナ朝のハルシャ・ヴァルダナ王、故国・唐朝の玄宗皇帝など、何人もの候補者が挙げられます。
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天井に記された方位のズームアップ光景です。梵字・サンスクリット語で東西南北などが記されているようでした。因みに十二天の東は帝釈天(インドラ)で種子はイー、西が水天(ヴァルナ)で種子はバ、南が閻魔天(ヤマ)で種子がエン、北が毘沙門天(ヴァイシュラヴァナ)で種子がバイです。種子(しゅじ)は、密教において仏尊を象徴する一音節の呪文(真言)と言われるものです。
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壁画の中にあった大雁塔の建物光景です。現在と同じ、七層に描かれていました。東西南北に窓も描かれ、周りには樹木の姿もありました。今回は塔に登りませんでしたが、唐の上の窓からは、四方に伸びる大路の光景を眺めることができました。
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展示してあった仏典の紹介です。比較的薄い冊子の9冊が纏めて展示されていた光景です。右側が『大唐西域記』の巻1~巻11までの4冊、左側が『大慈恩寺三蔵法師伝』の巻1~巻10までの3冊と、その他の2冊です。『大唐西域記』は玄奘が著わし、後年に『西遊記』として生まれ変わり、中国の愛読書・必読書になりました。
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こちらは、頁を開いて展示してあった、あまり暑くない仏典の光景です。右端の冊子には、『大般若経31~35』のタイトルが記されていました。開かれた頁も般若経のようでした。
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