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2005年から2018年までブリューゲル(父)の油彩作品を見に行く旅行をかさねて来ました。<br /><br />「ブリューゲルをたずねる旅」というタイトルで旅行記を32編アップしています。<br /><br />世界各地の美術館への旅行を振り返ると懐かい思い出が沢山あります。<br /><br />「総集編」としてブリューゲル(父)の油彩作品を制作年順に並べた旅行記をまとめました。<br /><br />取り上げる油彩画は関連を含めて45枚としました。<br />作品の真贋についてはいくつかのご意見があります。<br />41枚だよというご意見もあります。<br />ここではブリューゲル(父)のものではないとされるものも含めて45枚としました。<br /><br />ブリューゲル(父)の作品として展示されている作品にも「素人の個人的見解」として疑問と感想を書いています。<br />500年ほど前のことです。今では判別しないところも多いです。<br />ご専門の方には「素人の個人的見解」としてご笑覧頂ければと思っております<br /><br />あまり長いと読みづらい、書きづらいので4つに分けました。<br />第1部はその内の9作品です。<br />ーーーーーーーーー<br />表紙の写真はパリのルーブル美術館にある作品です。<br />The Cripples<br />Oil on Panel 18x21cm  1568<br />「いざり」<br /><br />ルーブルの「ダヴィンチのモナリザの前の大混雑」とは対照的な静かな展示空間です。<br /><br />この作品は2015年に来日しています。<br />六本木の新国立美術館で開催された「ルーブル美術館展」で日本初公開のフェルメールの「天文学者」が人気で、作品の前は大混雑でした。この作品はその時も片隅でひっそりと展示されていました。

ブリューゲルをたずねる旅~総集編第1部

152いいね!

2005/03/13 - 2020/08/01

32位(同エリア2808件中)

norio2bo

norio2boさん

2005年から2018年までブリューゲル(父)の油彩作品を見に行く旅行をかさねて来ました。

「ブリューゲルをたずねる旅」というタイトルで旅行記を32編アップしています。

世界各地の美術館への旅行を振り返ると懐かい思い出が沢山あります。

「総集編」としてブリューゲル(父)の油彩作品を制作年順に並べた旅行記をまとめました。

取り上げる油彩画は関連を含めて45枚としました。
作品の真贋についてはいくつかのご意見があります。
41枚だよというご意見もあります。
ここではブリューゲル(父)のものではないとされるものも含めて45枚としました。

ブリューゲル(父)の作品として展示されている作品にも「素人の個人的見解」として疑問と感想を書いています。
500年ほど前のことです。今では判別しないところも多いです。
ご専門の方には「素人の個人的見解」としてご笑覧頂ければと思っております

あまり長いと読みづらい、書きづらいので4つに分けました。
第1部はその内の9作品です。
ーーーーーーーーー
表紙の写真はパリのルーブル美術館にある作品です。
The Cripples
Oil on Panel 18x21cm 1568
「いざり」

ルーブルの「ダヴィンチのモナリザの前の大混雑」とは対照的な静かな展示空間です。

この作品は2015年に来日しています。
六本木の新国立美術館で開催された「ルーブル美術館展」で日本初公開のフェルメールの「天文学者」が人気で、作品の前は大混雑でした。この作品はその時も片隅でひっそりと展示されていました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 タクシー 飛行機
航空会社
ANA
旅行の手配内容
個別手配

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  • 写真はベルギーのブリュッセルの観光スポットとして人気がある「楽器博物館」の最上階のレストランMIMでのベルギービールです。<br /><br />味や色やアルコール度数のバリエーションの豊富なベルギービールは訪問時の楽しみの一つです。<br /><br />このレストランからグランプラス方向の街並みが眺望できます。<br /><br />この旅行記はビールでもお飲みながらという気分で気楽にお読み頂ければうれしいです。<br /><br />これ以降のブリューゲル (父)の生い立ちの記述の部分はとても長くなります。<br />お時間のない方は次の写真まで飛んでパスして下さい。<br />ーーーーーーーーーーー<br />ブリューゲル(父)は1525年に生まれたと思っています。<br />場所はアントワープからブリュッセルにかけての「どこか」です。<br />生まれた年にはついては1520年とか1527年とかいう人もいます。<br /><br />ブリューゲル(父)は1551年にアントワープの「聖ルカ組合」に登録された記録が残っています。<br /><br />「聖ルカ組合」の登録資格は25歳です。<br />資格が出来た年齢で組合に加入したと考えると生まれたのは1525年という計算になります。<br /><br />ブリュッセルのグランプラスには広場をかこんでビール博物館とか30以上のギルド跡の建物が残されています。中世のヨーロッパでは技術や利益を独占し保護し共有するために職業別の組合(ギルド)が運営されていました。<br /><br />画家の場合は「聖ルカ組合」です。<br />「聖ルカ組合」の入り口には「イエスを抱く聖母マリアを描く聖ルカ」の絵が飾られていました。<br />「聖ルカ」とは「ルカによる福音書」をあらわしたルカのことです。<br />聖ルカは絵の才能があり最初に聖母子像(幼児イエスを抱く聖母マリア)を描いたとされています。<br /><br />ボストン美術館にある「聖母を描く聖ルカ」(1440年)はブリュッセルの「聖ルカ組合」の注文でロヒールウエイデンが描いたものとされています。<br /><br />聖ルカ組合に親方(マスター)として登録されなければ作品を売ることが出来ない、工房(アトリエ)を持つことが出来ない、弟子(アシスタント)を雇うことが出来ないなど、独占的な仕組みでした。<br /><br />封建的なキリスト教の社会構造を保護し支える組織の一つとして機能していました。<br /><br />聖ルカ組合登録簿はアントワープのアントワープ王立芸術学院(ファッションデザイナーの登竜門としてファッション学科がある)にいまでも保管されています。<br /><br />以前見た「美の紀行」というTV番組のブリューゲル 特集でその取材が紹介されていました。<br /><br />表紙には「イエスキリストと聖母マリアの名において祝福された芸術家のみが記載を許された誇り高き聖ルカ組合の登録書です」と書かれています。<br />建築家、彫刻家、画家、服飾画家などが登録されています。<br />1551年の欄にブリューゲル(父)の名前があるのが撮影されていました。<br />ーーーーーーーーーー<br />ブリューゲル(父)は生年月日の記録が残るような家系の生まれではありませんでした。<br /><br />親方登録する以前のブリューゲル(父)は1545年にアントワープのピーテルクックヴァンアールスト(1502~1550)という画家の工房に入っています。<br /><br />16世記のアントワープには300の工房がありました。このピーテルクックヴァンアールストの工房は1527年にアントワープの聖ルカ組合に登録されています。<br />天才的な「絵のうまさ」で指名されたのだと思います。ブリューゲル(父)はこの工房で弟子として修業をしています。<br /><br />ピーテルクックヴァンアールストは絵、彫刻、ステンドグラス、タペストリーのデザインとこなす芸術家であり、数カ国語を使いこなしイタリアのルネッサンス関係の書籍を翻訳しベルギー地方へのルネッサンス文化の普及に寄与した人文学者と多才な人物でした。晩年には神聖ローマ帝国のチャールス5世の宮廷画家に選ばれています。<br /><br />この工房で絵の画法だけではなく幅広い知識を深く学んだことがその後のブリューゲル(父)の作品の構図、画面構成に生きていると思います。<br /><br />ピーテルクックヴァンアールストの一族は芸術家の家系です。<br />2番目の妻のマイケンヴェルフルスト(1518~1600)はこの地方で4本指に入る優れた細密画の画家として評価されています。<br />ブリューゲル(父)の死後には遺児の長男と次男ヤンの2人の孫に絵の指導を行っています。<br />才能ある彼女の指導が無ければブリューゲル一族はなかったといえます。<br /><br />この二人の間に生まれたマイケンクック(1545~1578)も画才があり両親の手助けをしたようです。<br />マイケンクックはその後、ブリューゲル(父)と結婚することになります。<br /><br />この頃から才能溢れた家族が集まっており、その後の「ブリューゲルの一族の家系」が始まっていたと言えます。<br /><br />1551年にアントワープの「聖ルカ組合」に親方登録してからがブリューゲル(父)のひとり立ちした活動です。<br /><br />38歳の1563年にはアントワープの聖母マリア大聖堂(フランダースの犬の舞台であるこの教会のステンドグラスの下絵は義父ピーテルクックヴァンアールストが描いています)で婚約の届け出を行い、妻のマイケンクックの母親マイケンヴェルフルスト(1518~1600)が所有するブリュッセルの邸宅(細密画の名人だけでなく経済的な面での才覚も優れていてブリュッセル市内に幾つかの不動産を所有していました)へ引越しています。<br />新婚夫婦の住居は「小便小僧」のそばだったと伝えられていますので、今現在「ブリューゲルの家」とされている最高裁判所のそばにある家とは違うようです。<br />(現在のブロンズの「小便小僧」は1619年に彫刻家ジェローム・デュケノワにより制作されています)<br /><br />ノートルダムドラシャペル教会での結婚式の時に妻のマイケンクックはその時20歳年下の18歳でした。<br /><br />ブリューゲル (父)の作品の印象からすると気難しい年寄りの作家を連想されると思います。<br />実際には38歳の1563年にようやく遅い結婚をして6年の間に31枚を描き1569年にはわずか44歳という若いうちに亡くなっている人物なのです。<br /><br />人生の喜びと悲しみを幾つも重ねた老齢の画家が人生を知り尽くして描いた重苦しい作品ではなくて、絵はとにかく上手いけれど40歳前後の若い画家が自尊心と強い好奇心と周囲からの「うけ」を狙って描いた作品だということを前提にして鑑賞した方がブリューゲル(父)の作品を現実的に理解する近道だと思います。<br /><br />同時代の画家たちと比べても早すぎる人生でした。<br />ヒエロニムスボッシュ66歳、レオナルドダヴィンチ65歳、ミケランジェロ89歳です。<br />ブリューゲル (父)よりも短命だったのは37歳で亡くなったラファエロサンティくらいです。<br /><br />ブリューゲル(父)の作品のうち残されている油彩作品は45枚としました。<br />スタートは、一番古い作品とされていたブリュッセルのベルギー王立美術館にある1555年制作の「イカロスの墜落のある風景」です。<br />

    写真はベルギーのブリュッセルの観光スポットとして人気がある「楽器博物館」の最上階のレストランMIMでのベルギービールです。

    味や色やアルコール度数のバリエーションの豊富なベルギービールは訪問時の楽しみの一つです。

    このレストランからグランプラス方向の街並みが眺望できます。

    この旅行記はビールでもお飲みながらという気分で気楽にお読み頂ければうれしいです。

    これ以降のブリューゲル (父)の生い立ちの記述の部分はとても長くなります。
    お時間のない方は次の写真まで飛んでパスして下さい。
    ーーーーーーーーーーー
    ブリューゲル(父)は1525年に生まれたと思っています。
    場所はアントワープからブリュッセルにかけての「どこか」です。
    生まれた年にはついては1520年とか1527年とかいう人もいます。

    ブリューゲル(父)は1551年にアントワープの「聖ルカ組合」に登録された記録が残っています。

    「聖ルカ組合」の登録資格は25歳です。
    資格が出来た年齢で組合に加入したと考えると生まれたのは1525年という計算になります。

    ブリュッセルのグランプラスには広場をかこんでビール博物館とか30以上のギルド跡の建物が残されています。中世のヨーロッパでは技術や利益を独占し保護し共有するために職業別の組合(ギルド)が運営されていました。

    画家の場合は「聖ルカ組合」です。
    「聖ルカ組合」の入り口には「イエスを抱く聖母マリアを描く聖ルカ」の絵が飾られていました。
    「聖ルカ」とは「ルカによる福音書」をあらわしたルカのことです。
    聖ルカは絵の才能があり最初に聖母子像(幼児イエスを抱く聖母マリア)を描いたとされています。

    ボストン美術館にある「聖母を描く聖ルカ」(1440年)はブリュッセルの「聖ルカ組合」の注文でロヒールウエイデンが描いたものとされています。

    聖ルカ組合に親方(マスター)として登録されなければ作品を売ることが出来ない、工房(アトリエ)を持つことが出来ない、弟子(アシスタント)を雇うことが出来ないなど、独占的な仕組みでした。

    封建的なキリスト教の社会構造を保護し支える組織の一つとして機能していました。

    聖ルカ組合登録簿はアントワープのアントワープ王立芸術学院(ファッションデザイナーの登竜門としてファッション学科がある)にいまでも保管されています。

    以前見た「美の紀行」というTV番組のブリューゲル 特集でその取材が紹介されていました。

    表紙には「イエスキリストと聖母マリアの名において祝福された芸術家のみが記載を許された誇り高き聖ルカ組合の登録書です」と書かれています。
    建築家、彫刻家、画家、服飾画家などが登録されています。
    1551年の欄にブリューゲル(父)の名前があるのが撮影されていました。
    ーーーーーーーーーー
    ブリューゲル(父)は生年月日の記録が残るような家系の生まれではありませんでした。

    親方登録する以前のブリューゲル(父)は1545年にアントワープのピーテルクックヴァンアールスト(1502~1550)という画家の工房に入っています。

    16世記のアントワープには300の工房がありました。このピーテルクックヴァンアールストの工房は1527年にアントワープの聖ルカ組合に登録されています。
    天才的な「絵のうまさ」で指名されたのだと思います。ブリューゲル(父)はこの工房で弟子として修業をしています。

    ピーテルクックヴァンアールストは絵、彫刻、ステンドグラス、タペストリーのデザインとこなす芸術家であり、数カ国語を使いこなしイタリアのルネッサンス関係の書籍を翻訳しベルギー地方へのルネッサンス文化の普及に寄与した人文学者と多才な人物でした。晩年には神聖ローマ帝国のチャールス5世の宮廷画家に選ばれています。

    この工房で絵の画法だけではなく幅広い知識を深く学んだことがその後のブリューゲル(父)の作品の構図、画面構成に生きていると思います。

    ピーテルクックヴァンアールストの一族は芸術家の家系です。
    2番目の妻のマイケンヴェルフルスト(1518~1600)はこの地方で4本指に入る優れた細密画の画家として評価されています。
    ブリューゲル(父)の死後には遺児の長男と次男ヤンの2人の孫に絵の指導を行っています。
    才能ある彼女の指導が無ければブリューゲル一族はなかったといえます。

    この二人の間に生まれたマイケンクック(1545~1578)も画才があり両親の手助けをしたようです。
    マイケンクックはその後、ブリューゲル(父)と結婚することになります。

    この頃から才能溢れた家族が集まっており、その後の「ブリューゲルの一族の家系」が始まっていたと言えます。

    1551年にアントワープの「聖ルカ組合」に親方登録してからがブリューゲル(父)のひとり立ちした活動です。

    38歳の1563年にはアントワープの聖母マリア大聖堂(フランダースの犬の舞台であるこの教会のステンドグラスの下絵は義父ピーテルクックヴァンアールストが描いています)で婚約の届け出を行い、妻のマイケンクックの母親マイケンヴェルフルスト(1518~1600)が所有するブリュッセルの邸宅(細密画の名人だけでなく経済的な面での才覚も優れていてブリュッセル市内に幾つかの不動産を所有していました)へ引越しています。
    新婚夫婦の住居は「小便小僧」のそばだったと伝えられていますので、今現在「ブリューゲルの家」とされている最高裁判所のそばにある家とは違うようです。
    (現在のブロンズの「小便小僧」は1619年に彫刻家ジェローム・デュケノワにより制作されています)

    ノートルダムドラシャペル教会での結婚式の時に妻のマイケンクックはその時20歳年下の18歳でした。

    ブリューゲル (父)の作品の印象からすると気難しい年寄りの作家を連想されると思います。
    実際には38歳の1563年にようやく遅い結婚をして6年の間に31枚を描き1569年にはわずか44歳という若いうちに亡くなっている人物なのです。

    人生の喜びと悲しみを幾つも重ねた老齢の画家が人生を知り尽くして描いた重苦しい作品ではなくて、絵はとにかく上手いけれど40歳前後の若い画家が自尊心と強い好奇心と周囲からの「うけ」を狙って描いた作品だということを前提にして鑑賞した方がブリューゲル(父)の作品を現実的に理解する近道だと思います。

    同時代の画家たちと比べても早すぎる人生でした。
    ヒエロニムスボッシュ66歳、レオナルドダヴィンチ65歳、ミケランジェロ89歳です。
    ブリューゲル (父)よりも短命だったのは37歳で亡くなったラファエロサンティくらいです。

    ブリューゲル(父)の作品のうち残されている油彩作品は45枚としました。
    スタートは、一番古い作品とされていたブリュッセルのベルギー王立美術館にある1555年制作の「イカロスの墜落のある風景」です。

    ミン(楽器博物館内レストラン) その他の料理

  • ブリュッセルの楽器博物館にお見えになったらエレベーターで最上階のこのレストランに向かってください。<br />ランチが人気で地元の人たちで混雑しますので、昼休みの前か後に行くのが良いと思います。<br />写真は「今日のランチ」です。23ユーロ。<br /><br />食事のあとの500種類の楽器の見学は階段を降りながらが楽です。<br />オーディオガイド(無料)を使えば展示されている楽器の主なものは演奏音(メロディ)を聞くことが出来ます。<br /><br />ブリューゲル(父)の晩年の農民シリーズの「農民の結婚式」、「農民の踊り」、「屋外の結婚式の踊り」にはバグパイプを演奏している男性が登場しています。<br />楽器博物館にはブリューゲル(父)の時代のバグパイプも展示されています。<br /><br />バグパイプの横には「農民の結婚式」の写真が飾られていました。<br />オーディオガイドからは素朴なメロディが流れました。<br />バグパイプのメロディを聴くと絵のイメージがガラッと変わりますので試してみてください。<br /><br />ベルギーの楽器博物館のHPです。<br />http://www.mim.be/en

    ブリュッセルの楽器博物館にお見えになったらエレベーターで最上階のこのレストランに向かってください。
    ランチが人気で地元の人たちで混雑しますので、昼休みの前か後に行くのが良いと思います。
    写真は「今日のランチ」です。23ユーロ。

    食事のあとの500種類の楽器の見学は階段を降りながらが楽です。
    オーディオガイド(無料)を使えば展示されている楽器の主なものは演奏音(メロディ)を聞くことが出来ます。

    ブリューゲル(父)の晩年の農民シリーズの「農民の結婚式」、「農民の踊り」、「屋外の結婚式の踊り」にはバグパイプを演奏している男性が登場しています。
    楽器博物館にはブリューゲル(父)の時代のバグパイプも展示されています。

    バグパイプの横には「農民の結婚式」の写真が飾られていました。
    オーディオガイドからは素朴なメロディが流れました。
    バグパイプのメロディを聴くと絵のイメージがガラッと変わりますので試してみてください。

    ベルギーの楽器博物館のHPです。
    http://www.mim.be/en

  • 最初の1枚目は美術の教科書にもでてくる有名な作品です。<br /><br />展示場所はベルギー王立美術館です。<br />ブリュッセル中央駅のグランプラス側出口を出たら左に出てゆるやかな登り坂を歩いて楽器博物館を左側に見て進みます。突き当たりの王宮を右に曲がると右側にあります。<br />ブリュッセル中央駅からは700m(10分)でベルギー王立美術館に到着します。<br /><br />Landscape with the Fall of Icarus. 1558<br />Oil on canvas mounted on wood. 73.5x113cm<br />「イカロスの墜落のある風景」<br /><br />初めてブリュッセルの美術館に行ったのは2005年のことでした。<br />部屋にはピーターブリューゲル(父)という16世紀に活躍した画家の作品5点と息子の作品のいくつかが展示されていました。どれもこれも不思議な印象で画面にひきづりこまれました。<br />この「イカロスの墜落のある風景」はあの時にはブリューゲル(父)の作品として展示されていました。<br /><br />今では赤外線写真やX線写真などの新しい分析技術を使った調査研究でブリューゲル (父)本人ではなく「ブリューゲルの工房」の誰かが模写したものだと鑑定されています。1cmのマス目に穴を開けて転写し複製画を作るカルトンという技法の痕跡が発見されたのがその大きな理由だと言われています。<br /><br />今のベルギー王立美術館の展示室の解説パネルには「PIETER BRUEGEL?」と「?」マーク付きで表示されています。<br />生誕年については1527/28?と表示されています。<br /><br />1400年代(15世紀)の美術の潮流にはレオナルドダヴィンチやミケランジェロやラファエロサンティたちが創造した「人類の無限の可能性」をうたいあげる「均整の取れた美しさ」を賛美する画風が共通基盤にあると思います。<br /><br />それがルネッサンス美術の大きな潮流だと思います。<br /><br />この作品もそうですが、ブリューゲル(父)の画風は「均整の取れた美しさ」とは対照的な「無骨さ」です。<br /><br />ダヴィンチやミケランジェロのようなイタリアルネッサンスの画家たちは「美」を追求し、ブリューゲル(父)は「真実」を追求したと言えるかも知れません。<br /><br />「無骨さ」のブリューゲル(父)の作品鑑賞に夢中になれるもう一つの魅力があります。<br />それはブリューゲル (父)の細密描写力です。<br /><br />「米粒に般若心経276文字を書き込む」というのがあります。<br />何年もかけて米粒に書き込んだ細密な経文を拡大したのを見たことがあります。<br />なるほどな!と、ちゃんと書いてあるかな?と確認したくなるのは人間の習性、「目の楽しみ」なのかも知れません。<br /><br />でも、この「イカロスの墜落のある風景」の場合は「目の楽しみ」が少ないようです。

    最初の1枚目は美術の教科書にもでてくる有名な作品です。

    展示場所はベルギー王立美術館です。
    ブリュッセル中央駅のグランプラス側出口を出たら左に出てゆるやかな登り坂を歩いて楽器博物館を左側に見て進みます。突き当たりの王宮を右に曲がると右側にあります。
    ブリュッセル中央駅からは700m(10分)でベルギー王立美術館に到着します。

    Landscape with the Fall of Icarus. 1558
    Oil on canvas mounted on wood. 73.5x113cm
    「イカロスの墜落のある風景」

    初めてブリュッセルの美術館に行ったのは2005年のことでした。
    部屋にはピーターブリューゲル(父)という16世紀に活躍した画家の作品5点と息子の作品のいくつかが展示されていました。どれもこれも不思議な印象で画面にひきづりこまれました。
    この「イカロスの墜落のある風景」はあの時にはブリューゲル(父)の作品として展示されていました。

    今では赤外線写真やX線写真などの新しい分析技術を使った調査研究でブリューゲル (父)本人ではなく「ブリューゲルの工房」の誰かが模写したものだと鑑定されています。1cmのマス目に穴を開けて転写し複製画を作るカルトンという技法の痕跡が発見されたのがその大きな理由だと言われています。

    今のベルギー王立美術館の展示室の解説パネルには「PIETER BRUEGEL?」と「?」マーク付きで表示されています。
    生誕年については1527/28?と表示されています。

    1400年代(15世紀)の美術の潮流にはレオナルドダヴィンチやミケランジェロやラファエロサンティたちが創造した「人類の無限の可能性」をうたいあげる「均整の取れた美しさ」を賛美する画風が共通基盤にあると思います。

    それがルネッサンス美術の大きな潮流だと思います。

    この作品もそうですが、ブリューゲル(父)の画風は「均整の取れた美しさ」とは対照的な「無骨さ」です。

    ダヴィンチやミケランジェロのようなイタリアルネッサンスの画家たちは「美」を追求し、ブリューゲル(父)は「真実」を追求したと言えるかも知れません。

    「無骨さ」のブリューゲル(父)の作品鑑賞に夢中になれるもう一つの魅力があります。
    それはブリューゲル (父)の細密描写力です。

    「米粒に般若心経276文字を書き込む」というのがあります。
    何年もかけて米粒に書き込んだ細密な経文を拡大したのを見たことがあります。
    なるほどな!と、ちゃんと書いてあるかな?と確認したくなるのは人間の習性、「目の楽しみ」なのかも知れません。

    でも、この「イカロスの墜落のある風景」の場合は「目の楽しみ」が少ないようです。

    ベルギー王立美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • 「イカロスの墜落のある風景」の画面の右部分です。<br /><br />帆船の下に描かれた海に落っこちてもがいているイカロスの足の部分です。<br /><br />ろうでつけた翼なのに高く飛びすぎて太陽光の熱でろうが溶けてしまい海に墜落したイカロスが足をバタバタさせています。<br /><br />イカロスの物語はギリシア神話の中でも馴染みのある一編です。<br />父親のダイダロスと一緒にイカロスは背中に羽根を蝋で付けて牢獄から空を飛んで脱出します。<br />途中で太陽に近づきすぎて蝋が溶けてイカロスは墜落してしまいましたという教訓めいたお話しです。<br /><br />海に落ちたイカロスの足の先の奥の方には「ナポリ湾の海戦」1558年作(ローマドリアパンフィーリ美術館蔵)に描かれているような軍艦が描かれています。<br /><br />主な美術史では、この1555年制作の「イカロスの墜落のある風景」がブリューゲル(父)の初めての油彩作品とされています。<br /><br />1551年にアントワープの画家のギルドである「聖ルカ組合」にマスター(親方)登録してすぐにイタリア(当時の美術の中心)へ3年間の画法研修旅行をしています。<br /><br />ルーベンスはブリューゲル(父)の47年後の1598年に同じアントワープの「聖ルカ組合」に登録しています。<br />その後はブリューゲル(父)と同様にイタリアへ画業の研修旅行をしています。<br />親方に登録された後にイタリアへの画法研修はアントワープの聖ルカ組合での新人カリキュラムだったのかもしれません。<br /><br />科学技術による分析で真贋鑑定するよりも細部の詳細再現を観察して画家の技術力を見たほうが説得力があると個人的には思っています。<br /><br />こんなに細かいところまで描き込んでいるんだ!という「見る楽しみ」がない作品はブリューゲル(父)以外の誰かが描いたものと考えてて良いのかと思っています。

    「イカロスの墜落のある風景」の画面の右部分です。

    帆船の下に描かれた海に落っこちてもがいているイカロスの足の部分です。

    ろうでつけた翼なのに高く飛びすぎて太陽光の熱でろうが溶けてしまい海に墜落したイカロスが足をバタバタさせています。

    イカロスの物語はギリシア神話の中でも馴染みのある一編です。
    父親のダイダロスと一緒にイカロスは背中に羽根を蝋で付けて牢獄から空を飛んで脱出します。
    途中で太陽に近づきすぎて蝋が溶けてイカロスは墜落してしまいましたという教訓めいたお話しです。

    海に落ちたイカロスの足の先の奥の方には「ナポリ湾の海戦」1558年作(ローマドリアパンフィーリ美術館蔵)に描かれているような軍艦が描かれています。

    主な美術史では、この1555年制作の「イカロスの墜落のある風景」がブリューゲル(父)の初めての油彩作品とされています。

    1551年にアントワープの画家のギルドである「聖ルカ組合」にマスター(親方)登録してすぐにイタリア(当時の美術の中心)へ3年間の画法研修旅行をしています。

    ルーベンスはブリューゲル(父)の47年後の1598年に同じアントワープの「聖ルカ組合」に登録しています。
    その後はブリューゲル(父)と同様にイタリアへ画業の研修旅行をしています。
    親方に登録された後にイタリアへの画法研修はアントワープの聖ルカ組合での新人カリキュラムだったのかもしれません。

    科学技術による分析で真贋鑑定するよりも細部の詳細再現を観察して画家の技術力を見たほうが説得力があると個人的には思っています。

    こんなに細かいところまで描き込んでいるんだ!という「見る楽しみ」がない作品はブリューゲル(父)以外の誰かが描いたものと考えてて良いのかと思っています。

  • 「イカロスの墜落のある風景」の画面の左上の部分です。<br />手前の岸に接岸する船から湾の奥の岩山に続く街並みの部分です。<br />詳細に描写されているべき部分です。<br /><br />ご覧のようなぼんやりした描写です。<br />細かい描きこみは出来ていません。<br /><br />ブリューゲル(父)だったらこの部分は自慢の細密画技術を駆使して得意になって描きこんでいる構図のはずです。<br /><br />ブリューゲル(父)の他の作品の細密描写部分と比較すると納得出来ると思います。<br /><br />左手に描かれた山のシルエットは外輪山です。<br />イタリアへの絵画研修旅行の途上で見たナポリのヴェスヴィオ火山だと思います。<br /><br />1558年の作品「ナポリ湾の海戦」は沖合いからの構図で描いています。<br />この「イカロスの墜落のある風景」は陸側から描いています。<br /><br />この作者がブリューゲル(父)の「ナポリ湾の海戦」を見た(参考にした)と推定するとこの制作時期は1558年以降と考えることもが出来ます。1558年以降に工房の誰かが描いたのでしょうか?<br /><br />この作品のあるベルギー王立美術館のHPです。<br />https://www.fine-arts-museum.be/en

    「イカロスの墜落のある風景」の画面の左上の部分です。
    手前の岸に接岸する船から湾の奥の岩山に続く街並みの部分です。
    詳細に描写されているべき部分です。

    ご覧のようなぼんやりした描写です。
    細かい描きこみは出来ていません。

    ブリューゲル(父)だったらこの部分は自慢の細密画技術を駆使して得意になって描きこんでいる構図のはずです。

    ブリューゲル(父)の他の作品の細密描写部分と比較すると納得出来ると思います。

    左手に描かれた山のシルエットは外輪山です。
    イタリアへの絵画研修旅行の途上で見たナポリのヴェスヴィオ火山だと思います。

    1558年の作品「ナポリ湾の海戦」は沖合いからの構図で描いています。
    この「イカロスの墜落のある風景」は陸側から描いています。

    この作者がブリューゲル(父)の「ナポリ湾の海戦」を見た(参考にした)と推定するとこの制作時期は1558年以降と考えることもが出来ます。1558年以降に工房の誰かが描いたのでしょうか?

    この作品のあるベルギー王立美術館のHPです。
    https://www.fine-arts-museum.be/en

  • 2枚目です。<br />同じくベルギー王立美術館にある作品です。<br /><br />The Adoration of the Kings 1556-1562<br />Tempera on canvas 121.5x168cm<br />「東方三博士の礼拝」<br /><br />この聖書の主題(テーマ)はキリスト教教会を飾る絵画の主題として代表的なものの一つです。<br /><br />ーーーーーーーーーー<br />主なキリスト教の主題を時系列であげておきます。<br />聖書のあらすじを知っておくと聖書を主題にした作品を楽しく鑑賞する事が出来るようになります。<br /><br />それぞれの画家たちが同じ主題について構成や表現に工夫して独自の絵を完全させているのを比較するのはキリスト教絵画を鑑賞する醍醐味だと思います。<br /><br />ルカ1:26)受胎告知<br />天使ガブリエルが聖母マリアにイエスを受胎した事を告げにくる<br /><br />マタイ2:1)東方三博士の礼拝<br />新しい星の発生でイエスの誕生を知った3人の博士が貢物を持ってお祝いにやって来る<br /><br />マタイ2:16)幼児虐殺<br />東方三博士の報告からイエスの誕生を知ったヘロデ王が自分の地位を守るためにベツレヘムの2歳以下の男の子を虐殺する<br /><br />マタイ2:13)エジプトへの逃避<br />ヘロデ王の虐殺を知り聖母マリアはイエスと夫と共にエジプトへ逃げる<br /><br />マルコ14:18)最後の晩餐<br />ユダの裏切りで逮捕される前に弟子たちと最後の晩餐を行う<br /><br />マルコ15:21)ゴルゴダへ道行き<br />ピラトから死刑判決を受けたイエスは十字架を自ら担いでゴルゴダの丘へ13留を歩いてゆく、<br />聖衣を剥奪され十字架に架けられる<br /><br />ヨハネ20:11)エマオの晩餐<br />処刑されたイエスが復活する<br />エマオでの晩餐でイエスである事を知る<br /><br />ーーーーーーーーーーー<br />ブリューゲル (父)の描いた「東方三博士の礼拝」は3枚が現存しています。<br /><br />2枚目はロンドンのナショナルギャラリーの収蔵作品(1564年制作)<br />3枚目はスイスのヴィンタートゥールのオスカーラインハルトコレクションの収蔵作品(1567年制作)<br />です。<br /><br />ロンドンの作品は修復が見事で、鮮やかな色彩です。<br />それとくらべるとブリュッセルの作品の保存状態は悲惨で修復も不可能のように見えます。<br /><br />ロンドンのはキャンバスに油彩で描かれています。<br />ブリュッセルのはキャンバスにテンペラです。<br />オスカーラインハルトのは板にテンペラです。<br /><br />テンペラ画は油彩より耐光性に優れ黄変、黒変がないといわれている技法です。<br />油彩技術の発展とともに主役から姿を消して行きました。<br /><br />現存するテンペラで描かれた有名な作品には保存が良くないものが多いようです。<br /><br />レオナルドダヴィンチの「最後の晩餐」1498年 ミラノのサンタマリア教会<br />ボッチセリの「春」1477年、「ビーナスの誕生」1485年 フィレンツェのウッフィツィ美術館 などがあります。<br /><br />ダヴィンチの「最後の晩餐」も教会の漆喰の壁に直接描かれているため大掛かりな修復をされたものの残念な状態にあります。<br />

    2枚目です。
    同じくベルギー王立美術館にある作品です。

    The Adoration of the Kings 1556-1562
    Tempera on canvas 121.5x168cm
    「東方三博士の礼拝」

    この聖書の主題(テーマ)はキリスト教教会を飾る絵画の主題として代表的なものの一つです。

    ーーーーーーーーーー
    主なキリスト教の主題を時系列であげておきます。
    聖書のあらすじを知っておくと聖書を主題にした作品を楽しく鑑賞する事が出来るようになります。

    それぞれの画家たちが同じ主題について構成や表現に工夫して独自の絵を完全させているのを比較するのはキリスト教絵画を鑑賞する醍醐味だと思います。

    ルカ1:26)受胎告知
    天使ガブリエルが聖母マリアにイエスを受胎した事を告げにくる

    マタイ2:1)東方三博士の礼拝
    新しい星の発生でイエスの誕生を知った3人の博士が貢物を持ってお祝いにやって来る

    マタイ2:16)幼児虐殺
    東方三博士の報告からイエスの誕生を知ったヘロデ王が自分の地位を守るためにベツレヘムの2歳以下の男の子を虐殺する

    マタイ2:13)エジプトへの逃避
    ヘロデ王の虐殺を知り聖母マリアはイエスと夫と共にエジプトへ逃げる

    マルコ14:18)最後の晩餐
    ユダの裏切りで逮捕される前に弟子たちと最後の晩餐を行う

    マルコ15:21)ゴルゴダへ道行き
    ピラトから死刑判決を受けたイエスは十字架を自ら担いでゴルゴダの丘へ13留を歩いてゆく、
    聖衣を剥奪され十字架に架けられる

    ヨハネ20:11)エマオの晩餐
    処刑されたイエスが復活する
    エマオでの晩餐でイエスである事を知る

    ーーーーーーーーーーー
    ブリューゲル (父)の描いた「東方三博士の礼拝」は3枚が現存しています。

    2枚目はロンドンのナショナルギャラリーの収蔵作品(1564年制作)
    3枚目はスイスのヴィンタートゥールのオスカーラインハルトコレクションの収蔵作品(1567年制作)
    です。

    ロンドンの作品は修復が見事で、鮮やかな色彩です。
    それとくらべるとブリュッセルの作品の保存状態は悲惨で修復も不可能のように見えます。

    ロンドンのはキャンバスに油彩で描かれています。
    ブリュッセルのはキャンバスにテンペラです。
    オスカーラインハルトのは板にテンペラです。

    テンペラ画は油彩より耐光性に優れ黄変、黒変がないといわれている技法です。
    油彩技術の発展とともに主役から姿を消して行きました。

    現存するテンペラで描かれた有名な作品には保存が良くないものが多いようです。

    レオナルドダヴィンチの「最後の晩餐」1498年 ミラノのサンタマリア教会
    ボッチセリの「春」1477年、「ビーナスの誕生」1485年 フィレンツェのウッフィツィ美術館 などがあります。

    ダヴィンチの「最後の晩餐」も教会の漆喰の壁に直接描かれているため大掛かりな修復をされたものの残念な状態にあります。

    ベルギー王立美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • 同じく中央部分のアップです。<br /><br />聖母マリアは左側をみせて座り、幼子イエスを膝に抱いています。<br /><br />ほかの画家たちの描くこの主題「東方三博士の礼拝」は主役である聖母マリアと幼子イエスを画面中央に置いた構図で描いています。<br /><br />カソリック教会に来た信徒たちが迷うような構図は好ましくありません。<br />宗教画では後頭部に金環を描き聖人であることを表現する手法が多く見られます。<br />一般人と聖人を識別させることはカソリック教会が公布した聖像についてのガイドラインで強く指定されていました。<br /><br />識字率の低かった当時では「聖書の読めない信徒」にとって祭壇画は「見る聖書」でした。<br /><br />その為にカソリック教会で飾られる宗教画は聖書と記述の異なることは許されませんでした。<br />信徒が混乱するような描写や雑念を抱かされる構図は信徒の信仰を深めることにならないからです。<br /><br />聖書の記述を正確に反映しない構図や描写は「異教徒的である」とされ教会から受け取りを拒否されました。<br />画家が「異端審問」(カソリックによる宗教裁判)にかけられることもあったのです。<br /><br />ベラスケス(1599~1660)の義父である画家のフランシスコバチェーコ(1564~1644)は初代の異端審問所付き美術監督官を務めています。<br /><br />バチェーコは1617年にベラスケスに「聖像画家」の試験を行い資格認定しています。<br />ベラスケスは1623年にはカソリック教会の強烈なサポーターであったフェリペ4世のお抱え宮廷画家となりまた外交官として出世の階段を登っていきます。

    同じく中央部分のアップです。

    聖母マリアは左側をみせて座り、幼子イエスを膝に抱いています。

    ほかの画家たちの描くこの主題「東方三博士の礼拝」は主役である聖母マリアと幼子イエスを画面中央に置いた構図で描いています。

    カソリック教会に来た信徒たちが迷うような構図は好ましくありません。
    宗教画では後頭部に金環を描き聖人であることを表現する手法が多く見られます。
    一般人と聖人を識別させることはカソリック教会が公布した聖像についてのガイドラインで強く指定されていました。

    識字率の低かった当時では「聖書の読めない信徒」にとって祭壇画は「見る聖書」でした。

    その為にカソリック教会で飾られる宗教画は聖書と記述の異なることは許されませんでした。
    信徒が混乱するような描写や雑念を抱かされる構図は信徒の信仰を深めることにならないからです。

    聖書の記述を正確に反映しない構図や描写は「異教徒的である」とされ教会から受け取りを拒否されました。
    画家が「異端審問」(カソリックによる宗教裁判)にかけられることもあったのです。

    ベラスケス(1599~1660)の義父である画家のフランシスコバチェーコ(1564~1644)は初代の異端審問所付き美術監督官を務めています。

    バチェーコは1617年にベラスケスに「聖像画家」の試験を行い資格認定しています。
    ベラスケスは1623年にはカソリック教会の強烈なサポーターであったフェリペ4世のお抱え宮廷画家となりまた外交官として出世の階段を登っていきます。

  • 「東方三博士の礼拝」の画面右上の部分です。<br /><br />ブリューゲル(父)の細密画技術が発揮されています。<br /><br />「見る楽しみ」を感じさせてくれる部分です。<br />

    「東方三博士の礼拝」の画面右上の部分です。

    ブリューゲル(父)の細密画技術が発揮されています。

    「見る楽しみ」を感じさせてくれる部分です。

  • ブリュッセルでの宿泊はブリュッセル中央駅からグランプラス方向へ坂道を徒歩2分下ったところにあるノボテルブリュッセルオフグランプラス(写真の左側の茶色の建物)にしています。<br /><br />駅に近いホテルはアントワープやブリュージュへの日帰り旅行に便利です。<br /><br />この写真はiPhoneの横パノラマ撮影です。<br />ノボテルの右側の道を上っていくとブリュッセル中央駅が左側にあります。<br />気いってる写真です。<br />自宅のPCの待ち受け画面にしています。

    ブリュッセルでの宿泊はブリュッセル中央駅からグランプラス方向へ坂道を徒歩2分下ったところにあるノボテルブリュッセルオフグランプラス(写真の左側の茶色の建物)にしています。

    駅に近いホテルはアントワープやブリュージュへの日帰り旅行に便利です。

    この写真はiPhoneの横パノラマ撮影です。
    ノボテルの右側の道を上っていくとブリュッセル中央駅が左側にあります。
    気いってる写真です。
    自宅のPCの待ち受け画面にしています。

    ノボテル ブリュッセル オフ グランド プレイス ホテル

  • 3枚目はアメリカのワシントンDCにあるナショナルギャラリーにあります。<br /><br />写真はナショナルギャラリーの正門入り口です。<br />「フェルメールと同世代の画家たち」という特別展をやっていました。

    3枚目はアメリカのワシントンDCにあるナショナルギャラリーにあります。

    写真はナショナルギャラリーの正門入り口です。
    「フェルメールと同世代の画家たち」という特別展をやっていました。

    ナショナルギャラリー オブ アート 博物館・美術館・ギャラリー

  • <br />The Temptation of St.Anthony 1557<br />Oil on Canvas 59x86cm<br />「聖アントニオスの誘惑」<br /><br />2017年11月のワシントン行きは成田発のANAの直行便のNH2便でした。<br />NRT10:40発IAD09:15着です。<br />ホテルはナショナルギャラリーに近いホリディインワシントンキャピタルを取りました。<br /><br />現職時代に何回か来たのですが、ナショナルギャラリーに来る自由時間はありませんでした。<br /><br />この頃には「ブリューゲル をたずねる旅」は2枚以上ブリューゲル(父)の作品を持っている美術館の訪問が終わっていました。<br />ワシントンの「聖アントニオスの誘惑」とデトロイトにある「屋外の結婚式の踊り」の2枚を見る旅程を計画しました。<br /><br />ーーーーーーーーーーー<br />主題の聖アントニウスは250年頃の人物です。<br />禁欲的な修行の誓いをたて独身を貫きキリスト教の信仰を深めます。<br />苦行生活の中で悪魔や魔物に誘惑され煩悩に苦しみます。<br /><br />聖アントニウスは聖書の登場人物ではありませんが修道士生活の創始者としてキリスト教の布教のためには欠かせない人物です。<br /><br />ヒエロニムボッシュの祭壇画(ベルギー王立美術館)や最近ではサルバドールダリ(ティッセン美術館)など聖アントニウスを主題にした作品があります。<br /><br />ブリューゲル(父)には全く違う構図ですがブリューゲル(父)の描いた原画をもとに作られた版画があります。<br />アントワープにある世界遺産のプランタンモテトゥス博物館に展示されています。<br /><br />この印刷工場の創業者のクリストフプランタン(1520~1589)はアントワープの知識階級のひとりで、ブリューゲル(父)のコレクターであり作品の構想についてのアドバイザーでした。


    The Temptation of St.Anthony 1557
    Oil on Canvas 59x86cm
    「聖アントニオスの誘惑」

    2017年11月のワシントン行きは成田発のANAの直行便のNH2便でした。
    NRT10:40発IAD09:15着です。
    ホテルはナショナルギャラリーに近いホリディインワシントンキャピタルを取りました。

    現職時代に何回か来たのですが、ナショナルギャラリーに来る自由時間はありませんでした。

    この頃には「ブリューゲル をたずねる旅」は2枚以上ブリューゲル(父)の作品を持っている美術館の訪問が終わっていました。
    ワシントンの「聖アントニオスの誘惑」とデトロイトにある「屋外の結婚式の踊り」の2枚を見る旅程を計画しました。

    ーーーーーーーーーーー
    主題の聖アントニウスは250年頃の人物です。
    禁欲的な修行の誓いをたて独身を貫きキリスト教の信仰を深めます。
    苦行生活の中で悪魔や魔物に誘惑され煩悩に苦しみます。

    聖アントニウスは聖書の登場人物ではありませんが修道士生活の創始者としてキリスト教の布教のためには欠かせない人物です。

    ヒエロニムボッシュの祭壇画(ベルギー王立美術館)や最近ではサルバドールダリ(ティッセン美術館)など聖アントニウスを主題にした作品があります。

    ブリューゲル(父)には全く違う構図ですがブリューゲル(父)の描いた原画をもとに作られた版画があります。
    アントワープにある世界遺産のプランタンモテトゥス博物館に展示されています。

    この印刷工場の創業者のクリストフプランタン(1520~1589)はアントワープの知識階級のひとりで、ブリューゲル(父)のコレクターであり作品の構想についてのアドバイザーでした。

  • 画面中央部の拡大です。<br />梯子が変です。<br />梯子に乗っている人物の足がありません。<br /><br />手抜きというか、かなり投げやりな筆使いなのが見てとれます。

    画面中央部の拡大です。
    梯子が変です。
    梯子に乗っている人物の足がありません。

    手抜きというか、かなり投げやりな筆使いなのが見てとれます。

  • 写真は展示作品プレートです。<br /><br />「Follower of Pieter Bruegel the elder」とあります。<br /><br />当時の画家は組合(ギルド)の親方資格を取らないと作品を売ることも、自分の工房(アトリエ)に弟子を雇うことも出来ないシステムでした。<br />現代の日本の漫画家たちでもアシスタントを雇って自分は「あらあら」の下絵を描いて、そのあとはアシスタントが仕上げてゆきます。<br />同じように当時の画家(親方)たちは自分の工房に弟子たちを雇い絵画を完成させていました。<br /><br />Rembrandt workshopと言えばレンブラント工房の制作を意味します。(工房の弟子たちが描いた作品)<br />アントワープにルーベンスハウスという名前で当時のルーベンスのアトリエ兼住居が一般公開されています。ルーベンス(1577~1640)はブリューゲル(父)の50年ほど後の画家です。<br />ルーベンスのアトリエは「黄金の工房」と呼ばれ大規模な分業システムで作品を大量生産しました。<br /><br />多くの弟子の中で飛び抜けて優秀だったのがヴァンダイク(1599~1641)です。のちに英国のチャールズ1世の宮廷画家となっています。<br /><br />ブリューゲル(父)の次男のヤンブリューゲル(1568~1625)もルーベンス工房の弟子の一人です。<br />ロンドンのコートルドギャラリーにはルーベンスが自ら描いた「ヤンブリューゲル と妻と子どもの肖像画」があります。ヤンブリューゲルとルーベンスの親密さが分かります。<br /><br />ルーベンスはブリューゲル(父)の油彩の小品を2点「エジプト行きの風景」と「聖母マリアの死」を持っていました。画家であり外交官でもあり大富豪だったルーベンスの財産目録にリストアップされるほどブリューゲル(父)の作品は小品といえども高価なものでした。<br /><br />「Follower of Pieter Bruegel」の意味はピーターブリューゲルに影響された画家の誰かということだと思います。ブリューゲルの工房に居た弟子では無く、<br />ブリューゲルの血縁者でもなく「ブリューゲルを信奉する誰か」である第三者が描いたという事だと思います。<br /><br />この作品はブリューゲル(父)の真筆ではありません。ナショナルギャラリーは真筆でないと鑑定し、また真筆でないことを表記して展示しています。<br /><br />美術館のコレクションになったのは1952年2月19日です。この日にサミュエルクレスコレクションから400点近く絵画作品の1枚として美術館に寄贈されています。<br /><br />サミュエルクレスはアメリカンドリームの体現者です。<br />貧しい家に生まれ生涯独身で、子孫も残していません。子供の頃から採石場で働き、その後教職員資格を取り教職につきます。<br />1887年からは文房具の小売業を始めています。<br />店名は「S.H.Kress&amp;Co」から有名な全国チェーンの「Kress Five and Dime」を展開し大成功しています。<br />「クレス基金」を開設し収集した彫刻1400点、絵画400点をナショナルギャラリーに寄贈しています。<br /><br />クレスが購入した段階でこの作品はブリューゲル(父)の真筆とされていたのでしょうか?<br /><br />私見ですが。<br />クレスのような人生を送った人物は真筆ではない作品を購入することはないと思います。<br />ーーーーーー<br />ナショナルギャラリーで購入した図録の中に「ちょっと褒めすぎ」の作品解説がありました。拙訳しましたので引用しておきます。<br />「このアーチストはブリューゲル(父)の強い影響を受けている。小屋の中に描かれているアントニウスの輪郭はブリューゲルの絵から取られている。<br />あと、2人の画家の影響が認められる、絵の左側の川の部分の景色は1524年までアントワープで活動したJoachim Patinirの影響を受けている、そして、悪霊や怪獣の描写はヒエロニムスボッシュの影響が認められる。<br />この「聖アントニウスの誘惑」の作者は未だ誰だか特定されていないし、その他の作品も確認されていない。<br />しかしながら、この絵に見られる繊細さや光や空気の描写表現に偉大な技術を持つ画家であった事が認められる。」<br /><br />ワシントンナショナルギャラリーのHPです。<br />https://www.nga.gov/

    写真は展示作品プレートです。

    「Follower of Pieter Bruegel the elder」とあります。

    当時の画家は組合(ギルド)の親方資格を取らないと作品を売ることも、自分の工房(アトリエ)に弟子を雇うことも出来ないシステムでした。
    現代の日本の漫画家たちでもアシスタントを雇って自分は「あらあら」の下絵を描いて、そのあとはアシスタントが仕上げてゆきます。
    同じように当時の画家(親方)たちは自分の工房に弟子たちを雇い絵画を完成させていました。

    Rembrandt workshopと言えばレンブラント工房の制作を意味します。(工房の弟子たちが描いた作品)
    アントワープにルーベンスハウスという名前で当時のルーベンスのアトリエ兼住居が一般公開されています。ルーベンス(1577~1640)はブリューゲル(父)の50年ほど後の画家です。
    ルーベンスのアトリエは「黄金の工房」と呼ばれ大規模な分業システムで作品を大量生産しました。

    多くの弟子の中で飛び抜けて優秀だったのがヴァンダイク(1599~1641)です。のちに英国のチャールズ1世の宮廷画家となっています。

    ブリューゲル(父)の次男のヤンブリューゲル(1568~1625)もルーベンス工房の弟子の一人です。
    ロンドンのコートルドギャラリーにはルーベンスが自ら描いた「ヤンブリューゲル と妻と子どもの肖像画」があります。ヤンブリューゲルとルーベンスの親密さが分かります。

    ルーベンスはブリューゲル(父)の油彩の小品を2点「エジプト行きの風景」と「聖母マリアの死」を持っていました。画家であり外交官でもあり大富豪だったルーベンスの財産目録にリストアップされるほどブリューゲル(父)の作品は小品といえども高価なものでした。

    「Follower of Pieter Bruegel」の意味はピーターブリューゲルに影響された画家の誰かということだと思います。ブリューゲルの工房に居た弟子では無く、
    ブリューゲルの血縁者でもなく「ブリューゲルを信奉する誰か」である第三者が描いたという事だと思います。

    この作品はブリューゲル(父)の真筆ではありません。ナショナルギャラリーは真筆でないと鑑定し、また真筆でないことを表記して展示しています。

    美術館のコレクションになったのは1952年2月19日です。この日にサミュエルクレスコレクションから400点近く絵画作品の1枚として美術館に寄贈されています。

    サミュエルクレスはアメリカンドリームの体現者です。
    貧しい家に生まれ生涯独身で、子孫も残していません。子供の頃から採石場で働き、その後教職員資格を取り教職につきます。
    1887年からは文房具の小売業を始めています。
    店名は「S.H.Kress&Co」から有名な全国チェーンの「Kress Five and Dime」を展開し大成功しています。
    「クレス基金」を開設し収集した彫刻1400点、絵画400点をナショナルギャラリーに寄贈しています。

    クレスが購入した段階でこの作品はブリューゲル(父)の真筆とされていたのでしょうか?

    私見ですが。
    クレスのような人生を送った人物は真筆ではない作品を購入することはないと思います。
    ーーーーーー
    ナショナルギャラリーで購入した図録の中に「ちょっと褒めすぎ」の作品解説がありました。拙訳しましたので引用しておきます。
    「このアーチストはブリューゲル(父)の強い影響を受けている。小屋の中に描かれているアントニウスの輪郭はブリューゲルの絵から取られている。
    あと、2人の画家の影響が認められる、絵の左側の川の部分の景色は1524年までアントワープで活動したJoachim Patinirの影響を受けている、そして、悪霊や怪獣の描写はヒエロニムスボッシュの影響が認められる。
    この「聖アントニウスの誘惑」の作者は未だ誰だか特定されていないし、その他の作品も確認されていない。
    しかしながら、この絵に見られる繊細さや光や空気の描写表現に偉大な技術を持つ画家であった事が認められる。」

    ワシントンナショナルギャラリーのHPです。
    https://www.nga.gov/

  • 4枚目は同じくアメリカにあります。<br /><br />アメリカのカルフォルニア州サンディエゴにティムケン美術館というボールベアリングの製造と販売で一代で財産を築いたヘンリーティムケン一族が作ったティムケン美術館があります。<br /><br />アメリカ開拓の時代に西へ西へと進むフロンティアたちの移動手段は幌馬車です。<br />幌馬車で重要なのは耐久性があってエネルギーロスの少ない車輪です。<br />ボールベアリングと車軸は重要な部品でした。<br /><br />写真は正面入り口です。<br />2018年2月に訪問しました。<br />入場は無料です。

    4枚目は同じくアメリカにあります。

    アメリカのカルフォルニア州サンディエゴにティムケン美術館というボールベアリングの製造と販売で一代で財産を築いたヘンリーティムケン一族が作ったティムケン美術館があります。

    アメリカ開拓の時代に西へ西へと進むフロンティアたちの移動手段は幌馬車です。
    幌馬車で重要なのは耐久性があってエネルギーロスの少ない車輪です。
    ボールベアリングと車軸は重要な部品でした。

    写真は正面入り口です。
    2018年2月に訪問しました。
    入場は無料です。

    ティムケン美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • 「Landscape with the Parable of the Sower」<br />Oil on Panel   1557   70x102cm<br />「種まく人の諺のある風景」<br /><br />額縁を入れた全体写真です。<br /><br />この作品も一見して細かい部分の描写が足りないのが分かります。

    「Landscape with the Parable of the Sower」
    Oil on Panel 1557 70x102cm
    「種まく人の諺のある風景」

    額縁を入れた全体写真です。

    この作品も一見して細かい部分の描写が足りないのが分かります。

  • 亡くなる3年前頃、長女マリアが生まれた1956年頃からブリューゲル(父)は農村の人物や風景を描くようになります。<br />スケッチ取材のために農民に変装し農村に入ったと伝えられています。<br />この時期の作品「農民の結婚式」、「農民の踊り」などからブリューゲル(父)は「農民ブリューゲル」と渾名されています。<br /><br />それらの作品の農民とこの農民とくらべて見てください。<br /><br /><br />ーーーーーーーー<br />「種蒔く人」の絵というと普通に思い出されるのはミレーだと思います。<br />岩波書店のロゴマークに使われています。<br /><br />ゴッホはミレーの魅せられて数枚の「種蒔く人」を模作しています。<br /><br />ジャンフランソワミレー(1814~1875) フランスのバルビゾン派の画家です。<br />こちらの農民はミレーの代表作「落ち穂拾い」や「晩鐘」に見るような「農民の神聖さ」や「キリスト教的な祈りや感謝」が表現すべき主題です。<br /><br />ブリューゲル(父)の場合は、「あるがまま」の農村と農民の風景です。<br />ミレーに代表される画家たちの農民の描いた「美や神聖さ」に対してブリューゲル(父)は農民の「真実」を描いているのだと思います。

    亡くなる3年前頃、長女マリアが生まれた1956年頃からブリューゲル(父)は農村の人物や風景を描くようになります。
    スケッチ取材のために農民に変装し農村に入ったと伝えられています。
    この時期の作品「農民の結婚式」、「農民の踊り」などからブリューゲル(父)は「農民ブリューゲル」と渾名されています。

    それらの作品の農民とこの農民とくらべて見てください。


    ーーーーーーーー
    「種蒔く人」の絵というと普通に思い出されるのはミレーだと思います。
    岩波書店のロゴマークに使われています。

    ゴッホはミレーの魅せられて数枚の「種蒔く人」を模作しています。

    ジャンフランソワミレー(1814~1875) フランスのバルビゾン派の画家です。
    こちらの農民はミレーの代表作「落ち穂拾い」や「晩鐘」に見るような「農民の神聖さ」や「キリスト教的な祈りや感謝」が表現すべき主題です。

    ブリューゲル(父)の場合は、「あるがまま」の農村と農民の風景です。
    ミレーに代表される画家たちの農民の描いた「美や神聖さ」に対してブリューゲル(父)は農民の「真実」を描いているのだと思います。

  • 「種まく人の諺のある風景」作品の右側の中央部分の拡大写真です。<br /><br />向こう岸に船が何艘かあり岸辺には「種まく人」について訓戒をするイエスキリストとそれを囲んで聞き入る信徒たちが描かれています。<br /><br />ブリューゲル(父)の細密技法とは程遠い雑な表現です。<br /><br />ウィーンの美術史美術館にあるブリューゲル(父)の作品の細密描写の部分と比べると分かりますが稚拙な仕上がりです。<br /><br />あくまでも素人の感想ですがこの「種まく人の諺のある風景」を見た時に違和感をかんじました。<br /><br />美術館の解説の来歴の記述によると<br />ーーーーーーーー<br />1924年にブリュッセルの画廊のオークションに「17世紀のフランダース派の作品」として出品され、同年末にベルギー王室の美術管理人のブエスコにより絵の洗浄が行われ、その時にブリューゲル (父)のサインと日付が発見された(ブリューゲル(父)の作品と鑑定された)と書かれています。<br /><br />解説では第二次世界大戦前に米国へ来て、この美術館が購入したのは1957年と書かれています。<br /><br />16世紀の絵画が20世紀になって突然現れています。<br />400年くらいの間の来歴が抜けています。

    「種まく人の諺のある風景」作品の右側の中央部分の拡大写真です。

    向こう岸に船が何艘かあり岸辺には「種まく人」について訓戒をするイエスキリストとそれを囲んで聞き入る信徒たちが描かれています。

    ブリューゲル(父)の細密技法とは程遠い雑な表現です。

    ウィーンの美術史美術館にあるブリューゲル(父)の作品の細密描写の部分と比べると分かりますが稚拙な仕上がりです。

    あくまでも素人の感想ですがこの「種まく人の諺のある風景」を見た時に違和感をかんじました。

    美術館の解説の来歴の記述によると
    ーーーーーーーー
    1924年にブリュッセルの画廊のオークションに「17世紀のフランダース派の作品」として出品され、同年末にベルギー王室の美術管理人のブエスコにより絵の洗浄が行われ、その時にブリューゲル (父)のサインと日付が発見された(ブリューゲル(父)の作品と鑑定された)と書かれています。

    解説では第二次世界大戦前に米国へ来て、この美術館が購入したのは1957年と書かれています。

    16世紀の絵画が20世紀になって突然現れています。
    400年くらいの間の来歴が抜けています。

  • 「Landscape with the Parable of the Sower」<br />Oil on Panel   1557   70x102cm<br />「種まく人の諺のある風景」<br />ティムケン美術館の作品の脇に置かれている解説パネルです。<br /><br />ブリューゲル(父)の真筆として解説され展示されています。<br /><br />サンディエゴのティムケン美術館のHPです。<br />http://www.timkenmuseum.org/<br />ーーーーーーーーーーー<br />サンディエゴのホテルはティムケン美術館に歩いて行ける<br />ディズインサンディエゴダウンタウンコンヴェンションセンター3泊しました。<br />ここは車で泊まるモーテルです。<br /><br />ティムケン美術館には歩いて行けますが海側にあるリゾートホテルの方がサンディエゴ観光を楽しめると思います。

    「Landscape with the Parable of the Sower」
    Oil on Panel 1557 70x102cm
    「種まく人の諺のある風景」
    ティムケン美術館の作品の脇に置かれている解説パネルです。

    ブリューゲル(父)の真筆として解説され展示されています。

    サンディエゴのティムケン美術館のHPです。
    http://www.timkenmuseum.org/
    ーーーーーーーーーーー
    サンディエゴのホテルはティムケン美術館に歩いて行ける
    ディズインサンディエゴダウンタウンコンヴェンションセンター3泊しました。
    ここは車で泊まるモーテルです。

    ティムケン美術館には歩いて行けますが海側にあるリゾートホテルの方がサンディエゴ観光を楽しめると思います。

    デイズ イン バイ ウィンダム サンディエゴ ダウンタウン コンベンション センター ホテル

  • 5枚目はベルギーのアントワープにある個人美術館マイヤーヴァンデンべルグ美術館にあります。<br /><br />ブリュッセルから日帰りで行けます。<br />アントワープ中央駅からは歩いてルーベンスミュージアムへ行き更に7分ほどでこの美術館に到着します。<br /><br />3館共通入場券のご利用がお得です。<br />ルーベンスハウス、マイヤーヴァンデンベルグ、現代美術館MASの入場が出来ます。<br /><br />写真はマイヤーヴァンデンべルグ美術館の入り口です。<br />一般の美術館の印象はありません。<br />右側にマイヤーヴァンデンベルグ美術館のプレート<br />左側の柱の奥に「狂女フリート」の大きなポスターがあります。

    5枚目はベルギーのアントワープにある個人美術館マイヤーヴァンデンべルグ美術館にあります。

    ブリュッセルから日帰りで行けます。
    アントワープ中央駅からは歩いてルーベンスミュージアムへ行き更に7分ほどでこの美術館に到着します。

    3館共通入場券のご利用がお得です。
    ルーベンスハウス、マイヤーヴァンデンベルグ、現代美術館MASの入場が出来ます。

    写真はマイヤーヴァンデンべルグ美術館の入り口です。
    一般の美術館の印象はありません。
    右側にマイヤーヴァンデンベルグ美術館のプレート
    左側の柱の奥に「狂女フリート」の大きなポスターがあります。

    マイヤー ヴァン デン ベルグ美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • Twelve Proverbs<br />Oil on Oak panel , 74.5x98.4cm 1558<br />「12の諺」<br /><br />そもそもは12枚の木片画だったものを1枚にまとめ、それぞれの絵の下に諺の説明が加えられています。<br />画面の上部にはラテン語で諺のタイトルが書いてあります。<br /><br />ユーモアやモラルに溢れた警句の諺が12枚です。<br />右から2枚目の上から2枚目には日本にもある「猫に鈴をつける」です。<br />ご覧になれるでしょうか?<br /><br />ベルリンの絵画館には同じくブリューゲル(父)の「ネーデルランドの諺」という題名の118の諺を描いた作品があります。<br />頭を石壁に打ち付ける左下の絵が同じ構図で登場しています。<br /><br />この「12の諺」を見ると118以上の諺の下絵が揃えて構図に再編成して「ネーデルラントの諺」を描いて行ったブリューゲル(父)の工房での作業の様子が目に浮かびます。<br />ーーーーーーーーー<br />アントワープは今でも世界のダイヤモンド商取引の中心地です。<br /><br />500年前の大航海の時代、アントワープは世界で最も豊かな街でした。<br />世界を結ぶ海運の中心都市として栄えていました。<br /><br />ブリューゲル(父)の時代がアントワープの国際的商業都市としての黄金時代だったのです。 ブリューゲル(父)は1551年にアントワープの「聖ルカ組合」に加入し、親方として登録されています。<br /><br />各地にあった「聖ルカ組合」の中でもこの地方の中心だったアントワープの「聖ルカ組合」は名門でした。<br /><br />ブリューゲル(父)の半世紀後に、ルーベンスが出てきますが同じアントワープの「聖ルカ組合」で(1598年に)親方登録しています。

    Twelve Proverbs
    Oil on Oak panel , 74.5x98.4cm 1558
    「12の諺」

    そもそもは12枚の木片画だったものを1枚にまとめ、それぞれの絵の下に諺の説明が加えられています。
    画面の上部にはラテン語で諺のタイトルが書いてあります。

    ユーモアやモラルに溢れた警句の諺が12枚です。
    右から2枚目の上から2枚目には日本にもある「猫に鈴をつける」です。
    ご覧になれるでしょうか?

    ベルリンの絵画館には同じくブリューゲル(父)の「ネーデルランドの諺」という題名の118の諺を描いた作品があります。
    頭を石壁に打ち付ける左下の絵が同じ構図で登場しています。

    この「12の諺」を見ると118以上の諺の下絵が揃えて構図に再編成して「ネーデルラントの諺」を描いて行ったブリューゲル(父)の工房での作業の様子が目に浮かびます。
    ーーーーーーーーー
    アントワープは今でも世界のダイヤモンド商取引の中心地です。

    500年前の大航海の時代、アントワープは世界で最も豊かな街でした。
    世界を結ぶ海運の中心都市として栄えていました。

    ブリューゲル(父)の時代がアントワープの国際的商業都市としての黄金時代だったのです。 ブリューゲル(父)は1551年にアントワープの「聖ルカ組合」に加入し、親方として登録されています。

    各地にあった「聖ルカ組合」の中でもこの地方の中心だったアントワープの「聖ルカ組合」は名門でした。

    ブリューゲル(父)の半世紀後に、ルーベンスが出てきますが同じアントワープの「聖ルカ組合」で(1598年に)親方登録しています。

  • このマイヤーヴァンデンベルグ美術館にはブリューゲル(父)の作品が2枚あります。<br /><br />この美術館は落馬事故で42歳で亡くなったフリッツマイヤーヴァンデンベルグ(1858~1901)が10年間で集めたコレクションを展示しています。<br />母親のヘンリエットが息子のコレクションを展示する為に建てた家がこの美術館です。<br />収蔵作品の数は3000点を超えると言われています。<br /><br />写真は、ブリューゲル(父)の2作品は並べて展示されていました。<br />手前のベンチに座った人物のシルエットが決まっていました。

    このマイヤーヴァンデンベルグ美術館にはブリューゲル(父)の作品が2枚あります。

    この美術館は落馬事故で42歳で亡くなったフリッツマイヤーヴァンデンベルグ(1858~1901)が10年間で集めたコレクションを展示しています。
    母親のヘンリエットが息子のコレクションを展示する為に建てた家がこの美術館です。
    収蔵作品の数は3000点を超えると言われています。

    写真は、ブリューゲル(父)の2作品は並べて展示されていました。
    手前のベンチに座った人物のシルエットが決まっていました。

  • アントワープ市内には、世界遺産登録された当時の印刷所がプランタンモレトゥス博物館として公開されています。<br /><br />写真はローラープレス印刷の作業の実演を見学する子供たちです。<br /><br />1554年にアントワープに戻ったブリューゲル(父)の生活のために取り組んだ仕事は版画のための下絵を描く事でした。<br /><br />版画の下絵は紙にインクで描かれたモノクロの画像です。<br />翌年の1555年から始まる油彩の作品はカラー画像です。<br /><br />グーテンベルグの印刷技術の発明は1450年です。<br />100年後のブリューゲル(父)の時代でも活版印刷の1色刷りが技術レベルでした。<br /><br />当時の大きな用途(需要)は聖書です。<br />文字がメインの聖書の印刷には黒1色で充分でした。<br />口絵部分などには重ね刷りでカラー印刷が行われています。<br /><br />プランタンモレトゥス博物館には当時の文化、金融、商業の中心だったアントワープの遺産が展示されています。。<br />ブリューゲル(父)の下絵も版画化されて、この印刷会社のローラプレス式印刷機で印刷されました。<br /><br />階調のあるカラー画像を再現する印刷技術はまだありません。<br /><br />ブリューゲル(長男)が模作した父の作品が100枚以上、人気のある作品だった「鳥罠のある冬景色」などは150枚近く現存しているのはそういった事情があるのです。<br /><br />今では、色は黄色、赤色、藍色の3色に色分解され、各々を製版して輪転印刷機で階調のあるカラー印刷が行われています。<br />今の美術カレンダーの印刷物を当時の人たちが見たらとても驚くと同時にうらやましく思うことでしょう。

    アントワープ市内には、世界遺産登録された当時の印刷所がプランタンモレトゥス博物館として公開されています。

    写真はローラープレス印刷の作業の実演を見学する子供たちです。

    1554年にアントワープに戻ったブリューゲル(父)の生活のために取り組んだ仕事は版画のための下絵を描く事でした。

    版画の下絵は紙にインクで描かれたモノクロの画像です。
    翌年の1555年から始まる油彩の作品はカラー画像です。

    グーテンベルグの印刷技術の発明は1450年です。
    100年後のブリューゲル(父)の時代でも活版印刷の1色刷りが技術レベルでした。

    当時の大きな用途(需要)は聖書です。
    文字がメインの聖書の印刷には黒1色で充分でした。
    口絵部分などには重ね刷りでカラー印刷が行われています。

    プランタンモレトゥス博物館には当時の文化、金融、商業の中心だったアントワープの遺産が展示されています。。
    ブリューゲル(父)の下絵も版画化されて、この印刷会社のローラプレス式印刷機で印刷されました。

    階調のあるカラー画像を再現する印刷技術はまだありません。

    ブリューゲル(長男)が模作した父の作品が100枚以上、人気のある作品だった「鳥罠のある冬景色」などは150枚近く現存しているのはそういった事情があるのです。

    今では、色は黄色、赤色、藍色の3色に色分解され、各々を製版して輪転印刷機で階調のあるカラー印刷が行われています。
    今の美術カレンダーの印刷物を当時の人たちが見たらとても驚くと同時にうらやましく思うことでしょう。

    プランタン モレトゥス博物館 博物館・美術館・ギャラリー

  • アントワープからブリュッセルへの帰りの ICのチケットです。<br />チケットはネットで事前に買うか、この場合のように窓口で買うようにしています。<br />支払いの時に次のICの出発時刻とプラットフォームを裏面に買いてもらいます。<br /><br />この場合15:25発プラットフォーム23番です。

    アントワープからブリュッセルへの帰りの ICのチケットです。
    チケットはネットで事前に買うか、この場合のように窓口で買うようにしています。
    支払いの時に次のICの出発時刻とプラットフォームを裏面に買いてもらいます。

    この場合15:25発プラットフォーム23番です。

    アントワープ中央駅

  • 6枚目はローマに飛びます。<br />ローマにはローマ法皇を務めた貴族の個人コレクションを展示した個人美術館があります。<br /><br />写真はドリヤパンフィーリ美術館の入り口です。<br />ホテルからはスマホのナビで歩いて行きました。<br />胸に入れたスマホが「目的地に到着しました」と言いました。<br />立派な入り口で驚きました。

    6枚目はローマに飛びます。
    ローマにはローマ法皇を務めた貴族の個人コレクションを展示した個人美術館があります。

    写真はドリヤパンフィーリ美術館の入り口です。
    ホテルからはスマホのナビで歩いて行きました。
    胸に入れたスマホが「目的地に到着しました」と言いました。
    立派な入り口で驚きました。

    ドーリア パンフィーリ宮殿 (美術館) 博物館・美術館・ギャラリー

  • View of Naples<br />Galleria Doria Pamphili<br />Oil on Panel 42x71cm 1558<br />「ナポリ湾の海戦」<br /><br />小さな画面の中に湾曲したナポリの港が描かれています。<br />手前には海戦が繰り広げられています。<br />右端には外輪山を持つベスヴィオ山が忠実に描かれていて噴火の火が上がっています。<br /> <br />画面の左部分の丘の上にはサンテルモ城が描かれています。<br />サンテルモ城が現在の星型の城壁に改築されたのは16世紀のことです。<br /><br />普通の画家だったらサンマルチノ美術館、サンテルモ城のヴェメロの丘から(山側から)鳥瞰したナポリ市内、ナポリ湾を描くと思います。<br /><br />ナポリ湾沖の上空から内陸に向かって描いたブリューゲル(父)の構想力と実現させた技術力は素晴らしいと思います。<br /><br />左にヌオヴォ城があり、その右奥には当時は隆盛を誇ったナポリ王国の市街が広がっています。<br /><br />このドリヤパンフィーリ美術館は警備保障システムは何もないようでした。<br /><br />あの時、作品を夢中でiPhoneで接写していました。<br />普段着の白いワイシャツの事務員が角のドアから顔を出して「1m以上離れて下さい」と優しい言葉で静かに注意されたのを思い出します。<br /><br />額縁にはガラス板はありました。<br />こんなオープンな美術館は初めてでした。

    View of Naples
    Galleria Doria Pamphili
    Oil on Panel 42x71cm 1558
    「ナポリ湾の海戦」

    小さな画面の中に湾曲したナポリの港が描かれています。
    手前には海戦が繰り広げられています。
    右端には外輪山を持つベスヴィオ山が忠実に描かれていて噴火の火が上がっています。

    画面の左部分の丘の上にはサンテルモ城が描かれています。
    サンテルモ城が現在の星型の城壁に改築されたのは16世紀のことです。

    普通の画家だったらサンマルチノ美術館、サンテルモ城のヴェメロの丘から(山側から)鳥瞰したナポリ市内、ナポリ湾を描くと思います。

    ナポリ湾沖の上空から内陸に向かって描いたブリューゲル(父)の構想力と実現させた技術力は素晴らしいと思います。

    左にヌオヴォ城があり、その右奥には当時は隆盛を誇ったナポリ王国の市街が広がっています。

    このドリヤパンフィーリ美術館は警備保障システムは何もないようでした。

    あの時、作品を夢中でiPhoneで接写していました。
    普段着の白いワイシャツの事務員が角のドアから顔を出して「1m以上離れて下さい」と優しい言葉で静かに注意されたのを思い出します。

    額縁にはガラス板はありました。
    こんなオープンな美術館は初めてでした。

  • 往時のイタリアの貴族の経済的規模の大きさが偲ばれる美術館でした。<br /><br />写真はブリューゲル(父)の作品「ナポリ湾の海戦」が展示されている廻廊です。<br />手前のソファーの上にある小さな作品(3段展示の一番下)がブリューゲル (父)の作品「ナポリ湾の海戦」です。<br /><br />このように壁一面に作品を並べたこの廻廊が続いています。<br /><br />お目当ての作品があるならミュージアムショップで展示場所を教えて貰うのが賢明です。<br /><br />ベラスケス(1599~1660)が描いた1644~1655年にローマ法皇を務めたパンフィーリ(Giovan Battista Pamphilj、当時の当主)の肖像画には驚きました。<br />この作品はベラスケスの部屋に展示されていて右隣りにはベルリーニ作のパンフィーリの彫像がありました。<br /><br />イタリアでも人気のカラヴァッジォの作品も、このドーリアパンフィーリ美術館には3枚もありました。<br /><br />イタリア貴族にはノブレスオブリージュという考え方があります。<br />英語ではノーブルオブリゲーションです。<br /><br />貴族、王族や金持ちは社会的な貢献や公共奉仕をしなくてはならないと言った考えです。<br />ローマ法皇になって社会への奉仕を行ったのです。<br />ローマ法皇になってその権力で私服をこやし財をなしたのではありません。<br /><br />イギリス王室でもノーブルオブリージュの精神が残っているように思えます。

    往時のイタリアの貴族の経済的規模の大きさが偲ばれる美術館でした。

    写真はブリューゲル(父)の作品「ナポリ湾の海戦」が展示されている廻廊です。
    手前のソファーの上にある小さな作品(3段展示の一番下)がブリューゲル (父)の作品「ナポリ湾の海戦」です。

    このように壁一面に作品を並べたこの廻廊が続いています。

    お目当ての作品があるならミュージアムショップで展示場所を教えて貰うのが賢明です。

    ベラスケス(1599~1660)が描いた1644~1655年にローマ法皇を務めたパンフィーリ(Giovan Battista Pamphilj、当時の当主)の肖像画には驚きました。
    この作品はベラスケスの部屋に展示されていて右隣りにはベルリーニ作のパンフィーリの彫像がありました。

    イタリアでも人気のカラヴァッジォの作品も、このドーリアパンフィーリ美術館には3枚もありました。

    イタリア貴族にはノブレスオブリージュという考え方があります。
    英語ではノーブルオブリゲーションです。

    貴族、王族や金持ちは社会的な貢献や公共奉仕をしなくてはならないと言った考えです。
    ローマ法皇になって社会への奉仕を行ったのです。
    ローマ法皇になってその権力で私服をこやし財をなしたのではありません。

    イギリス王室でもノーブルオブリージュの精神が残っているように思えます。

  • 現在の女性ご当主もここにお住まいです。<br />住居スペースの見学もガイド付きツアーで出来ます。<br />イタリアの貴族の生活がどんなものか知ることができます。<br />写真は現在の女性のご当主の執務室です。<br />立派なデスクです。<br /><br />ドーリアパンフィーリ美術館のHP<br />https://www.doriapamphilj.it/<br /><br />入場券の絵柄はブリューゲル(父)の「ナポリ湾の海戦」でした。<br /><br />ローマはミラノに5泊した後に入りました。<br />ナポリでユーロスターズホテルエクセルシオールが気に入ったので系列のユーロスターズインターナショナルパレスにしました。

    現在の女性ご当主もここにお住まいです。
    住居スペースの見学もガイド付きツアーで出来ます。
    イタリアの貴族の生活がどんなものか知ることができます。
    写真は現在の女性のご当主の執務室です。
    立派なデスクです。

    ドーリアパンフィーリ美術館のHP
    https://www.doriapamphilj.it/

    入場券の絵柄はブリューゲル(父)の「ナポリ湾の海戦」でした。

    ローマはミラノに5泊した後に入りました。
    ナポリでユーロスターズホテルエクセルシオールが気に入ったので系列のユーロスターズインターナショナルパレスにしました。

    エグゼ インターナショナル パレス ホテル

  • 7枚目はドイツのベルリンです。<br />ベルリン国立美術館蔵の「ネーデルランドの諺」です。<br />ベルリンのテーゲル空港へはミュンヘンから入りました。<br />フライトは1時間とチョットです。<br />ベルリンとくらべるとミュンヘンの方が個人的に好みです。<br /><br />写真はオープン前に並んだ美術愛好家たちの行列です。

    7枚目はドイツのベルリンです。
    ベルリン国立美術館蔵の「ネーデルランドの諺」です。
    ベルリンのテーゲル空港へはミュンヘンから入りました。
    フライトは1時間とチョットです。
    ベルリンとくらべるとミュンヘンの方が個人的に好みです。

    写真はオープン前に並んだ美術愛好家たちの行列です。

    ゲメールデガレリー (絵画館) 博物館・美術館・ギャラリー

  • Netherlandish Proverbs<br />Oil on Panel 117x163cm 1559<br />「ネーデルランドの諺」です<br /><br />この絵には118のネーデルランド地域の昔からの諺が描かれています。<br />作品の前には絵画館が作成した「118の諺の図解の解説書」があります。<br />来場者は解説書の番号で118の諺たちを観察して楽しんでいました。<br />各国の言語で準備されています。<br /><br />3年もかけてイタリアでルネッサンスの巨匠たちの画法を学んだにもかかわらずブリューゲル(父)がイタリアルネッサンスの画法をなぜ踏襲しなかったのか?<br />興味あるところです。<br /><br />当時の主流の均整美の方が「商売になった」と思います。<br />当時のメインの注文は教会から入っていました。<br />「無骨」で美しくない描写に固執したのはなぜか?<br />教会向けの宗教画を描かなかったのはなぜか?<br />興味があるところです。<br />そのブリューゲル(父)の立ち位置が魅力を感じる理由なのかも知れません。

    Netherlandish Proverbs
    Oil on Panel 117x163cm 1559
    「ネーデルランドの諺」です

    この絵には118のネーデルランド地域の昔からの諺が描かれています。
    作品の前には絵画館が作成した「118の諺の図解の解説書」があります。
    来場者は解説書の番号で118の諺たちを観察して楽しんでいました。
    各国の言語で準備されています。

    3年もかけてイタリアでルネッサンスの巨匠たちの画法を学んだにもかかわらずブリューゲル(父)がイタリアルネッサンスの画法をなぜ踏襲しなかったのか?
    興味あるところです。

    当時の主流の均整美の方が「商売になった」と思います。
    当時のメインの注文は教会から入っていました。
    「無骨」で美しくない描写に固執したのはなぜか?
    教会向けの宗教画を描かなかったのはなぜか?
    興味があるところです。
    そのブリューゲル(父)の立ち位置が魅力を感じる理由なのかも知れません。

  • 美術館に置いてある組み立て出来るキャスターを持って来てじっくり鑑賞を楽しむ人たちもいます。<br />左側の人は展示のそばに置かれた「諺の解説シート」覗き込みながら諺探しを楽しんでいます。<br /><br />ブリューゲル(父)は驚くほど細密に描く技術を持った画家です。<br />解説シートを参照しながら絵を読み解くのも大変です。<br />目も疲れますが、首も疲れます。<br /><br />「諺の解説シート」にはドイツ語版、英語版があります。<br /><br />写真のこの若いペアのように貸し出しのキャスターを借りて来て鑑賞を楽しむのが良いと思います。<br />ソファの脇に解説書が置かれていますが、ソファの場所から作品の細かい部分を見るのはあまりにも遠いようです。<br /><br /><br />ベルリンの宿泊先はキッチン付きのアディナアパートメントホテルベルリンチェックポイントチャーリーでした。<br />絵画館まで2km30分です。

    美術館に置いてある組み立て出来るキャスターを持って来てじっくり鑑賞を楽しむ人たちもいます。
    左側の人は展示のそばに置かれた「諺の解説シート」覗き込みながら諺探しを楽しんでいます。

    ブリューゲル(父)は驚くほど細密に描く技術を持った画家です。
    解説シートを参照しながら絵を読み解くのも大変です。
    目も疲れますが、首も疲れます。

    「諺の解説シート」にはドイツ語版、英語版があります。

    写真のこの若いペアのように貸し出しのキャスターを借りて来て鑑賞を楽しむのが良いと思います。
    ソファの脇に解説書が置かれていますが、ソファの場所から作品の細かい部分を見るのはあまりにも遠いようです。


    ベルリンの宿泊先はキッチン付きのアディナアパートメントホテルベルリンチェックポイントチャーリーでした。
    絵画館まで2km30分です。

  • 8枚目はオーストリアのウィーンに飛びます。<br />ウィーンの美術史美術館です。<br />美術史美術館にはブリューゲル(父)の油彩画が12枚もあります。<br /><br />写真は美術史美術館のブリューゲルルームで先生の話を静かに聞く小学生たちです。<br />左が「謝肉祭と四旬祭の戦い」、右に「子供の遊び」

    8枚目はオーストリアのウィーンに飛びます。
    ウィーンの美術史美術館です。
    美術史美術館にはブリューゲル(父)の油彩画が12枚もあります。

    写真は美術史美術館のブリューゲルルームで先生の話を静かに聞く小学生たちです。
    左が「謝肉祭と四旬祭の戦い」、右に「子供の遊び」

    美術史美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • The Fight between Carnival and Lent<br />Oil on Panel 118x164cm 1559<br />「謝肉祭と四旬節のたたかい」<br /><br />この作品は、1559年制作です.<br />ブリューゲル(父)が3年間イタリアへ当時の最新の画法の研修を終えアントワープへ戻ってから5年後の作品です。<br />画面構成、人物の描き方にイタリアルネッサンスの影響は全くありません。<br />ネーデルランドの「民衆の泥臭さ」を表現するのには自分の手法が良いのだとブリューゲル(父)は考えたのかも知れません。<br />ブリューゲル(父)程の画力があればイタリヤ風を模する事は容易だったし、当時の主流であるイタリア風の画風に仕上げた方が売れたと思います。<br />彼はそうしませんでした。<br /><br />ブリューゲル(父)の作品はハプスブルク家の神聖ローマ皇帝ルドルフ2世のコレクションでした。<br />1748年に宝物館からウィーンに移されました。<br />そのコレクションが美術史美術館の基礎になっています。

    The Fight between Carnival and Lent
    Oil on Panel 118x164cm 1559
    「謝肉祭と四旬節のたたかい」

    この作品は、1559年制作です.
    ブリューゲル(父)が3年間イタリアへ当時の最新の画法の研修を終えアントワープへ戻ってから5年後の作品です。
    画面構成、人物の描き方にイタリアルネッサンスの影響は全くありません。
    ネーデルランドの「民衆の泥臭さ」を表現するのには自分の手法が良いのだとブリューゲル(父)は考えたのかも知れません。
    ブリューゲル(父)程の画力があればイタリヤ風を模する事は容易だったし、当時の主流であるイタリア風の画風に仕上げた方が売れたと思います。
    彼はそうしませんでした。

    ブリューゲル(父)の作品はハプスブルク家の神聖ローマ皇帝ルドルフ2世のコレクションでした。
    1748年に宝物館からウィーンに移されました。
    そのコレクションが美術史美術館の基礎になっています。

  • 「謝肉祭と四旬節のたたかい」の下部中央部分の拡大です。<br /><br />謝肉祭(しゃにくさい、カーニバル)とはカトリックなどの文化圏で行われるお祭りのことです。今でも、ヴェネツィアの仮面カーニバルとかリオデジャネイロのカーニバルが知られています。ベルギーのバンシュのカーニバルは世界遺産に登録されています。<br /><br />四旬節(しじゅんせつ、レント)とはカトリック教会のエリアに、復活祭の46日前の水曜日(灰の水曜日)から復活祭の前日(聖土曜日)までの期間のことです。<br />四旬節の期間では食事の節制と祝宴の自粛を行い償い業が行われます。<br />信徒は祈りと断食と慈善を通じて悔い改めを行います。<br /><br />画面に描かれているように、カーニバルはエネルギッシュで猥雑なものです。お祭りを楽しむ民衆の姿は、イタリヤルネサンスの優雅な人物フォルムよりもブリューゲルの描く農民の姿がふさわしのかと思います。<br /><br />謝肉祭や四旬節に馴染みのない日本人には分かりにくい作品です。<br /><br />ブリューゲル関連の書籍に荻野アンナ氏の著作「ブリューゲル 、飛んだ」があります。<br />文中に「盆と正月の喧嘩」というパロディ的な言葉があったのを思い出しました。<br /><br />荻野アンナ氏はNHKの日曜美術館のブリューゲル特集にコメンテーターとして登場するほどブリューゲルに造詣のある方です。

    「謝肉祭と四旬節のたたかい」の下部中央部分の拡大です。

    謝肉祭(しゃにくさい、カーニバル)とはカトリックなどの文化圏で行われるお祭りのことです。今でも、ヴェネツィアの仮面カーニバルとかリオデジャネイロのカーニバルが知られています。ベルギーのバンシュのカーニバルは世界遺産に登録されています。

    四旬節(しじゅんせつ、レント)とはカトリック教会のエリアに、復活祭の46日前の水曜日(灰の水曜日)から復活祭の前日(聖土曜日)までの期間のことです。
    四旬節の期間では食事の節制と祝宴の自粛を行い償い業が行われます。
    信徒は祈りと断食と慈善を通じて悔い改めを行います。

    画面に描かれているように、カーニバルはエネルギッシュで猥雑なものです。お祭りを楽しむ民衆の姿は、イタリヤルネサンスの優雅な人物フォルムよりもブリューゲルの描く農民の姿がふさわしのかと思います。

    謝肉祭や四旬節に馴染みのない日本人には分かりにくい作品です。

    ブリューゲル関連の書籍に荻野アンナ氏の著作「ブリューゲル 、飛んだ」があります。
    文中に「盆と正月の喧嘩」というパロディ的な言葉があったのを思い出しました。

    荻野アンナ氏はNHKの日曜美術館のブリューゲル特集にコメンテーターとして登場するほどブリューゲルに造詣のある方です。

  • これはウィーンの美術史美術館で開催された没後450年展の写真です。「謝肉祭と四旬節のたたかい」が拡大コピーされていました。<br /><br />画面に描かれている当時の日用品の実物が置かれておりそれぞれ解説されているという仕組みでした。<br />

    これはウィーンの美術史美術館で開催された没後450年展の写真です。「謝肉祭と四旬節のたたかい」が拡大コピーされていました。

    画面に描かれている当時の日用品の実物が置かれておりそれぞれ解説されているという仕組みでした。

  • 画面のハイライトされた部分の日用品が手前のショーケースに置かれて、解説されているという展示でした。<br /><br />美術史美術館の入り口には「バベルの塔」の等身大に拡大されたコピーがありました。「謝肉祭と四旬節のたたかい」は壁面一杯の大きさまで拡大されていましたが全く破綻がなくブリューゲル (父)の細密画技術の高さを再確認出来る展示でした。

    画面のハイライトされた部分の日用品が手前のショーケースに置かれて、解説されているという展示でした。

    美術史美術館の入り口には「バベルの塔」の等身大に拡大されたコピーがありました。「謝肉祭と四旬節のたたかい」は壁面一杯の大きさまで拡大されていましたが全く破綻がなくブリューゲル (父)の細密画技術の高さを再確認出来る展示でした。

  • デメルのケーキとお茶はウィーンの楽しみです。<br />2階が空いていますので落ち着けます。<br />階段の途中から厨房の様子をガラス越しに見学出来ます。<br /><br />日本のデメルは風月堂がライセンス生産してデパートに入っています。

    デメルのケーキとお茶はウィーンの楽しみです。
    2階が空いていますので落ち着けます。
    階段の途中から厨房の様子をガラス越しに見学出来ます。

    日本のデメルは風月堂がライセンス生産してデパートに入っています。

    デメル カフェ

  • 9枚目です。<br />Children&#39;s Game<br />Oil on Panel 118x161 1560<br />「子どもの遊び」 <br />これもウィーン美術史美術館にあります。<br /><br />この絵には250人以上の子供が描かれています。<br />16世紀は特別に作られた「遊具」がまだ無かった時代なので子供たちは木切れや骨とかワッカとか使い終わった樽とかの不要になったものを玩具にして遊んでいます。<br /><br />子供たちと言ってもよく見るとある遊びの部分で描かれたその表情は年齢不詳のようです。<br />そのような見方から考えるとブリューゲルは「大人たちの生きざま」も「子供の遊び」のようだと言いたかったのかも知れません。<br /><br />絵を見て何を思うかは個人で違います。<br />ましてや、ブリューゲル(父)の作品は特に作者が意図を隠して暗示的に描いている箇所があるので多種多様な理解があって良いと思います。<br /><br />同じ鑑賞者が見ても、その日の気分や体調などで異なった印象がある事は「良い作品」の条件のひとつだと思います。

    9枚目です。
    Children's Game
    Oil on Panel 118x161 1560
    「子どもの遊び」 
    これもウィーン美術史美術館にあります。

    この絵には250人以上の子供が描かれています。
    16世紀は特別に作られた「遊具」がまだ無かった時代なので子供たちは木切れや骨とかワッカとか使い終わった樽とかの不要になったものを玩具にして遊んでいます。

    子供たちと言ってもよく見るとある遊びの部分で描かれたその表情は年齢不詳のようです。
    そのような見方から考えるとブリューゲルは「大人たちの生きざま」も「子供の遊び」のようだと言いたかったのかも知れません。

    絵を見て何を思うかは個人で違います。
    ましてや、ブリューゲル(父)の作品は特に作者が意図を隠して暗示的に描いている箇所があるので多種多様な理解があって良いと思います。

    同じ鑑賞者が見ても、その日の気分や体調などで異なった印象がある事は「良い作品」の条件のひとつだと思います。

    美術史美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • 画面中央の下です。<br />この部分では樽で遊んでいます。<br />樽に跨がって遊ぶ二人の男が描かれています。<br />その下の輪っかを転がしている男の奥にある樽には座り込んだ女の子(大人の女性に見えますが)が樽の穴を手で押さえて叫んでいます。<br />樽の中に共鳴する自分の声を楽しんでいます。<br />この女の子を大人だとして見るならば、誰も聞いていないのに話し続けているところと言うシニカルな場面に見えるでしょうか。<br /><br />その右側には太った女の子が風船を膨らましています。<br />ゴム風船などなかった当時は豚の膀胱が玩具になりました。<br /><br /><br />「ブリューゲル・さかさまの世界」という本が大月書店から出ています。<br />ハンガリーの画家、作家であるカシュヤーノシュが「子供の遊び」、「ネーデルラントの諺」、「バベルの塔(大)」の3作品を子供たちに語りかける口調で解説しています。<br />原著はA4サイズでフルカラー印刷の大型サイズの絵本だったそうですが、日本では出版会社の予算の都合か縮小版でモノカラーという仕様になっています。

    画面中央の下です。
    この部分では樽で遊んでいます。
    樽に跨がって遊ぶ二人の男が描かれています。
    その下の輪っかを転がしている男の奥にある樽には座り込んだ女の子(大人の女性に見えますが)が樽の穴を手で押さえて叫んでいます。
    樽の中に共鳴する自分の声を楽しんでいます。
    この女の子を大人だとして見るならば、誰も聞いていないのに話し続けているところと言うシニカルな場面に見えるでしょうか。

    その右側には太った女の子が風船を膨らましています。
    ゴム風船などなかった当時は豚の膀胱が玩具になりました。


    「ブリューゲル・さかさまの世界」という本が大月書店から出ています。
    ハンガリーの画家、作家であるカシュヤーノシュが「子供の遊び」、「ネーデルラントの諺」、「バベルの塔(大)」の3作品を子供たちに語りかける口調で解説しています。
    原著はA4サイズでフルカラー印刷の大型サイズの絵本だったそうですが、日本では出版会社の予算の都合か縮小版でモノカラーという仕様になっています。

  • 2016年末の宿泊はDas Tyrolでした。<br />こじんまりしたホテルでテラス付きの部屋を案内してもらいました。

    2016年末の宿泊はDas Tyrolでした。
    こじんまりしたホテルでテラス付きの部屋を案内してもらいました。

    Boutiquehotel Das Tyrol ホテル

  • Das Tyrolの朝食<br />卵料理は注文に応じて作ってくれます。

    Das Tyrolの朝食
    卵料理は注文に応じて作ってくれます。

  • ブリューゲル(父)30歳の1555年の「イカロスの墜落のある風景」から1560年35歳で描いた「子供の遊び」までの9作品を見てきました。<br /><br />写真はブリュッセルにあるノートルダムドラシャペル教会の中央祭壇です。<br /><br />この教会で1563年にブリューゲル(父)は38歳で結婚式を挙げ、わずか6年後の1569年には同じこの教会にブリューゲル(父)は44歳で埋葬されています。<br /><br />ブリューゲル(父)の死については細かい記録は残っていません。<br />長くなりますがいつか改めて書いておきたいテーマです。<br />ーーーーーーーーーー<br />2019年に米寿を迎えた曽野綾子氏に「ブリューゲルの家族-幸せをさがす二十五の手紙」という著作があります。<br /><br />ブリューゲル(父)のそれぞれの作品を軸に一般家庭の主婦からの手紙という形で展開する連作小説です。<br /><br />曽野綾子氏は40代で中心性網膜炎にかかりこのままでは失明するという危機にありました。<br />1981年50歳の時に手術が奇跡的に成功して常人以上の視力を得ることが出来ています。<br /><br />1981年以降に書かれたこの小説で書かれているブリューゲル(父)の作品からの引用には画面の細密部分を奇跡的に回復した視力で鑑賞できるようになった曽野綾子氏の「見る喜び」に溢れていると思います。<br /><br />曽野綾子氏は回復した視力で「見る喜び」をブリューゲル(父)の細密画の鑑賞作業に発見したのだと思います。

    ブリューゲル(父)30歳の1555年の「イカロスの墜落のある風景」から1560年35歳で描いた「子供の遊び」までの9作品を見てきました。

    写真はブリュッセルにあるノートルダムドラシャペル教会の中央祭壇です。

    この教会で1563年にブリューゲル(父)は38歳で結婚式を挙げ、わずか6年後の1569年には同じこの教会にブリューゲル(父)は44歳で埋葬されています。

    ブリューゲル(父)の死については細かい記録は残っていません。
    長くなりますがいつか改めて書いておきたいテーマです。
    ーーーーーーーーーー
    2019年に米寿を迎えた曽野綾子氏に「ブリューゲルの家族-幸せをさがす二十五の手紙」という著作があります。

    ブリューゲル(父)のそれぞれの作品を軸に一般家庭の主婦からの手紙という形で展開する連作小説です。

    曽野綾子氏は40代で中心性網膜炎にかかりこのままでは失明するという危機にありました。
    1981年50歳の時に手術が奇跡的に成功して常人以上の視力を得ることが出来ています。

    1981年以降に書かれたこの小説で書かれているブリューゲル(父)の作品からの引用には画面の細密部分を奇跡的に回復した視力で鑑賞できるようになった曽野綾子氏の「見る喜び」に溢れていると思います。

    曽野綾子氏は回復した視力で「見る喜び」をブリューゲル(父)の細密画の鑑賞作業に発見したのだと思います。

    ノートル ダム ド ラ シャペル教会 寺院・教会

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この旅行記へのコメント (11)

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  • mistralさん 2020/11/23 08:56:42
    ブリューゲル研究者さんへ
    norio2boさん

    おはようございます。
    昨日は、旅行記を拝見したままで、時間が取れずに失礼しました。

    norio2boさんのブリューゲル総集編がアップされていたはずと思い
    訪問させていただきましたが、旅行時期順の並びでしたのですぐ見つからず、
    更新日時順で検索しましたら発見出来ました。

    ご予定では4編に分けて編集されるとのことでしたが
    13年間にも及ぶ長期の探訪の旅!
    4編に圧縮されるのも大変なお仕事と想像しております。
    2編は拝見したはずと思っておりましたが、第1編はまだ未読であったことが
    わかりました。
    貴重な1編の見落としがわかったこと、よかったです。

    norio2boさんの旅行記から触発され、ベルリンの美術館で「ネーデルランドの諺」を
    じっくりと鑑賞し、それまでも幾つかは出会っていてもいかに雑に見ていたか!
    思い知りました。
    その折には、いかに細部にわたって描き込まれていることなど、知れば知るほど
    ブリューゲルに興味を抱いたことでした。

    ブリューゲルの研究者としてのnorio2boさんの旅行記、総集編は
    次に鑑賞の機会があるならば、事前に予習をさせていただき、望みたいと
    考えております。

    このコロナ禍の折ですが、お元気でお過ごし下さいませ。

    mistral

    norio2bo

    norio2boさん からの返信 2020/11/23 14:15:22
    Re: ブリューゲル研究者さんへ
    mistralさん

    こんにちは!
    メッセージをありがとうございます。
    mistralさんの旅行記楽しみに拝見しています。

    今年に予約した海外旅行のエア代とホテル代は全て全額返却されました。
    全部で3件だったのですが最後のANAのキャンセルは11月で5000億円の赤字、従業員の他企業への派遣が発表された後でした。
    電話の窓口の女性には気の毒で申し訳なくキャンセルさせて頂きました。

    観光の海外旅行は普及不要と言われればその通りかもしれません。
    2年後か3年後に一般人でも海外旅行できるようになる時まで体力維持に努めていきたいと思っています。

    第3部少しずつまとめています。
    アップしたらご意見お聞かせ頂けると嬉しいです。

    今後ともよろしくお願い致します。


  • youさん 2020/08/03 17:58:00
    ブリューゲル大好き
    norio2boさん

    メールをいただきましてありがとうございます。「ブリューゲル大好き」のコミュニティ、すっかりご無沙汰しております。

    このたびの総集編第1部、早速拝見させていただきました。 力作に引き付けられて楽しく絵画鑑賞することができました。部分拡大した人物の解説等、とても参考となります。

    コロナ禍の中で、しばらく海外の美術館巡りができなくなりましたが、norio2boさんの第2部以降も楽しみにしております。

    you

    norio2bo

    norio2boさん からの返信 2020/08/04 17:48:40
    Re: ブリューゲル大好き
    youさん

    毎日暑い日が続いています。
    お元気ですか?
    暑い時のマスクは苦しいです。

    2月のローマ旅行記拝見しました。
    海外ツアーの添乗員やっている若い友達がいるのですが、3月中旬日本帰国が最後の仕事だったと言っていました。

    「ブリューゲル大好き」のコミニュティは申し訳ありませんがこれといった活動が出来ていません。
    今回の総集編でご入会してくれる方があれば良いのですが。

    第1部では各美術館のHPのアドレスを貼ってあります。
    ヴァーチャルツアーのできる美術館もあるようです。
    お暇の時にお試しください。

    今後とも宜しくお願い致します。
    何か気づかれたことがあればご指摘ください。
  • frau.himmelさん 2020/08/03 00:21:16
    ブリューゲル総集編、素晴らしい~~!
    norio2boさん、こんばんは。
    いつもありがとうございます。

    ブリューゲルの総集編、じっくり拝見させていただきました。やはりnorio2boさんのブリューゲルは凄い!と思いながら。
    私も絵画は好きでまたブリューゲルも大好きです。
    norio2boさんのブリューゲルの旅行記はいつも楽しみながら拝見しておりました。

    ブリューゲル関連の旅行記は32編にもなったのですか?
    ブリューゲルと言ったらnorio2boさん、norio2boさんと言ったらブリューゲル・・・。そのくらい私の頭には染みついています。
    norio2boさんのまさにライフワークみたいなものですね。

    そして今回から「総集編」。
    そうそう、それでなきゃあ~と、人様のことながらすごく安心いたしました。
    この時期だからこそゆっくり立ち止まって、総集編がお出しになれたのですね。もし今年も旅ができていたら、norio2boさんもきっとどこかへお出かけになり、そちらの旅行記が優先されるでしょうから、総集編どころではなかったでしょうから。
    そう思うと世界中を震撼させているコロナは憎い奴だけど、自粛生活の中で楽しみを見つけて、それにじっくり取り掛かれるのも今だからこそ、ですね。

    ブリューゲル総集編、とっても構成がいいですね~。
    norio2boさんが十数年に亘ってブリューゲルにかかわっていらっしゃった総集編。そんなnorio2boさんならではの、ブリューゲルの絵画の細部に亘る懇切丁寧な説明に、人物や場所にまつわる興味をそそられる説明に、読者はブリューゲルの世界にどっぷり引き込まれます。
    そして頃合いを見計らったかのように、おやつが出てくるのです(笑)。美術館の話だったり、ホテルや街の案内だったり、そのものずばりのカフェタイムの美味しいケーキだったり・・・。
    ちょっと一息ついてくださいというnorio2boさんの思いやりですね。

    私、総集編を見せていただいている間、これをこのまま旅行記だけで終わらせるのは勿体ない、と考えていました。
    もっと広くみんなの目の触れるように、しかるべきときにしかるべきようになさったらいかがかなと思いました。

    総集編は4まで続くのですね。続きが楽しみです。
    私が実際に見たのはいくつあるのかな、とそれを数えるのも楽しみです(笑)。

    himmel

    norio2bo

    norio2boさん からの返信 2020/08/03 12:17:57
    Re: ブリューゲル総集編、素晴らしい~~!
    himmelさん

    ご批評と励ましのメッセージありがとうございました。

    いつも旅行記楽しく拝見しています。
    パリの旅行記シリーズも楽しく拝見拝読させて頂きました。

    コロナで大きく変わります。
    新しい海外旅行の形態のいくつかの部分がバーチャルになるとすれば4Tの旅行記にはその可能性があるのかも知れないなと思っています。
    気に入った写真をタップすればそのエリアのヴァーチャルツアーに入って歩いて行けるーーなんて今の技術レベルでも出来そうです。
    おまけに無料なのも今の時代にふさわしいと思います。

    ーーーーーーーー
    総集編はご指摘の通りコロナ自粛によりおかげさまで有り余る時間ができたことの賜物です。

    当初案としては
    1)ベスト10のように好きな順に並べる
    2)エリア別に欧州編、アメリカ編とか ブリューゲルを訪ねる世界一周旅行みたいな
    3)制作された順に並べる
    とかを考えました。

    ブリューゲルの作者としての変化と変遷の過程を整理してみたいと3)にしました。

    写真1枚に文字数が多いのも読みづらいとなるべく文字数を圧縮しました。読みやすように改行し段落をあけました。

    2018年のパリ旅行の前後の時期にまとめた「ブリューゲルとその時代」という歴史年表が役に立ちました。

    ブリューゲルに関心を持って頂き、ファンになって頂けたらと思っています。
    その為には全体を通してお読み頂けるような編集が必要だと思っています。

    読み直してみると誤字脱字、日本語として変な部分にぶつかります。

    引き続きご指摘を頂戴したいと思っています。

    2部以降もよろしくお願い致します。

    追伸
    コロナは8月中旬から本格化しそうです。
    ご家族でくれぐれもご自愛下さい!
  • ドロミティさん 2020/08/02 18:02:45
    こんにちは^^
    norio2boさんへ

    ご丁寧なメールをいただきましてありがとうございます。
    フォローもしているのに何故かnorio2boさんにメールを
    送信できないのでこちらに書き込みませていただきます。

    毎回完成度の高い旅行記を拝見して、読後はいつも言葉では
    表現しがたい充足感を覚えています。
    昨年のパリからの手紙もストーリ性があってまるで連載ものの
    続きを読むような楽しさがありました。
    恥ずかしながらロダンとクローデルの関係もただ師匠と弟子
    としか認識がなかったのでとても感動しました。
    フランスの大規模ストライキのせいで叶いませんでしたが、
    今年の1月のパリ訪問時にはノジャン シュル セーヌまで足を
    延ばしてカミーユ クローデルの作品を見るつもりでした。

    今回のブリューゲルを訪ねる旅総集編も2005年から15年間の
    集大成ですね。
    絵画を観るのは大好きですが、恥ずかしながら素養もないので
    私ごときが恐縮ですが、ブリューゲル(父)の作品を制作年順に
    ベルギーの街並みやグルメと共に詳しくご紹介してくださって
    とても素敵な着想で洗練された旅行記だと思いました!

    第二部も楽しみにいたしております。

                        ドロミティ

    ドロミティ

    ドロミティさん からの返信 2020/08/02 18:13:01
    追伸
    僭越ながら、ひと言申し添えさせてください。

    せっかくの新作ですから、当面の間旅行記を更新順にされる等、
    norio2boさんのページにお邪魔したときに最初に目に入るように
    されても良いのではないでしょうか、、、、、?

    norio2bo

    norio2boさん からの返信 2020/08/03 09:52:03
    Re: こんにちは^^
    ドロミティさん

    早速のご批評コメント2通受信しました。
    ありがとうございます。
    以降の編集に反映させて頂きます。

    今回の総集編はコロナによる海外旅行停止と一般生活の自粛で有り余る時間が出来たお陰で作り始めました。

    最初は2部構成の構想で第1部は21枚でした。
    作り始めると当時の時代背景だとか、アントワープの聖ルカ組合の話だとか何度も煩雑に繰り返して書いたりしていて
    解決策として9枚と12枚に旅行記を分割することにしました。

    読者の方に負荷なくお読み頂ける量は写真枚数で40枚以内と思っています。

    第1部はブリューゲルの生い立ちのところは長過ぎて短く削るのに苦労をしました。

    この旅行記でブリューゲル に関心を持って頂けること、出来ればファンになって頂けることを願っています。

    その為には飽きることがなく1部の場合だったら最後の曽野綾子さんの話までお読み頂ける工夫が必要です。

    旅行の次に料理とケーキ作りの趣味を持っています。
    自分で作っていると美味しいのか不味いのかよく分からない場面があります。
    10人に1人くらい「美味しい!」と言ってくださる人がいたりします。
    そんな感じです。

    今後とも何かアドバイスありましたら教えて下さい。
  • Daisyさん 2020/08/01 14:54:21
    ブリューゲル大好き!
    norio2boさん、こんにちは♪

    いつも旅行記を読んでいただきありがとうございます!

    超大作の総集編第1部の作成、お疲れさまです。
    クチコミも含めてじっくりと拝見させていただきました。
    詳しい解説でとても良く分かりました!

    norio2boさんの「ブリューゲルをたずねる旅」を拝見してブリューゲル(父)の作品の「見る楽しみ」を知り、本当に細かいところまで描き込んでいるブリューゲル(父)の作品が大好きになり、それ以来海外で実物を見るのが楽しみになっております(^^)

    昨年のベルリン旅行記がまだのためその後にご報告が遅れておりましたが「ネーデルランドの諺」の実物は詳細がとても良く分かり感動しました。
    旅行記で「「1m以上離れて下さい」と優しい言葉で静かに注意された」という想い出が書かれていましたが、私も「ネーデルランドの諺」にギリギリ近づき上下左右じっくり見てしまい、あの場に何時間でもいられると思ったくらいです。
    実際には閉館ギリギリまでいたため係員の方に「明日もいらっしゃい」と言われてしまいました(笑)
    展示がなくご覧になれなかった「2匹の猿」は幸いにも展示されていて、作成までの経緯の解説もありましたので、旅行記をなるべく早くアップしなくてはと思っております。

    ウィーン美術史美術館は2018年9月に行ったため、2019年1月13日迄のブリューゲルの没後450年の展示の準備で倉庫に入ってしまい、残念ながら数点しか見る事ができませんでした(泣)。再訪する時はブリュッセルとセットで見に行きたいと思います!

    総集編の作成は大変だと思いますが、続きもとても楽しみにしております。
    感染者数が拡大して心配な日々ですが、おからだにお気をつけてお過ごしください。

    Daisy

    norio2bo

    norio2boさん からの返信 2020/08/01 22:40:32
    Re: ブリューゲル大好き!
    Daisyさん

    メッセージをありがとうございます。
    旅行記拝見しています。
    いつも明るい旅行記に癒されています。

    今年の春の段階で
    海外旅行は3年は出来ないし、
    再開出来ても特別な証明書とか新しいルールが必要とされると予想して話していました。

    実際に現在そうなっているので複雑な心境です。

    2020年は年初に3つの航空券を買っていました。

    5月にイタリアレッジョエミリア
    ミュンヘン~ボローニャから電車でレッジョエミリア
    幼児教育レッジョエミリアアプローチを現地で見る キャンセル済み

    7月にメキシコオアハカ
    メキシコシティ~オアハカ
    ゲラゲッツァ祭 キャンセル済み

    あと
    12月にミュンヘンとブリュッセル
    特典ビジネスで奥さんサービス
    12月分はこれからキャンセルの予定

    航空券代、ホテル代が満額返って来ています。
    カードの請求ゼロが続いています。

    メキシコの航空会社エアロメヒコチャプター11(破産申告)の予想もあるようです。

    Go to Travelの反映は8月からどうなるか?
    息子夫婦と孫が都内在住なので心配しています。

    Daisyさんご一家も「自分の事は自分で守る」を基本に困難を乗り切ってください。

    ブリューゲルの総集編第1部お読み頂きありがとうございました。

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