2018/11/26 - 2018/12/02
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2018年の11月にウィーンの美術史美術館で開催された「ブリューゲル没後450年展」を見に行きました。
現存する油彩作品の7割と膨大な数の版画と下絵の原画が展示されていました。
この数年間続けて来た「ブリューゲル をたずねる旅」のいくつかの場面が思い出されました。
4日ウィーンにいましたので2回見に行きましたが興味は尽きなかったです。
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その後は
ウィーンからブリュッセルに飛び6泊しました。
ブリューゲルが埋葬されたノートルダムドラシャペル教会への墓参や、
「ブリューゲルの家」で450年に相応しいイヴェントがあるのではないかとの期待、
ブリューゲルの作品がウィーンに貸し出されて「お留守中の」ベルギー王立美術館はどんな趣向で展示しているのか?
とか見られればと考えていました。
ブリューゲルのコレクションではウィーンとブリュッセルが双璧です。
作品を貸し出して「お留守中」のベルギー王立美術館のブリューゲルルームはどんな展示をしているのでしょうか?
表紙に使った写真は「お留守中の」ベルギー王立美術館に展示されていたブリューゲル長男作の「雪の中の東方三博士の礼拝」です。
ブリューゲル(父)の作品(真筆)はスイスのヴィンタートゥールのオスカーラインハルト美術館にあります。
この長男作の模作画の一枚がベルギー王立美術館に収蔵されているのは聞いていましたが、初めて見ました。
ブリューゲル(父)の没後450年展で作品が貸出しになったため通常では展示されていないこの作品を収蔵倉庫から出して来て、空いた壁面に展示してくれていたのです。(一般的には絵のモノクロのコピーが飾ってあってどこどこの美術館に貸出しになっていてすみませんといった表示が多いのですが、、、)
この長男作は父の作品を再現しているという範囲で非常に良くできていると思います。
でも、長男の作品には父の作品の模作としては、致命的な欠落があります。
ブリューゲル作品が「お留守中」でもベルギー王立美術館はとても楽しめる展示をしていました。
寄り道して良かったです。
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ブリュッセル空港からグランプラス近くのホテル「ノボテルブリュッセルオフグランドプレイス」まではUberを使いました。
写真はUber の画面です。乗車場所が表示されています。呼んだ車が近づいて来るのに合わせて向きを変えたり曲がったり画面上の車も移動します。吹き出し文字で「2分遅れています」と表示されていますね。
上の黒ベタの四角に白文字で「空港のアライバル棟の前にある駐車場棟のレベル4が乗車場所にお迎えに上がります」と書かれています。
同じ年(2018年)の9月にニューヨークのマンハッタンでUberを呼びましたがこの画面サービスはありませんでした。ドライバーに音声電話してお互いの場所を確認しました。ブリュッセル空港 (BRU) 空港
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ノボテルブリュッセルオフグランドプレイスにUberで到着(39.86ユーロ)しました。
前回2016年の時は空港からタクシーで45ユーロでした。ブリュッセルの場合はタクシーの値段より少し安いようです。
今回の帰りの空港までのUberは36.96ユーロで前回2016年の時のタクシーが56ユーロでした。
初めてのホテルまでは高齢者にとって石畳をコロコロ行くのは辛いので基本的にタクシーにしています。ノボテル ブリュッセル オフ グランド プレイス ホテル
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2016年も同じホテルを利用しました。
今回は、部屋は入るとクローゼットの小部屋が手前にあってトイレの部屋とバスルームがあって、奥のベッドルームも一回り広かったです。
ホテル代金は前回は8泊で1泊あたり16600円、 今回は6泊で1泊あたり25500円でした。
2015年の年末にはパリでテロ事件がありました。
逃亡した犯人の潜伏先がブリュッセルだという事で市内が警戒レベル4になりました。
僕が行ったのは翌年2016年で警戒レベルはレベル3に引き下げられて通常の生活に戻っていました。
それでも、観光客が少なくてホテルの宿泊客も少なく朝食の広いレストランに僕ひとりのことが何回かありました。 -
部屋から見下ろした景色はあの時と同じでした。
手前の黄色い施設はレンタル自転車です。グラン サブロン広場 広場・公園
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こっちも同じです。
この左右のレストランはテイクアウト含めて行列が出来るほどの人気店なので試して見ましたがおススメ出来ません。 -
ベルギー王立美術館までは歩いて10分くらいでしょうか。
中央駅の前を通り、なだらかな坂道をすすみ、信号を渡って芸術の丘の道を進み、楽器博物館を右に見て、王宮に突き当たり右折するとベルギー王立美術館です。
今ではルネマグリット(1898~1967)という幻想的で暗示的なシュールな絵を表現するベルギーの作家の専門美術館も併設されています。芸術の丘 広場・公園
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ブリューゲル (父)の作品は500年近く前に制作されています。42に近い油彩作品が剥離せずに現存していることは奇跡と思って良いと思います。
今回のウィーンの美術史美術館の開催に合わせて運ばれる予定だった候補作品のうち損傷の危険ありと判断されて見送られたものもあったようです。
Googleを中心に各美術館と協働でデジタルデータで作品を保存する活動が進められています。
写真はベルギー王立美術館を入ったところに展示されていた、ブリューゲル(父)のデジタル処理画像です。BRUEGEL Unseen Masterpiecesという名前で展示されていました。ベルギー王立美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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部屋の中にデジタル画像が投影されていました。
ベルギー王立美術館収蔵のブリューゲル(父)の作品がデジタル処理されて高精細で投影されています。
Googleと各美術館がコラボして広範囲な作家たちのデジタル画像データを収集しています。専門家の解説をつけて編集しています。
一般でも閲覧できますので覗いてみて下さい。
下記のアドレスはベルギー王立美術館のブリューゲル作品の部分です。(お好きな作家を検索して楽しんでいただけます。無料登録してログインすれば自分専用のお気に入りの画集を作れます)
https://artsandculture.google.com/u/0/favorite/group/4wLy6hRFF9i_LQ -
ベルギー王立美術館の入場券は3種類あります。
全てが見られる券
古典名画だけの券
マグリットだけの券
古典名画だけのチケットは
一般10ユーロ
シニア(65+)8ユーロ
です。 -
ルーベンスルームです。ひとり占め鑑賞です。
大迫力の画面構成と見上げてしまう大型画面のルーベンスの作品が並んでいます。教会の祭壇画として制作され熱心にカソリック教徒たちが見上げていた宗教画です。
ピーターポールルーベンス Peter Paul Rubens
1577年ウエストファーレン生1640年アントワープにて死去
ブリューゲル(父)がブリュッセルで死んで市内のノートルダムドラシャペルに埋葬されたのが1569年です。
ブリューゲル(父)が亡くなってから8年後にルーベンスは生まれています。
ルーベンスは1598年(21歳)にブリューゲル(父)もいたアントワープの聖ルカ組合に親方(マスター)登録されています。
ルーベンスは大先輩のブリューゲル(父)を強く尊敬というか意識していたと思います。
ブリューゲル(父)の作品のうち少なくとも2枚はルーベンスの財産目録に記帳されています。
画家以上に政治家、外交官であり、大資産家であり、貴族の称号も与えられていたルーベンスの財産目録に載るほど、ブリューゲル(父)の作品は経済的に価値のあるものだったのです。
その1枚は今ではロンドンのコートールド美術館にある「エジプトへの逃避」です。
ご参考まで、コートールドへの旅行記は
https://4travel.jp/travelogue/11085870
もう1枚はロンドン近郊のアプトンハウスにあるグリサイユ画法で描かれた「聖母の死」です。
旅行記は
https://4travel.jp/travelogue/11363104
ルーベンスもブリューゲル(父)と同様にギルド(組合)の登録した後にはイタリアへ画法研修旅行に行っています。親方(マスター)に登録した後に当時のアートの震源地のイタリヤに腕を磨きに行くのが聖ルカ組合のカリキュラムだったのかも知れません。
ルーベンスとブリューゲルの関係でもう一つは次男のヤンブリューゲルがアントワープのルーベンス工房で働いていた事です。
ブリューゲル長男1564年生に続き次男ヤンは1568年生まれです。ルーベンスは1577年ですから9歳年下になります。父の作品の模作をした長男よりも次男のヤンの方が自分のオリジナル作品を描き「絵の才能」はあったようです。
ヤンブリューゲルとルーベンスは家族ぐるみの付き合いをしていました。ロンドンにあるコートールドギャラリーにルーベンスが描いた「ヤンブリューゲルと家族の肖像」という絵が残されています。
コートールドギャラリーへの旅行記は
https://4travel.jp/travelogue/11369427 -
ルーベンスの「東方三博士の礼拝」です。
The Adoration of the Magi
1619年制作(ルーベンス39歳の時の作品)
384x290cmと大きな作品です。
ベルギーの南西部にあるカプシンフランチェスコ教会の祭壇画として注文されたものです。教会で司教が説教する内容、聖書に記述されている内容と整合して(矛盾なく)描かれています。
ブリューゲル(父)は3枚の「東方三博士の礼拝」を残しています。
ベルギー王立美術館(1556年)、ロンドンナショナルギャラリー(1564年)、スイスのヴィンタートゥールにあるオスカーラインハルトコレクション(1567年)です。
それぞれ旅行記を作成していますので興味をお持ちでしたらご覧下さい。
ブリューゲルの場合教会から作品の注文を受けたことはありませんでした。彼の作品は教会にならべられる事はありませんでした。 -
中央の部分を拡大しています。
左側に聖母マリア
その下にイエスキリスト
その下に跪いて礼拝するギリシャのバルタサール王
聖母マリアの右にはターバンをつけたエチオピアのガスパール王
その下には赤い衣装のアッシリアのメルキオール王
が配置されています。聖書の記述を正確に構成しています。 -
聖母マリアと幼子イエスの部分です。
この部分はルーベンスが自ら描いたように見事な表現が完成されています。 -
ルーベンス作「東方三博士の礼拝」の右下の部分の拡大写真です。
全体の構成からバランスを見ると「この少年の横からの姿は」何か取ってつけたように、追加したような印象で書き加えられています。
ルーベンス工房では分業で制作進行されたので仕方がないのことです。人物が得意な職人は人物を、髪の毛や毛皮の得意な人はその部分をというように得意な質感表現での分業だったようです。
この男の子はルーベンスの先妻との間に生まれた長男をモデルにして描かれています。 -
もう1点ルーベンスの作品を撮影していました。
この日のベルギー王立美術館は特別に人がいませんでした。人気のルーベンスルームも閑散としていました。
「ゴルゴダの丘への道行き」
1634年ルーベンス57歳の時の作品です。1640年に慢性の痛風から心不全で死去していますから亡くなる6年前の作品です。
1630年53歳の時に16歳エレーヌと37歳差で再婚しています。再婚後4年目の作品です。
サイズはなんと569x355cmとベルギー王立美術館収蔵のルーベンス作品のうちで一番大きい作品です。
ブリュッセルの郊外にあるアフリゲム修道院の祭壇画として制作されています。
司祭が教徒を説教するミサの時に使用されたのです。 -
画面中央部分の拡大写真です。
十字架の重みに耐えかね倒れたイエスの汗をベロニカが絹のハンカチで拭う場面です。
このハンカチにイエスの顔が転写されたと伝えられています。
この絹のハンカチは「聖顔布」と呼ばれています。
バチカンのサンピエトロ大聖堂に非公開で存在すると言われています。
この絵で注目される事は
イエスの顔
ベロニカの顔
です。
イエスの顔として使われているのはルーベンスの顔でありベロニカの顔は再婚した37歳年下のエレーヌの顔である事だと思います。
痛風に苦しみ自分の身体の衰えを日々感じていた57歳のルーベンスは結婚して4年目の20歳の後妻と共に修道院の祭壇画に自身を描きこみ礼拝を受けたかったのではないかと思います。
この作品の制作1634年の6年後ルーベンスは痛風から心不全を起こし死去しています。
当時のルーベンスの社会的地位と名声と天才的な画力に対しては、教会側もましてや一般の信者は到底文句は言えなかったのだと思います。 -
個人的な意見ですが
まあ~それにしてもと思います。
イエス=ルーベンスの部分のアップです。
多分、自分の顔はルーベンスがみずから筆をとったと思います。
絹のハンカチの繊細な表現はルーベンス工房の繊維専門職人手によるものと思います。
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エルサレムには今でもこの「ゴルゴダの丘への道行き」がヴィアドローサ(悲しみの道)という形で残されています。ヴィアドローサはピラトから死刑判決を受け、埋葬される迄の14のステーションに分けられて巡礼する1kmほどの道です。ベロニカが汗を拭いたのは6ステーションです。
ヴィアドローサに関心がある方は旅行記を作成していますのでご覧下さい。
https://4travel.jp/travelogue/10870820 -
ベロニカ=エレーヌの部分のアップです。
ベロニカが苦しむイエスの汗を拭い癒した6ステーションにはベロニカ教会が建てられています。
聖顔布そのものや聖顔布を持つベロニカの主題は多くの画家により制作されています。
エルグレコ1580年
ジョルジュルオー聖顔布を多数連作
ニューヨークの美術界で前衛アートの旗手として活躍したアンディウォホール(1928~1987)は有名人や商品を主題にしたシルクスクリーンプリント作品で知られています。ウォホールにとって聖顔布は究極のプリントだったようです。
ルーベンスは後妻のエレーヌの肖像画「毛皮をまとったエレーヌフールマン」を同じ時期に描いています。ウィーンの美術史美術館に展示されているのでご覧になった方も多いと思います。
「毛皮をまとったエレーヌフールマン」はルーベンスが全てを制作した作品です。
このベロニカの横顔部分もルーベンスが描いたと思います。 -
ブリューゲルルームの途中で初めて来場者に遭遇しました。
聖アンナ(聖母マリアの母)の三連祭壇画を見入る女性2人。 -
ブリューゲル ルームです。
いつものように閑散としています。 -
ブリューゲル長男作の「謝肉祭と四旬節の戦い」です。
父の真筆はウィーンの美術史美術館にあります。
長男は1564年ブリュッセル生まれ1638年にアントワープで74歳で死去しています。父がなくなったのは1569年ですから長男はまだ5歳でした。長男は父からブリューゲル の画法について学ぶ事はありませんでした。
また、父のメインの作品は王侯貴族や資産家が所有していて一般には見ることが出来ませんでした。
長男はブリューゲル 工房に残された下絵や習作をベースに父の絵を再現したのです。 -
同じく長男作の「ベツレヘムの人口調査」1610年
長男の「ベツレヘムの人口調査」の模作は13枚現存しています。そのうちでもベルギー王立美術館のものが完成度が高いと言われています。
グーテンベルグの印刷技術の発明は1450年です。
この技術は1版(1色)の再現です。聖書の印刷、世界大航海の時代で需要が出た地図の印刷、油彩画は買えないけどという庶民のための版画の印刷が始まりました。
現在のフルカラー印刷が始まるのは色分解技術が開発さされてからです。色分解された色を少なくとも3版で重ね刷りしてフルカラーが再現されます。平版印刷から輪転印刷になり多量のフルカラー複製品が供給されるようになります。
当時のフルカラーは手書きによる複製品だったのです。人気のある作品「鳥罠のある冬景色」は長男作が100点以上残されていると言われています。
現在では印刷技術で色彩の再現だけではなくキャンバス地の布目や絵の具の盛り上がりまで再現する複製画が出てきていて、ミュージアムショップなどでも販売されています。 -
画面中央の荷車に積まれた木樽の底には長男のサインが書かれています。
1610年P.BRVEGHEL
スペルにHが入って記入されています。
ブリューゲル一族の中で父だけはHなしで表記します。 -
父の手による「ベツレヘムの人口調査」1566年です。
ベルギー王立美術館には「ベツレヘムの人口調査」の親子の作品が同じ部屋にあります。比較して鑑賞するのが楽しみです。
長男作は全体的にセピア色でくすんでいます。描画の職人的な作業が未熟なため下地の黄変があったとされています。父の描いている沈む太陽がありません。 -
これも長男作です。
「ベツレヘムの嬰児虐殺」
ウィーンの美術史美術館で開催されたブリューゲル没後450年展には父の作品は来ていなかった。長男の作品が2枚(美術史美術館収蔵品とアプトンハウス収蔵品)展示されていました。
ブリューゲル(父)の「ベツレヘムの嬰児虐殺」は英国の王室が所蔵しています。この絵は唯一実物を見ていないブリューゲル(父)の作品です。
以前はウィーンの美術史美術館の作品が父の作品とされていたのです。
ローヤルコレクションの父の作品は下記のアドレスで高精細画像を見ることができます。
https://www.rct.uk/collection/search#/5/collection/405787/massacre-of-the-innocents -
マタイ福音書の第2章16節の記述です。
ヘロデ王はベツレヘムとその付近の2歳以下の男の子をことごとく殺した。
写真は長男作です。殺された息子を膝に抱き嘆き悲しむ母の部分です。
父の作品は1662年にイギリス国王チャールス2世が購入しローヤルコレクションとなっています。
そして、嬰児が虐殺されている残虐な描写部分は国王の指示で加筆されて、動物や家財道具に塗り加えられてしまいました。
先ほどにローヤルコレクションのHPで確認してみてください。 -
長男作の部分です。父の作品はこうだったのです。
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これも長男作です。父の描いた通り再現しています。
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ローヤルコレクションのHPをあけてご覧頂くのもお手数なのでダウンロードしてアップしておきます。
2019年8月現在はウィンザーキャッスルの「King’s Dressing Room」に飾られていると書いてありました。(ウィンザーキャッスルのドレッシングルームは沢山の国王コレクションが飾られた王の専用室です) -
イギリス国王の指示で嬰児が何か梱包された荷物のようになっています。
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血を流して死んでいる子供が台所用具に塗り隠されています。
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イノシシとガチョウに塗られています。
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表紙の写真に使った長男作の「雪の中の東方三博士の礼拝」です。
父のオリジナルはスイスのヴィンタートゥールのオスカーラインハルト美術館にあります。
オスカーラインハルト美術館への旅は特別に印象に残るものでした。
https://4travel.jp/travelogue/11227167 -
作品の左隅の聖母マリアに抱かれたイエスキリストの前で東方三博士が礼拝しています。聖母マリアの右奥には男性が立っています。
父の作品では降りしきる雪に遮られてよく見えなかった礼拝の様子がクリアーすぎるほど明確に描かれています。
「雪の中の、、」という題名ですが長男作では雪が降り終わってしまっているのです。降る雪の「点々」が描かれていないのです。 -
長男作の画面右下の部分です。
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長男作の画面中央上部の部分です。
雪がないのと技量の差で画面に迫力がありません。 -
「イカロスの墜落のある風景」1555年作
初めて見た頃はブリューゲル(父)の作品として展示されていました。
1555年といえばブリューゲル(父)の一番古い油彩作品でした。
化学分析で工房の誰かが(今は無くなっている)ブリューゲル(父)の作品を模写したものと推定されています。 -
ろうでつけた羽根、イカロスの翼で高く飛びすぎて太陽光でろうが溶けて海に墜落したイカロスの膝からしたがバタバタしています。
海に落ちたイカロスの足の奥には「ナポリ湾の海戦」1558年作(ローマドリアパンフィーリ美術館蔵)に描かれているような軍艦があります。
1561年には組版画「船」を発行しています。 -
軍艦の側面には大砲が描かれています。
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左手上部の拡大写真です。
詳細な描きこみが出来ていません。父の真筆ではない印象を受けます。父だったら得意の細密画技術を発揮している場所のはずです。
左手に描かれた山のシルエットが外輪山です。ナポリのヴェスヴィオであると思います。
「ナポリ湾の海戦」は沖合いから描いていますが、この「イカロスの墜落のある風景」は陸側から描かれています。 -
ブリューゲル(父)の「東方三博士の礼拝」は3枚が現存しています。写真の作品はそのうちで一番古い1556年の作品です。
ベルギー王立美術館のブリューゲルルームの展示作品の中で悲しくなってしまうほど劣化してしています。キャンバスにテンペラという手法で描かれています。テンペラの技術は色彩変化や劣化が油彩にくらべて少なく長期保存に適していると言われます。
ミラノにあるダヴィンチの「最後の晩餐」もテンペラですが(第二次世界大戦の時の米軍機の爆撃による損傷もありますが)制作時から劣化が酷かったと言われています。テンペラは絵の具の製造と使用が難しい技法なのでしょうか? -
聖母マリアの膝の上の幼子イエスと三博士の部分のアップです。
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画面右上の部分です。ブリューゲル(父)は細密画技術を駆使しています。
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1562年ブリューゲル(父)の作品「堕天使の墜落」
1563年に結婚してアントワープからブリュッセルに引っ越しています。この作品はアントワープで制作されました。
板に油彩117x162cm
ブリューゲル(父)の作品は大きく3つに分類が出来ると思います。
農民生活を描いた作品
聖書、宗教を主題にした作品
ボッシュに影響を受けた怪物ものの作品
「堕天使の墜落」はボッシュの影響が認められる作風です。
ヒエロニムスボッシュ(1450~1516)はなくなった年がブリューゲル(父)の生まれる75 年前の画家です。ボスと呼ぶ人もいますがボッシュのほうを僕は使っています。
聖書の記述をテーマにしていますが、暗示にとんだ怪奇な作風は王侯貴族から一般にも人気のある作家です。現存する30点のうちの10枚はプラド美術館にありますがフェリペ2世が収集したものです。
ブリューゲル(父)は版画の下絵作家の頃からボッシュの影響を受けた絵を描いています。作家の着想に共鳴を受け、影響を受けた要素が強いと思いますが、同時にボッシュ的な作品には強い需要があったのです。 -
画面中央の大天使ミカエルの部分のアップです。
大天使ミカエルはカソリックでは聖ミカエルと呼ばれています。世界各地にある聖ミカエル教会では入り口の壁の上に悪魔を倒す大天使ミカエルの彫像がおかれています。
ミカエルの周りにはボッシュから影響を受けた魔物とブリューゲル(父)オリジナルの魔物が飛び交っています。 -
画面右上の部分です。
大天使ミカエルを応援して剣を振るう天使です。 -
ブリューゲルルームを後にしました。
写真のように今日のベルギー王立美術館は閑散としていました。 -
ベルギー王立美術館のミュージアムショップから出てくるとここから王宮側の出口から出てきます。
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王宮の前です。
警備車両が止まっていました。ブリュッセル王宮 城・宮殿
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ホテルに戻っています。
右手に楽器博物館があります。
ここの最上階のレストランは安くて美味しいし、ブリュッセルの景観を楽しめます。
奥に見えるのがグランプラスの市庁舎です。楽器博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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グランプラスをiPhoneの横パノラマで写してみました。
グランプラス 広場・公園
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