2018/09/16 - 2018/09/25
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minmiさん
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10日間でポーランドのワルシャワ・クラクフそしてスウェーデンのストックホルムを訪れました。
9/16 羽田→北京→ワルシャワ
9/17 ワルシャワ観光・クラクフへ
9/18 アウシュヴィッツ=ビルケナウ博物館
9/19 クラクフ旧市街・ヴィエリチカ岩塩坑
9/20 ヴァヴェル城・カジミエシュ地区
9/21 クラクフ→ストックホルム
9/22 市庁舎・ユールゴールデン島
9/23 ストックホルム市立図書館・ガムラスタン・セーデルマルム島
9/24 スクーグシェルコゴーデン ストックホルム→北京→
9/25 羽田
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
中国国際航空を利用。
9月半ばで80,600円というダントツな安さと乗り継ぎの良さがポイントだった。
経由便だとウェブチェックインできないとか手荷物重量5キロまでとかイマイチな点もあるけど、乗ってしまえば特に悪いこともなく、この値段ならまた利用してもいいかと。 -
北京経由でワルシャワへ。
6:20ワルシャワ・ショパン空港着。
ポーランドの英雄といえばやっぱりショパンなんだね -
空港のコンビニで切符を買い、鉄道でワルシャワ中央駅へ。
-
ワルシャワ中央駅に着いたら駅の荷物預かり所にスーツケースを預け、早速観光に行く。
この時点で自宅を出てから約23時間。
眠さと疲れでふらふらなのだが、午後にはクラクフに行かなきゃいけないのでがんばって観光する中年夫婦。 -
タクシーで旧市街へ。
10分ぐらいで14PLN(約420円)。
初めての国はわくわくするなー。 -
旧市街の王宮広場に着いた。
美しい! -
旧王宮
休館日なので入れない。 -
いかにもヨーロッパの旧市街といった趣のステキな建物が並んでる。
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少し歩いていくと、旧市街広場に出る。
中央に人魚の像。
ワルシャワは人魚伝説のある町で、剣と楯を持った人魚がワルシャワの町を守っている。 -
バルバカン
旧市街を守る砦。 -
旧市街から新市街を眺める。
この先にキュリー夫人の生家があるんだって。 -
旧市街の建物はカラフルで個性的でかわいいの!
この建物の壁をアップにすると、 -
こんな天使がいたり。
乙女心をくすぐられる♪ -
古い街大好き。
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といっても実はここ、古い街に見えるけど戦後作られた街なんです。
元々あった古い街は第二次世界大戦中ドイツ軍により破壊されてしまった。
そして戦後、ひびの一本にいたるまで忠実に元の街並を復興させたのだそう。
オリジナルでないのは残念だけど、焼け野原から立ち上がったポーランド人の不屈の意志を感じる素晴らしい街だ。 -
お土産屋にはかわいい陶器がいっぱい。
ポーランドは陶器生産でも有名なのね。 -
王宮広場から南へ延びるクラクフ郊外通り。
ワルシャワの目抜き通りになるのかな?
歩道が広くて植栽も多く、気持ちよく散歩できる通りです。 -
通り沿いのCafe Baguetteで軽くランチ。
パニーニサンド
あーやっぱりヨーロッパのパンうまい! -
ショパンがオルガンを弾いていたというヴィジトキ教会。
中に入ります。 -
ショパンはワルシャワ近郊で生まれ、20歳までワルシャワで活躍していた。
後にパリに行ってビッグになるんですね。 -
あれか?
あのパイプオルガンをショパンが! -
通りの植栽
ポーランドの国旗の色を表してるんじゃないかな。
粋だねー。 -
修復しまくりの聖十字架教会
ここにはショパンの心臓が安置されている。 -
入ったらミサが始まった。
賛美歌を聴きながら、邪魔にならないようひっそりと見学した。 -
この柱の中にショパンの心臓が入っている。
ショパンはパリで亡くなったのだが、望郷の念が強く「せめて心臓だけでも…」という遺言のもと遺族がワルシャワへ持ち帰ったのだそう。
お墓はパリにあるんですね。
享年39歳。
若い…。 -
こちらもポーランドが誇るすごい人。
地動説を唱えたコペルニクスの像です。 -
タクシーで中央駅へ戻る。
駅前にどどーんとそびえたつ文化科学宮殿。
社会主義時代にスターリンから贈られたもの。 -
中央駅のホーム
ここから新幹線みたいな特急列車でクラクフへ移動する。
チケットは鉄道会社のH.P.で買えるので、日本で購入済み。
120PLN(約3600円) -
2等車だけどきれいで快適。
犬も乗ってる。
なでなでしちゃった(*´∀`) -
だだっ広い平原が延々と続いてる。
山無さすぎ。 -
ドリンク一杯もらえる。
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2時間半弱でクラクフに到着。
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駅に隣接するショッピングセンターを抜けると、
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すぐそこにホテル VIENNA HOUSE ANDEL'S
駅前で便利なうえバスタブ付きの部屋があるのでここにした。 -
部屋は機能的で快適。
通りに面した部屋だったので、トラムの音がちょっとうるさかったけど。
1泊130EURぐらい。
(朝食無し・キャンセル不可) -
眠さと疲労がかなりきてるんだけど、もうひと踏ん張りする中年夫婦。
駅東口のバスターミナルへ行って、翌日のバスの切符を買う。
んでショッピングセンター内のスーパーで水とか食べ物を買って… -
はあ~、やっと寝れる。
なんでいい歳してこんな修行のような旅をしてしまうのか?
この次からはもっとゆったりしたスケジュールで…
っていつも思うんだけど…。
ポーランドビール、コクがあって美味しかった。 -
翌朝6:20のバスでアウシュヴィッツへ。
なかなかハードなスケジュールである。 -
約1時間半で到着。
ここでガイドの中谷さんと待ち合わせ。
中谷さんというのは、アウシュヴィッツ博物館で唯一の日本語公式ガイドをしている方である。
旅行前にメールでガイドツアーの申し込みをしてあった。
この博物館では、アウシュヴィッツ収容所と、ビルケナウに造られた第二収容所を見学することができる。
イヤホンを借りて見学スタート。 -
入場ゲート
ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になれる)の文字が掲げられている。
実際には死ぬまで働かされたそうだが。 -
収容所の周囲は高圧電流の流れる鉄条網で囲われていて、脱走に成功した人はほとんどいなかったのだそう。
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赤レンガで造られた収容棟
元々はポーランド人政治犯を収容するために設立されたものだが、やがて欧州各地(20カ国以上)から連行されてきたユダヤ人・ロマ・シンティ(ジプシー)・ソ連の戦争捕虜などが収容されるようになり、巨大な殺人工場へ変貌していった。 -
周知の通り、犠牲者の数が圧倒的に多いのはユダヤ人である。
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1940年から1945年の間に、少なくとも130万人がここへ連行され、90%が殺されたとされているが、親族ごと抹殺されていたり書類が不備だったりして、正確な数は把握できないのだそう。
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見事なポプラ並木が並んでいる。
何も知らないで見たら、古い大学か何かと勘違いしてしまいそう。 -
いくつかの建物の中が展示室になっていて、
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写真や遺品などが展示されている。
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ガス室へ連行されるユダヤ人
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貨車に乗せられ運ばれてきた人達が到着した時の様子
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選別をしているところ
到着するとすぐに生死の選別が行われた。
労働に適していると思われる人は収容棟へ、それ以外の人はガス室へ。
70~80%の人々がここでガス室へ送られた。 -
収容棟へ入った人々も、低栄養状態で過酷な労働をさせられたり、劣悪な衛生環境下で蔓延する感染症などが原因で、短い期間で病死または餓死する人が多かった。
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死体を野焼きしてる様子
死体が増えて焼却炉だけでは間に合わなくなると、このように野原で焼いていた。
これは収容されていたユダヤ人が隠し撮りしたもの。 -
毒ガスが入っていた缶
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義足や杖など
障害者もここに連行され殺害された。 -
かばん
持ち主の名前が書いてある。
「新たな土地で生活をする」とナチスから嘘の説明をされ、財産や日用品をかばんに入れて持ってきたという。 -
膨大な数の靴
一足一足の靴にそれぞれ人生があったんだろうと思うと、迫り来るものがある。 -
収容者が着せられていた服
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初期に収容されたポーランド人政治犯の写真。
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大変痛ましい写真だが、人体実験の犠牲になった子供たち。
ここでは様々な人体実験が行われていた。
特に双子の遺伝的研究に力を入れていて、多くの双子がおぞましい人体実験の犠牲になった。 -
「死の壁」と呼ばれる処刑場
何千人~一万人ものポーランド人政治犯がここで銃殺された。
政治犯といってもポーランド人にとっては自国を守るために戦った英雄である。
赤・白(国旗の色)の花が手向けられている。 -
ガス室
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ガス室内部
シャワーを浴びるようにとだまされてここへ入れられた。
20分ほどで数百人が窒息死したという。 -
天井には毒ガスを投下した穴が。
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ガス室の隣にある焼却炉
死体処理はユダヤ人がやっていた。
ナチスはユダヤ人に特殊部隊を組ませ、同胞の死体処理をやらせていたのだ。
そしてその特殊部隊のメンバー達は大量虐殺の秘密を知っていたので、口封じのため定期的に殺されていたという。 -
所長を務めていたルドルフ・ヘスが、戦後に処刑された絞首台。
映画「シンドラーのリスト」でえげつない鬼所長ととして描かれてた人だね。 -
高校生ぐらいの集団があちこちに。
ヨーロッパの学校では社会見学でここに来るそうです。 -
たった70年数年前この世の地獄と化していたこの場所だが、この日はさわやかな秋空が広がり多くの見学客が訪れていた。
なんだか妙な気分になると同時に、平和な時代に生きてるんだなとつくづく思う。
(今でも同様のことが行われてる地域はあるのですが。) -
無料バスでビルケナウへ移動。
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アウシュヴィッツの収容者数が増えすぎて収容しきれなくなったので、ここにビルケナウ第二収容所が造られた。
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とにかく広大で驚く。
一見牧場のようにも見えてしまう。 -
「死の門」と呼ばれる入場口と監視塔。
ユダヤ人達を乗せた貨物列車は、欧州各地からここにたどり着いた。 -
貨車にぎゅうぎゅう詰めにされ食事もとれずに何日もかけて運ばれたため、到着前に死亡する人もいたいう。
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ガス室の跡
ナチスが証拠隠滅のため爆破した。 -
アンネ・フランクもここに収容されていた。
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収容棟内部。
家畜小屋のようで、とても人が住めるような場所ではない。 -
板に穴を開けただけのトイレ
プライバシーは無く、1日2回しか使用を許されなかった。 -
以上で見学終了。
3時間半ぐらいかかった。
中谷さんのガイドはわかりやすくてとても良かった。
恥ずかしながらこの旅行を計画するまでアウシュヴィッツがポーランドにあることすら知らなかったのだが、ここを見学し説明を受けたことで理解が深まり、差別や人権について考えるきっかけになった。 -
最も恐ろしく感じたのは、これが野蛮な非合法組織により行われたことでなく、世界有数の先進国で民主的な選挙により選ばれた組織によって行われたということだ。
知的水準の高い人が多くいたはずなのに何故?
当時第一次世界大戦の賠償金や世界恐慌により社会が疲弊していたとか、欧州に古くから根強く続いてきたユダヤ人差別とか、背景として考えられることはあり、様々な研究がされているようだが、一言で言い表すことができるようなものではないのだろう。
それを考えると人のダークサイドの深遠を覗いたような気分になり、身の毛がよだつ思いがする。
時代が変わっても人の本質は変わらないと思われる。
またいつか似たような事を繰り返すのだろうか?
歴史は繰り返すというし…繰り返すんだろうな、たぶん。
でもやはり繰り返さないでほしい。
平和を祈念しつつ、この地を後にした。 -
またバスで一時間半かけて戻る。
ホテルで休憩したら3時ぐらいになってしまった。
お腹ペコペコ!
遅いランチを食べに繰り出す。 -
まずはポーランド料理食べなきゃ。
ということでホテルの近くのレストランJarema へ。 -
ロールキャベツのきのこクリームソース煮
ふおお~、これは絶品!!
こんな美味しいロールキャベツ初めて食べた。
きのこやハーブの風味がきいたクリームソースが素晴らしい。
中にはひき肉や米が入ってる。 -
ピエロギ3種
ピエロギとはポーランドの餃子のこと。
有名な郷土料理らしい。
中身はほうれん草・レバー・チーズポテト。
まあ普通というか、中華や日本の餃子の方がずっと美味しいですな。
仔牛のカツレツ
想像通りだけど、サクッとして美味しかった。 -
駅前のショッピングセンターで買い物。
日本の巨大なショッピングセンターとほとんど同じ。
ポーランドの地方都市がこんなに近代的だとは…。 -
外国のアイスクリーム屋って日本じゃ見かけないフレーバーがあって面白いんだよね。
黄緑色の謎の果物のフレーバーがあったので食べてみた。
後で調べたらグーズベリーまたはセイヨウスグリとかいう果物らしいけど。
なんともいえない微妙な味だった。 -
ポーランドの地方都市のコンビニで寿司を売ってるとは…。
具はサーモン・ツナ・カニカマなど。
商品名は、SUSHI OISI とSUSHI MIZU。
寿司水って…? -
お腹いっぱいなので、夕食はトマトつまんで終わり。
おやすみなさい。
②クラクフ・ヴィエリチカ岩塩坑編へ続く。
https://4travel.jp/travelogue/11408583
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