2019/09/10 - 2019/09/16
1252位(同エリア2887件中)
ミータさん
この旅行記スケジュールを元に
スイスでは順調すぎるくらい順調だったが、ドイツに移動を開始した途端列車の遅れに遭遇。これは試練なのか?
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
リンダウ駅を10時半頃に出発し、電車の遅れなどもあったが、4時間後にはダッハウ駅にたどり着いた。2016年にも訪れようとして、バスを待つ人々の多さにためらい、行くのを止めたダッハウ強制収容所。今度こそは強制収容所に行こうと強く思う。
ダッハウ駅 駅
-
しかし、乗ったバスがエンジントラブルで出発できない。結局、次のバスに乗り換えさせられてダッハウ強制収容所に向かう。朝から特急列車の遅れとか、バスのエンジントラブルとか障害続きで、強制収容所に行く気持ちがどれくらいあるのか試されている様だった。確かに2016年の時はオクトーバーフェストを選んだが、あの機会を逃すとオクトーバーフェストには一生行くことがないと思ったからだ。
-
15時近くダッハウ強制収容所跡地に到着。元々の予定では、リンダウ観光をゆっくり行って、ここには15時半頃に着くつもりだった(乗り継ぎなどが順調なら)。
ダッハウ強制収容所 史跡・遺跡
-
ダッハウ強制収容所に収容者たちを運んだ鉄道の線路跡。ここで線路は終わる。
-
ダッハウ強制収容所の入り口。ダッハウ強制収容所はナチスが政権を取った直後の1933年から建設が始まった、最初に造られた強制収容所だ。初めは政治犯やジプシー、難民などを中心に収容していた。後にユダヤ人やソ連軍の捕虜なども収容されるようになった。
-
収容所跡地はとにかく広い。そこに復元されたバラック小屋がある。
-
そして資料館になっている建物。
-
資料館の中に入るとナチス・ドイツの支配下にあった地域の強制収容所の場所を示したパネルがある。黒地に白抜きで地名が書かれているのが強制収容所があった場所。私はここダッハウの他は、ヴァイマール近郊のブーヘンヴァルト強制収容所を訪れたことがある。
-
リトアニアのカウナスの日本領事館で杉原千畝がユダヤ人など避難民の為にビザを発行した話は有名だが、そのカウナスにも強制収容所があった。
-
ポーランド、特に有名なアウシュヴィッツ(ポーランド語ではオシフィエンチム)など。
-
ダッハウ強制収容所のパノラマ模型。現在、主に見学するのは中央部分の辺りで、左の建物が資料館になっている建物、広場を挟んでバラック小屋がいくつも並んでいる。その部分だけでもかなりの広さなのだが、奥の方にも収容施設があったことが分かる。『夜と霧』の著者ヴィクトル・フランクルはこのダッハウ強制収容所の支所であるテュルクハイムに収容されていた。そういう支所まで入れるとどのくらいの規模だったのだろうか。
-
かつて強制収容所の入り口に実際あった鉄柵。アウシュヴィッツ収容所の入り口にもある言葉”ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)”の文字。だが、生きて自由になれた人はどのくらいいたのか。
資料はパネルによる説明が中心。やはり、ここで多くを語るより、実際に見て、何があったのか、なぜこんなことが行われたのか、これは単に過去のことなのか、各自で考えてほしいものである。 -
慰霊碑。「2度と繰り返さない」と数か国語で書かれている。
-
慰霊のモニュメントは修復中で幕がかけられていた(幕にモニュメントが描かれている)。
-
復元されたバラック小屋の辺りから資料館の方を眺める。これだけでも広大さがいくらか伝わるだろうか?
-
バラック小屋があった場所は、枠で囲われている。
-
この並木道の両側に収容所のバラック小屋がいくつも並んでいたのである。並木道の奥には慰霊のための教会がある。
-
慰霊の教会側から資料館の方を眺める。本当に広い。バラック小屋には簡素な三段ベッド(というよりも棚)がびっしりとあり、そこに収容者たちが押し込められていた。その数を想像して、身震いしそうになった。
-
慰霊のための教会。これはユダヤ教の物だったと思う。
-
これも慰霊のための教会。
-
慰霊のための教会。
-
これも慰霊のための教会。
-
強強制収容所の敷地の外れには側溝が掘ってあり、そこを乗り越えても高圧電流が流れる有刺鉄線があり、さらに監視塔が点在する。とても逃げ出すことなどできない。
-
収容所のバラック小屋の跡地。
-
16時過ぎにダッハウ強制収容所跡地を後にする。
-
入り口にはレプリカの”ARBEIT MACHT FREI"の鉄柵。
-
自由に出られるのはなんて幸せなことだろう。
-
帰りのバスは満員になりそうだったので、手前のバス停から乗ろうとしたが、バス停が分からない。代わりに旧市街行きのバス停を見つけたが、土曜日で本数が少なく、丁度バスは出た直後だった。元々、ダッハウの駅ではなく旧市街に行くつもりだったので、歩いて目指すことにした。地図がなかったので途中少し迷ったりした。ダッハウシュタット駅近くでバスを見かけたので乗って、無事に旧市街にたどり着いた。写真は旧市街の中心ラートハウス(市庁舎)前にある聖ヤコブ教会。
-
ダッハウの市庁舎。
-
市庁舎のすぐ近くにはダッハウ城がある。
-
ダッハウ城は高台にある。赤い屋根の建物が並ぶ、典型的な南ドイツの町である。この町に強制収容所があったなんて信じられないくらい平和そうな風景だ。
-
遠くにはミュンヘンの高層ビルなどが見える。
-
お城の庭。
-
庭から見たお城。
-
バラの花が咲いている。先ほどまでいた強制収容所とは天国と地獄の違いである。
-
庭を少し散策したら、お城に戻る。
-
お城はカフェになっていて、夕方近くでも多くの人がいた。
-
カプチーノをいただく。ダッハウ駅までは歩けなくはない距離なのだが、迷いそうだったのでバスで向かうことにする。
-
18:20頃、ダッハウ駅を出発し、この日の宿のある町を目指す。
-
RB(中距離列車)に乗ってしまったので終点のミュンヘン中央駅まで来てしまった。
-
ここからまたSバーンに乗り換える。ダッハウを1本後に出発するSバーンに乗っていても、結局同じSバーンに乗っていただろう。
続く。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
中国国際航空(エアチャイナ)で行くスイス・ドイツの旅
-
前の旅行記
中国国際航空(エアチャイナ)で行くスイス・ドイツの旅 その11
2019/09/10~
リンダウ
-
次の旅行記
中国国際航空(エアチャイナ)で行くスイス・ドイツの旅 その13
2019/09/10~
ミュンヘン
-
中国国際航空(エアチャイナ)で行くスイス・ドイツの旅 その1
2019/09/10~
北京
-
中国国際航空(エアチャイナ)で行くスイス・ドイツの旅 その2
2019/09/10~
ザンクトガレン
-
中国国際航空(エアチャイナ)で行くスイス・ドイツの旅 その3
2019/09/10~
アッペンツェル
-
中国国際航空(エアチャイナ)で行くスイス・ドイツの旅 その4
2019/09/10~
アッペンツェル
-
中国国際航空(エアチャイナ)で行くスイス・ドイツの旅 その5
2019/09/10~
アッペンツェル
-
中国国際航空(エアチャイナ)で行くスイス・ドイツの旅 その6
2019/09/10~
アッペンツェル
-
中国国際航空(エアチャイナ)で行くスイス・ドイツの旅 その7
2019/09/10~
アッペンツェル
-
中国国際航空(エアチャイナ)で行くスイス・ドイツの旅 その8
2019/09/10~
アッペンツェル
-
中国国際航空(エアチャイナ)で行くスイス・ドイツの旅 その9
2019/09/10~
アッペンツェル
-
中国国際航空(エアチャイナ)で行くスイス・ドイツの旅 その10
2019/09/10~
コンスタンツ
-
中国国際航空(エアチャイナ)で行くスイス・ドイツの旅 その11
2019/09/10~
リンダウ
-
中国国際航空(エアチャイナ)で行くスイス・ドイツの旅 その12
2019/09/10~
ミュンヘン
-
中国国際航空(エアチャイナ)で行くスイス・ドイツの旅 その13
2019/09/10~
ミュンヘン
-
中国国際航空(エアチャイナ)で行くスイス・ドイツの旅 その14(帰国編)
2019/09/10~
北京
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ミュンヘン(ドイツ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 中国国際航空(エアチャイナ)で行くスイス・ドイツの旅
0
41