2018/04/20 - 2018/04/20
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旅人のくまさんさん
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日本百名城巡りの赤穂城の紹介です。赤穂城の前身となる城郭は、池田長政によって慶長5年(1600年)に築城された『掻上城』です。赤穂城が歴史上有名になったのは、何より元禄14年(1701年)に起きた、47名の赤穂義士の討入でした。(ウィキペディア、日本百名城・公式ガイドブック)
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル
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早朝に名古屋を出発し、岡山県と兵庫県の3箇所の日本百名城巡り、2箇所目の赤穂城です。最初に岡山城を見学し、次がこの赤穂城、最後が姫路城の予定です。いずれも観光したことがある名城ですが、今回は日本百名城巡りのスタンプ押印が目的でした。岡山から赤穂市までは、JRローカル線での移動です。(同上)
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岡山駅のローカル線のプラットホームの3・4番線の光景です。山陽線の和気・姫路方面と、鳥取方面、赤穂線の西大寺・播州赤穂方面が表示されていました。赤穂線は、東岡山と相生駅間のバイパスになっていましたが、岡山駅から乗り換えなしで幡手赤穂まで行けますし、最後の見学地の姫路までも乗り換えなしの順路でした。(同上)
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播州赤穂駅に到着しました。現在時刻は12時35分頃、岡山からの各駅停車で乗車時間は1時間15分ほどでした。通勤・通学時間帯は混むのでしょうが、車内は、終始空いていました。(同上)
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赤穂駅に掲示してあったポスターです。『播州赤穂へ』と題された、赤穂義士の雪の日の討入場面でした。赤穂義士祭が、12月14日に開催されることも記してありました。四十七士が吉良邸に討ち入ったのは、元禄15年12月14日(1703年1月30日)のことでした。(同上)
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赤穂駅の構内光景です。丁度昼の時間になりましたので、赤穂如プ蒲池を散策する前に、赤穂駅構内の食堂に入りました。赤穂塩ラーメンに餃子、それに生ビールにしました。赤穂と言えば塩です。赤穂の名産品をネット検索しましたら、創業1764年の『元祖・播磨屋』が商標登録している『塩饅頭』がトップでした。(同上)
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赤穂駅の駅前光景です。駅舎は建て替わったらしく、瀟洒な造りでした。駅名は、開業当時、長野県の飯田線に赤穂駅(あかほえき、現在の駒ケ根駅)が存在したため、頭に『播磨国』(兵庫県西部の令制国名)の別称である『播州』を冠したものです。現在の駅舎は、第3回近畿の駅百選に選ばれています。 (同上)
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赤穂駅の駅舎と、駅前のホテル(東横イン)のズームアップ光景です。平成15年(2003年)に、赤穂駅周辺整備事業が神戸地方裁判所に民事再生法に基づく申し立てを行うなど、事業は難航したようですが、赤穂駅周辺整備事業が土地・建物を赤穂市に売却した上で、再び市から建物を賃借するなどで、翌年、再生計画案の認可が決定しました。(同上)
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『百々呂屋裏大舛(旧赤穂上水道)』のタイトルがあった説明看板の光景です。かつての赤穂城下町は、地下水が塩水で飲むことが出来ず、7キロほど上流の熊見川(現在の千種川)から取水して、城下に配水していました。その名残の施設です。熊見川からの取水施設は、元和2年(1616年)に造られました。(同上)
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赤穂城のかつての城下町の紹介です。右側の大きな建物には、5枚の浮世絵風の看板に、『おもてなし』の文字が一つずつ記されていました。左向きの矢印で『赤穂城跡』が記されていましたが、まずは右向きの矢印の『花岳寺』の見学です。(同上)
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赤穂城のかつての城下町の紹介が続きます。表通りに面している部分で見当した限り、町全体が裕福で、格式のある町頭庫裏に協力しているようにも見受けました。右から赤穂情報物産館、花工房、お菓子司・岩佐屋、室井電器の南蛮が並んでいました。(同上)
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広い通り腰に眺めた建物光景です。右側の大屋根の建物には、『酒とおかしの店・シバタ』、道路を挟んだ左手の家には、『どんぐり』の屋号がありました。その間を奥に伸びた狭い道は旧道になるようです。(同上)
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中央に見える、鉄筋コンクリート造りらしい三階建の建物には、二階と一階にも、庇のような瓦葺の屋根がありました。実用のためではなく、周囲との景観マッチのための工夫のようでした。『スポーツショップ・西武堂』でした。小さな廂は、左右の建物にも共通していました。(同上)
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道案内標識の光景です。右が赤穂城氏、左が赤穂義士所縁の花岳寺方面でした。まずは市内見学しながら、花岳寺に向かいました。赤穂城まで、それほど遠回りにはなりません。(同上)
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『ノースポール』
キク科フランスギク属(クリサンセマム属)の半耐寒性多年草
原産地:アフリカのアルジェリア周辺ないしはヨーロッパ
その他:カンシロギクの和名を持ちます。花期は12月~翌年6月です。(同上) -
名前:『ヤブツバキ(藪椿)』
分類:ツバキ科ツバキ属の常緑樹
原産地:日本、国外では朝鮮半島南部と台湾に分布。
その他:和名の『つばき』は、厚葉樹(あつばき)、または艶葉樹(つやばき)が訛ったようです。花期は冬から春です。(同上) -
二階部分が総漆喰で仕上げられたように見える民家の光景です。1階は現在工事中のようでしたが、街並みの景観保存のための工事のようにも見えました。隣家も工事の最中でした。(同上)
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赤穂義士所縁の『花岳寺』に到着しました。『花岳寺』は、赤穂市加里屋にある曹洞宗の寺院で、歴代赤穂藩主の菩提寺です。山号は『台雲山(たいうんざん)』、新西国三十三箇所の第31番札所です。赤穂市指定有形文化財に指定されている山門です。1873年(明治6年)に21代仙珪和尚が購入して移築した、赤穂城の塩屋惣門です。(同上)
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『浅野公霊廟・義士木像』の文字が刻まれた石標の光景です。赤穂市産業観光課の公式HPからの『花岳寺』の紹介文です。『花岳寺は赤穂藩祖浅野長直公によって正保2年健立され、元禄事件後は歴代藩主の菩提寺となっています。浅野家と義士に関する貴重な資料を展示する宝物館、千手観音尊像・四十七士の彫像を安置する義士木像堂、義士墓所があり、元禄の昔日を彷彿させる史跡地です』、と紹介されていました。(同上)
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『赤穂義士所縁の地・花岳寺』の文字が刻まれた石碑の光景です。末尾に『昭和58年「赤穂新八景」剪定記念』の文字がありました。『赤穂新八景』は、赤穂市としては公認していないのか、赤穂市産業観光課のHP等には、何も記述がなかったようです。以前の赤穂城下町見学で、同じような石標を目にしたのは、『塩谷門跡』がありました。(同上)
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『台雲山花岳寺』のタイトルがあった説明看板の光景です。『当寺は曹洞宗に属し、正保2年、赤穂藩祖浅野長直公によって建てられた寺である』と紹介されていました。浅野長直(1610~1672年)公は、江戸時代前期の外様大名です。姫路から浜人・浜子を入植させ、塩業村を興して赤穂塩の経営を始めさせたり、江戸では大名火消しとして名を上げるなど、有能な藩主だったとされます。(同上)
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『花岳寺』の山号『臺(台)雲山』の文字が記された扁額の光景です。赤穂藩祖浅野長直公は、大坂城の在番中、赤穂藩主の池田輝興が正室の黒田長政の娘を殺害する事件が起こり、池田家は改易となりました。この改易処分の際、幕命により城受け取りに赤穂へ赴いた長直公は、そのまま国替え・赤穂藩主を命じられ、以降は孫の長矩の代に改易されるまで浅野家が赤穂藩主となりました。(同上)
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正面から眺めた『花岳寺』の本堂光景です。広い境内のためでしょうか、大きな建物の本堂がスマートな造りに見えました。参道は、入口までは伸ばさずにとどめて、コンパクトに造られていました。その両脇を植木が飾っていました。(同上)
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『二代目・大石なごりの松』と素の石標の光景です。2箇所にある『大石名残の松』の一つが、浅野家の菩提寺花岳寺の『二代目 大石なごりの松』です。初代の2本の松は、樹齢310年の銘木で、大石内蔵助良雄が母の冥福を祈って、元禄4年(1691年)に相生村の領地から移植したものです。備中松山城の受取りの手柄で、貰った松とも言われます。(同上)
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鐘楼脇の手水舎の光景です。『手水舎』には、『ちょうずや、ちょうずしゃ、てみずや、てみずしゃ』など様々な読み方があります。『水盤舎(すいばんしゃ)』、『御水屋(おみずや)』とも呼ばれます。神社には必ずありますが、お寺では見掛けることが少なくなりました。神仏混交時代の名残かも知れません。(同上)
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『鐘楼』の光景です。この鐘楼には、この後紹介する『鳴らずの鐘』が吊り下げられていました。今は二代目の鐘ですが、四十七士が本懐を遂げ、切腹した報が入った時には、赤穂町民が集まって、『撞いてついて、つきまくった』と紹介されていました。(同上)
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『鳴らずの鐘」のタイトルがあった説明パネルの光景です。この梵鐘は、第二代藩主の浅野長友耕が、父・長直公のために鋳造したものですが、三代長矩公の時代にお家断絶となりました。四十七士が本懐を遂げた時に鳴らされ、以後、再鋳されるまでの50年間は撞かれなかったため、『鳴らずの鐘』の呼び名が付いたことが紹介されていました。(同上)
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『鳴らずの鐘』の光景です。寛政9年(1797年)に再鋳された時、『爾来、音韻を失すること五十年』の文字が鋳込まれているようです。第二次大戦中にも、供出を免れた梵鐘とされます。(同上)
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右斜め前から眺めた、『花岳寺』の本堂光景です。境内も隅々まで手入れが行き届いた古刹でした。江戸時代には大きな出来事がありましたが、現代では浅野氏の赤穂市と、吉良氏の吉良町(現・西尾市)は、友好的な交流が行われているようです。(同上)
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『花岳寺』の玄関光景です。庫裏のほうの玄関だったかも知れません。本堂に向かって右手にありました。正面には、無地の白い衝立が置かれ、本堂のほうには、海鼠(なまこ)壁も見えました。(同上)
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正面からズームアップした、『花岳寺』の本堂光景です。現在の住職は、パーリ仏教研究者で駒澤大学仏教学部教授の片山一良氏とされます。 パーリ仏典は、その歴史過程におけるインド部派仏教時代の形態を強く留めている、現存する唯一の仏典とも言われます。バーリ後は、南伝上座部仏教の経典で主に使用される言語です。(同上)
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