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雨のロダン美術館<br /><br />オーギュスト・ロダン<br />François-Auguste-René Rodin<br />日本人に一番知られている西洋の彫刻家です<br />例えば、上野の西洋美術館にある<br />松方コレクションの<br />考える人<br />地獄門<br />はご存知でしょう<br /><br />あと、NHKのテレビの放送終了時のタイトルに考える人が使われていますね<br /><br />ロダンは日本で最も知られている彫刻家です<br /><br /><br />この日は朝からずっと雨でした<br />凱旋門へ行って屋上から放射線状に広がるパリの街並みを見ました<br />雨と風でのせいで、屋上には10名位しかいませんでした<br /><br />その後<br />地下鉄M13のVarenne駅から歩いてロダン美術館に向かいました

雨のロダン美術館 2014年12月

110いいね!

2014/12/18 - 2014/12/18

161位(同エリア16384件中)

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norio2bo

norio2boさん

雨のロダン美術館

オーギュスト・ロダン
François-Auguste-René Rodin
日本人に一番知られている西洋の彫刻家です
例えば、上野の西洋美術館にある
松方コレクションの
考える人
地獄門
はご存知でしょう

あと、NHKのテレビの放送終了時のタイトルに考える人が使われていますね

ロダンは日本で最も知られている彫刻家です


この日は朝からずっと雨でした
凱旋門へ行って屋上から放射線状に広がるパリの街並みを見ました
雨と風でのせいで、屋上には10名位しかいませんでした

その後
地下鉄M13のVarenne駅から歩いてロダン美術館に向かいました

航空会社
ANA
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 地下鉄M13のVarenne駅のプラットフォーム<br />もうここからロダン美術館が始まっているようです<br /><br />奥に考える人(The Thinker)が見えます

    地下鉄M13のVarenne駅のプラットフォーム
    もうここからロダン美術館が始まっているようです

    奥に考える人(The Thinker)が見えます

    ロダン美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • プラットフォームにあるバルザック(Balzac)の後ろ姿

    プラットフォームにあるバルザック(Balzac)の後ろ姿

  • 黄色ポストの上に<br />3枚の行き先表示<br />一番上に<br />Musée Rodin<br />77 rue de Varenne<br />の表示<br /><br />ご覧になれますか?

    黄色ポストの上に
    3枚の行き先表示
    一番上に
    Musée Rodin
    77 rue de Varenne
    の表示

    ご覧になれますか?

  • ここがロダンが晩年アトリエとして使い、そして暮らしたホテルビロンです

    ここがロダンが晩年アトリエとして使い、そして暮らしたホテルビロンです

    ロダン美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • 入り口を行き過ぎて見ました<br />大きな入り口<br />地図によると75番口<br />来場者の入り口は77番口です

    入り口を行き過ぎて見ました
    大きな入り口
    地図によると75番口
    来場者の入り口は77番口です

  • パリミュージアムパスで入場しました<br />一般は9ユーロ<br />庭園だけなら2ユーロ<br />バラがきれいな時期なら庭園鑑賞だけでも楽しめそうです<br />考える人、バルザック、カレーの市民、地獄門は屋外展示です

    パリミュージアムパスで入場しました
    一般は9ユーロ
    庭園だけなら2ユーロ
    バラがきれいな時期なら庭園鑑賞だけでも楽しめそうです
    考える人、バルザック、カレーの市民、地獄門は屋外展示です

  • パリミュージアムパスで入場しました<br />一般は9ユーロ<br /><br />入ると<br />取り敢えず<br />Temporary Exhibitionと称する<br />取り敢えずの展示室に入ります<br />ここは教会だったそうです<br />

    パリミュージアムパスで入場しました
    一般は9ユーロ

    入ると
    取り敢えず
    Temporary Exhibitionと称する
    取り敢えずの展示室に入ります
    ここは教会だったそうです

  • 暫定的展示の意味が良くわかりません<br />でしたが<br />2025年を目標にホテルビロンを大幅に改築する予定のようです<br />整備したらそっちへ持って行くという予定なんでTemporary Exhibition なんでしょうかね?<br /><br />素晴らしい作品が並んでいます

    暫定的展示の意味が良くわかりません
    でしたが
    2025年を目標にホテルビロンを大幅に改築する予定のようです
    整備したらそっちへ持って行くという予定なんでTemporary Exhibition なんでしょうかね?

    素晴らしい作品が並んでいます

  • 習作を含め見たことのある作品が並んでいます

    習作を含め見たことのある作品が並んでいます

  • 取り敢えずの展示<br />暫定展示室を抜けると<br />正面に見えるのが<br />ロダン美術館(ホテルビロン)です<br /><br />その前に<br />昼を食べていないのでレストランかカフェがないか探しました

    取り敢えずの展示
    暫定展示室を抜けると
    正面に見えるのが
    ロダン美術館(ホテルビロン)です

    その前に
    昼を食べていないのでレストランかカフェがないか探しました

  • 右側の道を進むと<br />雨でぬかるみ状態ですが、進むと<br />Le Café Du Muséeがあるようです<br /><br />ここは敷地がとても広いです<br />庭だけの入場料は2ユーロですが<br />天気が良ければ庭園散歩だけでも楽しめそうです<br />バラの咲く時期はホテルビロンの前庭の左右にあるバラ園で満開のバラを楽しめます<br /><br />バラ園の中心にある考える人が見えます<br />ロダンのファンが雨の中、熱心に撮影していました

    右側の道を進むと
    雨でぬかるみ状態ですが、進むと
    Le Café Du Muséeがあるようです

    ここは敷地がとても広いです
    庭だけの入場料は2ユーロですが
    天気が良ければ庭園散歩だけでも楽しめそうです
    バラの咲く時期はホテルビロンの前庭の左右にあるバラ園で満開のバラを楽しめます

    バラ園の中心にある考える人が見えます
    ロダンのファンが雨の中、熱心に撮影していました

  • 植栽の刈り込みは円錐形で統一されていてきれいです<br />庭園は3ヘクタールの広さがあります

    植栽の刈り込みは円錐形で統一されていてきれいです
    庭園は3ヘクタールの広さがあります

  • この道を進むとカフェです<br /><br />写真で手前に見える黒い小屋がトイレです<br />そこから奥の道はぬかるみ状態です<br /><br />余談ですがパリではレストルームよりもトイレットの方が通じますね<br />

    この道を進むとカフェです

    写真で手前に見える黒い小屋がトイレです
    そこから奥の道はぬかるみ状態です

    余談ですがパリではレストルームよりもトイレットの方が通じますね

  • Le Cafe Du Musée<br />に到着しました<br /><br />昼休み過ぎているのでガラガラでした<br />美術館巡りはオフシーズンの冬に限りますね<br />ホッカイロを2~3枚持ってれば<br />寒さが厳しければ袋を開けて貼れば怖いものなしです<br />逆に室内は暑いので、コートとか脱いだらモタつくものはクロークに預けましょう

    Le Cafe Du Musée
    に到着しました

    昼休み過ぎているのでガラガラでした
    美術館巡りはオフシーズンの冬に限りますね
    ホッカイロを2~3枚持ってれば
    寒さが厳しければ袋を開けて貼れば怖いものなしです
    逆に室内は暑いので、コートとか脱いだらモタつくものはクロークに預けましょう

  • カフェのショーケースです<br />昼休みにほぼ売れ切れたようでした<br /><br />フランスパンのチーズとトマトのサンドウィッチとコーラで10ユーロでした

    カフェのショーケースです
    昼休みにほぼ売れ切れたようでした

    フランスパンのチーズとトマトのサンドウィッチとコーラで10ユーロでした

  • ロダン美術館ホテルビロンの正面写真です<br /><br />手前の芝生がきれいです<br /><br />この建物は18世紀のもので<br />1820年当時のオーナーであるビロンから名付けられたそうです<br />一時期キリスト教系の女子学校になったが、そのあと、フランス政府の所有になりました<br /><br />フランス政府は作家ジャンコクトー、画家ヘンリーマチス、舞踏家イザドラダンカン、詩人リルケに貸したそうです<br />ロダンは1908年にリルケを経由してここを知り、4部屋を借りました<br />そして、1911年には建物全体を使うようになりました

    ロダン美術館ホテルビロンの正面写真です

    手前の芝生がきれいです

    この建物は18世紀のもので
    1820年当時のオーナーであるビロンから名付けられたそうです
    一時期キリスト教系の女子学校になったが、そのあと、フランス政府の所有になりました

    フランス政府は作家ジャンコクトー、画家ヘンリーマチス、舞踏家イザドラダンカン、詩人リルケに貸したそうです
    ロダンは1908年にリルケを経由してここを知り、4部屋を借りました
    そして、1911年には建物全体を使うようになりました

    ロダン美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • iPhoneの横パノラマです<br /><br />左にロダン美術館ホテルビロン<br />12月なので緑一色ですが<br />右のバラの庭園<br />このバラの庭園の中心に彫刻考える人があります<br />右端の道のもっと右がTemporary Exhibitionの建屋(旧チャペル)があります

    iPhoneの横パノラマです

    左にロダン美術館ホテルビロン
    12月なので緑一色ですが
    右のバラの庭園
    このバラの庭園の中心に彫刻考える人があります
    右端の道のもっと右がTemporary Exhibitionの建屋(旧チャペル)があります

  • 右側のローズガーデンのセンターへ向かう十字路の写真です<br /><br />センター部分に<br />考える人<br />が置いてありますね<br /><br />雨の中<br />まだ、撮影しているファンがいます

    右側のローズガーデンのセンターへ向かう十字路の写真です

    センター部分に
    考える人
    が置いてありますね

    雨の中
    まだ、撮影しているファンがいます

  • ロダン美術館ホテルビロンの中の展示です<br /><br />特定の個人の美術館はその制作者のファンが来ているので<br />ルーブルとかオルセーとかとは違っています<br />鑑賞者の作品鑑賞の深さが深いというか、ロダンについて知っている人が来ている訳ですから

    ロダン美術館ホテルビロンの中の展示です

    特定の個人の美術館はその制作者のファンが来ているので
    ルーブルとかオルセーとかとは違っています
    鑑賞者の作品鑑賞の深さが深いというか、ロダンについて知っている人が来ている訳ですから

  • 床もリノベーションで<br />補強でツギハギだらけだったのが<br />綺麗に寄木細工が復元されたとのことです

    床もリノベーションで
    補強でツギハギだらけだったのが
    綺麗に寄木細工が復元されたとのことです

  • 習作も

    習作も

  • 当時のロダンには50人前後の弟子がいたという<br />カミーユクローデル(1864~1943)もその一人

    当時のロダンには50人前後の弟子がいたという
    カミーユクローデル(1864~1943)もその一人

  • カミーユクローデル(1864~1943)<br />についてはご存知の方が多いと思います<br /><br />カミーユは子供の頃から彫刻に親しみ、19歳の時にロダンの弟子になります<br />とても美しかったという<br />当時ロダンは42歳<br />二人は恋愛関係に陥ります<br />ロダンには内縁の妻ローズがいたので三角関係になります<br />心の安らぎをローズに<br />若さと美貌をカミーユに<br />ロダンはフラフラとその関係を20年近く続けます<br /><br />カミーユクローデルは40歳後半には精神を病み、精神病院に収容されてしまいます<br />カミーユはロダンへの憎しみと恨みで1943年78歳で生涯を終えます<br /><br />カミーユの弟(劇作家で外交官)は姉の死後1951年に<br />ここロダン美術館でカミーユの作品展を行っています

    カミーユクローデル(1864~1943)
    についてはご存知の方が多いと思います

    カミーユは子供の頃から彫刻に親しみ、19歳の時にロダンの弟子になります
    とても美しかったという
    当時ロダンは42歳
    二人は恋愛関係に陥ります
    ロダンには内縁の妻ローズがいたので三角関係になります
    心の安らぎをローズに
    若さと美貌をカミーユに
    ロダンはフラフラとその関係を20年近く続けます

    カミーユクローデルは40歳後半には精神を病み、精神病院に収容されてしまいます
    カミーユはロダンへの憎しみと恨みで1943年78歳で生涯を終えます

    カミーユの弟(劇作家で外交官)は姉の死後1951年に
    ここロダン美術館でカミーユの作品展を行っています

  • ホテルビロン<br />2階へ至る優雅な階段<br /><br />足の悪い方にはきついかも知れません<br />長期の改造計画の中にはエレベーター1機の設置が含まれているようで

    ホテルビロン
    2階へ至る優雅な階段

    足の悪い方にはきついかも知れません
    長期の改造計画の中にはエレベーター1機の設置が含まれているようで

  • 入り口の吹き抜け<br />縦パノラマ撮影です

    入り口の吹き抜け
    縦パノラマ撮影です

  • 2階から写した縦パノラマ

    2階から写した縦パノラマ

  • ヴァンゴッホ<br />収穫<br /><br />展示の中にゴッホが3枚ありました<br /><br />この美術館にゴッホがあるのはロダンが買ったのでしょうか?<br /><br />ゴッホは1853年生まれ1890年に37歳で死去<br />死ぬまでに売れた作品は1枚です<br />ロダンが生まれたのは1840年とゴッホより13歳も早く生まれています<br />そうすると、ロダンがゴッホの作品を買った可能性はない?!<br /><br />ところが、ロダンは77歳まで生きて1917年に死去している<br />つまり、ゴッホの死去後27年ロダンは生きていた<br />という事にで、ロダンが13歳年下のゴッホの作品を買い上げることはあり得たという事になります<br /><br />ロダン美術館のHPの記述によるとロダンが購入したようです<br /><br />http://www.musee-rodin.fr/en

    ヴァンゴッホ
    収穫

    展示の中にゴッホが3枚ありました

    この美術館にゴッホがあるのはロダンが買ったのでしょうか?

    ゴッホは1853年生まれ1890年に37歳で死去
    死ぬまでに売れた作品は1枚です
    ロダンが生まれたのは1840年とゴッホより13歳も早く生まれています
    そうすると、ロダンがゴッホの作品を買った可能性はない?!

    ところが、ロダンは77歳まで生きて1917年に死去している
    つまり、ゴッホの死去後27年ロダンは生きていた
    という事にで、ロダンが13歳年下のゴッホの作品を買い上げることはあり得たという事になります

    ロダン美術館のHPの記述によるとロダンが購入したようです

    http://www.musee-rodin.fr/en

  • この作品がゴッホの2枚目

    この作品がゴッホの2枚目

  • これが3枚目<br /><br />日本人にも馴染みのある<br />タンギー爺さん1887年作<br />油彩92x75cm<br />晩年ゴッホは同じ作品を何枚も描くようになります<br />このタンギー爺さん(PéreTanguy)も3枚あるのですがロダン美術館のものが一番だと思いますね<br /><br />ロダン美術館のHPの解説によると<br /><br />ロダンはゴッホにも関心を示したがタンギー爺さんの背景の日本の浮世絵にも関心があったそうです<br /><br />この3枚は1894年(ゴッホの死後4年、作品制作後7年後)に購入されたそうです<br />せめて、5年前に、ゴッホの死ぬ前にロダンの買い付けがあったらどうでしょうか?<br />ゴッホの人生は大きく変わっていたと考えるのは僕だけでしょうか?<br /><br />いずれにしても、ロダンはゴッホ同様ジャポニズムの賛同者だったようです<br /><br /><br />そういえば、葛飾北斎の富獄三十六景のうちの武蔵の国の浮世絵も展示されていました<br /><br />この浮世絵版画は、日本の白樺派から贈呈されたとロダン美術館のHPには記述されています<br /><br />白樺派の同人誌は1910年から1923年まで刊行されています<br />ご存知のように、白樺派は武者小路実篤、志賀直哉、柳宗悦等を中心にした文芸文化活動ですが、美術の歴史の中ではゴッホ、セザンヌ、ゴーギャン、ロダンを日本に紹介したことが大きな功績として評価されています<br /><br />白樺文学館HPによると<br /><br />http://www.shirakaba.gr.jp/tenmatu_ki/home/tayori/ctayori11.htm<br /><br />白樺派は1910年のロダン70歳の誕生日に浮世絵30枚を寄贈しています<br />ロダンからはそのお礼に小品3点が送られて来たそうで、横浜についた荷を引き取りに行った柳の文章が残されていますので興味があったらお読み下さい<br /><br />ロダン夫人25.3cm<br />パリのゴロツキの首8.8cm<br />或る小さな影31.5cm<br /><br />この小品3点は現在、倉敷の大原美術館にあると記述されています<br /><br />今でもあるのでしょうか?<br />見てみたいですね<br />ーーーーーーーーーーーーー<br />追記です<br />大原美術館参観記です。<br />https://4travel.jp/travelogue/11208242<br />

    これが3枚目

    日本人にも馴染みのある
    タンギー爺さん1887年作
    油彩92x75cm
    晩年ゴッホは同じ作品を何枚も描くようになります
    このタンギー爺さん(PéreTanguy)も3枚あるのですがロダン美術館のものが一番だと思いますね

    ロダン美術館のHPの解説によると

    ロダンはゴッホにも関心を示したがタンギー爺さんの背景の日本の浮世絵にも関心があったそうです

    この3枚は1894年(ゴッホの死後4年、作品制作後7年後)に購入されたそうです
    せめて、5年前に、ゴッホの死ぬ前にロダンの買い付けがあったらどうでしょうか?
    ゴッホの人生は大きく変わっていたと考えるのは僕だけでしょうか?

    いずれにしても、ロダンはゴッホ同様ジャポニズムの賛同者だったようです


    そういえば、葛飾北斎の富獄三十六景のうちの武蔵の国の浮世絵も展示されていました

    この浮世絵版画は、日本の白樺派から贈呈されたとロダン美術館のHPには記述されています

    白樺派の同人誌は1910年から1923年まで刊行されています
    ご存知のように、白樺派は武者小路実篤、志賀直哉、柳宗悦等を中心にした文芸文化活動ですが、美術の歴史の中ではゴッホ、セザンヌ、ゴーギャン、ロダンを日本に紹介したことが大きな功績として評価されています

    白樺文学館HPによると

    http://www.shirakaba.gr.jp/tenmatu_ki/home/tayori/ctayori11.htm

    白樺派は1910年のロダン70歳の誕生日に浮世絵30枚を寄贈しています
    ロダンからはそのお礼に小品3点が送られて来たそうで、横浜についた荷を引き取りに行った柳の文章が残されていますので興味があったらお読み下さい

    ロダン夫人25.3cm
    パリのゴロツキの首8.8cm
    或る小さな影31.5cm

    この小品3点は現在、倉敷の大原美術館にあると記述されています

    今でもあるのでしょうか?
    見てみたいですね
    ーーーーーーーーーーーーー
    追記です
    大原美術館参観記です。
    https://4travel.jp/travelogue/11208242

  • ゴッホの三枚が並ぶ部屋

    ゴッホの三枚が並ぶ部屋

  • あと、もう一枚気になった絵<br /><br />誰だと思います?<br /><br />この色づかい<br />不安定な印象ですね<br /><br />そうです<br />叫び<br />で有名なムンクです<br />エドワードムンク1863~1944享年81<br />ロダン美術館のHPの解説によると<br />Rodin&#39;s Thinker in Dr. Lindes&#39;s Garden in Lubeck<br />ロダン、ムンクの共通のスポンサーだったリンデ博士のルーベックの庭園に置かれたロダンの考える人を描いた絵だそうです<br />左下にリンデ夫人の白いシルエットが見えます<br />ムンクが神経症になる前の1908年10月に制作された作品です<br /><br />ムンクの代表作品叫び<br />あのような作品を描いた画家は短命だと思いがちですが、、、<br />81歳と長生きしました

    あと、もう一枚気になった絵

    誰だと思います?

    この色づかい
    不安定な印象ですね

    そうです
    叫び
    で有名なムンクです
    エドワードムンク1863~1944享年81
    ロダン美術館のHPの解説によると
    Rodin's Thinker in Dr. Lindes's Garden in Lubeck
    ロダン、ムンクの共通のスポンサーだったリンデ博士のルーベックの庭園に置かれたロダンの考える人を描いた絵だそうです
    左下にリンデ夫人の白いシルエットが見えます
    ムンクが神経症になる前の1908年10月に制作された作品です

    ムンクの代表作品叫び
    あのような作品を描いた画家は短命だと思いがちですが、、、
    81歳と長生きしました

  • 彫刻の展示<br />気になった作品を3点アップで撮りました<br />iPhoneは暗いところでは画質がガタンと落ちます、分かりずらい写真で申し訳ありません<br /><br />カミーユクローデル(1864~1943)<br />の作品<br />The Ages of Maturity or Destiny or the Path of Life or Fatality<br />が英語のタイトル<br />日本語でのタイトルは分別盛り第二バージョン<br /><br />老人が老婆に囁かれ歩いている、後ろから若い女が手を伸ばして縋りついているが、老人は若い女を置き去りにして進んで行く〜という構図です<br /><br />老人がロダン<br />老婆がロダンの内縁の妻ローズ<br />追い縋る若い女がカミーユ<br /><br />カミーユの人生はいくつも映画にもなっていて、ひとつはアカデミー主演女優賞を取っているのでご覧になった方も多いと思います<br /><br />幼い頃から彫刻に才能を発揮したカミーユは19歳の時に当時42歳のロダンの弟子になります<br />カミーユはとても美しく活発だったそうです<br />弟子として活躍しますが、じきに愛人関係になります<br />ロダンにはローズという内縁の妻がいました<br />ロダンはこの三角関係を15年にわたって続けます<br />カミーユは妊娠、流産の挙句、ロダンは心の安らぎを求めてローズの元戻ってしまいます<br />次第に精神の変調を来たしたカミーユは40代には精神病院に入院します<br />精神病院を退院する事は叶わず、ロダンへの憎しみと恨みで78歳の生涯を終えます<br /><br />カミーユにはポールという姉さん思いの弟(劇作家で外交官、日本の駐在した事もあり日本の文楽、歌舞伎、能楽をフランスに紹介した)がいます<br />ポールクローデルは姉の死後1951年にカミーユの作品展をこのロダン美術館で行っています<br /><br />この作品<br />分別盛り<br />はポールクローデルからカミーユ展の後、この美術館に寄贈されています<br /><br />

    彫刻の展示
    気になった作品を3点アップで撮りました
    iPhoneは暗いところでは画質がガタンと落ちます、分かりずらい写真で申し訳ありません

    カミーユクローデル(1864~1943)
    の作品
    The Ages of Maturity or Destiny or the Path of Life or Fatality
    が英語のタイトル
    日本語でのタイトルは分別盛り第二バージョン

    老人が老婆に囁かれ歩いている、後ろから若い女が手を伸ばして縋りついているが、老人は若い女を置き去りにして進んで行く〜という構図です

    老人がロダン
    老婆がロダンの内縁の妻ローズ
    追い縋る若い女がカミーユ

    カミーユの人生はいくつも映画にもなっていて、ひとつはアカデミー主演女優賞を取っているのでご覧になった方も多いと思います

    幼い頃から彫刻に才能を発揮したカミーユは19歳の時に当時42歳のロダンの弟子になります
    カミーユはとても美しく活発だったそうです
    弟子として活躍しますが、じきに愛人関係になります
    ロダンにはローズという内縁の妻がいました
    ロダンはこの三角関係を15年にわたって続けます
    カミーユは妊娠、流産の挙句、ロダンは心の安らぎを求めてローズの元戻ってしまいます
    次第に精神の変調を来たしたカミーユは40代には精神病院に入院します
    精神病院を退院する事は叶わず、ロダンへの憎しみと恨みで78歳の生涯を終えます

    カミーユにはポールという姉さん思いの弟(劇作家で外交官、日本の駐在した事もあり日本の文楽、歌舞伎、能楽をフランスに紹介した)がいます
    ポールクローデルは姉の死後1951年にカミーユの作品展をこのロダン美術館で行っています

    この作品
    分別盛り
    はポールクローデルからカミーユ展の後、この美術館に寄贈されています

  • The Cathedral<br />これはロダンの作品です<br /><br />二つの右手が組み合わせられた作品<br />誓約のアークという別名もあるようです<br /><br />ロダンの作品には手で精神性を表現したものが多いです<br />組み合わされた手と手の空間の設定が素晴らしいですね

    The Cathedral
    これはロダンの作品です

    二つの右手が組み合わせられた作品
    誓約のアークという別名もあるようです

    ロダンの作品には手で精神性を表現したものが多いです
    組み合わされた手と手の空間の設定が素晴らしいですね

  • Hanako Type E Masque 1911-12<br />花子のマスク タイプE<br /><br />花子、本名太田ひさ(1858~1945)<br />愛知県一宮市出身<br />1891年に33歳で単身でヨーロッパへ渡り舞台女優として活躍した<br />身長136cm 体重30kg<br />日本文化の紹介に貢献、花子一座を旗揚げし看板女優となります<br />森鷗外が彼女をモデルにして小説「花子」を書いている(青空文庫で無料で読めます)<br />川上音二郎と貞奴も有名ですがHanakoの名前のタバコ、酒が発売されたという大変な人気スターだったようです<br /><br />1906年、ロダン(66歳)は花子の舞台を見て、花子の切腹の場面の所作と表情のすざまじさに驚き、魅了され作品のモデルになるよう頼みます<br /><br />ロダンは彼女をプチトハナコ(小さな花子)と呼び可愛がり、妻のローズと3人で寝食を共にしたといいます<br />花子をモデルにして60点の作品を制作しています<br /><br />写真の作品は着色された珍しいものです<br />普通、半身像、顔だけの像が主流ですが顔の前面だけの作り方は欧米では少ないと思います<br />ジャポニズムの影響で、なんらかの機会に日本の能面をみて影響を受けたと推測する美術評論家もいるようです<br />ロダンの作品の中で風変わりですね<br /><br />この作品は白樺派の画家中川一政に<br />グロテスクで品がない<br />ロダンは以外と「詩」のない人物<br />と酷評された経緯があります<br /><br />花子は戦後、日本へ帰国します<br />その時に自分がモデルのロダンの作品を2点持ち帰っています<br />高村光太郎はじめ彫刻家が作品見たさに花子宅を訪れました<br />この小品2点は、新潟美術館に収蔵されていると言われています

    Hanako Type E Masque 1911-12
    花子のマスク タイプE

    花子、本名太田ひさ(1858~1945)
    愛知県一宮市出身
    1891年に33歳で単身でヨーロッパへ渡り舞台女優として活躍した
    身長136cm 体重30kg
    日本文化の紹介に貢献、花子一座を旗揚げし看板女優となります
    森鷗外が彼女をモデルにして小説「花子」を書いている(青空文庫で無料で読めます)
    川上音二郎と貞奴も有名ですがHanakoの名前のタバコ、酒が発売されたという大変な人気スターだったようです

    1906年、ロダン(66歳)は花子の舞台を見て、花子の切腹の場面の所作と表情のすざまじさに驚き、魅了され作品のモデルになるよう頼みます

    ロダンは彼女をプチトハナコ(小さな花子)と呼び可愛がり、妻のローズと3人で寝食を共にしたといいます
    花子をモデルにして60点の作品を制作しています

    写真の作品は着色された珍しいものです
    普通、半身像、顔だけの像が主流ですが顔の前面だけの作り方は欧米では少ないと思います
    ジャポニズムの影響で、なんらかの機会に日本の能面をみて影響を受けたと推測する美術評論家もいるようです
    ロダンの作品の中で風変わりですね

    この作品は白樺派の画家中川一政に
    グロテスクで品がない
    ロダンは以外と「詩」のない人物
    と酷評された経緯があります

    花子は戦後、日本へ帰国します
    その時に自分がモデルのロダンの作品を2点持ち帰っています
    高村光太郎はじめ彫刻家が作品見たさに花子宅を訪れました
    この小品2点は、新潟美術館に収蔵されていると言われています

  • 左側のバラ園<br />この寒さの中、咲くバラがありました

    左側のバラ園
    この寒さの中、咲くバラがありました

  • ホテルビロンに向かって左側のバラ園<br />中心には<br />The Three Shades<br />が置かれている

    ホテルビロンに向かって左側のバラ園
    中心には
    The Three Shades
    が置かれている

  • 庭園の壁沿い<br />地獄門を見て壁に沿って進むと<br />Marbles Gallery<br />があります<br />ガラス越しに作品が見学出来ます

    庭園の壁沿い
    地獄門を見て壁に沿って進むと
    Marbles Gallery
    があります
    ガラス越しに作品が見学出来ます

  • ロダン美術館のそばには<br />ザンヴァリッド<br />ナポレオンポナパルトとその一族が埋葬されている墓所があります<br />写真の奥に写っているドームがそれです

    ロダン美術館のそばには
    ザンヴァリッド
    ナポレオンポナパルトとその一族が埋葬されている墓所があります
    写真の奥に写っているドームがそれです

  • 盛り沢山の想いを胸にロダン美術館を後にしました<br /><br /><br />この後は<br />地下鉄を乗り継いでM10に乗り換えてCardinal Lemonie駅から歩いて5分<br />フランスの歴史的な人たちが埋葬されている<br />巨大な墓所<br />パンテオンを訪ねました<br />写真に下から2番目にパンテオンへの標識があります<br /><br />このくらいの雨だと傘は必要ですね

    盛り沢山の想いを胸にロダン美術館を後にしました


    この後は
    地下鉄を乗り継いでM10に乗り換えてCardinal Lemonie駅から歩いて5分
    フランスの歴史的な人たちが埋葬されている
    巨大な墓所
    パンテオンを訪ねました
    写真に下から2番目にパンテオンへの標識があります

    このくらいの雨だと傘は必要ですね

    パンテオン 建造物

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