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エジプト古代遺跡を訪ねる「おもしろ8日間」<br />■アレキサンドリア ■カイロ ■ルクソール ■アブシンベル ■ツタンカーメン ■王家の谷 ■ハトシュプスト女王葬祭殿 ■ムハンマドアリモスク ■ピラミッド ■コムオンボ ■エドフ ■イシス ■切りかけのオベリスク ■アスワン ■考古学博物館<br />

エジプトに行こう

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2010/08/23 - 2010/08/30

1777位(同エリア5928件中)

旅行記グループ ぽんとらのトラベル日記

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ぽんとら

ぽんとらさん

エジプト古代遺跡を訪ねる「おもしろ8日間」
■アレキサンドリア ■カイロ ■ルクソール ■アブシンベル ■ツタンカーメン ■王家の谷 ■ハトシュプスト女王葬祭殿 ■ムハンマドアリモスク ■ピラミッド ■コムオンボ ■エドフ ■イシス ■切りかけのオベリスク ■アスワン ■考古学博物館

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.0
グルメ
4.0
ショッピング
4.5
交通
4.0
同行者
家族旅行
一人あたり費用
25万円 - 30万円
交通手段
鉄道 観光バス 徒歩 飛行機
航空会社
エジプト航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • 今回はHIS社の「古代エジプト歴遊8日間」というツアーに申し込み、家族3人(私たち夫婦と次女)でエジプト旅行を楽しみました。エジプトは初めてでしたがアフリカ大陸も初めての旅でした。

    今回はHIS社の「古代エジプト歴遊8日間」というツアーに申し込み、家族3人(私たち夫婦と次女)でエジプト旅行を楽しみました。エジプトは初めてでしたがアフリカ大陸も初めての旅でした。

  • エジプトツアーの旅程表です。<br />8日間のツアーの主な日程です。<br />1日目 … 成田空港 → カイロ空港 :ギザ泊<br />2日目 … アレキサンドリア観光 → カイロ空港 → ルクソールへ :ルクソール泊<br />3日目 … ルクソール(西岸、東岸)観光 :ルクソール連泊 <br />4日目 … エドフ/コムオンボ/アスワン観光 :アスワン泊<br />5日目 … アブシンベル観光 → アスワンへ → 寝台車でカイロへ :寝台車泊<br />6日目 … ピラミッド/スフィンクス観光 :カイロ泊<br />7日目 … カイロ市内観光 → カイロ空港 → 成田空港へ :機内泊<br />8日目 … 成田到着

    エジプトツアーの旅程表です。
    8日間のツアーの主な日程です。
    1日目 … 成田空港 → カイロ空港 :ギザ泊
    2日目 … アレキサンドリア観光 → カイロ空港 → ルクソールへ :ルクソール泊
    3日目 … ルクソール(西岸、東岸)観光 :ルクソール連泊 
    4日目 … エドフ/コムオンボ/アスワン観光 :アスワン泊
    5日目 … アブシンベル観光 → アスワンへ → 寝台車でカイロへ :寝台車泊
    6日目 … ピラミッド/スフィンクス観光 :カイロ泊
    7日目 … カイロ市内観光 → カイロ空港 → 成田空港へ :機内泊
    8日目 … 成田到着

  • エジプト旅行1日目     2010年8月23日(月) <br /><br />5:00 起床<br />6:15 出発<br />高速バスで群馬県から成田空港に向かいましたが 高速道路が渋滞していたので高速道路から降りて一般国道を走って空港に到着しました。かなり時間がかかりました。珍しい事です。

    エジプト旅行1日目     2010年8月23日(月)  

    5:00 起床
    6:15 出発
    高速バスで群馬県から成田空港に向かいましたが 高速道路が渋滞していたので高速道路から降りて一般国道を走って空港に到着しました。かなり時間がかかりました。珍しい事です。

  •  9:20 成田空港第二ターミナルに到着。渋滞で1時間半遅れです。

    9:20 成田空港第二ターミナルに到着。渋滞で1時間半遅れです。

  • HIS指定の集合時間(10:40)まで時間があったので空港4階のイタリアンレストラン「パウゼ」 という店で軽く食事しました。 

    HIS指定の集合時間(10:40)まで時間があったので空港4階のイタリアンレストラン「パウゼ」 という店で軽く食事しました。 

  • 軽食後でしたがタコ焼き屋さんの前を通ったら食べたくなってしまいました。

    軽食後でしたがタコ焼き屋さんの前を通ったら食べたくなってしまいました。

  • 10:40  集合<br />集合場所である北団体カウンター「HISインプレッソ前」に集合しeチケットをもらい、その後、手荷物カウンターでスーツケースを預けました。そのときにエジプト入国査証代の一人15ドルを米ドルで支払いました。

    10:40  集合
    集合場所である北団体カウンター「HISインプレッソ前」に集合しeチケットをもらい、その後、手荷物カウンターでスーツケースを預けました。そのときにエジプト入国査証代の一人15ドルを米ドルで支払いました。

  • セキュリティーチェックも何とか終え、次は出国手続きだがこれはいたって簡単。単にパスポートを出国審査官に提示すればOK。 出国手続きを終えたあとは免税店に行って妻はあとで日本に帰って来てから使う化粧品を購入していました。 エジプト航空の機内サービスではアルコールが出ないので搭乗ゲート付近の売店で ビール350ml缶を2缶購入。また水1L入りのペットボトル2本も購入。この水はエジプトに着いてすぐにホテルに向かうので 飲料用や歯磨き用として購入しておきました。 <br />13:15 搭乗開始<br />13:50 航空機が駐機場から離れる。<br />14:05 成田滑走路を離陸。

    セキュリティーチェックも何とか終え、次は出国手続きだがこれはいたって簡単。単にパスポートを出国審査官に提示すればOK。 出国手続きを終えたあとは免税店に行って妻はあとで日本に帰って来てから使う化粧品を購入していました。 エジプト航空の機内サービスではアルコールが出ないので搭乗ゲート付近の売店で ビール350ml缶を2缶購入。また水1L入りのペットボトル2本も購入。この水はエジプトに着いてすぐにホテルに向かうので 飲料用や歯磨き用として購入しておきました。
    13:15 搭乗開始
    13:50 航空機が駐機場から離れる。
    14:05 成田滑走路を離陸。

  • 15:00  <br />早くも離陸して1時間後に飲み物と夕食が配膳され始めました。もう少し食事まで時間があると思っていたので急いで私と妻は空港で買ったビールとつまみを取り出し食前酒がわりに一杯やり始めました。

    15:00  
    早くも離陸して1時間後に飲み物と夕食が配膳され始めました。もう少し食事まで時間があると思っていたので急いで私と妻は空港で買ったビールとつまみを取り出し食前酒がわりに一杯やり始めました。

  • かなり険しい山脈(テンシャン山脈?)を通過。

    かなり険しい山脈(テンシャン山脈?)を通過。

  • ちなみに機体はボーイング社の777-300ERで今年度からカイロ―東京間に就航した最新鋭機でした。 乗客は400人以上を収容できる大きさで全席にタッチパネル形式の液晶モニターが搭載され1列に9人が座れます。8割くらいの搭乗率といった具合でした。

    ちなみに機体はボーイング社の777-300ERで今年度からカイロ―東京間に就航した最新鋭機でした。 乗客は400人以上を収容できる大きさで全席にタッチパネル形式の液晶モニターが搭載され1列に9人が座れます。8割くらいの搭乗率といった具合でした。

  • 搭乗中に入国カードを作成しました。

    搭乗中に入国カードを作成しました。

  • 16:00(以下、エジプト時間)       <br />成田を出発して9時間後(エジプト到着4時間前)に2回目の食事が提供されました。「鮭の照り焼き」と「ビーフの焼肉」と「海鮮おかゆ」が選択できましたが私は「海鮮おかゆ」にしました。美味でこれまた完食しました。<br />18:00  <br />到着2時間前に軽食が配られました。鮭のおにぎりと、どういうわけか 広島名物「紅葉饅頭」でした。

    16:00(以下、エジプト時間)        
    成田を出発して9時間後(エジプト到着4時間前)に2回目の食事が提供されました。「鮭の照り焼き」と「ビーフの焼肉」と「海鮮おかゆ」が選択できましたが私は「海鮮おかゆ」にしました。美味でこれまた完食しました。
    18:00  
    到着2時間前に軽食が配られました。鮭のおにぎりと、どういうわけか 広島名物「紅葉饅頭」でした。

  • 20:00  カイロ空港に到着<br />飛行機からバスでターミナルまで行き、最初に両替をします。両替をしているときに添乗員がビザ(査証)を購入してきてくれました。そのビザはシールになっているので剥がしてパスポートに貼り付け入国審査を通過します。<br />さて両替ですが我が家は3人で10,000円をエジプトポンドに両替しました。両替所で1万円を出すと<br />・50ポンド紙幣×1枚=50ポンド  <br />・10ポンド紙幣×10枚=100ポンド <br />・5ポンド紙幣×101枚=505ポンド<br />・1ポンド硬貨×4枚=4ポンド            <br />合計 659ポンドと交換できました。

    20:00  カイロ空港に到着
    飛行機からバスでターミナルまで行き、最初に両替をします。両替をしているときに添乗員がビザ(査証)を購入してきてくれました。そのビザはシールになっているので剥がしてパスポートに貼り付け入国審査を通過します。
    さて両替ですが我が家は3人で10,000円をエジプトポンドに両替しました。両替所で1万円を出すと
    ・50ポンド紙幣×1枚=50ポンド  
    ・10ポンド紙幣×10枚=100ポンド
    ・5ポンド紙幣×101枚=505ポンド
    ・1ポンド硬貨×4枚=4ポンド            
    合計 659ポンドと交換できました。

  • 両替所の前に表示されているレートは、<br />0.06576ポンド=1円 つまり 1ポンド=15.207円でした。<br />ちなみに日本でエジプトドルに両替可能ですが1エジプトポンド=22円くらいとレートは悪いのでエジプトで両替した方が得です。<br />また米ドルですがエジプト旅行中、1ドル=5エジプトポンドというレートでどこへ行ってもドルそしてエジプトポンドとも対等に使用することができました。どちらが主要通貨なのかわからないくらいでした。

    両替所の前に表示されているレートは、
    0.06576ポンド=1円 つまり 1ポンド=15.207円でした。
    ちなみに日本でエジプトドルに両替可能ですが1エジプトポンド=22円くらいとレートは悪いのでエジプトで両替した方が得です。
    また米ドルですがエジプト旅行中、1ドル=5エジプトポンドというレートでどこへ行ってもドルそしてエジプトポンドとも対等に使用することができました。どちらが主要通貨なのかわからないくらいでした。

  • 21:00  <br />両替が済むとスーツケースをピックアップし、迎えに来ていた現地ガイドさんの後についてターミナルからバスに移動しホテル行きのバスに乗車しました。 このバスの中で今回のツアーに同行する現地ガイドのM(エジプト人)さんが紹介されました。 日本に留学経験があるので日本語がぺらぺらでした。    <br />またバスに乗車後、ホテルに着くまでに添乗員のKさんからいくつかのアドバイスがありました。    <br />①エジプト旅行中はミネラルウォーター以外の水や水道水は絶対に飲まないこと。歯磨きするときも水道の水は使用せず、ミネラルウォーターを使用すること。  <br />②ツァー中、毎日1本のミネラルウォーターを無料で各人1本ずつ配布する。また、それ以外の水はバスの中で2本1ドルで販売する。    <br />③現在、エジプトはラマダン中なので日中は人通りが少なく、夜になると食事や礼拝で人通りが 多くなる。ラマダン中は博物館が早く閉まるなどの時間制限を受ける。また旅行客向けにアルコールを提供しないレストランも増える。ベリーダンスで肌の露出が少なくなるなどの制限がでてくる。悪いことずくめのようだが、イスラム国のラマダンを直接見ることができるのは非常にラッキーなことである。貴重な経験なのでよく観察してみるべきである。 <br />④ジュースは氷なしのものを頼むこと。HIS添乗員が同行するときは飲み物は全て氷なしにするよう伝えてある。     <br />⑤野菜も生水で洗っている可能性があるので食べないように。フルーツは大丈夫である。          <br />⑥貨幣はエジプトポンドそしてアメリカドルどちらも同じように使うことができる。1ドル=5ポンドで換算する。          <br />⑦枕チップは米ドルで1ドル、トイレチップは1エジプトポンドを払うように。 <br />⑧エジプトポンドは日本で換金できないのでエジプト内で使い切るように。ただし、エジプト考古学博物館でミイラ室へ入場する人は入場料が一人100ポンド必要なので残して置くこと。最終日に見学する。<br />HISからのサービスとしてエジプト旅行中は、毎日一人一本ずつミネラルウォーターが配られました。エジプト旅行中、忙しくて水を買っている時間がなかったのでこのサービスは非常に有り難かったですね。<br />22:45 <br />バスがホテルに到着。 <br />1泊目のホテルはカイロ市内のギザ地区にあるアマランテ・ピラミッドというホテルでした。暗くて外観がよくわかりませんでしたが。<br />1日目の万歩計データです。    <br />・歩数=6100歩、歩行距離=4.5km、消費カロリー=230kcal<br />でした。

    21:00  
    両替が済むとスーツケースをピックアップし、迎えに来ていた現地ガイドさんの後についてターミナルからバスに移動しホテル行きのバスに乗車しました。 このバスの中で今回のツアーに同行する現地ガイドのM(エジプト人)さんが紹介されました。 日本に留学経験があるので日本語がぺらぺらでした。    
    またバスに乗車後、ホテルに着くまでに添乗員のKさんからいくつかのアドバイスがありました。    
    ①エジプト旅行中はミネラルウォーター以外の水や水道水は絶対に飲まないこと。歯磨きするときも水道の水は使用せず、ミネラルウォーターを使用すること。  
    ②ツァー中、毎日1本のミネラルウォーターを無料で各人1本ずつ配布する。また、それ以外の水はバスの中で2本1ドルで販売する。    
    ③現在、エジプトはラマダン中なので日中は人通りが少なく、夜になると食事や礼拝で人通りが 多くなる。ラマダン中は博物館が早く閉まるなどの時間制限を受ける。また旅行客向けにアルコールを提供しないレストランも増える。ベリーダンスで肌の露出が少なくなるなどの制限がでてくる。悪いことずくめのようだが、イスラム国のラマダンを直接見ることができるのは非常にラッキーなことである。貴重な経験なのでよく観察してみるべきである。  
    ④ジュースは氷なしのものを頼むこと。HIS添乗員が同行するときは飲み物は全て氷なしにするよう伝えてある。   
    ⑤野菜も生水で洗っている可能性があるので食べないように。フルーツは大丈夫である。
    ⑥貨幣はエジプトポンドそしてアメリカドルどちらも同じように使うことができる。1ドル=5ポンドで換算する。
    ⑦枕チップは米ドルで1ドル、トイレチップは1エジプトポンドを払うように。
    ⑧エジプトポンドは日本で換金できないのでエジプト内で使い切るように。ただし、エジプト考古学博物館でミイラ室へ入場する人は入場料が一人100ポンド必要なので残して置くこと。最終日に見学する。
    HISからのサービスとしてエジプト旅行中は、毎日一人一本ずつミネラルウォーターが配られました。エジプト旅行中、忙しくて水を買っている時間がなかったのでこのサービスは非常に有り難かったですね。
    22:45 
    バスがホテルに到着。
    1泊目のホテルはカイロ市内のギザ地区にあるアマランテ・ピラミッドというホテ ルでした。暗くて外観がよくわかりませんでしたが。
    1日目の万歩計データです。    
    ・歩数=6100歩、歩行距離=4.5km、消費カロリー=230kcal
    でした。

  • 一夜明けて朝になってホテルを散歩したら結構よいホテルでした。

    一夜明けて朝になってホテルを散歩したら結構よいホテルでした。

  • エジプト旅行2日目     2010年8月24日(火)<br /><br />5:30  モーニングコール<br />6:15  荷物出し<br />6:20  朝食<br />朝食はブッフェスタイルでパンの種類は豊富でしたが衛生上の理由で野菜サラダやフルーツが食べられないのはつらかったですね。飲み物はジュースが2種類(オレンジとカルカデジュース)ありました。カルカデはハイビスカスのジュースで酸味がありおいしかったです。<br />ちなみにエジプト人の主食は、     <br />1位…ナン(パン生地を平らにしたものでその間にいろいろはさんで食べる。) <br />2位…ライス(米)       <br />ということでした。しかし、アマランテ・ピラミッドホテルの朝食にはライスはなく残念でした。

    エジプト旅行2日目     2010年8月24日(火)

    5:30  モーニングコール
    6:15  荷物出し
    6:20  朝食
    朝食はブッフェスタイルでパンの種類は豊富でしたが衛生上の理由で野菜サラダやフルーツが食べられないのはつらかったですね。飲み物はジュースが2種類(オレンジとカルカデジュース)ありました。カルカデはハイビスカスのジュースで酸味がありおいしかったです。
    ちなみにエジプト人の主食は、      
    1位…ナン(パン生地を平らにしたものでその間にいろいろはさんで食べる。)
    2位…ライス(米)       
    ということでした。しかし、アマランテ・ピラミッドホテルの朝食にはライスはなく残念でした。

  • 私はパンとソーセージにしました。御飯が欲しい~。(笑)

    私はパンとソーセージにしました。御飯が欲しい~。(笑)

  • 7:00  集合&出発  <br />ホテルのロビーに7時集合でしたが5分前には全員(22名)集合してホテル前に来ていたバスに乗車しました。

    7:00  集合&出発  
    ホテルのロビーに7時集合でしたが5分前には全員(22名)集合してホテル前に来ていたバスに乗車しました。

  • バスの座席は旅行期間中、特に指定されていませんでした。我が家は、妻がバス酔いするので前のほうの席に座りました。40人乗りのバスに22人なのでほとんどの人が2人掛けの座席に一人で座っていました。我が家の3人もそうしていたのですごくゆったりとでき非常に楽でした。最近、外国でのバスの事故が多いので添乗員のKさんからは常にシートベルトをするように 言われ、結構、みんなそれに従っていました。

    バスの座席は旅行期間中、特に指定されていませんでした。我が家は、妻がバス酔いするので前のほうの席に座りました。40人乗りのバスに22人なのでほとんどの人が2人掛けの座席に一人で座っていました。我が家の3人もそうしていたのですごくゆったりとでき非常に楽でした。最近、外国でのバスの事故が多いので添乗員のKさんからは常にシートベルトをするように 言われ、結構、みんなそれに従っていました。

  • ギザのアマランテピラミッドホテルを出発するとすぐに街中にクフ王とカフラー王のピラミッドが車窓から見えました。あまりにも街中にあるのでびっくりしました。初めて肉眼でみるピラミッドデビューでした。感激。

    ギザのアマランテピラミッドホテルを出発するとすぐに街中にクフ王とカフラー王のピラミッドが車窓から見えました。あまりにも街中にあるのでびっくりしました。初めて肉眼でみるピラミッドデビューでした。感激。

  • カイロからバスで最初の観光地アレキサンドリアに行くのに3時間かかりました。その間、寝ている人も多かったが私は現地ガイドのMさんの話に興味がありずっと起きて聞いていました。  <br />エジプトは面積が100万平方キロで日本(38万平方キロ)の約3倍あります。人口8300万人です。カイロ周辺の人口だけで約2000万人。国の形は昔、イギリスの植民地時代に経線と緯線で国境線が引かれていたこともあり、だいたい正方形で縦・横が約1000kmです。 国土は広いが93%が砂漠だそうです。残り7%のところに人間が暮らしています。一番高い山はシナイ山で2285m。約5200年前の文字が一番古く、よって歴史の記録は5200年前から始まります。ナイル川流域が人が住んでいるところで南が上流で、北が下流にあたるのでカイロなどの北の地区を下エジプト、アブシンベルのほうを上エジプトと呼びます。エジプトには、川はナイル川1本しかありません。ただしナイル川は下流で大きく2つの 川(デミエッタ川とロゼッタ川)に分かれデルタ状に肥沃地帯を形成しています。その肥沃地帯はデルタ地帯と呼ばれています。ナイル川は全長6700kmあり世界で 一番長い川です。ヴィクトリア湖は 世界で3番目に大きい湖で68000平方キロメートルの広さがあり琵琶湖の約100倍です。これがナイル川の水源です。 エジプトにも乾季と雨季があるそうです。11月~3月ころが乾季で5月~9月ころが雨季です。下エジプトでは年に3~4回雨が降りますがルクソールのほうではほとんど雨が降らないそうです。ルクソールでは10年に1~2回しか雨が降らないようです。現地ガイドのMさんがガイドの仕事をして15年になるそうですがルクソールへ行ったなかで1日だけ雨が降ったことがあるくらい雨が降らないようです。<br />宗教はイスラム教徒が約85%で他にキリスト教(コプト教)その他が15%です。途中でトイレタイムがありました。文字通り、トイレ場所を提供しているのだがお菓子や飲み物も売っており、いつも多めの 店員がたむろして居ます。 そして、トイレ前でチップ(1エジプトポンド)と交換にペーパーを何枚かくれます。トイレチップは1ポンドですが1ドル出すと1ドル=5ポンドなので4ポンドのお釣りをくれます。お釣りと言わないと1ドル全部とられてしまうので要注意です。<br />カイロからアレキサンドリアへの道路は高速道路のようでしたエジプトには高速道路はないそうです。この道路の近辺はナイル川の恩恵を受け緑で一杯なのですが川から少し離れると砂漠となっています。日本では考えられない風景です。

    カイロからバスで最初の観光地アレキサンドリアに行くのに3時間かかりました。その間、寝ている人も多かったが私は現地ガイドのMさんの話に興味がありずっと起きて聞いていました。  
    エジプトは面積が100万平方キロで日本(38万平方キロ)の約3倍あります。人口8300万人です。カイロ周辺の人口だけで約2000万人。国の形は昔、イギリスの植民地時代に経線と緯線で国境線が引かれていたこともあり、だいたい正方形で縦・横が約1000kmです。 国土は広いが93%が砂漠だそうです。残り7%のところに人間が暮らしています。一番高い山はシナイ山で2285m。約5200年前の文字が一番古く、よって歴史の記録は5200年前から始まります。ナイル川流域が人が住んでいるところで南が上流で、北が下流にあたるのでカイロなどの北の地区を下エジプト、アブシンベルのほうを上エジプトと呼びます。エジプトには、川はナイル川1本しかありません。ただしナイル川は下流で大きく2つの 川(デミエッタ川とロゼッタ川)に分かれデルタ状に肥沃地帯を形成しています。その肥沃地帯はデルタ地帯と呼ばれています。ナイル川は全長6700kmあり世界で 一番長い川です。ヴィクトリア湖は 世界で3番目に大きい湖で68000平方キロメートルの広さがあり琵琶湖の約100倍です。これがナイル川の水源です。 エジプトにも乾季と雨季があるそうです。11月~3月ころが乾季で5月~9月ころが雨季です。下エジプトでは年に3~4回雨が降りますがルクソールのほうではほとんど雨が降らないそうです。ルクソールでは10年に1~2回しか雨が降らないようです。現地ガイドのMさんがガイドの仕事をして15年になるそうですがルクソールへ行ったなかで1日だけ雨が降ったことがあるくらい雨が降らないようです。
    宗教はイスラム教徒が約85%で他にキリスト教(コプト教)その他が15%です。途中でトイレタイムがありました。文字通り、トイレ場所を提供しているのだがお菓子や飲み物も売っており、いつも多めの 店員がたむろして居ます。 そして、トイレ前でチップ(1エジプトポンド)と交換にペーパーを何枚かくれます。トイレチップは1ポンドですが1ドル出すと1ドル=5ポンドなので4ポンドのお釣りをくれます。お釣りと言わないと1ドル全部とられてしまうので要注意です。
    カイロからアレキサンドリアへの道路は高速道路のようでしたエジプトには高速道路はないそうです。この道路の近辺はナイル川の恩恵を受け緑で一杯なのですが川から少し離れると砂漠となっています。日本では考えられない風景です。

  • ナイル川下流のデルタ地帯にアレキサンドリアがあります。地中海に面しており「地中海の真珠」 と呼ばれている街です。今回のツアーの最初の観光地です。アレキサンドリアはエジプト第二の都市で人口は約400万人。かの有名なマケドニア王のアレキサンダー(アレキサンドロス)大王が紀元前332年にエジプトを征服し建設した都市です。アレキサンダー大王は33歳で亡くなりますがその部下だったプトレマイオス1世が エジプトを支配し、ここを首都にプトレマイオス朝が約300年にわたって繁栄しました。クレオパトラが愛した街としても知られています。

    ナイル川下流のデルタ地帯にアレキサンドリアがあります。地中海に面しており「地中海の真珠」 と呼ばれている街です。今回のツアーの最初の観光地です。アレキサンドリアはエジプト第二の都市で人口は約400万人。かの有名なマケドニア王のアレキサンダー(アレキサンドロス)大王が紀元前332年にエジプトを征服し建設した都市です。アレキサンダー大王は33歳で亡くなりますがその部下だったプトレマイオス1世が エジプトを支配し、ここを首都にプトレマイオス朝が約300年にわたって繁栄しました。クレオパトラが愛した街としても知られています。

  • アレキサンドリアの街中に入ってまず目についたのはタクシーの多さとオンボロさでした。 カイロに比較するとタクシーが古く、エアコンなどは、装備されておらず窓は全開です。 エジプトのタクシーにも料金メーターはついていますが単なる飾りのようなもので 料金は交渉で決まるとのこと。運転手はタバコをすいながら運転し、自分の好きな音楽をガンガン音量を 大きくして聞いているのがエジプト流のようです。乗る前に行き場所と料金を決めておかないとあとで過多の料金を請求されるとのこと。アレキサンドリアのタクシーは黄色と黒のツートンカラーです。エジプトは車社会で歩行者よりも車が優先されているそうです。渋滞解消のため政府方針で信号機がほとんどありません。歩行者が道路を横断するのが神技で日本人には理解しがたいような横断をします。交通事故が多く年間の死者は6万人と聞きましたが横断の仕方を見ただけで頷けました。

    アレキサンドリアの街中に入ってまず目についたのはタクシーの多さとオンボロさでした。 カイロに比較するとタクシーが古く、エアコンなどは、装備されておらず窓は全開です。 エジプトのタクシーにも料金メーターはついていますが単なる飾りのようなもので 料金は交渉で決まるとのこと。運転手はタバコをすいながら運転し、自分の好きな音楽をガンガン音量を 大きくして聞いているのがエジプト流のようです。乗る前に行き場所と料金を決めておかないとあとで過多の料金を請求されるとのこと。アレキサンドリアのタクシーは黄色と黒のツートンカラーです。エジプトは車社会で歩行者よりも車が優先されているそうです。渋滞解消のため政府方針で信号機がほとんどありません。歩行者が道路を横断するのが神技で日本人には理解しがたいような横断をします。交通事故が多く年間の死者は6万人と聞きましたが横断の仕方を見ただけで頷けました。

  • 路面電車が走っていましたがこれも汚い。街中も至るところにゴミが散乱しており非常に汚い印象です。

    路面電車が走っていましたがこれも汚い。街中も至るところにゴミが散乱しており非常に汚い印象です。

  • 10:15 <br />アレキサンドリアに到着。最初の見学場所はカタコンペ(キリスト教徒の地下墓地)です。ここは、写真撮影が禁止。地上の入り口部分の写真しか撮影できませんでした。カタコンペと言うのは英語「catacomb」で「地下墓地」のことです。 <br />100年ほど前に、ロバがこの地下墓地を隠していた蓋を足で壊したことにより発見されたとガイド のMさんが説明してくれました。地上から地下につながる螺旋階段を下りて行くと地下1~3階までが約300体が収容できる墓地となっており 各階に棺桶くらいの横穴が無数に作られていました。ミイラにしてこの石の横 穴に隠して置いたのでしょう。また、各階を貫く大きな円形の穴があいており、そこから ミイラをつるして各階に運んだようです。手で触ってみると石は砂岩でできており加工はしやすかったようです。紀元後1~2世紀のローマ時代にはキリスト教徒は、迫害を受けており多くの信者の共同墓地が秘密に造られ使われていたとのことです。<br />各階には礼拝堂や食堂もありました。またミイラづくりのレリーフや古代エジプト遺跡で見られるようなレリーフや彫刻も多数残っていました。中は迷路のようになっており、かなり広いです。また人間の骨らしきものが多量に置いてありましたがこれは近年のDNA鑑定の結果、どういうわけか馬の骨だということが判明したそうです。迫害されたキリスト教徒がこの共同墓地という共同の隠れ家で食事をしたりお祈りをしたり、そして死んだあとはお墓として使用していたのでしょう。アレキサンドリア市内の遺跡としては最も印象深い、見ごたえのある遺跡でした。なかなか素晴らしい遺跡です。ガイドさんがところどころで丁寧に説明してくれました。イヤホンガイドが一人に1台配布 されており、少し離れていてもガイドさんの話が聞けるのは助かりました。最初、発見された時にはミイラが10体ばかりあったそうですが現在、そのミイラは博物館に移されています。地下3階は地下水で水浸しになっており見学はできません。写真に撮れず残念でしたがアレキサンドリアに行ったら必ず見学すべき遺跡だと思いました。<br />このカタコンペの見学には約30分かかりました。集合時間は見学する前にガイドさんがその都度、設定していました。遅刻はしませんでしたが最後までこのカタコンペを見学していたのは私でした。それくらい価値のある遺跡だと思ったのでしたがそう思っていたのは私くらいなのかなあ・・・。

    10:15 
    アレキサンドリアに到着。最初の見学場所はカタコンペ(キリスト教徒の地下墓地)です。ここは、写真撮影が禁止。地上の入り口部分の写真しか撮影できませんでした。カタコンペと言うのは英語「catacomb」で「地下墓地」のことです。
    100年ほど前に、ロバがこの地下墓地を隠していた蓋を足で壊したことにより発見されたとガイド のMさんが説明してくれました。地上から地下につながる螺旋階段を下りて行くと地下1~3階までが約300体が収容できる墓地となっており 各階に棺桶くらいの横穴が無数に作られていました。ミイラにしてこの石の横 穴に隠して置いたのでしょう。また、各階を貫く大きな円形の穴があいており、そこから ミイラをつるして各階に運んだようです。手で触ってみると石は砂岩でできており加工はしやすかったようです。紀元後1~2世紀のローマ時代にはキリスト教徒は、迫害を受けており多くの信者の共同墓地が秘密に造られ使われていたとのことです。
    各階には礼拝堂や食堂もありました。またミイラづくりのレリーフや古代エジプト遺跡で見られるようなレリーフや彫刻も多数残っていました。中は迷路のようになっており、かなり広いです。また人間の骨らしきものが多量に置いてありましたがこれは近年のDNA鑑定の結果、どういうわけか馬の骨だということが判明したそうです。迫害されたキリスト教徒がこの共同墓地という共同の隠れ家で食事をしたりお祈りをしたり、そして死んだあとはお墓として使用していたのでしょう。アレキサンドリア市内の遺跡としては最も印象深い、見ごたえのある遺跡でした。なかなか素晴らしい遺跡です。ガイドさんがところどころで丁寧に説明してくれました。イヤホンガイドが一人に1台配布 されており、少し離れていてもガイドさんの話が聞けるのは助かりました。最初、発見された時にはミイラが10体ばかりあったそうですが現在、そのミイラは博物館に移されています。地下3階は地下水で水浸しになっており見学はできません。写真に撮れず残念でしたがアレキサンドリアに行ったら必ず見学すべき遺跡だと思いました。
    このカタコンペの見学には約30分かかりました。集合時間は見学する前にガイドさんがその都度、設定していました。遅刻はしませんでしたが最後までこのカタコンペを見学していたのは私でした。それくらい価値のある遺跡だと思ったのでしたがそう思っていたのは私くらいなのかなあ・・・。

  • 11:50  <br />カタコンペからバスで少し移動するとすぐ次の観光場所のポンペイの柱です。小高い丘の上に1本の柱と2体のスフィンクスが残っているだけです。

    11:50  
    カタコンペからバスで少し移動するとすぐ次の観光場所のポンペイの柱です。小高い丘の上に1本の柱と2体のスフィンクスが残っているだけです。

  • 現在残っているのはそれだけです。検問があり荷物チェックをしました。アレキサンドリアで信仰されたセラピス神を祭ってローマ皇帝が紀元後300年ころ建てた神殿の跡らしいです。神殿と図書館があり、柱は400本もあったそうですがその後、キリスト教徒に破壊され今は1本しか残っていません。それでもこの柱、周囲が8m、高さが30mもあり立派なものです。アスワンの花崗岩が使われています。

    現在残っているのはそれだけです。検問があり荷物チェックをしました。アレキサンドリアで信仰されたセラピス神を祭ってローマ皇帝が紀元後300年ころ建てた神殿の跡らしいです。神殿と図書館があり、柱は400本もあったそうですがその後、キリスト教徒に破壊され今は1本しか残っていません。それでもこの柱、周囲が8m、高さが30mもあり立派なものです。アスワンの花崗岩が使われています。

  • このポンペイの柱が立っている丘の下にはちゃんと図書館跡の地下室もあり、迷路のようになっているがちゃんと見学できます。 結構広いです。ここは、少し暗いので懐中電灯があると便利でしょう。ポンペイの柱と言うのでイタリアのポンペイと関係があるのかなと思いましたが全く関係なく、ローマ帝国のカエサルとそのライバルであったポンペイウスそしてクレオパトラがアレキサンドリアで繰り広げた戦いのなかで最終的に敗れたポンペイウスのお寺(寺院)の跡(実際は違う)ではないかと後世の人々が勘違いして命名したようです。まだクレオパトラの墓は、発見されていませんがどうもこのポンペイの柱の下に埋葬されているのではないかとの言い伝えがあるそうですが真実は不明のままです。

    このポンペイの柱が立っている丘の下にはちゃんと図書館跡の地下室もあり、迷路のようになっているがちゃんと見学できます。 結構広いです。ここは、少し暗いので懐中電灯があると便利でしょう。ポンペイの柱と言うのでイタリアのポンペイと関係があるのかなと思いましたが全く関係なく、ローマ帝国のカエサルとそのライバルであったポンペイウスそしてクレオパトラがアレキサンドリアで繰り広げた戦いのなかで最終的に敗れたポンペイウスのお寺(寺院)の跡(実際は違う)ではないかと後世の人々が勘違いして命名したようです。まだクレオパトラの墓は、発見されていませんがどうもこのポンペイの柱の下に埋葬されているのではないかとの言い伝えがあるそうですが真実は不明のままです。

  • ポンペイの柱の周囲は周回できるので相当暑かったですが歩いてみました。遺跡がところどころに無造作に屋外展示されています。また遺跡の周囲には民家が何軒も隣接しているのがいかにもエジプトらしいです。30分くらいかけて見学しました。

    ポンペイの柱の周囲は周回できるので相当暑かったですが歩いてみました。遺跡がところどころに無造作に屋外展示されています。また遺跡の周囲には民家が何軒も隣接しているのがいかにもエジプトらしいです。30分くらいかけて見学しました。

  • 修復予定なのか?たぶん集めて置いてあるだけなのでしょうね。

    修復予定なのか?たぶん集めて置いてあるだけなのでしょうね。

  • 最後に記念撮影。

    最後に記念撮影。

  • 11:40  <br />次はカイトベイ要塞です。白い大きな城壁が威風堂々としてドンと建っています。15世紀にカイトベイというスルタン(イスラム朝の君主)が建てた要塞です。もともとこのカイトベイ要塞が建てられている場所に世界の7不思議と言われた「ファロス島の灯台」(紀元前3世紀に建てられた高さ134mの大灯台)が 建てられていましたが14世紀に地震で崩壊してしまいました。その大理石などの建材を用いてこのカイトベイ要塞が造られたようです。中には砲台などもあります。第二の十字軍に備えたのでしょうか。

    11:40  
    次はカイトベイ要塞です。白い大きな城壁が威風堂々としてドンと建っています。15世紀にカイトベイというスルタン(イスラム朝の君主)が建てた要塞です。もともとこのカイトベイ要塞が建てられている場所に世界の7不思議と言われた「ファロス島の灯台」(紀元前3世紀に建てられた高さ134mの大灯台)が 建てられていましたが14世紀に地震で崩壊してしまいました。その大理石などの建材を用いてこのカイトベイ要塞が造られたようです。中には砲台などもあります。第二の十字軍に備えたのでしょうか。

  • カイトベイ要塞の上部に見える2つの窓には中から階段で上がって行けます。その中からの写真です。

    カイトベイ要塞の上部に見える2つの窓には中から階段で上がって行けます。その中からの写真です。

  • 最上部から地中海を望みます。

    最上部から地中海を望みます。

  • 大きくて広い要塞です。

    大きくて広い要塞です。

  • 写真映えします。

    写真映えします。

  • 12:30  <br />カイトベイ要塞の見学のあとは、地中海の見えるレストランで昼食です。店の窓はあけっぱなしで当然エアコンはなくちょっと暑かったです。レストランに入ると最初に飲み物を聞かれました。相場はジュース類は3~4ドル、ビールは5~6ドルです。また、ミネラルウォーターが2人に普通サイズが1本、4人に大サイズ1本がどこのレストランでも無料でサービスされます。我が家はマンゴージュースにしましたが果汁100%でどろどろしており氷が入っていない ので冷たくなくいまいちでした。美味しいのですが甘すぎてすぐ飽きます。これ以降はジュースは飲まず ビールがあるところではビール、ないところではミネラルウォーターを頼みました。

    12:30  
    カイトベイ要塞の見学のあとは、地中海の見えるレストランで昼食です。店の窓はあけっぱなしで当然エアコンはなくちょっと暑かったです。レストランに入ると最初に飲み物を聞かれました。相場はジュース類は3~4ドル、ビールは5~6ドルです。また、ミネラルウォーターが2人に普通サイズが1本、4人に大サイズ1本がどこのレストランでも無料でサービスされます。我が家はマンゴージュースにしましたが果汁100%でどろどろしており氷が入っていない ので冷たくなくいまいちでした。美味しいのですが甘すぎてすぐ飽きます。これ以降はジュースは飲まず ビールがあるところではビール、ないところではミネラルウォーターを頼みました。

  • メニューは地中海名物シーフードなのですが日本のシーフードをイメージしていたらイカと魚を揚げたものでした。最初に冷たいパスタスープが出てくるわけでしたが飲んだら冷たくありませんでした。写真にあるようにあまりシーフードといった料理ではありませんでしたがライスと一緒でしたので御飯好きな私は完食しました。 シーフードが来る前にパンとパンにつけるペーストが3種類ほど皿に盛られて出てきました。パンやナンにつけるペーストはどこでも出てきました。タヒーナ(胡麻のペースト)、茄子、にんにく、豆のペーストなどが多かったですが私は、にんにくのペーストが 一番美味しかったです。    

    メニューは地中海名物シーフードなのですが日本のシーフードをイメージしていたらイカと魚を揚げたものでした。最初に冷たいパスタスープが出てくるわけでしたが飲んだら冷たくありませんでした。写真にあるようにあまりシーフードといった料理ではありませんでしたがライスと一緒でしたので御飯好きな私は完食しました。 シーフードが来る前にパンとパンにつけるペーストが3種類ほど皿に盛られて出てきました。パンやナンにつけるペーストはどこでも出てきました。タヒーナ(胡麻のペースト)、茄子、にんにく、豆のペーストなどが多かったですが私は、にんにくのペーストが 一番美味しかったです。   

  • 13:40  <br />さて腹が一杯になったあとは、バスでムハンマド・アリ像 などを見ながらアレキサンドリア国立博物館へ向かいました。

    13:40  
    さて腹が一杯になったあとは、バスでムハンマド・アリ像 などを見ながらアレキサンドリア国立博物館へ向かいました。

  • 途中、車窓からの中東戦争時の無名戦士の墓です。

    途中、車窓からの中東戦争時の無名戦士の墓です。

  • アレキサンドリア図書館です。

    アレキサンドリア図書館です。

  • アレキサンダー(アレキサンドロス)大王像です。

    アレキサンダー(アレキサンドロス)大王像です。

  • 国立博物館はコンパクトながら地階にはファラオ(古代エジプト)時代、1階にはグレコローマン時代(Greco-Roman、ギリシャからローマ時代への過渡期の時代で紀元前 1140年頃から紀元後 300年頃まで)のものが展示されていました。最初、グレコローマン時代という言葉の意味がわかりませんでしたがGreco-Romanという横文字から古代ギリシャ・ローマ時代だということがわかりました。ちなみにレスリングのグレコローマンスタイルは古代ギリシャ・ローマ時代のレスリング スタイルでフリースタイルなどからすると歴史は古く伝統があります。2階にはコプト(キリスト)教そしてイスラーム時代の品々が展示されていました。

    国立博物館はコンパクトながら地階にはファラオ(古代エジプト)時代、1階にはグレコローマン時代(Greco-Roman、ギリシャからローマ時代への過渡期の時代で紀元前 1140年頃から紀元後 300年頃まで)のものが展示されていました。最初、グレコローマン時代という言葉の意味がわかりませんでしたがGreco-Romanという横文字から古代ギリシャ・ローマ時代だということがわかりました。ちなみにレスリングのグレコローマンスタイルは古代ギリシャ・ローマ時代のレスリング スタイルでフリースタイルなどからすると歴史は古く伝統があります。2階にはコプト(キリスト)教そしてイスラーム時代の品々が展示されていました。

  • 残念ながら、この博物館内は、写真撮影禁止でした。団体行動で最初に見学したのは入り口にあるエジプトの地図。エジプトにはナイル川周辺と5つのオアシスがある。そこが人の住めるところである。とガイドさんが説明してくれました。また、この博物館で有名な展示品は、       <br />・ファラオ時代の品ではアメンヘテプ4世(ツタンカーメン王の父親または兄)の彫像       <br />・ハトシェプスト女王の彫像      <br />と説明を受けたので団体行動のあとすぐにこの二つを見学しました。アメンヘテプ4世の彫像については、ツタンカーメン王の父親か兄と言われていますが現地ガイドさんは「馬ヅラで厚い唇をしている」と説明していました。その他にアレキサンダー大王の彫像やコプト(キリスト)教のイコン(聖像画)、 最近アレキサンドリアの海から引き揚げた遺跡の品々、ナポレオンの金貨、武器 なども展示されていました。ガイドさんの説明のなかで私のお気に入りの展示物は、古代ギリシャオリンピックの金メダルの置物だ。直径数十cmもある円形のメダルが置き台の上に置かれており家の中に飾っておくようなメダルでした。  

    残念ながら、この博物館内は、写真撮影禁止でした。団体行動で最初に見学したのは入り口にあるエジプトの地図。エジプトにはナイル川周辺と5つのオアシスがある。そこが人の住めるところである。とガイドさんが説明してくれました。また、この博物館で有名な展示品は、      
    ・ファラオ時代の品ではアメンヘテプ4世(ツタンカーメン王の父親または兄)の彫像      
    ・ハトシェプスト女王の彫像      
    と説明を受けたので団体行動のあとすぐにこの二つを見学しました。アメンヘテプ4世の彫像については、ツタンカーメン王の父親か兄と言われていますが現地ガイドさんは「馬ヅラで厚い唇をしている」と説明していました。その他にアレキサンダー大王の彫像やコプト(キリスト)教のイコン(聖像画)、 最近アレキサンドリアの海から引き揚げた遺跡の品々、ナポレオンの金貨、武器 なども展示されていました。ガイドさんの説明のなかで私のお気に入りの展示物は、古代ギリシャオリンピックの金メダルの置物だ。直径数十cmもある円形のメダルが置き台の上に置かれており家の中に飾っておくようなメダルでした。  

  • アレキサンドリアからカイロに戻る途中、ガイドさんから説明を受けたハト小屋を車窓から撮影しました。尖塔の周りに穴が開いておりハトの巣になっています。エジプトでは、食用にハトを育てている人がいるそうです。エジプトではハト料理は、時間をかけて調理することもあり、高級料理のようです。高級レストランで食べられますがラマダンなどのときなどは家庭でも食べるそうです。普段は食卓には上がらないとのこと。<br />またカイロからアレキサンドリアに至る地域はデルタ地帯ともいわれナイル川の 恩恵が受けられる地域です。 最近、政府主導で灌漑を整備し、いろいろな農作物を作ったり、樹木を植えたり積極的に緑を増やしています。道路の脇には、乾燥に強いオリーブの木が植えてあり、農場にはナツメヤシやブドウの木が植えてありました。しかし雨が降らないので定期的に水をやらないと枯れてしまうらしいです。実際に枯れている木が結構ありました。。

    アレキサンドリアからカイロに戻る途中、ガイドさんから説明を受けたハト小屋を車窓から撮影しました。尖塔の周りに穴が開いておりハトの巣になっています。エジプトでは、食用にハトを育てている人がいるそうです。エジプトではハト料理は、時間をかけて調理することもあり、高級料理のようです。高級レストランで食べられますがラマダンなどのときなどは家庭でも食べるそうです。普段は食卓には上がらないとのこと。
    またカイロからアレキサンドリアに至る地域はデルタ地帯ともいわれナイル川の 恩恵が受けられる地域です。 最近、政府主導で灌漑を整備し、いろいろな農作物を作ったり、樹木を植えたり積極的に緑を増やしています。道路の脇には、乾燥に強いオリーブの木が植えてあり、農場にはナツメヤシやブドウの木が植えてありました。しかし雨が降らないので定期的に水をやらないと枯れてしまうらしいです。実際に枯れている木が結構ありました。。

  • カイロに戻る途中、マクドナルドショップの近くでトイレ休憩をしました。<br />マクドナルドやケンタッキーフライドチッキンなど米系チェーン店がエジプトにもありました。イスラム系諸国は概して反米という風に考えてしまいがちですがエジプトの一般国民には、そんな印象は全くありませんでした。外国人旅行客には、いたって友好的だし、笑顔で接しています。嫌悪されているという感じは全くありませんでした。

    カイロに戻る途中、マクドナルドショップの近くでトイレ休憩をしました。
    マクドナルドやケンタッキーフライドチッキンなど米系チェーン店がエジプトにもありました。イスラム系諸国は概して反米という風に考えてしまいがちですがエジプトの一般国民には、そんな印象は全くありませんでした。外国人旅行客には、いたって友好的だし、笑顔で接しています。嫌悪されているという感じは全くありませんでした。

  • 17:30  <br />カイロに戻ると大渋滞。信号がないので車は無秩序に走っています。カイロに入り、パピルス専門店に寄りました。最初に店の店員からパピルス紙の作り方の説明がありました。また偽物と本物の見分け方といってパピルスを折ったり丸めたりしても大丈夫、透かすと縦と横の繊維が見えるなどとデモンストレーションしてくれました。パピルスは買おうと思っていたので良く見て3枚購入しました。<br />一つはかなり大きな絵で自宅に飾るために購入しました。「ジャッジメント」という死者の書の一部です。この死者の書というのは古代エジプトで墓に死者といっしょに埋葬されたヒエログリフ(象形文字)でパピルスに書かれた絵と文字で非常に有名なものです。         <br />・死者の書(ジャッジメント)…700エジプトポンド       <br />・ツタンカーメン…200エジプトポンド          <br />・ラムセス2世とその妻ネフェルタリの結婚式の絵…200エジプトポンド    合計1100エジプトポンドだった。       <br />ラッキーにも5.5エジプトポンド=1ドルで換算してもらい、入り口でもらった10%引きの券を見せ、さらに交渉し3枚買うのでプラス5%引きにしてもらいました。       <br />結局、 1100エジプト÷5.5=200ドル  <br />200ドル×0.85×90円=15300円<br />で買い物ができました。最終的な通貨は、ドルで支払いました。        <br />値段はパピルスのサイズ(面積)で決まっているとのこと。パピルスは丸めて円筒状にして、紙で作った丈夫な筒に入れてくれました。バナナの皮でできている偽物が結構、出回っているそうです。この店のものは本物と言っていましたがあとはこの店を紹介してくれている旅行社(HIS)を信ずるしかありません。店の名は包装紙に「MERIT CENTER」 と書いてありました。

    17:30  
    カイロに戻ると大渋滞。信号がないので車は無秩序に走っています。カイロに入り、パピルス専門店に寄りました。最初に店の店員からパピルス紙の作り方の説明がありました。また偽物と本物の見分け方といってパピルスを折ったり丸めたりしても大丈夫、透かすと縦と横の繊維が見えるなどとデモンストレーションしてくれました。パピルスは買おうと思っていたので良く見て3枚購入しました。
    一つはかなり大きな絵で自宅に飾るために購入しました。「ジャッジメント」という死者の書の一部です。この死者の書というのは古代エジプトで墓に死者といっしょに埋葬されたヒエログリフ(象形文字)でパピルスに書かれた絵と文字で非常に有名なものです。         
    ・死者の書(ジャッジメント)…700エジプトポンド       
    ・ツタンカーメン…200エジプトポンド         
    ・ラムセス2世とその妻ネフェルタリの結婚式の絵…200エジプトポンド     合計1100エジプトポンドだった。        
    ラッキーにも5.5エジプトポンド=1ドルで換算してもらい、入り口でもらった10%引きの券を見せ、さらに交渉し3枚買うのでプラス5%引きにしてもらいました。        
    結局、 1100エジプト÷5.5=200ドル  
    200ドル×0.85×90円=15300円
    で買い物ができました。最終的な通貨は、ドルで支払いました。        
    値段はパピルスのサイズ(面積)で決まっているとのこと。パピルスは丸めて円筒状にして、紙で作った丈夫な筒に入れてくれました。バナナの皮でできている偽物が結構、出回っているそうです。この店のものは本物と言っていましたがあとはこの店を紹介してくれている旅行社(HIS)を信ずるしかありません。店の名は包装紙に「MERIT CENTER」 と書いてありました。

  • 18:20  <br />今夜は、22:50のフライトでカイロからルクソールに行きます。 それまでに時間があるのでパピルス店からピラミッドの全景が見えるというビューポイントにバスで連れて行ってもらいました。道路脇からだがピラミッドの全景が良くみえます。バスから降りると道路脇が少し広くなっています。そこでピラミッドをバックに写真を撮りました。夕方だったので少しかすんでいたのが残念でした。

    18:20  
    今夜は、22:50のフライトでカイロからルクソールに行きます。 それまでに時間があるのでパピルス店からピラミッドの全景が見えるというビューポイントにバスで連れて行ってもらいました。道路脇からだがピラミッドの全景が良くみえます。バスから降りると道路脇が少し広くなっています。そこでピラミッドをバックに写真を撮りました。夕方だったので少しかすんでいたのが残念でした。

  • 19:00  <br />ピラミッドの写真を取ったあとナイル川のほとりにある野外レストランで夕食となりました。ナイル川の川辺なので涼しいかなと思いましたが蒸し暑かったです。 冷たいビールを飲みたかったのですがラマダン中なので提供しないと言われ、飲み物は水で我慢しました。ナンとペーストそしてスープが最初に出されました。そのあとに、<br />・コフタ(挽肉をウィンナーソーセージ状にして焼いたもので羊の肉が多い)<br />・ケバブ(カット肉で羊の肉が多く硬い)<br />・ターメイヤ(ソラマメのコロッケ)<br />・味のついたライスの まさにエジプト料理のメインディッシュ<br />がでてきました。私はほぼ完食しましたが妻と次女は、しつこいと言って半分も食べていませんでした。エジプト料理は結構しつこいです。そして最後は、エジプト人好みの凄く甘いケーキが出てきました。最初は美味いと思いましたが途中から甘過ぎと思うくらい甘く感じて残しました。

    19:00  
    ピラミッドの写真を取ったあとナイル川のほとりにある野外レストランで夕食となりました。ナイル川の川辺なので涼しいかなと思いましたが蒸し暑かったです。 冷たいビールを飲みたかったのですがラマダン中なので提供しないと言われ、飲み物は水で我慢しました。ナンとペーストそしてスープが最初に出されました。そのあとに、
    ・コフタ(挽肉をウィンナーソーセージ状にして焼いたもので羊の肉が多い)
    ・ケバブ(カット肉で羊の肉が多く硬い)
    ・ターメイヤ(ソラマメのコロッケ)
    ・味のついたライスの まさにエジプト料理のメインディッシュ
    がでてきました。私はほぼ完食しましたが妻と次女は、しつこいと言って半分も食べていませんでした。エジプト料理は結構しつこいです。そして最後は、エジプト人好みの凄く甘いケーキが出てきました。最初は美味いと思いましたが途中から甘過ぎと思うくらい甘く感じて残しました。

  • 食事後、ナイル川を眺めたりしトイレを済ませたりしてからバスに乗ってカイロ空港に向かいました。カイロ市内はどこも渋滞していました。ラマダン中なので日が沈んでから多くの人が外出してきます。6時半頃が日の入りなのでそれまでは飲み物も食べ物も口にできません。日が沈んだ後、簡単な食事をしてモスクに礼拝に行き、礼拝が終わったあとで本格的な食事になるらしいです。旅行期間中、夜中の12時過ぎまで街中は、人と車で一杯でした。ラマダンのときは日没後、子どもたちが袋に飲み物とナツメヤシをもって通行人に無料で配っていた。そういう習慣があるようです。イスラムでは金持ちが貧乏人に喜捨するのが当たり前で食べ物などの提供も積極的に行う習慣が根付いています。ラマダン中、モスクには派手な照明がついて、遠くからも良く見えます。夜になるといろいろな屋台が ナイル川沿いに並び、日本のお祭りのときのような感じです。子どもも女性もみんな居て、本当にお祭りのようにラマダンを楽しんでいる様子でしたイスラムの人々の連帯感を観じました。最初に添乗員のKさんが言ったように、このようなラマダンの風景を見られるというのは貴重な体験でラッキーでした。

    食事後、ナイル川を眺めたりしトイレを済ませたりしてからバスに乗ってカイロ空港に向かいました。カイロ市内はどこも渋滞していました。ラマダン中なので日が沈んでから多くの人が外出してきます。6時半頃が日の入りなのでそれまでは飲み物も食べ物も口にできません。日が沈んだ後、簡単な食事をしてモスクに礼拝に行き、礼拝が終わったあとで本格的な食事になるらしいです。旅行期間中、夜中の12時過ぎまで街中は、人と車で一杯でした。ラマダンのときは日没後、子どもたちが袋に飲み物とナツメヤシをもって通行人に無料で配っていた。そういう習慣があるようです。イスラムでは金持ちが貧乏人に喜捨するのが当たり前で食べ物などの提供も積極的に行う習慣が根付いています。ラマダン中、モスクには派手な照明がついて、遠くからも良く見えます。夜になるといろいろな屋台が ナイル川沿いに並び、日本のお祭りのときのような感じです。子どもも女性もみんな居て、本当にお祭りのようにラマダンを楽しんでいる様子でしたイスラムの人々の連帯感を観じました。最初に添乗員のKさんが言ったように、このようなラマダンの風景を見られるというのは貴重な体験でラッキーでした。

  • 20:40   <br />カイロ空港にバスが到着。      <br />到着後、最初のセキュリティーチェックを通過。 そのあと、スーツケースを航空会社に預け搭乗まで時間があるので空港内での自由行動となりました。まず、トイレに行ったらトイレチップ1ドルを取られました。空港内でトイレに入ってチップを取られるとは思いませんでした。つぎに喉が渇いたのでビールでも飲みたいなあと思ったら売店でハイネケンを売っていました。いくらか値段を見たら500ml缶1本7ドルと高かったですが、まあ仕方ないと思って買って飲みました。日本ならば3ドルも出せば飲めるのになあ。観光客向けの価格となっているのでしょうか。 <br />22:50  <br />カイロからルクソール(710km)に向けて航空機が出発。      <br />飛行機の中は結構、暑く何だかよくわかりませんがドライアイスが昇華するときの蒸気のような煙が頭上の荷物棚付近から勢いよく出ていました。飛行機内部を冷やすためにやっているのかなと思いましたが不明です。さすがエジプト流だと思ったりしましたが。途中で飲み物のサービスがあったので私はコーラを頼みました。コーラは生ぬるく閉口しました。ほとんどの乗客は深夜で疲れていたのか飲み物サービスは受けずに寝ていました。私も30分くらい寝ました。カイロ~ルクソール間の距離は、約710kmで飛行機でちょうど1時間程度のフライトでした。<br />23:50  <br />ルクソール空港に到着。      <br />しばらく待機し、スーツケースを受け取ったあとすぐにバスに乗車しました。  <br />0:20  <br />バスがルクソール空港からホテルに向け出発。ホテルに向かうバスの中で添乗員のKさんより、明朝の日程連絡がありました。   <br />・7:00 モーニングコール              <br />・8:30 出発       <br />朝食は5:30から食べられるとのこと。 同じホテルに2連泊なので荷物出しはないので少しは楽です。<br />0:40  ホテルに到着。      <br />今夜から2連泊するソフィテル・カルナックホテルは到着が夜だったのでSOFITELという文字だけが青白く光って見えたのが印象的でした。ホテル内は広く、棟が分かれているので自分たちの棟に行くまでに300mくらいは歩きました。そして部屋に入ろうとすると入り口のドアの上にトカゲが数匹這いつくばっていました。ちょっと気持ち悪かったですが仕方ありません。部屋へ来る途中の通路でも何匹か見かけました。

    20:40  
    カイロ空港にバスが到着。       
    到着後、最初のセキュリティーチェックを通過。 そのあと、スーツケースを航空会社に預け搭乗まで時間があるので空港内での自由行動となりました。まず、トイレに行ったらトイレチップ1ドルを取られました。空港内でトイレに入ってチップを取られるとは思いませんでした。つぎに喉が渇いたのでビールでも飲みたいなあと思ったら売店でハイネケンを売っていました。いくらか値段を見たら500ml缶1本7ドルと高かったですが、まあ仕方ないと思って買って飲みました。日本ならば3ドルも出せば飲めるのになあ。観光客向けの価格となっているのでしょうか。
    22:50  
    カイロからルクソール(710km)に向けて航空機が出発。      
    飛行機の中は結構、暑く何だかよくわかりませんがドライアイスが昇華するときの蒸気のような煙が頭上の荷物棚付近から勢いよく出ていました。飛行機内部を冷やすためにやっているのかなと思いましたが不明です。さすがエジプト流だと思ったりしましたが。途中で飲み物のサービスがあったので私はコーラを頼みました。コーラは生ぬるく閉口しました。ほとんどの乗客は深夜で疲れていたのか飲み物サービスは受けずに寝ていました。私も30分くらい寝ました。カイロ~ルクソール間の距離は、約710kmで飛行機でちょうど1時間程度のフライトでした。
    23:50  
    ルクソール空港に到着。      
    しばらく待機し、スーツケースを受け取ったあとすぐにバスに乗車しました。  
    0:20  
    バスがルクソール空港からホテルに向け出発。ホテルに向かうバスの中で添乗員のKさんより、明朝の日程連絡がありました。    
    ・7:00 モーニングコール            
    ・8:30 出発      
    朝食は5:30から食べられるとのこと。 同じホテルに2連泊なので荷物出しはないので少しは楽です。
    0:40  ホテルに到着。      
    今夜から2連泊するソフィテル・カルナックホテルは到着が夜だったのでSOFITELという文字だけが青白く光って見えたのが印象的でした。ホテル内は広く、棟が分かれているので自分たちの棟に行くまでに300mくらいは歩きました。そして部屋に入ろうとすると入り口のドアの上にトカゲが数匹這いつくばっていました。ちょっと気持ち悪かったですが仕方ありません。部屋へ来る途中の通路でも何匹か見かけました。

  • 部屋は暑かったですがエアコンを強にしたら寝る前までには25℃くらいまで冷えました。まずは、水を冷蔵庫に入れ急いでシャワーを浴びました。旅行期間中、冷蔵庫の冷えは悪く、まず氷はできないので製氷皿を持参しても無駄です。足を冷やす製氷材を持参しましたが冷やすのが精いっぱいで凍りません。今日のホテルはまだいい方でした。1泊目のホテルは水も満足に冷えませんでしたから。<br />1:30  <br />何はともあれ、明日のために就寝。今日も元気に過ごせました。感謝。<br />2日目の万歩計データは、<br />・歩数=10,720歩、歩行距離=7.9km、消費カロリー=400kcal<br />でした。

    部屋は暑かったですがエアコンを強にしたら寝る前までには25℃くらいまで冷えました。まずは、水を冷蔵庫に入れ急いでシャワーを浴びました。旅行期間中、冷蔵庫の冷えは悪く、まず氷はできないので製氷皿を持参しても無駄です。足を冷やす製氷材を持参しましたが冷やすのが精いっぱいで凍りません。今日のホテルはまだいい方でした。1泊目のホテルは水も満足に冷えませんでしたから。
    1:30  
    何はともあれ、明日のために就寝。今日も元気に過ごせました。感謝。
    2日目の万歩計データは、
    ・歩数=10,720歩、歩行距離=7.9km、消費カロリー=400kcal
    でした。

  • エジプト旅行3日目     2010年8月25日(水)<br /><br />6:45  起床<br />いつもモーニングコールの時間より15分前に携帯電話の目覚まし機能を使って起きていた。5時間くらいだがぐっすり眠れた。家族もみんな寝不足だったので良く寝たと言っていた。部屋の温度はエアコンを強にしていたら22℃に冷えていた。 <br />7:00  モーニングコール <br />7:45  朝食<br />部屋を一歩出るとコテージ風の部屋の間に庭がありきれいに手入れされていた。すがすがしい感じだ。 

    エジプト旅行3日目     2010年8月25日(水)

    6:45  起床
    いつもモーニングコールの時間より15分前に携帯電話の目覚まし機能を使って起きていた。5時間くらいだがぐっすり眠れた。家族もみんな寝不足だったので良く寝たと言っていた。部屋の温度はエアコンを強にしていたら22℃に冷えていた。
    7:00  モーニングコール
    7:45  朝食
    部屋を一歩出るとコテージ風の部屋の間に庭がありきれいに手入れされていた。すがすがしい感じだ。 

  • 朝食会場までいくつもの棟がありちょっと遠い。しかし、ホテルは昨夜は到着が遅く暗くて良くわからなかったが豪華なホテルだった。朝食はアメリカンブッフェスタイルで種類はたくさんあった。1日目とだいたい同じメニューだが、その場で調理してくれる野菜の入ったオムレツがあり並んで作ってもらい食べたら美味しかった。 飲み物はオレンジジュースとコーヒーを頂いた。 まだ2回目の朝食だが少し飽きてきた。私は朝のパンはパサパサしておりあまり好きではない。妻と次女はパンで満足していた。家族全員、野菜サラダが食べられないのは辛かった。 <br />昨日は魔法瓶に別のスポーツドリンクを入れて持ち歩いたが今日はポカリスエットに してみた。冷蔵庫の水も良く冷えていた。この水でポカリスウェットの粉末を溶かし魔法瓶に入れ替えた。このドリンクが美味しく感じられ、これ以降はずっとポカリスエットを水に溶かし魔法瓶に入れ、持ち歩いた。魔法瓶がまたすばらしく暑い日中を通り越し夕方まで冷たい状態で 飲むことができ非常に助かった。このTHERMOS製の水筒は重さが250gと 軽く持ち運びに便利だった。たまには口直しにミネラルウォーターをそのまま飲んだ。

    朝食会場までいくつもの棟がありちょっと遠い。しかし、ホテルは昨夜は到着が遅く暗くて良くわからなかったが豪華なホテルだった。朝食はアメリカンブッフェスタイルで種類はたくさんあった。1日目とだいたい同じメニューだが、その場で調理してくれる野菜の入ったオムレツがあり並んで作ってもらい食べたら美味しかった。 飲み物はオレンジジュースとコーヒーを頂いた。 まだ2回目の朝食だが少し飽きてきた。私は朝のパンはパサパサしておりあまり好きではない。妻と次女はパンで満足していた。家族全員、野菜サラダが食べられないのは辛かった。
    昨日は魔法瓶に別のスポーツドリンクを入れて持ち歩いたが今日はポカリスエットに してみた。冷蔵庫の水も良く冷えていた。この水でポカリスウェットの粉末を溶かし魔法瓶に入れ替えた。このドリンクが美味しく感じられ、これ以降はずっとポカリスエットを水に溶かし魔法瓶に入れ、持ち歩いた。魔法瓶がまたすばらしく暑い日中を通り越し夕方まで冷たい状態で 飲むことができ非常に助かった。このTHERMOS製の水筒は重さが250gと 軽く持ち運びに便利だった。たまには口直しにミネラルウォーターをそのまま飲んだ。

  • ホテルは昨日同様に豪華な作りになっており村のように宿舎が点々としていた。プールが何か所もあり、高級リゾートに来ている感じでした。

    ホテルは昨日同様に豪華な作りになっており村のように宿舎が点々としていた。プールが何か所もあり、高級リゾートに来ている感じでした。

  • 8:30  <br />前半のクライマックス、「王家の谷」に向けバスが出発。<br />ホテルはナイル川の東岸にある。太陽光線をさえぎるものがなにもない西岸の王家の谷を午前中に観光するためにバスで橋を渡りナイル川の西岸に向かった。王家の谷が遠くに見えてきた。

    8:30  
    前半のクライマックス、「王家の谷」に向けバスが出発。
    ホテルはナイル川の東岸にある。太陽光線をさえぎるものがなにもない西岸の王家の谷を午前中に観光するためにバスで橋を渡りナイル川の西岸に向かった。王家の谷が遠くに見えてきた。

  • ルクソールと言うと雨が全く降らない(年間降雨量≒ゼロ)ので乾燥地帯をイメージするが街には緑が多い。ナイル川の水を灌漑利用しているからだ。また人口は40万人くらいおり、商店は朝から開いていた。

    ルクソールと言うと雨が全く降らない(年間降雨量≒ゼロ)ので乾燥地帯をイメージするが街には緑が多い。ナイル川の水を灌漑利用しているからだ。また人口は40万人くらいおり、商店は朝から開いていた。

  • 9:15  <br />西岸に渡り、少し走ると少しバスの中から2つの巨像が見えた。メムノンの巨像(アメンヘテプ3世像)である。かつてはアメンヘテプ3世(3世か4世のどちらかがツタンカーメン王の父親とされている)の葬祭殿前に有ったのだが今は葬祭殿はなく2体の巨像だけが野原にひっそりとたたずんでいる。この巨像に地震で穴があき、そこを風が吹き抜けるときに悲しいなき声に似た音を 発していた。ギリシャ神話のメムノン王のなき声に似ていることからメムノンの巨像と呼ばれるようになった。次は、いよいよ前半のクライマックス。王家の谷である。クライマックスというのには2つ意味がある。一つは遺跡が素晴らしいことであるが、もう一つは気温が高く非常に危険だということでもある。      <br />古代エジプトの歴史は古王国時代、中王国時代、新王国時代に分けられる。<br />・古王国時代(BC30世紀~BC22世紀)…クフ王のピラミッドが造られた時代。首都はメンフィス。      <br />・中王国時代(BC20世紀~BC17世紀)…首都ルクソール(古代名テーベ)。あまり遺跡がない。     <br />・新王国時代(BC16世紀~BC12世紀)…ファラオ全盛期。ファラオとしても、ラムセス2世、ツタンカーメン、ハトシェプスト女王などメジャー級が多い。また、それ以降は、     <br />・新王朝時代(BC10世紀~BC4世紀)…エジプト王朝から他国の支配下に入る。<br />・グレコローマン時代(BC4世紀~AC7世紀)…ギリシャ・ローマの影響を受ける。   <br />新王国時代は首都が中王国時代と同じルクソールにあり、多くの遺跡が造られた。 ナイル川を挟んで太陽が昇る東岸(アクネポリス)には生者のためのルクソール神殿やカルナック神殿が造られた。そして太陽が沈む西側(ネクロポリス)には死者を弔うための葬儀を執行する葬祭殿やミイラを安置する墓が造られた。今回のツアーでは午前中が西岸、午後に東岸を見学をする。

    9:15  
    西岸に渡り、少し走ると少しバスの中から2つの巨像が見えた。メムノンの巨像(アメンヘテプ3世像)である。かつてはアメンヘテプ3世(3世か4世のどちらかがツタンカーメン王の父親とされている)の葬祭殿 前に有ったのだが今は葬祭殿はなく2体の巨像だけが野原にひっそりとたたずんでいる。この巨像に地震で穴があき、そこを風が吹き抜けるときに悲しいなき声に似た音を 発していた。ギリシャ神話のメムノン王のなき声に似ていることからメムノンの巨像と呼ばれるようになった。次は、いよいよ前半のクライマックス。王家の谷である。クライマックスというのには2つ意味がある。一つは遺跡が素晴らしいことであるが、もう一つは気温が高く非常に危険だということでもある。       
    古代エジプトの歴史は古王国時代、中王国時代、新王国時代に分けられる。
    ・古王国時代(BC30世紀~BC22世紀)…クフ王のピラミッドが造られた時代。首都はメンフィス。      
    ・中王国時代(BC20世紀~BC17世紀)…首都ルクソール(古代名テーベ)。あまり遺跡がない。      
    ・新王国時代(BC16世紀~BC12世紀)…ファラオ全盛期。ファラオとしても、ラムセス2世、ツタンカーメン、ハトシェプスト女王などメジャー級が多い。また、それ以降は、      
    ・新王朝時代(BC10世紀~BC4世紀)…エジプト王朝から他国の支配下に入る。
    ・グレコローマン時代(BC4世紀~AC7世紀)…ギリシャ・ローマの影響を受ける。    
    新王国時代は首都が中王国時代と同じルクソールにあり、多くの遺跡が造られた。 ナイル川を挟んで太陽が昇る東岸(アクネポリス)には生者のためのルクソール神殿やカルナック神殿が造られた。そして太陽が沈む西側(ネクロポリス)には死者を弔うための葬儀を執行する葬祭殿やミイラを安置する墓が造られた。今回のツアーでは午前中が西岸、午後に東岸を見学をする。

  • メムノンの巨像から王家の谷に行く途中の道端に早稲田大学教授の吉村作治先生が遺跡発掘に使用した住居(早稲田ハウス)が見えました。ちなみに吉村先生の知名度はエジプトでも超メジャー級でたくさんの遺跡発見で エジプトに貢献しているということを再認識しました。  <br />王家の谷を始めルクソール地域は19世紀に欧州向けに遺跡売買を商売にした人たちが多数住んでいたそうだ。その結果、多くの貴重な遺跡が海外に流出してしまったそうである。当然、現在は政府がそんな商売を許してるわけはなく流出の心配はない。

    メムノンの巨像から王家の谷に行く途中の道端に早稲田大学教授の吉村作治先生が遺跡発掘に使用した住居(早稲田ハウス)が見えました。ちなみに吉村先生の知名度はエジプトでも超メジャー級でたくさんの遺跡発見で エジプトに貢献しているということを再認識しました。  
    王家の谷を始めルクソール地域は19世紀に欧州向けに遺跡売買を商売にした人たちが多数住んでいたそうだ。その結果、多くの貴重な遺跡が海外に流出してしまったそうである。当然、現在は政府がそんな商売を許してるわけはなく流出の心配はない。

  • ツタンカーメンの 墓を発見したハワード・カーター氏の住居もありました。

    ツタンカーメンの 墓を発見したハワード・カーター氏の住居もありました。

  • 9:40  王家の谷に到着<br />残念ながら現在は、写真撮影が禁止されている。 まずセキュリティーチェックを受けて建物の中に入ると王家の谷の全体像がわかる 立体模型が展示されている。王家の谷のどの場所に誰の墓があるかのかがわかる。この模型の素晴らしいところは模型の下からみると立体的に地下の墓や墓までの通路までも細かく作られているところであり、通路の長さや墓の深さなどもわかる優れものである。墓は死んでから造るのでは間に合わないので生前から掘り出す。なので棺を置く最後の玄室(ミイラの置かれたところ)までの 通路は長寿の王の墓のものは長く、逆に短命だった王の墓のものは短い。この建物からカートに乗って多くのファラオの墓が密集している近辺まで移動する。昔は墓の建設に携わった人たちは目隠しをされてここに連れてこられ、場所は最高機密だったそうだがほとんどの墓は盗掘されてしまった。

    9:40  王家の谷に到着
    残念ながら現在は、写真撮影が禁止されている。 まずセキュリティーチェックを受けて建物の中に入ると王家の谷の全体像がわかる 立体模型が展示されている。王家の谷のどの場所に誰の墓があるかのかがわかる。この模型の素晴らしいところは模型の下からみると立体的に地下の墓や墓までの通路までも細かく作られているところであり、通路の長さや墓の深さなどもわかる優れものである。墓は死んでから造るのでは間に合わないので生前から掘り出す。なので棺を置く最後の玄室(ミイラの置かれたところ)までの 通路は長寿の王の墓のものは長く、逆に短命だった王の墓のものは短い。この建物からカートに乗って多くのファラオの墓が密集している近辺まで移動する。昔は墓の建設に携わった人たちは目隠しをされてここに連れてこられ、場所は最高機密だったそうだがほとんどの墓は盗掘されてしまった。

  • 最初はガイドさんに連れられツアーのみんなと一緒にラムセス9世の墓を見学した。地上の入り口から玄室に至る地下通路は長く、たくさんの壁画が描かれてあった。死者の書の壁画もきれいであった。<br />次は、いよいよツタンカーメンの墓だ。1922年にハワード・カーター卿によって発見されたのだがそれまでに盗掘に合わなかった唯一の墓だ。 なぜ盗掘に合わなかったかと言うとお隣にあるラムセス6世の墓を掘ったときの土砂で 入口が完全に埋まっていたからだそうです。ツタンカーメンは20歳にも満たない短命だったので地下通路の距離が非常に短い。 玄室には石棺とは別にツタンカーメン王のミイラが置かれていた。 ミイラの腐敗がひどかったらしく何とか修復できた顔と足以外は白い布に覆われていた。小さく真っ黒なミイラをみると何となく厳粛な気持ちとなった。このツタンカーメンの墓から発見された黄金の棺やマスクをはじめとした遺品の総額は何百兆円ともいわれアメリカの1年間の国家予算(300兆円)並みらしい。短命であったツタンカーメン王の遺品でさえ、それだけの価値があるのだから、もっと 長寿であった王の遺品はその何倍にもおよぶものであったに違いない。王家の谷を見ると広いのでまだまだ発掘されていない墓もあるのではないかと思った。ちなみに墓は64基発見されており発見された順序で番号がつけられている。ツタンカーメンの墓の番号はKV-62だ。KVはKing’s Valleyの略である。<br />王家の谷でガイドさんからもらったチケットで3つの墓を見学できる。ツタンカーメンの墓の入場チケットは別売りである。<br />あと2つ見ることができるのだが炎天下だったのでツタンカーメン王の墓のすぐ近くにあるラムセス3世と1世の墓を見学した。 <br />墓の中は蒸し暑く、ラムセス3世の墓の中の温度は37℃、湿度は60%だった。このラムセス3世の墓を見学しているときに急に停電となり、地下通路は真っ暗となった。妻は一瞬、テロかと思ったらしく驚いていた。よくある停電だったようで安心した。幸い、このときは運よく、懐中電灯を持ちながら見学していたので足元を照らすことができ無事、入り口に戻ることができた。墓を出るときには、まだ停電したままだった。<br />ほとんどの墓が盗掘にあってしまったしまったのは残念だ。ルクソール西岸には王家の谷の他にも王妃の墓や貴族、そしてここで働いていた職人の墓もあるそうだが時間の関係で今回は見学することができなかった。

    最初はガイドさんに連れられツアーのみんなと一緒にラムセス9世の墓を見学した。地上の入り口から玄室に至る地下通路は長く、たくさんの壁画が描かれてあった。死者の書の壁画もきれいであった。
    次は、いよいよツタンカーメンの墓だ。1922年にハワード・カーター卿によって発見されたのだがそれまでに盗掘に合わなかった唯一の墓だ。 なぜ盗掘に合わなかったかと言うとお隣にあるラムセス6世の墓を掘ったときの土砂で 入口が完全に埋まっていたからだそうです。ツタンカーメンは20歳にも満たない短命だったので地下通路の距離が非常に短い。 玄室には石棺とは別にツタンカーメン王のミイラが置かれていた。 ミイラの腐敗がひどかったらしく何とか修復できた顔と足以外は白い布に覆われていた。小さく真っ黒なミイラをみると何となく厳粛な気持ちとなった。このツタンカーメンの墓から発見された黄金の棺やマスクをはじめとした遺品の総額は何百兆円ともいわれアメリカの1年間の国家予算(300兆円)並みらしい。短命であったツタンカーメン王の遺品でさえ、それだけの価値があるのだから、もっと 長寿であった王の遺品はその何倍にもおよぶものであったに違いない。王家の谷を見ると広いのでまだまだ発掘されていない墓もあるのではないかと思った。ちなみに墓は64基発見されており発見された順序で番号がつけられている。ツタンカーメンの墓の番号はKV-62だ。KVはKing’s Valleyの略である。
    王家の谷でガイドさんからもらったチケットで3つの墓を見学できる。ツタンカーメンの墓の入場チケットは別売りである。
    あと2つ見ることができるのだが炎天下だったのでツタンカーメン王の墓のすぐ近くにあるラムセス3世と1世の墓を見学した。
    墓の中は蒸し暑く、ラムセス3世の墓の中の温度は37℃、湿度は60%だった。このラムセス3世の墓を見学しているときに急に停電となり、地下通路は真っ暗となった。妻は一瞬、テロかと思ったらしく驚いていた。よくある停電だったようで安心した。幸い、このときは運よく、懐中電灯を持ちながら見学していたので足元を照らすことができ無事、入り口に戻ることができた。墓を出るときには、まだ停電したままだった。
    ほとんどの墓が盗掘にあってしまったしまったのは残念だ。ルクソール西岸には王家の谷の他にも王妃の墓や貴族、そしてここで働いていた職人の墓もあるそうだが時間の関係で今回は見学することができなかった。

  • ルクソールには数々の遺跡があり、世界の古代遺跡の1/6そしてエジプトの古代遺跡の 1/3(約5,000の建築物)がここに集まっている。<br />王家の谷では、午前10時ころにも関わらず温度が39℃、湿度が34%だった。ツタンカーメン王の墓の中では温度は36℃、湿度は42%だった。気温というのは正式には直射日光の当たらない風通しのよいところで測った大気温度のことなので本旅行記では気温と言わず、温度と言うことにした。

    ルクソールには数々の遺跡があり、世界の古代遺跡の1/6そしてエジプトの古代遺跡の 1/3(約5,000の建築物)がここに集まっている。
    王家の谷では、午前10時ころにも関わらず温度が39℃、湿度が34%だった。ツタンカーメン王の墓の中では温度は36℃、湿度は42%だった。気温というのは正式には直射日光の当たらない風通しのよいところで測った大気温度のことなので本旅行記では気温と言わず、温度と言うことにした。

  • 11:25  <br />王家の谷の見学のあとは、「アラバスター(大理石の一種)」製品の土産店に寄った。 最初に建物の外でアラバスターを削って壺をつくるところを見学した。

    11:25  
    王家の谷の見学のあとは、「アラバスター(大理石の一種)」製品の土産店に寄った。 最初に建物の外でアラバスターを削って壺をつくるところを見学した。

  • 次に店に入ると、まず最初にアラバスター製品の説明があり、この店の作品はすべて本物と言って製品通しをぶっつけて強度があるということや手彫りなので機械掘りと違って容器の厚みを薄くできるなどとPRして壺を透かして見せてくれた。説明の途中で急に電気が消えたので驚いたが何のことはない、暗闇でも見える緑色のアラバスターを見せるためだった。 <br />次にツアー客一人一人に冷たい飲み物(瓶1本ずつ)のサービスがあった。コーラが冷たくて美味しかった。ここで我が家はアラバスター製のワイングラスを2個購入した。エジプトで日本人ツアー客が寄る土産屋は、入場時に10%の割引券をくれる。ワイングラスは1個50ドルなので10%引きで45ドルとなるが「もう少し、まけろ」 といつもの値引き交渉が始まる。15%引きまで漕ぎつけたがそれ以上はまけてくれない。そこで2個買うからもっとまけろと粘ったら100ドルのところを80ドルにするという。それじゃ、駄目。70ドルでないと買わないと言ったら最後は70ドルにしてくれた。妻が70ドルという価格を出してしまったので、これ以上の値引きは無理と思い、この価格で購入した。向こうからすれば余裕の値段のようであったが、こちらからすれば30%の値引きに成功したわけでエジプト流の買い物を 楽しんだと思えばそれで良いのだ。<br />このグラスは床に落としたくらいでは割れない。店の人がそれでも割れないように十分な梱包をしてくれた。

    次に店に入ると、まず最初にアラバスター製品の説明があり、この店の作品はすべて本物と言って製品通しをぶっつけて強度があるということや手彫りなので機械掘りと違って容器の厚みを薄くできるなどとPRして壺を透かして見せてくれた。説明の途中で急に電気が消えたので驚いたが何のことはない、暗闇でも見える緑色のアラバスターを見せるためだった。
    次にツアー客一人一人に冷たい飲み物(瓶1本ずつ)のサービスがあった。コーラが冷たくて美味しかった。ここで我が家はアラバスター製のワイングラスを2個購入した。エジプトで日本人ツアー客が寄る土産屋は、入場時に10%の割引券をくれる。ワイングラスは1個50ドルなので10%引きで45ドルとなるが「もう少し、まけろ」 といつもの値引き交渉が始まる。15%引きまで漕ぎつけたがそれ以上はまけてくれない。そこで2個買うからもっとまけろと粘ったら100ドルのところを80ドルにするという。それじゃ、駄目。70ドルでないと買わないと言ったら最後は70ドルにしてくれた。妻が70ドルという価格を出してしまったので、これ以上の値引きは無理と思い、この価格で購入した。向こうからすれば余裕の値段のようであったが、こちらからすれば30%の値引きに成功したわけでエジプト流の買い物を 楽しんだと思えばそれで良いのだ。
    このグラスは床に落としたくらいでは割れない。店の人がそれでも割れないように十分な梱包をしてくれた。

  • 12:00  <br />次に見学したのがハトシェプスト女王葬祭殿である。

    12:00  
    次に見学したのがハトシェプスト女王葬祭殿である。

  • まず最初に葬祭殿の模型を見学した。そのあと、建物の外に行き葬祭殿近くまで割とおおきなカートで移動する。私は世界的に有名な葬祭殿を真近に見られて感激していたが妻は1997年に起きたイスラム原理主義過激派による外国人観光客襲撃事件(日本人10人を含む60数人が死亡)を思い出し、「こんな見晴らしの良いところで襲撃されたら逃げ場がないよね」とちょっと不安げな様子だった。実際にこの事件のあと観光客が激減して多くの失業者が生まれたようだ。現在、観光客は戻りつつあるが最盛期からするとまだ少ない。

    まず最初に葬祭殿の模型を見学した。そのあと、建物の外に行き葬祭殿近くまで割とおおきなカートで移動する。私は世界的に有名な葬祭殿を真近に見られて感激していたが妻は1997年に起きたイスラム原理主義過激派による外国人観光客襲撃事件(日本人10人を含む60数人が死亡)を思い出し、「こんな見晴らしの良いところで襲撃されたら逃げ場がないよね」とちょっと不安げな様子だった。実際にこの事件のあと観光客が激減して多くの失業者が生まれたようだ。現在、観光客は戻りつつあるが最盛期からするとまだ少ない。

  • カートから降りて最初に観光したのは葬祭殿前の広場に入る手前にあった 2つの木の根だった。木の根がほんの少しあるだけで生きているのか枯れているのかもわからない。この木は香木でハトシェプスト女王が現在のソマリアから持ってきて植えた木だそうです。

    カートから降りて最初に観光したのは葬祭殿前の広場に入る手前にあった 2つの木の根だった。木の根がほんの少しあるだけで生きているのか枯れているのかもわからない。この木は香木でハトシェプスト女王が現在のソマリアから持ってきて植えた木だそうです。

  • この木の根が展示されているところから直線で数百メートル歩くと 葬祭殿の2階に行く階段(スロープ)にたどり着きます。そこを登っていくと相当広く、見晴らしの良い2階の広場に出ます。

    この木の根が展示されているところから直線で数百メートル歩くと 葬祭殿の2階に行く階段(スロープ)にたどり着きます。そこを登っていくと相当広く、見晴らしの良い2階の広場に出ます。

  • 次に3階に行くスロープがあるのだがガイドさんは、そのスロープの横を通りぬけて2階の壁や柱に彫ってあるレリーフの説明をしてくれた。トトメス2世の正妻はハトシェプスト女王であったが女王には子がなく側室の子トトメス3世が後を 継いだ。しかし、トトメス3世は幼なかったため、ハトシェプスト女王にファラオの座(王位)を奪われた。女王の死後、トトメス3世がファラオとなるのだが女王を生前から相当嫌っていたようでハトシェプスト女王のレリーフがいたるところで削りとられていた。2階にはハトシェプスト女王誕生時のレリーフや魚介類の珍しいレリーフが印象深かった。

    次に3階に行くスロープがあるのだがガイドさんは、そのスロープの横を通りぬけて2階の壁や柱に彫ってあるレリーフの説明をしてくれた。トトメス2世の正妻はハトシェプスト女王であったが女王には子がなく側室の子トトメス3世が後を 継いだ。しかし、トトメス3世は幼なかったため、ハトシェプスト女王にファラオの座(王位)を奪われた。女王の死後、トトメス3世がファラオとなるのだが女王を生前から相当嫌っていたようでハトシェプスト女王のレリーフがいたるところで削りとられていた。2階にはハトシェプスト女王誕生時のレリーフや魚介類の珍しいレリーフが印象深かった。

  • いろいろなレリーフがあり、ひとつひとつに物語がありエジプト人の観光ガイドさんの説明が非常に面白く、ためになった。

    いろいろなレリーフがあり、ひとつひとつに物語がありエジプト人の観光ガイドさんの説明が非常に面白く、ためになった。

  • 2階のスロープを上ると最上階だがその昇り口にホルス神の像が構えていました。古代エジプトでは様々な神が信仰されていたが動物を神格化した神様が多い。特にハヤブサの姿をしているホルス神に関しては、古代エジプトのファラオ(王)は自分を ホルス神のこの世の化身と考えていたほど最上級の神なのである。

    2階のスロープを上ると最上階だがその昇り口にホルス神の像が構えていました。古代エジプトでは様々な神が信仰されていたが動物を神格化した神様が多い。特にハヤブサの姿をしているホルス神に関しては、古代エジプトのファラオ(王)は自分を ホルス神のこの世の化身と考えていたほど最上級の神なのである。

  • 最上階には女王の像がたくさんあるが女王が付け髭を備え男装しているのは面白い。  

    最上階には女王の像がたくさんあるが女王が付け髭を備え男装しているのは面白い。  

  • また3階には中庭があり一番奥には至聖所があった。

    また3階には中庭があり一番奥には至聖所があった。

  • 一通り見学したあと最後に葬祭殿を去る前にもう一度後ろを振り返ったらあまりにも急な崖の下に建物がある。この建築技術は現在のエジプト建築技術より凄いのではないかと思うほどだった。<br />この葬祭殿の崖の向こう側に王家の谷があるのだ。ハトシェプスト女王とはエジプト考古学博物館のミイラ室で対面できる。 <br />

    一通り見学したあと最後に葬祭殿を去る前にもう一度後ろを振り返ったらあまりにも急な崖の下に建物がある。この建築技術は現在のエジプト建築技術より凄いのではないかと思うほどだった。
    この葬祭殿の崖の向こう側に王家の谷があるのだ。ハトシェプスト女王とはエジプト考古学博物館のミイラ室で対面できる。

  • ちなみに、エジプト旅行中に経験した最高気温はこのハトシェプスト女王葬祭殿を見学しているときでした。 <br />・気温45℃、湿度28%<br />でした。

    ちなみに、エジプト旅行中に経験した最高気温はこのハトシェプスト女王葬祭殿を見学しているときでした。 
    ・気温45℃、湿度28%
    でした。

  • さて葬祭殿を見学したあと、バスに戻る際に土産屋さんの軒下を通らなければならないがこのときに年端の行かない少年が1ダラー(1ドル)、1ダラーとお土産を売りつけてくる。私が土産物に目をやると、すぐに 私の脇に来て売りつけてきた。1ドルと思いきや買う気を見せるといきなり2つ(ツタンカーメンとその墓を守るジャッカル像)で30ドルと値を吊り上げてきた。私が高いと言うと10m歩くたびに5ドルずつ価格が下がっていく。 最後は出口付近で6ドルで購入した。安い買い物をしたと思ったが妻と次女に「そんなの1ドルだよ」と言われてしまった。でも自分では安い買い物をしたと思っているのだからそれでいいのだ。

    さて葬祭殿を見学したあと、バスに戻る際に土産屋さんの軒下を通らなければならないがこのときに年端の行かない少年が1ダラー(1ドル)、1ダラーとお土産を売りつけてくる。私が土産物に目をやると、すぐに 私の脇に来て売りつけてきた。1ドルと思いきや買う気を見せるといきなり2つ(ツタンカーメンとその墓を守るジャッカル像)で30ドルと値を吊り上げてきた。私が高いと言うと10m歩くたびに5ドルずつ価格が下がっていく。 最後は出口付近で6ドルで購入した。安い買い物をしたと思ったが妻と次女に「そんなの1ドルだよ」と言われてしまった。でも自分では安い買い物をしたと思っているのだからそれでいいのだ。

  • 13:00  <br />次の見学場所はラムセス3世葬祭殿である。 HIS以外のツアーでここを見学するコースは、ほとんどないのであまりたいしたことはないのかと思っていたがそんなことはなかった。とにかく広い。見るところがたくさんありすぎて困ってしまうほどだ。

    13:00  
    次の見学場所はラムセス3世葬祭殿である。 HIS以外のツアーでここを見学するコースは、ほとんどないのであまりたいしたことはないのかと思っていたがそんなことはなかった。とにかく広い。見るところがたくさんありすぎて困ってしまうほどだ。

  • 入り口は、写真のようにこじんまりしている。いくつもの門が連なっています。それだけ奥が深いというわけです。(笑)

    入り口は、写真のようにこじんまりしている。いくつもの門が連なっています。それだけ奥が深いというわけです。(笑)

  • しかし、小さな前門を抜けると大きな神殿の塔門が現れびっくりする。この塔門には敵を打ち据えるレリーフが彫られています。<br />葬祭殿と言っても ハトシェプスト女王やトトメス3世も手掛けた神殿が併設されており保存状態も非常に良いので驚きました。観光客が少なく、ゆったりと見学できました。穴場的スポットとしてカルナック神殿やルクソール神殿に匹敵する遺跡であると思います。

    しかし、小さな前門を抜けると大きな神殿の塔門が現れびっくりする。この塔門には敵を打ち据えるレリーフが彫られています。
    葬祭殿と言っても ハトシェプスト女王やトトメス3世も手掛けた神殿が併設されており保存状態も非常に良いので驚きました。観光客が少なく、ゆったりと見学できました。穴場的スポットとしてカルナック神殿やルクソール神殿に匹敵する遺跡であると思います。

  • 中庭には腕をクロスするファラオ像が並んでいます。

    中庭には腕をクロスするファラオ像が並んでいます。

  • レリーフの中で倒した敵つまり手の数を数えているものがあり不気味でした。

    レリーフの中で倒した敵つまり手の数を数えているものがあり不気味でした。

  • 大列柱室です。

    大列柱室です。

  • 一番奥にあった中庭です。

    一番奥にあった中庭です。

  • 13:40  <br />午前中の観光(西岸)がようやく終わり、昼食となった。午前中の観光は暑かったので汗がほとばしり出て喉がカラカラだった。またしてもレストランは野外の日影だったので結構暑かった。というわけで飲み物はビールとした。ステラというエジプトのビールを始めて飲んだがあっさりしていて美味しかった。何と言っても冷たいビールは旨い。350ml缶で6ドルだった。やはり高い。

    13:40  
    午前中の観光(西岸)がようやく終わり、昼食となった。午前中の観光は暑かったので汗がほとばしり出て喉がカラカラだった。またしてもレストランは野外の日影だったので結構暑かった。というわけで飲み物はビールとした。ステラというエジプトのビールを始めて飲んだがあっさりしていて美味しかった。何と言っても冷たいビールは旨い。350ml缶で6ドルだった。やはり高い。

  • 料理は前菜にスープとパンが主食にコシャリと呼ばれているが日本の「ソバ飯」に近いものが出た。パスタや豆などいろいろな具材がライスとからめてある。日本料理に近かったので食事が進み、コフタをおかずにして全部平らげた。日本料理に近いとほっとすると同時に安心して食べられた。

    料理は前菜にスープとパンが主食にコシャリと呼ばれているが日本の「ソバ飯」に近いものが出た。パスタや豆などいろいろな具材がライスとからめてある。日本料理に近かったので食事が進み、コフタをおかずにして全部平らげた。日本料理に近いとほっとすると同時に安心して食べられた。

  • 14:45  <br />お腹が一杯になりビールで喉を潤したあとの午後の観光はナイル川を渡り対岸にあるカルナック神殿からだ。

    14:45  
    お腹が一杯になりビールで喉を潤したあとの午後の観光はナイル川を渡り対岸にあるカルナック神殿からだ。

  • 最初、カルナック神殿に到着すると建物の中にカルナック神殿の全体が分かる模型が 置いてある。今まで見学した王家の谷やハトシェプスト女王葬祭殿なども同じような模型があったが これは全体像を把握できるのでとても助かる。こういう模型は最近、設置されたようでちょっと前まではなかったと聞く。旅行者には好評だ。<br /> <br />

    最初、カルナック神殿に到着すると建物の中にカルナック神殿の全体が分かる模型が 置いてある。今まで見学した王家の谷やハトシェプスト女王葬祭殿なども同じような模型があったが これは全体像を把握できるのでとても助かる。こういう模型は最近、設置されたようでちょっと前まではなかったと聞く。旅行者には好評だ。
     

  • エジプトでは宮殿の遺跡は残っておらず残っているのは神殿と墓である。 なぜかと言うと古代エジプト人は現世という限られた時間のうちに生活する宮殿よりも永遠に住むことになる神殿や墓を大事にし、それらは長い間(永遠に)、もつように丈夫に造られたからである。 <br />エジプトの中で最も大きな神殿はカルナック神殿である。 カルナックとはエジプト語で砦と言う意味らしい。中王国時代、ここに神殿があったらしいがさらに新王国時代のハトシェプスト女王、トトメス3世、アメンヘテプ3世、ラムセス2世らが神殿を大規模に増改築し最大級の神殿となった。とにかく大きい。1時間かけて回ったが回り切れず一部を見学しただけだったのは残念だが仕方ない。

    エジプトでは宮殿の遺跡は残っておらず残っているのは神殿と墓である。 なぜかと言うと古代エジプト人は現世という限られた時間のうちに生活する宮殿よりも永遠に住むことになる神殿や墓を大事にし、それらは長い間(永遠に)、もつように丈夫に造られたからである。
    エジプトの中で最も大きな神殿はカルナック神殿である。 カルナックとはエジプト語で砦と言う意味らしい。中王国時代、ここに神殿があったらしいがさらに新王国時代のハトシェプスト女王、トトメス3世、アメンヘテプ3世、ラムセス2世らが神殿を大規模に増改築し最大級の神殿となった。とにかく大きい。1時間かけて回ったが回り切れず一部を見学しただけだったのは残念だが仕方ない。

  • 神殿と言うのは最初に参道があり、次に大きな塔門という城壁のような壁があり、その中には中庭がある。中庭を抜けると列柱室があり最後に至聖所があるのが一般的だ。ここ、カルナック神殿にはいくつもの塔門があり、また至聖所の奥には中王国時代の神殿跡もあり、そのまた奥には祝祭殿もある。<br />カルナック神殿の塔門前には橋がかかっておりその橋を通り抜けると参道の両側に羊の頭のスフィンクスが並んでいる。

    神殿と言うのは最初に参道があり、次に大きな塔門という城壁のような壁があり、その中には中庭がある。中庭を抜けると列柱室があり最後に至聖所があるのが一般的だ。ここ、カルナック神殿にはいくつもの塔門があり、また至聖所の奥には中王国時代の神殿跡もあり、そのまた奥には祝祭殿もある。
    カルナック神殿の塔門前には橋がかかっておりその橋を通り抜けると参道の両側に羊の頭のスフィンクスが並んでいる。

  • 塔門をくぐると左右に2体の巨像が立っている。ラムセス2世は長身で武勇に優れ数々の遠征で勝利をおさめた。一方、難敵には 平和条約を結ぶなど外交面でも優れていたようである。このラムセス2世のミイラとは エジプト考古学博物館のミイラ室で対面できるのだ。

    塔門をくぐると左右に2体の巨像が立っている。ラムセス2世は長身で武勇に優れ数々の遠征で勝利をおさめた。一方、難敵には 平和条約を結ぶなど外交面でも優れていたようである。このラムセス2世のミイラとは エジプト考古学博物館のミイラ室で対面できるのだ。

  • 赤の服を着たエジプト人ガイドさん。日本語がうまく説明もうまい。みんな聞き入っていました。

    赤の服を着たエジプト人ガイドさん。日本語がうまく説明もうまい。みんな聞き入っていました。

  • 左側のラムセス2世の像のほうが保存状態は良い。両手は胸の前で交差し、「オシリス神のポーズ」を取っている。オシリス神はホルス神の父親である。このオシリス神の妻がイシス神でありホルス神の妻がハトホル神である。このラムセス2世はファラオの中のファラオと言われているくらい有名で さまざまな遺跡を現在に残している。建築王の異名をとり代表傑作はアブシンベル神殿である。また、このラムセス2世は24歳で即位し在位66年間、そして90歳という長寿でも有名である。<br /> ちなみに現在のエジプトの平均寿命は女性73歳、男性69歳だそうです。死因の第1位は肝炎で2位は糖尿病だそうだ。1位の肝炎は頷ける。街はごみの山でナイル川から引いた河川の水は汚染されているように見える。ナイル川自身もアスワンハイダムができてから水質汚染がすごいらしい。2位も頷ける。エジプト人は甘いものが好きで一人当たりの年間の砂糖消費量は28kgだそうだ。びっくりしますよね。紅茶やコーヒーなどもたくさんの砂糖を入れて飲んでいる。エジプト人の男性は結構痩せている人が多いが中年女性は太っている人が多い。チャドルと言う体形が出ない服を着ているが太っているのはわかるのだ。女性の方が家で甘いお菓子を食べたり甘いお茶を飲む回数が多いのかな。

    左側のラムセス2世の像のほうが保存状態は良い。両手は胸の前で交差し、「オシリス神のポーズ」を取っている。オシリス神はホルス神の父親である。このオシリス神の妻がイシス神でありホルス神の妻がハトホル神である。このラムセス2世はファラオの中のファラオと言われているくらい有名で さまざまな遺跡を現在に残している。建築王の異名をとり代表傑作はアブシンベル神殿である。また、このラムセス2世は24歳で即位し在位66年間、そして90歳という長寿でも有名である。
    ちなみに現在のエジプトの平均寿命は女性73歳、男性69歳だそうです。死因の第1位は肝炎で2位は糖尿病だそうだ。1位の肝炎は頷ける。街はごみの山でナイル川から引いた河川の水は汚染されているように見える。ナイル川自身もアスワンハイダムができてから水質汚染がすごいらしい。2位も頷ける。エジプト人は甘いものが好きで一人当たりの年間の砂糖消費量は28kgだそうだ。びっくりしますよね。紅茶やコーヒーなどもたくさんの砂糖を入れて飲んでいる。エジプト人の男性は結構痩せている人が多いが中年女性は太っている人が多い。チャドルと言う体形が出ない服を着ているが太っているのはわかるのだ。女性の方が家で甘いお菓子を食べたり甘いお茶を飲む回数が多いのかな。

  • さてカルナック神殿であるが大列柱室を通り抜けると2本のオベリスクがある。1本はハトシェプスト女王、もう1本はトトメス1世のオベリスクだ。このオベリスクであるが古王国時代の象徴であったピラミッドに代わって 新王国時代には太陽神の象徴として崇められるようになった。ハトシェプスト女王のオベリスクはもともと2本あったが1本は倒れてしまい神殿脇の聖なる池の近くの広場に横にされて展示されている。

    さてカルナック神殿であるが大列柱室を通り抜けると2本のオベリスクがある。1本はハトシェプスト女王、もう1本はトトメス1世のオベリスクだ。このオベリスクであるが古王国時代の象徴であったピラミッドに代わって 新王国時代には太陽神の象徴として崇められるようになった。ハトシェプスト女王のオベリスクはもともと2本あったが1本は倒れてしまい神殿脇の聖なる池の近くの広場に横にされて展示されている。

  • 2本のオベリスク。 

    2本のオベリスク。 

  • 至聖所。

    至聖所。

  • 倒れてしまったハトシェプト女王のオベリスクのうちの1本。

    倒れてしまったハトシェプト女王のオベリスクのうちの1本。

  • 半端ではなく太く大きい列柱。

    半端ではなく太く大きい列柱。

  • だいたいの見学が終わってバスに戻ろうとした時にこの神殿の警護の人に グッドピクチャーポイントといって壁の裏側にあった岩場からオベリスクが見えるポイントに連れていかれ写真を撮ってもらった。そのままサンキューと言って帰ろうとすると「チップ、チップ」と言われた。「あっ、そうか、チップをもらうためのサービスだったのか」と思ったが後の祭り。ポケットから1ドル出して手渡した。帰ってきた言葉は「サンキュー べリー マッチ」。 <br />アチャー、やられたって感じです。約1時間の観光後、カルナック宮殿を後にした。

    だいたいの見学が終わってバスに戻ろうとした時にこの神殿の警護の人に グッドピクチャーポイントといって壁の裏側にあった岩場からオベリスクが見えるポイントに連れていかれ写真を撮ってもらった。そのままサンキューと言って帰ろうとすると「チップ、チップ」と言われた。「あっ、そうか、チップをもらうためのサービスだったのか」と思ったが後の祭り。ポケットから1ドル出して手渡した。帰ってきた言葉は「サンキュー べリー マッチ」。
    アチャー、やられたって感じです。約1時間の観光後、カルナック宮殿を後にした。

  • 16:00  <br />次に連れていかれたのが香水瓶のお土産屋さんである。<br />1階で香水瓶を作る様子を見学し、その後、2階で冷たいファンタジュースがサービスされた。 店員からツアー客全員が香水の香りなどを手に付けて嗅がせてもらったあと我が家は次女がらくだの形をした香水瓶を2個購入した。ここでも10%の割引券をもらったが そのあとの交渉で最後は日本円に換算して3000円で買ったと話していた。 <br />だいたい最初の言い値の15~20%引きくらいだと思う。

    16:00  
    次に連れていかれたのが香水瓶のお土産屋さんである。
    1階で香水瓶を作る様子を見学し、その後、2階で冷たいファンタジュースがサービスされた。 店員からツアー客全員が香水の香りなどを手に付けて嗅がせてもらったあと我が家は次女がらくだの形をした香水瓶を2個購入した。ここでも10%の割引券をもらったが そのあとの交渉で最後は日本円に換算して3000円で買ったと話していた。
    だいたい最初の言い値の15~20%引きくらいだと思う。

  • 16:50  <br />本日最後の観光はルクソール神殿である。<br />大分、太陽も傾いてきた。8月末のエジプトは日の出が午前5:30過ぎ(アレキサンドリアに行く途中、日の出を見た時間)、そして日の入りは午後6時半前(2日目、ピラミッドが見える道路脇で確認した時間)であまり日本と変わらない。 このルクソール神殿は主として新王国時代の最も繁栄したときに王位に就いたアメンヘテプ3世 (ツタンカーメン王の父)とラムセス2世が建造したものである。さきほど見学したカルナック神殿が本殿でこちらのルクソール神殿は副殿である。カルナック神殿とルクソール神殿との距離は約3kmあり、スフィンクス参道でつながっている。<br />バスから降りるとすぐに塔門があり、その前に1つのオベリスクが立っている。また、この神殿の建立者の一人であるラムセス2世の巨像が1対玉座している。このオベリスクは2本あったがもう1本はムハンマド・アリの時代にフランスに贈ってしまった。それが現在、パリのコンコルド広場に立っているオベリスクである。

    16:50  
    本日最後の観光はルクソール神殿である。
    大分、太陽も傾いてきた。8月末のエジプトは日の出が午前5:30過ぎ(アレキサンドリアに行く途中、日の出を見た時間)、そして日の入りは午後6時半前(2日目、ピラミッドが見える道路脇で確認した時間)であまり日本と変わらない。 このルクソール神殿は主として新王国時代の最も繁栄したときに王位に就いたアメンヘテプ3世 (ツタンカーメン王の父)とラムセス2世が建造したものである。さきほど見学したカルナック神殿が本殿でこちらのルクソール神殿は副殿である。カルナック神殿とルクソール神殿との距離は約3kmあり、スフィンクス参道でつながっている。
    バスから降りるとすぐに塔門があり、その前に1つのオベリスクが立っている。また、この神殿の建立者の一人であるラムセス2世の巨像が1対玉座している。このオベリスクは2本あったがもう1本はムハンマド・アリの時代にフランスに贈ってしまった。それが現在、パリのコンコルド広場に立っているオベリスクである。

  • このルクソール神殿の入口にも大きなラムセス2世像が設置されています。

    このルクソール神殿の入口にも大きなラムセス2世像が設置されています。

  • ラムセス2世の中庭です。<br />ラムセス2世の中庭の周囲に柱がありその間にラムセス2世の像が並ぶ。どの像も左足を前にして立っている。この左足を前にのポーズは生きていることを表しているそうだ。第二塔門前には坐像のラムセス2世がある。

    ラムセス2世の中庭です。
    ラムセス2世の中庭の周囲に柱がありその間にラムセス2世の像が並ぶ。どの像も左足を前にして立っている。この左足を前にのポーズは生きていることを表しているそうだ。第二塔門前には坐像のラムセス2世がある。

  • 狭い塔門をくぐり抜けると中庭があるのだがその一角に13世紀に建てられたモスクがあり現在も使われている。 近世になって遺跡の一部をモスクに替えてしまったようだ。どこへいってもそうだがイスラム教の礼拝所であるモスクは非常に立派で外見がきれいである。

    狭い塔門をくぐり抜けると中庭があるのだがその一角に13世紀に建てられたモスクがあり現在も使われている。 近世になって遺跡の一部をモスクに替えてしまったようだ。どこへいってもそうだがイスラム教の礼拝所であるモスクは非常に立派で外見がきれいである。

  • そして第二塔門を 過ぎるとすぐ右手にツタンカーメン王とその妻のアンケセナーメン王妃のカップルの 座像がある。

    そして第二塔門を 過ぎるとすぐ右手にツタンカーメン王とその妻のアンケセナーメン王妃のカップルの 座像がある。

  • 中睦ましかったようで後ろからみると王妃が王の肩を抱いている。

    中睦ましかったようで後ろからみると王妃が王の肩を抱いている。

  • ツタンカーメンの座像の奥には開花式のパピルス柱が並んだ列柱室となる。列柱室といっても現在は天井がない。列柱室を通り抜けるとまた中庭があるがここにある周囲の柱は閉花式のパピルス 柱である。 <br />最後に至聖所があるのだがその前にローマ風の円形ドームがある。ローマ時代に改造された場所でキリスト教の壁画も残っている。

    ツタンカーメンの座像の奥には開花式のパピルス柱が並んだ列柱室となる。列柱室といっても現在は天井がない。列柱室を通り抜けるとまた中庭があるがここにある周囲の柱は閉花式のパピルス 柱である。
    最後に至聖所があるのだがその前にローマ風の円形ドームがある。ローマ時代に改造された場所でキリスト教の壁画も残っている。

  • 第一塔門に戻ってスフィンクス道を撮影しようとしたらいきなり、そばにいたおじさんが no pictureといって砂利道に入ってスフィンクスを撮影するには私の許可がいると言い出した。すぐに「あっ、この人は特に許可制でもないのに撮影を許可すると言ってチップを狙っているな」とわかったので私たちはその場からすぐに遠のいた。

    第一塔門に戻ってスフィンクス道を撮影しようとしたらいきなり、そばにいたおじさんが no pictureといって砂利道に入ってスフィンクスを撮影するには私の許可がいると言い出した。すぐに「あっ、この人は特に許可制でもないのに撮影を許可すると言ってチップを狙っているな」とわかったので私たちはその場からすぐに遠のいた。

  • 最後に観光を終えてバスに戻るときにガイドさんに美味しいと勧められたアイスクリームが 売られており私はマンゴーアイスクリームを4ドルで買って食べた。冷たくてまあまあの味だが少し甘過ぎ。量も少なくちょっと高い。 ガイドさんが言うことをツアー客はほとんど信じきっている。私もそれで買ったのだ。

    最後に観光を終えてバスに戻るときにガイドさんに美味しいと勧められたアイスクリームが 売られており私はマンゴーアイスクリームを4ドルで買って食べた。冷たくてまあまあの味だが少し甘過ぎ。量も少なくちょっと高い。 ガイドさんが言うことをツアー客はほとんど信じきっている。私もそれで買ったのだ。

  • 見学が終了し、ルクソール神殿からホテルに向かうバスの中で明朝の予定の説明があった。 明日はバスに2時間乗って観光地に向かうが途中ノンストップでいくのでホテルで必ず用を足してくるように指示があった。 また昼食前と後でバスが変わるので荷物の置き忘れのないように。  <br />そして明朝の予定は、以下の通りだ。               <br />5:00 モーニングコール                 <br />5:30  この時間から朝食が食べられる。                 <br />5:45  荷物出し                 <br />6:30  出発<br /><br />18:00  ホテルに到着。      <br />昨日と同じソフィテルカルナックに連泊なので楽だ。部屋に入って最初にやったことは水を冷蔵庫に入れることと下着や靴下の洗濯を して室内に干すことだ。朝までには完全に乾く。 少し部屋でくつろいだ。今日は結構歩いたし暑かったので疲れた。今夜は夕食がオプションでついていない。添乗員のKさんが勧めてくれたようにホテル内で 夕食を食べることにした。HISではオプショナルツアー「カルナック神殿・音と光のショー(夕食付き75ドル)」を組んでおり 10名ほどが参加するようであった。 我が家は最初からこの日は相当疲れるだろうからホテルで食事をとって十分休憩 しようと決めていた。あとで参加した人に聞いたら昼間ガイドさんから聞いた説明を光が当たって いるなかで聞いただけなのでつまらなかったようだ。食事も美味しくなかったと話してくれた。       <br />ホテル内のいくつかのレストランのなかでブッフェスタイルの店があったのでそこにした。いろいろな種類の食べ物があったが 野菜は食べられないし、肉は飽きたしであまり美味しいく食べられるものがなかった。料理の中にはガイドブックに載っていたモロヘイヤスープやケバブハラ(肉の煮込み)、そして定番のコフタやターメイヤもあった。私は妻とステラビールを飲みながら適当に持って来た肉や野菜を煮込んだ料理やスープなどを食した。最後は味の付いたライスがあったので仕上げにそれを食べた。ビール以外は飲み物がなくビールを飲まない次女はスープを飲んでいた。夫婦でビールを2杯ずつ飲み、ブッフェ3人分で勘定は合計で約75ドルだった。ここでは現金で食後にすぐ払わされた。<br />21:00  <br />食事後、部屋に戻りシャワーを浴び、疲れを取るため21時には就寝した。<br />3日目の万歩計データは、なんとエジプト旅行期間中の最高値を記録し、<br />・歩数=16,731歩、歩行距離=12.3km、消費カロリー=625kcal    であった。

    見学が終了し、ルクソール神殿からホテルに向かうバスの中で明朝の予定の説明があった。 明日はバスに2時間乗って観光地に向かうが途中ノンストップでいくのでホテルで必ず用を足してくるように指示があった。 また昼食前と後でバスが変わるので荷物の置き忘れのないように。  
    そして明朝の予定は、以下の通りだ。
    5:00 モーニングコール
    5:30  この時間から朝食が食べられる。
    5:45  荷物出し
    6:30  出発

    18:00  ホテルに到着。       
    昨日と同じソフィテルカルナックに連泊なので楽だ。部屋に入って最初にやったことは水を冷蔵庫に入れることと下着や靴下の洗濯を して室内に干すことだ。朝までには完全に乾く。 少し部屋でくつろいだ。今日は結構歩いたし暑かったので疲れた。今夜は夕食がオプションでついていない。添乗員のKさんが勧めてくれたようにホテル内で 夕食を食べることにした。HISではオプショナルツアー「カルナック神殿・音と光のショー(夕食付き75ドル)」を組んでおり 10名ほどが参加するようであった。 我が家は最初からこの日は相当疲れるだろうからホテルで食事をとって十分休憩 しようと決めていた。あとで参加した人に聞いたら昼間ガイドさんから聞いた説明を光が当たって いるなかで聞いただけなのでつまらなかったようだ。食事も美味しくなかったと話してくれた。        
    ホテル内のいくつかのレストランのなかでブッフェスタイルの店があったのでそこにした。いろいろな種類の食べ物があったが 野菜は食べられないし、肉は飽きたしであまり美味しいく食べられるものがなかった。料理の中にはガイドブックに載っていたモロヘイヤスープやケバブハラ(肉の煮込み)、そして定番のコフタやターメイヤもあった。私は妻とステラビールを飲みながら適当に持って来た肉や野菜を煮込んだ料理やスープなどを食した。最後は味の付いたライスがあったので仕上げにそれを食べた。ビール以外は飲み物がなくビールを飲まない次女はスープを飲んでいた。夫婦でビールを2杯ずつ飲み、ブッフェ3人分で勘定は合計で約75ドルだった。ここでは現金で食後にすぐ払わされた。
    21:00  
    食事後、部屋に戻りシャワーを浴び、疲れを取るため21時には就寝した。
    3日目の万歩計データは、なんとエジプト旅行期間中の最高値を記録し、
    ・歩数=16,731歩、歩行距離=12.3km、消費カロリー=625kcal     であった。

  • エジプト旅行4日目     2010年8月26日(木)<br /><br />4:45  起床<br />5:00  モーニングコール<br />5:45  荷物出し<br />そのあと朝食に出かけた。     <br />朝食は昨日と同じメニューなので昨日食べて美味しかった野菜たっぷりのオムレツをその場で調理してもらい熱いうちに頂いた。飲み物はオレンジュースとコーヒーにした。<br />6:30  出発<br />本日のバスはトイレ付きだったが大きな方をしたあとは周辺が臭くなる。トイレを使う場合はもう少し消臭に気を使った方が良い。女性は意外と消臭していると思うので男性も注意すべきだ。

    エジプト旅行4日目     2010年8月26日(木)

    4:45  起床
    5:00  モーニングコール
    5:45  荷物出し
    そのあと朝食に出かけた。      
    朝食は昨日と同じメニューなので昨日食べて美味しかった野菜たっぷりのオムレツをその場で調理してもらい熱いうちに頂いた。飲み物はオレンジュースとコーヒーにした。
    6:30  出発
    本日のバスはトイレ付きだったが大きな方をしたあとは周辺が臭くなる。トイレを使う場合はもう少し消臭に気を使った方が良い。女性は意外と消臭していると思うので男性も注意すべきだ。

  • ルクソールから最初の観光地であるエドフのホルス神殿までの間、ナイル川沿いを走るが車窓から見るその光景(コントラスト)が面白くて飽きない。ナイル川沿いは緑が多く、特にこのあたりではトウモロコシやさとうきびを栽培している。冬でも25~26℃と結構気温が高い。ナイル川から灌漑を引いて栽培しているのだ。しかし、雨が降らないので川から少し離れると不毛の大地となる。昔はアスワンハイダムがなかったので雨季ともなると水が広い範囲に流れて土地も肥えていたが現在はナイル川の水量はダムでコントロールされているので痩せて来ている。

    ルクソールから最初の観光地であるエドフのホルス神殿までの間、ナイル川沿いを走るが車窓から見るその光景(コントラスト)が面白くて飽きない。ナイル川沿いは緑が多く、特にこのあたりではトウモロコシやさとうきびを栽培している。冬でも25~26℃と結構気温が高い。ナイル川から灌漑を引いて栽培しているのだ。しかし、雨が降らないので川から少し離れると不毛の大地となる。昔はアスワンハイダムがなかったので雨季ともなると水が広い範囲に流れて土地も肥えていたが現在はナイル川の水量はダムでコントロールされているので痩せて来ている。

  • エドフまでバスで2時間かかるので現地人ガイドの話を聞いていた。ほとんどの人が疲れがたまってきているのかバスの中の移動時間は睡眠している。私はあまり寝ていなかったがこういう話が好きなのでずっと聞きいっていた。<br /><br />・エジプト歴史の話…今から7,000年前に古代エジプト文明の歴史が始まり5,200年前に上エジプトのナルメ  ル王が上下エジプトを統一した。それ以来、累代の王朝が栄えたが紀元前332年にマケドニア王のアレキサンダー大王に征服される。その後、ローマの属州となり、紀元後639年にはイスラムの傘下に入る。オスマントルコ、ナポレオンの支配ののちモハメド・アリー朝が樹立。1882年からはイギリスの支配下に置かれた。そして1952年のクーデター(エジプト革命) によりモハメド・アリー朝は倒され、王制は廃止され1953年より共和制に移行し  エジプト共和国が成立した。1956年大統領に就任したナセル大統領のもとでアラブ民族主義を柱とする独自の政策が推し進められた。ナセル大統領のときに様々な改革が行われた。<br />・エジプトの教育の話…ナセル大統領の改革によりエジプトでは学校での教育費用は全て無料になった。エジプトの学制は6・3・3・4制で日本と同じ。小学校と大学は男女共学だが中学、高校は別学である。ただ義務教育という制度はなく学校へ行く、行かないは国民の自由である。この改革でエジプト人の教育への関心は高まったが最近では弊害も出てきている。人口が急激に増えてきたため、1クラスの人数が70~80人もいて授業が成り立たないらしい。また教育費の面でも一部は有料になりつつある。そうすると貧しい人は学校に行けず 裕福な人も授業がしっかりしている私立の学校へ行ってしまうらしい。アメリカンスクールが人気がある。授業が成り立たないくらいなので部活動などもない。また、学校の先生の給料は低いのでほとんどが私的に家庭教師のアルバイトをやっている。授業内容だが日本と違って「宗教」がある。 給食はない。毎年、進級テストが2回あり、そのテストで合格点をとらないと留年となる。勉強について行けず中退する者が多い。文盲率が約30%と高い。3人に一人が文字が読めない。上級学校への進学は内申書の結果で決まる。 高校へ進学する際、優秀な生徒は普通科に行く。大学は地域別になっており、たとえばカイロの人はカイロの大学に行く。アレキサンドリアにいればアレキサンドリアの大学に行く。なのでカイロ大学が一番優秀のように思われるがそうではない。大学への進学だが、これまた高校の時の成績で好きな学部に振り分けられる。一番人気の学部は、政治・経済学部で二番目は報道学部、三番目が医学部である。特に優秀な学生は海外に留学する。しかし、就職難のため海外留学すると50%の学生は帰国しないで留学先に残る。大学への進学率は約20%で男性より女性の方が高い。女性は大学を出ても働かないで家に居ることが多い。エジプトは公務員が多く公務員の給料は約5万円/月と低い。公務員だとアルバイトしないと食べていけない。だからエジプトの公務員は真面目に働かない風潮がある。エジプト社会はコネ社会でコネがないと就職できない。閉塞感が強く、失業率も約20%と高い。学校中退者などは職人になる。日本と違って職人の質が低い。良く、喫茶店や道の木陰で椅子に座って仕事を待っている。修理などいつも違う職人がやるので職人に責任感はない。適当にやって収入があればよいのだ。建築物などの塗装や建具など、いい加減な作り方をしている。また水まわりも水が漏るのは当たり前のようだ。就職難のため800万人が外国へ出稼ぎに行っている。近隣のアラブの石油生産国などで医者や学校の先生をやっている。ちなみの現在のエジプトの国旗の赤・白・黒はのうち赤は革命、白は未来、黒は過去の暗黒時代を表し、真ん中に古代から信仰されてきた鷲が描かれている。ガイドさんの説明を聞いて私なりに判断すると「エジプト文明という高度な文明を持つ国なのだが教育面での荒廃が最近のエジプトと 言う国の閉塞感を作りだしている」のではないかと思う次第である。

    エドフまでバスで2時間かかるので現地人ガイドの話を聞いていた。ほとんどの人が疲れがたまってきているのかバスの中の移動時間は睡眠している。私はあまり寝ていなかったがこういう話が好きなのでずっと聞きいっていた。

    ・エジプト歴史の話…今から7,000年前に古代エジプト文明の歴史が始まり5,200年前に上エジプトのナルメ ル王が上下エジプトを統一した。それ以来、累代の王朝が栄えたが紀元前332年にマケドニア王のアレキサンダー大王に征服される。その後、ローマの属州となり、紀元後639年にはイスラムの傘下に入る。オスマントルコ、ナポレオンの支配ののちモハメド・アリー朝が樹立。1882年からはイギリスの支配下に置かれた。そして1952年のクーデター(エジプト革命) によりモハメド・アリー朝は倒され、王制は廃止され1953年より共和制に移行し エジプト共和国が成立した。1956年大統領に就任したナセル大統領のもとでアラブ民族主義を柱とする独自の政策が推し進められた。ナセル大統領のときに様々な改革が行われた。
    ・エジプトの教育の話…ナセル大統領の改革によりエジプトでは学校での教育費用は全て無料になった。エジプトの学制は6・3・3・4制で日本と同じ。小学校と大学は男女共学だが中学、高校は別学である。ただ義務教育という制度はなく学校へ行く、行かないは国民の自由である。この改革でエジプト人の教育への関心は高まったが最近では弊害も出てきている。人口が急激に増えてきたため、1クラスの人数が70~80人もいて授業が成り立たないらしい。また教育費の面でも一部は有料になりつつある。そうすると貧しい人は学校に行けず 裕福な人も授業がしっかりしている私立の学校へ行ってしまうらしい。アメリカンスクールが人気がある。授業が成り立たないくらいなので部活動などもない。また、学校の先生の給料は低いのでほとんどが私的に家庭教師のアルバイトをやっている。授業内容だが日本と違って「宗教」がある。 給食はない。毎年、進級テストが2回あり、そのテストで合格点をとらないと留年となる。勉強について行けず中退する者が多い。文盲率が約30%と高い。3人に一人が文字が読めない。上級学校への進学は内申書の結果で決まる。 高校へ進学する際、優秀な生徒は普通科に行く。大学は地域別になっており、たとえばカイロの人はカイロの大学に行く。アレキサンドリアにいればアレキサンドリアの大学に行く。なのでカイロ大学が一番優秀のように思われるがそうではない。大学への進学だが、これまた高校の時の成績で好きな学部に振り分けられる。一番人気の学部は、政治・経済学部で二番目は報道学部、三番目が医学部である。特に優秀な学生は海外に留学する。しかし、就職難のため海外留学すると50%の学生は帰国しないで留学先に残る。大学への進学率は約20%で男性より女性の方が高い。女性は大学を出ても働かないで家に居ることが多い。エジプトは公務員が多く公務員の給料は約5万円/月と低い。公務員だとアルバイトしないと食べていけない。だからエジプトの公務員は真面目に働かない風潮がある。エジプト社会はコネ社会でコネがないと就職できない。閉塞感が強く、失業率も約20%と高い。学校中退者などは職人になる。日本と違って職人の質が低い。良く、喫茶店や道の木陰で椅子に座って仕事を待っている。修理などいつも違う職人がやるので職人に責任感はない。適当にやって収入があればよいのだ。建築物などの塗装や建具など、いい加減な作り方をしている。また水まわりも水が漏るのは当たり前のようだ。就職難のため800万人が外国へ出稼ぎに行っている。近隣のアラブの石油生産国などで医者や学校の先生をやっている。ちなみの現在のエジプトの国旗の赤・白・黒はのうち赤は革命、白は未来、黒は過去の暗黒時代を表し、真ん中に古代から信仰されてきた鷲が描かれている。ガイドさんの説明を聞いて私なりに判断すると「エジプト文明という高度な文明を持つ国なのだが教育面での荒廃が最近のエジプトと 言う国の閉塞感を作りだしている」のではないかと思う次第である。

  • 8:30  <br />本日最初の観光場所、エドフのホルス神殿に到着。       <br />この神殿は古代エジプト時代のものではなくグレコローマン時代のものである。 紀元前57年にクレオパトラの父であるプトレマイオス12世が完成させた神殿である。 バスから降りると数百m先に神殿が大きく見える。塔門をみるとラムセス3世葬祭殿に非常に良く似ていて見間違うほどである。ここでも敵を打ちすえるレリーフが 塔門に大きく描かれている。敵を打ちすえているのはプトレマイオス12世だそうである。

    8:30  
    本日最初の観光場所、エドフのホルス神殿に到着。       
    この神殿は古代エジプト時代のものではなくグレコローマン時代のものである。 紀元前57年にクレオパトラの父であるプトレマイオス12世が完成させた神殿である。 バスから降りると数百m先に神殿が大きく見える。塔門をみるとラムセス3世葬祭殿に非常に良く似ていて見間違うほどである。ここでも敵を打ちすえるレリーフが 塔門に大きく描かれている。敵を打ちすえているのはプトレマイオス12世だそうである。

  • ホルス神殿というだけあって塔門前にはハヤブサの姿をしたホルス神が立っている。また中庭の奥にも同様な像が立っていた。

    ホルス神殿というだけあって塔門前にはハヤブサの姿をしたホルス神が立っている。また中庭の奥にも同様な像が立っていた。

  • 特に中庭奥のホルス神はエジプトで一番美しいとされている。建物が新しいだけあって列柱室の天井もちゃんとある。

    特に中庭奥のホルス神はエジプトで一番美しいとされている。建物が新しいだけあって列柱室の天井もちゃんとある。

  • そして最後の至聖所には船の形をした神輿が置かれている。

    そして最後の至聖所には船の形をした神輿が置かれている。

  • 外壁のレリーフも保存状態が良い。面白かったのはレリーフの掘ってある壁の端が丸くなっている。 これは壁を絵巻物に見立て、まだまだ巻物の絵(ストーリー)は続くという意味で片側が丸めてある。面白い。

    外壁のレリーフも保存状態が良い。面白かったのはレリーフの掘ってある壁の端が丸くなっている。 これは壁を絵巻物に見立て、まだまだ巻物の絵(ストーリー)は続くという意味で片側が丸めてある。面白い。

  • 見張りの警備員が小銃を肩からぶら下げていた。日本では見られない光景なのでちょっと怖い。

    見張りの警備員が小銃を肩からぶら下げていた。日本では見られない光景なのでちょっと怖い。

  • またホルス神殿の見学が終了しバスに戻るときの土産屋の客引きが凄い。「1ダラー、1ダラー、安くしとくよ」と日本語で付きまとって来る。お土産を買おうと思っても買いたくなくなる始末だ。ツアー客も足早に土産屋の前を通りを通り過ぎていた。 <br />ここではまだ午前9時だというのに温度37℃、湿度36%もあった。<br /><br />1時間ほどでエドフの観光が終わり、バスに乗り次の目的地コムオンボに向かった。このときバスの中でエジプトの刺繍入りTシャツの販売をした。刺繍で自分の名前を象形文字で入れられる。その他にも好きな模様も前後に名前と別々に入れられる。Tシャツ(17ドル)とポロシャツ(22ドル)の販売があった。色も自分で選べる。注文書をもらい今夜の夕食時までに申し込めば良い。記念に何枚か申し込む予定だ。<br />

    またホルス神殿の見学が終了しバスに戻るときの土産屋の客引きが凄い。「1ダラー、1ダラー、安くしとくよ」と日本語で付きまとって来る。お土産を買おうと思っても買いたくなくなる始末だ。ツアー客も足早に土産屋の前を通りを通り過ぎていた。
    ここではまだ午前9時だというのに温度37℃、湿度36%もあった。

    1時間ほどでエドフの観光が終わり、バスに乗り次の目的地コムオンボに向かった。このときバスの中でエジプトの刺繍入りTシャツの販売をした。刺繍で自分の名前を象形文字で入れられる。その他にも好きな模様も前後に名前と別々に入れられる。Tシャツ(17ドル)とポロシャツ(22ドル)の販売があった。色も自分で選べる。注文書をもらい今夜の夕食時までに申し込めば良い。記念に何枚か申し込む予定だ。

  • 10:50  <br />次の観光地はコムオンボ神殿だ。<br />アスワンの北50kmに位置しておりハヤブサの神様(ホルス神)とワニの神様(ソベク神)を祭っている神殿だ。プトレマイオス朝時代(グレコローマン時代)に建てられた左右対称の二重構造を持つ神殿である。古代ギリシャ時代の神殿に似ていて重量感がある。

    10:50  
    次の観光地はコムオンボ神殿だ。
    アスワンの北50kmに位置しておりハヤブサの神様(ホルス神)とワニの神様(ソベク神)を祭っている神殿だ。プトレマイオス朝時代(グレコローマン時代)に建てられた左右対称の二重構造を持つ神殿である。古代ギリシャ時代の神殿に似ていて重量感がある。

  • 観光客は非常に少なかった。この建物にはたくさんの貴重なレリーフがあるが特に下記のような特徴がある。       <br />・出産シーンのレリーフ        <br />・手術器具のレリーフ         <br />・カレンダーのレリーフ        <br />特に手術器具のレリーフの説明の中で帝王(ローマ皇帝)が手術して生まれたのでそれ以降、手術して出産させることを帝王切開というようになったという話だ。これは世界共通語のようだ。 <br />

    観光客は非常に少なかった。この建物にはたくさんの貴重なレリーフがあるが特に下記のような特徴がある。       
    ・出産シーンのレリーフ       
    ・手術器具のレリーフ      
    ・カレンダーのレリーフ        
    特に手術器具のレリーフの説明の中で帝王(ローマ皇帝)が手術して生まれたのでそれ以降、手術して出産させることを帝王切開というようになったという話だ。これは世界共通語のようだ。  

  • また神殿脇にはナイル川の水位計があり、この中でワニを飼っていたそうだ。昔はナイルワニがたくさんいたそうだ。この遺跡はナイル川のすぐ脇にある。遺跡は壊れかけていたが景色はきれいだった。<br /><br />ここでの温度は40℃、湿度は32%だった。

    また神殿脇にはナイル川の水位計があり、この中でワニを飼っていたそうだ。昔はナイルワニがたくさんいたそうだ。この遺跡はナイル川のすぐ脇にある。遺跡は壊れかけていたが景色はきれいだった。

    ここでの温度は40℃、湿度は32%だった。

  • 最後にパチリ。

    最後にパチリ。

  • 12:20  <br />2つの神殿が見終わったあとアスワンまで移動し「ナイル川の見えるお店」で昼食だった。 ナイル川の水面にファルーカ(帆かけ船)がすごく気持ち良さそうに浮かんでいるのが見えました。

    12:20  
    2つの神殿が見終わったあとアスワンまで移動し「ナイル川の見えるお店」で昼食だった。 ナイル川の水面にファルーカ(帆かけ船)がすごく気持ち良さそうに浮かんでいるのが見えました。

  • 料理はタジン料理。トマトソースの煮込み料理で熱くて美味しかった。私はこの中に添えてあったライスを全部入れて完食しました。エジプト料理の中で 日本人の口に一番合うのではないかと思うくらい美味しかった。<br />

    料理はタジン料理。トマトソースの煮込み料理で熱くて美味しかった。私はこの中に添えてあったライスを全部入れて完食しました。エジプト料理の中で 日本人の口に一番合うのではないかと思うくらい美味しかった。

  • 13:30  <br />昼食の後は、カルトゥーシュのお店に行った。最初に冷たいカルカデ(ハイビスカスのお茶)が振舞われました。店員から簡単なカルゥーシュの説明を受けてから買い物タイムになった。我が家の次女はエジプトのお土産はパピルスと香水瓶とカルゥーシュに決めていたので さっそく購入のための値段交渉を始めた。最初480ドルと言っていたが添乗員のKさんが していた本物の金のカルトゥーシュが300ドルだったと聞いていたので最後は300ドルでないと 買わないと言ったら渋々、最後になって340ドルまで下げ何とか交渉が成立した。金のカルトゥーシュはヒエログリフ(象形文字)で名前を張り付けてくれるのでその場では受け取れないので今晩宿泊するホテルに届けてもらうことになった。

    13:30  
    昼食の後は、カルトゥーシュのお店に行った。最初に冷たいカルカデ(ハイビスカスのお茶)が振舞われました。店員から簡単なカルゥーシュの説明を受けてから買い物タイムになった。我が家の次女はエジプトのお土産はパピルスと香水瓶とカルゥーシュに決めていたので さっそく購入のための値段交渉を始めた。最初480ドルと言っていたが添乗員のKさんが していた本物の金のカルトゥーシュが300ドルだったと聞いていたので最後は300ドルでないと 買わないと言ったら渋々、最後になって340ドルまで下げ何とか交渉が成立した。金のカルトゥーシュはヒエログリフ(象形文字)で名前を張り付けてくれるのでその場では受け取れないので今晩宿泊するホテルに届けてもらうことになった。

  • 次は、本日のクライマックス(というか一番暑くて危険)であるアスワンの切りかけのオベリスクの 観光です。<br />14:10  <br />アスワンの石切り場にやってきました。住居の中に急に石切り場が現れたという 感じの場所だった。 <br />

    次は、本日のクライマックス(というか一番暑くて危険)であるアスワンの切りかけのオベリスクの 観光です。
    14:10  
    アスワンの石切り場にやってきました。住居の中に急に石切り場が現れたという 感じの場所だった。

  • この放置されたオベリスクはハトシェプスト女王が造らせたものではないかと言われている。この巨大な石を切る方法だが切り口に沿って長方形の穴を少ずつ離して開けて行き、そこに木を詰め木に水を浸すと木が膨張し、その力で石が割れるのだそうだ。このサンプルもこの石切り場に残されていたのだ。古代エジプト人は頭が良いなあ。それに比べて今のエジプト人は…。

    この放置されたオベリスクはハトシェプスト女王が造らせたものではないかと言われている。この巨大な石を切る方法だが切り口に沿って長方形の穴を少ずつ離して開けて行き、そこに木を詰め木に水を浸すと木が膨張し、その力で石が割れるのだそうだ。このサンプルもこの石切り場に残されていたのだ。古代エジプト人は頭が良いなあ。それに比べて今のエジプト人は…。

  • 石切り場の中ほどに古代エジプト時代の「切りかけのオベリスク」が放置されている。このオベリスクは完成していれば長さ42m、重さ1200トンで史上最大となるはずだった。しかし石を切る過程でオベリスクにヒビがはいってしまい、そのまま放置されたわけだがこの切りかけのオベリスクがあったおかげで、ここアスワン地方で オベリスクを作っていたことがわかったのだから何が幸いするかわからない。

    石切り場の中ほどに古代エジプト時代の「切りかけのオベリスク」が放置されている。このオベリスクは完成していれば長さ42m、重さ1200トンで史上最大となるはずだった。しかし石を切る過程でオベリスクにヒビがはいってしまい、そのまま放置されたわけだがこの切りかけのオベリスクがあったおかげで、ここアスワン地方で オベリスクを作っていたことがわかったのだから何が幸いするかわからない。

  • アスワンには花崗岩石が多くありオベリスクやピラミッドの玄室や彫像などの材料とされた。<br />この石切り場での気温は44度、湿度は28%であった。<br />石の上は照り返しが強く、汗が噴き出ていた。暑い。

    アスワンには花崗岩石が多くありオベリスクやピラミッドの玄室や彫像などの材料とされた。
    この石切り場での気温は44度、湿度は28%であった。
    石の上は照り返しが強く、汗が噴き出ていた。暑い。

  • 14:50  <br />アスワンの石切り場を見学したあとは船に乗ってナイル川の中州にあるイシス・アイランドというホテルに向かった。<br /> 

    14:50  
    アスワンの石切り場を見学したあとは船に乗ってナイル川の中州にあるイシス・アイランドというホテルに向かった。
     

  • ホテルはナイル川の中州にあります。     <br /><br />

    ホテルはナイル川の中州にあります。     

  • 15:10  <br />10分程度の乗船で中州の島に到着した。イシス・アイランドホテルは大きくて外観が凄くて高級そうなホテルであった。さっそくロビーに集合し、ホテルからサービスされた冷たいカルカデを飲みながら添乗員のKさんからこれからの予定を聞いた。<br />本日の夕食は各自がホテルのレストランで19時以降自由な時間に食べられる。ブッフェスタイルである。<br />また、明朝のスケジュールは驚くなかれ、<br />深夜  1:30 モーニングコール<br />2:00 荷物出し<br />2:40 出発<br />なお、朝食だがホテルでボックス(弁当)を用意するので早朝ロビーでそれをもらいバスの中で移動中に食べる。早めにロビーに行けばコーヒーや紅茶が準備されているので飲むことができる。

    15:10  
    10分程度の乗船で中州の島に到着した。イシス・アイランドホテルは大きくて外観が凄くて高級そうなホテルであった。さっそくロビーに集合し、ホテルからサービスされた冷たいカルカデを飲みながら添乗員のKさんからこれからの予定を聞いた。
    本日の夕食は各自がホテルのレストランで19時以降自由な時間に食べられる。ブッフェスタイルである。
    また、明朝のスケジュールは驚くなかれ、
    深夜 1:30 モーニングコール
    2:00 荷物出し
    2:40 出発
    なお、朝食だがホテルでボックス(弁当)を用意するので早朝ロビーでそれをもらいバスの中で移動中に食べる。早めにロビーに行けばコーヒーや紅茶が準備されているので飲むことができる。

  • ホテルに早く着いたので「ナイル川でファルーカに乗船したい人は有料で乗船できます」と言って添乗員のKさんが親切に募集をしていた。何人かが乗船を希望していたようだが我が家は特に妻が船に弱いのでやめて早く部屋に行って休むことにした。その後、ホテルの部屋に入りまず水を冷蔵庫に入れた。部屋はそこそこ冷えていたが28℃くらいあったのでエアコンを強にした。<br />早めにホテルに着いたので下着や靴下、タオルを洗濯してベランダに干しておいた。我が家は全員がベッドで横になり休憩した。<br />

    ホテルに早く着いたので「ナイル川でファルーカに乗船したい人は有料で乗船できます」と言って添乗員のKさんが親切に募集をしていた。何人かが乗船を希望していたようだが我が家は特に妻が船に弱いのでやめて早く部屋に行って休むことにした。その後、ホテルの部屋に入りまず水を冷蔵庫に入れた。部屋はそこそこ冷えていたが28℃くらいあったのでエアコンを強にした。
    早めにホテルに着いたので下着や靴下、タオルを洗濯してベランダに干しておいた。我が家は全員がベッドで横になり休憩した。

  • 19:00  <br />食事にレストランにいったら我々がツアー客だということが分からなかったらしく最初は戸惑ったが少し経ったら席に案内してくれた。ブッフェスタイルなのでいろいろな種類をたくさん持って来たが私にはオリーブの実が一番美味しかった。しょっぱかったが…。今夜は瓶のステラビールを飲んだが冷えていて美味しかった。        <br />食事後に添乗員さんから昼間購入した次女のカルトゥーシュを受け取った。かなり良い出来で次女は満足げだった。また刺繍入りのポロシャツを3枚購入することにし、その申込書を添乗員さんに渡した。 <br />食事後、ホテル内の売店に行ったら売店のおばさんが日本の神戸に娘が住んでいると話してくれた。ここでエジプトのコップを見ていたら、すぐに1つ5ドルと言ってきた。私たちは買う気がないので黙っていたらすぐに2つで5ドルでいいと言ってきた。実際にお金を部屋に置いてきたのでお金を持ってまた来ると言って店を出た。もう1件、パピルス屋さんに行ったみたら最初1枚300ドルと言われたがやはり黙っているとすぐに250ドルそして200ドルに下げてきた。それでも無視して店から出ようとしたら150ドルでどうかと言い寄ってきたが既にパピルスは購入してしまったのでそのまま店を離れた。<br />21:00  <br />明日は1時過ぎには起床なのでシャワーを浴び早めに就寝した。 <br />4日目の万歩計データは、       <br />・歩数=9,689歩、歩行距離=7.2km、消費カロリー=366kcal      <br />であった。

    19:00  
    食事にレストランにいったら我々がツアー客だということが分からなかったらしく最初は戸惑ったが少し経ったら席に案内してくれた。ブッフェスタイルなのでいろいろな種類をたくさん持って来たが私にはオリーブの実が一番美味しかった。しょっぱかったが…。今夜は瓶のステラビールを飲んだが冷えていて美味しかった。       
    食事後に添乗員さんから昼間購入した次女のカルトゥーシュを受け取った。かなり良い出来で次女は満足げだった。また刺繍入りのポロシャツを3枚購入することにし、その申込書を添乗員さんに渡した。
    食事後、ホテル内の売店に行ったら売店のおばさんが日本の神戸に娘が住んでいると話してくれた。ここでエジプトのコップを見ていたら、すぐに1つ5ドルと言ってきた。私たちは買う気がないので黙っていたらすぐに2つで5ドルでいいと言ってきた。実際にお金を部屋に置いてきたのでお金を持ってまた来ると言って店を出た。もう1件、パピルス屋さんに行ったみたら最初1枚300ドルと言われたがやはり黙っているとすぐに250ドルそして200ドルに下げてきた。それでも無視して店から出ようとしたら150ドルでどうかと言い寄ってきたが既にパピルスは購入してしまったのでそのまま店を離れた。
    21:00  
    明日は1時過ぎには起床なのでシャワーを浴び早めに就寝した。
    4日目の万歩計データは、       
    ・歩数=9,689歩、歩行距離=7.2km、消費カロリー=366kcal       
    であった。

  • 今日のバスの中でエジプトの職人の仕事はいい加減だという話を聞いたあと、本日宿泊する5つ星ホテルであるイシスホテルの部屋の施工を見たらかなりいい加減だということがわかった。タイルのつなぎや天井の角には穴があいているのだ。ドアの下の方は欠けている。日本では考えられない手抜き工事だ。写真に撮っておいたのでとくとご覧あれ。このようないい加減な施工はどこへ行っても同じだった。これがエジプト流なのだ。

    今日のバスの中でエジプトの職人の仕事はいい加減だという話を聞いたあと、本日宿泊する5つ星ホテルであるイシスホテルの部屋の施工を見たらかなりいい加減だということがわかった。タイルのつなぎや天井の角には穴があいているのだ。ドアの下の方は欠けている。日本では考えられない手抜き工事だ。写真に撮っておいたのでとくとご覧あれ。このようないい加減な施工はどこへ行っても同じだった。これがエジプト流なのだ。

  • エジプト旅行5日目     2010年8月27日(金)<br /><br />1:15  起床       <br />昨夜は今朝が早いので早く寝なくちゃと思ったが良く眠れなった。しかし、人間の睡眠は最初の3時間が深いのでその3時間をしっかり寝ていれば 大丈夫。エジプト観光の目玉は何と言ってもピラミッドとスフィンクス。これを 見るまでにダウンするわけにはいかないと思っている。精神的な緊張感があるということは人間をシャキッとさせる。<br />1:30   モーニングコール<br />2:00   荷物出し       <br />荷物出しも慣れてきた。今朝はベランダに干した洗濯物を忘れないことを心がけた。洗濯物は完全に乾いていた。出発の準備が終わり朝食もないので早めにロビーに行くことにした。ロビーに行ったらツアー仲間が何人か来ていた。     <br />朝食ボックスをもらったあと、コーヒーが準備してあったのでポットの栓を開けた。そうしたらコーヒーが蒸気の勢いで飛び散り、服にコーヒーが少しかかってしまった。エジプト流だから注意が必要だった。反省。

    エジプト旅行5日目     2010年8月27日(金)

    1:15  起床      
    昨夜は今朝が早いので早く寝なくちゃと思ったが良く眠れなった。しかし、人間の睡眠は最初の3時間が深いのでその3時間をしっかり寝ていれば 大丈夫。エジプト観光の目玉は何と言ってもピラミッドとスフィンクス。これを 見るまでにダウンするわけにはいかないと思っている。精神的な緊張感があるということは人間をシャキッとさせる。
    1:30  モーニングコール
    2:00  荷物出し      
    荷物出しも慣れてきた。今朝はベランダに干した洗濯物を忘れないことを心がけた。洗濯物は完全に乾いていた。出発の準備が終わり朝食もないので早めにロビーに行くことにした。ロビーに行ったらツアー仲間が何人か来ていた。     
    朝食ボックスをもらったあと、コーヒーが準備してあったのでポットの栓を開けた。そうしたらコーヒーが蒸気の勢いで飛び散り、服にコーヒーが少しかかってしまった。エジプト流だから注意が必要だった。反省。

  • 2:30  <br />コーヒーを飲んでいると全員が集合したのでホテル脇の船着き場まで移動した。そこから小さな船に乗ってナイル川の中州から岸辺に移動した。<br />バスが待機しておりすぐに乗車した。バスは少し運転し3時前にはコンボイ(警護隊列)の集合場所に着いた。<br />アスワンからアブシンベルまでのツアー客の移動は警察の警護付きでないと許可されない。警護付き隊列の出発時間は決まっているためその時間に合わせて観光を組む。だからこんなに早いのだ。この時間を逃すと何時間も後になってしまう。アブシンベルは暑いので早い時間に観光したほうが良いのだろう。隊列が何時に出発するのか知らないがなかなかアスワンから出発しない。集合予定の他のバスが遅れているのかもしれない。

    2:30  
    コーヒーを飲んでいると全員が集合したのでホテル脇の船着き場まで移動した。そこから小さな船に乗ってナイル川の中州から岸辺に移動した。
    バスが待機しておりすぐに乗車した。バスは少し運転し3時前にはコンボイ(警護隊列)の集合場所に着いた。
    アスワンからアブシンベルまでのツアー客の移動は警察の警護付きでないと許可されない。警護付き隊列の出発時間は決まっているためその時間に合わせて観光を組む。だからこんなに早いのだ。この時間を逃すと何時間も後になってしまう。アブシンベルは暑いので早い時間に観光したほうが良いのだろう。隊列が何時に出発するのか知らないがなかなかアスワンから出発しない。集合予定の他のバスが遅れているのかもしれない。

  • 3:40  <br />やっとコンボイがアブシンベルに向けて出発した。 我々のバスにも警護の警察官が乗車してきた。2人乗車してきたが一人はずっと席で寝ていた。私はアスワンを出るとすぐに朝食ボックスを開けて見たが食欲がわかずサンドイッチを 一かじりとジュースを飲んで終わりにした。お腹も空いてないしパンはどうもパサパサ感があり好きではない。やはり朝はご飯とみそ汁が良い。朝早かったのでほとんどの人が寝ていたが私は目がさえて眠れなかった。それでも30分くらいは寝ていたようだ。<br />少し睡眠したあと 窓の外を見るとまだ真っ暗であったが何と南十字星が地平線にくっきりと見えたのだ。日本では沖縄でないと見られないし、海外でも夜間は外出しないので貴重な鑑賞タイムだった。初めての南十字星をずっと見ていたが 飽きなかった。 <br />そして5時ころから少しずつ空が明るくなってきた。周りはずっと砂漠だ。一本道の道路が地平線まで続く。道端にはタイヤの一部だと思われる擦り切れたゴム片が散乱していた。そして5時35分くらいに砂漠の真ん中の地平線に太陽が昇ってきた。神々しいばかりの光を放っている。砂漠で日の出が見られるなんてラッキーだ。何枚も写真を撮った。しばらくすると眠くなりまた30分ほど寝た。

    3:40  
    やっとコンボイがアブシンベルに向けて出発した。 我々のバスにも警護の警察官が乗車してきた。2人乗車してきたが一人はずっと席で寝ていた。私はアスワンを出るとすぐに朝食ボックスを開けて見たが食欲がわかずサンドイッチを 一かじりとジュースを飲んで終わりにした。お腹も空いてないしパンはどうもパサパサ感があり好きではない。やはり朝はご飯とみそ汁が良い。朝早かったのでほとんどの人が寝ていたが私は目がさえて眠れなかった。それでも30分くらいは寝ていたようだ。
    少し睡眠したあと 窓の外を見るとまだ真っ暗であったが何と南十字星が地平線にくっきりと見えたのだ。日本では沖縄でないと見られないし、海外でも夜間は外出しないので貴重な鑑賞タイムだった。初めての南十字星をずっと見ていたが 飽きなかった。  
    そして5時ころから少しずつ空が明るくなってきた。周りはずっと砂漠だ。一本道の道路が地平線まで続く。道端にはタイヤの一部だと思われる擦り切れたゴム片が散乱していた。そして5時35分くらいに砂漠の真ん中の地平線に太陽が昇ってきた。神々しいばかりの光を放っている。砂漠で日の出が見られるなんてラッキーだ。何枚も写真を撮った。しばらくすると眠くなりまた30分ほど寝た。

  • 7:00  <br />アブシンベル神殿に到着。 <br />バスの中で見た南十字星と砂漠の中の地平線に昇る朝日は思いがけないハッピーな出来事だった。早起きは三文の得と言う諺どおり凄く得した気分だ。

    7:00  
    アブシンベル神殿に到着。
    バスの中で見た南十字星と砂漠の中の地平線に昇る朝日は思いがけないハッピーな出来事だった。早起きは三文の得と言う諺どおり凄く得した気分だ。

  • アブシンベルはスーダンとの国境から北に50kmだ。この街の人口は約5,000人でほとんどがアブシンベル神殿の観光や農業に携わっている。アスワンハイダムによりこの辺はナイル川が堰き止められ、ナセル湖を形成している。ナセル湖は世界一の人口湖で広さは琵琶湖の8倍もある。 <br />アブシンベル神殿はユネスコ世界遺産の登録第一号だ。というのもアスワンハイダムの建設によりこの神殿遺跡が水没の危機にあった。ユネスコが各国に呼び掛け費用を捻出しこの遺跡を高台に数百メートル移動したのだった。 移動にあたっては前面の彫像を約1,000個のブロックに切断し移動したそうだ。また神殿なので列柱室や至聖所などがあり奥行きもかなりある。立体的に全部移築するのは難しいので大きなコンクリートのドームを作り先ほど述べた約1000個のブロックを このドームに張り付けて造った。確かに表から見ると岩山に彫った神殿と見えるが後ろから見ると何となくコンクリートドームでできているのがわかる。しかし、この移動は大正解だったようだ。アブシンベルは水没の危機から一転し、エジプトの代表的な観光名所となった。たくさんの観光客がこの遺跡を見に辺境の地までやってくるのだから凄い。ユネスコに感謝。

    アブシンベルはスーダンとの国境から北に50kmだ。この街の人口は約5,000人でほとんどがアブシンベル神殿の観光や農業に携わっている。アスワンハイダムによりこの辺はナイル川が堰き止められ、ナセル湖を形成している。ナセル湖は世界一の人口湖で広さは琵琶湖の8倍もある。  
    アブシンベル神殿はユネスコ世界遺産の登録第一号だ。というのもアスワンハイダムの建設によりこの神殿遺跡が水没の危機にあった。ユネスコが各国に呼び掛け費用を捻出しこの遺跡を高台に数百メートル移動したのだった。 移動にあたっては前面の彫像を約1,000個のブロックに切断し移動したそうだ。また神殿なので列柱室や至聖所などがあり奥行きもかなりある。立体的に全部移築するのは難しいので大きなコンクリートのドームを作り先ほど述べた約1000個のブロックを このドームに張り付けて造った。確かに表から見ると岩山に彫った神殿と見えるが後ろから見ると何となくコンクリートドームでできているのがわかる。しかし、この移動は大正解だったようだ。アブシンベルは水没の危機から一転し、エジプトの代表的な観光名所となった。たくさんの観光客がこの遺跡を見に辺境の地までやってくるのだから凄い。ユネスコに感謝。

  • アブシンベル神殿は、かの有名なラムセス2世が自らのために大神殿をそして愛する妻ネフェルタリ王妃のために小神殿を作った。バスが到着したあとトイレ休憩をし、神殿の後部から周囲を迂回して歩きながら前面に移動する。神殿の前面はすぐナイル川だ。最初の観光客は我々と一緒にコンボイで来た旅行者が多い。 ヨーロッパの人が圧倒的に多い。またピースボートで世界をまわっている人たちもいた。大神殿が見えてきた。すごい迫力である。  <br />大神殿の前面には4体の座像が彫られている。4体ともラムセス2世の彫像で 向かって左手からだんだんに年をとった姿になっている。左から2番目は上半身が ない。良く見ると地面に落下している。あえて修復せず移設前と同じように して置いたのだという。これ一つとっても修復して移設すべきかそのまま移設すべきが多くの議論が あったに違いない。ユネスコには本当に敬意を表さずにはいられない。

    アブシンベル神殿は、かの有名なラムセス2世が自らのために大神殿をそして愛する妻ネフェルタリ王妃のために小神殿を作った。バスが到着したあとトイレ休憩をし、神殿の後部から周囲を迂回して歩きながら前面に移動する。神殿の前面はすぐナイル川だ。最初の観光客は我々と一緒にコンボイで来た旅行者が多い。 ヨーロッパの人が圧倒的に多い。またピースボートで世界をまわっている人たちもいた。大神殿が見えてきた。すごい迫力である。  
    大神殿の前面には4体の座像が彫られている。4体ともラムセス2世の彫像で 向かって左手からだんだんに年をとった姿になっている。左から2番目は上半身が ない。良く見ると地面に落下している。あえて修復せず移設前と同じように して置いたのだという。これ一つとっても修復して移設すべきかそのまま移設すべきが多くの議論が あったに違いない。ユネスコには本当に敬意を表さずにはいられない。

  • 我々のツアー仲間全員が初めて大神殿をバックに集合写真を撮った。1枚千円で16枚の絵ハガキ付きと安かったので迷わず購入した。写真撮影の後、現地ガイドが購入する人は手を挙げてというと10人ほどが手を挙げた。この際の人数の数え方が面白い。購入する人に手を挙げさせハイタッチしながら人数を数える。ハイタッチされた人は手を降ろすのだ。確実に人数を確認するときはいつもこの方法で数えていた。 <br />大神殿・小神殿とも内部は撮影禁止だった。中に入るとレリーフが凄い。戦うラムセス2世の姿や捕虜たちなどが描かれている。内部は通路を行くと列柱室があり、その奥に前室があり再奥部に至聖所がある。大列柱室には胸の前で十字を組むオシリス神のポーズをしたラムセス2世の立像がある。至聖所には4人の神が祭ってありその中の一つがラムセス2世が神格化された像である。 <br />この像に1年に2回朝日があたるように神殿が設計されているというから 驚きである。外部に出て写真を何枚かとった。 旅行中、ガイドさんと添乗員さんが写真を撮りましょうかと頻繁に声をかけてくれてた。家族一緒の写真をたくさん撮ってもらいありがたかった。 <br />このあと100mくらい移動して隣にある小神殿を見学した。小神殿と言っても大きい。この小神殿の前面には6体の彫像があり左右3体ずつある。3体の真ん中がネフェルタリ王妃で両端がラムセス2世である。結局6体中、4体がラムセス2世である。この王は結構、目立ちたがりやだったのかもしれない と思ったのは私だけだろうか。

    我々のツアー仲間全員が初めて大神殿をバックに集合写真を撮った。1枚千円で16枚の絵ハガキ付きと安かったので迷わず購入した。写真撮影の後、現地ガイドが購入する人は手を挙げてというと10人ほどが手を挙げた。この際の人数の数え方が面白い。購入する人に手を挙げさせハイタッチしながら人数を数える。ハイタッチされた人は手を降ろすのだ。確実に人数を確認するときはいつもこの方法で数えていた。  
    大神殿・小神殿とも内部は撮影禁止だった。中に入るとレリーフが凄い。戦うラムセス2世の姿や捕虜たちなどが描かれている。内部は通路を行くと列柱室があり、その奥に前室があり再奥部に至聖所がある。大列柱室には胸の前で十字を組むオシリス神のポーズをしたラムセス2世の立像がある。至聖所には4人の神が祭ってありその中の一つがラムセス2世が神格化された像である。  
    この像に1年に2回朝日があたるように神殿が設計されているというから 驚きである。外部に出て写真を何枚かとった。 旅行中、ガイドさんと添乗員さんが写真を撮りましょうかと頻繁に声をかけてくれてた。家族一緒の写真をたくさん撮ってもらいありがたかった。  
    このあと100mくらい移動して隣にある小神殿を見学した。小神殿と言っても大きい。この小神殿の前面には6体の彫像があり左右3体ずつある。3体の真ん中がネフェルタリ王妃で両端がラムセス2世である。結局6体中、4体がラムセス2世である。この王は結構、目立ちたがりやだったのかもしれない と思ったのは私だけだろうか。

  • 小神殿の内部は大神殿同様、通路を行くと列柱室があり、その奥に前室、至聖所 と続く。大神殿からすると大分狭い。列柱室に描かれたネフェルタリのレリーフが可愛いなと思ったらこれは牛の耳をしたハトホル神だった。内部見学後に外に出て小神殿をバックに写真を撮った。<br /> <br />小神殿の前面の6体の像を改めて見たら全部が左足を前にしているのが分かった。生きている姿と言うわけだ。アブシンベルのこの時の気温は朝8時だと言うのに37℃、湿度は34%だった。昼頃に来たら45℃は行きそうだ。大神殿と小神殿を見学したあとは来た道とは反対方向に遺跡を一周する形で歩く。

    小神殿の内部は大神殿同様、通路を行くと列柱室があり、その奥に前室、至聖所 と続く。大神殿からすると大分狭い。列柱室に描かれたネフェルタリのレリーフが可愛いなと思ったらこれは牛の耳をしたハトホル神だった。内部見学後に外に出て小神殿をバックに写真を撮った。
     
    小神殿の前面の6体の像を改めて見たら全部が左足を前にしているのが分かった。生きている姿と言うわけだ。アブシンベルのこの時の気温は朝8時だと言うのに37℃、湿度は34%だった。昼頃に来たら45℃は行きそうだ。大神殿と小神殿を見学したあとは来た道とは反対方向に遺跡を一周する形で歩く。

  • 最後の通りには土産屋があり、少し覗きながら歩いたがすぐに「1ダラー、1ダラー」としつこく 言い寄ってくるので嫌気がさした。土産物屋から離れ、大通りの歩道を歩いて駐車場まで戻った。

    最後の通りには土産屋があり、少し覗きながら歩いたがすぐに「1ダラー、1ダラー」としつこく 言い寄ってくるので嫌気がさした。土産物屋から離れ、大通りの歩道を歩いて駐車場まで戻った。

  • 駐車場でバスを探したが同じようなバスが何十台もありどれが私たちのものかわからなくなってしまった。集合時間より早めに帰ってきてバスの中で涼もうと思ったが結局ガイドさんが来るまで 外で待機していた。自動車のナンバープレートはちなみに本当のアラビア語の数字でした。 <br />算用数字=アラビア数字だと思っていたのだが全然違っていました。

    駐車場でバスを探したが同じようなバスが何十台もありどれが私たちのものかわからなくなってしまった。集合時間より早めに帰ってきてバスの中で涼もうと思ったが結局ガイドさんが来るまで 外で待機していた。自動車のナンバープレートはちなみに本当のアラビア語の数字でした。
    算用数字=アラビア数字だと思っていたのだが全然違っていました。

  • 9:00  <br />帰りも警護の車両に挟まれてコンボイを組んでアスワンに向かった。アブシンベル神殿を見学しているときに我々のツアー客の中で何人かが体調が 悪そうだった。お腹が痛く、昨日の昼食時のレモン水が怪しいと話していた。また朝食に食べたフルーツかあたったようだと言う人もいた。我が家の3人は至って正常で私などは日本に居る時よりハイテンションで体調が良く元気だった。遊び好きなのかもしれない。 <br />12:05  <br />12時近くにアスワンに戻り、アスワンハイダムを見学した。アスワンにはアスワンダムとアスワンハイダムの2つのダムがある。アスワンダムは1901年に当時、エジプトを統治していたイギリスが造ったそうだ。 アスワンハイダムは最初米国の資金援助で建設される予定だったが 中東戦争などで米国がイスラエル寄りだったこともあり資金援助が受けられなくなった。そこでナセル大統領は資金確保のためにスエズ運河の国有化を強行した。このスエズ運河の通行料は非常に高く、一般的に1隻数百万~数千万円もするそうだ。エジプトの収入の第一位は観光であり、2位はスエズ運河の通行料である。さらに米ソの冷戦のさなか、ソ連がハイダムの資金援助および技術援助を申し出た。ソ連主導のもと高さ111m、全長3,600mの巨大なダムが1970年に完成した。ダム完成の裏で多くの住民(ヌビア人)が近代的なコンクリートでできた団地へと 住居を移した。このダムの発電量は全エジプトの20%を支えているというから驚きだ。 <br />このダムの功罪はいろいろ言われているが主として、<br />メリット<br />・ナイル川の氾濫がなくなり電力の安定供給が可能となった。<br />・灌漑が進み農業の振興ができた。    <br />・ナセル湖での漁業が発達した。 <br />デメリット    <br />・土壌の流出がなくなり下流の土地が痩せた。    <br />・河口付近の浸食が進み漁獲量が減った。    <br />・ナセル湖の蒸発した水が遺跡を傷める。 <br />などである。<br />どちらが良いかは難しい判断だ。このアスワンハイダムは500年の間は土砂などに耐えうる設計となっていると言うから凄い。

    9:00  
    帰りも警護の車両に挟まれてコンボイを組んでアスワンに向かった。アブシンベル神殿を見学しているときに我々のツアー客の中で何人かが体調が 悪そうだった。お腹が痛く、昨日の昼食時のレモン水が怪しいと話していた。また朝食に食べたフルーツかあたったようだと言う人もいた。我が家の3人は至って正常で私などは日本に居る時よりハイテンションで体調が良く元気だった。遊び好きなのかもしれない。
    12:05  
    12時近くにアスワンに戻り、アスワンハイダムを見学した。アスワンにはアスワンダムとアスワンハイダムの2つのダムがある。アスワンダムは1901年に当時、エジプトを統治していたイギリスが造ったそうだ。 アスワンハイダムは最初米国の資金援助で建設される予定だったが 中東戦争などで米国がイスラエル寄りだったこともあり資金援助が受けられなくなった。そこでナセル大統領は資金確保のためにスエズ運河の国有化を強行した。このスエズ運河の通行料は非常に高く、一般的に1隻数百万~数千万円もするそうだ。エジプトの収入の第一位は観光であり、2位はスエズ運河の通行料である。さらに米ソの冷戦のさなか、ソ連がハイダムの資金援助および技術援助を申し出た。ソ連主導のもと高さ111m、全長3,600mの巨大なダムが1970年に完成した。ダム完成の裏で多くの住民(ヌビア人)が近代的なコンクリートでできた団地へと 住居を移した。このダムの発電量は全エジプトの20%を支えているというから驚きだ。
    このダムの功罪はいろいろ言われているが主として、
    メリット
    ・ナイル川の氾濫がなくなり電力の安定供給が可能となった。
    ・灌漑が進み農業の振興ができた。     
    ・ナセル湖での漁業が発達した。
    デメリット     
    ・土壌の流出がなくなり下流の土地が痩せた。     
    ・河口付近の浸食が進み漁獲量が減った。     
    ・ナセル湖の蒸発した水が遺跡を傷める。
    などである。
    どちらが良いかは難しい判断だ。このアスワンハイダムは500年の間は土砂などに耐えうる設計となっていると言うから凄い。

  • ダムの上流にはナセル湖に水が満面となっているが下流は水量が乏しい。ダムの上は道路になっておりダムの上にいるのが実感できない。

    ダムの上流にはナセル湖に水が満面となっているが下流は水量が乏しい。ダムの上は道路になっておりダムの上にいるのが実感できない。

  • ダムの上からはアスワンハイダム完成を記念した記念塔が見えた。

    ダムの上からはアスワンハイダム完成を記念した記念塔が見えた。

  • ダムの上を見学したあと少しバスに乗って走った。道路の脇にバスを止め外に出て、アスワン産の「エジプトの砂」を拾った。一人がペットボトルに1本ずつ入れていた。砂粒はキメが細かく色は赤茶色をしていた。本当のエジプト土産なのだ。

    ダムの上を見学したあと少しバスに乗って走った。道路の脇にバスを止め外に出て、アスワン産の「エジプトの砂」を拾った。一人がペットボトルに1本ずつ入れていた。砂粒はキメが細かく色は赤茶色をしていた。本当のエジプト土産なのだ。

  • アスワン郊外の車窓です。

    アスワン郊外の車窓です。

  • 12:45  <br />昼食はアスワン市内にあるホテル内のレストランで食べた。<br />本日のメニューはビーフステーキだった。ステラビールを飲みながら美味しく食べた。肉が相当脂っぽいがライスが添えてあったので日本の焼肉定食風に食した。味付けが結構、薄かったので途中で塩を振りかけながら食べたら美味しかった。日本人の舌は醤油味、味噌味、塩味になれてしまっているのだ。

    12:45  
    昼食はアスワン市内にあるホテル内のレストランで食べた。
    本日のメニューはビーフステーキだった。ステラビールを飲みながら美味しく食べた。肉が相当脂っぽいがライスが添えてあったので日本の焼肉定食風に食した。味付けが結構、薄かったので途中で塩を振りかけながら食べたら美味しかった。日本人の舌は醤油味、味噌味、塩味になれてしまっているのだ。

  • 13:35  <br />次に向かったのはフィラエ島のイシス神殿である。この島はナイル川の中にあるので船で渡った。島に近付くと大きな遺跡が見えてきた。これまで見てきた神殿遺跡と同じような色をしていた。このイシス神殿もダムの建設で水没してしまうため本来のフィラエ島から移築された。そのとき、この島の名前もフィラエ島に変えられたいきさつがある。

    13:35  
    次に向かったのはフィラエ島のイシス神殿である。この島はナイル川の中にあるので船で渡った。島に近付くと大きな遺跡が見えてきた。これまで見てきた神殿遺跡と同じような色をしていた。このイシス神殿もダムの建設で水没してしまうため本来のフィラエ島から移築された。そのとき、この島の名前もフィラエ島に変えられたいきさつがある。

  • このイシス神殿はプトレマイオス朝(グレコローマン時代)によって建てられたもので イシス神(オシリス神の妻)に捧げられた神殿である。古代エジプトの信仰が生きた最後の神殿である。今まで見学した神殿と非常に似ている。<br />島に上陸すると最初に列柱があります。

    このイシス神殿はプトレマイオス朝(グレコローマン時代)によって建てられたもので イシス神(オシリス神の妻)に捧げられた神殿である。古代エジプトの信仰が生きた最後の神殿である。今まで見学した神殿と非常に似ている。
    島に上陸すると最初に列柱があります。

  • そのあとに2体のライオン像に守られた塔門がある。ここの塔門にも王が敵を打ちすえているレリーフが描かれている。

    そのあとに2体のライオン像に守られた塔門がある。ここの塔門にも王が敵を打ちすえているレリーフが描かれている。

  • この神殿には誕生殿が第一塔門と第二塔門の間にある。第二塔門を抜けると列柱室があり奥に何部屋かの前室と最奥部に至聖所がある。

    この神殿には誕生殿が第一塔門と第二塔門の間にある。第二塔門を抜けると列柱室があり奥に何部屋かの前室と最奥部に至聖所がある。

  • 柱もパピルスの形をしたパピルス柱やハトホル神が描かれたハトホル柱がある。

    柱もパピルスの形をしたパピルス柱やハトホル神が描かれたハトホル柱がある。

  • 周囲にはナイル川の水位計やハトホル神殿やトラヤヌス帝(ローマ皇帝)のキオスク なども移築されて何気なく建っていた。キオスクというのは「小さな建物、あずま屋」と言う意味で日本のJRのキオスクも語源は同じである。 40分ほどの見学で再び乗船してイシス神殿をあとにした。

    周囲にはナイル川の水位計やハトホル神殿やトラヤヌス帝(ローマ皇帝)のキオスク なども移築されて何気なく建っていた。キオスクというのは「小さな建物、あずま屋」と言う意味で日本のJRのキオスクも語源は同じである。 40分ほどの見学で再び乗船してイシス神殿をあとにした。

  • 14:50  <br />イシス神殿観光後は、バスで移動しアスワン駅に到着した。アスワン駅からカイロ手前のギザ駅まで寝台特急(ナイルエクスプレス)で移動するためだ。

    14:50  
    イシス神殿観光後は、バスで移動しアスワン駅に到着した。アスワン駅からカイロ手前のギザ駅まで寝台特急(ナイルエクスプレス)で移動するためだ。

  • スーツケースをバスから降ろして駅構内に入った。そこで荷物をガイドさんに見張りしていてもらい私たちツアー客は駅近くのスークを 散策した。スークでは何も買わなかった。スークは見るのが面白い。パン屋の前では100個以上のナンが人が歩く路上に並べて売られていた。 また子どもたちが使用済みのペットボトルに飲み物を入れて売っていた。 <br />これを見たら食べものをスークで買うのは無理だ。牛か羊かわからないが1頭分が軒先につるされ、買いに来た人に切り売りしている。エジプトの田舎では当たり前の光景のようだがカイロあたりでは見られなくなったようだ。

    スーツケースをバスから降ろして駅構内に入った。そこで荷物をガイドさんに見張りしていてもらい私たちツアー客は駅近くのスークを 散策した。スークでは何も買わなかった。スークは見るのが面白い。パン屋の前では100個以上のナンが人が歩く路上に並べて売られていた。 また子どもたちが使用済みのペットボトルに飲み物を入れて売っていた。
    これを見たら食べものをスークで買うのは無理だ。牛か羊かわからないが1頭分が軒先につるされ、買いに来た人に切り売りしている。エジプトの田舎では当たり前の光景のようだがカイロあたりでは見られなくなったようだ。

  • 15分ほどスーク散策した後、駅に戻り売店で缶コーラを1ドルで購入して飲んだ。とにかく暑いので喉が渇く。ビールが売っていないのは残念だった。寝台車の中で冷たいビールでも飲めれば良かったのだが仕方ない。

    15分ほどスーク散策した後、駅に戻り売店で缶コーラを1ドルで購入して飲んだ。とにかく暑いので喉が渇く。ビールが売っていないのは残念だった。寝台車の中で冷たいビールでも飲めれば良かったのだが仕方ない。

  • 我々が乗車するアスワン発ギザ行きの寝台特急は16時発であるが30分前には駅に停車していた。乗車OKだったので私たちは早めに乗車した。アスワンが始発なのだろう。寝台特急は各部屋2人ずつの個室である。私が家は3人なので隣通しの2つの個室に分かれた。2つの部屋はコネクティングコンパーメントになっている。さっそく部屋間の扉の施錠をはずし中で行き来できるようになった。これは家族3~4人で使用するとき助かる。個室は狭いのは狭いが思っていたよりは広かった。旅行ガイドにはスーツケースが開けられない狭さと 書かれていたがベッドの上に持ってくれば十分開けられるのだ。

    我々が乗車するアスワン発ギザ行きの寝台特急は16時発であるが30分前には駅に停車していた。乗車OKだったので私たちは早めに乗車した。アスワンが始発なのだろう。寝台特急は各部屋2人ずつの個室である。私が家は3人なので隣通しの2つの個室に分かれた。2つの部屋はコネクティングコンパーメントになっている。さっそく部屋間の扉の施錠をはずし中で行き来できるようになった。これは家族3~4人で使用するとき助かる。個室は狭いのは狭いが思っていたよりは広かった。旅行ガイドにはスーツケースが開けられない狭さと 書かれていたがベッドの上に持ってくれば十分開けられるのだ。

  • 部屋の中の2段ベッドです。私は一人だったので使いませんでした。

    部屋の中の2段ベッドです。私は一人だったので使いませんでした。

  • 部屋の中にある洗面所の水の出具合もちょびちょびだったが列車内ということを考えれば十分だった。電気コンセントもありベッドもそこそこの広さだった。 トイレは各車両に2つずつ付いているがペダル式なので用を済ました後は思い切り、足でペダルを踏み、その勢いで汚物を下に落とすのだ。 なのでトイレットペーパーは便器にくっついて落ちない。自分でペットボトルに水をいれて持参し、用をたしたあとに自分で流すのである。やはりエジプト流だなあと思った。

    部屋の中にある洗面所の水の出具合もちょびちょびだったが列車内ということを考えれば十分だった。電気コンセントもありベッドもそこそこの広さだった。 トイレは各車両に2つずつ付いているがペダル式なので用を済ました後は思い切り、足でペダルを踏み、その勢いで汚物を下に落とすのだ。 なのでトイレットペーパーは便器にくっついて落ちない。自分でペットボトルに水をいれて持参し、用をたしたあとに自分で流すのである。やはりエジプト流だなあと思った。

  • 16:00  <br />定刻通り、16時にアスワン駅を出発した。出発すると各号車に一人ずついる車掌が回ってきた。夕食時の飲み物を聞かれた。夕食時の飲み物として紅茶かコーヒーが有料なのだが我が家は断った。昼間汗をかいたので私は個室内の洗面所の水で頭を洗髪した。水はチョロチョロとしか出なかったが十分洗髪でき非常に気持ち良かった。男はこういう 時、楽だ。妻と次女は一生懸命、化粧を落としていた。    <br />その後、1階のベッドで横になっていた。なかなか夕食が運ばれてこないので17:30頃に日本から持って来たポケットウィスキーをスーツケースから取り出し、ミネラルウォーターで割り、これも日本から持参した裂きイカやザーサイをツマミに妻と一杯やり始めた。これで腹は一杯になってしまった。この時に日本から持って行ったマイ箸が役にたった。日本の箸は便利だ。ナイフにもフォークにもスプーンにもなるのだから。 <br />18:15  <br />ようやく車掌がやってきて飛行機の機内食サービスのようなトレーで夕食を配膳してくれた。個室内に置いてある食事用テーブルを両脇にセットしその上に食事を置いて食べる。チキンとライスと生のナツメヤシとパンとデザートと生クルームみたいなものがでた。生のナツメヤシは酸っぱくてリンゴの味に似ていたが美味しくなかったので一口でやめた。お腹も一杯になってきたのでウィスキーを飲みながらチキンだけ食べた。車掌が食事を持ってきたときにベッドメーキングを早めにと頼んでおいたので食事後の片づけをしたあとベッドをセットしてくれた。特別の道具を使用してベッドを動かして2段ベッドを作ってくれた。        <br />チップは明日最後に朝食を配膳してくれたとき1ドル手渡すように添乗員さんから配られた注意書きに書かれていたのでそうした。<br />19:00 <br />19時ころには疲れたのとアルコールの酔いで心地よく眠りにつくことができた。列車の中は少し寒かった。温度計では23.5℃くらいだった。明日のギザ駅到着予定時間は添乗員さんが5時半と言っていた。その1時間前くらいに車掌がドアノックで起こしに回ると聞いていたので安心して眠りについた。<br />5日目の万歩計データは、       <br />・歩数=8,645歩、歩行距離=6.3km、消費カロリー=316kcal      <br />と今回の旅行中では最低の歩数であった。

    16:00  
    定刻通り、16時にアスワン駅を出発した。出発すると各号車に一人ずついる車掌が回ってきた。夕食時の飲み物を聞かれた。夕食時の飲み物として紅茶かコーヒーが有料なのだが我が家は断った。昼間汗をかいたので私は個室内の洗面所の水で頭を洗髪した。水はチョロチョロとしか出なかったが十分洗髪でき非常に気持ち良かった。男はこういう 時、楽だ。妻と次女は一生懸命、化粧を落としていた。    
    その後、1階のベッドで横になっていた。なかなか夕食が運ばれてこないので17:30頃に日本から持って来たポケットウィスキーをスーツケースから取り出し、ミネラルウォーターで割り、これも日本から持参した裂きイカやザーサイをツマミに妻と一杯やり始めた。これで腹は一杯になってしまった。この時に日本から持って行ったマイ箸が役にたった。日本の箸は便利だ。ナイフにもフォークにもスプーンにもなるのだから。
    18:15 
    ようやく車掌がやってきて飛行機の機内食サービスのようなトレーで夕食を配膳してくれた。個室内に置いてある食事用テーブルを両脇にセットしその上に食事を置いて食べる。チキンとライスと生のナツメヤシとパンとデザートと生クルームみたいなものがでた。生のナツメヤシは酸っぱくてリンゴの味に似ていたが美味しくなかったので一口でやめた。お腹も一杯になってきたのでウィスキーを飲みながらチキンだけ食べた。車掌が食事を持ってきたときにベッドメーキングを早めにと頼んでおいたので食事後の片づけをしたあとベッドをセットしてくれた。特別の道具を使用してベッドを動かして2段ベッドを作ってくれた。       
    チップは明日最後に朝食を配膳してくれたとき1ドル手渡すように添乗員さんから配られた注意書きに書かれていたのでそうした。
    19:00 
    19時ころには疲れたのとアルコールの酔いで心地よく眠りにつくことができた。列車の中は少し寒かった。温度計では23.5℃くらいだった。明日のギザ駅到着予定時間は添乗員さんが5時半と言っていた。その1時間前くらいに車掌がドアノックで起こしに回ると聞いていたので安心して眠りについた。
    5日目の万歩計データは、       
    ・歩数=8,645歩、歩行距離=6.3km、消費カロリー=316kcal       
    と今回の旅行中では最低の歩数であった。

  • エジプト旅行6日目     2010年8月28日(土) <br /><br />4:30  <br />車掌のドアノックで目が覚めた。途中トイレに起きたが良く眠れた。日本国内でも寝台列車に乗ったことは何回かあるが列車の振動などで良く眠れないのが普通だ。今回のエジプト旅行はハードスケジュールなので睡眠不足なのが良かったのかもしれない。旅行前は寝台車だと眠れなくて大変だなと思っていたが良い睡眠が取れると列車の旅もまた良いものだと 思えるから不思議だ。 <br />ナイルエクスプレスは、睡眠時間確保にもってこい。アルコールを飲んで一気に寝てしまおう。<br />5:00  <br />車掌さんが来て朝食が配膳された。飲み物はコーヒーを頼んだ。 朝の飲み物は無料である。朝食はパンが4種類とチーズやジャムなどパンに塗るペーストが数種類あった。 私はパンを一つとチーズを食べて終わりにした。今日はたぶん昼食が早いだろうと思い軽めに済ました。

    エジプト旅行6日目     2010年8月28日(土)

    4:30  
    車掌のドアノックで目が覚めた。途中トイレに起きたが良く眠れた。日本国内でも寝台列車に乗ったことは何回かあるが列車の振動などで良く眠れないのが普通だ。今回のエジプト旅行はハードスケジュールなので睡眠不足なのが良かったのかもしれない。旅行前は寝台車だと眠れなくて大変だなと思っていたが良い睡眠が取れると列車の旅もまた良いものだと 思えるから不思議だ。
    ナイルエクスプレスは、睡眠時間確保にもってこい。アルコールを飲んで一気に寝てしまおう。
    5:00  
    車掌さんが来て朝食が配膳された。飲み物はコーヒーを頼んだ。 朝の飲み物は無料である。朝食はパンが4種類とチーズやジャムなどパンに塗るペーストが数種類あった。 私はパンを一つとチーズを食べて終わりにした。今日はたぶん昼食が早いだろうと思い軽めに済ました。

  • 5:50  <br />そうこうしているうちに列車はギザ駅に到着した。30分くらい遅れたようだがエジプトでは誤差のうちだ。ガイドさんは日本に留学していたとき日本の新幹線が数分おきに時刻ちょうどに発着してのを見てエジプトに帰り友達に話したが誰も信用してくれなかったそうだ。

    5:50  
    そうこうしているうちに列車はギザ駅に到着した。30分くらい遅れたようだがエジプトでは誤差のうちだ。ガイドさんは日本に留学していたとき日本の新幹線が数分おきに時刻ちょうどに発着してのを見てエジプトに帰り友達に話したが誰も信用してくれなかったそうだ。

  • 到着後、スーツケースはポーターがバスまで運んでくれるので楽だった。駅で待機していたバスに乗った。バスに乗る前に撮影した駅周辺の様子だが相変わらずゴミが散乱していて汚い。

    到着後、スーツケースはポーターがバスまで運んでくれるので楽だった。駅で待機していたバスに乗った。バスに乗る前に撮影した駅周辺の様子だが相変わらずゴミが散乱していて汚い。

  • 朝が早いので一旦、今夜宿泊するアマランテ・ピラミッドホテルに寄ってそこで休憩することになった。 このホテルは1泊目のホテルと同じだったので勝手は分かっている。

    朝が早いので一旦、今夜宿泊するアマランテ・ピラミッドホテルに寄ってそこで休憩することになった。 このホテルは1泊目のホテルと同じだったので勝手は分かっている。

  • 6:20  <br />ホテルに到着後、トイレへ行きあとはロビーで休憩していた。<br />     <br />今日は午前中にクフ王のピラミッドを見学する予定だったが時間に余裕があったので 最初に遠距離にあり時間がかかるダハシュールのピラミッドに出かけることになった。<br /><br />6:45  <br />ダハシュールに向けてホテルからバスが出発した。ダハシュールはカイロから南に40km行ったところにある。 ダハシュールには3つの有名なピラミッドがある。クフ王の父親であるスネフェル王が試行錯誤して造った、<br />・屈折ピラミッド<br />・赤のピラミッド<br />そしてなぜか古王国ではなく中王国時代のアメンエムハト3世が造った、<br />・黒のピラミッド<br />である。<br />ダハシュールに向かう途中、 バスの中で2日前に注文した刺繍入りのポロシャツを手渡された。我が家は3枚注文したがそのうちの1枚は前面に刺繍がなく再作製してもらうために回収してもらった。他にも何人か、注文書通りにできていないので回収していた。いかにもエジプトらしい、いい加減さである。<br />バスの中から農園のナツメヤシの木が見えた。果実がたわわに実っている。収穫は9月~10月のようだが既に収穫が終わって道端で売っている光景も目にした。ナツメヤシの実はそのままリンゴみたいに生で食べることができるし、干して干し柿のようにして たべることもできる。非常に栄養があり砂漠の中では軽いので常備食だったようだ。 砂漠ではナツメヤシとラクダの乳だけで何カ月も過ごすことができるのだ。エジプトのナツメヤシの生産量は世界の20%を占めており1位である。またナツメヤシは実は食用に幹は建築材に、葉は屋根葺き材としてその他にも ロープや籠やタワシなどにも使われるそうで無駄がない樹木だそうだ。またラマダン時にはナツメヤシは欠かすことのできない伝統的な食料のようである。<br />ダハシュールに近くなるとロバに乗った人が多く見かけられた。 田舎に行くと交通手段は驢馬であり自転車など高価なものはない。牛もたくさん見たがどの農家でも農地を耕すために飼育しているのだ。

    6:20  
    ホテルに到着後、トイレへ行きあとはロビーで休憩していた。
         
    今日は午前中にクフ王のピラミッドを見学する予定だったが時間に余裕があったので 最初に遠距離にあり時間がかかるダハシュールのピラミッドに出かけることになった。

    6:45  
    ダハシュールに向けてホテルからバスが出発した。ダハシュールはカイロから南に40km行ったところにある。 ダハシュールには3つの有名なピラミッドがある。クフ王の父親であるスネフェル王が試行錯誤して造った、
    ・屈折ピラミッド
    ・赤のピラミッド
    そしてなぜか古王国ではなく中王国時代のアメンエムハト3世が造った、
    ・黒のピラミッド
    である。
    ダハシュールに向かう途中、 バスの中で2日前に注文した刺繍入りのポロシャツを手渡された。我が家は3枚注文したがそのうちの1枚は前面に刺繍がなく再作製してもらうために回収してもらった。他にも何人か、注文書通りにできていないので回収していた。いかにもエジプトらしい、いい加減さである。
    バスの中から農園のナツメヤシの木が見えた。果実がたわわに実っている。収穫は9月~10月のようだが既に収穫が終わって道端で売っている光景も目にした。ナツメヤシの実はそのままリンゴみたいに生で食べることができるし、干して干し柿のようにして たべることもできる。非常に栄養があり砂漠の中では軽いので常備食だったようだ。 砂漠ではナツメヤシとラクダの乳だけで何カ月も過ごすことができるのだ。エジプトのナツメヤシの生産量は世界の20%を占めており1位である。またナツメヤシは実は食用に幹は建築材に、葉は屋根葺き材としてその他にも ロープや籠やタワシなどにも使われるそうで無駄がない樹木だそうだ。またラマダン時にはナツメヤシは欠かすことのできない伝統的な食料のようである。
    ダハシュールに近くなるとロバに乗った人が多く見かけられた。 田舎に行くと交通手段は驢馬であり自転車など高価なものはない。牛もたくさん見たがどの農家でも農地を耕すために飼育しているのだ。

  • 7:45  <br />ダハシュールに到着したが見学は8時からなので道路脇にバスを止めて待機していた。8時前にバスの通行が許されたので赤のピラミッドの近くまでバスで行った。朝早く観光客は 我々のツアー客だけだった。 <br />屈折ピラミッドと黒のピラミッドは少し遠くにあり、近くで見ることができない。砂漠独特の気候のせいなのか朝もやなのせいなのか砂塵のせいなのかはわからないが屈折 ピラミッドも黒のピラミッドもかすんでおり肉眼でやっと見えるほどであった。 <br />屈折ピラミッドはクフ王の父親であるスネフェル王が造ったもので高さ105メートル、底辺の長さは190mである。最初は急傾斜で造られたが壊れかけたため途中から傾斜をゆるやかにして造ったらしい。光の屈折のように途中から曲がっているので屈折ピラミッドと呼ばれている。<br /> <br />

    7:45  
    ダハシュールに到着したが見学は8時からなので道路脇にバスを止めて待機していた。8時前にバスの通行が許されたので赤のピラミッドの近くまでバスで行った。朝早く観光客は 我々のツアー客だけだった。
    屈折ピラミッドと黒のピラミッドは少し遠くにあり、近くで見ることができない。砂漠独特の気候のせいなのか朝もやなのせいなのか砂塵のせいなのかはわからないが屈折 ピラミッドも黒のピラミッドもかすんでおり肉眼でやっと見えるほどであった。
    屈折ピラミッドはクフ王の父親であるスネフェル王が造ったもので高さ105メートル、底辺の長さは190mである。最初は急傾斜で造られたが壊れかけたため途中から傾斜をゆるやかにして造ったらしい。光の屈折のように途中から曲がっているので屈折ピラミッドと呼ばれている。
     

  • 黒のピラミッドは中王国時代、ピラミッド建設の復活時にアメンエムフト3世により建設されたものである。このピラミッドは日干し煉瓦と玄武岩で造られており、白い石灰岩で化粧仕上げしたもの であったが石灰岩はのちに剥がされてしまった。それが理由でピラミッドは崩壊し始め、現在の崩れかけたピラミッドになってしまったのだ。色は玄武岩でできているので黒く見える。 <br /> 

    黒のピラミッドは中王国時代、ピラミッド建設の復活時にアメンエムフト3世により建設されたものである。このピラミッドは日干し煉瓦と玄武岩で造られており、白い石灰岩で化粧仕上げしたもの であったが石灰岩はのちに剥がされてしまった。それが理由でピラミッドは崩壊し始め、現在の崩れかけたピラミッドになってしまったのだ。色は玄武岩でできているので黒く見える。
     

  • 赤のピラミッドはクフ王のピラミッドと間違えるほど立派なもので広い砂漠の中にそびえ立っていた。遠くから見ても迫力あるが近くに行くとピラミッドを作る1個の石が大きいので驚いた。<br /><br />

    赤のピラミッドはクフ王のピラミッドと間違えるほど立派なもので広い砂漠の中にそびえ立っていた。遠くから見ても迫力あるが近くに行くとピラミッドを作る1個の石が大きいので驚いた。

  • 赤のピラミッドは高さ106m、底辺の長さは220mである。やはりスネフェル王が屈折ピラミッドのあとに造ったピラミッドである。<br />スネフェル王はピラミッドを試験的に5つ造り、そのノウハウを息子のクフ王に伝授しクフ王が集大成としてギザにある立派なピラミッドを作ることができたらしい。赤のピラミッドとはピラミッドの石が砂岩で鉄を多く含み赤茶色に見えることから赤のピラミッドと呼ばれるようになった。またピラミッドの中に赤い文字が書いてあったからとも言われている。<br /><br />

    赤のピラミッドは高さ106m、底辺の長さは220mである。やはりスネフェル王が屈折ピラミッドのあとに造ったピラミッドである。
    スネフェル王はピラミッドを試験的に5つ造り、そのノウハウを息子のクフ王に伝授しクフ王が集大成としてギザにある立派なピラミッドを作ることができたらしい。赤のピラミッドとはピラミッドの石が砂岩で鉄を多く含み赤茶色に見えることから赤のピラミッドと呼ばれるようになった。またピラミッドの中に赤い文字が書いてあったからとも言われている。

  • 赤のピラミッドの1つ1つの石は巨大だがやはりクフ王のピラミッドからすると小さい。

    赤のピラミッドの1つ1つの石は巨大だがやはりクフ王のピラミッドからすると小さい。

  • 8:40  <br />ダハシュールでのピラミッド見学の後、メンフィスの野外博物館へ移動した。バスで15分くらいの距離である。メンフィスは古代エジプト古王国時代に首都として栄えていた街で、とても長い歴史 を持つ街であり遺跡も貴重なものばかりである。<br />最初、博物館の中に入ると地震で倒れたラムセス2世の巨像が横たわっている。2階からは全景が1階は巨像の周りを1周でき真横から像の詳細を見ることができる。ラムセス2世の巨像が手に持っている円筒形のものは何かガイドさんに聞いたら印鑑だと言っていた。

    8:40  
    ダハシュールでのピラミッド見学の後、メンフィスの野外博物館へ移動した。バスで15分くらいの距離である。メンフィスは古代エジプト古王国時代に首都として栄えていた街で、とても長い歴史 を持つ街であり遺跡も貴重なものばかりである。
    最初、博物館の中に入ると地震で倒れたラムセス2世の巨像が横たわっている。2階からは全景が1階は巨像の周りを1周でき真横から像の詳細を見ることができる。ラムセス2世の巨像が手に持っている円筒形のものは何かガイドさんに聞いたら印鑑だと言っていた。

  • 屋外に行くと価値のある像が無造作に置いてある。ギザのスフィンクスに次ぐ大きさでアラバスター製のスフィンクスがあります。

    屋外に行くと価値のある像が無造作に置いてある。ギザのスフィンクスに次ぐ大きさでアラバスター製のスフィンクスがあります。

  • そしてラムセス2世の立像、石棺、解剖台などの遺跡がありました。

    そしてラムセス2世の立像、石棺、解剖台などの遺跡がありました。

  • 9:25  <br />次に向かったのがサッカラの階段ピラミッドだ。サッカラはメンフィスのネクロポリス(墓場地帯)であり、たくさんのピラミッドがある。今回、真近で見学したのは階段ピラミッドだけであるが周囲を見渡したら10ほどのピラミッドやマスタバ(アラビア語でベンチという意味)墳も見えた。<br />

    9:25  
    次に向かったのがサッカラの階段ピラミッドだ。サッカラはメンフィスのネクロポリス(墓場地帯)であり、たくさんのピラミッドがある。今回、真近で見学したのは階段ピラミッドだけであるが周囲を見渡したら10ほどのピラミッドやマスタバ(アラビア語でベンチという意味)墳も見えた。

  • 階段ピラミッドは紀元前2650年頃、初めてエジプトにできた階段状のピラミッドでありジェセル王が造ったものだ。お墓は最初、マスタバ型式(日干しレンガを積み上げたもの)であったがジェセル王の時代には階段状のピラミッドとなり、それから屈折型ピラミッド→赤のピラミッドと進化してゆき、最後にギザで見られる3大ピラミッドの形となった。

    階段ピラミッドは紀元前2650年頃、初めてエジプトにできた階段状のピラミッドでありジェセル王が造ったものだ。お墓は最初、マスタバ型式(日干しレンガを積み上げたもの)であったがジェセル王の時代には階段状のピラミッドとなり、それから屈折型ピラミッド→赤のピラミッドと進化してゆき、最後にギザで見られる3大ピラミッドの形となった。

  • バスから降りると階段ピラミッドを横目に見ながら塔門を模したような囲い(塀)がある。その正面の入り口より建物の中に入る。そして列柱室を通り抜けると右手に中庭と階段ピラミッドが見える。<br /> 

    バスから降りると階段ピラミッドを横目に見ながら塔門を模したような囲い(塀)がある。その正面の入り口より建物の中に入る。そして列柱室を通り抜けると右手に中庭と階段ピラミッドが見える。
     

  • さらに進むと小高い丘があり数頭のラクダがいました。記念撮影用のラクダでツアー客の中で乗っている人もいた。このラクダに乗るのは結構危険だ。ラクダは後ろ脚から立つので座面が急角度の 前傾姿勢となり、ここで振り落とされ大けがをする場合があると添乗員のKさんが注意してくれた。<br />

    さらに進むと小高い丘があり数頭のラクダがいました。記念撮影用のラクダでツアー客の中で乗っている人もいた。このラクダに乗るのは結構危険だ。ラクダは後ろ脚から立つので座面が急角度の 前傾姿勢となり、ここで振り落とされ大けがをする場合があると添乗員のKさんが注意してくれた。

  • 階段ピラミッドは周囲に足場が組んであり修復中であったため近くには行けなかった。この中庭をジェセル王は自分の体力を誇示するため何十周も走ったとガイドさんが 説明してくれました。

    階段ピラミッドは周囲に足場が組んであり修復中であったため近くには行けなかった。この中庭をジェセル王は自分の体力を誇示するため何十周も走ったとガイドさんが 説明してくれました。

  •  西に進んでいくと階段がありその横の壁にはびっしりコブラの飾りが並んでいた。階段を上ると南の墓と呼ばれる地下墓地や盗掘防止の偽穴そして左手には マスタバ墳がみえました。

    西に進んでいくと階段がありその横の壁にはびっしりコブラの飾りが並んでいた。階段を上ると南の墓と呼ばれる地下墓地や盗掘防止の偽穴そして左手には マスタバ墳がみえました。

  • 階段ピラミッドのある小高い丘から北西を見るとギザの三大ピラミッドにそっくりな 3つ並んだピラミッドが見える。ずっと見渡す限り砂漠だった。いろいろな墓があり、もっと周辺を見学したいと思ったが時間の都合で階段ピラミッドだけしか見学できなかったのは残念だった。

    階段ピラミッドのある小高い丘から北西を見るとギザの三大ピラミッドにそっくりな 3つ並んだピラミッドが見える。ずっと見渡す限り砂漠だった。いろいろな墓があり、もっと周辺を見学したいと思ったが時間の都合で階段ピラミッドだけしか見学できなかったのは残念だった。

  • 10:15  <br />40分ほど階段ピラミッドを見学した後はカーペットスクールに行った。サッカラのメインストリートの両側には多くのカーペットスクールがありその一つに寄った。

    10:15  
    40分ほど階段ピラミッドを見学した後はカーペットスクールに行った。サッカラのメインストリートの両側には多くのカーペットスクールがありその一つに寄った。

  • カーペットスクールではエジプトの小さい子供達が一生懸命 カーペットを編んでいた。上手な子も下手な子もいる。カーペットを編む材料は絹が一番細く、手編みのため小さい子の細い指でないと うまく織れないので子供の手が必要なのだ。子どもが成長して指が太くなると絹糸から綿糸そしてもっと太い毛糸の織物へと 移行していく。技術力があっても年齢が高くなっていくと絹糸の織物は物理的に織れないのだ。そこで絹糸を織れなくなった技術力のある人が人がもっと若い人に織り方を教え込んでいく。若くても教える人が先生で教えられる人が生徒なのでカーペットスクールと呼んでいるようだ。<br />実際はカーペット織りの仕事で家計を助けているのだ。絹織物の小さな絨毯の値段を聞いたら最初は8万円とかなり高い価格だった。交渉しても6万円くらいにしかまけられないと言うので買うのを断念した。カーペットの小さなものは丸めて小さくすればスーツケースに容易に入るのだ。太い糸で編んだ絨毯は硬いので実用向きではなく壁飾りとして鑑賞用として使う。絵に近い出来で素敵だった。安ければ買いたかったなあ。<br />カーペットスクールにはいろいろな年齢層の人がいるが17~8歳の男の子が私の妻に日本語で「僕は今、日本語を勉強しています。上手くなって通訳やガイドの仕事をしたい。」と話しかけてきた。日本語の勉強のために話しかけてきたようだが政府が無料で日本語を教えている講習会に通っていると言っていた。一人、絹織りの技術がすばらしく高い女の子がいたが女の子は通常カーペットスクールの先生にはならない。女子はある年齢になると家に入ってしまうのだ。<br />

    カーペットスクールではエジプトの小さい子供達が一生懸命 カーペットを編んでいた。上手な子も下手な子もいる。カーペットを編む材料は絹が一番細く、手編みのため小さい子の細い指でないと うまく織れないので子供の手が必要なのだ。子どもが成長して指が太くなると絹糸から綿糸そしてもっと太い毛糸の織物へと 移行していく。技術力があっても年齢が高くなっていくと絹糸の織物は物理的に織れないのだ。そこで絹糸を織れなくなった技術力のある人が人がもっと若い人に織り方を教え込んでいく。若くても教える人が先生で教えられる人が生徒なのでカーペットスクールと呼んでいるようだ。
    実際はカーペット織りの仕事で家計を助けているのだ。絹織物の小さな絨毯の値段を聞いたら最初は8万円とかなり高い価格だった。交渉しても6万円くらいにしかまけられないと言うので買うのを断念した。カーペットの小さなものは丸めて小さくすればスーツケースに容易に入るのだ。太い糸で編んだ絨毯は硬いので実用向きではなく壁飾りとして鑑賞用として使う。絵に近い出来で素敵だった。安ければ買いたかったなあ。
    カーペットスクールにはいろいろな年齢層の人がいるが17~8歳の男の子が私の妻に日本語で「僕は今、日本語を勉強しています。上手くなって通訳やガイドの仕事をしたい。」と話しかけてきた。日本語の勉強のために話しかけてきたようだが政府が無料で日本語を教えている講習会に通っていると言っていた。一人、絹織りの技術がすばらしく高い女の子がいたが女の子は通常カーペットスクールの先生にはならない。女子はある年齢になると家に入ってしまうのだ。

  • 美術作品のようなカーペットです。

    美術作品のようなカーペットです。

  • サッカラからバスでカイロに引き返した。 <br />途中、道の両脇に植えられている木の幹が白く塗られているのが目に付いた。あとでガイドさんに聞いたら夜間暗いので人がぶつかってけがをしないように防虫剤を兼ねた白い塗料を塗って見やすくしているのだと教えてくれた。これもエジプトらしい。

    サッカラからバスでカイロに引き返した。  
    途中、道の両脇に植えられている木の幹が白く塗られているのが目に付いた。あとでガイドさんに聞いたら夜間暗いので人がぶつかってけがをしないように防虫剤を兼ねた白い塗料を塗って見やすくしているのだと教えてくれた。これもエジプトらしい。

  • またエジプトの家と言うのは最近はレンガとコンクリートでできているのだが最上階は柱が立っているだけで部屋がない。そして柱には鉄筋が上にむき出しで伸びている。作りかけの家のようだがまずは自分たちが住める家を作り家族が増えたり、収入が 増えた時に上階に建て増しをしていく。つまり建て増しできるように柱や鉄筋をそのまま上に延ばしておくのだ。家を造るのも自分で作るのが普通だ。これまたエジプトらしい。<br />そしてどの家にもパラボラアンテナが設置されている。エジプトのTV番組は国営放送だけなので面白くない。そこで他国の衛星TV番組が見えるようパラボラアンテナを設置しているのだ。一度設置すると全て無料で見られるのでエジプトでは人気がありほとんどの家庭で設置している。

    またエジプトの家と言うのは最近はレンガとコンクリートでできているのだが最上階は柱が立っているだけで部屋がない。そして柱には鉄筋が上にむき出しで伸びている。作りかけの家のようだがまずは自分たちが住める家を作り家族が増えたり、収入が 増えた時に上階に建て増しをしていく。つまり建て増しできるように柱や鉄筋をそのまま上に延ばしておくのだ。家を造るのも自分で作るのが普通だ。これまたエジプトらしい。
    そしてどの家にもパラボラアンテナが設置されている。エジプトのTV番組は国営放送だけなので面白くない。そこで他国の衛星TV番組が見えるようパラボラアンテナを設置しているのだ。一度設置すると全て無料で見られるのでエジプトでは人気がありほとんどの家庭で設置している。

  •  道端ではロバに荷車を引かせている人、日影で涼んでいる人、荷物を頭に載せ運んでいる人、ナツメヤシを売っている人など人間がダイナミックに生きている様子が非常に心地よく感じるのだ。

    道端ではロバに荷車を引かせている人、日影で涼んでいる人、荷物を頭に載せ運んでいる人、ナツメヤシを売っている人など人間がダイナミックに生きている様子が非常に心地よく感じるのだ。

  • 人が集まるとおしゃべりがしたくなりますね。 

    人が集まるとおしゃべりがしたくなりますね。  

  • 何か心が和みます。

    何か心が和みます。

  • 仕事に励んでいるのでしょうか。

    仕事に励んでいるのでしょうか。

  • なつめやしを売っています。

    なつめやしを売っています。

  • ダイナミックな洗濯物の干し方です。

    ダイナミックな洗濯物の干し方です。

  • 11:30<br />今朝は列車内で食事が早かったので昼食も早めとなった。<br />カイロ市内のピラミッドが見えるレストランで昼食となった。ギザのピラミッドは砂漠の中にポツンとあるのかなと思っていたが大間違い。街中の一角にあると言った感じで街中のレストランから眺望できるのだ。 <br />

    11:30
    今朝は列車内で食事が早かったので昼食も早めとなった。
    カイロ市内のピラミッドが見えるレストランで昼食となった。ギザのピラミッドは砂漠の中にポツンとあるのかなと思っていたが大間違い。街中の一角にあると言った感じで街中のレストランから眺望できるのだ。

  • レストランでは野菜入りのスープ、コフタ・ターメイヤ・ライス・ポテト+ライスが出ました。 同じ料理でもカイロ市内のほうが地方のものより美味しいと感じた。最後のデザートには赤と白のジャーベット状のアイスクリームが出た。冷たくて美味しかった。朝食をあまり食べていなかったので昼食は完食した。

    レストランでは野菜入りのスープ、コフタ・ターメイヤ・ライス・ポテト+ライスが出ました。 同じ料理でもカイロ市内のほうが地方のものより美味しいと感じた。最後のデザートには赤と白のジャーベット状のアイスクリームが出た。冷たくて美味しかった。朝食をあまり食べていなかったので昼食は完食した。

  • 12:45  <br />いよいよエジプト旅行のメーンイベント、クフ王のピラミッド見学である。午後1時前と食事タイムだったこともあり私たちがクフ王のピラミッドの正面にいったとき他の観光客はあまりいなかった。       <br />ピラミッドと言う言葉はギリシャ人が食べていた三角形のパンをピラミスといったが それに似ていたのでギリシャ人が使いだしたのが語源のようだ。<br />このクフ王のピラミッドは高さが139mで底辺の長さは230mである。天辺には鉄針がたっているがこれは避雷針ではなくピラミッド完成時の高さ(147m) を表しているのだ。

    12:45  
    いよいよエジプト旅行のメーンイベント、クフ王のピラミッド見学である。午後1時前と食事タイムだったこともあり私たちがクフ王のピラミッドの正面にいったとき他の観光客はあまりいなかった。        
    ピラミッドと言う言葉はギリシャ人が食べていた三角形のパンをピラミスといったが それに似ていたのでギリシャ人が使いだしたのが語源のようだ。
    このクフ王のピラミッドは高さが139mで底辺の長さは230mである。天辺には鉄針がたっているがこれは避雷針ではなくピラミッド完成時の高さ(147m) を表しているのだ。

  • クフ王のピラミッドは平均2トンの石を300万個210段に重ねて作られており建築期間は約20年、総動員数は延べ数百万人言われている。紀元前2500年(今から約4500年前)にこのような巨大のピラミッドをどうやって作ったのか不思議だ。世界七不思議のひとつで現存する唯一のものである。 <br />実際には単純な手作業ですべて作ったらしい。このピラミッド作りはどうも当時の公共事業として位置づけられていたようで食事や労働対価ももらっていた可能性が高いと聞いた。<br />

    クフ王のピラミッドは平均2トンの石を300万個210段に重ねて作られており建築期間は約20年、総動員数は延べ数百万人言われている。紀元前2500年(今から約4500年前)にこのような巨大のピラミッドをどうやって作ったのか不思議だ。世界七不思議のひとつで現存する唯一のものである。
    実際には単純な手作業ですべて作ったらしい。このピラミッド作りはどうも当時の公共事業として位置づけられていたようで食事や労働対価ももらっていた可能性が高いと聞いた。

  • 入場時にセキュリティーチェックを受け北側にある正面入り口から入るとピラミッドがそびえ立つ。写真に入らないくらい大きい。あまりにも大きいので背後にあるカフラー王そしてメンカウラーのピラミッドは見えない。午後1時過ぎということもあり温度は44℃になっていた。

    入場時にセキュリティーチェックを受け北側にある正面入り口から入るとピラミッドがそびえ立つ。写真に入らないくらい大きい。あまりにも大きいので背後にあるカフラー王そしてメンカウラーのピラミッドは見えない。午後1時過ぎということもあり温度は44℃になっていた。

  • クフ王のピラミッドへの入り口は正面の下から20段目あたりに大きく見える。しかし、この入り口は現在は閉鎖されておりもっと下にある観光客用の入り口から中に入る ことができる。クフ王のピラミッドへの入場は一日300人(午前<br />150人、午後150人)に 限定されている。

    クフ王のピラミッドへの入り口は正面の下から20段目あたりに大きく見える。しかし、この入り口は現在は閉鎖されておりもっと下にある観光客用の入り口から中に入る ことができる。クフ王のピラミッドへの入場は一日300人(午前
    150人、午後150人)に 限定されている。

  • 現地HISのスタッフが並んで買ったチケットをもらいピラミッド内に入場した。中は撮影が禁止されているのでカメラは添乗員さんの持つ大きな袋に保管してもらった。このクフ王のピラミッドは近いうちに調査や修復のために閉鎖されるとのこと。やはりエジプトに来たのならクフ王のピラミッド、そして内部への入場は外せない。<br />いよいよクフ王のピラミッドへの入場だ。ピラミッドの入り口までの通路は段差が低いように造られている。そこを昇って警備の人にチケットを見せて入場する。入場すると広い通路を少し歩く。すると今度は高さ1.3mの狭い上昇通路になる。前かがみで昇るのでしんどい。蒸し暑いので汗が出てくる。タオルで何回も汗を拭きながら昇った。 <br />しばらく進むと見晴らしの良い高さが10m近くもある大回廊に出る。こんな大きな回廊があるなんて驚きだ。よく造ったものだ。古代エジプト人に敬服する。大回廊のそばには女王の間への 通路があるがこちらは閉鎖中であった。この大回廊を50mほど登っていくと短い水平な通路があり、そこを通過すると 王の間(玄室)にたどり着く。フタのない大きな石棺がひとつ置いてあるだけだ。王の間は結構暗い。懐中電灯が あると良かったのだが持ってくるのを忘れてしまった。 実際にミイラや副葬品は一切見つかっておらず盗掘されたと思われる。あるいは別室がありそこにまだ隠されているのだろうか。まだまだ内部の謎は多いのだ。やはり内部では途中の大回廊が一番見ごたえがある。これを見ただけでもクフ王のピラミッドに入場したかいがあるというものだ。<br />クフ王のピラミッドの後ろ側には太陽の船博物館があり最古の木造船が展示されている。今回のツアーでは見学しなかった。<br />

    現地HISのスタッフが並んで買ったチケットをもらいピラミッド内に入場した。中は撮影が禁止されているのでカメラは添乗員さんの持つ大きな袋に保管してもらった。このクフ王のピラミッドは近いうちに調査や修復のために閉鎖されるとのこと。やはりエジプトに来たのならクフ王のピラミッド、そして内部への入場は外せない。
    いよいよクフ王のピラミッドへの入場だ。ピラミッドの入り口までの通路は段差が低いように造られている。そこを昇って警備の人にチケットを見せて入場する。入場すると広い通路を少し歩く。すると今度は高さ1.3mの狭い上昇通路になる。前かがみで昇るのでしんどい。蒸し暑いので汗が出てくる。タオルで何回も汗を拭きながら昇った。
    しばらく進むと見晴らしの良い高さが10m近くもある大回廊に出る。こんな大きな回廊があるなんて驚きだ。よく造ったものだ。古代エジプト人に敬服する。大回廊のそばには女王の間への 通路があるがこちらは閉鎖中であった。この大回廊を50mほど登っていくと短い水平な通路があり、そこを通過すると 王の間(玄室)にたどり着く。フタのない大きな石棺がひとつ置いてあるだけだ。王の間は結構暗い。懐中電灯が あると良かったのだが持ってくるのを忘れてしまった。 実際にミイラや副葬品は一切見つかっておらず盗掘されたと思われる。あるいは別室がありそこにまだ隠されているのだろうか。まだまだ内部の謎は多いのだ。やはり内部では途中の大回廊が一番見ごたえがある。これを見ただけでもクフ王のピラミッドに入場したかいがあるというものだ。
    クフ王のピラミッドの後ろ側には太陽の船博物館があり最古の木造船が展示されている。今回のツアーでは見学しなかった。

  • 13:40  <br />クフ王のピラミッドを見学したあとはバスでカフラー王、メンカウラー王のピラミッドを 通り過ぎてパノラマポイントと言う3つのピラミッドが見渡せる場所に移動した。最初に本ツアー2回目の集合写真を3つのピラミッドをバックに撮った。ここでは、この写真のみで千円と少し高かったがバックが念願のピラミッドだということもあり、記念に購入することにした。ここで3つのピラミッドをバックに写真を撮ったり、数十頭いるラクダに乗って写真を とったりした。ガイドさんが交渉してくれラクダには5ドルで乗れる。ラクダに乗って怪我した場合は、補償の範囲外と聞いていたので我が家は乗らなかった。安全第一なのだ。<br />パノラマポイントからはカフラー王のピラミッドが一番高く見える。カフラー王のピラミッドの頭頂部には化粧石(石灰岩)が残っている。この ピラミッドは建設当時、全部化粧石で覆われており、光が反射しピカピカに光っていたようである。

    13:40  
    クフ王のピラミッドを見学したあとはバスでカフラー王、メンカウラー王のピラミッドを 通り過ぎてパノラマポイントと言う3つのピラミッドが見渡せる場所に移動した。最初に本ツアー2回目の集合写真を3つのピラミッドをバックに撮った。ここでは、この写真のみで千円と少し高かったがバックが念願のピラミッドだということもあり、記念に購入することにした。ここで3つのピラミッドをバックに写真を撮ったり、数十頭いるラクダに乗って写真を とったりした。ガイドさんが交渉してくれラクダには5ドルで乗れる。ラクダに乗って怪我した場合は、補償の範囲外と聞いていたので我が家は乗らなかった。安全第一なのだ。
    パノラマポイントからはカフラー王のピラミッドが一番高く見える。カフラー王のピラミッドの頭頂部には化粧石(石灰岩)が残っている。この ピラミッドは建設当時、全部化粧石で覆われており、光が反射しピカピカに光っていたようである。

  • メンカウラー王のピラミッドは建設途中で予算がなくなってしまったらしく3つのピラミッドのなかではかなり小さい。だが その脇には3つのさらに小さいピラミッドが付属している。これはメンカウラー王の王妃たちのピラミッドである。

    メンカウラー王のピラミッドは建設途中で予算がなくなってしまったらしく3つのピラミッドのなかではかなり小さい。だが その脇には3つのさらに小さいピラミッドが付属している。これはメンカウラー王の王妃たちのピラミッドである。

  • ピラミッドをつまんでみました。

    ピラミッドをつまんでみました。

  • パノラマポイントより3大ピラミッドを望む。

    パノラマポイントより3大ピラミッドを望む。

  • 14:10  <br />その次はスフィンクス見学です。<br />スフィンクスは3つのピラミッドの東側に位置している。見学するには最初、スフィンクスの隣にある建物に入る。この建物は河岸神殿と呼ばれている。このあたりは河の岸辺だったからだ。この河岸神殿は当時の建築技術の粋をつくし非常に堅固にできている。例えば壁の石は互い違いに置かれていたり、曲がり角では石材の角を少しずつずらしている。 なので地震にも強い。この河岸神殿とスフィンクスはカフラー王が造ったとされるが異説もありはっきりしない。そりゃそうだ。4,500年も前のことなんだから当たり前なのだ。

    14:10  
    その次はスフィンクス見学です。
    スフィンクスは3つのピラミッドの東側に位置している。見学するには最初、スフィンクスの隣にある建物に入る。この建物は河岸神殿と呼ばれている。このあたりは河の岸辺だったからだ。この河岸神殿は当時の建築技術の粋をつくし非常に堅固にできている。例えば壁の石は互い違いに置かれていたり、曲がり角では石材の角を少しずつずらしている。 なので地震にも強い。この河岸神殿とスフィンクスはカフラー王が造ったとされるが異説もありはっきりしない。そりゃそうだ。4,500年も前のことなんだから当たり前なのだ。

  • その河岸神殿を昇ると右手すぐそばにスフィンクスが見える。

    その河岸神殿を昇ると右手すぐそばにスフィンクスが見える。

  • 正面にはカフラー王のピラミッドが 見える。いかにもピラミッドの守護神といった<br />感じでピラミッドをバックにしたスフィンクスは絶景の被写体である。ここでも多くのエジプト人が土産を「1ダラー、1ダラー」と言って売っていた。

    正面にはカフラー王のピラミッドが 見える。いかにもピラミッドの守護神といった
    感じでピラミッドをバックにしたスフィンクスは絶景の被写体である。ここでも多くのエジプト人が土産を「1ダラー、1ダラー」と言って売っていた。

  • スフィンクス観光を終えてバスにのるときに急に竜巻が襲い、みんなびっくりしていた。バスに乗ると刺繍をやり直したポロシャツが手渡された。確認したら今度はちゃんと指定した 場所に指定した刺繍が施されていたので安心した。

    スフィンクス観光を終えてバスにのるときに急に竜巻が襲い、みんなびっくりしていた。バスに乗ると刺繍をやり直したポロシャツが手渡された。確認したら今度はちゃんと指定した 場所に指定した刺繍が施されていたので安心した。

  • 15:00  <br />観光が早く終わったので予定には入っていなかったがエジプト土産のお菓子屋さんに 寄ることになった。この店はナツメヤシのお土産屋さんでナツメヤシを干して甘くしたものを中心に売っていた。ナツメヤシの実の中にナッツが入っているものやチョコレートで包んであるものなど もあった。我が家も土産として3箱購入した。1箱10ドルくらいだった。<br />ホテルに向かう途中で明日のスケジュールの連絡があった。<br />6:00 モーニングコール            <br />6:00~朝食可能            <br />6:45 荷物出し            <br />7:30 出発        <br />今夜は夕食はない。オプショナルツアーがあるのでそれに参加する人は7:30ロビー集合だ。我が家は事前にインターネットでオプショナルツアー(ナイル川ディナークルーズ)を 予約しておいたので別行動で7:45ロビー集合だ。 ツアー客の中でインスタント食品を持って来た人が多かったようで添乗員さんがお湯はフロントに言えば部屋に持ってきてくれるが有料になると言っていた。我が家はインスタント食品は持って行こうか迷ったが結局持っていかないで正解だった。忙しすぎて食べる時間がないのだ。オプショナルツアーを申し込まず即席麺などを部屋で食べるのも良いかもしれない。       <br />最後に添乗員さんがこのホテルの正面にある1ポンドショップを紹介してくれた。全部が1ポンドではないが安いと言っていた。 <br />

    15:00  
    観光が早く終わったので予定には入っていなかったがエジプト土産のお菓子屋さんに 寄ることになった。この店はナツメヤシのお土産屋さんでナツメヤシを干して甘くしたものを中心に売っていた。ナツメヤシの実の中にナッツが入っているものやチョコレートで包んであるものなど もあった。我が家も土産として3箱購入した。1箱10ドルくらいだった。
    ホテルに向かう途中で明日のスケジュールの連絡があった。
    6:00 モーニングコール             
    6:00~朝食可能             
    6:45 荷物出し             
    7:30 出発        
    今夜は夕食はない。オプショナルツアーがあるのでそれに参加する人は7:30ロビー集合だ。我が家は事前にインターネットでオプショナルツアー(ナイル川ディナークルーズ)を 予約しておいたので別行動で7:45ロビー集合だ。 ツアー客の中でインスタント食品を持って来た人が多かったようで添乗員さんがお湯はフロントに言えば部屋に持ってきてくれるが有料になると言っていた。我が家はインスタント食品は持って行こうか迷ったが結局持っていかないで正解だった。忙しすぎて食べる時間がないのだ。オプショナルツアーを申し込まず即席麺などを部屋で食べるのも良いかもしれない。        
    最後に添乗員さんがこのホテルの正面にある1ポンドショップを紹介してくれた。全部が1ポンドではないが安いと言っていた。

  • またしてもホテルに入る最後の曲がり角に車が駐車しており10分ほど待った。運転手のマナーの悪さに閉口した。エジプトでは政府の方針で信号はつけていないので交差点では車がぐちゃぐちゃに走っている。信号機をつけ ると費用がかかるので警察官を雇って交通整理させた方が安くつく。たまには信号があるのだが誰も守らない。結局、警察官が交通整理をしていた。クラクションは鳴りっぱなしである。自動車はみんなオンボロである。庶民の足はバス・タクシーもあるが乗合バスのような10人乗りほどのバンがよく走っておりそれを利用するケースが多い。安くて融通がきくのでみんながバス・タクシー代わりに 使っているそうだ。

    またしてもホテルに入る最後の曲がり角に車が駐車しており10分ほど待った。運転手のマナーの悪さに閉口した。エジプトでは政府の方針で信号はつけていないので交差点では車がぐちゃぐちゃに走っている。信号機をつけ ると費用がかかるので警察官を雇って交通整理させた方が安くつく。たまには信号があるのだが誰も守らない。結局、警察官が交通整理をしていた。クラクションは鳴りっぱなしである。自動車はみんなオンボロである。庶民の足はバス・タクシーもあるが乗合バスのような10人乗りほどのバンがよく走っておりそれを利用するケースが多い。安くて融通がきくのでみんながバス・タクシー代わりに 使っているそうだ。

  • 大都市カイロでは、こんな光景もまだ見られます。

    大都市カイロでは、こんな光景もまだ見られます。

  • 16:00  <br /><br />アマランテ・ピラミッドホテルに到着。      <br />1泊目と同じホテルである。 部屋に入ると相変わらずエアコンは効いてない。ルームキーを入り口そばの電源ボックスの穴にいれたらエアコンが稼働し始めた。強にしてもなかなか冷えない。私は特に暑がりなのでこのシステムには腹が立った。       <br />我が家は3人なのでエジプト滞在中のホテルではツインの部屋に3台目の簡易ベッドを作ってもらっていたが今夜は作っていない。さっそくロビーに行って「3台目のベッドがない、作って」と言ったら、「わかった。5分まってくれ」と言う。「あなたの言う5分とは30分のことだね」と嫌味を言ったら「いいや、すぐやる」と応対した。しばらくしても何の反応もないので電話で少し厳しい口調で「ベッドメーキングがまだ来ない、どうしたのかな?」と催促したら10分ほどでベッドメーキングにやってきた。結局30分以上かかった。       <br />そういえば寝台列車(ナイルエクスプレス)でも車掌に用があるので部屋にきてくれと言ったら5分まってくれと言われた。この時も再度、催促してようやく20分後くらいに来たことを思い出した。 <br /><br />【教訓】 エジプトで5分待ってくれと言われたら30分を覚悟せよ。それも再度の催促をしないと駄目。エジプト時間の5分=日本時間の30分と知れ。  <br /><br />ナイル川ディナークルーズは19:45にロビー集合なので時間が少しありベッドで横になった。休憩後、昨夜はシャワーを浴びられなかったのでシャワーを浴びた。妻は疲れたと言ってシャワーを浴びたあともベッドで寝ていた。  <br />私と次女はさきほどバスのなかで添乗員さんに教えてもらったホテル前の1ポンドショップに行ってみた。<br />1ポンドショップは本当にホテルの前にあり、それほど広くない店にいろいろなお土産品がたくさん並べられていた。 香水瓶、Tシャツ、マグネット、パピルス、カップ、置物などである。 例えばTシャツは5枚で10ドル、香水瓶は3ドル、パピルス2ドルなどである。 次女はTシャツ、パピルスのメモ帳、ツタンカーメンのマグネット、その他いろいろ 買ったが全部で20ドルちょっとだった。良いお土産が買えたようだ。1時間くらいかけゆっくり店内を見ていたら店のおじさんが紅茶を入れてくれた。熱いお茶なので ありがたく頂いたらおいしかった。<br />写真を撮って良いかと聞いたらOKというので店内の写真を撮らせてもらった。支払いが終わって店を出ようとすると次女に香水瓶を2個くれた。この店はいままでの土産店と違って押し売りはしない。安心して見て買うことができるのだ。 いい店だった。<br /><br />【教訓】エジプト人よ。お土産は強制しないで自発的に買わせてちょうだいな。その方が購買意欲が湧くのでたくさん買ってもらえますよ。改善、よろしく。

    16:00  

    アマランテ・ピラミッドホテルに到着。       
    1泊目と同じホテルである。 部屋に入ると相変わらずエアコンは効いてない。ルームキーを入り口そばの電源ボックスの穴にいれたらエアコンが稼働し始めた。強にしてもなかなか冷えない。私は特に暑がりなのでこのシステムには腹が立った。        
    我が家は3人なのでエジプト滞在中のホテルではツインの部屋に3台目の簡易ベッドを作ってもらっていたが今夜は作っていない。さっそくロビーに行って「3台目のベッドがない、作って」と言ったら、「わかった。5分まってくれ」と言う。「あなたの言う5分とは30分のことだね」と嫌味を言ったら「いいや、すぐやる」と応対した。しばらくしても何の反応もないので電話で少し厳しい口調で「ベッドメーキングがまだ来ない、どうしたのかな?」と催促したら10分ほどでベッドメーキングにやってきた。結局30分以上かかった。        
    そういえば寝台列車(ナイルエクスプレス)でも車掌に用があるので部屋にきてくれと言ったら5分まってくれと言われた。この時も再度、催促してようやく20分後くらいに来たことを思い出した。

    【教訓】 エジプトで5分待ってくれと言われたら30分を覚悟せよ。それも再度の催促をしないと駄目。エジプト時間の5分=日本時間の30分と知れ。  

    ナイル川ディナークルーズは19:45にロビー集合なので時間が少しありベッドで横になった。休憩後、昨夜はシャワーを浴びられなかったのでシャワーを浴びた。妻は疲れたと言ってシャワーを浴びたあともベッドで寝ていた。  
    私と次女はさきほどバスのなかで添乗員さんに教えてもらったホテル前の1ポンドショップに行ってみた。
    1ポンドショップは本当にホテルの前にあり、それほど広くない店にいろいろなお土産品がたくさん並べられていた。 香水瓶、Tシャツ、マグネット、パピルス、カップ、置物などである。 例えばTシャツは5枚で10ドル、香水瓶は3ドル、パピルス2ドルなどである。 次女はTシャツ、パピルスのメモ帳、ツタンカーメンのマグネット、その他いろいろ 買ったが全部で20ドルちょっとだった。良いお土産が買えたようだ。1時間くらいかけゆっくり店内を見ていたら店のおじさんが紅茶を入れてくれた。熱いお茶なので ありがたく頂いたらおいしかった。
    写真を撮って良いかと聞いたらOKというので店内の写真を撮らせてもらった。支払いが終わって店を出ようとすると次女に香水瓶を2個くれた。この店はいままでの土産店と違って押し売りはしない。安心して見て買うことができるのだ。 いい店だった。

    【教訓】エジプト人よ。お土産は強制しないで自発的に買わせてちょうだいな。その方が購買意欲が湧くのでたくさん買ってもらえますよ。改善、よろしく。

  • 私はホテルのお土産屋さんにも寄ってTシャツとツタンカーメンの額入りパピルスと 絵ハガキ3枚を買った。全部で20ドルだった。1ドルだけおまけしてくれた。部屋に戻ってスーツケースの整理をしていると7時半になっていた。ナイル川ディナークルーズで外出するとルームキーを電源ボックスから抜かなくてはならない。そうするとエアコンが切れて暑い。そこでフロントに行ってナイル川ディナークルーズに出かけるがルームキーは部屋に置いて行きたいと言ったらあっけなく、OKという返事が返ってきた。言ってみるものだ。これで外出から戻っても部屋はエアコンが入ったままなので涼しくなっているだろう。<br />19:45<br />ホテルのロビーにオプショナルツアーの迎えに60歳くらいのおじさんがやってきた。英語でミスターフクダですか、と聞かれたのでそうだと答えてトヨタのワンボックスカーに乗車した。車は新しく、中はきれいでエアコンが効いていた。HISの同じツアーの人たちのオプショナルツアーは 20:30~22:30のクルーズであったが我が家のは21:00~23:00だった。もう少し早い時間にしておけばよかったと思った。我が家はオプショナルツアーとしてHISには申し込まず、インターネットで日本から申し込んだ。HISのオプショナルツアー代金は85ドルだが 個人で申し込むと45ドルで済むからだ。Alan1.netというサイトから申し込んだ。申し込む際に時間指定しておけばよかったのだが指定しなかったので旅行社が勝手に時刻を9:00からのクルーズにしたのだった。反省。8時過ぎにはナイル川クルーズの乗船場所に着いてしまった。 8時半頃にはクルーズ船に乗船できたはずだが私たちを連れて来てくれた運転手が見当たらない。9時出航の少し前ぎりぎりになって私たちの前に現れやっとのことで乗船できた。ちょっとあせった。待合所で待っている間に周りの人をみたら4~5人のグループ客が多く、地元の人もいるようだった。何人かのエジプト人男性が水パイプでたばこをプカプカ美味しそうに吸っていた。そばで香りを嗅いだら結構、良い香りだった。エジプトでは店でたばこを頼むと高さ1mもある水パイプを持ってきてくれるのだ。1回で30分くらい吸えるようである。エキゾチックな雰囲気が漂う。

    私はホテルのお土産屋さんにも寄ってTシャツとツタンカーメンの額入りパピルスと 絵ハガキ3枚を買った。全部で20ドルだった。1ドルだけおまけしてくれた。部屋に戻ってスーツケースの整理をしていると7時半になっていた。ナイル川ディナークルーズで外出するとルームキーを電源ボックスから抜かなくてはならない。そうするとエアコンが切れて暑い。そこでフロントに行ってナイル川ディナークルーズに出かけるがルームキーは部屋に置いて行きたいと言ったらあっけなく、OKという返事が返ってきた。言ってみるものだ。これで外出から戻っても部屋はエアコンが入ったままなので涼しくなっているだろう。
    19:45
    ホテルのロビーにオプショナルツアーの迎えに60歳くらいのおじさんがやってきた。英語でミスターフクダですか、と聞かれたのでそうだと答えてトヨタのワンボックスカーに乗車した。車は新しく、中はきれいでエアコンが効いていた。HISの同じツアーの人たちのオプショナルツアーは 20:30~22:30のクルーズであったが我が家のは21:00~23:00だった。もう少し早い時間にしておけばよかったと思った。我が家はオプショナルツアーとしてHISには申し込まず、インターネットで日本から申し込んだ。HISのオプショナルツアー代金は85ドルだが 個人で申し込むと45ドルで済むからだ。Alan1.netというサイトから申し込んだ。申し込む際に時間指定しておけばよかったのだが指定しなかったので旅行社が勝手に時刻を9:00からのクルーズにしたのだった。反省。8時過ぎにはナイル川クルーズの乗船場所に着いてしまった。 8時半頃にはクルーズ船に乗船できたはずだが私たちを連れて来てくれた運転手が見当たらない。9時出航の少し前ぎりぎりになって私たちの前に現れやっとのことで乗船できた。ちょっとあせった。待合所で待っている間に周りの人をみたら4~5人のグループ客が多く、地元の人もいるようだった。何人かのエジプト人男性が水パイプでたばこをプカプカ美味しそうに吸っていた。そばで香りを嗅いだら結構、良い香りだった。エジプトでは店でたばこを頼むと高さ1mもある水パイプを持ってきてくれるのだ。1回で30分くらい吸えるようである。エキゾチックな雰囲気が漂う。

  • 21:00  <br />9時に乗船して約2時間のクルーズが始まった。ナイル川湖畔を往復で2時間のコースをクルーズする。周りは暗くて街の明りは見えるが 町並みはよくわからない。出航して10分ほどして食事の時間となった。 <br />私と妻はサッカラビール500mlを頼んだ。1本、8ドルもした。次女はスプライトにした。4ドルだった。 食事はブッフェスタイルだったが今までのエジプト料理と同じであまり目新しいものはなかった。デザートは赤と白のアイスクリームがあったのでそれをおかわりして食べた。船内はエアコンが効きすぎて少し寒かった。エアコンの吹き出し付近にいたからかもしれない。

    21:00  
    9時に乗船して約2時間のクルーズが始まった。ナイル川湖畔を往復で2時間のコースをクルーズする。周りは暗くて街の明りは見えるが 町並みはよくわからない。出航して10分ほどして食事の時間となった。  
    私と妻はサッカラビール500mlを頼んだ。1本、8ドルもした。次女はスプライトにした。4ドルだった。 食事はブッフェスタイルだったが今までのエジプト料理と同じであまり目新しいものはなかった。デザートは赤と白のアイスクリームがあったのでそれをおかわりして食べた。船内はエアコンが効きすぎて少し寒かった。エアコンの吹き出し付近にいたからかもしれない。

  • 10時ころからショーが始まった。歌謡ショー、踊りのショーと続きベリーダンス、スカート回しのショーと続いた。ベリーダンスはふくよかな女性が青の衣装を着て踊っていた。客のなかにも 飛び入り参加し踊っている人がいたが凄く上手だった。ベリーダンスを踊っていた女性が男性客のところを回って歩き2ショットを専属の写真屋さんが記念撮影をしていた。私の席にも来たので一緒に記念撮影をした。この写真は8ドルで販売された。我が家は購入しなかった。      <br />

    10時ころからショーが始まった。歌謡ショー、踊りのショーと続きベリーダンス、スカート回しのショーと続いた。ベリーダンスはふくよかな女性が青の衣装を着て踊っていた。客のなかにも 飛び入り参加し踊っている人がいたが凄く上手だった。ベリーダンスを踊っていた女性が男性客のところを回って歩き2ショットを専属の写真屋さんが記念撮影をしていた。私の席にも来たので一緒に記念撮影をした。この写真は8ドルで販売された。我が家は購入しなかった。       

  • 次にスカート回しのショーが始まった。これが想像以上に凄い。最初はスカートを広げて回っているだけだったが次第にスカートが上下2段になったり、はずして頭上で回したりしてエスカレートしてきた。頭上でスカートを手先で回しながらお客さん席まで行って愛嬌を振りまいていた。この芸はなかなか気に入った。このショーまではちょっとつまらないなと思って眠気が襲ってきていたがこのスカート回しで一気に眼がさめた。もともとはイスラム教の修行の一つとしてただひたすらに回転するのが始まりのようだ。クルーズに参加したかいがあったというものだ。話には聞いていたスカート回しだが実際に目の前で見ることができて感激した。

    次にスカート回しのショーが始まった。これが想像以上に凄い。最初はスカートを広げて回っているだけだったが次第にスカートが上下2段になったり、はずして頭上で回したりしてエスカレートしてきた。頭上でスカートを手先で回しながらお客さん席まで行って愛嬌を振りまいていた。この芸はなかなか気に入った。このショーまではちょっとつまらないなと思って眠気が襲ってきていたがこのスカート回しで一気に眼がさめた。もともとはイスラム教の修行の一つとしてただひたすらに回転するのが始まりのようだ。クルーズに参加したかいがあったというものだ。話には聞いていたスカート回しだが実際に目の前で見ることができて感激した。

  • 23:00  <br />ショーが終わるとクルーズ船はすぐに乗船場所に戻ってきた。下船して待機していた運転手と合流してホテルに戻った。帰りはラマダンの影響で渋滞がひどかった。夜中の11時だと言うのに街中は人でいっぱいだった。<br />23:50  <br />ホテル到着。ホテル到着後、運転手には特別にサービスされた覚えはなかった、というよりも乗船時に慌てさせられた。しかし事前にオプショナルツアー申し込み先のAlan1.netからのアドバイスにより10ドル のチップを渡した。 <br />0:30  <br />シャワーは既に浴びていたので簡単な荷物の整理をしてすぐに就寝した。部屋は涼しくて快適だった。 <br />6日目の万歩計データは、       <br />・歩数=12,815歩、歩行距離=9.4km、消費カロリー=476kcal<br />と今回の旅行中では2番目に良く歩いたのだ。

    23:00  
    ショーが終わるとクルーズ船はすぐに乗船場所に戻ってきた。下船して待機していた運転手と合流してホテルに戻った。帰りはラマダンの影響で渋滞がひどかった。夜中の11時だと言うのに街中は人でいっぱいだった。
    23:50  
    ホテル到着。ホテル到着後、運転手には特別にサービスされた覚えはなかった、というよりも乗船時に慌てさせられた。しかし事前にオプショナルツアー申し込み先のAlan1.netからのアドバイスにより10ドル のチップを渡した。  
    0:30  
    シャワーは既に浴びていたので簡単な荷物の整理をしてすぐに就寝した。部屋は涼しくて快適だった。
    6日目の万歩計データは、       
    ・歩数=12,815歩、歩行距離=9.4km、消費カロリー=476kcal
    と今回の旅行中では2番目に良く歩いたのだ。

  • エジプト旅行7日目     2010年8月29日(日) <br /><br />5:30  <br />妻が時間を間違って5:30に起こされてしまった。<br />6:00   モーニングコール<br />6:45  荷物出し<br />荷物出し後、2日目の朝と同じレストランで朝食を食べた。メニューは同じだ。私もそろそろエジプトの食事に飽きてきたので日本でも良く食べるようにハムと チーズをパンに挟んでサンドイッチにして食べた。飲み物はオレンジジュースとカルカデとホットコーヒーを1杯ずつ飲んだ。フルーツも水洗いしてないと思われるグレープフルーツを食べた。大好きなしょっぱいオリーブの実があったのでそれも食べた。 <br />7:30  <br />エジプト最終日の観光に出発。バスの中でガイドさんがイスラム教のことを教えてくれた。エジプトでは85%がイスラム教徒である。イスラム教の教えは5つある。<br />1.神は唯一絶対の神アラーだけで他に神はいない。ムハンマドはあくまで預言者。<br />2.礼拝は一日に5回行う。今日は3:59、12:00、15:30、18:21、19:38の5回。 この礼拝時間は日の出、日の入りの時間(地域)によって決定され一日刻みで変わるらしい。<br />3.ラマダンの期間中、断食をする。陰暦で数えるので毎年11日ずつずれていく。今年は8月11日~9月11日。<br />4.喜捨(喜んで捨てるという意味)。貧しい人や聖職者への施し。なお、バクシーシはイスラムの教えではないそうだ。<br />5.巡礼。一生に一度は聖地メッカへの巡礼をする。 <br />またエジプト人の名前の付け方であるがファーストネームが自分の名前で ミドルネームが父親の名前、ラストネームが祖父の名前となる。子どもができると、ところてん方式に最後の名前が捨てられる。<br />女性はチャドルと言う黒い服をまとっているが女の子は10歳から着用を義務づけられるとのこと。イスラム教の教えで女性は女性らしさを示す髪や体の線などを隠さなければならないのだ。<br />8:00  <br />本日、最初の観光はムハンマド・アリ・モスクである。ムハンマド・アリがイスタンブールのブルーモスクを模して作ったものだ。ムハンマド・アリ・モスクはいかにもイスラムの国の建物と言う感じで遠くからの威容が素晴らしい。モスクにはミナレットと呼ばれる尖塔が何本か立っている。ミナレット内部にはらせん階段があり一日5回の礼拝時間を信者に大きな声で知らせるためにあるのだが今はスピーカーがあるので使用されていないようだ。カイロ市内のあちこちでたくさんのミナレットを見た。<br />8時ちょうどに開門するので列に並んで敷地内に入場した。ムハンマド・アリは、19世紀初めに創設されたムハンマド・アリ朝の創始者である。オスマン帝国のエジプト総督であったが実力でエジプトに独立政権を樹立し、専制支配のもとで富国強兵政策などで近代エジプトの基礎を築いた人物である。

    エジプト旅行7日目     2010年8月29日(日)

    5:30  
    妻が時間を間違って5:30に起こされてしまった。
    6:00  モーニングコール
    6:45  荷物出し
    荷物出し後、2日目の朝と同じレストランで朝食を食べた。メニューは同じだ。私もそろそろエジプトの食事に飽きてきたので日本でも良く食べるようにハムと チーズをパンに挟んでサンドイッチにして食べた。飲み物はオレンジジュースとカルカデとホットコーヒーを1杯ずつ飲んだ。フルーツも水洗いしてないと思われるグレープフルーツを食べた。大好きなしょっぱいオリーブの実があったのでそれも食べた。
    7:30  
    エジプト最終日の観光に出発。バスの中でガイドさんがイスラム教のことを教えてくれた。エジプトでは85%がイスラム教徒である。イスラム教の教えは5つある。
    1.神は唯一絶対の神アラーだけで他に神はいない。ムハンマドはあくまで預言者。
    2.礼拝は一日に5回行う。今日は3:59、12:00、15:30、18:21、19:38の5回。 この礼拝時間は日の出、日の入りの時間(地域)によって決定され一日刻みで変わるらしい。
    3.ラマダンの期間中、断食をする。陰暦で数えるので毎年11日ずつずれていく。今年は8月11日~9月11日。
    4.喜捨(喜んで捨てるという意味)。貧しい人や聖職者への施し。なお、バクシーシはイスラムの教えではないそうだ。
    5.巡礼。一生に一度は聖地メッカへの巡礼をする。
    またエジプト人の名前の付け方であるがファーストネームが自分の名前で ミドルネームが父親の名前、ラストネームが祖父の名前となる。子どもができると、ところてん方式に最後の名前が捨てられる。
    女性はチャドルと言う黒い服をまとっているが女の子は10歳から着用を義務づけられるとのこと。イスラム教の教えで女性は女性らしさを示す髪や体の線などを隠さなければならないのだ。
    8:00  
    本日、最初の観光はムハンマド・アリ・モスクである。ムハンマド・アリがイスタンブールのブルーモスクを模して作ったものだ。ムハンマド・アリ・モスクはいかにもイスラムの国の建物と言う感じで遠くからの威容が素晴らしい。モスクにはミナレットと呼ばれる尖塔が何本か立っている。ミナレット内部にはらせん階段があり一日5回の礼拝時間を信者に大きな声で知らせるためにあるのだが今はスピーカーがあるので使用されていないようだ。カイロ市内のあちこちでたくさんのミナレットを見た。
    8時ちょうどに開門するので列に並んで敷地内に入場した。ムハンマド・アリは、19世紀初めに創設されたムハンマド・アリ朝の創始者である。オスマン帝国のエジプト総督であったが実力でエジプトに独立政権を樹立し、専制支配のもとで富国強兵政策などで近代エジプトの基礎を築いた人物である。

  • ムハンマド・アリ・モスクは十字軍を迎え撃つために建設されたシタデル(城塞)の中に建てられている。城塞の中はモスクの他にもいろいろな建物があり相当広い。

    ムハンマド・アリ・モスクは十字軍を迎え撃つために建設されたシタデル(城塞)の中に建てられている。城塞の中はモスクの他にもいろいろな建物があり相当広い。

  • 城塞の門から入場して数百m歩くとムハンマド・アリ・モスクが正面に見えてくる。そこで記念写真を何枚か撮り、またしばらく歩き階段を昇る。

    城塞の門から入場して数百m歩くとムハンマド・アリ・モスクが正面に見えてくる。そこで記念写真を何枚か撮り、またしばらく歩き階段を昇る。

  • そしてモスク脇の柱廊を通ってモスクの中庭に入る。もちろん、モスク内は土足厳禁なので各自が自分の靴を持って中に入る。そのときに何気なくビニールの下足袋を配っている人がいる。受け取ると1ドルを請求されるので 無視して中に入った。<br />

    そしてモスク脇の柱廊を通ってモスクの中庭に入る。もちろん、モスク内は土足厳禁なので各自が自分の靴を持って中に入る。そのときに何気なくビニールの下足袋を配っている人がいる。受け取ると1ドルを請求されるので 無視して中に入った。

  • モスクの正面にある中庭の真ん中には泉亭と言う、礼拝時に身を清めるためのあずまや風 の建物がある。その泉亭の後方に有名な時計塔がある。この時計塔は、ムハンマド・アリが 贈ったルクソール神殿のオベリスク(現在パリのコンコルド広場にある)に対するフランスのルイ・フィリップ国王からの返礼の贈り物である。 <br />

    モスクの正面にある中庭の真ん中には泉亭と言う、礼拝時に身を清めるためのあずまや風 の建物がある。その泉亭の後方に有名な時計塔がある。この時計塔は、ムハンマド・アリが 贈ったルクソール神殿のオベリスク(現在パリのコンコルド広場にある)に対するフランスのルイ・フィリップ国王からの返礼の贈り物である。

  • 次にモスクの中に正面より入る。中は赤いじゅうたんが敷き詰めてあり天井にはたくさんのシャンデリアが明るく灯してあった。

    次にモスクの中に正面より入る。中は赤いじゅうたんが敷き詰めてあり天井にはたくさんのシャンデリアが明るく灯してあった。

  • モスクの天井はどれもドーム型 であるがこれは天井の重さを分散し、天井を支える柱をなくすことができるのだ。また声が響いて みんなに良く聞こえるのだ。天井にはたくさんのシャンデリアが灯っていた。また天井ドームには丸いドームがいくつもあり緑がかったステンドグラスがきれいだった。

    モスクの天井はどれもドーム型 であるがこれは天井の重さを分散し、天井を支える柱をなくすことができるのだ。また声が響いて みんなに良く聞こえるのだ。天井にはたくさんのシャンデリアが灯っていた。また天井ドームには丸いドームがいくつもあり緑がかったステンドグラスがきれいだった。

  • このモスクの中で現地ガイドさんにお祈りの仕方を教えてもらった。そのあと内部を1周したらムハンマド・アリの廟が入り口の横側にあった。モスクの中にお墓があるなんて珍しいなと思った。<br />一通り見学した後、このモスクの右側の出口より退場した。

    このモスクの中で現地ガイドさんにお祈りの仕方を教えてもらった。そのあと内部を1周したらムハンマド・アリの廟が入り口の横側にあった。モスクの中にお墓があるなんて珍しいなと思った。
    一通り見学した後、このモスクの右側の出口より退場した。

  • ムハンマド・アリ・モスクの次はいよいよピラミッドに続くエジプト旅行のメーンのひとつであるツタンカーメン王の黄金のマスクのあるエジプト考古学博物館だ。この博物館は1902年に公開された。 <br />途中、バスの中で添乗員さんがミイラ室に入場する人は100エジプトポンドかかりますが 希望者はいますかと聞いたら全員入場すると応じた。添乗員さんが全員のミイラ室のチケットを購入してくれるというので一人100ポンドずつ 払った。これは時間の節約にもなり助かる。なにせ考古学博物館は2時間で見学するのだが全く時間が足りないのだ。<br />8:45  <br />エジプト考古学博物館の前にバスが駐車できないので私たちを降ろすとバスは別の ところに移動してしまった。また2時間後に迎えに来るのだ。博物館をバックに記念撮影した後、内部は写真撮影が禁止のため添乗員さんにみんなのカメラを預けた。博物館の前にある池の中央に植えてある植物はパピルスだそうだ。今はラマダン期間中で閉館時間が早いので午前中は見学客で人でごったがえしていた。人を押し分けて中に入ったあと、最初にガイドさんが説明してくれたものは ロゼッタストーン(本物は現在大英博物館にある)のレプリカのことだった。この石に彫られている古代エジプトの象形文字(ヒエログリフ)をフランス人の シャンポリオンが解読したことにより古代エジプトのことがわかるようになったのだ。<br />次に正面玄関を入って正面に展示されている「ナルメル王のパレット」の説明を受けた。 ナルメル王は、5,200年前にエジプトを統一した英雄だが実はこのパレットの前と後ろに人類最古の文字が記されているのだ。この文字のおかげで古代エジプトの 歴史が始まったのである。<br />この他で説明を受けたものは 、        <br />・クフ王の座像…大きなピラミッドを作ったクフ王だが発見されている像はこの小さな座像、これだけ                    だ。手のひらに乗る大きさである。        <br />・カフラー王の座像…エジプト10ポンド札に横顔が描かれているがこの座像から 模写された。前から見ると頭のホルス神がみえないが横からは見える。頭を下げると前から見えるので神への敬意を表しているのだ。この像は閃緑岩(ダイヤモンドの次に硬い)に彫られたものですがダイヤモンドがない時代に どうやって彫られたのかは今でも謎のままだ。<br />・小人セネブと家族の像…古代エジプトでは小人は手先が器用なので重用された。重用されたセネブは結婚して幸せになった。足が短いのであぐらをかき、その下に子どもを配置 することにより、像のバランスをとっている。        <br />・ラーホテプとネフェレト夫婦像…目が素晴らしい像である。男女ともアイラインを 入れ、眼球は水晶と石英から出来ており本物のように目が透き通っている。夫婦像全体も非常に美しい。

    ムハンマド・アリ・モスクの次はいよいよピラミッドに続くエジプト旅行のメーンのひとつであるツタンカーメン王の黄金のマスクのあるエジプト考 古学博物館だ。この博物館は1902年に公開された。  
    途中、バスの中で添乗員さんがミイラ室に入場する人は100エジプトポンドかかりますが 希望者はいますかと聞いたら全員入場すると応じた。添乗員さんが全員のミイラ室のチケットを購入してくれるというので一人100ポンドずつ 払った。これは時間の節約にもなり助かる。なにせ考古学博物館は2時間で見学するのだが全く時 間が足りないのだ。
    8:45  
    エジプト考古学博物館の前にバスが駐車できないので私たちを降ろすとバスは別の ところに移動してしまった。また2時間後に迎えに来るのだ。 博物館をバックに記念撮影した後、内部は写真撮影が禁止のため添乗員さんにみんなのカメラを預けた。博物館の前にある池の中央に植えてある植物はパピルスだそうだ。今はラマダン期間中で閉館時間が早いので午前中は見学客で人でごったがえしていた。人を押し分けて中に入ったあと、最初にガイドさんが説明してくれたものは ロゼッタストーン(本物は現在大英博物館にある)のレプリカのことだった。この石に彫られている古代エジプトの象形文字(ヒエログリフ)をフランス人の シャンポリオンが解読したことにより古代エジプトのことがわかるようになったのだ。
    次に正面玄関を入って正面に展示されている「ナルメル王のパレット」の説明を受けた。 ナルメル王は、5,200年前にエジプトを統一した英雄だが実はこのパレットの前と後ろに人類最古の文字が記されているのだ。この文字のおかげで古代エジプトの 歴史が始まったのである。
    この他で説明を受けたものは 、         
    ・クフ王の座像…大きなピラミッドを作ったクフ王だが発見されている像はこの小さな座像、これだけ                     だ。手のひらに乗る大きさである。         
    ・カフラー王の座像…エジプト10ポンド札に横顔が描かれているがこの座像から 模写された。前から見ると頭のホルス神がみえないが横からは見える。頭を下げると前から見えるので神への敬意を表しているのだ。この像は閃緑岩(ダイヤモンドの次に硬い)に彫られたものですがダイヤモンドがない時代に どうやって彫られたのかは今でも謎のままだ。
    ・小人セネブと家族の像…古代エジプトでは小人は手先が器用なので重用された。重用されたセネブは結婚して幸せになった。足が短いのであぐらをかき、その下に子どもを配置 することにより、像のバランスをとっている。         
    ・ラーホテプとネフェレト夫婦像…目が素晴らしい像である。男女ともアイラインを 入れ、眼球は水晶と石英から出来ており本物のように目が透き通っている。夫婦像全体も非常に美しい。

  • 次に2階に上がるとほとんどがツタンカーメンの財宝だ。<br />・黄金のマスク…部屋の真ん中に置いてあり前後左右全ての方向から見ることができる。このマスクがツタンカーメン王のミイラの頭部に直接はめられていた。このマスクを ミイラから外すのに相当苦労したらしい。世界ナンバーワンの美しさだ。重さは11kgで後部の肩部分にはヒエログリフで死者の書の呪文が書いてある。         <br />・黄金の棺…黄金のマスクを被ったツタンカーメン王のミイラはこの棺の中に納められていた。この棺はさらに2つの棺に入れ子の状態で入っていた。純金で110kg。一番外側の石棺とミイラは現在も王家の谷のツタンカーメン王の墓に安置されている。         <br />・黄金の玉座…これは木製の椅子に金箔を施して作られている。椅子の背もたれのところに ツタンカーメン王が王妃に香油を塗ってもらっている図が描かれている。見事な芸術品だ。         <br />・カノプス容器と厨子…ツタンカーメン王がミイラにされたときに取り出された内臓が4つの 容器に入っていた。容器には内臓の血痕が付着していて生々しい。さらにそれらはカノプス厨子の中に納められていた。<br />・アヌビス像…厨子の上に居る番犬のようなアヌビス像はジャッカルの姿を しており盗掘者に備え、今にも襲いかかるようなしぐさで構えている。迫力がある。        <br />・杖…昔は今の杖と逆に持っていた。U字型に曲がっている方の先端に敵の 絵がかいてあるので、それを地面にたたきつけるような形で使っていたのだ。また、実際にツタンカーメン王は足が悪く杖を多用したようである。        <br />・草履…草履にも敵の絵が描いてあり、それを踏みつける形でサンダルを履いていた。        <br />・ベッド…いくつかのベッドがあった。ベッドは平らではなく中央部がたわんだ形になっていた。この方が平らのものより寝やすいのかもしれない。        <br />・枯れたヤグルマ菊…ツタンカーメン王の棺に王妃アンケセナーメンが手向けた一束のヤグルマ菊は既に枯れてしまっているがツタンカーメン王のお墓を発見したハワード・カーター卿は、この枯れた花を見て どの財宝よりもこの花束の方がはるかに美しかったと言ったという逸話がある。<br />ツタンカーメン王の財宝だけでも何千点も展示されている。到底、全部は見きれないのだ。 <br />次に添乗員さんが購入してくれたチケットを見せミイラ室へ入った。この博物館内は暑かったがミイラ室は空調制御されており涼しかった。左右に2つのミイラ室がある。ミイラ室には各10体ずつくらいのミイラが安置されていた。   <br />ハトシェプスト女王やラムセス2世のミイラはともに髪の毛まで残っており 生々しい。3,000年以上の時空を乗り越えて偉大なるファラオと対面できる。ミイラ姿を見ると何とも切ない気持になる。この他にも、トトメス3世、ラムセス3世などのミイラもあった。ミイラ室への入場は別料金だが必ず見学しておきたい場所である。必ず見学しましょう。 <br />また、人間のミイラ室のあいだに動物のミイラ室もあった。ここは別料金は必要ない。ワニや魚や鳥などのミイラが展示されていたが忙しくて2~3分の駆け足でしか見られなかった。ここでちょうど2時間が経過し、集合の時間となった。急いで退場する途中、館内の売店で 日本語で書かれた「展示品ガイド」を30ドルで、パピルスノートパッドを20ドルで購入し 博物館をあとにした。 <br />全部は到底、見学できないのでガイドさんが要領よく、かつ選りすぐって展示物を説明してくれたのは大助かりだった。この考古学博物館は手狭になってきたためにギザのピラミッド近くに建設中の「大エジプト博物館」に2012年ころに引っ越す計画だ。  <br /><br /><br />

    次に2階に上がるとほとんどがツタンカーメンの財宝だ。
    ・黄金のマスク…部屋の真ん中に置いてあり前後左右全ての方向から見ることができる。このマスクがツタンカーメン王のミイラの頭部に直接はめられていた。このマスクを ミイラから外すのに相当苦労したらしい。世界ナンバーワンの美しさだ。重さは11kgで後部の肩部分にはヒエログリフで死者の書の呪文が書いてある。        
    ・黄金の棺…黄金のマスクを被ったツタンカーメン王のミイラはこの棺の中に納められていた。この棺はさらに2つの棺に入れ子の状態で入っていた。純金で110kg。一番外側の石棺とミイラは現在も王家の谷のツタンカーメン王の墓に安置されている。        
    ・黄金の玉座…これは木製の椅子に金箔を施して作られている。椅子の背もたれのところに ツタンカーメン王が王妃に香油を塗ってもらっている図が描かれている。見事な芸術品だ。        
    ・カノプス容器と厨子…ツタンカーメン王がミイラにされたときに取り出された内臓が4つの 容器に入っていた。容器には内臓の血痕が付着していて生々しい。さらにそれらはカノプス厨子の中に納められていた。
    ・アヌビス像…厨子の上に居る番犬のようなアヌビス像はジャッカルの姿を しており盗掘者に備え、今にも襲いかかるようなしぐさで構えている。迫力がある。         
    ・杖…昔は今の杖と逆に持っていた。U字型に曲がっている方の先端に敵の 絵がかいてあるので、それを地面にたたきつけるような形で使っていたのだ。また、実際にツタンカーメン王は足が悪く杖を多用したようである。         
    ・草履…草履にも敵の絵が描いてあり、それを踏みつける形でサンダルを履いていた。         
    ・ベッド…いくつかのベッドがあった。ベッドは平らではなく中央部がたわんだ形になっていた。この方が平らのものより寝やすいのかもしれない。         
    ・枯れたヤグルマ菊…ツタンカーメン王の棺に王妃アンケセナーメンが手向けた一束のヤグルマ菊は既に枯れてしまっているがツタンカーメン王のお墓を発見したハワード・カーター卿は、この枯れた花を見て どの財宝よりもこの花束の方がはるかに美しかったと言ったという逸話がある。
    ツタンカーメン王の財宝だけでも何千点も展示されている。到底、全部は見きれないのだ。
    次に添乗員さんが購入してくれたチケットを見せミイラ室へ入った。この博物館内は暑かったがミイラ室は空調制御されており涼しかった。左右に2つのミイラ室がある。ミイラ室には各10体ずつくらいのミイラが安置されていた。    
    ハトシェプスト女王やラムセス2世のミイラはともに髪の毛まで残っており 生々しい。3,000年以上の時空を乗り越えて偉大なるファラオと対面できる。ミイラ姿を見ると何とも切ない気持になる。この他にも、トトメス3世、ラムセス3世などのミイラもあった。ミイラ室への入場は別料金だが必ず見学しておきたい場所である。必ず見学しましょう。  
    また、人間のミイラ室のあいだに動物のミイラ室もあった。ここは別料金は必要ない。ワニや魚や鳥などのミイラが展示されていたが忙しくて2~3分の駆け足でしか見られなかった。ここでちょうど2時間が経過し、集合の時間となった。急いで退場する途中、館内の売店で 日本語で書かれた「展示品ガイド」を30ドルで、パピルスノートパッドを20ドルで購入し 博物館をあとにした。  
    全部は到底、見学できないのでガイドさんが要領よく、かつ選りすぐって展示物を説明してくれたのは大助かりだった。この考古学博物館は手狭になってきたためにギザのピラミッド近くに建設中の「大エジプト博物館」に2012年ころに引っ越す計画だ。  


  • 11:10<br />次は早めの昼食だ。人通りの少ない空家のようなビルの前で降り、2階のチャイニーズレストランに入った。強烈な消毒臭いにおいがした。あとで気づいたがトイレの消毒液の匂いだった。<br />レストランには例のごとく給仕さんだけで7~8人いる。2人もいれば十分なのにどこへいっても 従業員が多い。中華料理なので最初に3つのグループに分かれ円形の回転テーブルを囲んで座った。うどんのようなスープやライスのほかに7~8品の料理が大皿で出てきた。中華料理なのだがやはり台湾や中国の本場の料理とは明らかに違う。それでもエジプト料理よりはしつこくなく日本料理に近いので美味しく食べた。<br /> <br /><br /><br />

    11:10
    次は早めの昼食だ。人通りの少ない空家のようなビルの前で降り、2階のチャイニーズレストランに入った。強烈な消毒臭いにおいがした。あとで気づいたがトイレの消毒液の匂いだった。
    レストランには例のごとく給仕さんだけで7~8人いる。2人もいれば十分なのにどこへいっても 従業員が多い。中華料理なので最初に3つのグループに分かれ円形の回転テーブルを囲んで座った。うどんのようなスープやライスのほかに7~8品の料理が大皿で出てきた。中華料理なのだがやはり台湾や中国の本場の料理とは明らかに違う。それでもエジプト料理よりはしつこくなく日本料理に近いので美味しく食べた。
     


  • 昼食会場からハン・ハリーリスークに向かう時に面白い光景を見た。4階か5階くらいのアパートに住んでいる住民(おばさん)が窓から道にゴミ箱を さかさまにしてごみを落としていた。堂々とごみを道路に投げ捨てているのだ。他の観光地でも同じような光景を目にした。庭を掃除しているおじさんがごみをチリトリに入れたまでは良かったがちょっと歩いて隣の敷地にそのゴミを捨てていたのだ。エジプトではゴミは焼却するものではなく他の場所に捨てるものらしい。だからエジプトはどこへ行っても街中がごみであふれているのだ。<br />写真は車窓からカイロタワー、タハリール橋を望んでいます。 <br />

    昼食会場からハン・ハリーリスークに向かう時に面白い光景を見た。4階か5階くらいのアパートに住んでいる住民(おばさん)が窓から道にゴミ箱を さかさまにしてごみを落としていた。堂々とごみを道路に投げ捨てているのだ。他の観光地でも同じような光景を目にした。庭を掃除しているおじさんがごみをチリトリに入れたまでは良かったがちょっと歩いて隣の敷地にそのゴミを捨てていたのだ。エジプトではゴミは焼却するものではなく他の場所に捨てるものらしい。だからエジプトはどこへ行っても街中がごみであふれているのだ。
    写真は車窓からカイロタワー、タハリール橋を望んでいます。

  • 12:10  <br />昼食後はいよいよエジプト最後の観光である。カイロ市内フセインモスクの脇にあるハン・ハリーリ スークの散策である。スークの入り口に集合ということで約1時間の自由行動となった。細い路地の横はお土産屋さんで いっぱいだった。眼つきの鋭い売り子が1ダラー、1ダラーと言って客引きをしていた。 私は特に買うものがなかったので周りの雰囲気を楽しみながら散策していた。妻と娘は私とは別行動でラクダの人形やパピルスカレンダー、アンクのキーホルダーなどの小物を買っていた。みんなが値引き交渉を楽しんでいるようで「私はいくらまけてもらった」とか何% まで値引きさせた」とか自慢話をしていた。でも所詮、日本人。どうしても日本の物価で値段を考えてしまうのだ。 どちらが売り上手で買い上手なのかの判断は難しいがそんなに高価な品物は 売っていないので損してもたかが知れている。

    12:10  
    昼食後はいよいよエジプト最後の観光である。カイロ市内フセインモスクの脇にあるハン・ハリーリ スークの散策である。スークの入り口に集合ということで約1時間の自由行動となった。細い路地の横はお土産屋さんで いっぱいだった。眼つきの鋭い売り子が1ダラー、1ダラーと言って客引きをしていた。 私は特に買うものがなかったので周りの雰囲気を楽しみながら散策していた。妻と娘は私とは別行動でラクダの人形やパピルスカレンダー、アンクのキーホルダーなどの小物を買っていた。みんなが値引き交渉を楽しんでいるようで「私はいくらまけてもらった」とか何% まで値引きさせた」とか自慢話をしていた。でも所詮、日本人。どうしても日本の物価で値段を考えてしまうのだ。 どちらが売り上手で買い上手なのかの判断は難しいがそんなに高価な品物は 売っていないので損してもたかが知れている。

  • スーク前のレストランです。

    スーク前のレストランです。

  • 私はスークでの散策が早く終わったのでスークの脇にあるフセインモスクに行ってみた。

    私はスークでの散策が早く終わったのでスークの脇にあるフセインモスクに行ってみた。

  • モスクの入口です。モスク内では多くの人が休んでいました。

    モスクの入口です。モスク内では多くの人が休んでいました。

  • モスクの外でも多くの人が休んでいました。

    モスクの外でも多くの人が休んでいました。

  • モスクの天井には大きな扇風機が設置され回っているのでそんなに暑くない。中では壁にもたれかかったりしてリラックスしている人が多かった。またモスクの前ではコーランを配っていた。たぶん、無料で配布しているのだろう。スークを警護している警官も日影でコーランを読んでいる姿が印象的だった。

    モスクの天井には大きな扇風機が設置され回っているのでそんなに暑くない。中では壁にもたれかかったりしてリラックスしている人が多かった。またモスクの前ではコーランを配っていた。たぶん、無料で配布しているのだろう。スークを警護している警官も日影でコーランを読んでいる姿が印象的だった。

  • スーク散策の1時間はあっというまに過ぎ、決められた場所にみんな時間通り集まった。そしてバスに乗りカイロ空港に向かった。  <br />13:50  空港到着<br />空港に着くと現地ガイドさんとお別れだ。みんな最後まで手を振って別れを惜しんだ。エジプトでは現地ガイドさんなしの観光は考えられない。感謝。流暢な日本語でエジプトに関するいろいろなことを教えてもらい大変、勉強になった。私などはエジプトオタクになりそうだ。     カイロ空港で最初のセキュリティーチェックを通過したあと空港内の空いたスペースを利用して荷物の入れ替えをした。機内でくつろげるような着替用のシャツ、短パン、機内で履くスリッパなどを機内用の手荷物に入れ、ペットボトルや100ml以上の液体は機内に持ち込めないのでスーツケースに移したりした。       <br />また今日買った大きめなお土産をスーツケースに移し替えている人もいました。我が家も今日もらったミネラルウォーターが3本余っていたのでスーツケースに入れ替えた。その後、スーツケースを航空会社に預け身軽になった。その後は、搭乗予定時間少し前の16時30分まで2時間ほど自由行動になった。みなさん、空港内のお店でお茶を飲んだり最後のお土産を買ったりしていた。が家は次女がお腹が空いたというのでファーストフード店で簡単な食事をした。そのあと、免税店でチョコレートやアンクキーホルダー(1個4ドル)、ツタンカーメンの 絵が描いてある鉛筆立て(7ドル)、ヒエログリフの刺繍のあるTシャツ(18ドル)などのお土産を買いました。往復ともエジプト航空(直行便)を利用したがお国柄、エジプト航空ではアルコールの機内サービスがない。機内でビールが飲みたかったのだが 通常の買い物のやり方でビールを持って最後のセキュリティーチェックを受けると没収されてしまいます。<br />       <br />そこで免税店でビールを買う時に「Do not open bag, please.」といってビールを透明な袋に入れて封印してもらうのだ。そうすれば免税品として機内持ち込みが許可される。私は冷えた350ml缶ビール4本(1缶2ドル)を購入し、その袋にいれてもらった。セキュリティーチェックでは堂々と見せたが 特に何も言われず機内への持ち込みができた。その袋に入れておいたことで保冷効果も高まり、冷えたまま機内でビールが飲めたのだった。<br /><br />【教訓】エジプトへの往路ではアルコールの機内持ち込みは可能だが復路では 免税品扱いの包装(封印)をしないと機内に持ち込めない。アルコールル好きの人は要注意。<br />

    スーク散策の1時間はあっというまに過ぎ、決められた場所にみんな時間通り集まった。そしてバスに乗りカイロ空港に向かった。  
    13:50  空港到着
    空港に着くと現地ガイドさんとお別れだ。みんな最後まで手を振って別れを惜しんだ。エジプトでは現地ガイドさんなしの観光は考えられない。感謝。流暢な日本語でエジプトに関するいろいろなことを教えてもらい大変、勉強になった。私などはエジプトオタクになりそうだ。      カイロ空港で最初のセキュリティーチェックを通過したあと空港内の空いたスペースを利用して荷物の入れ替えをした。機内でくつろげるような着替用のシャツ、短パン、機内で履くスリッパなどを機内用の手荷物に入れ、ペットボトルや100ml以上の液体は機内に持ち込めないのでスーツケースに移したりした。        
    また今日買った大きめなお土産をスーツケースに移し替えている人もいました。我が家も今日もらったミネラルウォーターが3本余っていたのでスーツケースに入れ替えた。その後、スーツケースを航空会社に預け身軽になった。その後は、搭乗予定時間少し前の16時30分まで2時間ほど自由行動になった。みなさん、空港内のお店でお茶を飲んだり最後のお土産を買ったりしていた。が家は次女がお腹が空いたというのでファーストフード店で簡単な食事をした。そのあと、免税店でチョコレートやアンクキーホルダー(1個4ドル)、ツタンカーメンの 絵が描いてある鉛筆立て(7ドル)、ヒエログリフの刺繍のあるTシャツ(18ドル)などのお土産を買いました。往復ともエジプト航空(直行便)を利用したがお国柄、エジプト航空ではアルコールの機内サービスがない。機内でビールが飲みたかったのだが 通常の買い物のやり方でビールを持って最後のセキュリティーチェックを受けると没収されてしまいます。
           
    そこで免税店でビールを買う時に「Do not open bag, please.」といってビールを透明な袋に入れて封印してもらうのだ。そうすれば免税品として機内持ち込みが許可される。私は冷えた350ml缶ビール4本(1缶2ドル)を購入し、その袋にいれてもらった。セキュリティーチェックでは堂々と見せたが 特に何も言われず機内への持ち込みができた。その袋に入れておいたことで保冷効果も高まり、冷えたまま機内でビールが飲めたのだった。

    【教訓】エジプトへの往路ではアルコールの機内持ち込みは可能だが復路では 免税品扱いの包装(封印)をしないと機内に持ち込めない。アルコールル好きの人は要注意。

  • あ~あ、楽しい時間はあっという間に終わってしまう。<br />空港に行くバスの中で添乗員さんが今回のツアーでは大きな事件がなく良かったとほっとしていた。添乗員のKさんも仕事とは言え疲れているのだろう。このツアーはHISの中でも「添乗員強化合宿ツアー」と言われているほどハードなツアーなのだ。本当に大きなトラブルがなかったということが最大のお土産かもしれない。過去にはツアー客の半数くらいが下痢して観光に行けなかったり病院に行って点滴を受けたりしたこともあったようだ。何人か体調が悪かった人もいたと思うが総じてみんな元気に観光したのではないかと思う。私はその中でも下痢もせず便秘もせず最高のツアーが過ごせた一人である。自分の体に感謝。そして今回のツアー客は全員が集合時間を守り規律ある団体行動をしていたと思う。私は団体行動が苦手のほうなので心配だったが何とか迷惑かけずに過ごせたのではないかと思う。<br /><br />

    あ~あ、楽しい時間はあっという間に終わってしまう。
    空港に行くバスの中で添乗員さんが今回のツアーでは大きな事件がなく良かったとほっとしていた。添乗員のKさんも仕事とは言え疲れているのだろう。このツアーはHISの中でも「添乗員強化合宿ツアー」と言われているほどハードなツアーなのだ。本当に大きなトラブルがなかったということが最大のお土産かもしれない。過去にはツアー客の半数くらいが下痢して観光に行けなかったり病院に行って点滴を受けたりしたこともあったようだ。何人か体調が悪かった人もいたと思うが総じてみんな元気に観光したのではないかと思う。私はその中でも下痢もせず便秘もせず最高のツアーが過ごせた一人である。自分の体に感謝。そして今回のツアー客は全員が集合時間を守り規律ある団体行動をしていたと思う。私は団体行動が苦手のほうなので心配だったが何とか迷惑かけずに過ごせたのではないかと思う。

  • 16:30<br />添乗員のKさんより人数チェックを受けてから最後のセキュリティーチェックを通過。<br /><br />

    16:30
    添乗員のKさんより人数チェックを受けてから最後のセキュリティーチェックを通過。

  • 17:00 <br />搭乗が開始となった。<br />・予定出発時間    17:00(エジプト時間)           <br />・日本到着時間    11:40(日本時間)          <br />・予定フライト時間 11時間40分(帰りは偏西風の影響で行きよりも早い) <br />17:30  <br />飛行機が空港ターミナルの駐機場から離れて動き出した。<br />17:40 <br />離陸。<br />18:20    <br />離陸して40分後に早くも1回目の食事が後方席のほうで配膳され始めた。もう少し経ってから夕食かなと思っていたので、あわてて免税用のビニール袋からビールを出して妻と一緒に飲み始めた。おつまみは日本から持参して残っていた裂きイカと煎餅、カリカリ梅だ。<br />夕食はビーフまたはチキンを選択できた。私はビーフのほうを頼んだ。実際に出てきたのはビーフシチューだった。それにライスが添えてあった。往路のメニューとほとんど同じだった。全般的に機内食は美味しかった。私の汁のなかにご飯を入れて食べるのが好きなのでシチューのなかにご飯を入れ、混ぜながら食べた。野菜サラダが出た。食べたかったがエジプトで作られたサラダなので我慢して食べなかった。最後の最後まで油断大敵なのだ。 <br />結局、私は今回のエジプトツアーでは1回も下痢しなかった。体調もすこぶるよかった。その大きな予防策として有効と思われることとして、  <br />・歯磨きも含めて生水は口に入れなかった。生野菜、フルーツも食べなかった。 <br />・毎食前に必ず梅干しを1個食べた。殺菌効果あり。  <br />・ポカリスエットを毎日飲んだ。体液に近い組成なので熱中症対策になった。<br />の3点が良かったようだ。 <br />帰りの飛行機のなかはガラガラだったのでほとんどの人が1列3人シートところに一人で 座っていた。なかには横になり足を伸ばして寝ている人もいた。行きは1人1座席だったので少し窮屈だったが帰りは楽チンで良く眠れた。ここで腕時計の針を7時間進め、日本時間に戻した。<br />7日目の万歩計データは、       <br />・歩数=12,638歩、歩行距離=9.3km、消費カロリー=469kcal<br />と思ったより多かった。

    17:00 
    搭乗が開始となった。
    ・予定出発時間   17:00(エジプト時間)         
    ・日本到着時間   11:40(日本時間)          
    ・予定フライト時間 11時間40分(帰りは偏西風の影響で行きよりも早い)
    17:30  
    飛行機が空港ターミナルの駐機場から離れて動き出した。
    17:40 
    離陸。
    18:20 
    離陸して40分後に早くも1回目の食事が後方席のほうで配膳され始めた。もう少し経ってから夕食かなと思っていたので、あわてて免税用のビニール袋からビールを出して妻と一緒に飲み始めた。おつまみは日本から持参して残っていた裂きイカと煎餅、カリカリ梅だ。
    夕食はビーフまたはチキンを選択できた。私はビーフのほうを頼んだ。実際に出てきたのはビーフシチューだった。それにライスが添えてあった。往路のメニューとほとんど同じだった。全般的に機内食は美味しかった。私の汁のなかにご飯を入れて食べるのが好きなのでシチューのなかにご飯を入れ、混ぜながら食べた。野菜サラダが出た。食べたかったがエジプトで作られたサラダなので我慢して食べなかった。最後の最後まで油断大敵なのだ。  
    結局、私は今回のエジプトツアーでは1回も下痢しなかった。体調もすこぶるよかった。その大きな予防策として有効と思われることとして、  
    ・歯磨きも含めて生水は口に入れなかった。生野菜、フルーツも食べなかった。
    ・毎食前に必ず梅干しを1個食べた。殺菌効果あり。  
    ・ポカリスエットを毎日飲んだ。体液に近い組成なので熱中症対策になった。
    の3点が良かったようだ。  
    帰りの飛行機のなかはガラガラだったのでほとんどの人が1列3人シートところに一人で 座っていた。なかには横になり足を伸ばして寝ている人もいた。行きは1人1座席だったので少し窮屈だったが帰りは楽チンで良く眠れた。ここで腕時計の針を7時間進め、日本時間に戻した。
    7日目の万歩計データは、       
    ・歩数=12,638歩、歩行距離=9.3km、消費カロリー=469kcal
    と思ったより多かった。

  • エジプト旅行8日目(最終日)     2010年8月30日(月) <br /><br />3:20  <br />二回目の食事(朝食)が出てきました。ビーフと言っていたが肉と言うよりコロッケのほうに近く、ビーフ入りコロッケといった感じの揚げ物だった。それにソーセージとオムレツがついていた。主食はライスではなくパンだったのでチーズを挟んで食べた。フルーツも出た。食べたかったけれどメロンの種をとるときに水洗いしているかもしれないと考えると危険なので食べなかった。妻が一度、下痢になったが原因としてメロンが怪しいと言っていたからだ。食後に美味しい日本茶が飲みたかったがエジプト航空の日本茶は超マズイのでコーヒーにした。1回目の食事と2回目の食事の間におやつが配られたようだが私は寝ていたので気がつかなかった。パウンドケーキが座席前のポケットに挟んであったので気づいた。  飛行機の中は相変わらず乾燥しているので喉が渇く。今回も最後部にいって自分で 飲み物を飲もうとしたらキャビンアテンダントが紙コップに注いでくれた。往路のときは「勝手に飲め」という感じだったが復路ではちゃんとサービスしてくれた。人によって違うのだということに気がついた。後方部に行ったときに見てしまったのだが驚くことなかれ、乗務員が床に毛布を敷いて礼拝をしていたのだ。交代で拝んでいました。びっくりしました。イスラム教徒は敬虔なんだなと思った。窓の外を眺めると夜が明けてきた。またカイロ~成田間の航路を座席のモニターで調べたら行きも帰りも同じだが、カイロ→アンマン→カスピ海→天山山脈→魯木(ウルムチ)→北京→成田となる。ほとんどが砂漠地帯で茶色く荒涼としていたのが印象的だった。それが日本上空に来ると真っ白な雲と緑の山に変わる。<br />12:15  <br />予定では11時40分成田着だったのだが遅れて12:15に無事、成田空港に到着した。着陸するときの衝撃はほとんどなかった。機長の腕が良いのだ。無事、到着すると機長から流暢な日本語で次のようなしゃれた挨拶があった。「ようこそ、日本にお帰りなさい。日本にはエジプトのような古代の遺跡はありませんがすばらしい情緒あふれる四季があります。そんな日本で旅の疲れを癒しこれからも元気にお過ごし下さい。それでは、ごきげんよう。さようなら。 」<br />確かにその通りだなと機長の言葉に感心した。外国に行って知る一番大切なことは日本そして故郷の素晴らしさなのだ。<br />成田到着後、入国審査をしてから少し待つとベルトコンベアでスーツケースが運ばれてきた。自分でコンベアより取り上げた。ここで8日間お世話になったHIS添乗員のKさんや同じツアーの仲間たちともお別れだ。お互いに手を振って別れた。機内で記入した申告書を提出して税関を通った。以前は申告なしの場合は提出しなくとも良かったが今は申告するものがなくとも、その旨を記入して税関に提出する。<br />14:35  <br />成田空港第二ターミナル発、群馬県行きのバスに乗る。帰りのバスは昼の時間帯ということもありガラガラだった。<br />17:10    <br />渋滞もなくほぼ予定通り自宅近くのバス停に到着。<br />17:45  <br />自宅に到着。  <br />ちなみにこの日の夕食は寿司と野菜サラダを食べた。次の日の昼食は醤油ラーメンを食べた。   <br />以上、おしまい。  <br /><br />最後まで読んでくれてありがとうなのだ。

    エジプト旅行8日目(最終日)     2010年8月30日(月)

    3:20  
    二回目の食事(朝食)が出てきました。ビーフと言っていたが肉と言うよりコロッケのほうに近く、ビーフ入りコロッケといった感じの揚げ物だった。それにソーセージとオムレツがついていた。主食はライスではなく パンだったのでチーズを挟んで食べた。フルーツも出た。食べたかったけれどメロンの種をとるときに水洗いしているかもしれないと考えると危険なので食べなかった。妻が一度、下痢になったが原因としてメロンが怪しいと言っていたからだ。食後に美味しい日本茶が飲みたかったがエジプト航空の日本茶は超マズイのでコーヒーにした。1回目の食事と2回目の食事の間におやつが配られたようだが私は寝ていたので気がつかなかった。パウンドケーキが座席前のポケットに挟んであったので気づいた。   飛行機の中は相変わらず乾燥しているので喉が渇く。今回も最後部にいって自分で 飲み物を飲もうとしたらキャビンアテンダントが紙コップに注いでくれた。往路のときは「勝手に飲め」という感じだったが復路ではちゃんとサービスしてくれた。人によって違うのだということに気がついた。後方部に行ったときに見てしまったのだが驚くことなかれ、乗務員が床に毛布を敷いて礼拝をしていたのだ。交代で拝んでいました。びっくりしました。イスラム教徒は敬虔なんだなと思った。窓の外を眺めると夜が明けてきた。またカイロ~成田間の航路を座席のモニターで調べたら行きも帰りも同じだが、カイロ→アンマン→カスピ海→天山山脈→魯木(ウルムチ)→北京→成田となる。ほとんどが砂漠地帯で茶色く荒涼としていたのが印象的だった。それが日本上空に来ると真っ白な雲と緑の山に変わる。
    12:15  
    予定では11時40分成田着だったのだが遅れて12:15に無事、成田空港に到着した。着陸するときの衝撃はほとんどなかった。機長の腕が良いのだ。無事、到着すると機長から流暢な日本語で次のようなしゃれた挨拶があった。「ようこそ、日本にお帰りなさい。日本にはエジプトのような古代の遺跡はありませんがすばらしい情緒あふれる四季があります。そんな日本で旅の疲れを癒しこれからも元気にお過ごし下さい。それでは、ごきげんよう。さようなら。 」
    確かにその通りだなと機長の言葉に感心した。外国に行って知る一番大切なことは日本そして故郷の素晴らしさなのだ。
    成田到着後、入国審査をしてから少し待つとベルトコンベアでスーツケースが運ばれてきた。自分でコンベアより取り上げた。ここで8日間お世話になったHIS添乗員のKさんや同じツアーの仲間たちともお別れだ。お互いに手を振って別れた。機内で記入した申告書を提出して税関を通った。以前は申告なしの場合は提出しなくとも良かったが今は申告するものがなくとも、その旨を記入して税関に提出する。
    14:35  
    成田空港第二ターミナル発、群馬県行きのバスに乗る。帰りのバスは昼の時間帯ということもありガラガラだった。
    17:10  
    渋滞もなくほぼ予定通り自宅近くのバス停に到着。
    17:45  
    自宅に到着。  
    ちなみにこの日の夕食は寿司と野菜サラダを食べた。次の日の昼食は醤油ラーメンを食べた。  
    以上、おしまい。 

    最後まで読んでくれてありがとうなのだ。

  • 番外編1:お土産品の一部、パピルスです。

    番外編1:お土産品の一部、パピルスです。

  • アスワンでペットボトルに詰めた砂は最高のお土産なのだ。

    アスワンでペットボトルに詰めた砂は最高のお土産なのだ。

  • ツタンカーメンの置物が重くて格好いいのだ。

    ツタンカーメンの置物が重くて格好いいのだ。

  • ヒエログリフのTシャツは最高なのだ。

    ヒエログリフのTシャツは最高なのだ。

  • 妻もカルティーシュが欲しかったのだ。

    妻もカルティーシュが欲しかったのだ。

  • 番外編2:旅の思い出ベスト10<br /><br />【第1位】 ギザの3大ピラミッドとスフィンクス<br />      …何と言ってもエジプト=ピラミッド+スフィンクスなのだ<br />【第2位】 カイロ考古学博物館(ミイラとツタンカーメンの黄金のマスク)<br />      …ツタンカーメンの黄金のマスクは世界の秘宝なのだ<br />【第3位】 アスワンハイダム近郊の切りかけのオベリスク<br />      …こんなところで石を刻んでいたのだ<br />【第4位】 ハトシェプスト女王葬祭殿<br />      …多くの日本人が犠牲になったところなのだ<br />【第5位】 王家の谷(ツタンカーメン墓)<br />      …ツタンカーメンの葬られていた墓なのだ<br />【第6位】 アブシンベル神殿<br />      …ナセル湖から移築してよかったのだ<br />【第7位】 ルクソール神殿とカルナック神殿<br />      …こんな大きな神殿をよくつくったものだ<br />【第8位】 カタコンペ(アレキアンドリア)<br />      …かくれた遺産なのだ<br />【第9位】 モハメッドアリモスク<br />      …りっぱで格好良いモスクなのだ<br />【第10位】  イシス神殿<br />      …これも島に移築した神殿なのだ  <br /><br />今度は本当におしまいなのだ。              

    番外編2:旅の思い出ベスト10

    【第1位】 ギザの3大ピラミッドとスフィンクス
          …何と言ってもエジプト=ピラミッド+スフィンクスなのだ
    【第2位】 カイロ考古学博物館(ミイラとツタンカーメンの黄金のマスク)
          …ツタンカーメンの黄金のマスクは世界の秘宝なのだ
    【第3位】 アスワンハイダム近郊の切りかけのオベリスク
          …こんなところで石を刻んでいたのだ
    【第4位】 ハトシェプスト女王葬祭殿
          …多くの日本人が犠牲になったところなのだ
    【第5位】 王家の谷(ツタンカーメン墓)
          …ツタンカーメンの葬られていた墓なのだ
    【第6位】 アブシンベル神殿
          …ナセル湖から移築してよかったのだ
    【第7位】 ルクソール神殿とカルナック神殿
          …こんな大きな神殿をよくつくったものだ
    【第8位】 カタコンペ(アレキアンドリア)
          …かくれた遺産なのだ
    【第9位】 モハメッドアリモスク
          …りっぱで格好良いモスクなのだ
    【第10位】 イシス神殿
          …これも島に移築した神殿なのだ  

    今度は本当におしまいなのだ。               

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