アオスタ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
北イタリアの対象的な2つの絶景を巡る旅。<br />最初に訪れたのはリグーリア海に面した5つの村、チンクエ・テッレ。海沿いの崖にへばりつくようにカラフルな家が立ち並びます。シーズンオフで列車が1時間に1本と少なくて遊覧船も運航しておらず、営業している店も少なくて不便でしたが、その分観光客が少なくてゆっくりと街を巡り景色を眺めることができました。<br />次に訪れたのはアルプスの麓の街、アオスタ。古代ローマがガリアに通じる街道の要衝に築いた街で、街中や街道沿いに遺跡が多く残っています。当時の街の中心の通りが今もそのまま使われていて、往時の人々の息吹を感じられる街です。アオスタ・バレーに残る古代ローマ遺跡を訪れたほか、東にある谷を遡って誰もが知っている名峰の別の姿も楽しみました。<br /><br />☆?★?☆?★?☆?★?☆?★?☆?★?<br />【8】古代ローマ都市アオスタのローマ遺跡巡り<br /> アオスタは2000年前に古代ローマによって造られた街で、市内には古代ローマ遺跡が数多く残っています。<br /> 街の東の入口プレトリア門、街の創設者でありこの辺りを征服した人でもあるアウグストゥスに捧げられた凱旋門、壁一枚が残る古代ローマ劇場などの遺跡を巡り、2000年の時の流れに思いを馳せました。<br /><br />※古代ローマ遺跡に興味のある方はぜひ下記のサイトもご覧ください!<br />ガリアの玄関口アオスタ(イタリア)<br />http://roman-ruins.com/aosta/<br />☆?★?☆?★?☆?★?☆?★?☆?★?<br /><br /> 1 天気予報は8日間ずっと雨・・・<br /> 2 チンクエ・テッレを味わい尽くす・その1<br /> 3 チンクエ・テッレを味わい尽くす・その2<br /> 4 雨のち晴れ<br /> 5 リオマッジョーレ最後の散歩と絶景カフェ<br /> 6 チンクエ・テッレの絶景ドライブ<br /> 7 モンテ・チェルビーノ 誰もが知ってる名峰の別の顔<br />>8 古代ローマ都市アオスタのローマ遺跡巡り<br /> 9 イタリアとガリアを結ぶアオスタ・バレーのローマ遺跡三昧<br />10 雨に煙る古城

チンクエテッレとアオスタ~北イタリアの海と山の絶景巡り 【8】古代ローマ都市アオスタのローマ遺跡巡り(2018/3/9)

8いいね!

2018/03/02 - 2018/03/11

85位(同エリア212件中)

Tatsuoさん

この旅行記スケジュールを元に

北イタリアの対象的な2つの絶景を巡る旅。
最初に訪れたのはリグーリア海に面した5つの村、チンクエ・テッレ。海沿いの崖にへばりつくようにカラフルな家が立ち並びます。シーズンオフで列車が1時間に1本と少なくて遊覧船も運航しておらず、営業している店も少なくて不便でしたが、その分観光客が少なくてゆっくりと街を巡り景色を眺めることができました。
次に訪れたのはアルプスの麓の街、アオスタ。古代ローマがガリアに通じる街道の要衝に築いた街で、街中や街道沿いに遺跡が多く残っています。当時の街の中心の通りが今もそのまま使われていて、往時の人々の息吹を感じられる街です。アオスタ・バレーに残る古代ローマ遺跡を訪れたほか、東にある谷を遡って誰もが知っている名峰の別の姿も楽しみました。

☆?★?☆?★?☆?★?☆?★?☆?★?
【8】古代ローマ都市アオスタのローマ遺跡巡り
 アオスタは2000年前に古代ローマによって造られた街で、市内には古代ローマ遺跡が数多く残っています。
 街の東の入口プレトリア門、街の創設者でありこの辺りを征服した人でもあるアウグストゥスに捧げられた凱旋門、壁一枚が残る古代ローマ劇場などの遺跡を巡り、2000年の時の流れに思いを馳せました。

※古代ローマ遺跡に興味のある方はぜひ下記のサイトもご覧ください!
ガリアの玄関口アオスタ(イタリア)
http://roman-ruins.com/aosta/
☆?★?☆?★?☆?★?☆?★?☆?★?

1 天気予報は8日間ずっと雨・・・
2 チンクエ・テッレを味わい尽くす・その1
3 チンクエ・テッレを味わい尽くす・その2
4 雨のち晴れ
5 リオマッジョーレ最後の散歩と絶景カフェ
6 チンクエ・テッレの絶景ドライブ
7 モンテ・チェルビーノ 誰もが知ってる名峰の別の顔
>8 古代ローマ都市アオスタのローマ遺跡巡り
9 イタリアとガリアを結ぶアオスタ・バレーのローマ遺跡三昧
10 雨に煙る古城

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
交通手段
徒歩
航空会社
エールフランス
旅行の手配内容
個別手配
  • 今回3泊するHB Hotel。<br />旧市街の路地裏にあります。

    今回3泊するHB Hotel。
    旧市街の路地裏にあります。

    HB Aosta Hotel & Balcony SPA ホテル

  • 今日は古代ローマ遺跡巡り。まず最初にアオスタの街中にある遺跡を見てから、アオスタ・バレーに点在する遺跡を巡る予定です。<br />一昨日は夕方から370kmを6時間かけて移動する強行軍、昨日は天気が良かったのでモンテ・チェルビーノに遠出して疲れているので、ゆっくり朝食をとって9時半前にホテルを出発。<br />路地を通ってメインストリートに出ます。

    今日は古代ローマ遺跡巡り。まず最初にアオスタの街中にある遺跡を見てから、アオスタ・バレーに点在する遺跡を巡る予定です。
    一昨日は夕方から370kmを6時間かけて移動する強行軍、昨日は天気が良かったのでモンテ・チェルビーノに遠出して疲れているので、ゆっくり朝食をとって9時半前にホテルを出発。
    路地を通ってメインストリートに出ます。

  • 昨日の夜も通ったメインストリートを東に向かいます。<br />そこそこ人通りがありますが、観光客らしい姿はほとんど見かけません。

    昨日の夜も通ったメインストリートを東に向かいます。
    そこそこ人通りがありますが、観光客らしい姿はほとんど見かけません。

  • 400mほど歩くと市庁舎のある広場に出ます。<br />雪をかぶった山を背に清々しい雰囲気です。

    400mほど歩くと市庁舎のある広場に出ます。
    雪をかぶった山を背に清々しい雰囲気です。

  • 市庁舎前には兵士の記念碑があります。<br />1924年に第一次世界大戦の犠牲者追悼のために建てられたもので、後にすべての戦争の犠牲者を追悼するものになったとのこと。

    市庁舎前には兵士の記念碑があります。
    1924年に第一次世界大戦の犠牲者追悼のために建てられたもので、後にすべての戦争の犠牲者を追悼するものになったとのこと。

  • 更にメインストリートを東に進みます。<br />道の先にプレトリア門が見えています。

    更にメインストリートを東に進みます。
    道の先にプレトリア門が見えています。

  • 古代ローマ時代のアオスタの街の東の出入り口、プレトリア門までやってきました。市庁舎から300mほどです。<br />泊まっているホテルが古代の街の西の端なので、ちょうど街を横断してきたことになります。

    古代ローマ時代のアオスタの街の東の出入り口、プレトリア門までやってきました。市庁舎から300mほどです。
    泊まっているホテルが古代の街の西の端なので、ちょうど街を横断してきたことになります。

    ポルタ プレトリア (アオスタ) 史跡・遺跡

  • プレトリア門は二重構造になっています。<br />征服して間もなく作られた街だけに防御機能はかなり高そうな頑丈な作りです。<br />門の下は掘り込まれていて、その上に橋がかけられたようになっています。この掘られた底の部分が古代ローマ時代の地面で、今の地面から2.5メートルほどの深さがあります。時間と共に洪水の泥や火事の後の瓦礫などが積み重なり、古い建物は埋もれていくものなのです。<br />つまり2000年前には、この門は今見ているより2.5メートルも高くそびえ立っていたのです。相当な威圧感がありそうで、ガリア人はとても攻める気にはならなかったでしょう。

    プレトリア門は二重構造になっています。
    征服して間もなく作られた街だけに防御機能はかなり高そうな頑丈な作りです。
    門の下は掘り込まれていて、その上に橋がかけられたようになっています。この掘られた底の部分が古代ローマ時代の地面で、今の地面から2.5メートルほどの深さがあります。時間と共に洪水の泥や火事の後の瓦礫などが積み重なり、古い建物は埋もれていくものなのです。
    つまり2000年前には、この門は今見ているより2.5メートルも高くそびえ立っていたのです。相当な威圧感がありそうで、ガリア人はとても攻める気にはならなかったでしょう。

    ポルタ プレトリア (アオスタ) 史跡・遺跡

  • 街の外側からみた姿は白い大理石が僅かに残っています。もともとは全面が大理石の覆われていました。このあたりのもともとの住人は、見たこともないような白く輝く巨大構造物に度肝を抜かれたでしょうね。<br />中央に大きな口があり、その両脇に小さな口が開いています。ローマ街道は中央に車道があって両側に歩道が付けられていました。これがそのままこの門の口につながっていたわけです。

    街の外側からみた姿は白い大理石が僅かに残っています。もともとは全面が大理石の覆われていました。このあたりのもともとの住人は、見たこともないような白く輝く巨大構造物に度肝を抜かれたでしょうね。
    中央に大きな口があり、その両脇に小さな口が開いています。ローマ街道は中央に車道があって両側に歩道が付けられていました。これがそのままこの門の口につながっていたわけです。

    ポルタ プレトリア (アオスタ) 史跡・遺跡

  • 道の向こうにアウグストゥス の凱旋門が見えます。<br />2000年前には街はプレトリア門で終わりですが、今はその先にも商店が連なっています。

    道の向こうにアウグストゥス の凱旋門が見えます。
    2000年前には街はプレトリア門で終わりですが、今はその先にも商店が連なっています。

  • 商店が途切れると目の前にアウグストゥスの凱旋門が聳えています。<br />周りを道路が取り巻いてロータリーになっていて、ひっきりなしに車が通ります。<br />プレトリア門からは450メートルほどあるので、当時は少し離れてポツンと立っているという感じだったでしょう。

    商店が途切れると目の前にアウグストゥスの凱旋門が聳えています。
    周りを道路が取り巻いてロータリーになっていて、ひっきりなしに車が通ります。
    プレトリア門からは450メートルほどあるので、当時は少し離れてポツンと立っているという感じだったでしょう。

    アウグストゥス帝の凱旋門 史跡・遺跡

  • 紀元前25年にローマ帝国の初代皇帝であるアウグストゥス(オクタビアヌス)が、この辺りを支配していたサラッシ人を征服してこの街が作られました。<br />戦勝を記念して建てられたのがこの凱旋門です。<br />小学生や、中学生か高校生らしい学生の集団が何組か見学していました。

    紀元前25年にローマ帝国の初代皇帝であるアウグストゥス(オクタビアヌス)が、この辺りを支配していたサラッシ人を征服してこの街が作られました。
    戦勝を記念して建てられたのがこの凱旋門です。
    小学生や、中学生か高校生らしい学生の集団が何組か見学していました。

    アウグストゥス帝の凱旋門 史跡・遺跡

  • 凱旋門の東側には北からブティエル川が流れています。<br />この川を遡った先にグラン・サン・ベルナール峠があります。英語読みでセント・バーナード。そう、首に薬の箱を付けたあの犬の故郷です。<br />アオスタから西にドーラ・バルテア川を遡ったところにあるプチ・サン・ベルナール峠と共に、古代からアルプスを越えるメインルートでした。アオスタはこの2つのアルプス超えルートを支配下に置くために合流地点に建設された街です。

    凱旋門の東側には北からブティエル川が流れています。
    この川を遡った先にグラン・サン・ベルナール峠があります。英語読みでセント・バーナード。そう、首に薬の箱を付けたあの犬の故郷です。
    アオスタから西にドーラ・バルテア川を遡ったところにあるプチ・サン・ベルナール峠と共に、古代からアルプスを越えるメインルートでした。アオスタはこの2つのアルプス超えルートを支配下に置くために合流地点に建設された街です。

  • ブティエル川を渡った先にローマ時代の橋があります。

    ブティエル川を渡った先にローマ時代の橋があります。

  • 丸い石が敷き詰められています。ローマ街道は荷車でもスムーズに通れるように舗装されていたはず。かつてはこの上に平らな石が敷かれていたのでしょう。

    丸い石が敷き詰められています。ローマ街道は荷車でもスムーズに通れるように舗装されていたはず。かつてはこの上に平らな石が敷かれていたのでしょう。

  • 橋の向こう側は正面の建物を潜る道と右手に回り込む道に別れています。<br />どちらが古代のローマ街道かわかりません。

    橋の向こう側は正面の建物を潜る道と右手に回り込む道に別れています。
    どちらが古代のローマ街道かわかりません。

  • 実はこの橋、下に川はなく、北側は塞がれています。<br />かつてはブティエル川がこの下を通っていましたが、流路が変わったのです。

    実はこの橋、下に川はなく、北側は塞がれています。
    かつてはブティエル川がこの下を通っていましたが、流路が変わったのです。

  • 東のたもとに水飲み場があります。<br />はるばるここまでやってきて安堵にほっと一息つき、汚れた手足を洗い身だしなみを整えて街に入る。そんな光景が目に浮かびます。<br />そんなに古いものなのかどうかは不明ですが。

    東のたもとに水飲み場があります。
    はるばるここまでやってきて安堵にほっと一息つき、汚れた手足を洗い身だしなみを整えて街に入る。そんな光景が目に浮かびます。
    そんなに古いものなのかどうかは不明ですが。

  • 街の方に戻ります。<br />古代にローマ方面からこの街にやって来た旅人も、橋の向こうに凱旋門が聳えるこの同じ光景を目にしていたのです。

    街の方に戻ります。
    古代にローマ方面からこの街にやって来た旅人も、橋の向こうに凱旋門が聳えるこの同じ光景を目にしていたのです。

  • 橋を渡り凱旋門を潜れば、もう城壁がすぐそこです。<br />このそびえ立つ凱旋門を見て、アウグストゥスとローマ帝国の偉大さを改めて実感したのではないでしょうか。今見てもすごいなぁ、と思うくらいですから。

    橋を渡り凱旋門を潜れば、もう城壁がすぐそこです。
    このそびえ立つ凱旋門を見て、アウグストゥスとローマ帝国の偉大さを改めて実感したのではないでしょうか。今見てもすごいなぁ、と思うくらいですから。

    アウグストゥス帝の凱旋門 史跡・遺跡

  • プレトリア門の手前を北に入ると中世に建てられたサン・トルソ教会があります。

    プレトリア門の手前を北に入ると中世に建てられたサン・トルソ教会があります。

    サントルソ教会と鐘楼 寺院・教会

  • サン・トルソ教会付属の修道院には黒い柱とアーチが連なる回廊が巡ります。<br />先ほどの小学生らしい一団が、ここで長々と説明を聞いていました。キリスト教徒にとってはこういう宗教施設や聖人の話はものすごく重要なんでしょうね。<br />でも真面目に聞いていない子がいるのはどこも同じ。

    サン・トルソ教会付属の修道院には黒い柱とアーチが連なる回廊が巡ります。
    先ほどの小学生らしい一団が、ここで長々と説明を聞いていました。キリスト教徒にとってはこういう宗教施設や聖人の話はものすごく重要なんでしょうね。
    でも真面目に聞いていない子がいるのはどこも同じ。

    サントルソ教会と鐘楼 寺院・教会

  • 柱の上のアーチを支える部分が人や動物の姿になっています。<br />こういうのは古代からありますが、なんかピンとこなくてグロテスクに感じてしまうんですよね。

    柱の上のアーチを支える部分が人や動物の姿になっています。
    こういうのは古代からありますが、なんかピンとこなくてグロテスクに感じてしまうんですよね。

    サントルソ教会と鐘楼 寺院・教会

  • 教会の前から北に細くて曲がった道が続いているので行ってみます。<br />振り返ってみると、鐘楼が雪を被った山を背に堂々と聳える姿が見えました。

    教会の前から北に細くて曲がった道が続いているので行ってみます。
    振り返ってみると、鐘楼が雪を被った山を背に堂々と聳える姿が見えました。

    サントルソ教会と鐘楼 寺院・教会

  • 道なりに進むと頑丈そうな塔があります。そばに行ってみると楽器の音が聞こえてきました。<br />城壁沿いにあった古代ローマ時代の見張り塔がいくつか残されていますが、これは北東の角にあるTorre dei Baliviです。<br />城壁を取り込んで要塞のようになっています。古代ローマの建築技術はとても優れていて建物が頑丈なためよく再利用されます。Wikipediaの英語のページには、サヴォイ伯爵が所有していた時代に「Balivi」の本部に使われた、という説明がありますが、「Balivi」というイタリア語を辞書で調べると「執行官」「廷吏」と書いてあります。裁判所関係の人みたいですがよくわかりません。<br />その後刑務所にも使われたようですが、今はアオスタ音楽研究所とのこと。通りで楽器の音が聞こえてきたわけです。

    道なりに進むと頑丈そうな塔があります。そばに行ってみると楽器の音が聞こえてきました。
    城壁沿いにあった古代ローマ時代の見張り塔がいくつか残されていますが、これは北東の角にあるTorre dei Baliviです。
    城壁を取り込んで要塞のようになっています。古代ローマの建築技術はとても優れていて建物が頑丈なためよく再利用されます。Wikipediaの英語のページには、サヴォイ伯爵が所有していた時代に「Balivi」の本部に使われた、という説明がありますが、「Balivi」というイタリア語を辞書で調べると「執行官」「廷吏」と書いてあります。裁判所関係の人みたいですがよくわかりません。
    その後刑務所にも使われたようですが、今はアオスタ音楽研究所とのこと。通りで楽器の音が聞こえてきたわけです。

  • ちょうどこの南側にあるローマ劇場に行こうと次の通りで左折して、南下しながら入口を探しますがよくわかりません。わからないままメインストリートに出てしまったのでプレトリア門まで来たら、そこがローマ劇場の入口でした。<br />クリプトポルティコ、サン・ロレンツォ聖堂、考古学博物館との共通券が7ユーロです。<br />説明板の前で先にやってきた小学生の集団が説明を聞いています。

    ちょうどこの南側にあるローマ劇場に行こうと次の通りで左折して、南下しながら入口を探しますがよくわかりません。わからないままメインストリートに出てしまったのでプレトリア門まで来たら、そこがローマ劇場の入口でした。
    クリプトポルティコ、サン・ロレンツォ聖堂、考古学博物館との共通券が7ユーロです。
    説明板の前で先にやってきた小学生の集団が説明を聞いています。

    ロマーノ劇場 (アオスタ) 史跡・遺跡

  • 壁だけそびえ立っている不思議な光景です。<br />近くで見るとかなりの高さです。22m、マンションなら7階建てほどです。

    壁だけそびえ立っている不思議な光景です。
    近くで見るとかなりの高さです。22m、マンションなら7階建てほどです。

    ロマーノ劇場 (アオスタ) 史跡・遺跡

  • 以前訪れたオランジュの古代ローマ劇場にも立派な壁がありました。それは舞台の背景となるファサードで、観客席に座ると正面にそびえ立つように見えます。<br />アオスタの壁もこれと同じものだと思い込んでいました。<br />ところが現地で見てみたら、この壁はアーチ型の観客席の背後に建っています。<br />いったいどういうこと?

    以前訪れたオランジュの古代ローマ劇場にも立派な壁がありました。それは舞台の背景となるファサードで、観客席に座ると正面にそびえ立つように見えます。
    アオスタの壁もこれと同じものだと思い込んでいました。
    ところが現地で見てみたら、この壁はアーチ型の観客席の背後に建っています。
    いったいどういうこと?

    ロマーノ劇場 (アオスタ) 史跡・遺跡

  • 説明板の復元図で謎が解けました。<br />もともとこのローマ劇場は四方を壁で囲われていて外観が四角形だったのです。そして今残っているのは観客席背後の壁。<br />首都ローマのマルケッルス劇場を始め、今までに見た劇場はどれも観客席の背後が円形なので、そういうものだと思い込んでいました。あらためて見るとオランジュのファサードみたいな厚みのある建造物ではなく、文字通り薄い「壁」です。

    説明板の復元図で謎が解けました。
    もともとこのローマ劇場は四方を壁で囲われていて外観が四角形だったのです。そして今残っているのは観客席背後の壁。
    首都ローマのマルケッルス劇場を始め、今までに見た劇場はどれも観客席の背後が円形なので、そういうものだと思い込んでいました。あらためて見るとオランジュのファサードみたいな厚みのある建造物ではなく、文字通り薄い「壁」です。

    ロマーノ劇場 (アオスタ) 史跡・遺跡

  • ローマ劇場を出てメインストリートを市庁舎まで戻ってきました。

    ローマ劇場を出てメインストリートを市庁舎まで戻ってきました。

  • そして市庁舎の北西にあるアオスタ大聖堂に向かいます。<br />市庁舎の西側を通って裏手に出ると、そこには学校がありました。<br />こういう観光スポットが点在する中に学校という日常のものがあると、なぜか意外な気がしてしまいます。人が生活しているのだから当たり前なのですが。

    そして市庁舎の北西にあるアオスタ大聖堂に向かいます。
    市庁舎の西側を通って裏手に出ると、そこには学校がありました。
    こういう観光スポットが点在する中に学校という日常のものがあると、なぜか意外な気がしてしまいます。人が生活しているのだから当たり前なのですが。

  • 学校の北側の道を西に向かい、鐘楼を見上げながらその横を通ってアオスタ大聖堂の正面に出ます。

    学校の北側の道を西に向かい、鐘楼を見上げながらその横を通ってアオスタ大聖堂の正面に出ます。

    アオスタ大聖堂 寺院・教会

  • 正面は真っ白。<br />ここでも小学生の集団に会いました。一人遅れて熱心に写真を撮っている男の子がいました。

    正面は真っ白。
    ここでも小学生の集団に会いました。一人遅れて熱心に写真を撮っている男の子がいました。

    アオスタ大聖堂 寺院・教会

  • 入口の周囲は絵や彫刻がカラフルで、白い壁に映えます。

    入口の周囲は絵や彫刻がカラフルで、白い壁に映えます。

    アオスタ大聖堂 寺院・教会

  • 実はこのあたりが古代のフォロで、地下に遺跡が隠れています。<br />フォロというのは、古代ローマの都市の中心にあった広場のこと。<br />地下に埋もれた建造物の一部が発掘、公開されていて、クリプトポルティコと呼ばれています。<br />大聖堂の北側の掘り込まれた地下一階に当たるところが入口で、先程ローマ劇場で買った共通券で入場できます。

    実はこのあたりが古代のフォロで、地下に遺跡が隠れています。
    フォロというのは、古代ローマの都市の中心にあった広場のこと。
    地下に埋もれた建造物の一部が発掘、公開されていて、クリプトポルティコと呼ばれています。
    大聖堂の北側の掘り込まれた地下一階に当たるところが入口で、先程ローマ劇場で買った共通券で入場できます。

  • 入口を入るとすぐ階段で更に下ります。ということは、今の地面より6mくらい下になります。<br />そして中はアーチに支えられたトンネルのようになっています。<br />もちろんかつては地上にあったもので、フォロの広場の周囲を取り囲む回廊と思われます。<br />北側と西側が修復されていて、中を歩くことができますが、このトンネルのような姿から当時の姿を思い起こすのは難しいですね。<br /><br />これでアオスタ市内の古代ローマ遺跡を見終わったので、午後はアオスタ・バレーの古代ローマ遺跡を見に行きます。

    入口を入るとすぐ階段で更に下ります。ということは、今の地面より6mくらい下になります。
    そして中はアーチに支えられたトンネルのようになっています。
    もちろんかつては地上にあったもので、フォロの広場の周囲を取り囲む回廊と思われます。
    北側と西側が修復されていて、中を歩くことができますが、このトンネルのような姿から当時の姿を思い起こすのは難しいですね。

    これでアオスタ市内の古代ローマ遺跡を見終わったので、午後はアオスタ・バレーの古代ローマ遺跡を見に行きます。

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