2018/12/26 - 2019/01/04
7239位(同エリア24256件中)
唐辛子婆さん
平成最後の年末年始旅行は
約40年前の7年半を過ごした昔懐かしいバンコクへ。
空港近くのゴルフ場つきホテルで4泊した後、エアポートリンクの終点パヤタイ駅近くのホテルに移った私たち。午後は40年前に暮らしていたスクムビット通りのソイ・トンローへ出かけてみました。
★Thailand ノスタルジックバンコク(1/14) 14編の目次
https://4travel.jp/travelogue/11456576
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 タクシー 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- ブッキングドットコム
-
BTSパヤタイ駅からウドムスック行きに乗ります。
-
バンコクのホームドアは面白いのお。
-
トンロー駅下車。
スクムビット通りソイ・トンローのパクソイ(ソイの入り口)です。
ソイは通りに対してわき道の小路のことですけど
トンローは小路と呼ぶには大きすぎ・・・。
この金行の場所には花屋さんがあってその奥は市場でした。
バンコクに暮らし始めた頃はまだ唐辛子婆も若くてのう。(30代前半)
市場で太くて硬そうなブロッコリ茎を、切り落としてちょうだいと
覚えたてのタイ語で頼んだらば「なんてこというんだっ!」
と売り場のおっちゃんに目をむいて叱られた。
「こうやって皮をむいて縦にザクザク切ってちゃっちゃっちゃと炒めてごらん、おいし~んだから!ここ(花の部分)よりもう~~んとおいしいよ!」
行くとみんながなにかと教えてくれる。
そうやってタイ独特の食材もどんどん食べられるやうになって。
当時はアソークにももっと大きい市場があって時々はそちらに買い出しにも行きましたけど、トンローの市場にしかないものもあって。マコモダケの季節、ヨーマプラオ(椰子のてっぺんの新芽)の季節と、一年中暑いだけかと思っていた熱帯にも野菜や果物のシーズンがあるのを覚えて。
そうそう、初めてのクーデターを知ったのもこの市場でした。
どの売り場のラジオからも同じ音楽が流れてきたので
おや?おかしいないつもこうだったかしら?う~んやっぱり変じゃないかな?ひょっとしてクーデターかな?まさか!このおだやかな微笑みの国でクーデター?でも、放送局を占拠したほうが勝ちだというではないか?
こりゃ大変かも。大急ぎでアパートに戻って大家さんに告げたらば
「あ、そう?じゃー外に出ないほうがいいよね。」
えっ?それだけ?
食料やお水買い貯めに走らなくていいの?
最近のクーデターは結構危ないみたいですけど、当時はクーデターったって「王宮を背にした方が勝ち。」(王様に大砲や鉄砲を打つことができないから)というのんびりしたもので、ある程度の騒ぎや緊張のあと王様が双方の仲直りに乗りだしてオシマイ、だったんでした。 -
花屋さんはなくなっちゃったけど、お供え物の花輪は売ってる。
なごむなあ。
別の編にも書きましたがその花屋さんは自動車の教習所も兼ねていました。
その気ちがいじみた(!)教習のありさまはこちらをご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/10065759 -
金行の反対側はマンゴー屋さん。
昔はマンゴーの季節になると果物屋さんはもちろんなことほかの業種の人たちもいっせいに店先にテーブルを出して山積みのマンゴーを売っていたものです。本屋さんも生地屋さんもみんなみんな。
そしてさういった臨時のお店の店番をしているのはそのお店のおばあちゃん達。ほんとうにバンコクの女性たちは働き者でした。
当時から「既婚女性の99.9%は働いている。」と言われていたものです。
日本人男性と結婚した友人(タイ人)によると
「大学時代の友人に専業主婦してるというと馬鹿にされる。大学出てなんでアヤさん(メイド)してるの?って。」
そ・それもなんだかなあ。だって家事が好きで家にいるっていう人もいるでしょうに。どうしてタイの女性は全員が働くようになったのかしら?
「それはね、タイの男が浮気性だからよ。どんな男も浮気するの。そして社会がそれを許してるのよ。奥さんの親戚でさえも、男だからしょうがないわねえ、で終わり。」
ふうむ。
この説はほかの人からも聞いたことがあり。多分正しい。
首相も、元大使も、知り合いのドクターも、会社員も運転手も・・・。
「だから女は自分と子供の食い扶持は自分で稼がなくちゃ安心できないの。」それで女性がしっかりして銀行の支店長とか会社の課長とかにもバンバン進出してたんだ!今から40年前に。 -
外食産業の充実も女性の社会進出を助けたんでせうね。
朝昼晩全部の食事を買って食べても後ろ指をさされない生活・・・。
40年前に比べたら天秤棒かついだ食べ物屋は圧倒的に減っていましたけど
それでも街にはおいしさうなものがいっぱいあふれてる。
白いのはココナツミルクをかためたお菓子。
黄色いのは卵の黄身にお砂糖をしこたま混ぜてつくるお菓子。 -
ソイ・トンローは「恋人たちの鎖」が咲く静かな住宅地だったんですけど
-
あらまあ、温野菜に牛角に、大戸屋に
-
お寿司にお刺身に牡蠣に
-
アサヒビールのレトロなポスターまで
-
えっ忍者ハットリ?
-
ほんとうにリトル・トーキョーですね。
単身赴任の方々も日本と同じ食生活が送れる。
キモノ姿のタイ女性たちもきっと和食屋さんのおねいさん達でせうね。 -
私たちもお腹がすいたので北タイのレストランに入ってみました。
-
本格的な北タイ料理店のやうです。
-
お洒落なカンジ。
-
いろいろな食材の絵が飾ってあって
-
唐辛子爺は濃厚なお蕎麦
-
唐辛子婆はハーブで和えた挽肉をいろんな野菜と一緒にいただくプレートをチョイス。
北タイ料理はバンコクほど甘くなくてとてもヘルシーだと思います。
特にハーブ入りのソーセージは脂分が少なくておいしく
日本でも入手できないかなあといつも思っています。 -
左の葉っぱはミエンだと今はわかりますけど、真ん中のとお隣のはわからない。独特の香りがしておいしかったです。タイ人てほんとうにどんな植物でも「まずは食べてみる」という姿勢です。
-
さて、私たちはソイの一番奥のアパートに住んでいたのでそこまで歩いてみませう。そうそう途中にモスクがあった。
-
左側のへんてこりんな建物は前からあったやうな。
突き当りに運河があり、橋はかかっていませんでした。
運河のむこう側に国王の御典医のお宅があったので道路を通すことができなかったのです。橋がかかっているからには御典医は亡くなったのでせうね。 -
ああ、ここここ。
この小さなアパートが私たちの棲家でした。
マンションの建設ラッシュにも耐えてよくぞ生き残ってくれてたものだ! -
沢山の高層マンションが建ったので今はもう日本人は住んでないでしょうけど、ここは当時日本の商社などの人たちのほかにフィンランドの宣教師一家、ブルガリアだかハンガリーだかの大使館員、国連職員のミャンマー人、リビア人の男性3人などが住んでいました。リビアはアフリカの狂犬カダフィの時代だったので武器でも扱ってるんじゃないだろうなと恐る恐る聞いてみたら、なんと離乳食の会社ですと!
ミャンマー人がよくお赤飯つくったからと持ってきてくれて、それが日本のとそっくりで削ったココナツを乗せるのだけが違ってました。彼らがミャンマーに里帰りするときに一緒に遊びに行くことになり、航空券を手配する直前にヤンゴンでクーデターが起こったので行けなくなってしまひました。 -
小さいけどきれいなプールがあり水泳教室が開かれていて
ものすんごく厳しいタイ人の先生が子供たちをしごいていて
毎週プールサイドのママたちは最後の競泳の時間に手に汗を握ったものです。 -
ロイカトンの前にはみんなで一緒にカトンを作って
-
プールに浮かべて花火をして。
今はBTSで席を譲ってくれる時もにこりともしない人が増えているみたいですけど当時はもっと、誰でも会えばにっこりの国。ほんとうにタイは「微笑みの国」でした。
バンコク暮らしの長かったフィンランド人のお友達はす~っかりその微笑みが板についてしまっていたので一時帰国の健康診断の際、ドクターに「ついにっこりしてしまった。」
そうしたら「えっ?ど・どうしたんだろ?自分の顔に何かついてるのかな?」という顔をされてしまったんですって。
「フィンランド人は意味もないのににっこりしないものなのよ。」 -
この大きな木は残ってくれてる!
アパートの北側はこんなふうなコンクリ敷きではなくて
鬱蒼とした木の茂る緑の原っぱでした。
キッチンの窓から見える緑豊かな景色に癒される毎日。
子供をインターナショナルな環境で育てる必要があったことと
緑豊かな景色がこの小さなアパートを選んだ理由でした。
ある時、旅のお坊さんが二人やってきてこの原っぱで野宿をすることになりました。大きな傘の柄を地面に突き刺しオレンジ色の幕を広げた傘の上にかぶせてテントを作り草の上にゴザを敷いて寝床とします。近所の人たちがどこからともなくやってきて、ドラム缶2個を設置。それにバケツを抱えて何度も何度も往復してドラム缶を水で満たして。それが彼らのお風呂です。
いったいどうやってお風呂に入るのかと興味津々で眺めていたら僧衣のまま何度も何度も柄杓で水浴びをして石鹸を塗りたくってまた水浴びをして最後に新しい僧衣を上から被って濡れた僧衣をするりと脱いで、ついでに洗濯して木の枝に干して。
彼らの野宿生活は1か月ほどだったやうな。
ある時ふいにいらっしゃらなくなっちゃいました。
そうそう、お坊様のテントはこちらの旅行記をご覧ください。
Thailand 古き良きおもひで (11/11)
バンコクの清廉 チャムロン知事(当時)を訪ねて
https://4travel.jp/travelogue/10046164 -
ひとしきり昔の思い出にひたって満足した私たちは
ソイ・トンローのわき道からサミティベート病院への道を歩いてみました。 -
本物すし?
-
バリ島みたいに道端にお供え。
-
到着です。
この病院には本当にお世話になりましたよ。
娘がお腹壊して入院した時も、プロジェクトのメンバーが交通事故で入院した時も。 -
娘は「もうおかゆ食べてもいいですよ。」と言ってくれたドクターに全幅の信頼を寄せていてその後もドクターに会いに行くのが大好きでした。
-
ほえ~~!
銀行もレストランもスタバもアジアブックスもケーキ屋さんもあって便利そう!
昔は食堂も簡素な作りでしたけどドクターも患者も家族もそこでおいしいお食事を選ぶことができて日本よりよほど進んでるなと感じたものです。(当時の日本の病院食はお仕着せでまずかったので。)病室を出られない患者には食堂のメニューから選んで持ってきてもらうことができました。 -
さて、帰りにBTSアソーク駅のターミナル21というショッピングモールに寄ってみました。ここで腕時計の電池交換を頼みましたら
-
「スイス、日本、タイのどの電池がいいか?」と聞かれました。
テキパキしたお兄ちゃんでした。 -
ここで
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ビールとタムルン(ヤサイカラスウリ)の炒め物と
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ソーセージ
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チキンをおいしくいただいて
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広い食品売り場をみてまわる。
-
お腹いっぱいなのに牛肉のあぶり肉おいしさう。
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ココナツキャラメルもおいしさう。
お菓子の種類もとっても豊富なのでお土産はここに買いに来ることにいたしませう。
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この旅行記へのコメント (3)
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- 唐辛子婆さん 2019/02/19 00:17:38
- かつて住んでいた町
- ElliEさん
いらっしゃいまし~♪
懐かしさはひとしおなんですけど
1歳の娘を連れての7年半なのでゆっくりとした観光はできてなかったことに
今さらながら気がつきました。
ココロ惹かれるものは多々あるのにもかかわらず。
唐辛子婆
-
- ElliEさん 2019/02/18 16:10:32
- かつて住んでいた町
- 唐辛子婆さん、こんにちは~。
かつて住んでいた町を訪れて思い出旅をしてきたんですね。
色んなことが思い出されるでしょうね。
元住んでいたアパートがまだ残っているなんて感激~。
ここに何があって、ここで何をして、なんて話も弾んだことでしょう。
バンクーバーにも元駐在員の方たちが遊びにいらっしゃいますが、皆さん、自分の住んでいた家とご近所が一番行きたいところとおっしゃいます。
変わりように驚いたり、まだ残ってる~!と喜んだり。
メジャーな観光地でなくこういうところを訪ねる旅。
私も唐辛子婆さんにくっついて行って、思い出話をお聞きしたいわ~。
- 唐辛子婆さん からの返信 2019/02/19 00:18:45
- Re: かつて住んでいた町
- ElliEさん
いらっしゃいまし~♪
懐かしさはひとしおなんですけど
1歳の娘を連れての7年半なのでゆっくりとした観光はできてなかったことに
今さらながら気がつきました。
ココロ惹かれるものは多々あるのにもかかわらず。
唐辛子婆
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