2018/10/07 - 2018/10/07
233位(同エリア1252件中)
kojikojiさん
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今回のトラピックスのツアーは深夜便でマレーシアについてそのまま観光がスタートし、実質4日間の観光の最終日はマラッカの観光でした。マラッカは前回の旅行で3日間かけてじっくり観光したので、正直あまり来たいとは思いませんでした。朝から離団してクアラルンプール市内をじっくりとも思いましたが、お土産物屋さんをパスすることは出来ないだろうと思い、予定通り参加しました。ただ夕方5時に一度ホテルに戻った後にクアラルンプール市内へ出ようと思っていたのが、マラッカから戻る途中に市内で降ろしてもらえることになったので、予定より2時間は自由時間が増えたので良しとします。この日も午前8時にホテルを出発して2時間ほどかけてマラッカに向かいます。なつかしさに浸る間もなくジョンカーストリートからハーモニー通りに入り、仏教からイスラム教、ヒンドゥー教の寺院を周ってオランダ広場に向かいます。以上で旧市街の観光は終わりです。広場で記念写真を撮った後はセントポール教会を見て砦側に降りるとマラッカ観光は終わりでした。自由時間も全くありません。ツアーの方からはお土産も買えないし…、と不満の声も聞こえてきます。マラッカタワー近くの市民公園からバスに乗ってまずはお土産物屋さんに立ち寄ります。ナマコ石鹸はここでしか買えませんが、前に買った石鹸がバティックに包まれたまま残っているので買うことはありません。売っているバティックのシャツも、柄がジョグジャカルタのスルタンの柄だったり、インドネシアの製品が多かったです。正直ここでは時間をもてあましました。皆さんの買い物が終わって、至近距離のレストランでニョニャ料理のランチです。早いものでツアーの皆さんと食事をするのもこれが最後です。そしてマラッカの観光も終わりました。最後に旧市街で1時間くらい自由行動があっても良いのではないかと思いました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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マレーシアの観光もこの日が最後です。旅行中は毎日午前8時に出発でした。
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ドーセットのモーニングコールはちゃんと係の人が電話してくれました。自動だと思って受話器を取ってそのまま置いたら、もう1度電話をしてくれました。
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綺麗なロビーのホテルです。コンシェルジュカウンターも別にあって、タクシーカードをもらったり、絵葉書を出してもらったり。おじさんたちはマレーシアの伝統的な衣装を着ていてかっこいいです。背中にクリス(短剣)は刺していないですが。
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フロント奥の階段を降りると大きなレストランがあり、ここで朝食をいただきます。
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スイーツもたくさんありますが、和洋中の料理がたくさん並んでいます。このホテルの朝食はすごいです。
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マレーシアで一番気に入ったセルフのヌードルバーで、ここでは3種類の麺を選べました。
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体も疲れているのでお粥が胃腸に優しいです。
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米の麺のヌードルをいただきます。
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このホテルのディムサムは美味しかったです。日替わりでしたがこの蟹シュウマイは絶品でした。
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ジュースは種類が多く、マンゴーとグアバが美味しかったです。
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甘酸っぱい「酸梅粉」は日本に帰ったら探してみましょう。多分中国街のスーパーで売っていそうです。
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1階のカフェのデザインもしゃれていました。
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部屋からは近くにあるイオンの看板と「サンウェイピラミッドショッピングセンター」が見えました。
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ピラミッドとスフィンクスのようなライオンまで見えました。歩いて行くには遠そうですが行く時間も無さそうです。
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そろそろ出発です。トラピックスやクラツーのツアーは平均年齢が高く、出発の30分くらい前からロビーで待っている方が多いのですが、今回のツアーでは10分前でも誰もいないことが多かったです。
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クアラルンプールを出るときは天気が良くなかったのですが、徐々に晴れてきてマラッカの観光には問題ありませんでした。
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マラッカまで約120キロなので、高速道路を使っても2時間くらいの移動になります。
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途中1回トイレ休憩がありました。同じタイミングでトラピックスの他のツアーもトイレ休憩でした。そのツアーのガイドさんが60年前のメルセデスと教えてくれたので前日のトラックの正体がここで分かりました。
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何度か見たのでマレーシアにはまだたくさん入っているのでしょう。
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トイレのノーティス看板が面白かったので写真に撮りました。漢字と英語は分かりますが他は…。
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フードコートも併設されていました。ハエなども飛んでいなく清潔な感じがします。
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食事なんてしている時間はありませんよ。
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フルーツ屋さんがあったので覗いていると同じツアーの方でいっぱいになりました。
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1キロ12リンギットのロンコンを買いました。するとみなさんも買い出して大賑わいになりました。前の日にペナンからの帰りのサービスエリアで見た物より美味しかったです。
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料金所を出てマラッカ市内に入ると懐かしい風景が広がります。マラッカのモスクはドーム屋根ではなく、こんな形の屋根がポピュラーです。
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マラッカ川の遊覧ボートが見えました。本当は往復で乗るのですが町中から少し離れたマジェスティックホテルに帰るのにタクシー代わりに片道で乗ったこともありました。
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相変わらず壊れたままのモノレールが残されています。
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馬先生のジムの前でバスを降ります。以前にもまして金色に輝いているようです。ちなみにビジターでもジムは利用出来て4リンギットくらいだそうです。
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目的はここでは無くて横にあるジョンカーストリートです。このゲートも何度潜ったことか。
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シュールな郵便ポスト。
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ジョンカーストリートからすぐにトコン通りに入ります。
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古いパン屋さんの店先では焼きたてのお菓子が並んでいますが、買うことも出来ません。
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香ばしい香りだけを楽しみます。
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こちらはココナッツの実を剥いているおじさん。
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冷たい清涼飲料を売る屋台は昔ながらの姿です。王老吉(ワンラオジー)とか白梅花とか知った名前が並んでいます。
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1645年建立のマレーシアで最古の中国寺院と言われている「青雲亭(チェン・フン・テン寺院)」です。明の武将で海軍提督の鄭和の功績を讃えて建立されています。鄭和は雲南省の昆明の郊外の出身のイスラム教徒で永楽帝に宦官として仕えていました。
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永楽帝の絶大な信頼を得て1405年から7回にわたり大艦隊を率いて南海遠征を行い、8000トンクラスの大船62隻、乗組員2万7800名余りの大船団だったそうです。この遠征の目的は朝貢貿易の促進であり、大船団を目の当たりにした国々は朝貢貿易を受け入れるしかなかったそうです。
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遠征は東南アジアからインド洋からペルシア湾から最終的にはアフリカ東岸にまで及んだと昔のNHKの番組で見た覚えがあります。昆明湖のほとりのホテルに3日ほど滞在したことがありますが、この湖の先で鄭和が生まれたのかと思ったことがあります。
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「青雲亭」の建物は中国南部の建築様式で風水の原則に従って配置されています。屋根には陶器で出来た繊細で美しい装飾が施されていますが、作り方はペナンの旅行記で紹介したのと同じです。「剪粘」と呼ばれるいろいろな釉薬の掛かった陶器を割って、花鳥や動物や人間の形に組み上げる技術です。
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ちょうど塗装屋さんが修理をしていましたが、陶器の補修は出来ないようです。
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まるで京劇を観ているようなリアルな動きです。屋根瓦はベトナムのホイアンの陰陽瓦と同じです。
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本堂内部は漆塗りで調度品も含め絢爛豪華で、建材はすべて中国から運ばれたものだそうです。本尊は観音菩薩ですが航海や漁業の守り神「媽祖」も祀られています。
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「媽祖(マズー)」は宋代に実在した官吏の娘で,黙娘が神となったものであるとされています。黙娘は幼少の頃から才気煥発で信仰心も篤かったのが、16歳の頃に神通力を得て村人の病を治すなどの奇跡を起こし「通賢霊女」と呼ばれ崇められます。しかし28歳の時に父が海難に遭い行方知れずとなると、これに悲嘆した黙娘は旅立ち、その後峨嵋山の山頂で仙人に誘われ神となったという伝承が伝わっています。 峨眉山の山頂では杜子春のことを思い出しましたが、媽祖のことは忘れてました。
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マカオには媽祖を祀った大きな廟がありますし、ペナン島にも媽祖を祀った天后宮がありました。媽祖と書かれた提灯はマラッカの伝統的なものですがもう作れるおじいさんが1人いたくらいだと思います。以前から気になっていた一対の長い棒は風水上の「気」を通すものだそうです。町中にある「青雲亭」は風が通らないのでそれを是正するためだとガイドさんから教えてもらいました。
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しばらくお参りをします。立派な扁額が並んでいます。
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線香とセットになった紙銭や護符が供えてあります。
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どれだけの人の祈りが線香の煙と共に立ち上っているのでしょう。
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蓮の花の灯明もたくさん並んでいます。
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一心にお祈りを捧げる女性の姿がありました。
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本尊は観音菩薩です。
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こちらは三国志で有名な関羽で商売繁盛の神様です。向かって左には趙雲、そして右には劉備玄徳の姿もありますが諸葛孔明の姿はありません。
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こちらには媽祖が祀ってあります。儒教や道教や仏教が混在した不思議な空間です。
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こちらは台北の竜安寺でも有名なおみくじです。残念ながらやってみる時間はありません。
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マレーシアで初めて見たカレンダーで今日が日曜日だったと実感します。
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木製の腕輪を記念に買いました。ひとつ11リンギットだったので2人分お願いしました。おばさんが腕を見て嵌めてくれるのですが妻は泣き叫んでいます。おばちゃん小さすぎるよ。
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いつ買ったのか眼鏡に装着できるサングラスのレンズ。
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古い店の看板の色遣いが何とも言えません。ベトナムのホイアンでも見かける八卦を描いたプレートがありました。20年前にベトナムを縦断した時にホイアンのアンティーク店のおじいさんに同じものを頂いたのですが、2年前に再訪したら亡くなっていました。魔よけのプレートなので家に飾ってあります。
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なるほど風水を考慮して風が通り抜けるようにしているという説明に納得です。
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次は同じトゥカン・エマス通りに並ぶ1748年創建のマレーシア最古の「カンポン・クリン・モスク」の見学です。この通りは中国仏教(道教と儒教)、イスラム教、ヒンドゥー教の異なる宗教の寺院が隣接しているため、「ハーモニー通り」と呼ばれています。建築デザインはスマトラや中国、マラッカ・マレーの要素が混在しています。
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通常のイスラム寺院のモスクはドーム型の屋根を持っていますが、このモスクはスマトラ様式の三角屋根で、木造3層で緑色の瓦葺というのが特徴です。ミナレットはパゴダ(仏塔)風で、日が暮れるとライトアップされてきれいです。
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こんな仏塔の形をしたミナレットはここだけではないでしょうか。マレーシアを旅していてもアザーンの声を聴いたことはありませんでした。以前北キプロスのギルネでホテルに泊まったら部屋の横にミナレットとスピーカーがあり、早朝に叩き起こされたことがあります。その日の午前中に港のそばのホテルに宿替えしたことがあります。
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ポルトガル風のタイルがきれいでした。マラッカの町外れにはポルトガル・スクエアというポルトガル人の末裔が住んでいるエリアがあります。そこの海沿いのホーカーでカニとエビを食べまくったことを思い出しました。来年あたり妻を連れてポルトガルをもう一度旅してみようかと思っています。ポルトガルもシーフード美味しいですからね。
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ビクトリア調のシャンデリアと中国やマレー式の装飾の要素も随所に見られます。
衝立の色ガラスの淡い色が何とも言えません。1868年に通りからモスクとミナレットを守るために壁で囲まれたそうです。礼拝堂はイスラム教徒しか入れないのが残念です。 -
コリント式の円柱が不思議な雰囲気を醸し出しています。
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中庭には涼しげな池があり、水盤から水がしたたり落ちています。表通りから少し入っただけですが、ゆったりした時間が流れているようです。
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「青雲亭」の瓦とも違う形と施工方法なのが分かります。何とも不思議なデザインです。
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庭にはアップルマンゴーが沢山生っていました。
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イスラム教徒のお墓は一対にしてメッカの方角に向けて建てるそうです。
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これは支柱に牛をつないでお祈りしてから尖鋭な刃物を用いて頸動脈を素早く切断し屠畜する場所です。宗教上の考えで動物にとっての最小限の苦痛しか与えないようにするそうです。牛はその年にお金を稼いだ人(複数人の場合も)が他の人にふるまうという習慣があるそうです。
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分かり易い女性用のトイレのピクトがありました。
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ハーモニー通りの更に先には1781年創建のマレーシア最古のヒンドゥー寺院である「スリ・ポヤタ・ヴィナヤガ・ムーティ寺院」があります。1781年にカピタンによって寄付された土地に建てられました。マラッカにおけるカピタンという地位はポルトガルによって作られた地方自治体の行政長官のことです。この寺院はヴィナヤガ神(ガネーシャ)に奉納されたもので、願いや目標を達成できるよう障害を取り去る知恵と能力があると崇められています。
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寺院の奥の部屋にヴィナヤガ神の彫像があり、脇の祭壇にはヴィナヤガ神の父、母、弟のムルガ神が奉納されていると説明がありましたが、ガネーシャはシヴァとパールヴァティーの間に生まれた長男ですが、その像がシヴァかどうかは中を見学してないので分かりません。興味深い注目点としては、この寺院の建物にはオランダの影響も見られるそうです。そう言われると寺院の入口などはアムステルダム辺りの運河に面した建物のファサードのパネル壁みたいにもい見えます。上に滑車やフックがあれば間違いないのですが。
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馬蹄型のアーチの中にはハヌマーンの姿もありました。ハヌマーンがラーマの弟のラクシュマナのため薬草のある山を手に持って届ける場面のようです。
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寺院の壁に等間隔で置かれたナンディ(聖牛)たちにはどんな意味があるのでしょう。
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この通りはまだ風情が残っています。俗っぽくなり過ぎたジョンカーストリートよりは良いですが、今回は入り口と最後だけで自由時間も無いので買い物もできません。
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ヒンドゥー寺院の青い壁の前には弁柄色のゲストハウスです。弁柄色とハイビスカスのピンクがマッチしています。
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こちらのゲストハウスは同じペンキで塗ったのでしょうか。
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漢字は右から左に、アルファベットは左から右に、両方読むとなるほどな。日本人だったら音読みで通じそうです。
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「古城鶏飯粒」はファサードもお店の内装も美しいマラッカ名物チキン・ライス・ボールのお店です。一番有名な橋のたもとの中華茶室の「海南鶏飯」は昼過ぎには売り切れて店が閉まってしまうので、この店で食べたことがあります。実はマラッカの町中で晩御飯を食べるのは非常に大変で、午後5時を過ぎるとほとんどの店が閉まってしまいます。
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参考までにこの店のチキンライスは美味しいチキンと。
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ライスボールは別皿で数を決めて注文します。
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ツアーはどんどん先に進んでしまうので、カラフルな街並みを写真で切り取るくらいしか出来ません。100%店に立ち寄ることなどできません。
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面白そうな看板を探してジャランジャランを続けます。
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腰パネルのプラナカン風のタイルだったり。今回の旅ではプラナカン文化に触れることは皆無でした。
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この家の主は車と家を同じ色にしたのでしょうか…。よっぽど黄緑色が好きなんでしょうね。
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ファサードの前の天井の四角い切込みは2階の床が取り外せるようになっています。
誰かが来た時にいちいち下の階まで降りて玄関に出なくても良い覗き穴です。 -
有名な「中華茶室海南鶏飯」も気のせいか空いているようです。
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マラッカ川の手前のロータリーの飾りは毎年変わっているようです。
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マラッカ川を渡るとオランダ広場が広がります。
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またマラッカに戻ってくるとは思いませんでした。前回の3日間の滞在でもう十分だと思っていましたから。
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川沿いには檳榔椰子の木がありました。
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そしてマラッカ川が見渡せます。
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しばらくオランダ広場で写真タイムになりました。日曜日だったからかムラカ・キリスト教会の見学もなく。
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植え込みにはジャスミンの花が咲いています。
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オランダ統治時代は白く塗られていた建物はイギリス統治時代にピンク色に塗り替えられ現在に至ります。英ヴィクトリア女王の没後に女王を偲ぶマラッカ市民により建造された噴水は今も涼しげに水を噴出しています。
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以前は無かったアイラブ・マラッカのモニュメントです。
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マラッカのトライショーは健在でした。
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人気者はキティちゃんとピカチューでした。
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スタダイスへ上がる階段で妻の被る帽子が古いポルトガルの兜のように見えました。
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4年前は工事中で見ることが出来なかった「スタダイス」ですが、今回はツアーなので見学することは出来ません。ここだけはちょっと残念でした。
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マラッカの地名の由来についての物語があります。スマトラ島のシュリーヴィジャヤ王国の王子パラメスワラがこの地に来て王国建国しようと考えます。その時にこの木の下で休息しました。王子は「この街の名前は何というのですか?」と先住民に聞いたそうです。
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質問された先住民たちはこの樹の名前を聞いていると勘違いして「マラッカ」と答えたそうです。そしてこの町はマラッカとなったそうです。
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スタダイスの古い消防車。あぁスタダイスの見学がしたかったです。この先の見学は前にも来ているのですから。
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「セントポールの丘」の高台を登っていくとゴールデン・シャワーがきれいに咲いていました。春のプノンペンの旅でもきれいに咲いているのが見えました。タイ王国の国花として知られます。
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高台からは警察署と帆船の形をした「海の博物館」が望めます。
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「セントポール教会」はポルトガル占領時代に建てられた教会ですが、現在は屋根もなくレンガの壁面だけが残る廃墟となってしまっています。1511年にポルトガル軍はマラッカを占領し、以後マラッカはポルトガルの貿易の重要な中継地となり、また東南アジア・極東アジアにおけるキリスト教(カトリック)布教の活動拠点になります。1521年にポルトガル人によってセントポールの丘の上に教会が建てられ、1548年にこの教会はイエズス会に譲られます。
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昨年旅したスリランカのもポルトガルやオランダやイギリスの足跡は残されていて、ポルトガルの統治は1505年にポルトガル船がコロンボ港に漂着したことから始まります。当時の国王ダルマ・パラクラマバーフ9世は、思わぬ異邦人の到着を受けて和平か戦争かの選択を迫られます。しかし、ポルトガルの持つ鉄砲や大砲の威力を目の当たりにして和平を結ぶことを選択します。その後にマラッカにやってくるわけです。
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日本に初めてキリスト教を伝えたことで有名なイエズス会のフランシスコ・ザビエルは、布教活動の為に定期的にこの教会を訪れていたそうです。1641年にオランダがマラッカを侵略した時に教会はひどく破壊されます。修復され使われていましたが、新しいプロテスタントの教会が完成してからはほとんど使われなくなり、丘はプロテスタント教徒の墓地になっていきます。イギリスの管理下では灯台が建てられて弾薬庫として利用されます。
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ザビエルは日本で2年ほど布教をした後に中国での布教が必要と考え、中国広東の上川島(サンシャン島)へ渡りますがそこで亡くなります。遺骸は石灰を詰めて納棺し海岸に埋葬されましたが、遺言によりゴアへ移されます。途中の1553年2月マラッカに移送されこのセントポール教会に埋葬されます。さらにゴアに移され1614年にローマのイエズス会総長の命令で、セバスティアン・ゴンザーレスにより右手首が切断されます。この時本人の死後50年以上経過しているにも係わらずその右腕からは鮮血がほとばしり、これをもって「奇跡」とされます。この右腕はローマ・ジェズ教会に安置されています。
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この丘にある大理石のザビエル像は1953年に建てられましたが、像が建てられた時に嵐によってなぎ倒された木が像の右手にあたり右手が無くなったと言われます。懐かしい「マラッカタワー」と海峡が望めます。
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教会内部の壁面に沿って並んでいる大きな墓石は、プロテスタント派の墓石です。
1957年にマラヤ連邦が独立した際にマレーシア政府はこの丘に知事の公邸を建て、周りにあったプロテスタント教徒の墓を撤去しようとします。 -
その時カトリック教徒が墓石の移設を提案し、その為に元々カトリック教会でありながらプロテスタント教徒の墓石が教会内にあります。
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元々はどこで生まれ、どんな経緯で船に乗り、マラッカにやってきたのでしょう…。
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一昨日行った「ケリーズ・キャッスル」といい、こういった廃墟は大好きです。
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教会としても名残は内部にもほとんど残されていません。
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教会内の祭壇があったと思われる場所にフェンスで囲まれた場所があります。ここはザビエルの遺体が埋葬されていた場所として有名です。ここに仮埋葬された9ヶ月後に遺体はインドのゴアに移送されますが、遺体は腐敗していなかったと言われています。
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この周りにも幾つもの墓碑が並べられています。
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翼の生えた砂時計や髑髏は死を感じさせます。
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1511年にポルトガルは艦隊を率いてマラッカ王国を占領します。マラッカ王国のスルタンはジョホールに逃れ、ジョホール王国を建国します。当時マラッカは香辛料の東西貿易の重要な拠点だったのでマラッカを占領したポルトガルは莫大な利益を得ます。イスラム商人経由だった香辛料を直接手に入れた訳です。サンチャゴ砦はその年にポルトガルが沿岸防備の為に築いた砦跡で、地元では「エーファモサ」(A Famosa)と呼ばれています。
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セントポールの丘を囲むよう海岸線に高さ5mの城壁と城壁を守る4ヶ所の砦(通用門)があり、現在残っている門もそのひとつです。今では埋め立てられて陸地になっていますが、当時は砦の外側は海だったわけです。1641年にオランダがポルトガルを駆逐しマラッカを征服しオランダ東インド会社も要塞として利用します。
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1795年にマラッカはイギリス東インド会社に占領され、城壁はイギリス統治時代の19世紀に取り壊されますが、サンチャゴ砦のみ破壊を免れ、500年以上経た今でも現存しています。砦の外側にある大砲はポルトガル占領時代の昔からあるものではなく、1700年代にオランダで作られたものを1990年代に観光客向けに設置したそうです。
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砦の上部には当時の名残が残されています。
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兵士の持った盾にはVOC(東インド会社)の文字が読み取れます。
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ガイドの陳(タン)さんは良いカメラマンです。
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中国系の団体さんがトライショーを全部貸し切って大軍団でやってきました。
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市民公園の先でバスが待っています。これでマラッカの観光が終わりました。我が家は以前に3日間滞在して朝昼夕のマラッカの姿や博物館なども見ているので良いですが、他のツアーのメンバーからは「買い物もできないの?」という声が上がっていました。
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公園の脇にあるダタラン・パラワン・マラッカ・メガモール2006年に開業した大型ショッピングセンターです。ここの半地下にはマラッカのお土産のほとんどを置いているヘリテージ・ギャラリーというお土産物街があるのですが…。そんなことは他のメンバーの方には言えません。
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ようやく「マラッカタワー」の展望部分の円盤が回転しながら上がってきました。
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これ結構楽しんだよな~。後ろ髪を引かれるようにバスに乗り込み、ダブルツリーヒルトンの近くのお土産物屋さんに連れて行かれます。ナマコ石鹸や雑貨屋食品を扱っていますが、バティックの柄などから半分はインドネシアのジャワ島の物だったり。
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そこから歩いてすぐの「惹娘」というレストランでランチになります。「惹娘」はニョニャと読みます。プラナカン(海峡華人)という15世紀後半から数世紀にわたって移住してマレーシアに根付いた中華系移民の末裔を指す言葉がありますが、生まれた子供の男性はババと呼ばれ女性はニョニャと呼ばれます。
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そんな人たちの料理をニョニャ料理と呼び、この日のランチはそんな料理をいただきます。基本的には中華料理にココナツなどを使った料理です。
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キャベツと湯葉と木耳と春雨を炒めたもの。
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カレー風味のモヤシ炒め。
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イカフライにはピリ辛のサンバル風のソースでいただきます。
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チキンのココナッツカレー煮。
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チンチャーロ・オムレツ。チンチャーロというオキアミの塩辛で、それを具にしたシンプルなオムレツです。チンチャーロは火を通すことで香ばしくなり、濃い塩気がちょうどいい塩梅で卵に絡んでいます。オムレツというよりは、たっぷりの油で短時間に仕上げた懐かしの卵焼きといった感じです。
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最初のチャーハンにはココナッツカレーをかけていただきます。
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厚揚げの醤油煮。
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以前の旅ではプラナカン文化にスポットを当てて、シンガポールの有名店やマラッカの有名店にたくさん行きました。もちろん博物館や古いお屋敷の数々も見学しました。その経験から言うと物足りないものもありましたが普通に美味しかったです。
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一応デザートもプラナカン風です。旅行会社の努力を感じました。
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午後2時にはマラッカを出発してクアラルンプールまで2時間のドライブです。午後4時にホテルに戻るのですが、この日の夕食はツアーに含まれていなく、ホテルの近くには何もないので我が家以外の全員がオプションの市内観光と夜景観光に行かれる予定です。ガイドさんと話をしてホテルに戻らないで、我々も市内でバスを降ろしてもらうようにしました。
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ホテルに一度戻ると往復で1時間以上ロスになるし、我々も電車かタクシーで20キロ近く移動して市内に行かなければなりません。という事で思ったより早く自由時間がもらえ、クアラルンプールの最後の夜を楽しむことが出来ることになりました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- hiroshi_kakogawaさん 2021/09/25 13:35:45
- 懐かしく拝見させて頂きました
- 初めまして。コロナ禍の中、赴任していたマレーシアへ里帰り?が出来ず妻の故郷、台湾へも帰省出来ず4travelの旅行記を見て旅行ロスを解消しています。今日、ひょんな事から貴方の旅行記を拝見しました。同じ所へ行かれていますね。私達の旅行記(https://4travel.jp/travelogue/10915146)です。写真を拝見したら想い出が次から次と出て来ました。とても懐かしく想い出されました。旅行ロスが少し解消でき有難うございました。
- kojikojiさん からの返信 2021/09/26 01:33:50
- Re: 懐かしく拝見させて頂きました
- hiroshi_kakogawaさん
旅行記にお立ち寄りいただきありがとうございます。我が家も海外旅行ロスが続いていまして、少しでも海外に近いところと思って石垣島へ行ってみたり、フェリーに乗ってみたりといった旅を続けています。お便りいただいて久しぶりにマレーシアの旅の旅行記を自分でも見直してみました。あの頃は格安のツアーが当たり前でしたが、コロナ禍が終わっても同じような内容を同じような金額で旅することはもうないかもしれないですね。またお時間がありましたらお立ち寄りください。ありがとうございました。
kojikoji
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