2018/09/22 - 2018/09/22
41位(同エリア364件中)
へびおさん
奈良12ヵ月完全制覇の旅、今回は9月です。
9月って何かイベントあるのかしらと調べたら、結構色々な場所でライトアップイベントが開催されているんですね。
その中で行ってみたいと思ったのが、飛鳥で開催される『飛鳥 光の回廊』。
そして前回悪天候で行けなかった二上山には絶対行きたい!
プラス、朝早く着くんだからどこかの天皇陵も見に行けるかな?
いやいや春日荷茶屋の季節の万葉粥も食べなきゃ!
ICHIBANYA FRUITS CAFEの季節限定フルーツ大福も買いたいよね。
等々・・・
いつものごとく欲張りすぎの願望を叶えるために電車の時刻表や地図とにらめっこ。
どうにかこうにか立てたスケジュールは、トイレに行く時間もないんじゃないかと思うほど過酷&濃い内容に。
でもそのぶん、感動と充実度の高い旅となりました。
本編は前編、二上山登山メインの旅行記です!
≪行程≫
志都美神社・武烈天皇陵(香芝市)
↓
春日荷茶屋(奈良市)
↓
二上山(葛城市)
↓
飛鳥(明日香村)
≪往路≫
9/21(金)22:10 東京鍜治橋駐車場 → 6:30大阪梅田プラザモータープール <深夜バス ナイトライナー・4列シート>(7000円)
≪復路≫
9/22(土)23:00 天理駅 → 6:10バスタ新宿 <新宿-奈良・五條線 やまと号・3列シート>(9000円)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
9月21日(金)
三連休を使って二か月ぶりの奈良へ。
前回は悪天候で予定通りに行かなかったので、今回こそは~!と思っていたのですが、生憎全国的に雨模様。
特に旅立つこの日、関東は寒くて朝の気温が16度台と、9月にしては5年ぶりの低い気温とのことでした。
ただ翌日の奈良の気温は28度まで上がるようなので、着て行くものに悩んだ結果、半そでに薄手のパーカー+ホッカイロを貼って旅立つという・・・ -
22時 東京鍛冶橋駐車場にて。
今回三連休前の週末のバスを利用するということもあって、2ヵ月前にバスの予約を済ませていましたが、昨年の8月ほどの混雑は見られなかったです。 -
9月22日(土)
予定より10分遅い6:40に大阪梅田に到着。
6:48発の電車に乗らなければいけないので超焦っています。
今回は電車1本、バス1本遅れることは許されないのよ!!
梅田はとても蒸し暑かった。
でも覚悟していた降雨がなくて、ちょっと嬉しい。 -
地下鉄 中津 6:48 → なんば/大阪難波 → 鶴橋 → 近鉄下田 → 香芝 → 志都美 7:56
近鉄下田駅からJR香芝駅まではちょっと離れているのですが、駅案内板がなくて焦りました。
どうにか電車の来る2分前に香芝に到着! -
無事、目的地・志都美駅に到着。
天気予報はお昼頃まで少雨の予報だったんだけど、どうにか保っているみたい。
怪しい空模様だけどね・・・ -
駅から歩いて5分、最初のお目当てに到着。
-
志都美(しずみ)神社。
清水が湧いていたことから「志美都(しみず=清水)八幡」と呼ばれていたらしいのですが、いつしか語順が入れ替わり「志都美」になってしまったのだとか。 -
一の鳥居をくぐり、参道を歩くも本殿が見つからず「本殿はどこに・・・?」と周囲を見渡すと二の鳥居を発見。
二の鳥居は参道を向いておらず、道路に向かって立っていました。
変な造りだ。 -
二の鳥居とご本殿。
-
志都美神社の創建は813年。
藤原鎌足の六世孫が創建した、藤原氏に縁のある神社です。 -
静かな神社でした。
時間あればもっとじっくり見たかった。 -
さあ、先を急ぎます。
ここでのメイン、志都美神社に隣接する天皇陵まで行く予定なのです。 -
雲の切れ間から青空が顔を覗かせている!
お昼には二上山に行くんだ、晴れてくれ~! -
Google地図を元に歩いていますが、本当にココを抜けて行くの?
しばらく進んでみますが、雨粒に濡れた草が生い茂る中をカエルがわんさか跳び交う・・・
ヘビとかヒルとか出たら恐ろしいので別の道を探すことに。 -
さっきよりもマシな道ですが、ここを進んでも天皇陵に着く感じがしない・・・
-
多分あの木の生い茂っている場所が天皇陵のはずなのですが・・・
諦めて神社方面に戻ります。 -
志都美神社の一の鳥居前に戻り、スマホがナビする道を無視して駅方向に戻りつつ天皇陵を探してみると・・・
あった!! -
第25代・武烈天皇 傍丘磐坏丘北陵(かたおかの いわつきのおかの きたの みささぎ)。
武烈天皇は実在したか分からない天皇で、実はこの古墳もただの丘だとの説まで・・・。
武烈天皇は日本書紀にとんでもない極悪非道な人物として記されています。 -
ただ古事記にはそのような記述はないことから、おそらく血縁関係の薄い次代の継体天皇(第15代・応神天皇の5世孫で越前出身)が縁の無い大和を治める為に「前代のあくどい王朝とは違い新しい王朝を築くよ~」みたいな感じで作られた偽りの話だったのではないかと考えられています。
傍系の継体が天皇になる正当性を持つために武烈天皇の同母姉である手白香皇女を皇后とします。
つまり入り婿ですね。
その子供が欽明天皇で、現皇統に繋がっていきます。 -
香芝市のマンホール。
市の花であるスミレと市の木である樫が描かれています。 -
ふー
どうにか最初の目的をクリア。
「予定よりも早く駅に戻れそうだ」と思いながら空を見上げると物凄くどす黒い雲が。
今にも雨が降ってきそう・・・ -
と思った瞬間いきなりの豪雨!
風も強くて傘なんか役に立ちません。
駅まであともう少しという所でびしょ濡れになる・・・
結局予定より早く駅に着いたので1本前の電車で奈良に向かえる!と喜んでいたのですが、和歌山県内の豪雨と竜巻の影響で電車が40分遅れており、乗れるかと思った電車は運休。
結果、当初予定した電車に乗ることになりました。
まぁでも時間通り奈良に行けるから良いか・・・ -
志都美 8:54 → 王寺 → 奈良 9:21
駅で10分でお化粧を済ませたら、バスで春日大社に移動します。
JR奈良駅 9:35 → 春日大社前 9:45
写真は飛火野の鹿たち。 -
春日大社参道には万灯篭の碑があります。
何か催しがあるのかな? -
春日大社創建1250年の奉祝行事があるんですね。
-
夜になったらライトアップされるのかしら。
-
春日大社に関する絵巻的なものも燈籠になっていました。
春日大社の御祭神・タケミカヅチが白い鹿に乗って鹿島神宮からいらした場面。 -
こちらは、もともとの土地神である榎本明神とタケミカヅチの住処換えの話。
-
2週間ほど前に来襲した台風の影響で大きな石の燈籠が倒れてしまっています。
-
内侍道。
むかし、祭事に参勤する斎女や内侍が表参道から分かれて内侍門に向かった古道とのこと。 -
まだ幼さの残る鹿。
一心不乱に草を食む。 -
10:00
開店と同時に春日荷茶屋へ。 -
いつもは万葉粥を頼むのですが、今回は奮発して大和名物膳(1500円)を注文。
柿の葉寿司(さば味)と葛餅がついてきます。 -
季節の万葉粥、9月は小芋です。
柚子の削り皮が散っていて美味しかったです。 -
手早く食事を済ませたらバスで駅に戻ります。
春日大社へは万葉粥を食べるためだけに来ました。
時間があったら飛火野の鹿さんを撮影したかった・・・ -
ポツポツ降っていた雨は上がり、この頃から晴れ間が覗くようになっていました。
春日大社表参道バス停 10:37 → 近鉄奈良駅 10:45 -
近鉄奈良駅でトイレを済ませ、お土産を購入。
奈良は三輪素麺が有名ですが、素麺が好きじゃないので今まで買ったことがなかったんです。
思い出に今回買ってみる。
・華五彩 648円
・天極堂の吉野葛胡麻豆腐 400円 -
次に来たのは、もちいどの商店街内にあるICHIBANYA FRUITS CAFE。
季節限定のフルーツ大福やフルーツサンドウィッチが売られているお店です。 -
何を買おうかな~
-
大福はシャインマスカットと巨峰を買ってみました。
1個280円。 -
今回はジュースも頼んでみようかな。
フルーツタルトも美味しそうだな~ -
桃ジュース500円。
イートインスペースでいただきました。
注文が入ってから作るので少し時間がかかります。
桃の果肉が入った新鮮なジュース。
甘味料を使っていない、果物本来の味が楽しめます。
桃独特の渋みも感じる味でした。 -
近鉄奈良駅に戻ってきました。
本当はもっと色々買いたいものがあったのですが、この後の観光に邪魔になってしまうので敢え無く断念・・・ -
今旅のメインの1つでもある二上山へ向かっています。
予報では12時くらいまでは曇、15時頃から晴れるということでした。
前日までの予報は小雨のち曇りだったので、天気が回復してすっごく嬉しい。 -
近鉄奈良 11:43 → 大和西大寺 → 橿原神宮前 → 尺土 → 二上神社口 12:47
-
二上神社口駅前。
無人駅で小さな商店があるだけの長閑な雰囲気です。 -
登山口へ。
-
駅方面を振り返ってみる。
厚い雲が覆っているな。
志都美の時みたいな急な豪雨は勘弁して!! -
田んぼのあぜ道に赤い花が咲いている!
彼岸花です。
この時期、あちこちで咲いていました。 -
このあと向かう飛鳥では彼岸花祭りが開催されているのですが、飛鳥まで行かなくても充分楽しめました♪
-
登山口まで既にゆるい上り坂。
帰りの電車のことを考えて、各スポットまでの時間を綿密に計算して来たのですが、駅から最初のスポットである神社までで既に辛いんですけど・・・
速足で歩いています。 -
神社の入口が見えた!
駅から歩いて約10分。 -
ここには三社が集っています。
石碑に三社の名前が刻まれているって珍しいですね。 -
社務所の板版にも三社の名前が。
加守神社は掃守神社とも書きます。 -
手水舎にあったそれぞれの神社の御祭神説明書き。
摂社・葛木二上神社は本殿が二上山の頂上にあるため、こちらにあるお宮は遙拝所もしくは里宮的な存在であると考えられているそう。
もう一つの摂社・加守(かむもり)神社は御祭神の天忍人命がウガヤフキアエズ(神武天皇の父)の胎便(昔は蟹と言った)を掃除した神であることから、その子孫が蟹守を名乗り、いつしか加守(掃守)などに転じたとのことです。 -
二上山に登る前にご祈祷をしに神社を参拝してみます。
-
境内には今や珍しい二宮尊徳の像がありました!
私も生で見るのは初めてです。 -
葛木倭文座天羽雷命神社(かつらき しずりにいます あめのは いかづちのみこと じんじゃ)。
「倭文」と書いて「しずり」なんて読めない・・・
御祭神である天羽雷命は各地に裁縫や機織りの技術を伝えた神様なのだそうですよ。 -
無事、二上山に登り切れますように。
そして無事戻ってこれますように。
晴れますように!! -
13:00
二上山登山スタート!
神社脇の舗装された道が登山口入口になります。 -
山頂までは1.6km。
神社から雄岳山頂までは60分かかるということ。
今回二上山に登るにあたって所要時間を色々調べたのですが、倭文神社から当麻寺駅まで大体3時間半~4時間半かかるらしいです。
私は3時間半を目安に歩くことに。 -
歩き始めていきなりの柵。
一見、通行止め?と思ってしまいますが、これが奈良あるある。
猪や鹿が入ってこれないようにしているんです。 -
でも2つも扉があるのは初めてだな。
それだけ田畑への被害が大きいのでしょうね。
登山途中、猪との遭遇は勘弁願いたい。 -
階段が整備されています。
-
ただ前日の雨の名残か、今日の朝降った豪雨の影響か、足元はぬかるんでいて滑りやすい状態。
慎重に進みます。 -
しかし1人で山道を歩くのってなんて怖いの!
-
歩き始めてから10分。
すでに超ツライんですけど!!
地図を見ると駅と山頂の中間地点っぽいですが、神社から考えるとそんなに進んでいない・・・ -
道に日の光が差し込んできた!
-
急に毒々しいキノコ出現。
あとで調べたら、タマゴダケと言って食べられるキノコらしいです。 -
キノコ倒れる。
キノコ嫌いの私にとってはこの形状だけで恐ろしい。 -
スタートしてから25分、二上山駅からの登山道と合流する地点に到着。
-
二上山駅からの道も鬱蒼としていて怖いなぁ。
因みに二上山駅からのほうが若干距離があるようですが、こちらからのルートのほうが一般的みたい。 -
山頂までまだ1km近くもあるのか・・・
小休止しながら足取りもゆっくりと進む。 -
この案内板が出てくるたび位置を確認。
それにしても、何番まである中の5番なのかしら。
山頂が10なのだとしたらまだ半分しか来ていないということに・・・
絶望。 -
倒れた枝が他の木の枝に挟まって奇跡の構図に。
ところで今回事前に葛城市の観光課に二上山登山の確認をしていました。
「登山経験のない女性が一人で歩いても大丈夫なんでしょうか?」との質問に「全然大丈夫ですよ。標高も高くないので地元の方が散歩程度に登っていますし、登山者も多いですよ」と楽観的な答えでしたが・・・ -
嘘つき!
ここまで誰とも会わないし人の気配も感じない。
全然ラクじゃない!!
どこまでも続く上り道に思い切り叫んでしまいたい衝動に駆られる。 -
と、ここで凄い軽装というか、普段着で上から下りてこられた中年の男性に出会う。
「こんにちわ~」
と挨拶しながら叫ばなくて良かったと心底思う。 -
6番の案内板を越えるとすぐにある鉄製の階段。
歩幅が狭いので注意して歩きます。 -
階段を上ると今度は岩場。
いやー
色々用意していますね、二上山は!
これでもかと私を苦しめる。 -
やっと平坦な道に出ました。
それにしても、来るまでは「雨でもチャレンジしよう!」と思っていたのですがトンデモナイ!!
この長く続く上り道に傘を持ちながら歩くのは無理だし、足場もぬかるみ滑りやすいので、軽い気持ちで行かれる方は天気と気候の良い時期に訪れることをお勧めします。 -
青空が広がってきている。
-
山頂まではもうちょっと!
-
雲も取れて隣の山の姿が見えます。
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眼下に広がる町はどこの街かな?
-
8番の案内板、雄岳山頂の案内板もやっと出てきました。
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十七丁の石碑。
-
「あ"~~っ!!」と思わず叫んでしまった上り道。
まだ上るのか。
独りで寂しく登っているせいか、今回本当に辛いツライ。 -
あ!
上に何かある!! -
これはもしや!?
念願の!?? -
13:55
やっと、やっと着いたよ~
大津皇子のお墓です。 -
天武天皇皇子 大津皇子 二上山墓。
-
大津皇子は容姿も良く文武に長け、人望もあったそうです。
そして母は持統天皇の同母姉・大田皇女。
大田皇女が長生きしていれば天武の皇后になったのは大田皇女だったろうし、そうなれば大津皇子が次代の天皇になった可能性が高いです。 -
でも持統の皇子・草壁との皇位継承の件で謀反の疑いありと、自害に追い込まれます。
ただ、この謀反の話は自分の息子を皇位に付けるために持統天皇が画策したでっちあげだった説が濃厚であるということ。
これで私は持統天皇が嫌いになりました。 -
お墓を1周してみます。
墳丘を間近に見ることができます。 -
墳丘の上に薪が乗っているんだけど・・・
-
悲劇の皇子として有名で人気の高い大津皇子。
最後にお墓に手を合わせました。 -
念願叶って嬉しい。
前回生駒で訪れた長屋王墓と合わせて、絶対来たかった場所でした。
思い入れの強かった、この時代の悲劇の二人のお墓参りができて良かったです。 -
さて、そろそろ次へ進みますか。
大津皇子御墓の碑。
雌岳方面から来た場合、お墓よりも先にこの石碑を見ることになります。 -
石碑から少し上がったところに建物が見えます。
-
葛木二上神社(かつらぎふたかみじんじゃ)です。
-
神社の名前が書かれたものを探しましたが見当たらなかったです。
御祭神は豊布都魂神。 -
葛木二上神社の隣、木々の奥に隠れるように二上白玉稲荷大神の石碑がありました。
これについて調べたけど分からず。
因みに昔は雄岳と雌岳にそれぞれ男神と女神を祀る神社があったのだそうです。 -
雄岳山頂を目指しますよ~
-
14:05
気張っていたのに、葛木二上神社からあっさり山頂に到着~!
ここまで来るには大変辛かったのですが、疲れもあっという間に吹き飛んじゃいますね(#^.^#)
倭文神社からぴったり60分というところでしょうか。
ここへ来て反対側から来る登山者の方たちと擦れ違うようになる。 -
次は雌岳へ!
-
雄岳まで位置確認をしていた案内板、8番までは確認していたのですが、ここに来ていきなり31番に飛ぶ。
どういうこと?? -
祐泉寺、雄岳・雌岳の分岐点。
-
そしてここが「馬の背」になります。
ここにトイレがあるのですが、トイレットペーパーが付いていないのは山のトイレだから当たり前として、なんか詰まっているような感じもしたので用を足すのは我慢することに。 -
雌岳への道。
石畳の階段でよく整備されていますが、ここに来てまた上るのかと げんなり。 -
途中の景色。
ずっと向こう、高い建物やビルが建ち並んでいるのが分かります。
どこの街でしょうか。 -
雌岳山頂までもうちょっと!
-
14:20
雄岳山頂から15分で雌岳山頂に到着! -
日時計があります。
-
数字ではなく干支方角で示されているのですね。
-
二上山を詠った歌の石碑がありました。
大坂を吾が越え来れば二上に黄葉流る時雨降りつつ
「大阪を越えてやって来ると二上山の渓流にもみじの葉が散り流れる。時雨が降る中を」という意味のようです。
ちょっと物寂しい。 -
雌岳山頂からの景色。
絶景ですぅ -
眼下に広がる大和平野(奈良盆地)。
-
中央に写っているのが大和三山の1つ畝傍山です。
-
では、この絶景を見つつ休憩!
ICHIBANYA FRUITS CAFEで買った巨峰サンドウィッチをいただきまーす☆ -
天気が回復して本当に良かった!
雨でビショビショになろうが汗でビショビショになろうが、頑張ってここまで来た甲斐があります。 -
10分ほど休憩をしたら下山します。
ルートがたくさんあるらしく、慎重に道を選んでいかなければなりません。
登りよりも下りのほうが不安だったんですよね。
因みに写真に写っている黄色い建物は展望台だそうです。
天気が良ければ明石海峡まで見ることもできるのだとか。 -
今回地図持参で臨んでいるのですが、迷う心配もあったので途中で会った何人かの方に道をお訊きしながら目的地に向かっています。
(スマホは電波が通りにくくなってました)
目指すは岩屋峠。 -
地元の方であろう80代くらいの男性が詳しく教えてくださいました。
ここの分かれ道は下に行く方ではなく、上に行く道を選ぶこと! -
山が近い!
-
進むと更に道が三又になっています。
ここが岩屋峠っぽい。 -
真っすぐ進むと竹ノ内峠、右手に岩屋が。
私は右手に下ります。 -
史跡 岩屋。
-
この岩屋、なんと奈良時代に造られたのだとか!
よく見たいのだけど、とてつもなく恐ろしい雰囲気が漂っていて近づけない・・・ -
三重の石塔。
-
早くこの場を去りたくて適当に写真を撮っています。
後で写真を見直したらお地蔵様の上、三体の仏像が浮き彫りされているのが分かりました。
黒くなった石壁には文字のようなものもうっすら見えます。
文字は後世書かれたものかな? -
年表もありました。
岩屋が造られた理由や存在の意味については全く分かっていないんですね。
それにしても昭和初期に二上山を震源とする大地震が起きていたなんて・・・ -
岩屋杉。
鎌倉時代に芽生えた樹齢600年にもなる大木だったのですが、平成10年の台風で倒れてしまったらしいです。
因みにこの杉の木をくぐって下山してしまうと「葛城山に行ってしまう」と道を教えてくれたお爺さんに注意されていました。
危ない危ない。 -
岩屋峠まで戻り、今度は祐泉寺方面に向かいます。
-
うーん
ここも険しい道だ。
15:00
本格的に下山スタート。 -
登って来た道よりも足場が悪い気がする。
この道でも人に会う気がしない・・・
孤独感ふたたび。 -
しばらく進むと水飲み場が作られていました。
ご丁寧にマグカップが3つありましたが、手をすすがせていただくだけに留める。
とても冷たい水でした。 -
可愛い滝が出現。
-
せせらぎを聞きながら歩いていると、独りでも寂しくないことに気づく。
この流れはなんという川になるのだろう。 -
え?
これも道なの??
本当に正しい道を下山しているのかかなり不安ではありますが、水を流す筒が設置されていたりしているので人里近いのであろうと心に言い聞かせ進みます。 -
再び川を渡ります。
これ、増水していたら進めなくね?? -
やったー!
案内板発見!
当麻寺駅に向かいます。 -
舗装された道路に出ました。
これで一安心=3 -
現在地確認。
地図の表記が「裕泉寺」になっている。
正しくは「祐泉寺」ですよ!
でも祐泉寺見つからなかったな・・・ -
15:20
釣り堀発見ー
これで無事、二上山を下山しました。
ここまで岩屋峠から約20分。 -
二上山ハイキングでもう一つ訪れたかったのが、ここ鳥谷口古墳。
実はここが大津皇子の本当の古墳ではないかと言われているんです。 -
ひどい、案内板が倒れ説明文も読めなくなっている・・・
-
上がれるようなので行ってみます。
-
碑がありました。
-
この古墳は昭和58年、工事中に偶然発見されたんです。
調べた結果、飛鳥時代末期に築造されたものと分かったそう。
昭和58年ってつい最近ですよ?
偶然がなかったら大津皇子の本当の古墳の在処は分からないままだったと考えると、大発見ですよね。
(宮内庁が肯定しないので声高にはできない) -
石室は間近で見ることができます。
墳丘は方墳、石室の1辺は7.6mで当時の墓では最低レベルの大きさなんだそうです。
天井部と側面が石棺の蓋石を流用して造られた急ごしらえを伺わせるものなのだとか。 -
この地域を染野(しめの)と言うのですが、古代皇室の管理下の土地だった『標野(しめの)』の名残とも言われているらしいんです。
これが何を意味するかと言うと、大津皇子は皇族とは言え謀反を犯した罪人。
そんな人物を葬るには皇室管理の土地で、大きな墳墓の必要性はなく急ごしらえな石室で良かったのかもしれないですね。 -
この石室を巣穴にしているトカゲを見つけました。
大津皇子の生まれ変わりとか言ったら怒られちゃうかな。 -
石室が小さすぎることから成人男性を葬るには無理があり、改葬された墓ではないかと言われているそうです。
「大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬る時に大来皇女の哀傷して作らす歌」として
うつそみの人なる我や明日よりは 二上山を弟と我が見む
(この世に生きている私は、明日からは二上山を弟だと思って見るのでしょうか・・・)
大津皇子の同母姉の大伯(大来)皇女が詠った歌です。
皇位を争った草壁皇子が天皇になる前に亡くなってしまったこと、更にその古墳も大津皇子と同じくはっきりせず、地元の言伝えになっている古墳(束明神古墳)は野ざらしの状態であることを考えると歴史って何が正しいのか分からなくなる。
写真は鳥谷口古墳から周囲を見渡したところ。 -
石室前で手を合わせてきました。
姉の大伯皇女も斎宮を退下したあとどうなったのか・・・
後ろ盾もなく天涯孤独になってしまった彼女の絶望を思うとやり切れないですね。
持統天皇はせめて都に戻ったあとの皇女の面倒を見てあげなかったのかなぁ。。 -
最後のスポットに向かいます。
當麻山口神社にお参りをしたかったのだけど、時間が押しているので先に進みます。 -
道路を挟んで進行方向右手にあるのは當麻山口神社の鳥居。
-
私のお目当ては左手にあります。
-
傘堂。
なんかこんな形の妖怪居ませんでしたっけ?? -
傘堂は江戸時代に建てられ、柱1本で宝形造木瓦葺の屋根を支える独特な姿をしています。
戦乱や災害を免れ、よく倒れないで今日まで残っていたなぁと感心。 -
現在15:40。
順調に計画通り来ています。
広がる青空のもと、黄緑の稲が実った田んぼも広がっています。
美しい風景だ。 -
黒猫ちゃん。
逃げられる。 -
日の光を受けて、彼岸花も鮮やか。
-
二上山を遠目に。
あの頂上まで登って来たのかと思うと感慨深い。 -
當麻寺。
-
當麻寺の参道は綺麗に整備されていて、重厚な造りのお家が多かったです。
-
当麻のマンホール。
描かれているのは二上山と當麻寺の西塔・東塔。
旧當麻町の花、牡丹です。 -
駅に向かう道すがら、『当麻蹴速之塚』を見つける。
当麻蹴速(たいまけはや)とは垂仁天皇時代に名を馳せた勇猛な人物で、名前から察するに蹴り技の達人だったらしい。
垂仁天皇のお召でもう一人の勇士と『すまひ』で争ったが腰を踏み折られ亡くなったのだそう。 -
すまひ=相撲になり、ここが相撲の発祥の土地とされるんだそうです。
古道・山辺道の途中(桜井市)に相撲神社があるのですが、そこも確か相撲発祥の地と言っていたような・・・
とにかく、奈良が相撲発祥の地なのは間違いないのでしょうね。 -
鳥谷口古墳から当麻寺駅までが長かった!
16:05
駅前の中将堂本舗に到着~
ここで休憩をとります。 -
店内に入ったらまずイートインかテイクアウトかを伝えます。
私は中将餅セット(300円)を中でいただくことに。
煎茶は温か冷を選べます。
冷たい煎茶が身体に沁み渡る~ -
中将餅。
思っていたよりも小さい草餅にお餅以上の量の餡子が乗っています。
なんだろう、水のようにさらっとした餡子でした。
お土産に3個入りのパック(270円)を購入。
「よもぎの香りが凄くする」と母大絶賛でした。
HP
https://www.chujodo.com/ -
安くて美味しい名物の中将餅、お薦めです。
-
中将堂本舗からすぐ、当麻駅に到着。
今回私が二上山登山に利用したルートと所要時間ですが、
12:47 二上神社口駅(10分)→ 葛木倭文座天羽雷命神社(60分)→ 大津皇子墓・雄岳(15分)→ 雌岳(15分)→ 岩屋峠(30分)→ 鳥谷口古墳(10分)→ 傘堂(30分)→ 16:05 当麻寺駅
トータル約3時間10分で移動した計算になります。
これに所々の観光ポイントで5~10分程度の見学時間と休憩を含めて3時間半はかかると見たほうがいいですね。
とにもかくにも計画通り無事登山できて大満足です!
このあと、飛鳥に向かいますよ~
・・・後編につづく・・・
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この旅行記へのコメント (6)
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- しにあの旅人さん 2021/11/14 20:09:21
- お疲れ様でした
- お久しぶりです。
二上神社口からのルートは、7月に私たちが加守廃寺に車で行った時に通った道です。
いらっしゃた葛木倭文座天羽雷命神社のちょっと先に加守廃寺があります。行っても何もありません。ただ、もしかするとこの寺跡が、未発見の大津皇子の真墓である可能性もあるかと、行ってきました。あくまで仮説、と言うより私の個人的思い込みであります。お暇があれば、
「六国史の旅 大津皇子フィールドノート1 加守廃寺」
https://4travel.jp/travelogue/11712098
を読んでください。
このコースで、一人で二上山をのぼったのですね。うーん、勇気があるというか、ちょっと無謀というか。
この山は2回登っています。
8年ほど前が1回目。ほぼこのコースです。かなりきつかった記憶があります。私たちは夫婦2人でしたが、往復ほとんど誰にも会いませんでした。幸い猪もなし。雌岳頂上では8年前はここで大阪のおばちゃんたちが宴会をしていました。
2回目が昨年7月で、大阪から登りました。直前の急坂以外、はるかに楽でした。人もかなりいました。8年の加齢は相当なものがありましたが。
何はともあれ、ご無事で二上山往復、おつかれ様でした。
- へびおさん からの返信 2021/11/18 10:18:04
- RE: お疲れ様でした
- しにあの旅人さん
お返事遅くなってしまい申し訳ありません。
二上山登山旅行記を読んでくださりありがとうございます。
因みに「二上山」という名は関東住みの私と母には実は大伯皇女の詠んだ歌でしか馴染みが無く、ずっと「ふたかみやま」と読んでいました。
今は「にじょうさん」と呼ぶんですね。
大津皇子の真墓は鳥谷口古墳ではないかと聞いています。
しにあの旅人さんの仰る加守廃寺だとしても、大伯皇女が詠った二上山に近い場所に埋葬されているのでしょうね。
雄岳側から登るのは珍しいんですかね。
一応事前に市の観光課の方に聞いたら「地元のかたの散歩で行くくらいの山」という話だったので気軽に行ってしまい、すっごく辛かった記憶はありますが笑
でも確かに雌岳から来られる方が多かった気がします。
小さいお子さん連れもいたし。
来年はもう少し奈良方面に行けたらと思っています。
奈良の風景が懐かしく感じる今日この頃です。
- しにあの旅人さん からの返信 2021/11/19 05:10:38
- RE: RE: お疲れ様でした
- 資料を漁っていたら加守廃寺を見つけました。「わっ、おもしろ」と飛びついたわけです。もしかしたら、スクープか! まあ、そんなことはないでしょう。
古代ロマンとして、楽しんでください。
大津皇子のお墓は現在では鳥谷口古墳だというのが通説で、それでいいと思います。二上山てっぺんのお墓とされるものは、まず間違いなく真墓ではないでしょうね。中世にあそこに二上山城というお城があったのは、文献上間違いない。もしかすると楠木正成築城。
見張り台の土台だろうと言われております。
大阪方面から雌岳と雄岳の鞍部を目指して登るのが楽です。鞍部までは舗装されています。乳母車でも登れるとどっかに書いてありましたが、それはウソ。急な坂ではあります。
近所の方の散歩というのはあるみたい。鳥谷口古墳であった方は、そういう感じでした。ただしすごい健脚です。フツーの人のやることではありません。
- しにあの旅人さん からの返信 2021/11/19 05:10:47
- RE: RE: お疲れ様でした
- 資料を漁っていたら加守廃寺を見つけました。「わっ、おもしろ」と飛びついたわけです。もしかしたら、スクープか! まあ、そんなことはないでしょう。
古代ロマンとして、楽しんでください。
大津皇子のお墓は現在では鳥谷口古墳だというのが通説で、それでいいと思います。二上山てっぺんのお墓とされるものは、まず間違いなく真墓ではないでしょうね。中世にあそこに二上山城というお城があったのは、文献上間違いない。もしかすると楠木正成築城。
見張り台の土台だろうと言われております。
大阪方面から雌岳と雄岳の鞍部を目指して登るのが楽です。鞍部までは舗装されています。乳母車でも登れるとどっかに書いてありましたが、それはウソ。急な坂ではあります。
近所の方の散歩というのはあるみたい。鳥谷口古墳であった方は、そういう感じでした。ただしすごい健脚です。フツーの人のやることではありません。
- しにあの旅人さん からの返信 2021/11/19 05:10:54
- RE: RE: お疲れ様でした
- 資料を漁っていたら加守廃寺を見つけました。「わっ、おもしろ」と飛びついたわけです。もしかしたら、スクープか! まあ、そんなことはないでしょう。
古代ロマンとして、楽しんでください。
大津皇子のお墓は現在では鳥谷口古墳だというのが通説で、それでいいと思います。二上山てっぺんのお墓とされるものは、まず間違いなく真墓ではないでしょうね。中世にあそこに二上山城というお城があったのは、文献上間違いない。もしかすると楠木正成築城。
見張り台の土台だろうと言われております。
大阪方面から雌岳と雄岳の鞍部を目指して登るのが楽です。鞍部までは舗装されています。乳母車でも登れるとどっかに書いてありましたが、それはウソ。急な坂ではあります。
近所の方の散歩というのはあるみたい。鳥谷口古墳であった方は、そういう感じでした。ただしすごい健脚です。フツーの人のやることではありません。
- へびおさん からの返信 2021/11/20 09:38:48
- RE: お疲れ様でした
- 大津皇子の墓と言われている所はお城があったんですか!?
しかも楠木正成築城とは。
大津皇子や天武天皇にまつわる土地というと福岡もなかなか面白かったです。
宗像市は天武の長男・高市皇子の母の出身地でありますし、大津皇子が生まれた那の大津が博多港辺りと言われています。
「大海人皇子の妃の尼子娘はここで生きてきたのか」とか「この辺りで大津皇子が生まれたのかな」とか感慨に浸ってきました。
二上山はたぶん途中まで車で来たのであろう杖をついたお爺さんも歩いていましたし、地元の方の憩いの場所なんだなと思いました。
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