2018/08/05 - 2018/08/05
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旅人のくまさんさん
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高島城は、日根野氏によって築かれた総石垣造で8棟の櫓、6棟の門、3重の天守などを持つ近世城郭でしたが、諏訪湖に面した軟弱な地盤だったため、木材を筏状に組み、その上に石を積むなどの当時の最先端技術が用いられました。それでも石垣が傷みやすく、度々、補修工事が行われました。
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イチオシ
正面奥に記された紋所は、左から藩主嘉門の『丸に諏訪梶の葉』、上社神紋の『根が4本』、下社神紋の『根が5本』です。右下に鍛冶の葉の見本、左下に『高島藩御相験図(たかしまはん・おんあいじるしず)』が展示されていました。
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記念撮影用にセットされた場所の光景です。左の甲冑が『紺糸縅胴丸具足(こんいとおどし・どうまるぐそく)』、右の甲冑が『紺糸素懸縅胴丸具足(紺糸素崖縅・どうまる具足)』です。それぞれに床几が置かれていました。
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右手後方に記されたタイトルは、『日根野高吉の築城』でした。その左のパネルのタイトルが『高島城築城』、更に左のパネルが『御家断絶』でした。『日根野高吉(ひねの・たかよし:1539~1600年)は、戦国時代の武将で、信濃諏訪藩(高島藩)の初代藩主でした。秀吉の命で、『諏訪の浮城』と呼ばれた高島城を7年かけて築城しました。
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NHK大河ドラマ、『風林火山』のポスターです。原作は井上靖、2007年1月から12月まで放送された、46作目のNHK大河ドラマです。武田信玄(晴信)の軍師として知られる伝説的人物、山本勘助の生涯を描いた、戦国時代の甲斐国が舞台となった作品です。準主役のヒロイン、由布姫(ゆうひめ)役に新人の柴本幸が抜擢されました。由布姫こと、諏訪御料人(すわごりょうにん:1530?~1555年)は、武田晴信(信玄)の側室で武田勝頼の母です。由布姫所縁の地が諏訪になります。主役の山本勘助を内野聖陽さんが演じました。
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同じく、NHKの大河ドラマ『武田信玄』のポスターです。原浅くは新田次郎、1988年1月から12月まで放送された、第26作目の大河ドラマです。甲斐の戦国大名の武田信玄(晴信)が主人公のドラマでした。このポスターの女性は、南野洋子が演じた湖衣姫(こいひめ)です。信玄の母・大井夫人(若尾文子)が、自分の息子が後世で誤解されていることが多いため、我が子の名誉のために真実を物語る、という体裁を全話一貫してとりました。ナレーションも大井夫人役の若尾が兼ね、『今宵はここまでに致しとうござりまする。』というセリフが流行語大賞となりました。
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『天明6年高島城天守石垣補修・「天守閣を持ち上げたやぐら」復元模型』のタイトルがあった、30分の1モデルです。天明6年は江戸時代の中期を過ぎた1786年になります。
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『高島城復興の工事で出土した・縄文時代~弥生時代の遺物』のタイトルがあった出土品の展示です。昭和45年(1970年)の復興工事の際に見つかった遺物です。縄文土器などは、高島城築城の際、ここに運ばれた資材や土砂に含まれていた物らしいことが解説してありました。縄文土器や土錘(どすい)の出土品の展示です。
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タイトルは先程の出土品と同じです。左上の出土品が『石棒』、その下の3個の出土品が『軽石製品』でした。高島城築城の際、現在のJR上諏訪駅前の丘を崩して土砂を、諏訪市中州にあった金子城から石垣などが運ばれたほか、各地の石塔や石像なども築城のために運び込まれたようです。
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右上に置かれた表示には『高島城復興の工事で出土した・平安時代~中世時代の遺物』のタイトルがありました。本丸角櫓と持丸角櫓の石垣の裏籠め石として使用されていたものの出土品です。左奥が石仏、右奥が石塔です。その下の出土品が、石皿などのようです。
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中央やや左奥の表示パネルは、先程と同じです。左下の出土品展示が、『土錘(どすい)』でした。右側の2枚の写真は、高島1丁目の発掘調査時のものです。高島城二の丸跡から見つかった、中世の住居跡です。
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諏訪湖と、その周辺が描かれた屏風画です。右のほうが途切れましたが、六曲一双の大型屏風のようでした。左半分に黒っぽく見える部分が諏訪湖です。流れ込む川や、流れ出す皮も細かく描かれていました。高島城は確認できませんでした。
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灯台のような姿をしたクラシックな姿の時計の展示です。最上部の鐘が時を報せたようです。その下の文字版には、干支で12時間表示がしてありました。ねじまき用でしょうか、下の方まで2本の金属チェーンが伸びていました。
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オリジナル品らしい甲冑の展示光景です。右下の解説に、『今後解明したい課題』として、『土浦藩真田氏と高島藩の関係』が記されていました。同の部分の金色の円模様が関連しているようでした。
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イチオシ
『明治4(1871)年、破却前の高島城』のタイトルがあった古い写真の光景です。昭和45年の再建工事の際にも参照された写真のようです。この時の瓦は現在の銅葺と違って、木を使った『杮葺き(こけらぶき)』とされます。天守は独立式望楼型3層五階の造りでした。
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『天守復興工事の様子』のタイトルがあった、諏訪市所蔵の写真展示です。昭和45年(1970年)頃の写真のようです。天守台の上に2階分くらいが姿を現していました。
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『天守復興工事終了直後高島城』のタイトルがあった、諏訪市所蔵の写真展示です。昭和45年(1970年)頃の写真のようです。城内の木立は冬木立か新緑の頃のようです。お堀には、冠木橋付近を泳ぐコブハクチョウらしい姿がありました。
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名札が外れかかって、撮影時期が確認できなかった写真ですが、天守が破却され、天守台だけの光景です。冠木橋が化粧直しをされたばかりの頃ですから、年代が特定できるのかも知れません。右下に、『フジカメラ商会製作』の文字もありました。
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『天明6年・天守石垣の大改修』のタイトルがあった説明パネルの光景です。先に紹介した、『天守閣を持ち上げたやぐら』の30分の1模型に関する説明文です。本来ならば、天守を解体して石垣修理をするところ、天守をてこの原理で持ち上げ、石垣の補修が短期間で完成したいきさつが紹介されていました。高島藩大工棟梁の伊藤儀左衛門による発想だったようです。工事に必要なとび職が、江戸から呼ばれたことも紹介されていました。
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『高島城昭和の復興工事写真・復興の話』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『復興された高島城は、綿密な時代考証、夜を徹する工事、多くの市民の募金運動』によって完成したことが具体的に紹介されていました。多くの無給の奉仕活動もあったようです。
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左側のパネルには、『日根野兜』と『日根野しころ』の中見出しがありました。その写真が右側に添えられていました。『日根野兜』は、『日根野頭形兜(ひねの・ずなりかぶと)』、または『五枚張頭形兜(ごまいばり・ずなりかぶと)』とも呼ばれ、当時としては画期的な軽量兜だったとされます。しころは、首の左右と後を守ったもので、いずれも日根野弘就・高吉の考案とされます。
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右側のパネルには、『甲冑の辺か』のタイトルがありました。平安時代中期から始まり、鎌倉時代の元寇での戦の変化、戦国。安土桃山時代での変化などが説明されていました。最後が西洋の南蛮文化による影響の説明でした。
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『昭和38(1963)年、高島城跡遠景』のタイトルがあった諏訪市博物館蔵のカラー写真の光景です。明治時代に破却され、天守閣がない状態の天守台の光景です。
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中央下部の説明プレートには、『大隅流と立川流』のタイトルがありました。諏訪大社の建築をはじめ、全国に名を知られた建築の流派で、現代にもその技術が引き継がれているようです。
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『御柱祭御用』の立札と御幣と注連縄が飾りに使われた置物です。右下に、『島崎二之柱奉参(?)一同」から『諏訪市』に寄贈されたものであることが記されていました。
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外観模擬で再建された高島城の天守閣最上階の室内光景です。右手に見える赤い幟がなければ、まるで協会の室内光景です。赤い幟は武田信玄公所縁の『風林火山』の文字がありました。その文字に添えて、『由布姫(ゆうひめ)ゆかりの地・信州諏訪』の文字がありました。
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同じく、外観模擬で再建された高島城の天守閣最上階の室内光景です。先に紹介した縄張り模型が左手に見えています。ステンドグラスを配してもおかしくない窓や照明器具は、西洋建築風の室内でした。
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地元の生徒さん達も部品造りなどで協力して出来上がった高島城の模型です。白い樹木は満開のソメイヨシノ、ピンクの樹木は梅か桃当たりのようでした。これらが生徒さんたちの手作りのようです。
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現地ガイドさんが説明されていたことですが、生徒さん達が製作に協力したとされる、ソメイヨシノの木々のズームアップ光景です。紙で作られているともお聞きしました。
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中央下部に見えるのが大天守と小天守、中央付近に見えるのが、堀に架かる冠木橋と状なし側の冠木門になるようです。
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城下町から眺めた、天守方面の光景になるようです。天守が中央右よりの奥に見えていました。その途中の立札には、『虎口』や『大手門』の表示がありました。『大手門』は、天守から見て北北東方面にあったようです。
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