2018/08/05 - 2018/08/05
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旅人のくまさんさん
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長野の続百名城巡りです。龍岡藩廃藩後の明治5年(1872年)、五稜郭の建物は解体、競売されました。堀も埋められましたが、昭和の初期に住民によって復元沙汰とれました。唯一残ったのが、校舎として使用された『御台所櫓』でした。
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[龍岡城五稜郭』の跡に建つ、田口小学校の正面光景です。今日は日曜日ですから、五稜郭に入場して見学することができました。旅行社を通じて、事前連絡してありますので、五稜郭内の遺跡や、唯一残った建物の『御台所櫓』にも入場して見学することができました。
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今は、田口小学校の校庭となった五稜郭の多寡隅に建っていた大きな石標の光景です。上部に記された題字は、『頌徳碑』らしい文字でした。末尾付近に辛うじて『昭和6年9月』と、落款の肩書の『従●位勲四等』などの文字が読み取れました。昭和6年(1931年)9月には、満州事変の始まりとなる、関東軍が南満州鉄道の線路を爆破した柳条湖事件が起きています。
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イチオシ
田口小学校の正面から眺めた北側の山並みの光景です。裏山からは城郭が一望できるなど、要塞としては問題がありますが、研究者によっては、稜堡式の外見は松平乗謨公の西洋築城術に対する学問的興味が高じたもので、あくまでも藩主居館を主目的とする見解もあります。
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『龍岡城五稜郭鳥瞰図』に、『黒門』と記された位置に残されていた石垣の光景です。表門から、反時計回りに一つ目と二つ目の稜堡の中間にあった出入口門跡です。左側の一段高くなった場所は、土塁跡のようでした。
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同じく、『龍岡城五稜郭鳥瞰図』に、『黒門』と記された位置に残されていた石垣の光景です。先程の石垣などと、西側を固めていた門のようです。枡形や、虎口は形成されていなかったようです。
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イチオシ
『黒門』跡から出て、北側方面を眺めた光景です。水を湛えた堀が残されていました。今回の龍岡城見学で、最初に感じたのが、堀が随分と狭いことでした。4~5間(約7~9メートル)とされ、在来の城と比べても狭いものでした、堅固な要塞を目的としたものではなく、松平乗謨公が居館として設計したとする根拠にもなっているようです。
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『黒門』跡から出たところで、辺りを少し散策しました。見事に咲き揃い、芳香を放っていた、白い『ムクゲ(木槿、槿)』の花の光景です。アオイ科フヨウ属の落葉樹です。
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少し離れた場所から、ズームアップで撮影したピンク色の花を咲かせた花樹の光景です。『サルスベリ(百日紅)』の花のようでした。ミソハギ科サルスベリ属の落葉中高木です。
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畑で栽培されていたアボカドです。そろそろ収穫時期になったらしい茶色っぽい色をしていました。クスノキ科ワニナシ属の常緑高木です。和名は『ワニナシ(鰐梨)』ですが、使われることはほとんどないようです。
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先程までは閉まっていた『御台所櫓』ですが、現地のボランティアガイドさんが、鍵を開けてくれました。その室内光景です。エアコンがなく、暑い室内を覚悟していましたが、予想が外れて凌ぎやすい室内でした。屋根が高く、広い空間が幸いしていたようです。
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『「国施政・龍岡城跡」の御台所』の文字が記された標識の光景です。国の史跡に指定されたのは、昭和9年(1934年)のことです。廃城後は城内のほとんどが農地転用され、御台所櫓は農機具倉庫として使用されました。明治8年(1875年)以後、御台所櫓は小学校校舎として活用され、昭和4年(1929年)に現在地に移築されました。築城当時の城内東側とは反対側の西側です。
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『三和土(たたき)』の土間から撮影した二階と天井の木組みの光景です。二階に上がる階段も見えていました。中央下部のやや右寄りの位置です、二階は最後に見学しました。
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『三和土(たたき)』の土間から撮影した二階の光景が続きます。土間に面した二階には壁がありませんでしたが、すべて頑丈な木造の手摺りが廻らしてありました。
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イチオシ
『三和土(たたき)』の土間から撮影した漆喰壁と二階方面の光景です。天井板が張ってありませんでしたから、室内の木組みもじっくりと目にすることができました。
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土間から撮影した、畳が敷かれた『小役人詰所』の室内光景です。『御台所(おだいどころ)』は、藩主用の厨房であると同時に、役人の詰所にもなっていました。『御台所』は、普通は『みだいどころ』と読みますが、その場合は、大臣・将軍家など貴人の妻に対する呼称となります。
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同じく、土間から撮影した、『小使詰所』の光景です。畳が敷かれていることと、小窓があることなど、見た目には隣り合わせの『小役人詰所』の室内と、ほとんど変わりはないようでした。鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝の妻である北条政子が『御台所(みだいどころ)』と称され、以降歴代の将軍正室の呼称となりました。のちの室町幕府・江戸幕府の将軍夫人も御台所と称されました。
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1階の『三和土(たたき)』の土間に設置してあった『龍岡城五稜郭』の縮小モデルの光景です。総工費は当時の4万両とされ、慶応2年(1866年)12月には石垣と土塁が竣工、慶応3年(1867年)4月には城郭内に御殿などが完成しました。完成時には領民や藩士にもこの新型城郭の見学を許しています。
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少しズームアップした、『龍岡城五稜郭』の縮小モデルの光景です。星形の城内の中央に集合している建物が、大広間、執政局、御台所、納戸、書院、御居間などです。
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一時期は、農機具倉庫や学校として使用されていた『御台所櫓』の一階光景です。この場所に移築された時に、内部は改装されたのかも知れません。
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台の上にも下にも、徳利風の容器が並べられた展示品コーナーの光景です。『高橋酒店』の文字が記された徳利には、『一升徳利』の表示がありましたが、その左右と左端の徳利も、似たような容量に見えました。
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右端の徳利には、『備前徳利』の表示がありました。その説明文は、『古時代に備前(岡山)で造られたもの』でした。その右側も、白地に薄い青色の釉薬が流れた『徳利』でした。その背後に、五七桐が金箔で記された高価らしい漆の木箱が置かれていました。斜めに置かれた煙管(きせる)の入物かも知れません。
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左側の二本の徳利には、『燗徳利・焼徳利』の表示がありました。二合ほどは入りそうな大きさの徳利でした。右側の展示品は、霧箱に納められていた、二個の酒杯のようです。特別の時に使用された物のか、縁に金飾りが施されていました。その杯の内側には、『聯隊(れんたい:連隊)』の文字が見えました。
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品物の表示はありませんでしたが、3種類の『煙草盆(たばこぼん)』のようでした。『煙草盆』は、火入(ひいれ)、灰吹(はいふき)、煙草入(たばこいれ)、煙管(きせる)、香箸(こうばし)など、喫煙具一式を納めておく道具です。江戸時代後期から、茶道具として用いられるようになりました。
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左側に置かれた、釣り手付きの水筒は、軍用品らしい文字の一部が見えました。右側の白い皿も、文字が見えませんが、『絵具皿』として使われた『梅皿』のようです。『梅皿』は、今でも製造販売されているようです。
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左側の展示品は、持ち運びができる小型の黒板のようにも見えましたが、寄贈者だけが記され、品名の表示はありませんでした。右側の丸い籠は、太い竹で編んでありましたが、同じ方からの寄贈品のようです。
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『こうがい(笄)』や『なかざし(中指、中挿)』の表示があった展示品群です。『笄』は、髪を掻き揚げて、髷を形作る装飾的な結髪用具、『中指』は、丸髷などの髻(もとどり)の中央に、左右から差す笄のよびなとされます。説明文のタイトルは『かんざし(簪)』で、『昔、婦人が頭髪に挿した飾物』と説明されていました。
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『櫛(くし)』の展示光景です。『つげ櫛』のようです。ツゲ科の常緑樹木、『つげ(黄楊、柘植)』から作られる高価な櫛のことです。ツバキ油によく馴染み、静電気を起こさない特徴があるようです。説明文には、『日本製で、髪飾り』と紹介してありました。
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装飾品の展示光景です。大きさから言って、ネックレスではなくブレスレットのようです。材質も、玉のような石製や、木製など様々でした。大きい方は、数珠の可能性もあるようでした。
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ガラス戸棚の中に展示された藍染らしい裃(かみしも)や、右側の西洋風の軍服光景です。左側の裃には、『熨目(のしめ)・●上下(かみしも)』の表示がありました。紋所が読み取れませんでしたが、松平乗謨公の着衣のようです。右手に見えるのは、軍ぷではなく、明治時代の子爵か侯爵時代の式服かも知れません。
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障子戸をバックにした。ガラスケースの展示棚の光景です。明治よりさらに時代が下った時代の軍服や水稲なども展示してあるようでした。
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