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 バウハウスの午前10時の開館までの間、建物の周辺を歩き回りました。<br /> バウハウス通りは、グロピウス大通りから始まってゼミナール広場までの間で、日本の大学と違ってオープンな空間でもあり、誰でも自由に通行できます。<br /><br /> アンハルト大学の敷地内にバウハウスがあって、デッサウ駅からバウハウスまでがある種のアカデミックな公園のエリアのようにも思えます。<br /><br /><br /> バウハウスを見て2つの思いがありました。<br /> 一つはもう数十年前に通っていた大学の講義棟のこと。なんと中途半端な半地下に教室が並んでいるんだろう。。。と疑問だったのですが、このカフェテリアなどの雰囲気とそっくりでした。そんな建物の建て方もあるのかあ、と感じたことを思い出しましたが、バウハウスと関連があったのかもしれないな、と今になって思いました。<br /><br /> もう一つは、建築学科を出て社会人となり初めて神戸の会社の寮に入ったときの記憶です。<br /> なんとなく、このバウハウスの雰囲気にその寮が似ているのです。規模こそここまで大きくないのですが、建物のレイアウトに敷地を広々と贅沢に使って、翼を広げているような感じ。<br /> それらが、共通の特徴のように思えました。

ドイツ鉄道の旅 バウハウスを訪ねて・・・世界遺産のデッサウ校舎2

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2018/03/08 - 2018/03/13

13位(同エリア40件中)

kiyo

kiyoさん

 バウハウスの午前10時の開館までの間、建物の周辺を歩き回りました。
 バウハウス通りは、グロピウス大通りから始まってゼミナール広場までの間で、日本の大学と違ってオープンな空間でもあり、誰でも自由に通行できます。

 アンハルト大学の敷地内にバウハウスがあって、デッサウ駅からバウハウスまでがある種のアカデミックな公園のエリアのようにも思えます。


 バウハウスを見て2つの思いがありました。
 一つはもう数十年前に通っていた大学の講義棟のこと。なんと中途半端な半地下に教室が並んでいるんだろう。。。と疑問だったのですが、このカフェテリアなどの雰囲気とそっくりでした。そんな建物の建て方もあるのかあ、と感じたことを思い出しましたが、バウハウスと関連があったのかもしれないな、と今になって思いました。

 もう一つは、建築学科を出て社会人となり初めて神戸の会社の寮に入ったときの記憶です。
 なんとなく、このバウハウスの雰囲気にその寮が似ているのです。規模こそここまで大きくないのですが、建物のレイアウトに敷地を広々と贅沢に使って、翼を広げているような感じ。
 それらが、共通の特徴のように思えました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.5
グルメ
4.0
ショッピング
3.5
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
25万円 - 30万円
交通手段
鉄道 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
利用旅行会社
ANAセールス

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  • グロピウス大通り側の、バウハウス通り起点

    グロピウス大通り側の、バウハウス通り起点

  •  バウハウス通り。向こうの突き当たりはゼミナール広場

     バウハウス通り。向こうの突き当たりはゼミナール広場

  •  バウハウスは、バウハウス通りを建物が横断していて、ここは渡り廊下かと思われましたが、学長室や会議室などが配置されている下駄履き式の校舎でした

     バウハウスは、バウハウス通りを建物が横断していて、ここは渡り廊下かと思われましたが、学長室や会議室などが配置されている下駄履き式の校舎でした

  •  左には工芸家などが入る研究室が並ぶような部屋がある建物。アンハルト大学の校舎として現役で利用されている、と案内板から推測しています

     左には工芸家などが入る研究室が並ぶような部屋がある建物。アンハルト大学の校舎として現役で利用されている、と案内板から推測しています

  •  右には展示室や大ホールなどが配置された校舎。こちらのカーテンウォールは有名です

     右には展示室や大ホールなどが配置された校舎。こちらのカーテンウォールは有名です

  •  この入り済み部が、バウハウスのメインの入口

     この入り済み部が、バウハウスのメインの入口

  •  半地下にカフェテリアがあり、誰でも入ることができます

     半地下にカフェテリアがあり、誰でも入ることができます

  •  バウハウス通りに玄関は面していました

     バウハウス通りに玄関は面していました

  •  あまり大袈裟ではなくて、この玄関を入ると階段室になっています

     あまり大袈裟ではなくて、この玄関を入ると階段室になっています

  •  玄関庇のサイン

     玄関庇のサイン

  •  バウハウス通りと、グロピウス・アレーを渡って突き当たりがバウハウス広場

     バウハウス通りと、グロピウス・アレーを渡って突き当たりがバウハウス広場

  •  上の写真のすぐ左が、玄関入り口

     上の写真のすぐ左が、玄関入り口

  •  メカニックなカーテンウォール

     メカニックなカーテンウォール

  •  カーテンウォールの後には、白いガラス戸を一斉に開けるアームがあるのが分かります

     カーテンウォールの後には、白いガラス戸を一斉に開けるアームがあるのが分かります

  •  上から2段目と4段目の窓が連動して開く仕組みになっていました

     上から2段目と4段目の窓が連動して開く仕組みになっていました

  •  これらのカーテンウォールは、第二次世界大戦でボロボロになったようですが、復旧されたそうです

     これらのカーテンウォールは、第二次世界大戦でボロボロになったようですが、復旧されたそうです

  •  バウハウスのメインの玄関とシンメトリーになって、工芸館またはアンハルト大学が校舎として使っているところの入口があります

     バウハウスのメインの玄関とシンメトリーになって、工芸館またはアンハルト大学が校舎として使っているところの入口があります

  •  こちらもバウハウスの一部ではありますが、現役で活躍している部分の入口

     こちらもバウハウスの一部ではありますが、現役で活躍している部分の入口

  •  下駄履きのピロティの下をくぐって、バウハウス通りをゼミナール広場へと進みます。左の大梁から跳ね出している部分が廊下。<br /> この梁間間が学長室や様々な部屋が配置されていました。管理棟ブリッジというところでしょうか

     下駄履きのピロティの下をくぐって、バウハウス通りをゼミナール広場へと進みます。左の大梁から跳ね出している部分が廊下。
     この梁間間が学長室や様々な部屋が配置されていました。管理棟ブリッジというところでしょうか

  •  ピロティを抜けてみると、2,3階はカーテンウォールなのでどこからどこが部屋なのか分かりません。<br /> 2階はバウハウス財団や会議室などがあり、3階は建築学科関連の部屋があるようでした

     ピロティを抜けてみると、2,3階はカーテンウォールなのでどこからどこが部屋なのか分かりません。
     2階はバウハウス財団や会議室などがあり、3階は建築学科関連の部屋があるようでした

  •  ここから先は、まったく雰囲気が違ってきます。生活の場となるのです

     ここから先は、まったく雰囲気が違ってきます。生活の場となるのです

  •  ブリッジを抜けると、寮と講堂、食堂の建物があります

     ブリッジを抜けると、寮と講堂、食堂の建物があります

  •  この2階部分が講堂

     この2階部分が講堂

  •  講堂の下、つまり1階部分は立入できませんでしたので未確認ですが、バスエリアやランドリーなど寮生が生活をしていくための機能があるようです

     講堂の下、つまり1階部分は立入できませんでしたので未確認ですが、バスエリアやランドリーなど寮生が生活をしていくための機能があるようです

  •  ブリッジの右に当たるところ、つまり、大学のエリアですが、ここに教室が配置されています

     ブリッジの右に当たるところ、つまり、大学のエリアですが、ここに教室が配置されています

  •  ブリッジを抜けて、2,3階の管理部門エリアを振り返る

     ブリッジを抜けて、2,3階の管理部門エリアを振り返る

  •  グロピウス・アレー(大通り)から一番奥に、寮が配置されています

     グロピウス・アレー(大通り)から一番奥に、寮が配置されています

  •  この寮、平面プランは中廊下式のシンメトリーなのですが、こちらにはシンボルのバルコニーが付けられていません

     この寮、平面プランは中廊下式のシンメトリーなのですが、こちらにはシンボルのバルコニーが付けられていません

  •  寮の横から見ると、管理部門エリアのブリッジは、随分横長く見えますが、実際右半分は大学の教室関連のビルで、直角方向に伸びていて、ブリッジ管理エリアとして使われているのは、真ん中の道幅の上に当たるところだけとなっています

     寮の横から見ると、管理部門エリアのブリッジは、随分横長く見えますが、実際右半分は大学の教室関連のビルで、直角方向に伸びていて、ブリッジ管理エリアとして使われているのは、真ん中の道幅の上に当たるところだけとなっています

  •  均一に見える近代建築をいかに外部と内部を関連づけずに、利用しているかを示されたみたいでした。<br /> こちらは、教室エリア

     均一に見える近代建築をいかに外部と内部を関連づけずに、利用しているかを示されたみたいでした。
     こちらは、教室エリア

  •  ブリッジ上部の管理エリア

     ブリッジ上部の管理エリア

  •  バウハウスの敷地は芝生が植えられた広々としたエリアでしたが、その向こうは閑静な住宅街

     バウハウスの敷地は芝生が植えられた広々としたエリアでしたが、その向こうは閑静な住宅街

  •  裏側、つまり、デッサウ駅側から見たバウハウスも、建築史的には有名

     裏側、つまり、デッサウ駅側から見たバウハウスも、建築史的には有名

  •  特に、この飛び出したバルコニーの連続というデザインに、当時の人は驚いたことと思います

     特に、この飛び出したバルコニーの連続というデザインに、当時の人は驚いたことと思います

  •  このバルコニーの意味は、デザイン以外にどのような目的なのか、初めて見たときは疑問に思いました。<br /> 例えば避難のためなのか、そこで気分転換をする、洗濯物を干すなど考えられますが、そのような機能よりも、デザインとしてのグロピウスの主張であると感じます

     このバルコニーの意味は、デザイン以外にどのような目的なのか、初めて見たときは疑問に思いました。
     例えば避難のためなのか、そこで気分転換をする、洗濯物を干すなど考えられますが、そのような機能よりも、デザインとしてのグロピウスの主張であると感じます

  •  そもそもこの5階建ての建物、バウハウスの寮だと自分は思っていますが、「プレーラーハウス」と呼ばれていて、入居はなかなかだったそうです。<br /><br /> 窓1つが一部屋になっています

     そもそもこの5階建ての建物、バウハウスの寮だと自分は思っていますが、「プレーラーハウス」と呼ばれていて、入居はなかなかだったそうです。

     窓1つが一部屋になっています

  •  「プレーラー」とは、一体何か、と考えたとき、それはバウハウスの学生のことと解釈して、自分的には学生寮だと思っています。<br /><br /> しかし、スタジオとなっているので、その部屋で造形家・建築家・工芸家として社会にデビューする前の創作活動をしていた場所のようなものだったのだろうなあ、と理解することにしました

     「プレーラー」とは、一体何か、と考えたとき、それはバウハウスの学生のことと解釈して、自分的には学生寮だと思っています。

     しかし、スタジオとなっているので、その部屋で造形家・建築家・工芸家として社会にデビューする前の創作活動をしていた場所のようなものだったのだろうなあ、と理解することにしました

  •  そこにこのコンクリート製の庇のようなバルコニーが必要なのだろうか、と思ってしまいますが、このバルコニーがなければこの”プレーラーハウス”はエレベーションに何の魅力も無くなり、今のような注目も浴びなかったに違いありません

     そこにこのコンクリート製の庇のようなバルコニーが必要なのだろうか、と思ってしまいますが、このバルコニーがなければこの”プレーラーハウス”はエレベーションに何の魅力も無くなり、今のような注目も浴びなかったに違いありません

  •  このようなスラブのキャンティレバー構造は、内部の鉄筋がいずれ錆びるのでは無いかという心配を、日本でならばしてしまうところです

     このようなスラブのキャンティレバー構造は、内部の鉄筋がいずれ錆びるのでは無いかという心配を、日本でならばしてしまうところです

  •  グロピウスお踊りに面するワークショップブロックのカーテンウォールとこのプレーラーハウスのバルコニーは、バウハウスの最大のデザイン的な特徴と言えると思います

     グロピウスお踊りに面するワークショップブロックのカーテンウォールとこのプレーラーハウスのバルコニーは、バウハウスの最大のデザイン的な特徴と言えると思います

  •  しかし、バウハウスが世界遺産として評価されるのは、この建物だけではなくそのドイツおよび世界の建築や工芸に大きな革命的影響を与えた歴史的事実であり、教育思想なども高く評価されているからです

     しかし、バウハウスが世界遺産として評価されるのは、この建物だけではなくそのドイツおよび世界の建築や工芸に大きな革命的影響を与えた歴史的事実であり、教育思想なども高く評価されているからです

  •  強烈なインパクトを持つバウハウス・デッサウですが、ここでその崇高な精神で教育と活動が行われたのは、1925年から1931年までのたったの6年間。<br /> ワイマールから移転してきたバウハウスは、1932年にはナチスによってデッサウから追放され、ベルリンへの移転を余儀なくされるのでした

     強烈なインパクトを持つバウハウス・デッサウですが、ここでその崇高な精神で教育と活動が行われたのは、1925年から1931年までのたったの6年間。
     ワイマールから移転してきたバウハウスは、1932年にはナチスによってデッサウから追放され、ベルリンへの移転を余儀なくされるのでした

  •  バウハウスの敷地に隣接して、低層の建物がありましたが、ここはバウハウス・ライブラリー。図書館のようです

     バウハウスの敷地に隣接して、低層の建物がありましたが、ここはバウハウス・ライブラリー。図書館のようです

  •  バウハウス・デッサウ財団による運営で、バウハウスの歴史に関する研究や都市開発・建築・芸術およびデザインに関する出版物などを収蔵する役割

     バウハウス・デッサウ財団による運営で、バウハウスの歴史に関する研究や都市開発・建築・芸術およびデザインに関する出版物などを収蔵する役割

  •  バウハウス・ライブラリーもアンハルト応用化学大学の関連施設となっていました

     バウハウス・ライブラリーもアンハルト応用化学大学の関連施設となっていました

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