2017/08/30 - 2017/08/30
12位(同エリア189件中)
blumentalさん
- blumentalさんTOP
- 旅行記150冊
- クチコミ35件
- Q&A回答0件
- 96,203アクセス
- フォロワー19人
毎年夏に夫婦で行く海外旅行も6回目となります。毎年ドイツに行っていながら、まだノイシュヴァンシュタイン城を見ていないと女房が言うもんですから、今回はオーストリアとセットにして計画しました。準備したのはドイツ&オーストリアユーレイルセレクトパス(2等4日セーバー2名)。
観光初日はウィーンから日帰りでセメリンク鉄道を通ってグラーツ観光です。オーストリア第1の都市はどこか誰もが知っていますが、意外と知られていない第2の都市にも行ってみなければ。何しろ世界遺産の街ですし、途中、世界遺産の路線も通過できて楽しめる片道2時間半の行程です。
旅行の日程は以下の通り:★印がこの旅行記です。
8月29日(火) 10:45関空~14:55ヘルシンキ経由17:10~18:35ウィーン着(ウィーン泊)
★8月30日(水) グラーツ(ウィーン泊)
8月31日(木) メルク、デュルンシュタイン、クレムス、ザンクト・ペルテン(ウィーン泊)
9月01日(金) ウィーン(ウィーン泊)
9月02日(土) パッサウ、レーゲンスブルク(レーゲンスブルク泊)
9月03日(日) フュッセン(フュッセン泊)
9月04日(月) シュヴァンガウ(フュッセン泊)
9月05日(火) ランツフート(ミュンヘン泊)
9月06日(水) ミッテンバルド、ゼーフェルト、ハル、シュヴァーツ(ミュンヘン泊)
9月07日(木) 12:10ミュンヘン~15:35ヘルシンキ17:25~(機内泊)
9月08日(金) 8:55関空着
※何度か夫婦で行った海外旅行ですが、女房のリクエストで、いつの体験だったか整理しておくため、順不同ながら旅行記を書くことになりました。本編が記念すべき旅行記処女作であります(2018年6月)。
※公開後、誤字修正や文章の補足、写真の顔消しなどの改訂をしています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- フィンランド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
今回もお世話になりますフィンエアー、もちろんエコノミー。関空10:45発。
-
ヘルシンキ14:55の到着予定が30分も早い到着。空港で少し退屈しながら、17:10発のウィーン行きに乗り換えです。
-
ウィーン国際空港18:35到着予定が、これも予定よりかなり早く到着。空港地階のウィーン空港駅 Flughafen Wien Schwachatへ移動。中央駅 Wien Hbf. へのアクセスはRailjetがお得(30分に1本です)。切符もネットで購入済みだったので、すんなり乗車(値段はSバーンと同じで3.9ユーロ)。込み具合も大したことなかったです。空港駅19:03発、ノンストップで中央駅19:18着。
-
ウィーン中央駅です。
20年前にウィーンに来たときは、確かウィーン南駅がありました。2014年末に中央駅が開業されたんですね。 -
中央駅近くのホテルにチェックイン後、すぐ近くのチェコレストランで夕食。
-
翌朝6時、ウィーン中央駅東側の風景。たくさんのビルが建設中。ここら周辺は再開発地帯のようです。数年後は、かなり変わっていることでしょう。
-
朝食をたっぷり仕込んで、観光第1日目スタート。
ウィーン中央駅7:58発のECでグラーツへ向かいます。 -
出発して1時間後にはセメリンク峠。
世界遺産のセメリンク鉄道を写真に納めようとしましたが。。。 -
無理!
-
セメリンクSemmering駅に降りることはできませんでしたが、車内からゲーガの碑だけは撮影。
-
カール・フォン・リッター・ゲーガ(1802-60)、セメリンク鉄道の設計者。
セメリンク鉄道は1848-54年に建設されたヨーロッパで最初に国際標準軌間を採用した山岳鉄道であり、アルプス山脈越えの初めての山岳鉄道です(走行距離は全長42km)。 -
イチオシ
セメリンク駅を過ぎて5分後には、結構良い景色が見られます。
-
10:33グラーツ中央駅に到着。
何と奇抜な内装! -
グラーツの駅前広場。なんか殺風景です。駅を出て右側の地下に進むと。。。
-
路面電車の乗り場。自動販売機で24時間乗車券24-StundenKarte(1人5.1ユーロ)を購入しました。ここから3番(1,6,7番も可)の電車で4つ目のハウプト広場へ。
-
ハウプト広場Hauptplatzに到着。目の前には市庁舎。
-
ここは食べ物のスタンドがたくさんあります。
確かこの店はグラーツ出身のアーノルド・シュワルツェネッガーが里帰りした時に立ち寄った店(BS番組で紹介されていました)。 -
店のカウンターの奥に写真発見(小さいですけど)。
-
まず目指すはシュロスベルクSchloßbergです。
ハウプト広場で4番(5番も可)の路面電車に乗り換えて2つ目のSchloßbergbahnで下車。ここからケーブルカーでシュロスベルクの北側山頂に上ります。 -
かなりの傾斜。シュロスベルクカー(ケーブルカー)には24時間乗車券が使えます(時計塔側のエレベーターには使えません)。
-
シュロスベルクSchloßbergは、ドイツ語のつづり改正ルール(1998年)に反してssではなくßで書かれます。これは「Schloßberg」が固有名詞として登録されているため、つづり改正の対象ではなかったためだそうです。
-
山頂駅に到着して、まず目にするのは鐘楼Glockenturm(1588年建設)。高さ34m。
-
山頂駅から北に歩くとすぐにシュロスベルクの北端部分で展望テラスがあります。その手前にはゴシック様式の城門Gothisches Burgtor。
-
テラスの横にはハッカー・ライオンHackher-Löweと呼ばれるハッカー少佐記念碑があります。
フランツ・ハッカー少佐は1809年にナポレオン軍からシュロスベルクを守った英雄です。彼の肖像画がなかったため、ライオン像で代用されたそうです(気の毒に)。1909年製のオリジナルの像は世界大戦時に溶かされたため、1965年に再製作されました。 -
鐘楼の裏側にはカゼマッテン(砲廓)Kasemattenと呼ばれる野外ステージがあります。砲廓とは、兵士や武器弾薬などの物資を保護するため、城壁の下に建設されたアーチ型の部屋のことです。1927年以降、劇場の舞台として使われています。
-
鐘楼から坂道を少し下るとシュロスベルク博物館Schloßberg Museum。
博物館には入らず、隣の土産物屋にだけ入りました。横から大砲が並ぶ展望台に出られます。 -
イチオシ
ここからはグラーツ市街(ムーア川の西側)がよく見えます。
右側にはマリアヒルフ教会Mariahilfer-KircheとムーアインゼルMurinsel。左側のイボイボのある青い建物は。。。 -
クンストハウスKunsthausです。斬新、奇妙、いびつ。
-
さらに坂道を南に下ると、中国式東屋Chinesischer Pavilion(1890年頃の建築)。ここも展望台。
-
南には時計塔Uhrturmが見えます。
-
13世紀に建てられた時計塔です(高さ28m)。
ナポレオン戦争後に城塞は取り払われ、残ったのが鐘楼とこの時計塔です。 -
文字盤は直径5m以上。長針と短針が逆で、今11時半です。
-
時計塔の下には庭園、シュロスベルクの南端部になります。時計塔から南の方向には、市庁舎が見えます。
-
時計塔から東の方向には、大聖堂Domが見えます。
-
時計塔すぐそばに第27歩兵連隊の記念碑Denkmal Infanterie Regiment 27があります。
時計塔からドームや王宮を目指すには、エレベータで降りるよりも、記念碑に向かって右側の下り坂を利用すると近道です。 -
シュロスベルク東側の遊歩道Am Fusse des Schlossberges。ここを下っていくと。。。
-
途中、キリストに出会い。。。
-
さらに坂道をおりると、この建物の裏に。通り抜けると手前のカルメリター広場Carmeliterplatzに出ます。
-
カルメリター広場のペスト記念柱Dreifaltigkeits Pestsäule。
-
カルメリター広場を出て南に50mほど行くと、オーストリア皇帝フランツ1世像のあるフライハイツ広場Freiheitsplatzに出ます。ここは王宮の西側に位置します。
-
彼は最後の神聖ローマ皇帝フランツ2世(在位1792-1806)で、彼のローマ皇帝の称号放棄によって神聖ローマ帝国は消滅しました。しかし退位する前に、初代オーストリア皇帝フランツ1世(在位1804-35)を兼ねることで皇帝の称号を維持しました。
-
フライハイツ広場横のバルハウス通りBallhausgasseから見た時計塔。
-
ホーフ通りHofgasseに面したグラーツ大聖堂Grazer Dom。道を隔てて王宮があります。
-
王宮Burgの南側の城門(ドームのある側)から入ると中庭(駐車場?)があります。王宮は皇帝フリードリヒ3世(在位1452-93年)の居城でしたが、現在は州知事官邸のようです。現存するのはこの階段塔 Treppenturm(1499年建築)だけです。
-
階段塔の二重らせん階段Doppelwendeltreppeの片方を上ります。
-
途中から合体し、左右に分かれ、また合体です。
-
らせん階段途中の窓からの風景です。目の前は大聖堂とマウソレウム。
今12:00、次は大聖堂見学です。 -
王宮の階段塔を出た後、向いの大聖堂に移動しました。
この大聖堂は皇帝フリードリヒ3世によって、1438-64年に宮廷聖堂としてゴシック様式で建てられたものですが、のちにバロック様式に改装されました。 -
内陣と主祭壇。
-
説教壇。
-
パイプオルガン(1978年作)。
-
次は、大聖堂の南側に隣接するマウソレウムMausoleum。
皇帝フェルディナント2世(在位1619-37)が建てた自分の霊廟です。1614-37年の建設では未完、40年の中断後、孫の皇帝レオポルド1世によって1687年に建設再開、1714年に完成(100年がかり!!)。 -
マウソレウムに入ると、まずは十字形のフロアをしたカタリーネン教会Katharinenkircheがあります。内陣にある主祭壇(カタリーネン祭壇Katharinenaltar)はとても大きいです(1687年作)。
-
主祭壇の金の彫像。
-
この部屋にはもう一つ祭壇があります。内陣に向かって左側の翼廊にマリーエン祭壇Marienaltar(1697-1701年作)。
-
身廊の天井フレスコ画は色鮮やか。
-
中心のフレスコ画は、オスマン帝国による第二次ウィーン包囲(1683年)からの解放を描いています。
この時の皇帝がこの霊廟を完成させたレオポルド1世(在位1658-1705)です。しかし、祖父の霊廟の中で自分の功績を称えていいんでしょうかねえ。 -
右側翼廊の先にある楕円形の埋葬礼拝堂Grabkapelle、ここにも祭壇があります。その手前には、円形の井戸の様なものがあり、下の階と吹き抜けになっていました。
-
埋葬礼拝堂の天井です。キリスト被昇天のフラスコ画。
-
地下にある皇帝フェルディナンド2世の墓碑。
三十年戦争を引き起こしたのはこの皇帝。1618年、彼が自分の領地にカトリック信仰を強制したため、ボヘミアの新教徒が反乱を起こしたのが始まりです。 -
近寄れませんが、墓碑は鏡に映るようにしてあります。
-
鐘楼にも上がってみました。シュロスベルクからの景色を堪能したあとなので、感動なし。
-
マウソレウムから西に路地を抜けてグロッケンシュピールGlockenspielの前に出ました(グロッケンシュピール広場です)。今12:30、仕掛け人形の時間ではないようですね。
-
さらに路地を南西に抜けるとヘレン通りHerrengasseに出ました。市教区教会Stadtpfarrkircheを見ようと、南東(ハウプト広場の逆方向)に向かうと。。。
-
おお、ミイラ!
-
どのような外観かは全く分かりませんが、内部はちゃんと見学できました。この教会は1440年建設のカトリック教会です。
-
内陣です。このステンドグラスの絵のどこかにヒトラーとムッソリーニの顔があるらしいのですが、じっくり探す時間はありませんでした。
-
拝廊側。ステンドグラスがパイプオルガン(1970年作)にはめ込まれているように見えます。
-
今度は、ヘレン通りをハウプト広場方向へ移動します。
-
通りに面したこの建物は、武器博物館Landeszeughausなのか州庁舎Landhausなのかわかりませんが、とにかくここを通って中庭に。
-
州庁舎の中庭です。確かに美しいです。
-
州庁舎Landhausは1557-65年の建築で、ルネサンス建築の傑作だそうです。この街では、いろんな様式の建物に出会えます。
-
再びヘレン通りに出て、ハウプト広場方向へ。
-
通りで見かけた砂細工のお兄さん。
-
ヘレン通りですごく目立つのは全面フレスコ画の家です。名前はHerzogshof(公爵宮殿)、別名Gemaltes Haus(塗装された家)。
-
さすがメインストリートです。賑やか。
-
再びハウプト広場です。今13:00。
-
噴水の中央に立つのはヨハン大公(1782-1859)。女帝マリア・テレジアの孫で、民主主義思想を持ち、学問の推進や産業発展、社会福祉に努め、民衆から慕われました。平民の娘と恋愛し、身分差を超えて結婚したのは有名です。
-
現在の市庁舎Rathausは1805-07年に建てられた後、1869-83年に拡張されました。逆光が残念です。
-
ハウプト広場からムーア通りMurgasseを西に、フランシスコ教会Franziskanerkircheの前を通ります。
-
ムーア川を中央駅方向へ渡ります。路面電車の通る橋には鍵がいっぱい。
-
川の北にはムーアインゼルMurinselが見えます。
-
その東側にはシュロスベルクも見えます。
-
橋を渡ると右手にはクンストハウス。
-
見上げてもいびつ。
-
表通りに戻って、Sudriroler Platzで1番の路面電車に乗って、エッゲンベルク城へ移動します。Hauptbahnhofを経てSchloss Eggenbergまで15分程度。
-
Schloss Eggenberg下車後、塀沿いに5分ほど歩きます。
-
エッゲンベルク城の門。
-
入場料を払い中へ。
-
世界遺産エッゲンベルク城Schloss Eggenberg。皇帝の重臣ハンス・ウルリヒ・フォン・エッゲンベルクが建てた城です(1625-35年建築)。
-
イチオシ
しかしエッゲンベルク公一族の栄華は長く続きません。三代続けて子孫が早世し、1717年には男系が途絶え急速に権力を失いました。1754年エッゲンベルク家断絶後に城主となったヨハン・レオポルド・ヘルベルシュタイン公が、屋敷と庭園をロココ風に変えました。
-
14:00からのガイドツアーを申し込んで一休みします。
正面上部の彫刻です。 -
城の前に並ぶ彫像の一つです。
-
ガイドツアー中、残念ながら部屋内部は撮影禁止。という訳で中庭だけ撮影。
注目の「日本の間」はうす暗くて細部まで鑑賞できませんでした。 -
写真を整理する時、州庁舎中庭と間違いそうです。よく似ています。
-
40分程度のツアーも終わり、門に向かいます。
クジャクはどこにいるんでしょうか、全く出会いませんでした。 -
再び1番の路面電車で中央駅へ。予定の列車に余裕で乗れそうです。
-
15:26発のRailjetでウィーンに戻ります。
-
再びセメリンク駅を通過して、18:02ウィーン中央駅に到着。
-
ホテル近くのベルヴェデーレ宮殿の庭園を少しだけぶらぶら歩きした後、近くのレストランで夕食。料理の解説はできません。
とにかく観光初日はおしまい、出足は好調です。明日はヴァッハウ渓谷を巡ります。
(メルク)https://4travel.jp/travelogue/11370023
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2017夏オーストリアとバイエルンの旅
-
2017夏オーストリアとバイエルンの旅01:グラーツ
2017/08/30~
グラーツ
-
2017夏オーストリアとバイエルンの旅02:メルク、ヴァッハウ渓谷1つ目
2017/08/31~
メルク
-
2017夏オーストリアとバイエルンの旅03:デュルンシュタイン、ヴァッハウ渓谷2つ目
2017/08/31~
デュルンシュタイン
-
2017夏オーストリアとバイエルンの旅04:クレムス、ヴァッハウ渓谷3つ目
2017/08/31~
クレムス
-
2017夏オーストリアとバイエルンの旅05:ザンクト・ペルテン、ヴァッハウ渓谷のついで
2017/08/31~
ザンクト・ペルテン
-
2017夏オーストリアとバイエルンの旅06:ウィーン
2017/09/01~
ウィーン
-
2017夏オーストリアとバイエルンの旅07:パッサウ
2017/09/02~
パッサウ
-
2017夏オーストリアとバイエルンの旅08:レーゲンスブルク
2017/09/02~
レーゲンスブルク
-
2017夏オーストリアとバイエルンの旅09:フュッセン
2017/09/03~
フュッセン
-
2017夏オーストリアとバイエルンの旅10:ホーエンシュヴァンガウとヴィース教会
2017/09/04~
ホーエンシュヴァンガウ
-
2017夏オーストリアとバイエルンの旅11:ランツフート
2017/09/05~
バイエルン州
-
2017夏オーストリアとバイエルンの旅12:ミッテンヴァルト
2017/09/06~
ミッテンヴァルト
-
2017夏オーストリアとバイエルンの旅13:ゼーフェルト、チロル地方1つ目
2017/09/06~
ゼーフェルト
-
2017夏オーストリアとバイエルンの旅14:ハル、チロル地方2つ目
2017/09/06~
ハル
-
2017夏オーストリアとバイエルンの旅15:シュヴァーツ、チロル地方3つ目
2017/09/06~
シュヴァーツ
-
2017夏オーストリアとバイエルンの旅16:最後はミュンヘンで締めくくり
2017/09/06~
ミュンヘン
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
グラーツ(オーストリア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
グラーツ(オーストリア) の人気ホテル
オーストリアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
オーストリア最安
345円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
旅行記グループ 2017夏オーストリアとバイエルンの旅
0
100