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5月12日に、鹿児島市で夫の久しぶりの同窓会があるという。<br />この機会にmistralも便乗して、お墓参りをかねて、<br />日頃残してきたままのお墓を管理して下さっている親戚のおじさんへご挨拶がてらお見舞いの訪問を、<br />そして鹿児島空港近辺にあるお気に入りの温泉宿に宿泊する計画を立てた。<br /><br />折から鹿児島は、NHKで始まっている大河ドラマ「西郷どん」の影響か、大賑わい。<br />どこに行っても外国からのお客様も含めて、観光客で溢れていた。<br /><br />夫の出身地のドラマでもあり、<br />多少なりとも鹿児島の広報にもなればと<br />まずは西郷どん、ゆかりの地を巡った旅行記です。<br /><br />(表紙写真は仙巌園から眺めた桜島)<br /><br />

「西郷どん」で盛り上がっている鹿児島を歩いてきた。

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2018/05/12 - 2018/05/15

197位(同エリア2006件中)

mistral

mistralさん

5月12日に、鹿児島市で夫の久しぶりの同窓会があるという。
この機会にmistralも便乗して、お墓参りをかねて、
日頃残してきたままのお墓を管理して下さっている親戚のおじさんへご挨拶がてらお見舞いの訪問を、
そして鹿児島空港近辺にあるお気に入りの温泉宿に宿泊する計画を立てた。

折から鹿児島は、NHKで始まっている大河ドラマ「西郷どん」の影響か、大賑わい。
どこに行っても外国からのお客様も含めて、観光客で溢れていた。

夫の出身地のドラマでもあり、
多少なりとも鹿児島の広報にもなればと
まずは西郷どん、ゆかりの地を巡った旅行記です。

(表紙写真は仙巌園から眺めた桜島)

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
カップル・夫婦
交通手段
レンタカー ANAグループ
旅行の手配内容
個別手配

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  • 5月12日 夫は同窓会の関連イベントで母校訪問へ。<br />その間、mistralはまち巡りバスを城山から利用して市内観光へ出かけた。<br />図には収まっていないが、11番の上方にある13番が目的地の仙巌園となる。<br />一回の料金は170円<br /><br />帰路は13番から乗車して天文館で下車した。

    5月12日 夫は同窓会の関連イベントで母校訪問へ。
    その間、mistralはまち巡りバスを城山から利用して市内観光へ出かけた。
    図には収まっていないが、11番の上方にある13番が目的地の仙巌園となる。
    一回の料金は170円

    帰路は13番から乗車して天文館で下車した。

  • バスに揺られていく道中<br />西郷洞窟前、薩摩義士碑前など興味深い場所を通過していった。<br />(途中下車しなかったので、通り過ぎた地点は翌日の13日に訪問した)<br />目的地の仙厳園で下車。

    バスに揺られていく道中
    西郷洞窟前、薩摩義士碑前など興味深い場所を通過していった。
    (途中下車しなかったので、通り過ぎた地点は翌日の13日に訪問した)
    目的地の仙厳園で下車。

  • 仙巌園、入り口<br />さすが鹿児島、<br />日差しはすでに関東地方の感覚では、真夏!<br />御殿見学もできる入場券を購入、1300円。

    仙巌園、入り口
    さすが鹿児島、
    日差しはすでに関東地方の感覚では、真夏!
    御殿見学もできる入場券を購入、1300円。

  • 仙厳園は江戸時代初期(1658年)<br />19代藩主、島津光久によって築かれた島津家の別邸。<br /><br />写真は反射炉の模型だが(実際の4分の1のサイズ)<br />この近くに反射炉の遺構が残っている。<br /><br />木炭を燃やし、熱を壁と天井に反射されることによって温度を上げて、<br />鉄を溶かす為の施設であり<br />島津斉彬が大砲を鋳造するために造らせたもの。<br /><br />当時、オランダの書物のみを頼りに日本人だけで工夫して造りあげたそうだ。<br />完成後の1858年、斉彬は病死したため,当時事業に取り組んでいた200人の職人は5人までに減らされてしまったそうだ。<br />その後、薩英戦争後に失われてしまい、基礎部分のみが今に残る。<br /><br />

    仙厳園は江戸時代初期(1658年)
    19代藩主、島津光久によって築かれた島津家の別邸。

    写真は反射炉の模型だが(実際の4分の1のサイズ)
    この近くに反射炉の遺構が残っている。

    木炭を燃やし、熱を壁と天井に反射されることによって温度を上げて、
    鉄を溶かす為の施設であり
    島津斉彬が大砲を鋳造するために造らせたもの。

    当時、オランダの書物のみを頼りに日本人だけで工夫して造りあげたそうだ。
    完成後の1858年、斉彬は病死したため,当時事業に取り組んでいた200人の職人は5人までに減らされてしまったそうだ。
    その後、薩英戦争後に失われてしまい、基礎部分のみが今に残る。

  • 歩き始めてすぐの所<br />お土産ものなどが並ぶ売店

    歩き始めてすぐの所
    お土産ものなどが並ぶ売店

  • 売店の一角にあるお店、<br />長い行列だったけど、帰りに通りかかったら誰も並んでいなかったので<br />ぢゃんぼ餅を頂いた。<br />二本の串にささった醤油と味噌味<br />二種類の味が楽しめる一口大のお餅。<br />一人分が6個入りとのこと、<br />そんなに食べきれない、と思ったけど<br />全部食べ終わった。

    売店の一角にあるお店、
    長い行列だったけど、帰りに通りかかったら誰も並んでいなかったので
    ぢゃんぼ餅を頂いた。
    二本の串にささった醤油と味噌味
    二種類の味が楽しめる一口大のお餅。
    一人分が6個入りとのこと、
    そんなに食べきれない、と思ったけど
    全部食べ終わった。

  • 日陰は涼しいけれど<br />陽射しは真夏。

    日陰は涼しいけれど
    陽射しは真夏。

  • 示現流・自顕流展示室<br />薩摩には二つの流派があるそうだ。<br />中央の木のやせ細った様に注目。

    示現流・自顕流展示室
    薩摩には二つの流派があるそうだ。
    中央の木のやせ細った様に注目。

  • 頭上でふりかぶり、左右から振り下ろす。<br />特徴的なことは、大きな声で相手を威圧することだそうだ。<br />(こちらは自顕流で キエエーーーというような絶叫)<br /><br />「西郷どん」のナレーション時に聞かれる<br />チェスト、という言葉も、その折の掛け声の一種だそうだ。<br /> (こちらが示現流、一説では 知恵を捨てよ→ちえすてょ→ちぇすと!となった)<br /><br />屋外に体験できるコーナーがあって、実際トライしている人もいたが<br />力一杯振り下ろしたら、手が痛くなりそう。

    頭上でふりかぶり、左右から振り下ろす。
    特徴的なことは、大きな声で相手を威圧することだそうだ。
    (こちらは自顕流で キエエーーーというような絶叫)

    「西郷どん」のナレーション時に聞かれる
    チェスト、という言葉も、その折の掛け声の一種だそうだ。
     (こちらが示現流、一説では 知恵を捨てよ→ちえすてょ→ちぇすと!となった)

    屋外に体験できるコーナーがあって、実際トライしている人もいたが
    力一杯振り下ろしたら、手が痛くなりそう。

  • 五代龍作(友厚の養子)は、第7代鉱業館長に1903年就任。<br />天降川沿いの水天淵に発電所を建設、金山の設備を電力に切り替えた。<br />ヨーロッパ風の石造建造物で、昭和58年まで使用されていたが、<br />解体され、屋根の一部が現在は仙厳園に保存されている。<br /><br />

    五代龍作(友厚の養子)は、第7代鉱業館長に1903年就任。
    天降川沿いの水天淵に発電所を建設、金山の設備を電力に切り替えた。
    ヨーロッパ風の石造建造物で、昭和58年まで使用されていたが、
    解体され、屋根の一部が現在は仙厳園に保存されている。

  • 往時の発電所の全景

    往時の発電所の全景

  • 正門は 明治28年完成。<br />NHK大河ドラマ、「篤姫」で江戸の薩摩藩邸としてよく登場したのは<br />この門だそうだ。<br />放映時には撮影をしたポイントとして掲示板があったようだが、現在は代わって<br />「西郷どん」ロケ地の掲示板があちこちに立てられている。

    正門は 明治28年完成。
    NHK大河ドラマ、「篤姫」で江戸の薩摩藩邸としてよく登場したのは
    この門だそうだ。
    放映時には撮影をしたポイントとして掲示板があったようだが、現在は代わって
    「西郷どん」ロケ地の掲示板があちこちに立てられている。

  • 木材はすべて鹿児島県の県木、クスノキが使われている。<br /><br />内部にみえるのは島津家の家紋「丸十紋」と「桐紋」

    木材はすべて鹿児島県の県木、クスノキが使われている。

    内部にみえるのは島津家の家紋「丸十紋」と「桐紋」

  • 大名庭園としては<br />格別な規模を誇る。

    大名庭園としては
    格別な規模を誇る。

  • 錫門<br />江戸時代の正門<br />屋根が錫で葺かれている。<br />屋根だけで重さが1トンあるという。<br />当時は当主とお世継ぎしか通ることができなかった。<br /><br />大河ドラマの中では<br />斉彬が薩摩と江戸を行き来するシーンなどが撮影された。<br />

    錫門
    江戸時代の正門
    屋根が錫で葺かれている。
    屋根だけで重さが1トンあるという。
    当時は当主とお世継ぎしか通ることができなかった。

    大河ドラマの中では
    斉彬が薩摩と江戸を行き来するシーンなどが撮影された。

  • 御殿は、1990年より一般公開が始まった。<br />当時の殿様の暮らしぶりがわかるとのことで<br />外国からの観光客も多い。<br /><br />明治時代、薩摩藩最後の藩主、29代島津忠義が<br />明治4年、廃藩置県以降、鶴丸城を明け渡し<br />ここに移り本邸として使用していた。<br /><br />

    御殿は、1990年より一般公開が始まった。
    当時の殿様の暮らしぶりがわかるとのことで
    外国からの観光客も多い。

    明治時代、薩摩藩最後の藩主、29代島津忠義が
    明治4年、廃藩置県以降、鶴丸城を明け渡し
    ここに移り本邸として使用していた。

  • 探してみよう、釘隠<br />との案内板があった。<br />エリア毎に釘隠の意匠が変わっていた。

    探してみよう、釘隠
    との案内板があった。
    エリア毎に釘隠の意匠が変わっていた。

  • 釘隠のいくつか

    釘隠のいくつか

  • 昔の鶴丸城とほぼ同じ造りであり<br />当主の部屋などに使われている木材は屋久杉だそうだ。<br /><br />入口には着物姿の女性が立って案内をされていた。

    昔の鶴丸城とほぼ同じ造りであり
    当主の部屋などに使われている木材は屋久杉だそうだ。

    入口には着物姿の女性が立って案内をされていた。

  • もともとは1658年、19代島津光久によって別邸として築かれた。<br />その後増改築を繰り返しながらも島津家の歴代に愛され、<br />幕末以降は国内外の賓客をもてなす施設として用いられた。

    もともとは1658年、19代島津光久によって別邸として築かれた。
    その後増改築を繰り返しながらも島津家の歴代に愛され、
    幕末以降は国内外の賓客をもてなす施設として用いられた。

  • 御湯殿

    御湯殿

  • 忠義専用のご不浄

    忠義専用のご不浄

  • 謁見の間

    謁見の間

  • 照明器具は<br />明治期から使用されていたもの。<br />当時は水力発電で電気を供給していた。

    照明器具は
    明治期から使用されていたもの。
    当時は水力発電で電気を供給していた。

  • 傘の一つ一つに<br />島津家の家紋「丸十字」がついている。

    傘の一つ一つに
    島津家の家紋「丸十字」がついている。

  • 明治維新150周年記念による展示だったようだが<br />巨大な 薩摩焼蓋付壺 一対 がガラスケースに展示されていた。<br /><br />明治29年、29代島津忠義が、ニコライ二世の戴冠式に贈呈する為に<br />12代沈壽官が薩摩焼の大壺を制作し<br />その後エルミタージュ美術館が所蔵していたものを<br />12代の曾孫にあたる15代沈壽官氏が複製したものだそうだ。<br />

    明治維新150周年記念による展示だったようだが
    巨大な 薩摩焼蓋付壺 一対 がガラスケースに展示されていた。

    明治29年、29代島津忠義が、ニコライ二世の戴冠式に贈呈する為に
    12代沈壽官が薩摩焼の大壺を制作し
    その後エルミタージュ美術館が所蔵していたものを
    12代の曾孫にあたる15代沈壽官氏が複製したものだそうだ。

  • 縁側で<br />しばし築山の桜島を鑑賞。

    縁側で
    しばし築山の桜島を鑑賞。

  • 台湾のお客様から、ここは風水がとても良いね<br />とのコメントが多く寄せられるという。<br />島津家には戦国時代、中国人の家臣がいたそうだから<br />風水を意識して建設しているということは納得できる。<br /><br />御殿前にある池の中の八角形の凸型のマス状のもの。<br />

    台湾のお客様から、ここは風水がとても良いね
    とのコメントが多く寄せられるという。
    島津家には戦国時代、中国人の家臣がいたそうだから
    風水を意識して建設しているということは納得できる。

    御殿前にある池の中の八角形の凸型のマス状のもの。

  • この写真は<br />中庭にあった八角形の凹型のもの。<br /><br />両方で陰と陽をなしているそうだ。<br />八角形は風水上では最強の形であり<br />二つの八角形を結ぶ線上に<br />当主、忠義の居室があったそうだ。<br />

    この写真は
    中庭にあった八角形の凹型のもの。

    両方で陰と陽をなしているそうだ。
    八角形は風水上では最強の形であり
    二つの八角形を結ぶ線上に
    当主、忠義の居室があったそうだ。

  • 庭園に咲いていたのは<br />アヤメ? カキツバタ?

    庭園に咲いていたのは
    アヤメ? カキツバタ?

  • 御殿を出て<br />再び庭園を歩き出した。

    御殿を出て
    再び庭園を歩き出した。

  • 御殿を出たすぐ前の広場からが桜島のビューポイントの一つ。<br />殿様が別邸に選んだだけあって、鹿児島で一番景色が良い場所とのこと。<br />桜島を築山、錦江湾を池に見立てて借景として楽しまれたそうだ。

    御殿を出たすぐ前の広場からが桜島のビューポイントの一つ。
    殿様が別邸に選んだだけあって、鹿児島で一番景色が良い場所とのこと。
    桜島を築山、錦江湾を池に見立てて借景として楽しまれたそうだ。

  • 庭園内では灯籠があちこちに見られる。<br /><br />鶴灯籠という頭部が大きな灯籠で、斉彬はガス灯の実験をしたそうだ。<br />城下町にガス灯を灯す計画を立てていたそうだが,<br />志半ばで急死した。

    庭園内では灯籠があちこちに見られる。

    鶴灯籠という頭部が大きな灯籠で、斉彬はガス灯の実験をしたそうだ。
    城下町にガス灯を灯す計画を立てていたそうだが,
    志半ばで急死した。

  • こちらは獅子乗大石灯籠<br />明治17年、直義が造らせた灯籠で、上部に大きく口を開けた獅子が乗っている。<br />笠石と台石は自然石を使用していて、笠石は磯海岸の防波堤に使われていたものを利用した。その大きさは畳8畳分もあるそうだ。

    こちらは獅子乗大石灯籠
    明治17年、直義が造らせた灯籠で、上部に大きく口を開けた獅子が乗っている。
    笠石と台石は自然石を使用していて、笠石は磯海岸の防波堤に使われていたものを利用した。その大きさは畳8畳分もあるそうだ。

  • 御殿外観

    御殿外観

  • 望嶽楼<br />桜島を眺めるために造られたあずまや。<br />350年前に琉球王国から贈られたとのこと。

    望嶽楼
    桜島を眺めるために造られたあずまや。
    350年前に琉球王国から贈られたとのこと。

  • 島津斉彬がここで<br />勝海舟と面談し<br />島津忠義が<br />ロシア皇帝ニコライ二世と会った。<br />

    島津斉彬がここで
    勝海舟と面談し
    島津忠義が
    ロシア皇帝ニコライ二世と会った。

  • 「西郷どん」でロケに使われた<br />ポイントには看板がたっている。<br /><br />御殿前の庭園で島津斉興、側室お由羅と<br />息子、久光が語り合っている最中<br />斉彬が登場しアヘン戦争についての議論をしたシーン。<br /><br />

    「西郷どん」でロケに使われた
    ポイントには看板がたっている。

    御殿前の庭園で島津斉興、側室お由羅と
    息子、久光が語り合っている最中
    斉彬が登場しアヘン戦争についての議論をしたシーン。

  • 祥福橋より

    祥福橋より

  • 石垣に挟まれた石階段も<br />撮影地となった。

    石垣に挟まれた石階段も
    撮影地となった。

  • このシーンとか<br />いくつか撮影されているようだ。<br /><br />西郷吉之助らが、斉彬の江戸行きに同行する若い藩士を求めている話を聞きつけ、盛り上がったシーン。

    このシーンとか
    いくつか撮影されているようだ。

    西郷吉之助らが、斉彬の江戸行きに同行する若い藩士を求めている話を聞きつけ、盛り上がったシーン。

  • 最後に借景となっている桜島を<br />もう一度眺めて写真におさめた。<br /><br />この仙厳園、公的施設か?と思っていたら<br />運営は島津興業ということを知ってびっくり。

    最後に借景となっている桜島を
    もう一度眺めて写真におさめた。

    この仙厳園、公的施設か?と思っていたら
    運営は島津興業ということを知ってびっくり。

  • 鶴嶽神社を遠くにみながら<br />バスの停留場へ急いだ。<br />(ところが当日は土曜日のせいか市内は大渋滞だったようで<br />なかなかバスが到着せず、延々と待たされてしまった。

    鶴嶽神社を遠くにみながら
    バスの停留場へ急いだ。
    (ところが当日は土曜日のせいか市内は大渋滞だったようで
    なかなかバスが到着せず、延々と待たされてしまった。

  • 翌5月13日<br />鹿児島市を出発して出水に向かった。<br /><br />市内を出る前、ホテル近くの城山から、前日バスで通りかかった西郷隆盛、ゆかりの地を巡ってみた。<br />

    翌5月13日
    鹿児島市を出発して出水に向かった。

    市内を出る前、ホテル近くの城山から、前日バスで通りかかった西郷隆盛、ゆかりの地を巡ってみた。

  • 西郷隆盛洞窟と立て看板がある。<br /><br />明治10年2月、西郷を敬愛する私学校生徒を中心にして反政府軍となっていった薩軍。<br />鹿児島城下を出発した薩軍は、熊本城での攻防、田原坂での敗退後<br />8月解散。<br />その後隆盛ら幹部は九州の山間地を難行軍の末に<br />9月1日、城下に戻り、城山に立て籠もった。<br />

    西郷隆盛洞窟と立て看板がある。

    明治10年2月、西郷を敬愛する私学校生徒を中心にして反政府軍となっていった薩軍。
    鹿児島城下を出発した薩軍は、熊本城での攻防、田原坂での敗退後
    8月解散。
    その後隆盛ら幹部は九州の山間地を難行軍の末に
    9月1日、城下に戻り、城山に立て籠もった。

  • 西南戦争の最後の5日間、<br />隆盛が銃弾に倒れるまで過ごしたのが<br />この洞窟だそうだ。

    西南戦争の最後の5日間、
    隆盛が銃弾に倒れるまで過ごしたのが
    この洞窟だそうだ。

  • 内部はそれほど<br />広いとはいえないもの。

    内部はそれほど
    広いとはいえないもの。

  • すぐ近くの<br />広場に立っていた隆盛像。<br />有名な軍服を着たものとは別。<br />

    すぐ近くの
    広場に立っていた隆盛像。
    有名な軍服を着たものとは別。

  • 洞窟から更に曲がりくねった道を<br />300メートルほど下ったところにある<br />西郷隆盛終焉の地という立て看板。

    洞窟から更に曲がりくねった道を
    300メートルほど下ったところにある
    西郷隆盛終焉の地という立て看板。

  • 明治10年9月24日<br />城山を包囲した政府軍により一斉に砲撃が開始された。<br />洞窟を出て敵陣目がけた隆盛は、腰と太ももに銃弾を受け、この地で<br />別府晋介の介錯によって最後を遂げた。<br />「晋どん、もうここらでよか。」<br /><br />七ヶ月続いた西南の役が、その時、終わりとなった。

    明治10年9月24日
    城山を包囲した政府軍により一斉に砲撃が開始された。
    洞窟を出て敵陣目がけた隆盛は、腰と太ももに銃弾を受け、この地で
    別府晋介の介錯によって最後を遂げた。
    「晋どん、もうここらでよか。」

    七ヶ月続いた西南の役が、その時、終わりとなった。

  • 鶴丸城跡地へ向かっている途中<br />西南戦争時の弾痕跡がそのまま<br />残っている石垣。

    鶴丸城跡地へ向かっている途中
    西南戦争時の弾痕跡がそのまま
    残っている石垣。

  • 西南戦争は<br />不平士族の反乱が相次ぐ中<br />隆盛を慕う私学校の生徒達が政府の挑発によって引き起こした暴動が始まりで、<br />首謀者の引き渡しか全面戦争かを問われる中、その結論を出したのが<br />「おはんらにやった命」という隆盛の一言だった。<br />時の流れが隆盛を追い込んでいったかに思われる。

    西南戦争は
    不平士族の反乱が相次ぐ中
    隆盛を慕う私学校の生徒達が政府の挑発によって引き起こした暴動が始まりで、
    首謀者の引き渡しか全面戦争かを問われる中、その結論を出したのが
    「おはんらにやった命」という隆盛の一言だった。
    時の流れが隆盛を追い込んでいったかに思われる。

  • 薩摩義士碑<br />1753年、徳川幕府に命じられた木曽川等の改修工事の折<br />薩摩藩は1年3か月をかけて難工事を完工した。<br />その折りの犠牲者に対する供養塔として1920年建立された。

    薩摩義士碑
    1753年、徳川幕府に命じられた木曽川等の改修工事の折
    薩摩藩は1年3か月をかけて難工事を完工した。
    その折りの犠牲者に対する供養塔として1920年建立された。

  • 5月14日 出水から鹿児島市に戻り<br />鹿児島中央駅西口にレンタカーを駐車。<br />西口駐車場は新幹線、特急利用者に対しては、割引が適用されるということがわかり<br />(一日利用料金800円が500円となる)<br />「指宿のたまて箱」に乗車した後に<br />駐車したままで、歴史ロード「維新ふるさとの道」を歩いてきた。

    5月14日 出水から鹿児島市に戻り
    鹿児島中央駅西口にレンタカーを駐車。
    西口駐車場は新幹線、特急利用者に対しては、割引が適用されるということがわかり
    (一日利用料金800円が500円となる)
    「指宿のたまて箱」に乗車した後に
    駐車したままで、歴史ロード「維新ふるさとの道」を歩いてきた。

  • 大久保利通の銅像<br />強い日差しでお顔が全く見えない。<br />川の反対側、高麓町に生まれ、7歳の時この地へ引っ越してきて<br />3歳年上の西郷隆盛とは同じ「郷中-ごじゅう」で育った。

    大久保利通の銅像
    強い日差しでお顔が全く見えない。
    川の反対側、高麓町に生まれ、7歳の時この地へ引っ越してきて
    3歳年上の西郷隆盛とは同じ「郷中-ごじゅう」で育った。

  • おだやかな<br />甲突川の流れ。<br />川沿いに史跡が点在している。

    おだやかな
    甲突川の流れ。
    川沿いに史跡が点在している。

  • 甲突川の川沿いにはパネルがあちこちに立てられている。<br />お馴染みの西郷隆盛と大久保利通の肖像。<br /><br />鹿児島市の観光地図を見ていて、多くの銅像が設置されていることに驚いた。<br />西郷隆盛 小松帯刀 大久保利通<br />天璋院篤姫<br />島津斉彬、島津久光、島津忠義<br />坂本竜馬 五代友厚<br />東郷平八郎<br />フランシスコ・ザビエル などなど<br />歴史に登場する多くの人の名が見られる。<br /><br />

    甲突川の川沿いにはパネルがあちこちに立てられている。
    お馴染みの西郷隆盛と大久保利通の肖像。

    鹿児島市の観光地図を見ていて、多くの銅像が設置されていることに驚いた。
    西郷隆盛 小松帯刀 大久保利通
    天璋院篤姫
    島津斉彬、島津久光、島津忠義
    坂本竜馬 五代友厚
    東郷平八郎
    フランシスコ・ザビエル などなど
    歴史に登場する多くの人の名が見られる。

  • 島津斉彬 肖像画。

    島津斉彬 肖像画。

  • 加治屋町に暮らしていた<br />下級武士の家が再現されている。

    加治屋町に暮らしていた
    下級武士の家が再現されている。

  • 郷中教育の基礎となった<br />「いろは歌」の歌碑が。<br /><br />郷中教育とは薩摩藩独特の教育制度であり、武士の子供は6,7歳になると郷中という地域毎に設けられた集団に入り、10~20代半ばの年長者から剣術や学問、武士の心得などを学んでいった。<br />その心得が碑となって立っている。

    郷中教育の基礎となった
    「いろは歌」の歌碑が。

    郷中教育とは薩摩藩独特の教育制度であり、武士の子供は6,7歳になると郷中という地域毎に設けられた集団に入り、10~20代半ばの年長者から剣術や学問、武士の心得などを学んでいった。
    その心得が碑となって立っている。

  • 西郷隆盛・従道誕生地の看板。<br />従道は隆盛の弟にあたり、日本初の元帥、海軍大将、初代海軍大臣となった。

    西郷隆盛・従道誕生地の看板。
    従道は隆盛の弟にあたり、日本初の元帥、海軍大将、初代海軍大臣となった。

  • ここが生まれ育った地だが<br />目黒区の西郷従道邸の庭園跡地にあった庭石も運ばれてきている。

    ここが生まれ育った地だが
    目黒区の西郷従道邸の庭園跡地にあった庭石も運ばれてきている。

  • 最後に「維新ふるさとの道」スタート地点までやって来た。<br />旅行記を書くにあたり、パンフレットなど読んでいて、<br />この辺り一帯に、明治維新で活躍した人物が多く生まれていることを改めて知った。<br /><br />14日はこの後<br />駐車場からレンタカーをピックアップし妙見温泉へと向かった。<br />

    最後に「維新ふるさとの道」スタート地点までやって来た。
    旅行記を書くにあたり、パンフレットなど読んでいて、
    この辺り一帯に、明治維新で活躍した人物が多く生まれていることを改めて知った。

    14日はこの後
    駐車場からレンタカーをピックアップし妙見温泉へと向かった。

  • 最後に、西郷隆盛の略年表を参考までに。<br />(西郷どん おさんぽMAPより)<br /><br />1828年 下加治屋町で誕生<br />1854年  斉彬と共に江戸へ、御庭方役に任ぜられる<br />1858年  斉彬逝去 <br />             勤王僧 月照と共に錦江湾に入水、一人助かり奄美大島へ<br />1859年  愛可那と結婚<br />1862年  許されて鹿児島に戻るが、再び徳之島に<br />1864年  鹿児島へ許されて戻る<br />1865年  岩山イトと結婚<br />1868年  江戸城無血開城<br />1871年  新政府で参議となる<br />1873年  陸軍大将となる<br />1877年  西南戦争に敗れ、城山にて籠城の後、自決  享年49歳<br /><br />幕末から明治維新後までを駆け抜けた、大きな存在だった人物を現地で感じてきた。<br />

    最後に、西郷隆盛の略年表を参考までに。
    (西郷どん おさんぽMAPより)

    1828年 下加治屋町で誕生
    1854年 斉彬と共に江戸へ、御庭方役に任ぜられる
    1858年 斉彬逝去
    勤王僧 月照と共に錦江湾に入水、一人助かり奄美大島へ
    1859年 愛可那と結婚
    1862年 許されて鹿児島に戻るが、再び徳之島に
    1864年 鹿児島へ許されて戻る
    1865年 岩山イトと結婚
    1868年 江戸城無血開城
    1871年 新政府で参議となる
    1873年 陸軍大将となる
    1877年 西南戦争に敗れ、城山にて籠城の後、自決 享年49歳

    幕末から明治維新後までを駆け抜けた、大きな存在だった人物を現地で感じてきた。

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この旅行記へのコメント (10)

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  • しにあの旅人さん 2019/06/21 09:23:02
    芋づる式にここまで来ました
    どこでつながったのか覚えていないのですが、鹿児島に来ました。昨年5月ごろ薩摩大隅の神社巡りをした時、鹿児島市に4泊しましたが、市内はほとんど行っていません。仙厳園をちょっとだけでした。
    ちゃんと調べれば、市内も面白いのですね。
    今朝はmistralさんのブログをずっと読んでいました。

    mistral

    mistralさん からの返信 2019/06/21 14:41:17
    Re: 芋づる式にここまで来ました
    シニアの旅人さん

    たくさんのご投票をありがとうございました。
    芋づる式に、というお言葉
    ありますね~
    どこから、ここまでやって来たのかわからないけど、
    気がついたら来ていた、という体験。
    薩摩大隅の神社巡りの旅行記をアップされている
    シニアの旅人さんのサイトを拝見した折
    鹿児島の方かと最初はおもったのでした。

    mistral
  • salsaladyさん 2018/06/04 14:05:01
    林真理子監修『西郷どん』今読んでま~す。
    ☆TVドラマは見ないけれど、「せごどん」の名前が世間に知れ渡ってるのでちょっと手が伸びました。真理子流ちょっぴりエロさを交えた西郷どんは現代の男に通用するね!

    ☆高校時代に合唱部で訪れた鹿児島は,要するに日本昔話の如く男尊女卑の最たる土地としか思えなかったけれど。。。西郷さんの心中は意外に優しかったのかな?

    ☆歴史ものは何とでも脚色できるのが作者の醍醐味!だから何処まで真実か?疑問~

    mistral

    mistralさん からの返信 2018/06/04 16:26:29
    Re: 林真理子監修『西郷どん』今読んでま~す。
    salsaladyさん

    こんにちは。
    メッセージ、有難うございます。
    真理子さんの原作を読んでらっしゃるんですね。
    私は、西郷隆盛像は大河ドラマと、歴史の授業で学んだ知識からでしか知りませんが、
    きっと魅力的な男として描かれていることでしょう。
    さらに、ちょっぴりエロいんですね!
    男尊女卑、酒豪の多い所、言葉がチンプンカンプン、などなど色々なイメージがある鹿児島ですが、
    (夫も鹿児島出身ですが) 何度か鹿児島に足を運ぶうちに、
    今まで抱いていたイメージとは違うものを感じています。
    今回、斉彬、隆盛、お二人の取材?だけで終わりましたが、きっと代々新しいものを取り入れる気概のあるお国柄なのかも、と思いました。

    mistral
  • tabinakanotaekoさん 2018/05/31 18:08:32
    見所が多そうですね。
    mistralさん、
     
     見所が多そうですね。いつか行ってみたいと思っています。
    お庭のカキツバタかアヤメかがすっと立って咲いているのを見て、貴女の旅行記のシチリア島の低いアイリスを思い出しました。ビックリの背の低さですね。誰かが花を折って土に刺したのかと思う程で仰け反ってしまいましたわ。適応能力のなせるワザなんですね。大変興味深かったです。

                taeko

    mistral

    mistralさん からの返信 2018/06/01 09:44:01
    Re: 見所が多そうですね。
    taekoさん

    続きまして、こちらにも有難うございます。
    思っていた以上に鹿児島には驚かされました。
    歴史上の有名人が満載の街です。

    セジェスタの神殿で、ただ一輪、咲いていたアイリス、
    野生のアイリスってあったんでしょうか。
    地面近くに花があって、見慣れていた茎とのバランスがなってなかった!です。
    日差しはたっぷりでも、風が吹き渡る地に、見事に適応してました。

    mistral
  • 川岸 町子さん 2018/05/30 14:20:17
    スケールの大きな街
    mistral さん、こんにちは(^-^)

    旬の街鹿児島ですね!
    学生時代に訪れたことがありますが、なんと言っても、桜島の堂々とした姿が印象的でした。
    あと、薩摩切子の美しさです。
    今回は初夏のスカッとした青空によく映えますね。

    「桜島を築山、錦江湾を池に見立てて借景として楽しまれたそうだ。」
    とは、なんとも豪華な庭園でしょうか!スケールが違います!
    市内に存在する歴史上の有名な方々の銅像まで、めっちゃ豪華メンバーですね(笑)
    歴史を大きく動かしてきた土地だと改めて伺えます。

    今回の旅行記、他の皆さまもお考えのように、観光案内としても楽しめました(^o^)
    mistral さんのおかげで、益々鹿児島人気が高まりますね~!
    町子

    mistral

    mistralさん からの返信 2018/05/30 16:23:15
    Re: スケールの大きな街
    町子さん

    いつもありがとうございます。
    私も最初の訪問は、学生時代の卒業前の九州一周の旅でした。城山の展望台で、桜島をバックに友人と写真におさまっていたのをよく覚えています。
    その後長い年月が経ち、夫の実家(今はありませんんが)の墓地がまだ残されていて、それをどうするか、だんだん真剣に考えなくてはいけない年代となり、今回が二度目の鹿児島訪問となりました。

    今回、折からNHKの大河ドラマの舞台でもあり、改めて幕末から明治維新の歴史を振り返ってみましたら、改めてビックリ!おっしゃるとおりに、豪華メンバーが勢ぞろいしていた土地だったんです。
    そういう意味で、旅行記を書くということは、自分の記憶の整理、足りない知識の補充、老化防止などなど、沢山の効能があります。
    旅する為に必要な健康の維持とともに、あたまもなんとかシャキッとしていなくては、と思います今日このごろです。

    mistral
  • あの街からさん 2018/05/29 18:51:40
    素敵なガイドさんにご案内していただいたようです
    Mistralさん 今晩は
    大河ドラマ「西郷どん」は「篤姫」を観た
    記憶とすり合わせをしながら観ていますが
    Mistralさんの旅行記で実際の家屋敷や風景を
    旅先で出会った凄く良いガイドさんに当たった
    時のような丁寧かつ要所をきっちりと抑えた
    旅行記の運び方に今回もまたたっぷりと
    今が旬の鹿児島を案内していただき
    ありがとうございました。
    私は未だ鹿児島を訪れたことがありませんので
    行ってみたい所がまた1つ増えました。
                あの街から

    mistral

    mistralさん からの返信 2018/05/29 23:14:57
    Re: 素敵なガイドさんにご案内していただいたようです
    あの街からさん

    こんばんは。
    投票とメッセージを有難うございました。
    あの街からさんも、大河ドラマ、ご覧になっていましたか。
    我が家でも、ほぼ習慣化して見ております。
    特に、鈴木亮平さんがどんな西郷どんを演じられるかといった興味もあり、毎回欠かさず見ています。
    今回、鹿児島に行くまでは、幕末の複雑に入り組んだ歴史に??の部分がたくさんあったのですが、旅行記にコメントをつける段階になって、少々お勉強をしました。
    その成果が少し表れましたでしょうか?
    お褒めいただきまして有難うございました。
    鹿児島も行く度に新たな発見があります。
    機会がありましたらご訪問下さいませ。

    mistral

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