
2022/02/10 - 2022/02/10
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mistralさん
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鹿児島2泊の日程の真ん中の日の2月10日。
当日は重要な目的の日。
墓じまいと、そのあとは自宅敷地跡での役所担当の方、地元の自治会の役員の
方々との打ち合わせ、そして長い不在の間、お墓、敷地などの面倒を
見て下さっていた親戚のおじさんのお墓詣りを予定していた。
出水駅からはレンタカーを予約していた。
以前訪問した折りには、お墓の位置がすぐにはわからず、周辺を何度も
うろうろ走り回ったが、その折りに詳細な手書きの地図を残していたので
今回は無事に辿りつくことができた。
古くからある村の共同墓地なので、ナビで辿りつくのは至難のわざ?の地。
予定の行事を無事に済ませ、その後向かったのは
ツル観察センター。二度目の訪問になる。
不思議なことだが夫は麓の武家屋敷群は行ったことがないようなので
其のあとには一部だけでも歩いてみようと思っていた。
(表紙写真はつる観察センターに舞い降りている沢山のツルたち。)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2月10日
広々とした、あたり一面の田んぼの真ん中にある
ツル観察センターにやって来た。
車を停めて観察センターに向かうと -
建物のはるか後方にツルが密集しているのが見えた。
-
鳥インフルが流行っている頃は地上からは近づけないよう
柵があったそうだが -
現在はセンターと田んぼの間にある道路までは近づいていける。
-
道路ぎわにある柵にもたれて
-
ツルの群れをしばらく見とれていた。
-
シベリアから越冬のために
はるばる海を越えてやってくるツルたちは -
最初は親鳥に連れられて、
やがては若鳥が先頭に立って
自然に備わった方位磁針によって
飛来してくるのか。 -
ナベズル(鍋鶴)の名前の由来は
鍋底についたススのように黒い色をしていることから
なずけられた。体長100センチ位。
世界の生息数は1万1500羽ぐらいで
その8割以上が出水平野で冬を越すそう。 -
クビに黒いスジの立ち上がっているのが
マナズル(真鶴)
体長は120センチ位。
世界のマナヅルの約半数の3000羽が飛来しているそう。 -
「出水市ツル博物館 クレインパークいずみ」より
飛来するツルの種類 の画像をお借りしました。
左はナベズル
右はクロズル の写真。
クロズルの方は、身体全体が白っぽい灰色をしていることが
分かります。
説明をして下さったおじさんによると、当日は2羽のクロズルが
いるようだ、とのことだったが、mistralには判別ができなかった。 -
いつ頃から飛来してくるようになったのか、
今では出水は2万羽ものツルの越冬の地として有名。
既に第一陣は帰ったそうだ。 -
こんな広大な地で
昼間は思い思いの場所に飛び立ち
エサをひたすらついばむ。 -
昼間はツルたちは田んぼに落ちている稲穂や
虫などを食べるのに忙しく
たまに数羽で飛び立つのが見受けられるぐらいだった。 -
時には編隊を組んで飛ぶ姿も見られるが
数は少ない。
夕方まで待っていれば
沢山のツルの帰巣する編隊に出会えるのかも。 -
観察センターに入場し
2階フロアに上がってきた。 -
上部から眺める。
ここ出水は令和3年11月、国内で53番目となる
ラムサール条約の湿地に登録された。 -
ラムサール条約の
「国際的に重要な湿地を特定するための9つの基準」のうち
4つの基準を満たしていることによる登録だそうだ。 -
出水ツルの越冬地が満たしている基準としては
下記項目4つが該当した。
・絶滅のおそれのある種や群集を支えている湿地
・動植物のライフサイクルの重要な段階を支えている湿地。
または悪条件の期間中に動植物の避難場所となる湿地。
・定期的に2万羽以上の水鳥を支える湿地。
・水鳥の1種、または1亜種の個体群で、個体数の1%以上を
定期的に支えている湿地。 -
頻繁に通っておられるというおじさんが
色々説明して下さった。 -
-
只今の飛来数というのが出ているが
どのようにしてカウントするのか?
日本野鳥の会の人たち? -
別方向の田んぼにも
群れが餌をついばんでいた。
いくら見ていても飽きないけれど
鹿児島市に行く前に
出水麓(ふもと)にある武家屋敷を見ることになっていた。 -
15分ぐらいで麓に到着。
徳川家康が1600年の関ケ原の戦いで天下を平定し、
幕府は一つの藩には一つの城のみを認めるという
「一国一城令」を発布。
薩摩藩初代藩主、島津家久は、自らの居城として鹿児島城(鶴丸城)
を築き、ここを本城とした。 -
他には、県内各地に外城(とじょう)を配置、武士団を住まわせた。
この外城制度は薩摩藩独自の体制だった。
その外城の中心地である麓(ふもと)には武家屋敷群が数多く残されている。
写真パネルは、現在でものこる麓の様子。
1600年頃から約30年間の間に薩摩藩最大の武家屋敷群が出水に造られた。
(国の重要伝統的建造物群保存地区指定となっている。) -
出水御仮屋門(いずみおかりやもん)
この地は一時豊臣秀吉の直轄地となったが
その後の、慶長の役で島津氏に対する恩賞として返還された。
その後、島津忠恒(初代薩摩藩主)は領地の復興にあたらせた。
藩主の実父、島津義弘は、出水が国境の重要な地であると考え、
この地に居住し防衛に当たろうと考え
帖佐(姶良市)にあった館の門を移築したが、居住には至らなかったようだ。 -
この門は、藩主の地方巡行や参勤交代の宿泊所である
御仮屋の門として、そして現在は
出水小学校の校門として400年以上経った今も利用されている。
小学生たちがこの門から下校して行った。 -
手打ち十割そば 遇祥庵 前を通過。
(その折りにはわからず、随分古いお家だなあ、と通りすぎた。)
自分たちで育てたそば粉を使い、だしも、カツオ、椎茸、昆布
とシンプル、一日限定30食というそば店のようだ。 -
麓は、防御に適した場所に作られ、各家の門と玄関の間には生垣を配置、
まるで城のような構造を持っていた。
そこでは武士達は心身を鍛え、生活は豊かではないため農耕に従事し、
平和な世であったとしても武芸の鍛錬をすることを怠らなかった。 -
中井勝郎 美術・古文書館
(旧 二階堂邸)
中井氏の奥様のご実家だったそうで
そのご縁で中井氏の作品が展示されているとのこと。
この武家屋敷群の中でも、この後に行く税所氏らと並び
高い地位の武家であったようだ。
幕末には西郷隆盛兄弟も宿泊され、
参勤交代出立時、同行する武士の宿にも利用されている。 -
ぐるりと回ってみただけだったが
竹を加工した作品、
前衛芸術家、中井氏による絵画作品
西郷自筆の掛け軸や桐野利明宛の書簡などなど
ゆかりの品々の展示があったようだ。
(庭園を回るだけだと無料) -
西郷隆盛のシラス(火山灰)像
-
ここの庭園についての説明板があった。
朝鮮出兵の際に、島津義弘が連れ帰った大陸の名工の作のようだ。
枯山水の薩摩庭園の発祥となるものらしい。
当時の明の庭園様式を反映、水墨画のような庭石・灯篭などの
配置となっている。池や水を配置せず、草木で川の流れや滝などを
表現しているので、枯山水と呼ばれるそうだ。
その後の江戸中期、この庭園を原型として、更に洗練された薩摩
庭園が鹿児島各地に造られていった。そのうちの仙厳園は
県の重要文化財に指定されている。 -
裏庭にあった「ばくちの木」
樹皮がはがれて、幹の赤い色があらわになることから
ばくちで損をして身ぐるみ剥がされた姿に似ていることから
附けられた名前。
薩摩武士は、他藩の武士とは違い、
自宅の庭で農業を営み、いざという時にだけ戦場にかけつける
とう習わしから、米以外はすべて自給自足の生活をしていた。 -
畑には芋を中心にして、各種野菜が栽培され
山林では果実、香辛料、孟宗竹などの用具材料などが栽培された。
江戸時代の武士が農耕をすることは恥とされ、鍬やすきを持つことは
決してなかったが島津藩の武士は通常は自らの田畑を耕し自給自足の
生活をしていた。
いざ戦となると刀に持ち替えて出兵、江戸時代最強の武士軍団を結成
し、薩摩藩特有の郷中精度によってその精神は代々受け継がれていった。 -
天璋院篤姫 シラス像
実在の写真から、若返らせて作られた写真をもとにしたそうだ。 -
土蔵?
-
江戸時代そのままの屋敷全体が残る土地は、唯一この二階堂屋敷のみ
となった。江戸時代そのままの、屋敷と草木は当時の武家社会の生活
様式がわかる貴重な文化遺産となっている。
ぐるっと一周してきて正面にもどってきた。 -
このように碁盤の目状に道路が通り
左右には石垣の上に生垣が綺麗に整えられている。 -
道路は低い位置に(掘り下げられて?)造られ
家の中から通行する人々の様子がわかるように
工夫されているそうだ。 -
竹添邸
前回訪問の折には、夕方になり公開時間には間に合わなかった
ので、お庭だけを見学させていただいた。
「篤姫」ロケ地と書かれていた。 -
共通入館証が必要らしい。入場料は510円。
竹添邸、税所邸、出水麓歴史館の三施設に入館できるようだ。
中で入館証を購入したが、時間も十分にないため、
竹添邸のみの見学となった。 -
出水の麓は
隣国、肥後藩とは最接近している地のため
藩の防衛上重要な拠点となっていた。
その為、常に異変が察知できるように
外部の様子がすぐにわかるよう
住居は塀に近く建てられていた。
(例えば知覧の麓とは家屋の配置がだいぶ違うらしい。) -
こちらから内部に入っていった。
-
旧竹添邸住宅 主屋・祠
(市指定有形文化財)
「郷のあつかい役を勤めた郷士の家」とあった。 -
竹添家は肥後の国、人吉、球磨城主相良氏の一族で
寛永14年、麓へ屋敷が移されてきた。
代々組頭やあつかいなどの要職を務めたそうだ。 -
「なかえ」
家族が普段、生活するところ。
食器も普段使いのものが並べられている。 -
-
-
上部には長持ち(衣装入れ)が置かれていた。
-
麓にある武家屋敷群
-
こちらの一角は公式なお客をおもてなしする場。
主屋は玄関・次の間・座敷を構え、
座敷と次の間が一体となって庭に面し
馬場(街路)と並行に並んでいる。 -
篤姫のロケが
このお座敷で行われた。 -
たしかお庭には
示現流のお稽古用の木が架けられていて
自由に打ち込みの体験ができたような記憶があるが
どうだったんだろう? -
特徴的な生垣の下に使われている丸石。
-
このようにして10日の出水での日程は終わったのですが、
それに先立ち、11時からは墓地での墓じまいの儀式を
地元の僧侶の方にお願いしていたのです。
すでに10数年まえ、分骨をしていたので、今回は墓じまいのみ。
写真は我が家の墓地の区画の外に点々と置かれている墓石。
義父、叔父、地元のおじさんなどからの聞き語りによると
島原の乱から逃れてきたお武家一族を、当時のご先祖が匿い
面倒をみていたそうだ。一族(墓石は奥の方に)、お付きの皆さんの
墓石が墓地には点々と残され、親戚のおじさんが亡くなるまでは
ずっと面倒を見て下さっていた。
我が家のお墓も撤去され平地となり、これからはこのあたりの
面倒は付近の方々がきっと見て下さることだろう。 -
その後、我が家の敷地(現在は市に運動公園として
利用していただいている)に移動して
地元の役員の方々、親戚の方、役所の担当の方を交えての
打合せ。
土地の一角に氏神さまをお祀りした神域があり、その周辺の
木々が巨木となってしまい、扱いに困っていたようだ。
台風などで木が倒れたりして周辺の方に被害が及ぶことが
あると困るということで、
神さまには天に帰っていただくことになった。
そうすれば一帯の木々の伐採もできることになるようだ。
(写真は翌日の11日のもの。)
私たちは不在でも構わないということで、諸々の準備は
地元の役員さん、親戚の方にお任せした。
海・山の幸などを祭壇に用意し、近くの神社の宮司さんに
祝詞を挙げていただき、神さまには無事に天にお戻り
いただいたようだ。
其のあたりの段取りは、地元の方々がどんどん取り計らって
下さったこと、こころから感謝をしています。 -
10日夕刻
鹿児島中央駅前のホテルに無事チェックインをした。
いろいろあった一日が終わった。
出水から鹿児島中央までは相変わらずの新幹線を利用。
(所要時間 23分、 3260円)
部屋の窓のシエードを上げたら、駅の上にある観覧車が
綺麗にライトアップされていた。 -
前日の川内の夜は、街を歩いても飲食店はほとんど閉まっていたので
鹿児島市中心部だったら大丈夫だろうと
ホテルからも歩いていけそうな居酒屋を探して
「さつま居酒屋 えご屋」というお店へやってきた。 -
カウンター周りの席に案内され
定番宴会コース2500円というお料理を注文。
お通しから始まり、自家製豆腐、釜揚げしらすサラダ、お刺身、
炙りしめ鯖、馬刺し、浜焼き、大根のから揚げ、チキン南蛮、
おにぎり、おすまし
などなど、食べ終るころ合いを見計らって次のお料理が出てきて
地元の新鮮な材料を使った食事を堪能した夜だった。
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