2022/02/09 - 2022/02/09
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mistralさん
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今回の鹿児島への旅は、単なる観光ではなく、別の目的があった。
義父が千葉県へ移ってきて以来、いずれは向き合わなくてはならなかった先祖代々のお墓の問題と、60年近く空き地となっていて、途中からは義父が出水市に相談をし、運動公園として地元の方々に使っていただいている土地の問題だった。
それら決断は、夫の肩に随分前から委ねられており、そろそろ決着をつけるよう(mistralから)迫られていた。
今回やっと3日間の休みを取れそうなので、昨年から墓じまいに向けての準備を始め、その日は10日に決まっていた。
9日は到着後、鹿児島市内で数時間の余裕があるので、
夫はある図書館に出向き調べものをしたいと。
mistralも丁度良い機会なので、石造建造物巡りをしようとかねてから調べていた。
(表紙写真はかつては甲突川にかかっていた西田橋、現在は移築されて石橋記念公園にある。)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- ANAグループ 新幹線 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
以前妙見温泉にある石原荘に泊まった折
別棟の石蔵がレストランになっていて
倉庫として使われていた石蔵が、内部はモダンにリノベされていた。
石蔵はこの辺りに特有なものという事をその時に知った。
(写真は2018年5月に滞在した折の石蔵の様子。) -
山下洋輔氏の本を読んで、祖父である山下啓次郎氏が設計した
五大監獄の一つ、鹿児島刑務所の門のみが現在は鹿児島アリーナに
移築されていて(11日に訪問)この監獄のみが特徴的な
石造建築となっていることなどを知り、
今回の鹿児島では石造建築物を見て廻ろうと思っていた。 -
2月9日 ANA623便
羽田発 11:45
飛行機に搭乗するのは本当に久しぶり。
当日はお天気も良くて、富士山の姿もすっきりと見えた。
2時間ほどで鹿児島空港に到着
リムジンバスで鹿児島中央駅へ。
キャリーはコインロッカーに預けて、それぞれの目的地へと向かった。 -
鹿児島中央駅から鹿児島駅までやってきた。
そこからは石橋記念公園まで徒歩で15分ぐらい。 -
中心部を流れる甲突川には、かつて5つの大きなアーチ石橋が
架かっていたそうだ。
これらの石橋は薩摩藩の財政改革の成功もあって、肥後(熊本県)
から招かれた名石工、岩永三五郎によって架橋が実現した
歴史的にも価値のある橋だったようだ。 -
あとで公園内で出会った
名石工、岩永三五郎の像。 -
平成5年、集中豪雨による洪水で、五石橋のうち二つの橋が
流失。
残された西田橋、高麗橋、玉江橋を、河川の改修とともに
移設される計画が進められていった。
移設工事は西田橋を県が、残りの二つの橋を鹿児島市が担当。
これら三つの石橋が一体となった公園が平成12年に開園した
と案内板にあった。
公園に入ってすぐ目にする「西田橋」
1846年、石橋に架け替えられた。 -
城下の玄関口としての役割のあった西田橋、
江戸時代には、鶴丸城から九州街道へ至る島津家参勤交代の道筋にあった。
木橋から石橋への架け替えの際にも、青銅製の擬宝珠をそのまま使用した。
岩永三五郎の技術が十分に発揮された傑作と言われ
昭和28年、県指定有形文化財に指定されている。
写真上は明治初期、下は大正末期のもの。 -
移設後は人工的に造られた川にかけられたのかもしれないが
水面に移る橋の姿は重厚で美しい。 -
岸べにも降りられるようになっている。
-
-
川岸にあたる部分には
掃き清めた際にできる、ひとすじひとすじのあとが残されている。
毎日手入れをされているのかもしれない。 -
綺麗につけられたすじの上に
足跡がくっきりと残る。 -
橋を渡ってみるため、階段を上がっているところ。
-
高欄についての説明:
他の4橋とは違う意匠上の特徴として
柱と横架材との組手として、柱に切り込みを作り
そこに横架材を差し込み、横にずれないような工夫がされているそうだ。 -
実際に渡ってみて、橋を間近で見てみると
すべてが石から出来ていることに驚く。 -
西田橋御門が見えてきた。
-
西田橋御門は左岸側にあった門。
かつては武士、町人、領内を通過する旅人は
御門脇にある番所で改めを受けて通行していた。
明治5年、天皇行幸時に撮影された写真には写っているそうだが、
その後西南戦争で焼失したようだ。
西田橋解体時におこなった付近の発掘調査により、御門のものと
思われる礎石の一部が発見されているようだ。 -
石橋記念公園から祇園之洲公園へと
橋を渡って移る。
この公園側にも二つの石橋が移設されている。
(こちら側は鹿児島市による事業。) -
丁度桜島が見えてきた。
-
西南の役 官軍戦没者慰霊塔
-
西南戦争は
薩摩軍が西郷隆盛をリーダーとして、7ヵ月間にわたり政府軍と攻防を繰り返した戦い。
この間の戦死者は、官軍側6,840人、薩軍側6,400人、合わせて13,240人にのぼる。
最後の決戦場となった鹿児島。そのうちの官軍将兵1,270人はここ祇園之洲に葬られたが、その後墓地の荒廃が進み、1955年地下納骨堂に合葬され、西南戦争100年に際しては慰霊塔がたてられた。 -
祇園之洲砲台跡
-
1863年、薩英戦争の時には6門の大砲が配備、
イギリスの軍艦1艘が砲台前で座礁したため
イギリス艦隊はこの砲台に集中砲火をあびせたそう。
その結果最も被害の大きい砲台となった。
今も残るのは、長さ115m、高さ1.2mの胸壁。 -
他にも供養の塔が建っていたようだ。
このあたり、鹿児島の悲惨な歴史を物語る地でもある。 -
「高麗橋」1847年完成。
五石橋の中でも2番目に長い、4連アーチの石橋。 -
橋の上の敷石の様子。
-
川床に敷かれていた石(護床敷石)により
水の勢いが減らされて橋が守られていたそうだ。 -
橋の向こう側には
桜島が見えている(あいにく上部は雲がかかっていた。) -
移設にあたり復元までの技術的な工夫がパネルになっていた。
・石橋が水平方向に広がろうとする力に抵抗する為、両岸の橋台の後ろには、大きな石を積み上げて、石橋が動かないような工夫がされていたそうだ。
・アーチ石は、最初に両側の石材を仮置きして、アーチ石全体の納まり具合を確認してから、アーチ石の据え付けを行った。
・解体時に長年の自動車などの加重により飛び出していた壁石は、壁面が平らになるように整えた。 などなど、、、写真と共に解説があった。 -
-
水切り石の説明が次の写真に。
垂直に近い勾配で立ち上がった水切り石は、橋面近くまで築かれている。
大雨の時には水を左右に分け、壁にあたる水の力を和らげて
壁石を守る役割をしている。
水切り石は五石橋の中でも一番大きく、高麗橋の特徴になっているそうだ。 -
水切り石がどの部分に当たるのかの解説は上記イラストを参照ください。
-
今まで、それぞれの石の役割まで考えてみたことがなかった
けれど、納得しながら石の一つ一つを眺めてみると
長年、風雨に耐えてきた石たちの想いが伝わってくるようだ。 -
高欄はすべてコンクリートでつくり替えられていたので
新しい石材(花棚石)を加えて復元。
安全性を高めるため、支えのない箇所には補強をした。
耳石は、橋面敷石の一番外側にある石で、壁石の外に
張り出している。 -
橋面敷石
斜めにきれいに張られている。 -
周囲に枝を広げた松の巨木があった。
なにやら謂れがあったのかもしれない。 -
「玉江橋」は1849年完成。
五石橋の中でも一番上流にあり、最後に造られた
4連アーチの石橋だった。
城下町郊外で通行料も少ないためか、横幅も一番狭く、建設費も
他に比べると少なく、造りもやや粗末なことなどから
実用橋として利用されていたと考えられているそう。 -
-
表面の舗装の下から、創建時のものと思われる敷石が
発掘された。張り方は乱張りだったが、一部はコンクリート
に置き換えられていたそう。
歩いてみると、表面は平らではなく波打っている。 -
-
-
海沿いの道、左手には桜島をみながら歩いて駅まで戻った。
次に機会があったら桜島にも渡ってみたいなあ、と思いつつ。 -
鹿児島駅まで戻ってきた。
この後鹿児島中央駅へ行き、新幹線で川内に向かう予定。
夫は小学生時代をその地で過ごした為、友人に会う約束をしていた。 -
鹿児島中央駅から川内駅まで
新幹線さくらだとたったの11分、但し乗車券ともで1820円。
今回の時間に追われた旅だと、この11分で到着してしまうさくらは
お金には代えがたかった。
(ちなみに在来線を利用すると53分、乗車券は950円) -
ホテルは「S CUBE HOTEL by SHIROYAMA」
川内駅からは徒歩一分とあった。
別のホテルの予約を済ませていたが
地元の友人からこちらのホテルの紹介をいただき変更。
城山ブランドを備えたシティ&ビジネスホテルだそう。 -
ベッドの足元側にある扉を右にスライドさせると
-
洗面台が現れてきて
空間が広がりを感じられる仕組み。
後方にある棚も荷物など広げて置けて便利だった。 -
ベッド奥にあるソファのコーナーもこじんまりしていて
くつろげた。 -
窓からは川内駅、新幹線ホームなどが一望。
-
-
灯りのともった夜。
-
地元の食材などをいただける居酒屋さんがあるだろうと
街歩きをしてみたが、結局、ほとんどのお店は閉まっていて
唯一営業をしていたラーメン店で簡単に済ませて帰ってきた。
ホテルに併設されているレストラン(写真)で食事を
しておけば良かったと後悔。 -
翌10日
ホテルのロビーの様子。 -
川内は竹が豊富にあるとのことで
竹製品のオブジェが広場に展示されていた。
翌10日も新幹線を利用して
出水まで向かいます。(所要時間は11分、1920円)
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この旅行記へのコメント (10)
-
- ままさん 2022/03/01 09:28:11
- 西田橋などの石橋は故郷の誇りです
mistralさん
ご無沙汰しています。
このコロナ禍精神的に疲れ4トラ遠退いていました。
何となく覘いてみたら郷土の誇りである西田橋の表紙写真に見入ってしまいました。
山下啓次郎氏のお名前は存じていますよ。鹿児島刑務所や西田橋などを設計した方ですよね。
郷土自慢話になってしまいますが、薩摩藩は8代藩主の島津重豪(評判は別として)が近代化の基礎を築き11代藩主の島津斉彬が外国の先端技術を取り入れたんです。また薩摩藩の教育には上の者が下を育てるという「郷中教育」の思想や気風があってので五代友厚のような人物を輩出されたと思っています。
そう言えば暫く石橋記念公園や祇園之洲公園に行ってないなぁ。気候も温かくなったので行ってみようと思います。素晴らしい旅行記ありがとうございます!
ままより
- mistralさん からの返信 2022/03/01 09:48:36
- RE: 西田橋などの石橋は故郷の誇りです
- ままさん
本当にお久しぶりです。
コメントをいただき驚いています。
どうされておられるか?気になっていました。
> このコロナ禍精神的に疲れ4トラ遠退いていました。
そうだったんですね。
私は、能天気ゆえ、仕方ない、共に生きていかなくては、など思っていました。
> 何となく覘いてみたら郷土の誇りである西田橋の表紙写真に見入ってしまいました。
ままさんは「さつまおごじょ」でしたよね!
西田橋が地元の方にとって誇りとなるような存在だったなんて!
はるばる写真を撮りに行って良かったです。
> 山下啓次郎氏のお名前は存じていますよ。鹿児島刑務所や西田橋などを設計した方ですよね。
> 郷土自慢話になってしまいますが、薩摩藩は8代藩主の島津重豪(評判は別として)が近代化の基礎を築き11代藩主の島津斉彬が外国の先端技術を取り入れたんです。
斉彬さんの存在は知っていましたが、8代藩主さんのことまでは存じ上げませんでした。
その方が近代化を築く土台をつくられたんですね。
代々進取の気風があったのですね。
また薩摩藩の教育には上の者が下を育てるという「郷中教育」の思想や気風があってので五代友厚のような人物を輩出されたと思っています。
>
郷中教育、NHKのせごどん、で学びました。
あのテレビドラマで時々訪れる鹿児島のことに一層興味を抱いたのでした。
> そう言えば暫く石橋記念公園や祇園之洲公園に行ってないなぁ。気候も温かくなったので行ってみようと思います。素晴らしい旅行記ありがとうございます!
私の方こそ、コメントをいただき嬉しかったです。
そろそろ春の訪れも近いようです。
ままさんも活動を始めてくださいね。
mistral
-
- しにあの旅人さん 2022/02/21 16:18:02
- すごい薩摩藩
- 薩摩川内、11月末に行ったばかりです。
私たちも夕食難民になりかけて、やっと開いていたラーメン屋さんでなんとかなりました。
ひょっとして同じラーメン屋さんかな。西口の石走ラーメンでした。ラーメンだけ、ビールもなし。今時珍しい。
前回も同じお話をしましたが、市内のさびれ方はひどいものでした。
私たちのホテルは東横IN薩摩川内駅東口でした。お隣です。
東口は西口よりさらに何もないところでした。
これらの橋は19世紀前半に作られたものですか。石の橋なんて、日本では珍しい。この頃薩摩藩では何があったのでしょう。目下書いている九州旅のブログで、三国名勝図会という書物を参照しているのですが、これも1840年ごろ編纂された薩摩藩の地誌です。素晴らしい百科事典。他の藩ではやっていません。そういうものも作りました。
近年は自動車が通っていたそうですね。そんなに堅牢なものだとは、すごい話。イタリアではよくある話です。向こうは石の本場ですが、それに匹敵することになります。
薩摩藩への認識を新たにしました。
- mistralさん からの返信 2022/02/21 21:31:38
- RE: すごい薩摩藩
- しにあの旅人さん
こんばんは。
いつも有難うございます。
> 薩摩川内、11月末に行ったばかりです。
はい、そうでしたね。
後を追って、私たちも行ってきました。
> 私たちも夕食難民になりかけて、やっと開いていたラーメン屋さんでなんとかなりました。
> ひょっとして同じラーメン屋さんかな。西口の石走ラーメンでした。ラーメンだけ、ビールもなし。今時珍しい。
そのラーメン屋さんを検索してみましたら、私たちが見つけたラーメン屋さんよりずっと
駅近でした。
> 前回も同じお話をしましたが、市内のさびれ方はひどいものでした。
西口をずっと歩いて、かつての繁華街、メインストリートを歩きました。
夜は早々にお店は閉まっていたようです。
夕刻、夫は地元の友人に会っていたのですが、彼から「食事できる店なんてないよ」と言われて
それでも信じられずに出かけたのです。
> 私たちのホテルは東横IN薩摩川内駅東口でした。お隣です。
> 東口は西口よりさらに何もないところでした。
ありました、ありました、東横イン。
駅と東横インとの間に、プラザなんとかいう複合施設がありましたが
その一部が私たちが宿泊したホテルになっていました。
> これらの橋は19世紀前半に作られたものですか。石の橋なんて、日本では珍しい。この頃薩摩藩では何があったのでしょう。目下書いている九州旅のブログで、三国名勝図会という書物を参照しているのですが、これも1840年ごろ編纂された薩摩藩の地誌です。素晴らしい百科事典。他の藩ではやっていません。そういうものも作りました。
石橋が造られたのが1840年代、
島津斉彬が藩主になったのは1851年ですから、斉彬さん以前から薩摩藩では
進取の気風があったのでしょう。
私が知っているのはわずかですが、薩英戦争に敗れて、一層、西欧に学べと
留学生を秘密裏に密航させたり、
薩摩藩のあちこちに作られた、麓の武家屋敷群というのも、すごい考え方だと思いました。
> 近年は自動車が通っていたそうですね。そんなに堅牢なものだとは、すごい話。イタリアではよくある話です。向こうは石の本場ですが、それに匹敵することになります。
> 薩摩藩への認識を新たにしました。
石造りの建築物は、鹿児島市に戻ってからもあと少し、見て回ります。
しにあさんの九州旅の旅行記はこれからですね。
楽しみにしています。
mistral
-
- pedaruさん 2022/02/16 06:06:00
- 江戸時代の石の橋
- misitralさん おはようございます。
麓までくっきりと映し出された富士山、角度により、天候によっても様々な顔を見せる山ですね。私の町からも冬の晴れた日はスカイツリーと並んで富士山が見えます。
こんな日は、このことで話題になったりします。平和でいいですねぇ。
ところで貴重な石橋を解体移築して石橋公園で余生を送っている橋たち、余生といっても我々人間よりもはるか先まで、堂々たる姿を保ち続けることでしょうが・・・
木造の橋かと思えるほど、緻密につくられた橋、銅像になるほどの名人石工、おっと
石像でした。これら文化遺産を保存している自治体に敬意と感謝をささげます。
pedaru
- mistralさん からの返信 2022/02/16 08:54:55
- RE: 江戸時代の石の橋
- pedaruさん
おはようございます。
> 麓までくっきりと映し出された富士山、角度により、天候によっても様々な顔を見せる山ですね。私の町からも冬の晴れた日はスカイツリーと並んで富士山が見えます。
> こんな日は、このことで話題になったりします。平和でいいですねぇ。
富士山の姿は、車中から、新幹線の窓から、もちろん上空からでも
おっしゃるように、くっきりと見えた時には、幸せな気分になりますね。
スカイツリーの傍らに、富士山のシルエットが浮かび上がった夕暮れ時なども
最高です。
> ところで貴重な石橋を解体移築して石橋公園で余生を送っている橋たち、余生といっても我々人間よりもはるか先まで、堂々たる姿を保ち続けることでしょうが・・・
洪水で2つの橋が流されなかったら、いまだに甲突川に架けられたまま
日々の車の通行にも耐えながら頑張っていたのかもしれません。
まさに今は新たに作られた公園で、平和に「余生」を送っている石橋たち。
これからも「堂々たる姿」のままで生き続ける事でしょうね。
> 木造の橋かと思えるほど、緻密につくられた橋、銅像になるほどの名人石工、おっと
> 石像でした。これら文化遺産を保存している自治体に敬意と感謝をささげます。
鹿児島は、新政府を生み出すまで大変な苦しみを味わったところ。
そういう意味では、きっと戦禍を見てきたに違いない建造物たちを
保存しようとの想いが強かったのでしょうね。
一方で
後日訪問した監獄跡は、門のみの保存で、残りは解体されてしまいましたが。
メッセージをありがとうございました。
mistral
-
- 横浜臨海公園さん 2022/02/14 15:10:48
- 川内に南九州トップの寿司店あり
- mistralさま、こんにちは。
旅行記を拝見させて頂きました。
川内と云う町は徒歩で殆どの所を回れる、こじんまりとした所でしたね。
川内山形屋前に重寿司という鹿児島県はおろか南九州でナンバーワンの寿司が味わえる店があり、小生、鹿児島市に出張時にも必ず立寄っておりまあす。
出水市に関係がおられる由。
出水市野田郷には、大東亜戦争中に東条総理暗殺計画に加担していた某海軍大佐の事で何度か訪れた事がございました。
次作旅行記を期待しております。
横浜臨海公園
- mistralさん からの返信 2022/02/15 09:50:11
- RE: 川内に南九州トップの寿司店あり
- 横浜臨海公園さん
おはようございます。
コメントをありがとうございます。
> 川内と云う町は徒歩で殆どの所を回れる、こじんまりとした所でしたね。
> 川内山形屋前に重寿司という鹿児島県はおろか南九州でナンバーワンの寿司が味わえる店があり、小生、鹿児島市に出張時にも必ず立寄っておりまあす。
そんな有名店があったんですね!
川内には夕刻に到着し、夫が友人と会ったりして後
食事をしようと街に出かけてみましたが、すでに出遅れてしまったようです。
重寿司さん、臨海公園さんは何度もご訪問されておられるんですね。
ネットで検索してみましたら、出水、川内と両方にあるような。
食事をされた方の口コミも、評価が素晴らしく、次の機会があるのなら
行ってみたいとおもいました。
> 出水市に関係がおられる由。
> 出水市野田郷には、大東亜戦争中に東条総理暗殺計画に加担していた某海軍大佐の事で何度か訪れた事がございました。
ご取材のためにご訪問されておられるんですね。
既に旅行記になさってますか。後ほど訪問させていただきます。
臨海公園さんの旅行記一編には、全国各地での取材を元にされた力作ですものね。
> 次作旅行記を期待しております。
次の旅行記は出水のツルの見学ですので、あまりご期待にはそえないかも、です。
mistral
- 横浜臨海公園さん からの返信 2022/02/15 18:16:28
- 拝復
- mistralさま、こんばんは。
重寿司のご主人は、若い時に東京や横浜の寿司店で修業されたそうで、どちらかといえば素材をそのまま提供する九州の調理法とは異なり、かなり細やかさを感じさせる料理が提供されます。
また、マグロ以外は地元産に拘り、天然物が東京の1/3程度の価格で味わえます。
因みに、川内山形屋前の店が本店で、出水や川内市内の他店舗はご主人の弟の方々が経営される店です。
横浜臨海公園
- mistralさん からの返信 2022/02/16 08:04:49
- Re: 川内に南九州トップの寿司店あり
- 横浜臨海公園さん
おはようございます。
ご出張で各地に出向かれておられるんですね。
各地の名店巡りもされたことでしょう。
ところで、野田郷でご取材された折の旅行記がどこかに?
と思い昨日探してみましたが、見つかりませんでした。
旅行記を始められた頃に鹿児島をご訪問されておられるようでしたが、
もし旅行記が既に出来上がっておられましたら
お時間のある折にご紹介下さいませ。
mistral
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