2018/05/12 - 2018/05/15
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mistralさん
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5月12日から15日まで鹿児島県内をレンタカーで移動しながら、今までなかなか立ち寄ることが出来なかったところを回ってきた。
今、話題となっている「西郷どん」にちなんで鹿児島市内を旅行記に
又、お気に入りの温泉宿 石原荘 も一編としたが
その他にも三日間で立ち寄ったところもあり、もう一編の旅行記にまとめてみました。
(表紙写真は、100年以上前の駅舎が今も残る嘉例川駅)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
5月13日、鹿児島から串木野(現 いちき串木野市)を経由して出水へ向かった。
串木野、羽島にある萬造寺 斎(ひとし)という歌人の生誕地を見るためだった。
夫の親戚にあたるという。古い歌集全10巻も、今では我が家に伝わってきている。 -
海沿いの道を走っていたら
生誕の地という看板が目に留まった。 -
萬造寺 斎 は 明治19年(1886年)
ここで生まれたようだ。 -
その後明治41年、東京帝国大学、英文科入学
与謝野鉄幹(本名 寛)の門下生となる。
「明星」の歌人として「七高に萬造寺斎あり」と言われる。
大正6年、京都に移り住む。
各地の山を踏破し、その折りの思いを歌に表した。
夫があちこちの山をうろうろするのは、この方の遺伝子が伝わったせいかも? -
色黒のふるさと人は荒らけき
濁声なれど
性のやさしさ
と歌碑にあった。 -
敷地内に入ると、入口近くに巨木が聳えていた。
しかし空き地全体は、草も刈られていて整備されているようだ。 -
生誕の地からすぐのところにあるのは
薩摩藩英国留学生記念館。
海沿いの道にあってひと際目立っている建物。 -
島津斉彬は、集成館事業として近代化政策をおし進めていた。
その中の一つとして留学生を欧米に派遣することも考えていたようだ。しかし彼の急死によって計画は頓挫してしまう。
その後、薩英戦争によっていかに西欧文明が進んでいるかを体験させられた薩摩は、斉彬の遺志を受けて再び留学生の派遣を検討していった。 -
その後、新納、松木、五代友厚、通訳の堀からなる4名の使節団と15名の留学生を極秘裏に派遣することを決定。
-
全員変名を使い、甑島(こしきじま)大島への出張という名目で
慶応元年(1865年)この浜辺から英国貿易省、グラバーが用意した貿易船で旅立っていった。
幕府の鎖国令を破っての出航だった。
その後、シンガポール、スエズ、地中海を経由し2か月かかってロンドンに到着。 -
以上3枚の写真は
二階に上がると船のデッキに出るような造りとなっていて、当時の留学生たちが出航していったと同じような船上からの景観を眺められるようになっている。 -
デッキから下方に、渡航の記念碑と
-
留学生たちの顔の彫像が見下ろせる。
-
館内には英国で撮影した
留学生の写真が展示されている。
ロンドン大学での2年間の留学後、大部分の人達はアメリカやフランスに渡って留学生活を続けた。 -
最年少は13歳の長澤鼎(前列左?)。後にアメリカに渡り葡萄酒の製造を手掛け、ブドウ王といわれた。
鮫島、吉田、中村は公使となって外交界で、田中は銀山の開発に尽力、畠山は現、東京大学初代校長、森有礼は初代文部大臣、 -
松村はアメリカ兵学校卒業後、海軍創設に尽力、村橋は北海道開拓使となりサッポロビール生みの親に、
新納は司法官へ、町田は内務省へ、五代は大阪商工会議所を創設し初代会頭に、松木は外務卿となって
留学生たちは帰国後の日本をになう大きな推進力となっていった。 -
小舟から蒸気船に移る様子。
-
見逃してしまったけれど
鹿児島駅中央口にあるという
「若き薩摩の群像」は
薩摩藩英国留学生たちの像がモチーフとなっている。 -
鹿児島市内に建っていた
五代友厚の銅像。 -
このあたりから小舟に乗り込み、沖に待機していた蒸気船にのって英国へと旅立っていった。
-
薩摩藩留学生たちはロンドン滞在中に、長州藩から自費で密航したうえで留学していた5人のうちの3人とも会ったようだ。(5人のうち、伊藤博文と井上馨は先に帰国、残っていたのは井上勝、山尾、遠藤の3人)当時は薩長同盟はまだ締結される前であったが、留学生同士の交流はその後も長く続いたようだ。
-
-
このような九州の果ての地から
遠い英国に旅立っていったまだ20歳前後の若者たちの心中はどんなだったかと想像。 -
更に進んでいくと
萬造寺 斎の歌碑がある場所にぶつかった。
この歌碑を建立し顕彰会があった折り、夫は列席した記憶があるとのこと。
今となあっては遠い昔、、、昭和35年のこと。
その折りには佐藤春夫も出席したようだ。 -
「行かもほし悩みいたづき振り捨てて 南の海辺遠きふるさと」
「ふるさとや海のひびきも遠き世の こだまの如し若き日思へば」
「ふるさとの海の砂原小石原 生きてふたたび踏まむ日なきか」
と望郷歌、3首、彫り込まれていた。 -
与謝野鉄幹、渡欧の送別会の折りの写真が記念碑のそばにあった。
萬造寺斎、そして夫がかねてから心酔(?)している木下杢太郎(太田正雄)も同席していた。
不思議な結びつき。 -
ネット上で萬造寺斎の写真を見つけた。
-
歌碑は羽島崎神社近くにあったという夫の記憶の通り
奥には神社が見えていた。 -
街の中心部に向かっている途中
歌碑が建っているのを見かけた。 -
串木野駅へやって来た。
鹿児島へ行くことが決まってから
川内または出水駅あたりから肥薩おれんじ鉄道に乗ってみたいと思い、運行時間などを調べていたが、丁度乗れそうな列車が見つからず
それでも諦めきれずに、探していたら「指宿のたまて箱」通称 いぶたま という列車があることがわかった。ネットで空席状況は検索できたが、予約は最寄り駅が早いということで、串木野駅に立ち寄った。
かわいらしい新しい駅で、親切な駅員さんから購入できた。
14日、鹿児島中央駅から指宿まで乗車、折り返しすぐ戻ってくるという予定。
行きはカウンター席には空席がなかったが、帰りにはカウンター席が取れるという。乗車券は往復割引ができて、プラス特急、指定券が必要。片道2150円とあったが割引が適用されて一人3千円台だったと記憶。 -
その後出水へ。
目的だったお墓参りも済ませ、親戚の叔父さんをお見舞いに行った。
写真は、島原の乱から逃れてきたお武家(?)一族をご先祖が匿い、その後埋葬をしたと伝わっているが、苔むしたままのお墓が我が家のお墓近くに数基残されている。
島原へは、出水からは海を隔ててすぐの距離。
そのうちに島原を歩いてみたいと思っている。 -
5月14日、鹿児島中央駅まで戻ってきた。
レンタカーは西口にある駐車場へ入れた。
この駐車場は、新幹線、特急利用者に対して、切符を提示すると一日800円の駐車料が500円になるというサービスが受けられる。
乗車時間まで間があったので、天文館むじゃきがターミナルビル地下にあるのを見つけ行ってみた。
写真はアイスクリームがのっているしろくま。
天文館に行って食べようと思っていたので、丁度良かった。
かき氷がトロリとした感じで、美味しかった! -
串木野駅で購入した「指宿のたまて箱」に乗車する為、ホームで待っているところ。
白黒の車体は、黒が浦島太郎の若い時の黒髪を、白は玉手箱を開けた後の白髪を表しているようだが、かなり車体が汚れてしまっているのがちょっと残念。 -
ドアが開いた際ミストが吹き出ているのは、玉手箱からモクモクと煙があがっている様子を表しているようだ。
-
鹿児島中央駅 11:57 発。
指宿 12:47 着。
駅弁を買い込んで乗車した。 -
九州新幹線のデザイナー、水戸岡氏によるデザイン。
ソファ席(ここは自由に使用できる)には本棚も設えられている。 -
行きはカウンター席は満席だったようだが
帰りにはかなり空席があり、車窓からの景色を眺めながら帰ってきた。 -
カウンター席と二人横並びの席。
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床に至るまで木材がたっぷり使われている。
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一日3便のうち、お昼近くに指宿市役所近くを電車が通過する際には、職員の方々が外に出て手を振って歓迎してくださる。
-
指宿到着後 指宿を 12:56 発 の同じ電車で折り返してきた。
(鹿児島中央駅には 13:49 着)
帰りの電車が通過する際にも、役所の職員の方々のお見送りがあった。 -
のどかな海をぼんやり眺めながら、往復2時間ほど電車に揺られていた。
指宿にはただ行っただけだったけど、満足。 -
社内にはかわいらしいお魚のモチーフのパネルがある。
二人がけ席上部にはお魚一匹づつ描かれたパネルがあった。 -
降車の際には、やっぱりミストが。
-
-
当日は
妙見温泉の石原莊に滞在した。 -
ロビーの一画に、坂本龍馬がお姉さんにあてた手紙のコピーが貼られていた。
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5月15日、チェックアウト時、フロントで帰りのフライトの時間をお伝えして、周辺観光のアドヴァイスをしていただいた。
手紙のコピーを見たこともあって、坂本龍馬が新婚旅行の際、回ったコースを辿ってみようと思った。
私たちはレンタカーだが、当時はもちろん徒歩だったから大変だったはず。
まず最初に行ったのは犬飼の滝。
龍馬からお姉さんに宛てた手紙の中で、出てきた滝。
「蔭見の滝」とあったのは本当は「犬飼の滝」のことで、薩摩弁では犬をイン、飼はケと発音する為、インケンと聞き間違えたようだ。 -
滝壺は車道から300メートル位下った所にある。
下って行く際、水の落ちる音は聞こえるが、最後まで木立に阻まれ、すぐそばまで行ってやっと滝の全貌が現れた。 -
車を停めた滝見展望台。
21世紀に残したいふるさと鹿児島の景観「新かごしま百景」で、犬飼の滝は一位を獲得したそうだ。 -
展望台の先をまっすぐ走ると間もなく
和気神社へと案内板が立っている。 -
和気清麻呂公を祀る神社。
交通安全、学問、建築の神(特に足腰)としてご利益があるとされている。 -
坂本龍馬とお龍も
立ち寄ったようだ。 -
和気清麻呂を白いイノシシが助けたということから、狛犬ならぬ狛猪の像がある。
-
拝殿から振り返って見ている。
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代々(?)白イノシシが飼われているようだ。
和気ちゃんという名前で、この裏側の囲いの中でのんびりと眠っていた。 -
4月中旬からは藤祭りが開催されるようだが、藤棚の手入れをされている方々を見かけた。花がらなどを摘んでいた様子。
写真はお札に描かれていた和気清麻呂。
右は明治23年発行の10円。肖像の原型となったのは「木戸孝允」でイタリア人彫刻士キヨッソーネによるもの。
左は明治32年発行の10円。彫刻は細貝為次郎。裏面にイノシシが描かれている。 -
その後一旦、石原荘近くまで戻り、更に右折して塩浸温泉へ向かった。
ここは1866年、西郷隆盛の勧めもあって、坂本龍馬が妻、お龍を伴って傷の治療もかねて滞在したという温泉。いわゆる、日本初の新婚旅行とされている。 -
車道の反対側に温泉があるようだ。
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橋を渡ったところが広場になっていて、記念碑や
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二人の銅像がたっている。
-
川には数羽の鴨がいて
餌をまいてくれるのを期待して待っていた。 -
そして当日最後の目的地
嘉例川駅へとやってきた。
肥薩線吉松駅と鹿児島中央駅とを結ぶ特急、はやとの風が、一日2往復(但し運行日は限定されているが)走っている。当日の運行はどうやらなかったらしい。 -
明治36年1月15日開業に合わせて造られた駅舎は、100年以上の年月をここで風雨に耐えてきている。
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ここで販売される駅弁「百年の旅物語 かれい川」は人気なようだ。
特急「はやとの風」乗車時には予約ができるようだ。
また、この駅では5分の停車時間があって駅舎の撮影も可能となっている。
他にも九州内を走りぬける特別仕立ての特急はたくさんあって、
JR九州旅客鉄道、なかなかやるな~と。 -
ホームに残されていた、昔ながらの駅名の看板。
-
無人の駅舎なのでホーム内への出入りは自由にできる。
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-
駅舎の中の一室に、近隣の写真を沢山撮影されて展示されている方がおられて、その中の一枚に「鶴瓶の家族に乾杯」の折りに撮影されたと思われる一枚があった。
その方のお話から、時刻表には通過する列車の時刻が載っているが、当日は運休しているものがあり、列車が通過するのは午後になるということだった。 -
ホテルで紹介されていた、近隣で昼食がとれるところ、というご案内があったのを思い出し「嘉好」という普通の民家風のお店へやってきた。
そのお店から通過する列車も眺めることができそうだったけど、次の列車の停車時間を調べていたので、早めに切り上げて駅へ戻った。 -
構内に掲示されていた資料より。
1887年ごろから鉄道を鹿児島まで伸ばそうという動きが中央でもあったそうだ。
しかし鹿児島市は1877年の西南の役で窮乏していたし、中央では懲罰の意味もあり凍結の空気が強かったそうだ。
その後、八代までは明治29年に開業していたが、八代~人吉~鹿児島間は明治政府による官営鉄道として、国家の威信をかけた大工事が計画された。
肥薩の山の中を無理矢理に通したのには理由があったようだ。当時艦砲射撃を受けられない山中を通すようにとの軍部からの命があって、難工事の末、23のトンネルがある山中を、わが国初のループ線、スイッチバックをしながら通過する路線が計画された。
開通後は昭和2年まで北九州や中央を結ぶ大動脈として活躍。
その後鹿児島本線の名称は、八代~川内~鹿児島の海岸線を走る経路へと移行されていった。 -
開通するまでは、周辺住民からは
汽車に馬が驚く、鶏が卵を産まなくなる、稲が穂を出さず実らない、などなど不安の声が寄せられたそうだ。 -
しかし開通時には、竹の竿に日の丸の旗をあげ、杉の門を作り(この地方の風習?)お祝いをしたともあった。
-
苦労の末、開通した 元 鹿児島本線。
今では 肥薩線 と名称も変わり
個性的な観光列車が運行されて、ルートが繋がって旅ができるようだ。 -
-
柱も継いだ跡が残る。
-
普通列車がやってきた。
-
-
観光客、そして通学生たち、日常生活で利用している人々もこの駅で降車。
-
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こんな山の中の無人駅ではあるけれど
今、再び観光客が訪れるようになって脚光を浴びているのを
昔の人々が知ったら驚くことだろう。
ちなみに、駅舎でニャンコが飼われていたようだが、大勢の人間と関わらなくてはならなくなり、ストレス過多となったため、現在は別のところで暮らしているようだ。 -
フライトの時間も近づいてきたので
このあとレンタカーの返却の後
鹿児島空港へ向かった。
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この旅行記へのコメント (8)
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- pedaruさん 2018/09/09 06:22:31
- 私の知らない鹿児島
- mistralさん おはようございます。
たいへん内容の充実した旅行記でした。読み物としても深く、じっくりと読ませていただきました。
坂本龍馬の新婚旅行はこの辺だったのですね。たいへん興味あるお話でした。その他たくさんのことを学びました。ありがとうございました。
pedaru
- mistralさん からの返信 2018/09/09 16:33:32
- Re: 私の知らない鹿児島
- pedaruさん
こんにちは。
コメントをありがとうございました。
地味で、ただ長いだけの旅行記ですのに、
お褒めいただき嬉しいです。
鹿児島の歴史は、私にとりましては
小、中学校で学んだレベルで止まったままでした。
今回旅をしまして、また旅行記を書く折に学んだことから、
改めて幕末から明治維新への激動の歴史を担った
人々の存在を知った次第です。
NHKの西郷どんで、最近、坂本龍馬とお龍さんが
鹿児島を訪問していた場面が、あの新婚旅行だった!
と結びつきました。
一度の旅が、新たな窓を開けてくれます。
mistral
-
- frau.himmelさん 2018/07/03 21:34:38
- 早く行きたくなりました
- mistralさん、こんばんは。
素晴らしい旅行記を拝見いたしました。
前回拝見した「西郷どん」もよかったけど、今回もまたとても興味深く拝見しました。
Mistralさんご夫婦はお二人とも鹿児島にルーツがおありになるんですね。
県は違えど、同じ九州の県の出身の私たち夫婦。とてもご夫婦が身近に感じられました。
違うのは・・・。
ご主人さまのご親戚に有名な歌人がいらっしゃること。どうりでご主人さま、mistralさん共に文才に恵まれていらっしゃるはずです。
そこが大きく違いますね(笑)。
鹿児島駅前の「若き薩摩の群像」は英国留学生たちがモデルなのですか。留学生たちのあの写真、どこかで見て頭に焼き付いておりましたので、なるほどねーと。
それから嘉例川(文字変換間違っていません?・笑)。
数年前、いさぶろう号(?)とはやとの風を乗り継いで鹿児島に行った時通りました。懐かしいです。串木野もいいですね。
10月に法事で九州に行くことになっています。mistralさんの旅行記を参考にさせていただこうかと思い始めました。
早く行きたくなりました。
himmel
- mistralさん からの返信 2018/07/03 23:23:54
- RE: 早く行きたくなりました
- himmelさん
こんばんは。
いつもありがとうございます。
himmelさんの丹念に辿られた旅行記、いつも楽しみにしております。
最新の旅行記に取り掛かられる前に、昨年度分を追い込み中でお忙しいことと
思います。
>
> 素晴らしい旅行記を拝見いたしました。
> 前回拝見した「西郷どん」もよかったけど、今回もまたとても興味深く拝見しました。
有難うございます。
なにぶんにも、西郷隆盛さんに対する私のイメージが、小、中学生時代に学んだレベルで
止まってまして、あ〜そうなのね〜と自分自身が知った喜びで旅行記を書いていまして。
更に、西郷どんの他にも、こんだけある〜と(笑い)
地元の方にとりましたら、大したことないんでしょうが。
> Mistralさんご夫婦はお二人とも鹿児島にルーツがおありになるんですね。
> 県は違えど、同じ九州の県の出身の私たち夫婦。とてもご夫婦が身近に感じられました。
そうだったんですね!
ただ私自身は九州とは縁がなくて。
> 違うのは・・・。
> ご主人さまのご親戚に有名な歌人がいらっしゃること。どうりでご主人さま、mistralさん共に文才に恵まれていらっしゃるはずです。
> そこが大きく違いますね(笑)。
いえいえ、そんなことありません。
夫自身は理系なのですが、かつては(今も?)文学青年(文学老人)のようなところもありまして
もしかしたら血を受け継いでいるのかも、と串木野を訪問して思いました。
> 鹿児島駅前の「若き薩摩の群像」は英国留学生たちがモデルなのですか。留学生たちのあの写真、どこかで見て頭に焼き付いておりましたので、なるほどねーと。
> それから嘉例川(文字変換間違っていません?・笑)。
> 数年前、いさぶろう号(?)とはやとの風を乗り継いで鹿児島に行った時通りました。懐かしいです。串木野もいいですね。
すでにhimmelさんは、あの路線をご存知だったんですね。
いさぶろうからはやとの風を乗り継がれたなんて!
九州の列車の旅をするには、事前の準備が必要と痛感しました。
いつも運行しているわけではないですものね。
> 10月に法事で九州に行くことになっています。mistralさんの旅行記を参考にさせていただこうかと思い始めました。
> 早く行きたくなりました。
10月のご旅行、季節も最高ですし
きっとhimmelさんならではの旅をなさることでしょう。
楽しみですね。
mistral
-
- マーさん 2018/06/14 21:44:44
- 愉しく拝見させて頂きました。
- 鹿児島に住んで居ながら、mistralさんの旅行記を拝見して そうなのかぁ~と !
思うところが沢山あり、何か ? お恥ずかしいような感じもしました(苦笑)
近くに居ると、案外知らない事もあるものなのですね !?
先日、コメント頂いてました 天草・島原の乱の際 出水に落ち延びてこられた方達
のお墓も拝見出来て興味いものがありました。
これからも、旅行記楽しみにしております。
- mistralさん からの返信 2018/06/14 23:03:40
- Re: 愉しく拝見させて頂きました。
- マーさん
こんばんは。
先日はフォローもして下さり有難うございました。
鹿児島在住の方にとりましては、初心者の旅行記だった
ことと思います。
マーさんの西郷どんの旅行記こそ、貴重な情報満載でしたね。
島原の方々のお墓、今となってははっきりとは分からなくなっていますが、ご夫婦とお付きのお女中さんがたと伝わっているようです。どんな経緯で出水に来られたのやら?
表には出てこない歴史の数々が、あちこちに埋もれていることでしょうね。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
mistral
-
- 川岸 町子さん 2018/06/13 23:38:45
- 列車
- mistralさん、おばんでした。
霧島市にある鉄道を拝見し、学生時代に霧島を訪れた事を思い出しました。
100年も前の駅舎、当時はその価値もわからずに通りすぎたのかな?
駅のトレードマークの猫がストレスを感じて駅を離れたとのお話、はっとさせられました。今後は、のんびり日向ぼっこして過ごして欲しいですね~(^-^)
「指宿の玉手箱」ネーミングも玉手箱の煙の演出など、楽しいことを考えましたね!何よりも列車が通過するときに合わせて、職員さんがたが笑顔で手を振るなんてすごいです(^-^)地元をあげてなのですね。嬉しい光景です。
アイデアやプラン、演出、地元の皆さんの表現など、JR九州のレベルの高さを感じます。私の第二の故郷北海道のJRは、だんだん寂れる一方です。何か良いアイデアないのかなと思いました。いつか大河ドラマなどで、取り上げて欲しいです。
町子
- mistralさん からの返信 2018/06/14 20:26:29
- RE: 列車
- 町子さん
おばんです。
> 霧島市にある鉄道を拝見し、学生時代に霧島を訪れた事を思い出しました。
> 100年も前の駅舎、当時はその価値もわからずに通りすぎたのかな?
私も学生時代、友人と一周した思い出があります。
当時は一周する事が大きな目的で、他のことはあんまり目に留めてなかったと思いました。
ところどころの景色は覚えていても、それこそ由緒あるものなどは興味がなかったと思います。
> 駅のトレードマークの猫がストレスを感じて駅を離れたとのお話、はっとさせられました。今後は、のんびり日向ぼっこして過ごして欲しいですね?(^-^)
可愛らしい動物を見ると、つい私たちは触りたくなりますが、その事がきっと動物にとってはストレスになるんでしょうね。
> 「指宿の玉手箱」ネーミングも玉手箱の煙の演出など、楽しいことを考えましたね!何よりも列車が通過するときに合わせて、職員さんがたが笑顔で手を振るなんてすごいです(^-^)地元をあげてなのですね。嬉しい光景です。
> アイデアやプラン、演出、地元の皆さんの表現など、JR九州のレベルの高さを感じます。私の第二の故郷北海道のJRは、だんだん寂れる一方です。何か良いアイデアないのかなと思いました。いつか大河ドラマなどで、取り上げて欲しいです。
九州では観光目的の特急があちこちで運行されているようですね。
使わなくなった路線に、特徴ある特急を走らせ、駅弁を販売したり、写真撮影に応じたり
サービスを充実させると観光客が集まるんですね。
私も今回、どれかに、どれでも良いから、乗ってみたいと思いましたもの。
北海道でも目玉特急を走らせたら、きっと賑わうことでしょうね。
そうそう、大河も観光客誘致には影響あるようですよ。
鹿児島は、篤姫に続いて西郷どんですから!
多くの観光客、海外の方も含めて、で大にぎわいでした。
コメント、ありがとうございました。
mistral
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