2018/04/07 - 2018/04/07
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岡山県の日本百名城巡り、『鬼ノ城』の紹介です。ヤマト政権時代の城としては、岡山県の『鬼ノ城』と福岡県の『大野城』が2006年に日本百名城に選ばれ、2017年の続日本百名城では、福岡県の『水城』と『基肄城』、熊本県の『鞠智城』、長崎県の『金田城』が選定されました。(ウィキペディア、日本百名城・公式ガイドブック)
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『四つの疑問』のタイトルがあった説明パネルの光景です。この後、二分割して紹介します。右側が一番保存状態がよく、木造の楼閣も再現された『西門』、それ以外が左の頁の三門です。総社平野に面して東、西、と南門が築かれ、背面に北門が築かれました。この城門の築き方は、朝鮮式山城と類似しているとの指摘もあります。(同上)
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『四つの疑問』のタイトルがあった説明パネルの光景(部分)です。これまでに見つかった城門は四つ、いずれも掘立柱の建物で、門道には石が敷き詰められ、門礎には扉の軸摺加工があったことなどが紹介されていました。この頁で紹介されていたのは『西門』です。『角楼』が『西門』の防備に築かれたことも紹介されていました。(同上)
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『四つの疑問』のタイトルがあった説明パネルの、三枚の写真と図面のズームアップ光景です。上から、南門、東門と。北門の発掘現場写真と平面図でした。いずれも、保存状態が極めて良好な遺跡です。(同上)
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『古代の土木技術』のタイトルがあった説明パネルの光景です。説明文の中見出しは、『岩を砕き、山を削った城造り』でした。土塁は、列石の上に土を堅く突き固めて頑丈に高く作り、一部に石垣や、水門が築かれたと解説されていました。試算によれば、延数十万人が動員されたと想定されています。当時、経験豊富な朝鮮半島の技術者が城造りに活躍したようです。(同上)
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『版築の剥ぎ取り』展示の光景です。版築層の表面を薬剤で固めて剥ぎ取ったもので、転写に伴い、表裏が逆になっていることが補足説明されていました。薬剤による剥ぎ取り展示は、貝塚などの例でも目にします。(同上)
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版築土塁を築いた工具の展示光景です。野球のバットを連想させるレプリカでした。『つき棒』のシールが貼付してありました。全身を使って上下動させますから、野球のバットよりは、かなり長いようでした。(同上)
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右の写真が『版築層の剥ぎ取り位置』と題された断面写真、左のイラスト図が『版築作業の流れ』と題された工程図でした。先程紹介した『つき棒』と一体の展示でした。左端に、つき棒が見えています。(同上)
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2.5メートルほどの深さで剥ぎ取られた版築の内、下から1メートル付近のズームアップ光景です。貝塚遺跡の『剥ぎ取り標本」でも実感しましたが、感心できる中々の技術です。(同上)
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『歴史は續き』と題された、鬼ノ城を詠んだ『なんばみちこ』さんの詩と、高木さんの書です。難波道子さんは、1934年岡山県生まれ、日本現代詩人会会員。日本詩人クラブ会員。日本児童文芸家協会会員。日本童謡協会会員。詩誌「火片」・「総社文学」同人。童謡詩誌「とっくんこ」代表です。(同上)
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ビジターセンターでの展示品見学と、鬼ノ城についての説明をお聞きした後、次は現地見学です。写真入りのこの観光案内には、『総社ふるさと自然のみち総合案内図』のタイトルがありました。広域のウォーキングコースの案内でした。(同上)
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名称:『ソメイヨシノ(染井吉野)』
分類:バラ科サクラ属
原産地:日本
開花期:春(3月~4月)
その他:青空をバックに、満開の染井吉野の光景です。(同上) -
名称:『ソメイヨシノ(染井吉野)』
分類:バラ科サクラ属
原産地:日本
開花期:春(3月~4月)
その他:白い雲と、満開の枝先光景です。(同上) -
イチオシ
名称:『コバノミツバツツジ(小葉の三葉躑躅)』
分類:ツツジ科ツツジ属の落葉低木
分布:本州中部以西から九州まで分布
花期:3月~4月
その他:ミツバツツジに比べて、葉が多少小さいための呼び名です。(同上) -
道案内標識の光景です。右向きの矢印がビジターセンターの『犬墓山』、左向きが『鬼ノ城西門』、手前向きの矢印が『駐車場・学習見本園』方面でした。ピンクの花を咲かせた『コバノミツバツツジ(小葉の三葉躑躅)』が見頃でした。(同上)
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瀬戸内海は、いにしえから海外交流交易の主海路です。東端の難波津(港)の西方、約180キロメートルに吉備津(港)は位置します。吉備津の西方、約240キロメートルに那大津(港)の博多湾があります。吉備津は、瀬戸内海の東西航路のほぼ中間点に位置する要所です。鬼ノ城の山麓一帯は、勢威を誇った古代吉備の中心部であり、鬼ノ城は吉備津から約11キロメートルです。(同上)
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現地ガイドさんに先導されての『鬼ノ城』の見学です。最初に、再建された『西門』が見渡せる展望台に向かいました。『鍵岩』と呼ばれる場所です。『鬼ノ城』は、古から『吉備津彦命(きびつひこのみこと)』による温羅退治の、伝承地として知られていました。『吉備津彦命』は、記紀等に伝わる古代日本の皇族で、第7代孝霊天皇の皇子です。四道将軍の1人で、西道に派遣されたと伝わります。(同上)
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かつての『鬼ノ城』は、苔むした石垣が散在する状況から、城跡らしいと判断され、『キのシロ』と呼ばれていたようです。『キ』は、百済の古語では『城』を意味し、後に『鬼』の文字をあてたとされます。『鬼ノ城』は『シロ」を表す、彼の地と此の地との言葉を重ねた名称とする説があります。(同上)
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名称:『コバノミツバツツジ(小葉の三葉躑躅)』
分類:ツツジ科ツツジ属の落葉低木
分布:本州中部以西から九州まで分布
花期:3月~4月
その他:日当たりの影響でしょうか、まだ蕾が多いようでした。(同上) -
大きな石が上から転がり落ちてきたように見える光景です。辛くもこの場所で踏みとどまったように見えました。『鬼ノ城』の礎石建物群の周辺からは、仏教に関わる瓦塔、水瓶、器などの遺物が出土しています。これは鬼ノ城の廃城後、飛鳥時代から平安時代にかけて、山岳寺院が営まれていたためと判断されています。(同上)
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663年に起きた、『白村江の戦い』に敗れたことがヤマト政権の防備強化につながりましたが、その時に造られた城の一覧です。(同上)
(1)天智天皇3年(664年):筑紫国に水城(みずき)
(2)天智天皇4年(665年):長門国に城、筑紫国に大野城と基肄城
(3)天智天皇6年(667年):大和国に高安城、讃岐国に屋嶋城、対馬国に金田城 -
先ほど紹介したお城の中に、『鬼ノ城』が含まれてもおかしくないようですが、記紀には記述がありません。謎の『古代城』と呼ばれる所以です。『鬼ノ城』の考古学的研究は、1971年(昭和46年)の高橋護の踏査による、土塁の列石と水門の発見を嚆矢とします。1978年(昭和53年)、山陽放送25周年記念事業として、『鬼ノ城学術調査団』による、初の学術調査が実施されました。(同上)
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『鬼ノ城』の発掘調査は、1994年(平成6年)から総社市教育委員会により開始されました。成果報告は、『鬼ノ城 角楼および西門の調査(1997年)』、『鬼ノ城 南門跡ほかの調査(1998年)』、『鬼ノ城 西門跡および鬼城山周辺の調査(1999年)』、『鬼ノ城 登城道および新水門の調査(2001年)』などで報告されました。(同上)
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上部が『鬼ノ城案内図』、側面が道案内標識です。左向きの矢印が『西門』、右奥向きが『鍵岩』、現在地が『鍵岩』のすぐ近くでした。『鍵岩』は、『学習広場』とも表示されていました。(同上)
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谷に架けられた木橋の光景です。渡った先が、『鏡岩(学習広場)』です。総社市の鬼城山史跡整備事業に伴う発掘調査が継続され、その成果は、『古代山城 鬼ノ城(2005年)』、『古代山城 鬼ノ城 2(2006年)』で報告されました。また、城内の発掘調査は、1999年(平成11年)から岡山県教育委員会で開始され、『国指定史跡 鬼城山(2006年)』、『史跡 鬼城山2(2013年)』で報告されました。(同上)
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現在の『鬼ノ城跡』からの出土遺物を見る限り、『鬼ノ城』は飛鳥時代が始期であり、7世紀第4四半期頃から8世紀初頭にかけて機能し、極めて短期間にその使命を終えたと考えられているようです。飛鳥時代は、一般に推古天皇が即位した592年から、元明天皇が都を現在の奈良市付近の平城京(長安の模倣)へ遷都した710年の間とされます。(同上)
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イチオシ
谷越しに眺めた、『鬼ノ城』の西門光景です。総社観光ナビのネット情報では、『平成8年度の調査で新たに発見された城門である。正面3間(12.3m)、奥行2間(8.3m)の大規模な城門で、中央1間が開口する。12本柱で構成される堀立柱城門』と紹介されていました。(同上)
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イチオシ
谷越しに眺めた、『鬼ノ城』の『角楼』の光景です。総社観光ナビのネット情報からの紹介です。『かつてここには、裏門的な門跡の存在が推定されていたが、平成8年度の発掘調査で城門ではなく、特殊な遺構であることが判明した』と紹介されました。また、『角楼は,背面からの攻撃に備えるとともに西門防備をも意図した重要な防御施設と考えられる』とも紹介されていました。(同上)
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左端の『角楼』と、右端の『西門』の光景です。『鬼ノ城』は、地元に定着した朝鮮半島系の人達が動員され、他地域にないような古代山城を造ったようです。また、発掘された土器から判断して、667年頃の築造はあり得ると推測されています。異説では、『白村江の戦い』に先立ち、斉明天皇が築いたとするものがあります。(同上)
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少しだけズームアップした、左端の『角楼』と、右端の『西門』の光景です。九州管内の古代城も、瀬戸内海沿岸の古代城も、その配置、構造から判断して、一体的・計画的に築かれたもので、7世紀後半の日本が取り組んだ一大国家事業とする見方は、お城巡りの体験からも納得できます。(同上)
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『西門(想像再建)』のズームアップ光景です。平成2年(1990年)、史跡『鬼城山』の指定地が公有化されました。現在は、城内域の70%を岡山県が所有し、外郭線の下方を含む他の面積を総社市が所有しています。発掘調査などは、その所有区分に従って行われているようです。(同上)
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